微睡む意識の中、なのはは手を伸ばす。
伸ばした指先は柔らかいなにかに触れて、沈む。
無意識にその柔らかさを確認するかのように掌全体でそれを包んだ。
「んっ……」
体全体に未だ残る気怠さを押しのけるようにしてなのはは瞼をゆっくりと開いた。
それと同時に視界に広がるのは鮮やかな桜色。
なのはの掌は桜色の中へと沈み込んでいた。
「……もふもふ」
寝ぼけたままのなのはは一瞬で目の前に広がる桜色に夢中になった。
一房の桜色を手に取り、両腕で挟んで柔らかな感触を堪能する。
「ふぅ、やーらかいよぉ…」
これは素晴らしいもふもふだとなのはは感嘆の溜息を吐く。
未だかつて触れたことのないような魅力的なもふもふ。
これは癖になる感触だとなのはは掌を桜色に彷徨わせる。
「…お持ち帰りしたい。このもふもふ」
自然と口から独り言が漏れた。
なのはは未知の桜色に頬を押し付けるように顔を埋める。
「もう少しだけ…おやすみなさ……ひっ!?」
再び微睡みの中に沈もうとした意識が一瞬で覚醒する。
桜色の向こう側から、これまでに見たこともないような冷たい瞳がこちら側を覗きこんでいた。
「…おはよう。いい朝ね、少なくともなのはにとっては」
「お、おはよう…ございます?」
なにがどうして目の前の冷たい瞳の主、アリサが不機嫌なのかがなのはには理解出来なかった。
割りと直情型のアリサがこんな表情を見せることなどこれまでに殆どなかった。
「唐突なんだけどね、朝起きた時に抱いていた筈のサクラがなぜかシアにすり替わってたのよ。このなんとも言えないガッカリ感、なのはに分かる?」
「えと、ご愁傷様です?」
なのはの発言が終わった瞬間、アリサの不機嫌オーラが爆発的に増した。
まるで意味が分からないなのはは泣きたくなった。
「…なぜか朝から布団で簀巻きにされた私が一番可哀想だと思うんだよ」
傍らに転がるくるくると巻かれた布団の中心からシアの生首が生えていた。
その表情からは達観に似たなにかが感じられてなのはは心の中で静かに敬礼を送った。
「幽霊もどきの抱き心地は微妙だったわ…」
苦々しい表情でシアの抱き心地を語るアリサ。
どうやらシアはアリサ的には及第点には至らなかったようだ。
「幽霊もどきじゃないよ!精霊だよ!将来は聖剣っぽいなにかを守護するとか大役が与えられる偉い精霊になるかもしれないし!」
「浮遊霊がいつまでも夢見てんじゃないわよ」
「精霊って割と夢に満ち溢れた存在だと思うんだよ…」
「せめてなにかしらの属性司ってから来なさいよ。現状じゃ只の劣化サクラじゃない」
アリサの鋭い指摘によってシアは敗北を感じ取ったのか生首を布団の中へと引っ込めた。
それによって簀巻きにされた布団の中心から金色の髪のみが垂れるというシュールな光景が出来上がる。
「それにしても、なんでアリサちゃん怒ってるの?」
「別に怒ってる訳じゃないけれど自分が今抱いてるのがなにか答えてみなさいよ」
「…もふもふ?」
そこで初めてなのははもふもふの正体を確認した。
桜色のもふもふな髪をしたサクラ。
どこからどう見てもその光景はアウトだった。
浴衣の着方を見様見真似で真似しただけのサクラの着衣は一晩の内にくちゃくちゃに乱れている。
なのははそういえば結局寝ちゃったのかと晩の出来事をようやく思い出す。
「わざわざシアとすり替えてまで人のものを取るのはどうかと思うのよ」
なぜかサクラがアリサのもの扱いされているがなのははスルーした。
世の中は触れない方がいいもので満ち溢れていた。
「いや、これは別にサクラちゃんを取った訳じゃ……」
そこでなのははふと思った。
夜中に一人で出歩いていたらいきなり襲撃された上、サクラちゃんに連れ戻されましたと正直に言えば間違いなくロクなことにはならないのだ。
言ってしまえばアリサに再び心配を掛けることになる。
寝起きで回らない思考のままなのはは考える。
そして思考の末、なのはは未だすやすやと寝息を立てているサクラの頬を人差し指で突いた。
「サクラちゃんのもちもちのほっぺた。略して桜餅……な、なんちゃって?」
とりあえずボケればなんとかなるんじゃないかと思ったなのは。
しかし、アリサの額に青筋が立ったのを見て自らの失敗を悟った。
「…ユーノ君助けて!」
困った時のユーノ君。
そんな考えの元、なのははサクラに半ば押しつぶされながらも藻掻いていたユーノを引っ張りあげた。
ユーノは不思議そうになのはを見た後に続いて不機嫌なアリサへと視線を向ける。
一瞬の思考の後、ユーノは見事現状から逃げ出す打開策を見つけ出した。
「きゅっ!きゅー!」
それは露骨な小動物アピールだった。
いっそ清々しいまでの無関係を貫く姿勢になのはは初めてユーノに憤りを感じた。
「……ぁぃ、さ…」
小さな呟きがなのはの耳へと届いた。
その声の主であるサクラはなのはの右腕を小さな両腕できゅっと抱えた。
当然のごとくなのははサクラを異性として見ている訳ではないが、どう見てもアリサと間違われて抱きつかれていることになのはの女の子の挟持的なものが刺激された。
「納得がいかないよ!なんでアリサちゃんばっかりサクラちゃんに懐かれてるの!」
「すずかも結構懐かれてるわよ」
サクラが動物のような扱いをされているがアリサは自然と受け入れた。
割と似たようなものだと。
「…出会った日にち的にはそんなに変わらないのにこの差はおかしいよね」
「ひよこの刷り込み的ななにかが働いてるのかもしれないわ」
サクラがアリサ>すずか>>なのはの順で懐いているというのは二人の共通認識だった。
実際はその間に鮫島や沙羅が間違いなくなのはより上には入っているであろうということは流石にアリサには言えなかったが。
「でもでも、サクラちゃんが男の子と女の子の境目が分かってない今の状態はどうかと思うよ」
「その結果、サクラが『今日からサクラ、別の部屋で寝る』とか言い出したらアタシはどうすればいいのよ!」
「アリサちゃんがシスコン…じゃなくてブラコンっぽくなってるよ!」
一瞬、なぜかなのはの兄、恭也とアリサの影が重なったような気がするが気のせいだろうとなのはは頭を振った。
「サクラちゃんだって、その内思春期とか反抗期とか…」
「…正直な話、サクラに思春期とか反抗期が来ると思う?」
「なのはは嘘を言いました。サクラちゃんの反抗期だけは全く想像出来ません」
なのははなぜか敬語で即答した。
反抗期どころかサクラの不機嫌な表情すら想像出来なかったのだ。
「それにサクラには男の子って年齢の友達どころか知り合いすら居ないから無理もないわよ」
なのはは一体どんな人生送ったらそうなるのとツッコミを入れたくなったが辛うじてそれは堪えた。
「でも特にそれで困ったことはないしね」
「私の右腕にサクラちゃんがくっついてることは困ってるうちには入らないんだね…」
なのははお陰で布団に横たわったまま全く動けない。
だからといって無理やり振りほどいてサクラを起こしてしまうのも忍びない。
「大体サクラにはまだ男とか女とかまだ早いのよ。万が一、本当に万が一だけどまかり間違って彼女とか出来たらどうするのよ!そういうのは早くても中学生…いえ、高校生くらいになってからじゃないとアタシが認めないわよ!」
「高校生って先が長いよ!後、なんで私にそれを言うの!?」
事の発端がなのは自身の夜歩きだとしてもこの仕打ちはあまりにも理不尽だった。
結局、話し合いという名目のアリサとなのはの漫才はその後三十分にも及び、余りの騒がしさにすずかが起き出すまで続いた。
先生、患者(アリサ)は手遅れです