時の庭園。数多の次元を渡ることの出来るその庭園はフェイトの生まれ育った場所。
しかし、そこを歩くフェイトの表情は決して芳しいものとは言えない。
今にも途絶えてしまいそうな足並みを自らを叱咤して再び進める。
彼女にはそもそも足を止めるという選択肢そのものが存在しないのだ。
「…フェイト、ごめんよ。あたしじゃやっぱりジュエルシードを見つけるのは無理だったよ」
「ううん。私こそ、無理言っちゃってごめんね」
口を開いたのは帰還したフェイトを待ち受けるように現れた彼女の使い魔、アルフ。
時間がない。それを理由に、一刻も早く一つでも多くのジュエルシードを回収しなければならないフェイトとアルフは二手に別れた。
その結果は高町なのはとの遭遇。
それでも尚、なのはに打ち勝つことが出来たのはフェイトにとって幸いだった。
少なくとも、一つもジュエルシードを回収出来なかったという事態は避けられたのだから。
「…あのババァの所に行くのかい?」
心配そうなアルフの声。
その顔に怒り、そして悔しさすら滲ませたアルフを見て、フェイトは微笑む。
「大丈夫だよ。私が失敗しちゃっただけだから」
「フェイトはきちんとジュエルシードを集めているじゃないか!なんで……こんな…!」
絞りだすような、唸るように放たれた叫び。
それはこれから確実に起きるであろう出来事に対して、アルフがなにも出来ないこと、それを分かっているからこそ放たれた叫び。
「……きっと分かってもらえるから平気、だよ」
尚も制止を続けるアルフを宥め、フェイトは歩み続ける。
無意識の母への渇望はフェイトの中で日に日に肥大していく。
渇望は鎖となり、彼女を縛る。
彼女は自らの母に逆らうことなどしない。なぜなら母はフェイトの優先順位の一番に居るのだから。
母に言われればフェイトは自らの使い魔のアルフですら消すことを選択するだろう。
大いに躊躇いながら、そして涙を流しながら、許しを懇願しながら。
それでもフェイトは母の望みを叶えることを選ぶ。
フェイトはひたすらに、ただひたすらに足を進め続ける。
―――自らの母親、プレシア・テスタロッサの元へと
フェイトが辿り着いたのは玉座の間と呼ばれる場所。
周囲を薄暗い闇が覆う中、現れたフェイトへと彼女の母、プレシア・テスタロッサはその瞳をフェイトへと向ける。
「……来たのね。フェイト、此処に来たということはジュエルシードは集まったのかしら?」
爛々と光る妖しさと狂気を秘めた瞳にフェイトは狼狽えそうになるのを必死で堪える。
「一つだけ、見つかりました」
気を抜けば震えてしまいそうになる体を意思の力でねじ伏せて、フェイトは口を開く。
しかし、予期していた通りにプレシアの答えは非情だった。
「貴女はプレシア・テスタロッサの娘なの、それが一つだけしか集められなかった?貴女はどれだけ……どれだけ私を期待を裏切れば気が済むのかしら…!何度も……何度も……!」
ギリッと奥歯を噛み締めながら放ったプレシアの言葉には溢れんばかりの憤怒が込められている。
果たして一体なにがプレシアの逆鱗に触れてしまったのか。
それはフェイトには分からなかったがプレシアが未だ嘗て一度も見せることのなかった激情。
「か、母さん……?」
決して冷ややかなものではない、心の奥底から滲み出てくるほどの怒り。
その発露はフェイトを大いに困惑させるに足るのものだった。
「……そうね。何度言っても分からないのなら口で言うだけじゃ駄目なのよね。貴女が駄目なのがいけないのよ」
プレシアは目を細めると一転してその表情を冷たい氷のようなものへと変える。
どこまでも堕ちて行きそうな暗闇のような瞳。
能面のように感情を宿さないその表情にフェイトは恐怖を抱く。
プレシアのその手にはフェイトをこれまでに何度も打ちのめしてきた鞭が握られていた。
先程の激情は全てこの鞭に込められているのだろうとフェイトは理解した。
恐らく気を抜けば意識を飛ばしてしまいそうになる程にこの鞭はフェイトへと痛みを与えるのだろう。
それでも、それを理解していても、フェイトには逃げ出してしまうつもりはない。
鞭を振るった分だけプレシアがあの憤怒を晴らすことが出来るのなら、フェイトは躊躇わない。
目前まで歩みを進めてきたプレシアへと真っ直ぐに視線を向ける。
「貴女は…いえ、そんな目をしても無駄よ。これから起こることは変わらないわよ」
プレシアの表情に僅かな動揺が浮かぶ。
それは長年プレシアを娘として見てきたフェイトにしか分からないものだったがそれだけで十分。
この折檻が終わればいつもの母に戻るのなら、フェイトは躊躇わない。
恐ろしさに歪みそうになる表情を笑顔に変える為に表情筋を総動員して笑おうとする。
きっと不格好な笑みになってしまっているだろう。
きっと苦し紛れの笑みで母が変わることはないだろう。
それでも尚、フェイトは薄っすらとした笑みを浮かべる。
「……気に入らない。気に入らないわ。なにが貴女をそこまで掻き立てるのか、私には理解出来ない」
なぜこんな状況で笑うことが出来るのか。
笑みを、とっくの昔に捨て去ったプレシアには理解出来ない。
そんな迷いを振り切るようにプレシアは手中の鞭を大きく振り上げる。
既にフェイトはその瞳を閉じ、全てを受け入れようと微動だにしない。
――鞭が風切り音を鳴らし、彼女の肌を打ちのめすべく振るわれる。
だが、それよりも一瞬早く、フェイトの唇が微かに動く。
唱えられたのはフェイトが、大魔導師プレシア・テスタロッサですら耳にしたことがないような魔法の呪文。
その呪文を唱えることが出来るのは二人だけ、それでもフェイトの口は彼女の意思に反して確かにその魔法を紡いでいた。
「『シェルプロテクション』」
フェイトの全身を覆うようにして突如現れたのは薄暗い玉座の間を照らす光の膜。
振るわれた鞭はフェイトへと軽い衝撃を与える。――しかしそれだけだ。
痛みなど当然感じることはない。更にはフェイトの意思とは関係なく、その口は再び開かれる。
「……やっと話せたね、ママ」
その言葉と同時にフェイトの体に自由が戻ってくる。
だが、その後に見た光景にフェイトは思わず意識を手放してしまいそうになる。
なぜなら、自分の体から一人の少女がまるで壁抜けでもするかのように突如現れたのだから。
プレシアは現れた少女へと警戒心を露わにし、その場から半歩足を退く。
「……この場所に来れるなんて貴女は何物なの?それにその容姿、まるで――」
「フェイトそっくり、でしょ?むしろフェイトの中で何年も掛けて成長するのを真似続けたんだから当然だよ。あっ、私が居ない間にフェイトが成長した分は分からないんだけどねー」
両手を背中で組んで「あっはっはー」と軽い笑いを漏らす少女。
その言葉には理解出来ないものが多分に含まれているだけではない。なぜ人の体から出てくるなどということが出来るのか。
相も変わらずプレシアの表情は険しく、一つ質問を違えれば目の前の少女を殺害することも厭わないだろう。
だが、問題は少女が放った「ママ」という言葉。
「それにママなんて貴女に言われる筋合いは……まさか、そんなことは絶対に有り得ない。だってあの娘は……」
「五歳の時に死んじゃった?」
ドクンとプレシアの心臓が跳ねる。
そのことを知っている人間はそう多くはない。
次元航行エネルギー駆動炉ヒュウドラ。嘗てプレシアが携わった研究。
彼女の娘はそれによって引き起こされた不運な事故に巻き込まれた被害者の一人。
周囲から見ればそれだけなのだ。誰かの記憶に留まることもなく、消えていく。
それだけの存在であった筈なのだ。プレシアは決してそれを認めることは出来なかったが。
「アリシア、なの?」
プレシアのその言葉はもはや懇願だった。
そうであって欲しいという願い。僅かな、微かに降り注いだ希望の光。
そしてそれを肯定するかのように少女、アリシアは頷いた。
「……アリシアはもうこの世には居なかったはずよ」
その言葉にアリシアは答えない。
悲しそうに、それでもその表情に僅かな微笑みを讃えて。
「今の私が生きてるのかって聞かれたらうーんってなるけどね。でもね、ずっとずっとママを見てきたよ。幽霊として、二十年くらいかなぁ?途中からあんまり時間の感覚がなかったけどね」
まるで太陽と月のように、暖かな顔と穏やかな顔。
二つの顔を、今だけは月へと傾けてアリシアはぽつぽつと語り始める。
「少しずつ、少しずつ、ママはおかしくなっていっちゃったよね。それでも幽霊の私にはなにも出来なくて段々私もおかしくなってきちゃって、穢れ始めたっていうのかな?ちょっとずつ壊れ始めちゃったんだ。もう駄目だなって思った時に産まれたのがフェイト、貴女なんだよ?」
「わ、私……?」
突然話の矛先を向けられたフェイトは困惑する。
そもそもが目の前の少女への理解が足りないのが現状だ。
プレシア・テスタロッサの娘はフェイト・テスタロッサのみだというフェイトの認識。
しかし、その認識をアリシアは打ち砕こうとしていた。
全てのはじまりは自らにあるとアリシアは理解している。
それ故に、アリシアは自身の口から語らなければならないと思うのだ。
幽霊としてのアリシアは半分の時間をプレシアと過ごし、もう半分の時間をフェイトと確かに過ごした。
フェイトにとってのプレシアはあまりにも重い。
それを取り上げてしまえばきっと彼女は壊れてしまう。
だからこそ、語るのはアリシアでなければならない。
「プロジェクトF.A.T.E。使い魔を超える人造生命の作成……だったような気がする。盗み聞きしたのがずっと前だし…え、ぁ、その……お、覚えるのはあんまり得意じゃないんだよ!」
ごほんとわざとらしい咳払いをするとアリシアは話を続ける。
こういう時だけは記憶力にINT値を全て振ってしまっているサクラが少しだけ羨ましくなる。
でも、覚えるのとそれを使いこなすのは別物だよね。と一瞬思考が脱線しそうになるのをアリシアは頭の中で修正する。
「……要するにママはアリシア、つまり私のクローンに記憶を移そうとしたんだ。……でもね、私の記憶を移してもそれは私じゃない。だって目の前に本物が居るんだから当然だよね。だからそれに気づいたママは結局そのクローンから私の記憶を抜いたんだ」
プレシアはその言葉に沈んだ表情のまま耳を傾けている。
もはや疑問の入る余地はなかった。目の前の少女は自らの娘、アリシア・テスタロッサだと。
アリシアは語った。「穢れ始めた」と。
当然だ。なぜならアリシアはすぐ傍に居たのに、それでもプレシアはアリシアを求め、自らで創り出そうとした。
その行為が一体どれほどの苦痛なのか。プレシアにはそれを計り知ることすら出来ない。
どれだけ娘を苦しめ続ければ気が済むのだと、果たしてこのまま全てをアリシアに委ねてしまっていいのかと。
アリシアは既に此処に居る。確かにプレシアの瞳に映っているのだ。
生きているのか、死んでいるのかは定かではない。それでも此処に存在する。
ならばフェイトは、フェイト・テスタロッサの存在は既にプレシアにとっては――。
――アリシアの体の代用品
アリシアが現れた時と同じようにフェイトの中にアリシアが居れば、フェイトは要らないのではないか。
その考えに至った時、プレシアの全身に怖気が走った。
今更なにを恐れているというのか。所詮はフェイトの存在はプレシアにとっては自らを慰めるお人形。
それだけのはずだった。
フェイトから全ての記憶を奪い、そこにアリシアを納めればいい。
嘗てフェイトからアリシアの記憶を抜き取った時と同じことが出来るはずだ。
それなのになぜ、今更になってプレシアは躊躇う。
フェイトに対して情が沸いてしまったのか。そんなことは有り得ない。
プレシア・テスタロッサの娘はアリシア・テスタロッサだけ。
少なくともプレシアはずっとそう考えて生きてきたはずだった。
「えぇ、その通りよ。フェイト、貴女はその記憶を抜いたクローン。所詮私の寂しさを紛らわせる為のただの…ただの……」
お人形。そう言ってしまえば全てが終わる。
そして、アリシアとの、愛する一人娘との生活が始まるのだろう。
それなのに、どうしてもプレシアの口はそれ以上の言葉を紡ごうとしない。
その様子を少しだけ寂しそうに、そしてそれ以上の安堵を以ってアリシアは眺め、口を開いた。
「……フェイト。私はね、貴女をずっと見てきたよ。もしかしたら、フェイトがママを昔のママに戻してくれるんじゃないかって思いながら、貴女の中で眠りに就いていたんだ」
「私の中に、ずっと居たんだね」
「あはは、ごめんね。勝手に住み着いちゃって。それと、おめでとう。やっぱりママは貴女を道具には見れなかったみたいだよ」
アリシアの言葉にプレシアは口をパクパクと動かすがそれでも言葉が出ない。
そして認めてしまうのだ。プレシアはフェイトに対して非情にはなりきれなかったことを。
「……貴女は、アリシアはそれでいいの?」
プレシアの声音は苦く、重く、そして彼女自身の苦しみが声を伝い、周囲へと伝播する。
しかし、アリシアは陽気にそこへ爆弾を投入する。
「幽霊だった私が望んだのはママとお話することだったから、もうおしまい。あっ、でもでも、だからって消えていなくなったりなんてしないから大丈夫だよ。ご主人様がお夕飯作って待ってるしねー」
「……はっ?」
プレシアの喉から出たのは呆けた声。
ご主人様。主人。旦那。
彼女の頭の中で様々なワードが飛び交う。
いやいや、年齢的におかしいだろうと。しかし死んでしまってからの時間も足せば二十歳は優に超えている。
そもそも幽霊がお夕飯を食べるのか、フェイトの体がうんぬんと考えていたプレシアは一体なんだったのか。
「そういえばママって結構重い病気、患ってたよね」
「……え、えぇ、そうね。もう長くないでしょうね」
「とりあえずそれ、治しちゃおっか。ダメージなのか状態異常なのか分かんないけど両方試せばいいよね。万が一私じゃ駄目でもサクラならなんとかなりそうだしねー」
あまりにもあっさりと告げられたことにプレシアは愕然とする。
サクラの魔法はゾンビのような再生力すら与えうるあらゆる治癒魔法の頂点。
当然〈下位スキル共有〉を〈中位スキル共有〉まで進化させたアリシアにとって、人一人を治癒するなど容易いこと。
プレシア・テスタロッサ事件。通称PT事件と呼ばれる第97管理外世界で繰り広げられた事件。
それは願いを叶えるロストロギア、ジュエルシードを巡り、繰り広げられた戦い。
易易と許されることはないプレシアの所業。それでも尚、それを補って余りある程に彼女は優秀だった。
PT事件は犯人ことプレシア・テスタロッサが自らジュエルシードの大半を封印し、訪れた時空管理局員へと提出するという顛末を辿る。
そんな数多の次元世界を揺るがすほどのお騒がせ事件。それはプレシア自身の有用性を過剰なまでに見せつけることに成功していた。
―――未来は千変万化。一人の元幽霊の少女。その願いは確かに叶った
プレシアママンのダイナミック自首で無印終了。
サクラ…サクラェ……
A's練り練りしてきます。