周囲には二人によって行われた戦闘の傷跡が生々しく残っていた。
立っているのは血で赤黒く染め上げ、腹部の布地の消え去った服を身に纏うサクラのみ。
鮫島はその有り様を見て、真っ先にサクラを着替えさせないとアリサが卒倒すると確信した。
「サクラ、そのカードはどうやって使うんですか」
デフォルメされた少女の絵を横から覗き込みながら不思議そうな顔をする沙羅。
内心自分が同じようにデフォルメされたらどうなるのか気になっていたが、それはおくびにも出さない。
「…ん、出てきて」
沙羅の疑問に、サクラはカードで呼びかけることで応える。
次の瞬間、サクラの掌に収められたカードから淡い光を放ちながら、一人の少女が現れる。
水色のリボンを使ったツインテールに真っ白なシャツ、そしてリボンと同色の水色のネクタイ。
現れた少女の姿を見た沙羅は思わず感心する。
「まるでコスプレみたいですね」
沙羅は言葉を選ばなかった。
ストレートな言葉が少女に投げかけられるが本人はそれどころではなかった。
少女はなぜかわたわたと慌てながらサクラの頬に手を伸ばす。
「…むにゅ」
「嘘、温かい、温かいよ…」
少女は確かに感じたサクラの体温に驚きながらももう片方の掌もサクラの頬に当てる。
そのままサクラの頬を夢中でこねくり回す。
「えと、なんで私に体があるの?」
要するに少女が言いたいことはそこだった。
幽霊であった頃の少女は観測されることすら稀で、当然物に触れることすら出来なかった。
それなのに今、掌で感じている温もりは紛れも無く本物だった。
「れいふかごーふほだとおほったらへーれー…とっへもふひぎ?」
「わー、すっごいほっぺたもちもちしてるー」
頬を弄くり回されても特に動じないサクラ。
そしてそれを肯定と受け取ったのかサクラ弄りを継続する少女。
「待ちなさいそこの元幽霊少女。サクラは私のものです」
「えー、でもでも、私のご主人様だよ?」
「…マニアックですね。個人的にはアリです」
ツッコミ不在の会話は加速していく。
今更になって頬を弄られていると喋りにくいことに気づいたサクラは拘束からするりと逃れた。
「ん、名前、教えて」
「…覚えてないんだよね。名前も記憶もぼんやりなんだよ」
〈時と共に徐々に魂が摩耗したことで名前と記憶の一部を失っている。〉
その言葉にコントラクトカードの表記を思い出したサクラ。
「…名前、シアしか読めなかった」
「シア、シア…うん、じゃあ私はシアだね!」
「なんか凄く適当ですね」
「あんまり違和感ないから全然ダイジョーブだよ」
存在が安定したことで少女、シアは元来の明るい性格を取り戻しつつあった。
「しかし、この子全く幽霊に見えないんですけど、どうなっているんでしょう」
しっかりと大地を両足で踏みしめているシアを見て不思議に思う沙羅。
「…ん、多分分かる。これ、持って?」
「え、うん…」
そう言うとサクラは杖をシアに差し出す。
シアはおっかなびっくりしながらも、それを受け取った。
「インパクトブロー」
サクラは無手のまま両手を組んで、握りしめたまま腕を上げたままの体勢で振り下ろした。
当然無手では杖専用スキルである『インパクトブロー』は発動しない。
「シア、真似して?」
「い、行くよ。『インパクトブロー』」
シアがサクラの真似をして振り下ろした杖は淡い光を纏い、周囲に鋭く空気を裂く音を響かせた。
「サクラのスキルが使えていますね」
「ん、多分『下位スキル共有』のお陰」
沙羅に差し出されたのはデフォルメされた少女の消えた『コントラクトカード』。
恐らく召喚中はデフォルメキャラクターは消えているのだろう。
問題は裏面だ。コントラクトスキル欄に存在する、『下位スキル共有』という表記。
「…体がないと、物理系のスキル、使えない」
「なるほど。『コントラクト』の影響ってことですか」
『釣りスキル』で沙羅が試したようにサクラのスキルはこの世界用に『調整』されている。
それならば肉体のない少女にサクラの『コントラクト』を通してサクラの物理系統のスキルが共有されたならばどうなるのか。
「…サクラの仲間、出来た」
嬉しそうに呟くサクラを見たら沙羅はまぁいいかという気持ちになった。
ある意味でシアはサクラと同じ存在。
スキルによってそれが証明された以上変えようのない事実。
サクラがこれまでにスキルや魔法のことで疎外感を感じたことがあったのかは沙羅には分からない。
「サクラ、良かったじゃないですか」
結局の所、サクラが可愛いならそれで世界は平和なのだ。
沙羅はサクラの頭を優しく撫でながらそんなことを考えていた。
宿の一室、そこではアリサが椅子に腰掛けながら頭を悩ませていた。
その視線の先にはサクラとシアと名乗る自称精霊の少女。
「…サクラ、とりあえずこの子は元あった場所に返してきなさい」
まるでシアは捨て犬か捨て猫のような扱いだった。
だが、内心アリサは拾ってきてしまったものは仕方がないと諦めてもいる。
「…きちんと散歩には連れて行く」
「良い?幽霊だか精霊だかを飼うのは大変なのよ…多分」
流石のアリサもこればかりは自信がなかった。
シアの見た目が人間にしか見えないのがその不安に拍車を掛ける。
「基本的に私はサクラに引っ付いてるから大丈夫だよ~」
シアはのんびりとした笑みをアリサへと向ける。
どことなくその様子がサクラに似ていてアリサは複雑な気分になった。
ならば、絶対にこのシアという少女の大丈夫は大丈夫ではないのだ。
「引っ付くってどうするのよ」
「サクラにとり憑くかカードに戻るかのどっちかかな。でもでも、カードの中は暇だから外には出てたいかな」
「…やっぱり普通に外に出てていいわ」
常にサクラの中にシアの影を見るような事態になるのは勘弁して欲しかった。
特にとり憑かれてシアのように饒舌に喋るサクラを想像したら違和感が酷かった。
「……で、アンタからどうして鉄臭い臭いがするのかしらね、サクラ?」
「…サクラ、血はきちんと拭いたはず」
動揺したサクラは思わず手の甲を鼻に押し当ててそれを確かめてしまう。
「…へぇ。気のせいかと思ったけど一応カマ掛けてみただけなんだけどね」
「…アリサ、酷い」
「シア、サクラを捕獲しなさい。お風呂に連行するわ」
「了解しました~」
背後からガッシリとサクラを羽交い締めにするシア。
これまでの会話からシアは既にアリサがサクラよりヒエラルキーが上位の存在であることは理解していた。
「うーん。体があるって素晴らしいね。サクラに感謝感謝だよ」
シアはそう言いつつもサクラの拘束を緩めない。
そもそも出血させた原因なのだからなにがなんでも洗い流させる所存だ。
シアは自分を救い出してくれた時に感じたサクラの温もりを守りたい。
失くした記憶と同じくらいにはサクラを大事に思っている。
「…シアは意地悪?」
きょとんとした表情でそれを尋ねてくるサクラになぜかシアの何かが掻き立てられた。
擦り切れた筈の記憶の一部が何かを訴えかけてくる。
「お姉ちゃん…うん?よーし!シアお姉ちゃんがサクラをお風呂に入れてしんぜよう!」
ピースがピタリと嵌ったかのような爽快感にシアは晴れやかな笑顔を見せる。
「アンタ、その見た目でお姉ちゃんはないわよ。というかサクラの姉ならあたしでしょうが」
ポッと出のシアにサクラが持っていかれると思うとなんとなく納得いかないアリサ。
しかし、姉と言っておきながらアリサは不思議と納得してしまった。
「どこからどう見ても私は立派なお姉ちゃんだよ!」
なぜか自信満々に告げるシアにアリサがジトーっとした視線を向ける。
「…アリサとシア、髪の色同じ」
ボソッと呟いたサクラの一言にアリサとシアが硬直する。
両者はその先に続いたであろうサクラの言葉を瞬時に察する。
それから二人はジッとお互いに視線を交わす。
「それは絶対にないわよ」
「それは絶対にないよ」
両者に妙な連携が生まれた所でアリサはサクラの右手を。
シアはサクラの左手を引っ張って浴場にサクラを放り込む為にその場から引きずり始めた。