清水幸利にとって、異世界召喚とは、まさに憧れであり夢であった。ありえないと分かっていながら、その手の本、Web小説を読んでは夢想する毎日。夢の中で、何度世界を救い、ヒロインの女の子達とハッピーエンドを迎えたかわからないほどだ。
清水の部屋は、壁が見えなくなるほどに美少女のポスターで埋め尽くされており、壁の一面にあるガラス製のラックには、お気に入りの美少女フュギュアがあられもない姿で所狭しと並べられている。本棚は、漫画やライトノベル、薄い本やエロゲーの類で埋め尽くされていて、入りきらない分が部屋のあちこちにタワーを築いていた。
そう、清水幸利は南雲ハジメと同じように真性のオタクである。但し、その事実を知る者は、クラスメイトの中にはいない。それは、清水自身が徹底的に隠したからだ。理由は、言わずもがなだろう。ハジメに対するクラスメイトの言動を間近で見て、なお、オタクであることをオープンにできるような者はそうはいない。
ハジメには親友の陽和の存在があったからこそ陰鬱にならなかっただけで、陽和のような理解のある友人がいなかった場合にあり得た可能性が清水であった。
クラスでの清水は、彼のよく知る言葉で表すなら、まさにモブだ。特別親しい友人もおらず、いつも自分の席で大人しく本を読む。話しかけられれば、モソモソと最低限の受け答えはするが自分から話すことはない。元々、性格的に控えめで大人しく、それが原因なのか中学時代はイジメに遭っていた。
当然の流れか登校拒否となり自室に引きこもる毎日で、時間を潰すために本やゲームなど創作物の類に手を出すのは必然の流れだった。
親はずっと心配していたが、日々、オタクグッズで埋め尽くされていく部屋に、兄や弟は煩わしかったようで、それを態度や言葉で表すようになると、清水自身、家の居心地が悪くなり居場所というものを失いつつあった。
鬱屈した環境は、表には出さないが内心では他者を扱き下ろすという陰湿さを清水にもたらした。そして、ますます、創作物や妄想に傾倒していった。
そんな清水であるからこそ、異世界召喚の事実を理解したときの脳内は、まさに「キターー!!」という歓喜の状態だった。
周りのクラスメイト達が家に帰れず混乱し、泣き叫ぶ時も、愛子がイシュタルに猛然と抗議している時も、光輝が人間族の勝利と元の世界への帰還を決意し息巻いている時も、清水の頭の中は、何度も妄想した異世界で華々しく活躍する自分の姿一色だ。ありえないと思っていた妄想が現実化したことに舞い上がって、異世界召喚の後に主人公を理不尽が襲うパターンは頭から追いやられていた。
この世界でなら自分は特別になれる!!自分が思い描いた異世界ライフを満喫してやる!!と、一人歓喜に打ち震えていた。
しかし、清水が期待したものと、現実の異世界ライフでは決定的な違いがあった。それは『特別』なのが自分だけではないということ。
清水は確かにチート的なスペックを秘めていた。しかし、それは他のクラスメイトも同じであり、更に、“勇者”は自分ではなく光輝であることだ。
その為か、女が寄って行くのは光輝ばかりで、自分は“その他大勢の一人”に過ぎなかった事だ。これでは、日本にいた時と何も変わらない。念願が叶ったにもかかわらず、望んだ通りではない現実に陰湿さを増す清水は、内心で不満を募らせていった。
これでは日本にいた時と何も変わらない。
何故自分が勇者ではない?何故ここでも輝ばかりがいい思いをしている?
彼なんかよりも自分の方が遥かに上手くやれるのに。自分に言い寄る女を選ばずに全員受け入れてやるのに。
そんな、自分こそが特別であるという、一方的で独善的な身勝手な考えが清水の心を蝕んでいった。
そんな折、【オルクス大迷宮】での実践訓練が催された。
清水は、チャンスだと思った。誰も気にしない、居ても居なくても同じようなモブキャラが、実は誰よりも有能だということを示す機会だと。そんなどこまでもご都合主義だった清水は………いよいよ、現実を思い知った。
自分が決して特別な存在ではないことを。ご都合主義なんてこの世界にはないということを。ふと気を抜けば次の瞬間には、確実に“死ぬ”存在であることを。
トラウムソルジャーに殺されかけて、遠くでトラウムソルジャーなんかよりも遥かに凶悪な魔物と戦い傷つき死にかけるクラスメイトの姿を見て、抱いていた異世界への幻想がガラガラと音を立てて崩れ落ちた。
そして、奈落へと落ちて『死んだ』クラスメイトと魔物との激闘で『死にかけた』クラスメイトの姿を見て、清水の心は折れた。
ご都合主義な妄想に浸り、常に他者を内心で見下して心を安定させていた清水の心の耐久力は当然脆く、非条理な現実に潰された。
当然、王宮に戻った清水は地球にいた頃と同じように自室に引き篭り、創作物の代わりに自分の天職“闇術師”に関する技能・魔法に関する本を読んで過ごすことになった。
そんな時、更に清水の折れた心を追い詰める事件が起きた。
そう、陽和の邪竜認定だ。
深夜メルドが襲われ、深傷を負わされた事件。王宮を混乱させた事件を引き起こした陽和は教会の不倶戴天の仇でもある邪竜の後継者として異端者になり、指名手配された。そして、教会が勇者を始めとした自分達神の使徒に彼の殺害を命じたことだ。
清水は心底恐怖した。クラスメイトが伝説の邪竜の力を宿しており、自分達を殺そうとしていることに、彼の心は絶望一色へと染まってしまった。
それに、陽和の強さはよく知っている。自分達神の使徒の中でも秀でたスペックを持つ勇者すら凌駕し、勇者ですら叶わなかったベヒモスをたった一人で足止めしてすらいた。
勝てるわけがない。現実を知り心を折られた清水は奇跡など期待するわけもなく、邪竜の話を聞いた直後には、ただ殺されるんだと恐怖に怯えることしかできなかった。
その後も変わらず陰鬱な心で部屋に篭り本を読み耽っていた清水は、ふとあることを思いついた。
———闇系統の魔法は、極めれば対象を洗脳支配できるのではないかと。
清水は陰鬱とした暗い心に一筋の光明がさした気がした。自分の考えが正しければ、誰で好きなようにできるのだ。そう、好きなように。しかも、極めればいつかは伝説の邪竜すらも支配できるのではないかと。
“勇者”である光輝が邪竜である陽和を討伐する前に、自分が彼よりも先に邪竜を洗脳支配すれば、自分は今度こそ勇者になれるのではないかと。そう危険な思想にたどり着いてしまったのだ。
その日から彼は一心不乱に修練に励んだが、現実はそう簡単にいかなかった。
まず、人のように強い自我のある者には、十数時間という長時間にわたって術を施し続けなければ到底洗脳支配などできないのだ。しかも、無抵抗の状態でなかれば意味がない。
流石に、自我のある者が術をかけられて反応しないわけがない。強制的に眠らせて行うという方法もあるが、人間相手にやるのは環境的にも時間的にも難しく、もしバレようものなら反逆者として処分される可能性もある。
断念せざるを得ず肩を落とす清水だったが、ふと召喚の原因でもある魔人族による魔物の使役を思い出し、本能的で自我の薄い魔物なら可能なのではと考えたのだ。
彼はそれを確かめるべく、夜な夜な王都の外に出ては雑魚の魔物相手に実験を繰り返し、やがて洗脳支配を成功してみせた。しかし、これは闇系統魔法に優れた才能を持つ清水だからこそ出来るのであって、この世界の者では長い時間をかけても精々一、ニ体程度しか無理なのだ。
王都近郊での実験を終えた清水は、どうせ支配下に置くなら強い魔物がいいと考えた。
ただ、光輝達について迷宮の最前線に行くのは気が引けるし、洗脳支配などというものを光輝達に知られるのは面倒だと思ったのだ。
どうすべきかと悩んでいたとき、愛子の護衛隊の話を耳にしたのだ。それに付いて行き遠出をすれば、様々な魔物とも遭遇でき、戦力を増やせるだろうと考えて。
結果的に愛子達と共にウルの町に来ることになり、北の山脈地帯というそれなりに強く、ちょうどいい魔物達がいる場所で配下の魔物を集めるため姿をくらませたのだ。次に再会した時は、誰もが自分のなした偉業に畏怖と尊敬の念を抱いて、特別扱いすることを夢想して。
本来なら、僅か二週間と少しという短い期間では、いくら清水が闇系統に特化した天才でも、そして群れのリーダーだけを洗脳するという効率的な方法をとったとしても精々千に届くか否かという群れを従えるので限界だっただろう。それも、おそらく二つ目の山脈にいるブルタールレベルを従えるのが精々。
だが、ここで魔人族の助力と、偶然支配できたティオの存在が、効率的に四つ目の山脈の魔物まで従える力を清水に与えた。と、同時に、魔人族との契約で提供された強力な魔物や日々増強していく魔物の軍勢に、清水の心のタガは完全に外れてしまった。しかも、ティオを洗脳支配できたことが自分は竜すらも支配できるのだと悦に浸らせる結果となり、このまま魔物の戦力を増やしていけばいずれは一時は不可能と思った邪竜の洗脳支配をできるのではと思ってしまったのだ。
そして遂に、やはり自分は特別だったと悦に浸りながら、満を持して十万の大群という一国の戦争規模に匹敵する大軍勢を町に差し向けたのだった。
そして、その結果は…………
無様に縛られ、愛子達の前に転がされるという惨めなものだった。
流石に黒幕を町の中に連れて行くわけにはいかず、町外れへと彼らは場所を移している。今いるのは、陽和達とウィルの他には愛子や優花達生徒と、護衛騎士の面々だ。その為、町の事後処理は、町の重鎮達に全て押し付けている。
「清水君……」
ロープで縛られ、地面に転がされている清水の姿に、愛子は悲痛な声を上げ歩み寄る。黒いローブを着ている姿や、陽和が連れてきたという事実が、彼こそ黒幕であると示していた。
信じたくなかった事実に、愛子は悲痛に表情を歪めつつ、彼の目を覚まさせようと揺り動かした。
「愛子、危険だ…」
「いいえ、危険ではありません」
デビッド達が止めるのを愛子は拒否し、拘束も外そうとする。それは、きちんと対話できないからと。愛子はあくまで先生と生徒として話をするつもりなのだろう。
その意図を把握した陽和が愛子に代わって無言で拘束を解くと彼の身を起こし座り込んだ状態にさせた。
「清水君、清水君!起きてください!清水君!」
「っ、ぐっ……」
愛子こ呼びかけで清水は意識を覚醒させ始め、やがてボーッとした目で周囲を見回し、自分の置かれている状況を理解したのか、ハッとなって上体を起こす。
そして、咄嗟に距離を取ろうとして立ち上がりかけたが、
『逃げるな』
背後から陽和が肩を抑えて強制的に座らせた。清水は陽和への恐怖が残っていたのかビクッと体を震わせると抵抗をやめたが、警戒心と卑屈さ、苛立ちがないまぜになった表情だ、目をぎょろぎょろと動かしている。
そんな彼に愛子が優しく語りかける。
「清水君、落ち着いて下さい。誰もあなたに危害を加えるつもりはありません……先生は、清水君とお話がしたいのです。どうして、こんなことをしたのか……どんな事でも構いません。先生に、清水君の気持ちを聞かせてくれませんか?」
「なぜ?そんな事もわかんないのかよ。だから、どいつもこいつも無能だっつうんだよ。馬鹿にしやがって……勇者、勇者うるさいんだよ。俺の方がずっと上手く出来るのに……気付きもしないで、モブ扱いしやがって……ホント、馬鹿ばっかりだ……だから俺の価値を示してやろうと思っただけだろうが……」
顔を俯かせながらボソボソと悪態をついた清水に優花達が激怒し声を張り上げた。
「てめぇ……自分の立場わかってんのかよ!危うく、町がめちゃくちゃになるところだったんだぞ!」
「そうよ!馬鹿なのはアンタの方でしょ!」
「愛ちゃん先生がどんだけ心配してたと思ってんだ!」
反省どころか周囲への罵倒と不満を口にする清水に、淳史や奈々、昇が憤りをあらわにする。清水はその勢いにおされ顔を俯かせる。
そんな彼が気に食わないのか更にヒートアップする淳史達を宥めると、なるべく声に温かみが宿るように意識しながら清水に尋ねた。
「そう、沢山不満があったのですね……でも、清水君。みんなを見返そうというのなら、なおさら、先生にはわかりません。どうして、町を襲おうとしたのですか?もし、あのまま町が襲われて……多くの人々が亡くなっていたら……多くの魔物を従えるだけならともかく、それでは君の“価値”を示せません」
愛子の最もな質問に、清水は少し顔を挙げると薄汚れて垂れ下がった前髪の隙間から陰鬱で暗く澱んだ瞳を愛子に向けると、うっすらと笑みを浮かべた。
「……示せるさ……魔人族になら」
「なっ!?」
清水の口から飛び出したまさかの言葉に愛子のみならず、陽和達を除いたその場の全員が驚愕を露わにする。清水はその様子に少し気をよくしたのか、先程までよりは力の篭った声音で話し始めた。
「魔物を捕まえに、一人で北の山脈地帯に行ったんだ。その時、俺は一人の魔人族と出会った。最初は、もちろん警戒したけどな……その魔人族は、俺との話しを望んだ。そして、わかってくれたのさ。俺の本当の価値ってやつを。だから俺は、そいつと……魔人族側と契約したんだよ」
「契約……ですか? それは、どのような?」
戦争の相手である魔人族とつながっていたという事実に愛子は動揺しながらも、きっとその魔人族が自分の生徒を誑かしたのだとフツフツと湧き上がる怒りを抑えながら聞き返す。それに清水が笑みを浮かべながら、答えるよりも先に陽和が口を開いた。
『………畑山さんを殺すこと、だな?清水幸利』
「……えっ……?」
愛子は、一瞬何を言われたのか分からず思わず間抜けな声を漏らしてしまう。周囲の者達も同様に一瞬ポカンとしていたものの、愛子よりは早く意味を理解して激しい怒りを瞳に宿して清水を睨みつけた。
陽和は優花達の強烈な怒りが宿る眼光に射抜かれて竦んでいる清水を冷たい眼差しで見下ろすと話を続ける。
『食糧事情を解決どころか改善すらできる畑山先生の影響力は勇者よりも大きい。勇者より厄介な存在を魔人族がほっとくわけがないのも当然だな。それで、お前が何の契約をしたのかは知らんが、魔物の中に強さが並外れてる魔物達がいた。アレは魔人族から提供されたものだろう?』
「な、なんで、それを……」
清水はなぜそれを知っているのか分からず困惑を隠せない。陽和は淡々とした様子で続ける。
『別に俺達はアレが魔人族が生み出した魔物だということを前もって知っていたから対処できた。それだけの話だ。それよりもだ、お前は何を対価に先生を殺そうとした?魔人族となんの契約を交わした?』
「…………」
清水は陽和の問いかけに少しの間沈黙していたが、やがて何かを思い出すように口元をひくつかせながら、答え始める。
「お、俺が先生諸共町の住人を殺せば、俺は、魔人族側に勇者として招かれる。そういう契約をしていた。そいつは言ってたんだよ。俺の能力は素晴らしいって。勇者の下で燻っているのは勿体無いってさぁ。やっぱり、分かるやつには分かるんだよ。実際、超強い魔物も貸してくれたし、それで、想像以上の軍勢も作れたし……だから、だから絶対、あんたを殺せると思ったのに!何だよ!何なんだよっ!何で、10万の軍勢が負けるんだよ!何で異世界にあんな兵器があるんだよっ!お前は、お前らは一体何なんだよっ!」
最初は嘲笑するように呆然としている愛子を見ていたのだが、話しているうちに興奮し、陽和やハジメ達の方へと視線を転じて喚き始める。
その眼は陰鬱さや卑屈さ以上に、思い通りにいかない現実への苛立ちと、邪魔した陽和達への憎しみ、そして、その力への嫉妬などがないまぜになってドロドロとヘドロのように濁っており狂気を宿していた。
どうやら、陽和のことはともかく、ハジメがあの南雲ハジメだとは気づいていないらしい。もっとも、正体を明かしたところで何かが変わるわけではないが………
「特に仮面のお前はなんなんだよっ!なんなんだよあの強さはっ!天之河なんて霞む強さじゃねぇかっ!俺達異世界人はこの世界の奴らよりも優れてるんじゃなかったのかよ!?話が違うじゃねぇかっ!!なんなんだよっ、この化け物がっ!!」
清水は、今にも襲い掛からんばかりの形相で陽和を睨み罵倒を続けるが、陽和には何にも響かない。その態度がますます気に障ったらしく、さらに彼を激昂させる結果を招いた。
その間に愛子は我を取り戻したのか、一つ深呼吸をすると罵倒を続ける清水の片手を握り、静かに語りかけた。
「清水君。落ち着いて下さい」
「な、なんだよっ! 離せよっ!」
清水は愛子の手を咄嗟に振り払おうとする清水だったが、愛子は決して離さないと更に力を込めてギュッと握り締めて優しく言葉を投げかける。
「清水君……君の気持ちはよく分かりました。“特別”でありたい。そう思う君の気持ちは間違ってなどいません。人として自然な望みです。そして、君ならきっと“特別”になれます。だって、方法は間違えたけれど、これだけの事が実際にできるのですから……でも、魔人族側には行ってはいけません。君の話してくれたその魔人族の方は、そんな君の思いを利用したのです。そんな人に、先生は、大事な生徒を預けるつもりは一切ありません」
清水は愛子の真剣な眼差しを直視することができないのか、徐々に落ち着きを取り戻すと再び俯いた。愛子は願いを込めて言葉を重ねる。
「……清水君。もう一度やり直しましょう?みんなには戦って欲しくはありませんが、清水君が望むなら、先生は応援します。君なら絶対、天之河君達とも肩を並べて戦えます。そして、いつか、みんなで日本に帰る方法を見つけ出して、一緒に帰りましょう?」
愛子の話を黙って聞いていた清水は気づけば、肩を震わせていた。生徒達も護衛隊の騎士達も、清水が愛子の言葉に心を震わせ泣いているのだと思ったのだ。
実はクラス一涙脆いと評判の園部優花が、既に涙ぐんで二人の様子を見つめている。
しかし、そんなに簡単に行くほど甘くはなかった。
肩を震わせ項垂れる清水の頭を優しい表情で撫でようと身を乗り出した愛子に対して、清水は突然、握られていた手を逆に握り返しグッと引き寄せ、愛子の首に腕を回してキツく締め上げたのだ。
そして、思わず呻き声を上げる愛子を後ろから羽交い絞めにすると、何処に隠していたのか十センチ程の針を取り出し、それを愛子の首筋に突きつけた。
「動くなぁ!ぶっ刺すぞぉ!」
裏返ったヒステリックな声で叫ぶ清水の表情は、ピクピクと痙攣しているように引き攣っており、瞳は狂気を宿していた。
どうやら先ほどの肩を震わせる仕草は、ただ彼女を嘲笑っていただけらしい。
周囲の者達は愛子を助けようと飛び出そうとしたものの、清水が本当にやりかねない様子だった為、その場にとどまることしか出来ず、ただ彼女の名を呼び、清水を罵倒していた。
「いいかぁ、この針は北の山脈の魔物から採った毒針だっ!刺せば数分も保たずに苦しんで死ぬぞ!分かったら、全員、武器を捨てて手を上げろ!」
清水の狂気が宿る言葉に、周囲の者達が顔を青ざめさせる。それを一望してニヤニヤと笑う清水は、陽和へと振り向いた。
「おい、お前、仮面野郎っ!とっとと武器を地面に下ろせ!!銃も兵器も全部俺によこせっ!!」
清水は陽和達も動かないと思ったのか、武器類を渡せと要求する。それに対して陽和は腕を組んだまま静かに清水を見返した。
『なぜ渡す必要がある?どうせ先生を殺すなら、渡しても意味がないだろうに』
「う、うるさい、うるさい、うるさい!!いいから黙って全部渡しやがれっ!お前らみたいな馬鹿どもは俺のいうこと聞いてればいいんだよぉ!そ、そうだ、へへ、おい、お前の奴隷達も貰ってやるよ。そいつに持ってこさせろ!!」
「……し、清水君……どうか、話を……大丈夫……ですから……」
正常な判断ができず狂態を晒す清水に愛子は苦しそうにしながらも、なお言葉を投げかける。が、その声を聞いた瞬間、清水はぴたりと笑いを止めると更に愛子を締め上げながら睨む。
「……うっさいよ。いい人ぶりやがって。この偽善者が。お前は黙って、ここから脱出するための道具になっていればいいんだ」
暗く澱んだ声音でそう呟いた清水は、再び陽和へと視線を向けると、その腰のヘスティアへと視線を向ける。
負の感情を煮詰めたような眼差しに、言葉なくとも彼の意図が不本意ながら陽和には伝わった。このままでは、自分の生死を度外視してやりかねないと陽和は判断した。
陽和は一つ溜息をつくとヘスティアを鞘ごと腰の帯から抜いた。………そして、そのまま清水へと渡すかと思いきや、隣の地面にザクっと突き刺してゆっくりと清水の方へと歩き始めたのだ。
清水は陽和の行動に驚きながらも、奇声を上げる。
「う、動くなって言ってるだろうがっ!ぶっ刺すぞっ!!人質がどうなってもいいのかっ!?」
一見すれば人質である愛子を見捨てた行動に清水は声を張り上げるが、陽和は更に彼にとって予想外な言葉を返す。
『ああ、やればいい』
「なっ」
あろうことか刺したいなら刺せばいいと言ったのだ。陽和の言葉に驚愕のあまりピタリと動きを止める清水に、陽和はゆっくりと近づきながら拳を強く握り締め、言葉を並べる。
『ここからならお前が先生を刺すよりも先に、俺の拳がお前に届くのが先だ。お前はもう俺の間合いに入ってるんだよ。それが分かった上でまだやるなら、先生を刺せばいい』
「なっ、なっ、しょ、正気かよっ」
『少なくともお前よりかは正気だよ。なぁ、清水、お前にとって『特別』ってなんだ?』
「はぁ?」
3mほど手前で立ち止まった陽和は突然、清水にそう問いかけたのだ。この問いかけに清水だけでなく優花達やハジメ達までもが首を傾げる中、陽和は続ける。
『誰よりも優れた力を持っていることか?では、力とは何を意味する?武力か?それとも、知力か?ここまでしたんだ。きっと、お前の中には明確な『特別』とやらのイメージがあるんだろうな。だが、はっきりと言おう。それは断じて、『特別』なんてものじゃない。お前のソレは……ただの我儘だ。餓鬼の癇癪にすぎない』
「う、うるさいっ!お前に何がわかるんだよっ!!俺はここで先生を殺して、魔人族に迎え入れられて、今度こそ『勇者』に、『特別な存在』になるんだよっ!!お前みたいな化け物にどうこう言われる筋合いはないっ!!」
『そうかもな。俺は化け物だ。それは否定しない。あの日、俺は人間じゃなくなったからな。だが、俺はそれを後悔していない。人間をやめたからこそ守れたものが、救えたものがある。清水、お前は今の自分の選択を胸を張って誇れるものなのか?俺にはそうは見えない』
「だ、黙れよっ!!化け物の分際で何を分かったような気で語ってやがるっ!!」
清水は明らかに狼狽えており、愛子を締め上げたまま陽和から無意識に距離をとっている。陽和の静かな眼差しに魂の底まで見抜かれているようで心底気味が悪くなったのだ。
『………無論、俺はお前の全てを知っているわけじゃない。だが、何も知らないわけではない。今のお前の姿や、王宮にいた頃のお前………そして、まだ学校にいた頃のお前の姿を俺は知っている』
陽和の言葉に清水は戸惑いを隠せない。彼の口ぶりからは明らかに自分のことを知っているようだったから。今の発言には淳史や奈々達も顔を見合わせてしまう。
そして、陽和の言葉にハジメ、優花、愛子は目を大きく見開いており、驚愕を隠さなかった。
陽和は周囲から向けられる疑惑や驚愕の眼差しを受けながらも、もう一歩踏み出した。
『……本当にこれがお前のやりたかったことなのか?少なくとも、俺にはそうは見えない。俺には……お前は苦しんでいるようにしか見えない』
「ッッ!?」
清水は陽和の言葉にビクンッと体を震わせると、首を横に何度も振りながらボソボソと呟く。
「だ、黙れ……黙れ……黙れ……」
口から溢れるのは拒絶の言葉。しかし、それは明らかに清水が動揺していることを示す何よりの証拠だった。
そして、自分の言葉は確かに彼の中で響いているのだと確信した陽和は、更に一歩踏み込んで声を張り上げようとした瞬間、眼を見開くと前に駆け出しながら叫ぶ。
『っ⁉︎避けろっ!!』
そう叫びながら、陽和は目にも止まらぬ速さで清水達との距離を詰めると清水達を横に突き飛ばした。
二人は一瞬の出来事に理解が追いつかず、呆然と陽和を見つめており、次の瞬間、蒼色の水流が陽和の脇腹を貫いたのを見た。
▼△▼△▼△
陽和が脇腹を貫かれた光景に誰もが衝撃を隠さなかった。しかし、その衝撃が収まる前に更にもう一本の水流が彼の顔面にも突き刺さり、仮面を砕いたのはほぼ同時だった。
だが、仮面に付与していた金剛のおかげか、頭部を貫かれることはなく、勢いよくのけ反った陽和は少し後ろに蹌踉めくと片膝をつく。
「ゴフッ」
片膝をついた陽和は脇腹から血を噴き出すと同時に、口からも血を少量吐いてしまう。
「「ソルっ!!」」
突然の事態に誰もが硬直する中、セレリアとハジメが陽和の名を呼びながら全力で駆け寄る。ユエやシアも一拍遅れて陽和に駆け寄った。そして、追撃に備えて陽和を守るように陣取る。しかし、陽和が噴き出す血も厭わずに声を張り上げた。
「俺のことはいいっ!!先生を優先しろっ!!針が掠った!!」
「っ、分かったっ」
額からどろりと溢れる血を片手で抑えながら陽和はハジメに愛子を優先しろと叫ぶ。
尻餅をついて呆気に取られている清水から少し離れたところで倒れている愛子の表情は真っ青になっており、手足が痙攣し始めていた。愛子は、陽和の声が聞こえていたのだろう。必死で首を横に振り視線で陽和を先にと訴えていた。言葉が出ないのはすでに毒素が回っていて話せないからだろう。このままでは数分どころか一分もかからずに彼女は死んでしまう。
ハジメは陽和の怪我の状態も鑑みると、一つ頷き“宝物庫”から試験管型の容器を取り出しながら愛子の元へと駆け寄っていった。
それを最後まで見送らずに陽和はキッと眼光を鋭くすると、瞳を竜化させて一気に視力を上げて、先程の水のレーザー“破断”の斜線を辿った。
すると、遠くで黒い服を着た、オールバックの魔人族の男が大型の鳥のような魔物に乗り逃走を図る姿が見えた。
「逃がさねぇっ!!」
陽和はそう叫びながら、頭上に雷と炎を複合させた槍を作り上げるとそれを掴むと地面を踏み締めて勢いよく投擲し、更に重力魔法と風魔法で一気に加速させる。
オールバックの男は、攻撃されることを予期していたのか、鳥型の魔物をバレルロールさせながら必死に回避行動を行ったが、細かい軌道調整によって避け切ることは叶わず片腕を吹き飛ばされた。
しかし、それでも速度を緩めずに一目散に遁走を図り、ウルディア湖の奥の林へと消えていった。
「くそっ、逃したかっ」
完全に逃してしまい苦い表情を浮かべると悔しそうに呟く。自分達の情報を与えてしまったと悔やむが、セレリアはそんなことどうでもいいと心配そうな声をあげる。
「そ、ソルっ、大丈夫かっ!?は、早く回復魔法をっ!」
どくどくと脇腹から血を噴き出し、額からも血を流している陽和にセレリアが焦燥を顕にしながら傷口に手を翳して回復魔法をかける。
確実に治癒され塞がっていく自分の傷口を見ながら陽和は、安心させるように小さく微笑んだ。
「……大丈夫だ。出血は派手だが致命傷でもない。顔面の方も面に付与してた“金剛”と咄嗟の竜鱗の防御のおかげで面が砕けるだけで済んだ」
「だ、だがっ、額からも血がっ……」
「……擦り傷程度だ。そこまで重傷じゃない」
そう彼女を安心させながら自分でも回復魔法を発動して傷を癒していく。その時、ティオも心配だったのか陽和に駆け寄ると、彼の傍に膝をついた。
「主殿!無事かえ?」
「……ティオ…あぁ大事ない。心配かけたな」
「主殿ならば死にはしないと思ってはおったが、流石に肝を冷やしたぞ」
ティオは脇腹を貫かれた直後に頭部にも水流が突き刺さった光景にゾッとしたものの、頭部は貫かれていなかったことから死に至る傷ではないと冷静に判断したのだ。
だが、それでもやはり惚れた男が一歩間違えれば死んだかもしれないと言うことは肝を冷やしたのだろう。その瞳は安心と恐怖が混ざり合っていた。
だから、陽和は血で汚れていない方の片手を伸ばして彼女の頭に手を優しく置いた。
「……大丈夫だ。心配してくれてありがとう」
「……うむ」
今ので安心したのだろう。ティオは一言そう返すと、今度こそ安堵に肩の力を抜いた。
それを見た陽和も内心で胸を撫で下ろした。
(……とにかく、間に合ってよかった)
正直、間一髪だった。
陽和は清水と話しながらも気配感知を全開で使い周囲の警戒を怠っていなかった。それは、魔人族の男が今も愛子を殺そうと隙を窺っているのではないかと考えていたからだ。自分達が前線に出ていた時に殺されていなかった以上、この対話の時間が最後の好機のはず。
その推測は正しく、実際に魔人族の男は遠方から様子を窺っていた。前線で暴れている間に暗殺を行わなかったのは、陽和達の規格外な実力に茫然自失していて機会を逃したからだ。
そして、清水が愛子を人質にしていたのを見て彼が殺せるなら任せようと判断し見届けようとしたが、陽和が清水に近づいていたのを見て確実に奪われると判断し、口封じも兼ねて清水ごと愛子を貫通特化の魔法で殺そうとしたのだ。
しかし、それは失敗した。それは、陽和の視界内で魔法を発動してしまったからだ。数キロ圏内を感知できる高度な感知技能に加えて、陽和は清水達の後方で何かが一瞬光ったのを見たからこそ、男の奇襲に反応できたのだ。それでも一瞬であった為、防御が間に合わず腹を貫かれはしたが、陽和だからこそ二人を庇えたのだ。
陽和の死角から魔法を放てば感知されることはあっても完全に避けられることはなかっただろう。愛子は庇えても清水の被弾は回避できなかったはずだ。
そして、陽和ならば脇腹を貫かれても致命傷にはならないし、頭部も面に付与した金剛と咄嗟の竜鱗のおかげで貫かれることはなく、彼が扱える回復魔法のことも考えれば被害はほぼゼロだった。
唯一気がかりなのは、毒針が掠っていた愛子だったが、ハジメが神水を使えば十分に回復が可能なはずだ。
「……俺の方はもう直ぐ回復できるとして、先生の方はどうなった?」
「うむ、それなら…………」
「ティオ?なにが……は?」
ハジメ達の方へと振り向いて硬直したティオに首を傾げた陽和は自分もそちらへと視線を向けると間抜けな声をあげて固まってしまう。セレリアも硬直している。
なぜなら、自身の視線の先でハジメが愛子に口付けをしている光景があったからだ。
「……Why?」
その光景を見た陽和は思わずアメリカンな英語を呟いてしまった。陽和達がポカンとしている間に愛子から口を離したハジメはしばらく愛子をじっと観察するように見つている。愛子は愛子でボーと焦点の合わない瞳でハジメを見つめていた。
何が起きたかわからない陽和は眉間に皺を寄せながら近くにいるシアに状況説明を求める。
「………とりあえず、シア、説明求む」
「………先生さんは毒が回っていて神水を自力で飲めないから、ハジメさんが飲ませたんです」
「………OK。把握した」
シアの簡潔な説明で陽和は納得を示す。
確かに愛子の小柄な身体では通常では数分で死ぬような毒でも一分でかなり危うい状況になる。その状態なのに自力で神水を飲めるわけがなく、誰かが飲ませるしか方法はなかった。確かに理にはかなっている。
しかしだ。
(生徒が教師に口移しで薬を飲ませる、かぁ………)
救命措置で一刻を争う状況だったのは分かるが、もう少し他にやりようがあっただろうに、と内心で思わずにはいられなかった。
そう呆れたように陽和がハジメ達を見つめる中、ハジメが愛子に呼びかける。
「先生」
「……」
「先生?」
「……」
「おい!先生!」
「ふぇ!?」
ハジメは愛子に容態を聞くため呼びかけるが、ハジメを見つめたままボーとして動かない愛子。業を煮やしたハジメが、軽く頬を叩きながら強めに呼び掛けると何とも可愛らしい声を上げて正気を取り戻した。
「体に異変は?違和感はないか?」
「へ?あ、えっと、その、あの、だだ、だ、大丈夫ですよ。違和感はありません、むしろ気持ちいいくらいで……って、い、今のは違います!決して、その、あ、ああれが気持ち良かったということではなく、薬の効果がry」
「そうか。ならいい」
非常にテンパった様子で、しどろもどろになりながら体調に異常はないことを伝える愛子に、ハジメは実にあっさりした返事をすると、愛子を支えていた腕をこれまたあっさり外した。
そして、愛子の無事が確認でき、生徒達や護衛騎士達が安堵に肩を撫で下ろす中、一人昇が愕然とした様子で呟いた。
「……お、お前……紅咲、なのか?」
『ッツ‼︎‼︎』
昇の言葉にその場にいた生徒達が弾かれたように陽和へと振り向く。視線を集めてしまった陽和は元々この結果を予想していたのか、何も返さずに申し訳なさそうな表情を浮かべて、苦笑いを浮かべていた。
「髪も目の色も違う。……でも、あの顔は紅咲だ」
「……本当に、紅咲君、なの?」
「……嘘」
「ヴァーミリオンさんが、紅咲、だったのか?」
「ま、マジかよ……」
昇の言葉に奈々達も次々と気づく。ソルレウス・ヴァーミリオンは、失踪したクラスメイト紅咲陽和その人だということを。
彼らは信じられないという驚愕の表情を浮かべている。ただ、これまでのことを鑑みてどつすればいいのかわからないという様子で呆然と陽和を見つめていた。
「あ、紅咲……?」
座り込んだまま微動だにしていなかった清水も自身を説得しようとした男が、自分を身を挺して守った男が、ただの化け物ではなく、自分たちのクラスメイトだったことに驚きを隠せていなかった。
一方、素性を知っていた優花や愛子は冷や汗を流して険しい表情を浮かべていた。
面が外れ素顔が顕になってしまったことは、状況的に仕方ないから責めはしない。そして、生徒達に見られてしまっても、自分達が詳しく事情を説明すれば分かってくれると信じていた。
だが、教会の騎士達にだけはバレたらまずい。彼らは絶対的に陽和を敵視しており、居場所が判明すれば王国軍や教会の騎士達を大量に送り込むのも辞さない。彼の顔もはっきりと覚えている彼らならば今この瞬間にもすぐに気づくことだろう。そうすれば、衝突も避けられない。
そんな二人の懸念は的中してしまう。
「紅咲?……ッツ、貴様、まさか『邪竜の後継者』紅咲陽和かっ‼︎」
「なにっ⁉︎」
「全員構えろっ!!」
デビッドが声を上げたのを皮切りに護衛騎士達は一瞬の驚愕の後血相を変えると即座に剣を抜いて陽和へと向ける。
しかし、デビッド達が剣を抜くとほぼ同時にセレリア達も迅速に動き、陽和を庇うように立つ。ハジメはドンナーを瞬時に抜き、セレリアやシアも各々の武器を構えており、ユエは右手からスパークを迸らせ、ティオは左手から炎を出していた。
即座に陽和を庇うように立ちはだかるハジメ達をデビッドが睨む。
「………貴様ら、その男を庇うことが何を意味するのか分かっているのか?」
「そんなことはどうでもいい。彼に手を出すのなら、誰であろうと容赦はしない。たとえ、それが教会や国でも……神であってもだ」
敵対することを辞さないと言外に宣言したセレリアにデビッドは歯軋りすると、怒りに叫ぶ。
「……その男は異端者だ‼︎‼︎この世界を滅ぼそうとしている邪悪な存在でしかないっ‼︎‼︎この世界を脅かす巨悪は排除しなければならないのだ‼︎‼︎これが最後の警告だ‼︎‼︎その男の身柄を引き渡せ。邪竜を匿っていたことはそれで帳消しにしてやる」
「却下だ。死んで出直してこい。クソ宗教の傀儡共が」
デビッドの最初にして最後の警告にセレリアははっきりと拒絶した。一触即発の状況で奈々達の間に緊張が走る中、教会の権威そのものを踏み躙った言葉にデビッドは一度大きく目を見開くと、瞳孔の開き切った瞳を向け、
「ならば、今ここで我らに裁かれて死ね」
あまりにも冷たく静かな声音でそう言った。
彼の頭の中には既に異端者とそれを庇う者達を殺すことしかなかった。他の者達も同様であり、その目には既に狂気しかなく、直後にはセレリア達を裁こうと駆け出した。
そして、両者激突すると思われた時、
「剣を下ろしなさいっ‼︎‼︎‼︎」
大気を震わせるような大声が響いた。
その場にいた全員がビリビリと響いた大声に動きを止めて、声の方向へと視線を向ければ、そこには愛子がいた。
彼女は明確な怒りをその表情に滲ませており、誰が見ても明らかに激怒しているのだと分かった。
初めてみる姿に、デビッド達だけでなく、ハジメ達ですら驚く中、愛子は歩き出すとハジメ達を背に立ちデビッド達に向き合い彼らを睥睨する。
「もう一度言います。剣を下ろしなさい。彼らを裁くことは私が許しません」
「なっ、正気か愛子っ⁉︎邪竜を庇うのかっ⁉︎」
デビッドの困惑と驚愕混じりの言葉に愛子は一度後ろへと視線を向ける。彼女の視線の先には座り込んでいる陽和がおり、驚愕に目を大きく見開いていた。愛子は彼の口の端から溢れている血や、脇腹から溢れて衣服を濡らした血の量に、一瞬顔を歪めると、改めてデビッド達へと振り向きはっきりと告げた。
「いいえ、私はただ私の大切な生徒を守っているだけです。それに以前から言っているはずです。彼は悪しき邪竜ではないと。友達想いの優しい生徒だと。そして、彼は、紅咲君は身体を張って私と清水君を守ってくれました。彼はもう私達の命の恩人ですっ。そんな彼に剣を向けると言うのなら、私は貴方達を何があっても許しませんっ‼︎‼︎」
「だ、だがっ、愛子も教皇様方から聞いているだろうっ‼︎そこの男は世界を滅ぼそうとしている危険な存在だっ‼︎愛子達のことも殺そうとしているんだぞっ‼︎‼︎それにそいつの力を見ただろうっ⁉︎今ここで殺さなければ取り返しのつかないことになるっ‼︎‼︎」
「なら聞きますが、私達のことを殺そうとしている人がどうして身体を張って私達を助けるんですか?」
「そ、それはっ」
愛子の問いかけに言葉を詰まらせるデビッドに愛子は詰め寄りながらさらに問いかける。
「どうして世界を滅ぼそうとしている人がわざわざ危険を冒してまで町を守る為に十万の魔物を相手に戦いますか?自分が手を下さなくていいなら、何もせずにとっととこの場から立ち去ればいいだけです」
「……ぐっ、それはっ、確かに、そうだがっ……」
正論に返す言葉がないデビッド。
確かに愛子の言う通りだ。世界を滅ぼそうとしている男が、神の使徒を殺そうとしている男が、どうして愛子達を身を挺して庇った?どうしてわざわざ十万の魔物と戦った?
それらの行動は明らかに矛盾しており、昔から聞いていた悪しき邪竜の所業とは思えなかった。それは誰もが感じており、愛子の言葉に反論することができなくなっていた。
反論できないと察した愛子は更に決定的な言葉を言い放った。
「納得できないのなら、彼だけでなく私も裁きなさい。あなた方にとっては私は邪竜を庇う異端者でしょうからね。その剣で私から先に斬って捨ててください」
「なっ、そんなことっできるわけがないだろうっ⁉︎」
陽和を守る為に自身の命を差し出そうとする愛子の言葉に、愛子信者たるデビッド達は出来はしないと困惑し、動揺を露わにする。
そんな彼らに愛子は冷たく言い放つ。
「それなら剣を下ろしてください。出来ないのなら、ここで貴方達とはお別れです。貴方達の護衛は不要です。即刻王都に帰ってください。勿論、紅咲君が素性を偽っていることを報告した際も同様です。その時点で貴方達のことは信用しませんので」
「なっ、何故っその男のためにそこまでするんだっ⁉︎生徒とはいえ所詮他人だろうっ⁉︎」
「何故ですって?」
愛子はデビッドの発言に眉を顰めると、毅然とした態度で当然のように答える。
「私は神の使徒である以前に教師です。教師として生徒を守るのは当然のこと。頼れる家族がいないこの状況でこの子達を本当に守れるのは教師である私だけなんです。私には、この子達を無事に家族の元へと連れ帰らなければならない義務があります。それはこの世界で何よりも優先すべきことです。紅咲君も私の生徒の一人です。それならば、私が守って当然でしょう」
「………っっ」
愛子の教師の矜持とも言える言葉にデビッド達は息を呑み、生徒達は愛子が本当に自分達のことを大切に思ってくれていることを改めて理解して内心で感謝し、中には涙ぐむ者達もいた。
息を呑み怯むデビッド達に愛子はもう一歩詰め寄ると、静かに口を開く。
「剣を下ろしなさい」
「………うっ………ぐっ……し、しかしっ……」
「下ろしなさい」
「……………………………………わ、分かった」
一度目は抵抗をしていたが、二度目にそうはっきりと言われたデビッドは、歯を噛み締めて悔しそうにしながらも長い逡巡の後についに剣を下ろした。
他の騎士達も一様に無念で仕方がない様子だったが愛子の言葉に従い、次々と剣を下ろしていった。
愛子は無念そうにしていてもこれ以上事を荒立てはしないと判断すると、彼らに視線を向けて紅咲へと近づく。
ハジメ達は素直に道を譲り陽和への道を開けた。
「先生……」
「紅咲君。お怪我は大丈夫ですか?」
「はい、魔法で問題なく……」
「そうですか。それは本当によかったです」
座り込む陽和に愛子は近づくと彼の前で両膝をついてしゃがみこむと容態を尋ねた。そして、彼自身の口から無事だと伝えられて漸く心の底から安堵した。
「改めて、本当にありがとうございます。貴方が身を挺してなければ、私と清水君はきっと死んでいたでしょうね……」
「……いいえ、気にしないでください。先生達が死ぬことは俺も望んではいません。それに、お礼を言うのは俺の方です。俺のことを庇ってくれてありがとうございます」
「そんなこと……私は貴方に大きな借りがあります。それを少しでも返せたのなら何よりです」
愛子は首を横に振りながら陽和の無事を喜び、感謝の意を示した。二人の様子に、ハジメ達や優花は安堵の息を吐く。
しかし、他の生徒達ー昇達は違った。どうすればいいか分からないという様子だった。教皇や教会の人間達からは陽和は悪しき邪竜の力を受け継ぎ世界を滅ぼそうとしていると聞かされていた。だからこそ、自分達は陽和のことを心のどこかで恐れてもいた。
だが、目の前の光景はどうだろうか。自分達のクラスメイトと先生を身を挺して守り、愛子とは親しげに会話をかわしている。あれのどこが、世界を滅ぼそうという残酷なことを考えている人間に見えるだろうか。
そんな中、一人の人間がか細い声で呟く。
「ど、どうして……」
戸惑い、驚き、そんな困惑を隠せないか細い声が小さく響く。全員がそちらに視線を振り向けば、座り込んでいる清水の姿があった。
「……清水」
陽和が静かに彼の名を呼ぶと、彼の方へと体を向けると少しの躊躇いののちにはっきりと告げた。
「………酷なことを言うが、清水、お前は見限られたんだよ。魔人族から」
「……えっ……」
「あわよくば先生と纏めて始末しようとしていたんだろう。お前が先生を人質に取ったのを見て、好機と判断して魔法を放ったんだ。口封じと先生の暗殺を両方成功させるために……」
「…………っつ」
陽和から現実を突きつけられた清水は、驚愕に目を見開くとその瞳を絶望一色へと染め上げてしまい力無く項垂れてしまう。顔を俯かせた彼は力無く笑った。
「は、ははっ、なんなんだよっそれ。モブは所詮モブってことかよ。都合が悪ければ捨てられる。俺には、こういうのがお似合いだってことかよ……」
「清水君………」
全てを諦めたように自暴自棄に嗤う清水の姿はあまりにも痛々しく、誰もが表情を歪める中、陽和が口を開いた。
「それは違う」
否定の言葉が静かに響く。全員の視線が陽和に集まる中、陽和はゆっくりと立ち上がり清水の前まで立ち上がるとドカッと座ると清水としっかり目を合わせる。
「お前がモブなわけがあるか。他の皆だってそうだ。脇役なんて一人もいない。皆が皆特別で主人公なんだ」
清水の絶望に染まる瞳を真剣な瞳で真っ直ぐ見返した陽和は全員へと視線を巡らせながら言葉を続けた。
「俺達はそれぞれ俺達の人生を歩んでいる。道を決めるのは俺達自身だ。物語を紡ぐのはいつだって、その人生の物語の主人公である俺達なんだよ。誰か他人の手によるものじゃない。俺達が俺達自身の意志で歩んで紡ぎ上げたものが人生なんだ。………ま、親父の受け売りなんだけどな。それでも、俺もそう思ってることに変わりはない」
陽和は最後にそう言うと肩を竦めながら苦笑いを浮かべる。『自分の人生は自分で作っていく』。当然と言えば当然で、深く考えるほどでもない言葉だ。しかし、彼の言葉に何か思うところがあったのか、全員が何か考えており、その場に静寂が広がった。
そんな中、陽和は苦笑いから一転して穏やかな笑みを浮かべる。
「清水、俺はさっきお前にとって『特別』とは何かと聞いたろ?でもな、今すぐにその答えは出さなくていい。難しい話だからな。すぐに出るようなものじゃない。ただな、天之河のことなんざ気にする必要ねぇよ。あのバカはお前と違って現実を見てない。何も考えずにただただ頼まれたからやってるだけの思考停止のドアホだ。お前の方が何百倍もマシだ。俺もあいつのことなんざもうどうでもいいしな」
「……は?」
急に『勇者』である光輝と比較して自分の方がマシだと言う言葉に思わず間抜けな声をあげてしまう清水。そんな彼に陽和は当然だろと言うとあっけらかんと告げた。
「いやいや、そうだろ?だって、十万の魔物の使役なんていう器用なことあいつには出来ねぇよ。今の俺にも難しい。訓練すればできるかもしれねぇけど、お前ほど効率よくはいかないだろう。うん、お前は十分凄いよ」
「…な、なんだよ急に。お前は何がいいてぇんだよ」
清水は困惑を隠さずに逆にそう尋ねてしまう。そんな彼に、陽和は待ってましたと言わんばかりにニッと笑みを浮かべた。
「つまりだ。あのバカのことなんざ気にしなくていいって言ってんだよ。不都合な現実を見ようともしないあいつとどんな形でもちゃんと現実を見て自分に出来ることをやったお前。どっちが人間として立派か。考えるまでもねぇだろ?」
「………」
「あのバカが『特別な存在』だって?いいや、あいつが特別ならお前はもっと特別だ。肩書きとステータスだけでチヤホヤされてるような現実を見ようとしないクソガキ。比較する価値もねぇよ」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら勇者である光輝を露骨にバカにする陽和に清水だけでなく昇達までもが絶句している。しかし、優花やハジメは肩を揺らしながら笑いを堪えていた。そんな中、ずっと顔を俯かせて何か考え込んでいた愛子が口を開く。
「…………ええ、彼の言うとおりですね。全くもってその通りです」
彼女の口から溢れたのはそんな言葉だ。全員が彼女を見れば、愛子は何かに呆れたような自嘲じみた笑みを浮かべていた。
「……私達はこれまで何度も天之河君の名前を皆さんとの比較に出してきました。確かに彼は優秀でした。ですが、彼と比較をすることこそが、清水君を追い込んでしまった要因の一つだったんですね」
愛子は呆れ笑いを浮かべながらそんなことを呟く。
教師として優秀な生徒を見本として彼、あるいは彼女のようにと比較する手法はよくあることだった。だが、それは言い換えて仕舞えば、その優秀な生徒を超えなければ自分という存在を真に認めてもらえないと言うこと。
どれだけ努力しようとも超えなければ比較され続けてしまうのだ。
その事実を、愛子はさっきの陽和の言葉で気付かされ、それが彼の心を追い込んだ原因でもあるとようやく気付いたのだ。
「私達はそれぞれ私達の人生を歩んでいる。道を決めるのは私達自身。物語を紡ぐのはいつだって、その物語の主人公である私達。……ええ、彼の言う通りです。どうして、私は今までそんな簡単なことにも気づかなかったんでしょうね。全くもって情けないです」
どうしてこんな簡単なことに今まで気づかなかったのかと、そう自分の愚鈍さを恥じる愛子。
十人十色。千差万別。その言葉通り、人にはそれぞれ良いところ悪いところあって皆違う。なのに、その良いところも悪いところも見ようとせずに、自分達教師は表面的なものだけで判断して、優秀な人間と比較しその人間の内面を見ようともしていなかった。
自分とは違ってまだ親の庇護が必要な年頃の子供達がそんな扱いをされ続ければどうなってしまうか、分かりきっていたはずなのに………。
「清水君が本当に望んでいたものを見ようともせずに、軽い言葉ばかりを並べていた私は、清水君の言う通り偽善者と言われても当然です。いえ、生徒をちゃんと見れていなかった私は、偽善ですらないただの愚者でしょうね」
「先生……」
自嘲気味に笑う愛子に陽和が思わず小さく呟いてしまう。彼としては彼女の言葉を否定したかった。先生は違うと。しかし、今の彼女に口を挟むことなどできなかった。
優花達も何か言いたげだったが、言い出せないでいた。
愛子は清水の前まで歩くと、陽和の隣で両膝をついて座り彼と目線を合わせると、
「紅咲君の一件から私は教師として生徒達のことをちゃんと見るとそう誓ったはずなのに、私は貴方が苦しんでいることにも気づけなかった。そんな私では悩みを打ち明けてくれないのも仕方ありません。………今まで貴方を苦しめてしまった事。本当に申し訳ありません」
両手をついて頭を地面につくぐらいに深く下げたのだ。いわゆる、土下座をした事に清水はギョッと目を丸くしてしまう。優花達やデビッド達までもが驚く中、ゆっくりと頭を上げた愛子は清水の手を最初の時と同じように握ると、優しく語りかける。
「……ですから、私にもう一度だけチャンスをくれませんか?」
「……チャン、ス?」
目を丸くしたまま反芻する清水に愛子は「はい」と頷くと、自分の決意を改めて告げた。
「もう同じことは繰り返しません。私は今度こそ生徒一人一人の心をちゃんと見てあげることのできる先生になると誓います。だから、清水君……もう一度だけ、私を貴方の先生でいさせてください。お願いします」
そう言ってもう一度深々と頭を下げる愛子に清水は何も言えない中、隣に座る陽和が真剣な表情で口を挟んだ。
「清水、俺からも頼む。お前のこれからにあれこれ口を出すつもりはない。だけど、一度だけでいい。どうか先生を、信じて欲しい」
陽和もまた愛子と同じように頭を下げた。
ハジメ達がその様子を固唾を飲んで状況を見守る中、清水は混乱を隠せなかった。
(……なんだよ。……どうなってんだよ、これ……)
どうしてこんなことになったのか本当に分からない。
契約した魔人族に切り捨てられた今、もう自分には生きる意味すら無くなった。どうせこのまま牢獄に送られるのだと思ってもいた。
だが、結果はどうか。自分が殺そうとした先生が頭を下げ、自分が恐れていた男までもが先生を信じてほしいと頭を下げてきた。
(教師なんて皆偽善者だろっ。どうせ、また繰り返すに決まってるっ)
清水は教師という人種を信じていない。
これまでのことを見ても、教師なんて生徒を本当に見ようとはせずに体面ばかりを気にするような存在だと決めつけていた。
目の前の愛子だって、他の教師よりはマシかもしれない。しかし、所詮は教師。反省せず同じことを繰り返し自分を見ようとしないはずだ。光輝のせいで日影者になった自分を見つけてくれる人なんているはずがない。
魔人族に契約を持ちかけられた時、嬉しかった。自分を見てくれる人間がいたことに。ここでなら自分は日影者にならなくて済むと。だけど、最終的に裏切られた。
勇者だと言ってくれた者にも切り捨てられた。それなら、この先どうあっても自分は暗闇から抜け出すことはできない。清水の傷ついた心ではそれ以上の結論には至らなかった。
(また繰り返されるなら、もういっそのこと……)
仮に戻ったときても再び冷遇される未来を想像してしまい清水は恐怖に顔を青ざめると、愛子の手を振り払おうと手に力を込める。しかしだ。
「ッツ‼︎」
手が振り払えなかったのだ。力を込めた瞬間、自分の手を掴む愛子が優しく手に力を込めたからだ。そして、顔を上げた愛子の瞳を見た清水は息を呑んだ。
自分を見つめる愛子の瞳はあまりにも真っ直ぐだったのだ。それはこれまで自分が見てきた教師達の瞳とは違う。契約を持ちかけた魔人族とも違う。
あれは、本当に人を見ようとしている人間の眼だと。清水でもわかってしまったのだ。
その時、不意に陽和の言葉が脳裏で響いた。
『あのバカのことなんざ、気にしなくていい』
その言葉に、清水は陽和が一方的に悪者にされた事件を思い出した。光輝の発言によって陽和は『悪』となった。しかし、清水は分かっていた。陽和の言い分が正しく光輝の言い分が間違っていたことを。
ハジメと親しい様子や檜山達がハジメを虐めていた事実も知っていた。だからこそ、その背景がありながら陽和が悪者にされた時、どんな背景があろうとも、どれだけ事実があろうとも、光輝が優先されるのだと理解してしまったのだ。正直、教師の対応に清水は恐怖すら感じていた。
だが、当事者であるはずの陽和は全く折れていなかった。
絶対的な『悪』にされたにも関わらず、彼は怒りに歪むわけでも、学校の対応に絶望し不登校になるわけでもなく、普段通りの日常を過ごしていたのだ。
しかも、この世界に来てからは伝説の邪竜の力を受け継ぐ存在として教会から指名手配され追われる身となった。
この世界でも、学校にいた頃と同じように絶対的な『悪』にされているのに、彼はそれでもなお、学校の時と変わらずに強く在り続けていた。
誰よりも光輝によって人生を踏み躙られてきたはずなのに、誰よりも光輝に対して思うところがあってもいいはずなのに、あろうことか『どうでもいい』と言ったのだ。
「…………」
顔を上げた清水はチラリと陽和を見る。
愛子の隣で事の成り行きを見守っていた陽和の眼差しは穏やかな輝きを宿していた。
その穏やかな輝きは、とてもではないが世界を滅ぼそうとする凶悪な人間が持てるようなものではないと清水でも分かってしまった。
(何で…お前は、そんなに……)
清水は陽和が自分よりも辛い境遇にあるはずなのに、自分なんて比較にならないほどに真っ直ぐに未来に向けて歩き続けていることが分からなかった。
けれど………清水は、その時彼の瞳を見て気付いた。
(ああ……そうか………)
自分のことを本当の意味で漸く見てもらえたからこそ分かった。『特別』とか『勇者』とか形の定まっていない曖昧なモノに執着し本当の望みを見失っていた自分だったからこそ分かった。
目の前の『彼』のように、誰かの言葉に惑わされることなく、自分の足で未来へと進み続けている者こそ、きっと———
(きっと……お前みたいな奴が………『英雄』って呼ばれるんだろうな……)
『英雄』と呼ばれるのだと、清水幸利は気づいたのだ。
そう思ったら、清水は暗く濁り淀んでいた心にずっと巣食っていたモヤモヤが消えて、ふと軽くなったように感じた。
「は、ははっ……」
清水は顔を俯かせると肩を震わせながら小さく笑う。その様子に、周囲の者達は今度は何をするかだと身構えるが目の前の二人は何もせずに静かに清水を見守っていた。
「ああ、くそっ……敵わないなぁ……」
そんな呟きと彼の顔からポタポタと雫が幾度と溢れる。それが涙だと周囲が気づいた時、清水は涙を流しながら小さく呟いた。
「………俺の、負けだ」
それは事実上の降参宣言にして、愛子達の言葉を受け入れたと言うことだ。
清水が自分達の言葉を受け入れてくれたことに愛子と陽和は顔を見合わせて喜び、ハジメ達も清水が敗北を認めたことに肩を撫で下ろした。
こうして、ウルの町襲撃事件は漸く終わりを告げた。
というわけで、今作での清水はハジメにピチュンされることはなく、陽和と愛子に救われると言う救済ルートにしました。
個人的に原作でのこの場面はいくらなんでも…と思ってた部分でして、陽和が光輝や檜山達以外のクラスメイトを大切に思っているからこそ救いの手を差し伸べました。
そして、愛子先生。原作よりもだいぶ精神的にたくましくなったんじゃないでしょうか。大切な生徒を守る為に自分の命を賭けようとするその在り方は原作では大分後になって身についた心構えでしたが、陽和という存在が愛子にこの時点で揺るぎない覚悟を持たせるようになりました。