口一杯に苦味が広がる。
サクラの目の前には黒々とした液体が一杯に入ったカップ。
それを見ながらサクラは渋い顔をしていた。
「…あんまり、美味しくない」
「サクラ君にはまだ珈琲は早かったみたいだね」
翠屋。まだサクラと鮫島以外の客が居ない店内。
なのはの父、高町士郎は目の前で渋顔を浮かべているサクラを見ながら苦笑いする。
「うちは紅茶も美味しいから次はそっちの方に期待して欲しいな」
「…ん」
美味しくないと言いつつも珈琲に口を付け続けるサクラ。
砂糖やミルクを投入しながら一杯の珈琲に悪戦苦闘する姿には微笑ましいものがあった。
「口直しにお一つどうぞ。他のお客さんには秘密ですよ」
パティシエ、高町桃子の言葉と共にサクラに差し出された皿にはショートケーキが乗っていた。
「…いいの?」
「サクラ様、その前に言わなければいけないことがありますよ」
「ん、ありがとう」
「どういたしまして」
お礼を言うなり、目の前のショートケーキと格闘しだすサクラ。
「なんというか、歳相応な感じがありますね」
「えぇ、私共の周りの子供は少々大人び過ぎて居る節がありますから尚更でしょうか」
「なのはももうちょっと手が掛かっても良かったですね」
ショートケーキに舌鼓を打つサクラをよそに大人同士の会話に華を咲かせる士郎と鮫島。
「サクラは手が掛かる子?」
「サクラ様は優秀ですからきっと直ぐに私の手を離れてしまいますよ」
鮫島の声には誇らしさと少しの寂しさが混ざっていた。
「…サクラは鮫島に教えてもらいたいこと沢山、ある」
「それは私の楽しみが増えましたね」
好奇心旺盛なサクラは何にでも興味を示す。
先のことを考えると鮫島は頬が緩むのが抑えられなかった。
唐突にサクラがブルリと全身を震わせる。
「どうかなされましたか?」
上機嫌だったサクラが唐突に顔を強ばらせたので、鮫島は驚く。
「鮫島…サクラの杖、ある?」
サクラの尋ねる声は小さかった。
その表情は相も変わらず硬いままだ。
「揃えました日用品と共にございますよ」
無手でも魔法が発動出来るサクラが杖を求めたということは只事では無いと判断した鮫島がサクラに耳打ちする。
「良く分からない。でも何かが起きた、そんな気がする」
「…では、参りましょうか」
「ん、ありがとう」
急ぎ、会計を終えた鮫島はサクラと共に車に乗り込む。
鮫島はサクラが指差す方向に根気強く車を進めていく。
そして辿り着いたのは神社だった。
「…多分、ここ」
サクラは車に積んであった〈聖竜の杖〉を手に持つと二人は共に石段を登っていく。
登り終えた先に佇んでいたのは黒い獣。
犬としては大きすぎる巨体と尖すぎる歯を持った怪物がそこには居た。
「…アリサ、この世界にはモンスターは居ないって言ってた」
「確かにその筈、だったのですが…」
そう言われても鮫島は困るしかない。
だが、目の前に存在するのは間違いなくモンスターと言って差し支えない存在だった。
モンスターは犬歯を剥き出しにしてこちらを威嚇している。
「サクラ様、どうされますか?」
鮫島としては逃げの一手を打ちたいところだが、アレが自分たち以外の人をターゲットにした時のことを考えると寒気がした。
少なくとも対抗出来るような存在をサクラ以外に鮫島は知らないのだ。
「…ん、大丈夫。『シェルプロテクション』『サモンユニコーン』。ユニコーン、鮫島を守って」
鮫島とサクラを光の膜が包む、更に光と共に虚空から這い出る一角獣。
思わず鮫島はサクラに召喚された一角獣に魅入ってしまった。
それと同時にそれが自分を守護する存在だと思うと恐怖が一気に薄れていくのが感じられた。
「お気をつけて」
「行く。『フェアリーブレス』『フォーカス』」
強化された身体能力でサクラは跳ねるようにして飛び出す。
それと同時にモンスターがサクラに向けて突進を仕掛けてくる。
サクラは腰だめに構えた杖を突撃してきた犬のモンスターに振るう。
「…先制攻撃。『インパクトブロー』」
『インパクトブロー』。遠距離主体の魔法使いの杖専用スキル。
効果はボス属性のモンスター以外の強制ノックバック。
短い呻き声と共に弾かれるように犬のモンスターが吹き飛ばされる。
当然筋力の足りないサクラではダメージというダメージは与えられない。
だが、元々ダメージを与える為のスキルでは無いが故にサクラは追撃を加えることに抵抗はない。
「『セイントギア』」
サクラの周囲を旋回するように現れた無数の歯車が犬のモンスターを包囲するように迫る。
空中にバックステップをしながら回避しようとした背中にサクラが上空に待機させていた歯車が突き刺さる。
墜落するように落ちてきた犬のモンスターに残りの歯車が次々に追撃を加えていく。
しかし、追撃の止んだ先では犬のモンスターがよろよろと立ち上がりながらも次第に足取りを確かにしていく姿だった。
「…ん、回復が早過ぎる。スキル?」
自動回復スキルのあるモンスターならサクラは倒しきるのが厳しい。
スキルツリーの上位にある魔法を使えば一撃で倒せるだろうが、神社が無事で済むとは思えないのだ。
鳥居を足場にしながら多角的な攻撃を仕掛けてくる犬のモンスターに翻弄されてしまう。
時に鮫島にも攻撃が向かうが、ユニコーンに鋭い角による一撃を貰ってからは警戒しているようだ。
「…動きが止まればなんとかなる?」
「では、私が盾になりましょう」
サクラの呟きに答えたのは鮫島だった。
飛び出して来た鮫島は両腕を盾にするように犬のモンスターの突撃に割り込んでくる。
それと同時に『シェルプロテクション』の膜に弾かれるようにして鮫島と犬のモンスターが同時に逆方向に吹き飛ぶ。
「…ごめんなさい、『シール』」
サクラはどうしても吹き飛んだ鮫島に後ろ髪引かれてしまう。
しかし、サクラは紫色の複雑な文様が刻まれた球体を掌に収めると吹き飛んだ犬のモンスターの胴体に押し込むようにしてそれを突き出す。
球体は飲み込まれるようにして完全に犬のモンスターの体内に消えていく。
「…んぅ、どうして?」
球体が犬のモンスターに消えていくのと同時に現れたのは明らかに無害そうな小型犬だった。
『シール』の効果はスキル封印。つまりサクラは先程の回復能力を封じてから犬のモンスターを倒そうと思っていた。
それが犬のモンスターから普通の小型犬に変じさせた意味が分からなかったのだ。
「…今はそれより鮫―――」
「お呼びでしょうか。しかし、サクラ様の防御の魔法は完璧ですね」
珍しく焦った表情のサクラの呼びかけに間髪置かずに答える鮫島。
光の膜は残ったままで、傷どころか服にも汚れ一つ無い。
「…あまり驚かせないで欲しい」
「私はサクラ様を信じておりますので」
そう言われてしまえば単純なサクラは上機嫌になるしかない。
「ん、じゃあ帰ろ」
「はい。しかし、物騒な世の中になりましたね」
先程の出来事を物騒で済ませてしまう鮫島は流石であった。
二人は飼い主らしき女性の元へ駆けていく小型犬を見送りながら石段を下り始めた。
その場には『シール』の封印時間の切れたジュエルシードが転がっており、後に一人の少女が再封印を施すのだがそれは別の話だ。
「…ごめんなさい。本気で頭が痛くなってきたわ」
サクラと鮫島の雑談に唐突に出てきた犬のモンスターの話題。
アリサの日常は着々とファンタジーに蝕まれつつあった。
「正直に申しますとアレはサクラ様以外には対処不可能でしょう」
「…もしかしたらサクラの世界のモンスターなんじゃないの?」
「サクラ、あれは見たことがない」
一度見たら忘れないサクラが知らないのだから、その確率は非常に低かった。
「…サクラ、あんまり危ないことしちゃ駄目よ」
「ん、サクラは居なくならない」
サクラの中ではアリサとの約束は何よりも重かった。
故に本当に危なかったら被害度外視で魔法をぶっ放す所存だ。
「…あたしが思っていたよりずっと世界はファンタジーで満ちていたわね」
アリサが吐き出すように漏らした一言は異様な重みを持っていた。
強制ノックバックって結構ヤバい気がする。