ザアザアと流れる清流の端に鮫島、沙羅、そしてサクラの姿があった。
温泉宿へやってきた一行だったが、サクラが最も興味を示したのがこの清流。
宿からそれほど距離がない場所であった為、三人は温泉より先にこちらに訪れていた。
しかし、アリサは釣餌の虫が理由で不参加を表明していた。
「…沙羅、サクラは楽しい」
サクラは近くの釣具店でレンタルした道具一式を使い、釣り糸を水面に垂らしながらキラキラと瞳を輝かせていた。
そして、同じように楽しそうにそれを眺める沙羅と鮫島。
「やはり適用されていましたね。まさかとは思いましたが正直、驚きの結果です」
浅瀬に設置された網の中では溢れんばかりの大小様々の魚が泳いでいた。
網の中の魚は全てサクラの釣果だった。
沙羅がサクラに出会った時から不思議に思っていたことが一つあった。
サクラの魔法やスキルは明らかにこの世界用に『調整』されているということだ。
例えるなら『ヒール』や『リカバリーフォグ』。
MMORPGにおいて、傷や身体の欠損等は基本的に有り得ない。
なぜならアバター、つまりは体に傷が付けば『見苦しくなる』。
ゲーム内のボスを倒した後の爽快感や達成感の後に残る自分の重傷のアバターを見て誰が得をするのだ。
いや、得をする趣向の方々も居るかもしれないがこれは一般論だ。
だが、サクラの治癒魔法は重篤な怪我や病気に関しては試したことはないが、『傷が直る』『症状が消える』。
では、実際に『調整』されていた治癒や攻撃以外のスキルはどのようになっているのか。
その結果が網の中を泳ぐ無数の魚たちだった。
隠れていたであろう魚影が飛び出してきて、自ら釣り針に喰いつく。
こんなことは普通は有り得ない。
つまりはサクラの中には間違いなく存在するのだ。『釣りスキル』が。
そんな講釈をついには口から垂れ流し始めた沙羅を横目に鮫島は満足気に頷く。
「ふふ、サクラ様は多才でいらっしゃいますね」
そんな名推理も鮫島には何事もなかったかのようにスルーされたが沙羅はめげなかった。
「…この執事はサクラの真価を分かっていませんね」
「ほぅ、清水。分かっていないとは言うじゃありませんか」
サクラの真価と言う言葉に鮫島も興味を持ったようだ。
鮫島にとって、サクラは息子や孫、又はそれに近いものになりつつあった。
その真価と言われては興味が出るのも当たり前の話ではあった。
「若い頃から…、いえ、いまでも全然若いんですけどね。ゲーマーの私からすれば簡単なことです。サクラに『釣りスキル』が存在するということは『生活スキル』のカテゴリーに当たるスキル郡が存在する確率が高いんですよ」
「…仕事はこなしているようですから私からはなにも言うことはありませんね」
若いを強調する沙羅とその話を噛み砕きながら理解する鮫島。
単語から『釣りスキル』や『生活スキル』の意味をおおまかに把握する程度なら困らなかった。
恐らくは『生活スキル』という括りの中に『釣りスキル』という技能が存在するのだろう。
「製作系や調合系のスキルはともかく『釣りスキル』が存在するならほぼ確定で『料理スキル』が存在する筈なんですよ。サクラはまた一つ万能使用人への素質を垣間見せましたね」
「…ほぼ確定、ですか。サクラ様から直接聞いたのではないのですか?」
「サクラに直接聞いてもいいんですが、それじゃ面白くありませんからね」
沙羅は自分が見聞きしたスキルや魔法についてしか尋ねない。
なぜならそちらの方が楽しいから。
つまり、沙羅は一度に知ってしまっては勿体無いと思う人間であった。
「釣った魚は果たしてどうするのかということです」
「…それは逃がすか捌いて調理…なるほど、そういうことですか」
そこまで聞いて鮫島は理解した。
釣ってそこで終わりではないのだ。その先には調理の過程が存在する。
それならば調理に関するスキルが『生活スキル』に存在する可能性は極めて高かった。
「料理スキルがどのような形に化けるのか楽しみですね。……もしも食べただけで傷が塞がるような料理になってたらどうしましょうか」
そこまで言って沙羅は思い至った。
所謂消費アイテム扱いなら何かしらの効果が存在するはず。
回復効果やステータス上昇効果と呼ばれている代物。
サクラならばコンソメスープを本当にドーピングコンソメスープへと昇華させかねないのだ。
「外からも内からも健康になれそうですね」
「…まだ若返る気なんですか」
楽しげに釣り糸を垂らしていたサクラは唐突に竿を置いて裸足のまま釣果の収められた網へと近づく。
そのまま網の口を限界まで開くと口を水面に傾けて全ての魚を逃してしまった。
サクラを中心として大小様々な魚影が散っていく。
「……ばいばい」
パシャパシャと水面で手を洗い、そのままサクラは身なりを整えると二人の元へと戻ってきた。
「もう宜しいのですか?」
「…サクラ、満足した」
その言葉と当時にサクラは晴れやかな笑顔を垣間見せる。
サクラは最近になってますます表情を表に出すようになっていた。
「しかし、本当に全て逃してしまったんですね」
「…ん、一杯遊んでもらったから」
今日の釣果は魚に遊んでもらった結果。
サクラは自然とキャッチアンドリリースの形に辿り着いていた。
精神的なズレの結果とはいえ、鮫島にとって、それは微笑ましい光景だった。
「サクラは可愛いですね。仕方がないので私と結婚しましょうか!」
なにが仕方がないのか理解不能だった。
沙羅本人ですら欲望を吐き出しているだけなので理解はしていない。
「…ん、沙羅、サクラの友達」
「なんだかナチュラルにサクラに振られた気がします。これが『友達としか見れない』ってやつなんですか…」
ガックリとその場に膝を付く沙羅。
意味が分からないサクラはとりあえず沙羅の頭をよしよしと撫でた。
すると、沙羅は段々と頬を赤らめはじめ、あげくの果てには息遣いまで荒くなっていく。
「ちびっ子のサクラ…いえ、チビザクラに撫でられるというシチュエーション…アリですね」
どうやら沙羅は新たな世界が開けたようだった。
沙羅の頭の中ではバラ科サクラ属に新たにチビザクラという新種が増えた。
「サクラ様、清水が危険水域に突入しましたので宿に帰りましょうか」
病状を悪化させ始めた沙羅を置いて鮫島はサクラの手を引いて歩き出した。
鮫島は最近になってこのメイドに対処する方法を身につけつつあった。
宿に一足先に辿り着いたアリサ、すずか、なのはは今回の目的である温泉に浸かっていた。
そして、ユーノはお湯の張られた桶の中から首を出している。
「サクラの遊びに私が着いて行かなかったのは仕方ないんだけど…なんか納得いかないわね」
肩まで湯に浸かったアリサは不服そうに言う。
それを聞いているすずかは苦笑いを漏らす。
「…最近、アリサちゃんはサクラちゃんにべったりだよね」
「はぁっ!?そんなこ…わぷっ」
慌てて否定しようとしたアリサはお湯の中で足を滑らせ頭までどっぷりと温泉に浸かってしまう。
「……そんなことないわよ」
「さっきのを見た後だと恐ろしいほど説得力を感じないよね…」
頭まで濡れたせいで、前髪の先から雫を滴らせている。
そんな姿を見てすずかが説得力を感じる訳がなかった。
「にゃはは、その分だと夜までぴったりくっついて寝てるのかな?」
なのはが半ば冗談で言うとなぜかアリサが硬直したまま目を泳がせる。
それを見たすずかとなのはは「え?」と思わず声を漏らす。
「…最初は一回だけのつもりだったのよ」
一度きりで終わらせるつもりだったそれが常習化しつつあった。
誰かに甘えるという経験の少なかったアリサ。
両親共に忙しかったアリサは誰かと共に眠りに就くということが殆どなかった。
当然サクラがその要求を拒むことや、恥ずかしがるということは当然ない。
しかも鮫島や沙羅がそれを止めるはずがない。
つまりはアリサを止めるストッパーが全く存在ないのだ。
「いえ、全部サクラの人間離れしたふわふわした髪の毛が悪いのよ!なんであんな柔らかい髪の毛が存在するのよ!」
いっそ清々しい程の逆ギレだった。
サクラのせいではなくサクラの髪の毛のせいにする辺りも流石であった。
「アリサちゃんはサクラちゃんを独り占めしてズルいよね」
すずかの言葉に未だにサクラの普段発する空気に慣れないなのはは困った顔をした。
サクラがゲーム内の住民であることを知っているアリサと知らないすずか。
二人のサクラに対する理解度は違うが、二人共出会いでサクラの力に救われた人間だ。
しかし、なのはは違う。
不思議な力の持ち主であることは知っているが、サクラの掴みどころのない性格が仇となっていた。
「…い、いいじゃない。これでも色々と大変なんだから。サクラは風呂嫌いだから一緒に入ったりとか大変よ。…ん?あのメイド、わざわざ有給取って自費で温泉に来たってどう考えても年齢と風呂嫌いを理由にサクラと混浴する気満々じゃない!」
風呂嫌いという単語だけでそこまで辿り着いたアリサ。
しかし先程大変なことを口走った自覚はない。
「…サクラちゃんって一応男の子だったよね」
「本人が気にしてないんだからいいじゃない」
すずかからはサクラは辛うじて男の子にカテゴライズされていたようだ。
「えっ、サクラちゃんって男の子だったの!?」
サクラのことをずっと女の子だと思っていたなのはは目をまん丸に見開いている。
そういえばなのはの前では明言していなかったなと思い至るアリサ。
「うん。サクラ君って呼ぶの違和感があるからサクラちゃんって呼んでるんだ」
普段はいちいち訂正するのが大変なのでアリサとすずかは為すがままだった。
本人がちゃん付けでも普通に反応するのでその勘違いは蔓延していた。
「…サクラちゃんって色々と凄いんだね」
どうやらなのはもサクラ君呼びには抵抗があったようだ。
「…さっさと慣れないと後が大変よ」
アリサの言葉には実際に苦労したが故の説得力があった。
着々と常識は身につけつつあるので今となっては大分マシだが、それでも尚、サクラは色々な意味でアクが強かった。
>「うん。サクラ君って呼ぶの違和感があるからサクラちゃんって呼んでるんだ」
ぴぴるぴるぴるされるのが桜君でぴぴるぴるぴる出来そうなのがサクラ。
…別に万能血まみれロッドにする予定はないです。