「――あぁ、会いたかった。ずっと会いたかったわ、アリシア」
艶やかな髪を靡かせ、涙を流しながら女性は少女に抱きつく。
如何にもな「感動の再開」を匂わせる風景だが、女性の目には狂的ななにかが混じり、少女の瞳からは光が消えている。
現在、アリシアの肉体が収められていた水溶液に満たされたカプセルを充血した眼で見つめていた実の母親の顔がフラッシュバックしてアリシアは挫けそうだった。
あの時よりは幾ばくか薄まっては見えるものの、根本的に目があの時と一緒なのだ。
更には連鎖していくつものトラウマが誘発され、掘り起こされていく。
瞳から光が消え、いつしか鬱々としたオーラがアリシアの全身から吐き出されていた。
十年単位で刻まれた心の傷は恐ろしく深い。
「……まるで、水羊羹のような、目」
静かに緑茶をテーブルに運んでいたサクラはそう評した。
今日のお茶請けが水羊羹に決定した瞬間である。
アリサはいきなりやってきた女性――プレシアを見て、眉を顰めた。
「……結局貴女はどちら様で?」
どことなく執着を感じさせる瞳のプレシアとプレシアにいいようにされて完全に目が死んでいるアリシア。
「そういえば貴女とはお話ししたことがなかったわね」
表向きは穏やかな顔持ちだが、なにかに強い執着を見せる人間は内でなにを考えているのか分からなくてアリサは苦手だ。
鮫島や紗羅が部屋に通したからには変な人間ではないのだろうが。
「プレシア・テスタロッサ。アリシアの母親よ。この子がお世話になってるわね。そしてこっちの子がフェイト。仲良くしてくれると嬉しいわ」
――訂正。滅茶苦茶に変な、危険すぎる人間だった。というかなんで通したのか。
「……母親がテロリースト。本当にテロリースト……」
ぼんやりと、かつ虚ろな瞳のまま歌い出すアリシア。
この有様には流石のアリサも頬を引き攣らせた。
既にクリスマスは過ぎ去っているがどこかで聞いた時に恐らくフレーズが脳にこびりついていたのだろう。
なんて嫌な替え歌なのだろうか。
「……てっきり別の世界で服役中なんだと思っていましたが。あと今抱えてる子はお返ししますね」
表情筋が崩壊しそうになる中、アリサは辛うじてその言葉だけを絞り出した。
アリシアいわく母親がテロリスト。
明らかにやらかしちゃってる人間だ。
しかし、容赦なくアリシアを生贄という名の厄介払いに処する辺りアリサも流石であった。
「……あの、一応、サクラのコントラクトパートナー……」
困惑を伴ったサクラの小さな声はスルーされた。
悪代官よろしく内心喝采を挙げながら粛々とプレシアにアリシアのデフォルメ絵が描かれたコントラクトカードを差し出すアリサ。
カードの説明欄の大きな空白の中心に『救出求ム。』と書いてあったがアリサはスルーした。
「うがぁぁぁ! がうっ!」
アリシアはキレた。
その動きはまさに小さな獣。
アリシアは 母親/ラスボス の抱擁を無理矢理振りほどくとアリサが差し出していたコントラクトカードにかぷりと齧り付くとメイド服のサクラの背後へと逃れ、フカーッとアリサとプレシアを威嚇した。
アリシアは今まさに野生に帰ったのだ。
「チッ」
舌打ちをしたのはアリサであったかプレシアであったか、恐らく両方である。
邪魔者の売却に失敗したアリサとせめてコントラクトカードのデフォルメ絵をデバイスに永久保存して置きたかったプレシア。
サクラとフェイトは野生動物保護のドキュメンタリー番組をぼんやりと見つめながら時折水羊羹を口にすると満足気に息を吐く。
この二人は生き物としての波長が似ているのかもしれない。
「前から思ってたけどアリサって実は私のこと嫌い!?」
「そんなことないわよ。まぁまぁ好きよ」
「アリサが動揺も淀みもなく他人に好意的な言葉を吐き出すなんて絶対嘘だよっ!」
なんて嫌な信頼なのだろうか。
そして、再びの舌打ち。
意図せずして長年の幽霊生活とだいたいプレシアのせいで培われた鋼のメンタルのお陰でアリシアは挫けなかった。
「大丈夫よ。私は貴女のことを愛しているわアリシア」
穏やかに言い放つプレシア。
だが、アリシアはプレシアの目にどことなく不穏なものが混じっているのを見逃さなかった。
「……一体アンタはなにが不満なのよ」
疲れたようなアリサの声。
どちらかというとこれはアリシアの勘に近い。なんというか、だ。
「……なんか今家に帰ったら軟禁生活が始まりそう。『あぁ、アリシア。二度と貴女を死なせたりなんてしないわ』とか言いそうで……」
アリサとプレシアは黙って目を逸らした。
アリサは『あぁ、この感じ、やりかねないわね』と感じ、プレシアは図星を突かれたからであった。
ドキュメンタリー番組は佳境に差し掛かり保護され、怪我の完治したチンパンジーが時折職員を振り返りながらも自然に帰っていく場面であった。
サクラがほぅと再び息を吐き、フェイトが目元を僅かに潤ませた。
サクラとフェイトはハッとなにかに気づいたかのようにアリシアへと気を向けた。
「……お家に、おかえり」
「なんでそうやってなんにでも影響されちゃうのさサクラッ! しかもその返されるお家もれなく檻付きだよ!」
「お姉ちゃん。海鳴に借りたお家には檻なんてないよ。でも地下室があるお家を探すのはちょっと大変だったけど……」
――地下室。地下室ってなんだろう。あと海鳴『には』とは一体。
直感が正しかったことを確信したアリシアの背筋が凍りつく。
母親がじわじわと壊れたように、アリシアの生きていた頃の母親に戻るのにも時間が必要だろうと思っていたアリシアにこの接触は早すぎたのだ。
加えて、『海鳴の家』と聞いて嫌な予感しかしないアリシアである。
「――まぁ、いずれアリシアは連れ帰るけれど今は先に伝えなくちゃいけないことがあるわね」
プレシアを包む空気が変わったことをアリサは感じ取った。
真剣な面持ちのまま、プレシアは再び口を開いた。
「鮫島サクラ。本日より未だ独自の技能体系を身に宿した貴方は時空管理局の特別保護対象となります。まぁ、敵に回すのは論外。とりあえず監視でも付けておくって感じね」
「……どういうこと?」
アリサの目が剣呑な光を宿す。
「そんな恐い目をしないで頂戴。どちらにせよ管理局はその子に対してなにも出来ないから。なんだか化け物だらけの世界から来たみたいじゃない、その子。ハラオウン君だったかしら、凄く怯えてたわよ。下手を打てば次元世界が滅ぶとかなんとか」
頭上にに大量の疑問符を浮かべたアリサは首を傾げた。
次元世界が滅ぶってなんだ。
「何十万人って魔導師が各地で暴れる修羅の世界だとかなんとか」
――同時接続者○○万人達成!
という売り文句がアリサの脳裏を雷光のごとく奔った。
「魔導師同士が殺傷設定で喜々として相手の息の根を止めるまで殺し合うだとか。ハラオウン君『魔導師の蠱毒か……』とか完全に目が死んでたわよ」
――PVP。プレイヤー同士の交戦。又は大規模交戦イベント。
「新たな大陸や土地、あげくの果てに世界を見つけるなり一日で何十万人って魔導師が訪れて蹂躙の限りを尽くすんでしょう? 惑星レベルの戦闘民族よね。管理局がどれだけ人材不足か分かる? 果てしなくアウトな私が引き抜かれるレベルよ。 だからって生半可な面子を送れば程度が知れるとかなんとか」
――○月○日大型アップゲート到来! ついにあの新大陸○○が冒険できるように! 同時に新サーバーを開放致しました!
アリサの脳内では『乗り込めぇ!』と叫びながら最終的にログインサーバーをダウンさせる大小様々な冒険者たちの姿が。
「………………そうね」
アリサ・バニングスは全てを諦めた。
『それ、ゲームの話よね』などとは今更言えるはずもなかった。
生きてます。
仕事でしばらくPC環境もPCもないところにいるので仕方なくはじめてのスマホ更新。書きにくい。
来年の二、三月にはお引越ししてネット環境引いてパソコン買い換えて落ち着きたい。