暗雲の立ち込める中、サクラとシアは歩みを進める。
今にも雨の降り出しそうな空模様。
それに備えるべく、サクラの手には桃色の、シアの手には空色の傘が握られていた。
「ねぇ、サクラ。なんだか魔力、だっけ?これ、私でも感じ取れるくらい凄いんだけど……」
街中に突如現れた二つの大きな魔力反応。
それは例えサクラの鈍い感知能力でも気づくほど強烈で、サクラの心配を煽るような鮮烈さすら伴っていた。
二つの強大な魔力は時に弾け、交じり合い、お互いを喰い破らんとばかりに衝突を繰り返す。
当然それを追うサクラの足取りは自然と確かなものになる。
それに加えて、サクラとシアの間に繋がる不可視のリンクはとても曖昧なものだが、その魔力の奔流を感じ取るに至らせていた。
目の前に広がるのはビルや高層建築物が立ち並ぶビル街。
周囲を包む薄暗さと今にも雨が振り注ぎそうな雨雲、それらの要因によって視界は最悪。
サクラがジュエルシードを警戒して周囲に視線を巡らせた瞬間。
轟音と共にシアの遥か前方で黄金色の雷撃と桃色の砲撃、二つの魔法がぶつかり合う。
それによる魔力の余波が容赦なくサクラとシアに襲いかかった。
「にゃ、っとぅ!?」
その衝撃に、シアは奇天烈な叫び声を上げながらその場から半歩足を退く。
「ん……うどん?」
「あっ、サクラの負けだよ…って違うよ!納豆でもうどんでもしりとりやってる訳でもないんだよ!」
たったの一単語で敗北を喫したサクラ。
それにツッコミを入れながらシアは曇り空を見上げる。
弾ける雷、奔る閃光。そこには最終決戦さながらの光景が広がっていた。
レイジングハートを両手で握り、縦横無尽に砲撃を放つなのは。
そして、それを全て見透かすかのように空中で高速機動を繰り返し、反撃を見舞うフェイト。
距離があるために遠目ながらもその戦闘の様子は十分に伺える。
自然とシアの瞳は一人の少女に釘付けになる。
「……あの娘」
シアと瓜二つと言って差し支えない容姿。
アリサは『ドッペルゲンガー』という言葉を用いたがそれすらも信じてしまいそうな程に。
そしてシアの中の記憶の扉は軋みを上げ始める。
重厚な一枚の扉。それには無数の錠が掛けられている。
一つ、また一つとその扉に設えられた錠は弾け飛ぶ。
それと同時にシアが感じたのは圧倒的なまでの既視感だった。
「私は、多分あの娘を知ってる」
だが、それでも足りない。
記憶の扉はその入り口を、固く閉ざしたままだ。
「……思い出した、の?」
サクラの言葉はどこか重苦しいものを孕んでいた。
心配されているのかと思ったシアはサクラへと視線を向ける。
そして、直ぐにそれとは違うことに気づいた。
「サクラ、もしかして怖いの?」
その表情は無表情。それでもその瞳には小さな恐怖の感情が秘められていた。
なぜそれがシアに分かったのかはシア自身も分からない。
それがかつて自らも抱いた感情なのか、それとも違うのか。
シアの記憶の扉は未だに軋みを上げ続けていた。
「…シア、記憶を取り戻したら、居なくなっちゃう気がした」
あぁ、そういうことかとシアは納得する。
どうやら彼女のご主人様は酷く寂しがり屋だったようだ。
「大丈夫だよ。私は居なくなったりなんて―――」
―――私のせいで、私のせいで貴女は居なくなった
唐突に脳裏に響いた言葉にシアの言葉が止まる。
どこか懐かしく、そして狂おしいまでの狂気の込められた言葉。
「……シア、大丈夫?」
「えっ、あっ、大丈夫、大丈夫……あはは」
気づけば、サクラはシアの瞳を真っ直ぐに覗きこむように見上げていた。
それに若干慌てながらもシアは誤魔化すように笑う。
一体先程聞こえた声は一体なんだったのか。
ただ、一つだけシアには本能的に理解出来たことがある。
間違いなく、あの言葉の主は長い間、それこそ何年も何年もシアを苦しめ続けた。
「なのはっ!」
サクラとシアにまで届くようなユーノの叫び声。
魔法少女、高町なのははアスファルトまで真っ直ぐに堕ちていく。
それを目撃したサクラは閉じられた桃色の傘の先端をなのはへと向ける。
しかし、既に地上に居たユーノはサクラより早く魔法を完成させていた。
一瞬で地面と平行に広がる巨大な魔法陣。魔法陣はクッションのような柔軟さを以ってなのはを受け止める。
そして、サクラの決断は早かった。
「ん、サクラは行ってくる。『サモンユニコーン』『フライング』」
サクラは光り輝く翼を頼りに曇り空の中を駆ける。
それとは別に虚空から現れたユニコーンは主の命を受けるまでもなく、魔法陣に受け止められているなのはの元へ向けて四肢を踏み出す。
「えっ、馬!?なんで此処に馬が居るの!?」
突如ユーノの目前に駆けてきたユニコーンに動揺するユーノ。
なのはの浮かぶ魔法陣の真下へと移動したユニコーンはユーノへと鋭い視線を向ける。
直感的に目の前の幻想生物が不機嫌なことに気づいたユーノは困惑する。
「……むぅ。ユーノ、馬じゃない。ユニコーンが怒ってる」
その光景を空中からユーノを不満気に見下ろすサクラ。
背から若干離れるように生える一対の光の翼で飛行するサクラとそのサクラに仕えるユニコーン。
それはもはやサクラの頭上に輪でもあれば天上の住人にしか見えないような出で立ちへと変えていた。
「いや、ユニコーンさん……僕が悪かったのでそんなに睨まないでください」
未だに鋭い視線に晒されているユーノは内心冷や汗を掻く。
だが、今はそれどころではない。
距離こそあるが、ユーノの目には相対していたフェイトのデバイスにジュエルシードが収納されていくのが見えた。
初めての、敗北。
これまでもサクラに引っ掻き回されたことやフェイトに一歩先を行かれたことはあれど直接対決による敗北はなのはにとって初めてと言えるだろう。
少なくとも、今は無理をする時ではない。
ユーノは口を開くことなく魔法陣を操り、ユニコーンの背に未だ目を覚まさないなのはをうつ伏せに寝かせる。
「……なのは、ごめんね」
ユーノの呟きがどのような想いを持って紡がれたものなのか。
それは、未だに精神的に未成熟なサクラには分からない。
どこまでもサクラは子供。それ故に、好きなものは好きで嫌いなものは嫌い。
当然目の前で繰り広げられる戦いは、嫌い。
果たしてその感情はプリーストという単なるジョブ設定によって生まれたものか、それとも繰り返す穏やか日常によって育まれたものか。
ユニコーンがなのはとユーノを乗せてその場を去っていく。
そして、それと入れ替わるように現れたのは二人の鏡合わせの少女。
インテリジェントデバイス、バルディッシュをその手に収めたフェイト。
地上からサクラとフェイトへと真剣な眼差しを送るシア。
強い風にたなびく髪をそのままに、フェイトは口を開いた。
「久しぶり、だね。サクラ」
――違う。
サクラがその時に持ったのは余りにも単純な感想。
初めて会った時はこんなに濁った瞳はしていなかった。
諦観や苦しみ、そんな負の感情を混ぜ合わせたようなその瞳。
その瞳を、サクラは一度だけ目にしたことがあった。
「サクラは、知ってる」「私は、知ってる」
―――ねぇ、教えてよ。私はなんで…なにをっ!
それと同時にサクラの中でフェイトとシアの影が、更にはサクラとシアの言葉が重なる。
その言葉の意味が分からないフェイトは困惑する。
「まだ、足りないんだ。もっとジュエルシードを集めなくちゃ。だからね、今は――」
シアの記憶の扉、その最後の錠はフェイトの手によって砕かれる。
「――『ばいばい』」
サクラに向けて手を小さく振り、背を向けるフェイト。
その姿を捉えたシアは全てを理解した。理解してしまった。
脳裏に蘇るアリシアの、いや、私の断片的な記憶。
それが奔流となって私自身へと牙を剥く。
苦しい、辛い。繰り返す日々の中。目の前で壊れていく一人の女性。
私の声は決して届かない。そして手で触れることも、出来ない。
苦しみの日々。その過程で産まれた、いや、産み出されたのは一人の少女。
女性の口から漏れ出たのは願いが叶う宝石の話。
だから私は一つでいい。一つでいいから彼女より先にその宝石を手に入れて言葉を届けたかった。
その過程で私は今の彼女と同じように、サクラに向けて手を振った。間違いなく、振ったのだ。
そう、産み出された少女の内側から。取り憑いた彼女の意識の端で一人沈黙していた。
その頃にはとっくに私の心は擦り切れていたけれど。
そして、彼女の行動を頼りに手に入れた願いの叶う宝石は私の願いを叶えなかった。
何年も、何年も目の前の狂気に晒され続けた私がマトモで居られる筈がなかったのだ。
簡単なことだった。私のコントラクトカードに存在する二つのスキル。
サクラとコントラクトした結果手に入れた『下位スキル共有』。
――それとは別に、元々私は持っていたのだ。その技能は『精霊憑依』と名前を変え、スキルとして確立されていた。
苦しみも辛さも悲しみも、全てが私の元へと帰ってくる。
それとは別に、私の中に一筋の希望が降り注いだ。
アリシア・テスタロッサとして、そしてシアとしての私にしか出来ないことがある。
背を向けた彼女、フェイトへと真っ直ぐに手を伸ばし、私は願う。
どんなに使い勝手が悪くてもいい、私には正面切って彼女と戦うだけの強さはない。
それはずっとフェイトを見てきた私が誰よりも分かっている。
だからなによりも疾く、なによりも力強い魔法を教えて。
『下位スキル共有』は私の想いに応えて、無数の魔法の呪文を私に教えてくれる。
それでも尚、足りない。
彼女が、フェイトが反応出来ないような疾さが、一撃で意識を刈り取るような力強さが欲しい。
そう願った瞬間、私の中の『下位スキル共有』が砕け散り、砕けたスキルの欠片は再び集い、生まれ変わる。
思わず頬が緩みそうになるのを必死に堪えて、その呪文を唱える。
奇しくもその魔法はサクラがかつて私に向けて放ったのと同じ魔法。
私が貴女を傷つけるのはこれが最初で最後だから、お願いします。情けないお姉ちゃんを許して。
だから、今だけは、お休みなさい。
「『ライトアロー』!」
現れたのは浄化の光。私の掌から生まれた膨大な光は巨大な矢を形作る。
その光は目を剥くサクラの真横を通り過ぎ、フェイトの背中へと、確かに届いた。
フェイトが曖昧な意識の中で感じたのは全身を包む暖かさ。
そして、未だ、閉じられた瞼の裏へと訪れる穏やかな光の奔流。
事態を理解しきれないフェイトは慌ててその目を見開く。
「これは、どういうこと……?」
フェイトの眼前に広がるのは不可思議な光景。
辺り一帯を舞い踊る光の粒と周囲を包む暖かな光。
なによりも疑問に思ったのは全身を侵していた戦闘による疲労が殆ど消え去っていたこと。
なのはとの戦闘はフェイトを後一歩の所まで追い詰め、憔悴させるに至っていた。
手を伸ばせばそれにじゃれるようにして光の粒が集まる。
そのまま数分ほど光の粒と戯れていたフェイトだったが、その光は粒と共に徐々に力を失い、虚空へと消えていく。
「……帰らなくちゃ」
ジュエルシードの収集は終わった。
周囲には既に誰の姿もなく、今にも降り出しそうな雨雲が顔を覗かせるのみ。
フェイトは先程の事象に首を傾げながらも帰路へと急ぐ。
そして、去っていくフェイトの後ろ姿を見つめる一つの視線。
視線の主は空高くから浮遊する光の歯車に腰掛けながらフェイトを眺めていた。
その手には元々持っていた桃色の傘が。そして、新たに託された空色の傘を携えていた。
「……シアの馬鹿。大馬鹿」
呟きと共に歯車の端から伸ばされた足はゆらゆらと揺れる。
その声の主の膝の上には一人の少女の決意が記された一枚のカード。
結局の所、サクラにフェイトは救うことは出来ない。
それが分かっていても、やはり納得は行かなかった。
うーうーと恨めしい声を出してからサクラは小さな溜息を吐き、膝の上のカードを指先で摘まみ上げ、変化した表記へと目を走らせる。
【名前】 シア/アリシア・テスタロッサ
【種族】 精霊
【詳細説明】
大きな決意を以って過去を受け入れた少女。
失った筈の願いを秘め、動き出した彼女は止まらない。
追記:お夕飯はハンバーグがいいです。
【コントラクトスキル】
〈精霊憑依〉
対象に憑依することが出来る。
憑依中は常にMPを消費する。
〈中位スキル共有〉 Rankup!
契約者の中位以下のスキルが使用可能。
効果は使用者のステータスに依存する。
どう考えてもシア自身が弄ったとしか思えない文面に追記欄。
もはや無駄に器用と言う他なかった。
サクラはカードの詳細説明欄を不満気に見つめる。
「むぅ。ばーか、ばーか。……ひき肉、パン粉、玉ねぎ、みじん切り、牛乳」
徐々にその声音は小さくなり、レシピ本の内容を反芻するものへと変わる。
ぶつぶつと呟いていたサクラはそこであることを思い出した。
「……牛乳、もうなかった気がする」
それがトリガーになったのかサクラは頭の中で買い物リストを構築し始めた。
次回。サクラがむすっとしながらハンバーグ捏ねてる間に無印クライマックス予定。