淡い緑色の光だけが頼りの薄暗い地下迷宮に、激しい剣戟音と爆音が響く。その激しさは苛烈と表現すべきもので、時折、遠く離れた場所でも迷宮の壁が振動するほど。
銀色の剣閃が虚空に美しい曲線を無数に描き、炎弾や炎槍、風刃や水のレーザーが弾幕の如く飛び交う。強靭な肉体同士がぶつかり合う生々しい衝撃音や仲間への怒号、裂帛の気合を込めた雄叫びが、本来静寂で満たされているはずの空間を戦場へと変えていた。
「万象切り裂く光、吹き荒ぶ断絶の嵐、舞い散る百花の如く渦巻き、光嵐となりて敵を刻め!———“天翔裂破”!」
聖剣を腕の振りと手首の返しで加速させながら、自分を中心に光の刃を無数に放つのは、『勇者』の天職を持つ天之河光輝だ。
今まさに襲い掛かろうとしていた体長50センチ程の蝙蝠型の魔物は、十体以上の数を一瞬で細切りにされて、碌な攻撃もできずに血肉を撒き散らしながら血に落ちた。
周囲では光輝の他にも龍太郎や雫、重吾らが前衛として鍛え上げた武技を持って、襲いかかる魔物達と戦闘を繰り広げていた。
「前衛!カウント10!」
「「「了解!!」」」
その時、前衛が守る後衛からタイミングを合わせた魔法による総攻撃の発動カウントが告げられる。
彼らがいる場所は『オルクス大迷宮』の八十九階層。彼らがいる直径三十メートル程の円形の部屋には八つの横穴があり、そこから、ギチギチと硬質な顎を動かす蟻型の魔物。宙を飛び交う蝙蝠型の魔物。そして無数の触手をうねらせるイソギンチャク型の魔物などの無数の魔物が溢れ出していたのだ。
そして、前衛が後衛を守るように陣を組んでいる中、一人他の前衛よりも並外れた攻防を繰り広げるものがいた。
「———“流水剣舞”」
艶やかな黒のポニーテールを靡かせ、青色に輝く剣を振るう彼女は、流水のような動きで舞い踊りながら迫り来る魔物達をバラバラに次々と切り裂いていく。
『勇者』である光輝よりも素早い動きで彼以上の数の魔物を葬っていく少女は、八重樫雫。
現在、オルクス大迷宮で戦い続けている召喚者達の中で、勇者である光輝と並ぶ二大トップの一角、いや、単純な強さならば実質パーティー最強の女剣士だ。
「“水刃”!!」
彼女は水を纏う剣を目にも留まらぬ速さで振るい、魔物達を切り裂いていく。
彼女の瞳は既に青く輝き縦に割れていたことから、陽和より授けられた技能『赤竜帝の恩恵』を発動し、強化されたステータスと水属性魔法で魔物達を圧倒していた。
彼女が担当している方面は魔物の取りこぼしがなく、もはや斬撃の結界とも称すべき彼女の間合い内で悉く切り裂捨てられていた。
しかし他は別で、厄介な飛行型である蝙蝠型の魔物が、前衛組の隙をついて後衛に突進するが、頼りになる“結界師”がそれを阻んだ。
「刹那の嵐よ、見えざる盾よ、荒れ狂え、吹き抜けろ、渦巻いて全てを阻め———“爆嵐壁”!」
天職“結界師”の谷口鈴の攻性防御魔法が発動した。
後衛の一歩前に出た彼女の、突き出した両手の先に微風が生じる。しかし、見た目は何も変わらず、蝙蝠型の魔物は突撃しようとするものの、その手前で空気の壁と言うべきものが魔物の突進に合わせて撓んだ。
そして、全ての蝙蝠モドキが撓む空気の壁に衝突した瞬間、空気の壁が凄絶な衝撃と共に爆発したのだ。その破壊力は凄まじく、粉砕された個体もいれば、壁まで吹き飛ばされ絶命する個体もいるほどだった。
「ふふん!そう簡単には通さないんだからね!」
「後退!!」
鈴が得意げな声を上げた直後、光輝が号令を出して前衛組が一斉に魔物達から距離をとる。
次の瞬間、完璧なタイミングで後衛六人の攻撃魔法が炸裂。ほんの数十秒だったが自然の猛威がそのまま牙を剥いたかのような攻撃に魔物達の9割が絶命し、残る1割も瀕死の重傷を負っており五分とかからずに魔物達は殲滅された。
戦闘が終了し、光輝達達が油断なく周囲を索敵しつつ健闘を称え合う。
「ふぅ、次で九十階層か……この階層の魔物も難なく倒せるようになったし……迷宮での実戦訓練も、もう終わりだな」
「おうよ!今の俺らなら何が来たって蹴散らせる!それこそ魔人族が来てもな!」
感慨深そうに呟く光輝に脳筋の龍太郎が豪快に笑うと、二人で拳を突き合わせて不敵な笑みを浮かべた。普段ならここで雫が「気を抜いちゃダメよ」と注意の一つくらいするのだが、とうの雫は剣を鞘に納め、一人洞窟の先の闇をじっと見ていた。
(………陽和)
思うのは離れ離れの恋人のこと。ベヒモスとの戦闘を経てから雫達一行は順調にオルクス大迷宮の攻略を進めていった。そして、これまでの階層全てに壁面が焼けて焦げていたり、砕かれていたりと激闘の痕跡があった。
殆どがそれが何を意味しているのか気づいていないが、雫、香織、重吾、メルドはそれらが陽和の戦闘痕だと容易に気づくことができた。
たった一人で階層を次々と攻略していき、自分達よりも遥かに早くその先へと進んでいるのだと。
そして、次々と陽和の痕跡を見てきた雫はふと一つの可能性に行き着いた。彼はもう既にオルクス大迷宮を攻略して外に脱出しているのではないのかと。
もしかしたら、ハジメのことを救けることができて、二人で仲良く世界を旅しているのではないかと。
都合のいい幻想かもしれない。でも、そうだったらいいなと雫は密かにほくそ笑んだ。
「雫ちゃん、怪我はない?」
雫が一人ほくそ笑んでいた時、怪我人の治療を終えた香織が近づいて声をかけてくる。雫は自分の身を案じてくれる彼女に微笑む。
「私は大丈夫よ、香織」
「うん、それなら良かったよ」
自分で見た限りでも雫が怪我一つないことを確認して安堵の息を吐いた香織は、奥へと続く薄暗い通路を憂いを帯びた瞳で見つめ始めた。
「…………」
香織の心情は手に取るようにわかる。不安でいっぱいなのだ。陽和の痕跡は次々と見つかっているのに対して、ハジメの痕跡は僅かも見つかっていない。
希望ではあるが、同時に強い絶望でもある。
彼女は自分自身の目で確認するまでハジメの死は信じないと心に決めても、階層を攻略して行く度に何一つ見つからないことに不安が募るのは仕方のないことだ。
まして、ハジメが奈落に落ちてから既に4ヶ月が経過している。心を強く保っても、暗い思考が生まれてしまうのは無理もない。
自身のアーティファクトである白杖を、まるで縋り付くようにギュッと抱きしめる香織の手に雫がそっと手を添えた。
「あと十階層よ。…‥頑張りましょう、香織」
親友が折れないようにと喝を入れる意味合いを含み、雫はそう言ってまっすぐな眼差しを香織に向けた。香織はそんな彼女の眼差しに、自分が弱気になっていたことを自覚すると、喝を入れるために両手で頬をパンッと叩くき、強い眼差しで雫を見つめ返した。
「うん。ありがとう、雫ちゃん」
「ええ」
自分も恋人と離れ離れになって辛いはずなのに自分のことを支えてくれる。香織は彼女の優しさを実感しながら柔らかな表情と共に感謝の意を伝えた。
「陽和だけじゃない。きっと南雲君もどこかで戦ってるはずよ」
「今なら……南雲君を守れるかな?」
「ええ、きっと守れるわ。あの頃とはもう違うわ。……でも、ふふ、そうね、南雲君も陽和みたいに強くなってるかもしれないわね?もしかしたら、二人で一緒にどこかで冒険してるかも」
「ふふ、それが一番理想だね」
香織の言葉に雫は冗談めかしてそんなことを言う。実は全くその通りで、後々に色々とあるのだが……そのことを知るのは少し先の話だ。
ちなみに、この場にメルド達王国騎士達はいない。彼らは悲しくも実力的にリタイアしてしまい、三十階層へ繋がる七十階層の転移陣の警戒を努めているのだ。そのため、今は光輝達は自力で完全踏破を目指している。
そして、オルクス大迷宮での実戦訓練を経た彼らの実力は、既にこのトータスにおいて最高位と称すべき段階にまで至っていた。
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天之河光輝 17歳 男 レベル:72
天職:勇者
筋力:880
体力:880
耐性:880
敏捷:880
魔力:880
魔耐:880
技能:全属性適正[+光属性効果上昇][+発動速度上昇]・全属性耐性[+光属性効果上昇]・物理耐性[+治癒力上昇][+衝撃緩和]・複合魔法・剣術・剛力・縮地・先読・高速魔力回復・気配感知・魔力感知・限界突破・言語理解
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坂上龍太郎 17歳 男 レベル:72
天職:拳士
筋力:820
体力:820
耐性:680
敏捷:550
魔力:280
魔耐:280
技能:格闘術[+身体強化][+部分強化][+集中強化][+浸透破壊]・縮地・物理耐性[+金剛]・全属性耐性・言語理解
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白崎香織 17歳 女 レベル:72
天職:治癒師
筋力:280
体力:460
耐性:360
敏捷:380
魔力:1380
魔耐:1380
技能:回復魔法[+効果上昇][+回復速度上昇][+イメージ補強力上昇][+浸透看破][+範囲効果上昇][+遠隔回復効果上昇][+状態異常回復効果上昇][+消費魔力減少][+魔力効率上昇][+連続発動][+複数同時発動][+遅延発動][+付加発動]・光属性適性[+発動速度上昇][+効果上昇][+持続時間上昇][+連続発動][+複数同時発動][+遅延発動]・高速魔力回復[+瞑想]・言語理解
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光輝や龍太郎も初期から比べれば大分ステータスが上がっていた。ハジメを助けることを志した香織は回復魔法と光魔法が極まっていた。特に回復魔法は異常すぎるほどの数の派生技能を開花させている。技能数だけ見れば勇者の光輝を超えている。
それもこれも、全ては二度と約束を違えないようにするため。生存を信じて、今度こそ想い人を守るため。寝る間も惜しんで、ひたすら自分にできることを愚直に繰り返してきた結果だ。
そして、強くなることを志しているのは香織だけではない。『赤竜帝』として覚醒した陽和に恩恵と加護を与えられた雫もだ。
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八重樫雫 17歳 女 レベル:80
天職:剣士
筋力:860 [恩恵発動時+4000]
体力:870 [恩恵発動時+3000]
耐性:630 [恩恵発動時+3000]
敏捷:1340 [恩恵発動時+6000]
魔力:800 [恩恵発動時+3000]
魔耐:790 [恩恵発動時+3000]
技能:剣術[+斬撃速度上昇]][+抜刀速度上昇][+刺突速度上昇][+流水剣舞]・縮地[+重縮地][+震脚][+無拍子][+瞬動]・先読・気配感知[+感知範囲拡大]・隠業[+幻撃]・言語理解・赤竜帝の恩恵・水属性適正[+魔力操作][+想像構成][+効果上昇][+耐性上昇][+消費魔力量減少]
※赤竜帝の恩恵 赤竜帝が想い絆を結んだ相手に恩恵と加護を与える技能。潜在的な適正属性を付与。ステータスを超上昇させる。
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雫も雫で極まっていた。
派生技能数こそ香織には劣る。しかし、単純なステータスならば、眷属化の影響もあり光輝に匹敵しようかと言うほどだ。しかも、『赤竜帝の恩恵』による超強化の恩恵もあり、それも踏まえればステータスを一時的に3倍に上昇させる技能“限界突破”を使った光輝を凌駕するほどだった。
この成長は惚れた男のそばで戦うために、ひたすら自分の力を高め続けた結果のものだ。
なお、このステータスの詳細を知るのは陽和の事情を把握している者達のみだ。光輝達は把握していない。
「そろそろ、出発しよう!」
戦闘を終え休憩をしていたメンバーに光輝が号令をかけ、探索を再開させた。問題なく出発して九十階層への階段も見つけ、九十階層へと踏み込んでしばらく探索を続けていたのだが……やがて、疑問が生じた。
「……どうなっている?なんで、これだけ探索しているのに、ただの一体も魔物に遭遇しないんだ?」
光輝が足を止めて困惑に表情を歪めながら、遂に疑問に声を漏らした。
九十階層の探索を始めてから3時間程度。既に探索は半分ほど終えたのだが、これまで一度も魔物と遭遇していない。
最初こそ、物陰から観察しているのかと思ったが、索敵を試みてもそれらしい存在はいない。魔物が蔓延る大迷宮内で、この階層のみ魔物の気配がないと言うのはいくらなんでもおかしいのだ。
「……なんつぅか。不気味だな。最初からいなかったのか?」
龍太郎がそんな可能性を呟き、周りのメンバーも口々にさまざまな可能性を話し合うが一向に答えは見つからず謎は深まるばかり。
「………光輝、一度戻って団長の指示を仰ぎましょう。何か危険な感じがするわ。メルド団長達なら、こう言う事態についても何か知っているはずよ」
「俺も同意だ。これはどう考えても普通じゃない。一度戻るべきだ」
雫だけでなく重吾が警戒心を強めながら、光輝にそう提案した。
この階層に踏み入った直後から雫は胸騒ぎが止まらなかった。何かいいようのない不安が胸の中で渦巻き、この階層は危険だと本能が警鐘を鳴らしていたのだ。雫の様子からそれを察した重吾も万が一に備えて戻るべきだと提案する。
光輝は二人の提案に逡巡する様子を見せた。二人の言う通り、なんとなく嫌な予感を覚えているのは同じだ。慎重を期するなら、確かに戻るのが最善手。
しかし、大きな障害があったとしても、自分達は打ち破って進まなければならず、漠然とした不安感だけで撤退するのは抵抗があったのだ。また、八十九階層で余裕で戦えたことから、自分達ならば大丈夫だとも根拠のない自信もあった。
もしもここに陽和がいたのならば、逡巡する光輝を見て『この大馬鹿が。それだからお前は糞餓鬼なんだ』と、侮蔑と嫌悪を顕にしながら吐き捨てたことだろう。
そうして光輝が迷いを見せていると、不意に、周囲を注意深く観察していた遠藤が何かに気づき、緊張を滲ませた声を上げた。
「これ……血……だよな?」
「薄暗い壁の色と同化しているから分かりづらいが……あちこちについてるな……」
「おいおい……これ……結構な量なんじゃ……」
遠藤に続き同じパーティーメンバーである重吾や野村も気づき、険しい表情を浮かべたり、顔を引き攣らせる。他のメンバーも、周囲に飛び散る夥しい量の血痕に顔色を青くした。
「全員戦闘態勢を取りなさいっ。今すぐにっ」
「し、雫っ?」
周囲の血痕を見た雫がすぐさま声を張り上げると戦闘態勢に入る。それに応えたのは重吾と香織だけだ。二人は拳と白杖を構えて雫と同じように周囲を警戒する。
二人だけが気づいた。雫がここまで警戒心を顕にすると言うことは、それはつまりもう既に何かがあるということを。
重吾達に一瞬遅れ、重吾パーティーのメンバーが彼らに倣って戦闘態勢を取るも、それ以外のメンバーは戦闘態勢を取らずに困惑するばかり。そんな彼らに雫は洞窟の奥の闇から視線を外さないままはっきりと告げた。
「光輝、ここまで死体の痕跡がなかったのにこの部屋ではあった。それはつまり、何者かが魔物を襲った痕跡を隠蔽してたってことよ」
「っ!!」
「そして、この部屋だけ痕跡があるのは、隠蔽が間に合わなかったか、あるいは罠としてあえて残したってこと。でも、多分状況的にこれは後者。つまり、私達は今敵にまんまと誘き寄せられたってことよ」
———お見事。その通りさ。
雫が自身の推測を口にした突如、聞いたことのない女の声が広間に反響し、パチパチと拍手の音が聞こえる。男口調のハスキーな声音に、光輝達はギョッとなって慌てて戦闘態勢になりながら声のする方向、雫が睨んでいる方向へと視線を向けた。
コツコツと足音を響かせながら、闇の中からゆらりと現れたのは、燃えるような赤い髪をした妙齢の女性。その女の耳は僅かに尖っており、肌は浅黒い。彼女の隣にはローブで全身を隠した2メートルはあろう大柄の人影。体格からして男だろう。
顔が見えない大男はともかく、女の特徴に光輝達は驚愕に目を見開く。なぜなら、女のその特徴は実際に見たことはなくとも、イシュタル達から嫌と言うほど叩き込まれたとある種族の特徴。聖教教会の掲げる神敵にして、人間族の宿敵なのだから。
「……魔人族」
誰かの発した呟きを肯定するように、女魔人族はうっすらと冷たい笑みを浮かべた。
突如現れた女は、口元の冷笑を消さないまま、驚きに目を見開く光輝達を観察するように見返す。
瞳の色は髪と同じ燃えるような赤。服装は艶のない黒一色のライダースーツのようなものをまとっている。体にピッタリと吸い付くデザインなので彼女の見事なボディラインが丸わかりとなってしまい、どこか艶かしい雰囲気なのもあって、こんな状況に関わらず一部の男性陣は頬が赤く染まった。
パチパチと拍手をしていた魔人族ーカトレアは雫に感心の視線を向けると賞賛する。
「いやいや、よく気づいたものだよ。どうやらあんたが一番頭が回るようだね。……でも、あんたは勇者じゃないみたいだ。となると、勇者は……あぁアンタかな?そこのアホみたいにキラキラしてる鎧を着ているアンタ」
「あ、アホ……う、煩い!魔人族なんかにアホ呼ばわりされる謂れはないぞ!それより、なぜ魔人族がこんなところにいる!」
あんまりな物言いに軽く頭に来た光輝が、その勢いで驚愕から立ち直りカトレアに目的を問いただした。
雫へと感心の目を向けていたカトレアは、煩わしそうに光輝の質問を無視すると呆れの眼差しを向け頭を振った。
「なんとまぁ直情的な子供だねぇ。これが勧誘対象の勇者様だって?本当に有用なのかねぇ。むしろ、害でしかないと思うんだけど……まぁ、命令がある以上、是非もないんだけどね」
そして、どこか物凄く嫌そうな雰囲気を漂わせつつ、カトレアは意外な言葉を放った。
「あんた、そう無駄にキラキラした一応勇者のあんた。あたしらの側に来ないかい?」
「な、なに?来ないかって……どう言う意味だ!」
「はぁ?飲み込みが悪いね。そのまんまの意味だよ。勇者君をあたしら魔人族側に来ないかって勧誘してんの。色々と優遇するよ?どうする?」
完全に予想外の言葉に光輝は理解するのにしばし時間を要し、やがて理解すると他のメンバーの視線を受けながら、呆けた表情をキッと引き締めてカトレアを睨みつけた。
「断る!人間族を、仲間達を、王国の人達をっ、裏切れなんて、よくもそんなことが言えたな!やっぱり、お前達魔人族は聞いたた通り邪悪な存在だ!わざわざ俺を勧誘しに来たようだが、たった二人でやってくるなんて愚かだったな。多勢に無勢だ。投降しろ!」
光輝の威勢のいい啖呵が響く。
しかし、断固拒否の回答を叩きつけられたカトレアは僅かに目を細めて観察するような眼差しを向けただけで、特に気にした様子も見せないどころか、更に情報した条件を提示した。
「一応、お仲間も一緒でいいって上から言われてるけど?それでも断るのかい?」
「答えは同じだ。何度言われても、裏切るつもりなんて一切ない!」
やはり、微塵の躊躇いもなく即答する光輝。
そして、そんな勧誘を受けること自体が不愉快だと言わんばかりに、聖剣に光を纏わせて交戦の意志を見せる。
そんな光輝の行動に雫と重吾は内心で舌打ちする。
二人は場合によっては一度、嘘をついてカトレアに迎合してでも場所を変えるべきだと考えていた。しかし、それを伝える前に光輝が勝手に一人で話を終わらせてしまったので、周囲を警戒する他なかった。
そもそもだ。魔法に優れた魔人族とはいえ、こんな場所にたった二人で来るわけがない。二人でこの階層の魔物を無傷で殲滅し、あまつさえ痕跡すら残さないなどできるわけがない。そんなことができるなら、とっくのとうに人間族は魔人族に蹂躙されていたはずだろう。
しかも、先ほど雫の推測をカトレアはその通りだと肯定した。それはつまり、ここは完全に彼女のフィールドであり、何かしらの策を事前に用意していることは明らかだった。
そして、光輝が断った時点で『赤竜帝の恩恵』を発動していた雫は一つ最悪の事実に気づいてしまった。それは、
(あの女の隣にいる人……尋常じゃないっ!この状態の私よりも強いなんてっ!?)
雫は内心で驚愕を隠せずに冷や汗を流す。
カトレアの隣に控えている大男。ローブを纏っており素顔は分からない。だが、纏う気配だけでも分かる。竜の恩恵を得ている雫が感知した限り、その大男の強さは、強化された自分よりも強い手合いだと看破してしまったのだ。
それが意味することは、自分達は既に圧倒的不利な状況に追い込まれていると言うことだ!
そんな危機感はすぐに正しいと証明される。
「……そう。なら、あんたに用はない。言っておくけど、あんたの勧誘は絶対ってわけじゃないよ。命令は、“可能であれば”だ。状況によっては、排除の命令も出てる。殺されないなんて甘いことは考えないことだね。ルトス、ハベル、エンキ、餌の時間だよ!」
カトレアが三つの名を呼ぶのと同時に、バリンッ!と言う破砕音と共に、雫の気合いの声と重吾の苦悶の声が聞こえたのは同時だった。
「シィッ!!」
「ぐぁっ!?」
雫は虚空に水纏う剣を振り抜いて迎撃するも、重吾は迎撃敵わず吹っ飛ばされる。突如、自分達の左右の空間が揺らいだかと思えば、“縮地”もかくやという速度で何かが接近して後衛組に襲いかかってきたのだ。
初めから、最大限の警戒網を敷いていた二人だけがその奇襲に反応したのだ。ただし、迎撃できたのは雫だけ。雫は揺らいだ空間に向けて剣を数度振るって迎撃。虚空の中から血が噴き出したのを見た。
重吾は身体強化と金剛を重ねがけした要塞の如き防御を以ってしても、防御を突破されてしまい深々と両腕を斬られ、血飛沫を撒き散らしながら後方にいたもの達にぶつかり、かろうじて地面への激突を避けれたと言う有様だ。
ガラスが割れるような破砕案は、鈴が本能的な危機感に従って咄嗟に展開した障壁が砕け散った音だ。
後方に障壁を展開したおかげで、後衛組が襲われることはなかったものの、障壁破砕の衝撃をもろに浴びて後方へ吹き飛ばされた。
雫に迎撃された揺めき以外の二つが、間髪を入れず追撃にかかる。手傷を負わされた重吾や鈴は勿論のこと、突然の襲撃に反応しきれていない後衛組には、なす術がない。
仲間の命が散る。そう思われた、次の瞬間。
「護光で満たせ!———“回天”“周天”“天絶”!」
「“飛水刃”“水刃鞭”!」
二人の少女の声が響き渡る。
片や香織が無詠唱かと思うほどの詠唱省略で三つの光属性魔法を、片や雫が無詠唱無陣で三つの水属性魔法を発動した。
光属性中級魔法“回天”で重吾の傷を尋常じゃない速度で癒していく。次いで、少しでも気を逸らせばすぐに見失いそうな姿なきゆらめく三つの存在に、重吾に降り注いでいたのと同じ白菫の光を纏わり付かせる。すると、その光はふわりと広がり、空間に光の輪郭を出現させた。
光属性中級回復魔法“周天”。回復量は小さいが一定時間ごとに自動で回復させる魔法であり、発動中は対象に魔力光がまとわりつくと言う特徴がある。
香織はその特性を利用し、回復量を最小限にした上で不可視の敵をマーキングしたのだ。
白菫の光により現れた姿は、ライオンの頭部に竜のような手足と鋭い爪、蛇の尻尾と鷲の翼を背中らから生やす奇怪な魔物だ。命名するならキメラだろう。おそらく、迷彩の固有魔法を持っているのだろう。確かに厄介であるが、行動中は空間が揺らめいてしまうと言う欠点は不幸中の幸いだった。
なにせ、トップクラスの防御力を持つ重吾の防御を一撃で破ったのだから。今までの階層の魔物とは強さが隔絶しており、明らかにこの九十階層で遭遇していい魔物じゃない。
白菫の光に包まれ露わになったキメラ達に雫の魔法が放たれる。目にも止まらぬ速さで剣を振るい水の刃を複数放つ。
「「「グルァアアアアッッ」」」
纏わりつく光など知ったことかと雄叫びを上げながら追撃をしようとしたキメラ達は、飛来する半円状の水刃を前に回避行動をとった。
先程、雫に迎撃され前脚に裂創を刻まれたキメラを見ていたからだろう。このままでは斬られると悟りすぐさま後退する。
そこに雫が追い打ちを仕掛ける。剣に纏わせた水を伸長させ渦巻かせて水流の鞭を生み出すと、それを振るってキメラ三体を纏めて狙ったのだ。
「「グルァアッ!?」」
「グゥッ!」
水流の鞭は追撃を仕掛けたキメラ二体を見事に捉えて前脚と胴体に裂創を刻む。間一髪回避が間に合ったキメラは仲間を傷つけた存在に憎悪の唸り声をあげ睨んだ。
僅かに生じた睨み合いの時間。それは貴重な時間稼ぎだ。その時間を他の者達は無駄にはしなかった。
「お前らよくもっ!!」
光輝が憤怒を孕んだ雄叫びを上げながら、刹那の間に一番手前にいたキメラの元へと踏み込む。背後に残像を生み出すほどの速度で踏み込んだ光輝は、聖剣を振りかぶり一刀の素にキメラの首を刎ねんとする。
それと同時に、
「させっかよ!」
龍太郎も重吾を襲ったキメラへと空手の正拳突きの構えを取る。接近して直接殴るよりも、籠手型アーティファクトの衝撃波を飛ばす能力で攻撃した方が速いと判断したのだ。
さらに、
「呑み込め、紅き母よ———“炎浪”!」
吹き飛ばされた鈴を受け止めた恵理が片手を突き出して、詠唱省略した魔法“炎浪”を放ったのだ。
光輝の聖剣が壮絶な威力と速さをもって大上段から振り下ろされ、龍太郎の正拳突きが繰り出され、凄絶な衝撃波が砲弾の如く突き進む。恵理の死を運ぶ紅蓮の炎の津波が目標を飲み込み灰燼にせんと迸った。だが、
「っ!?二人とも避けてっ!!」
「「ルゥガァァアアア!!」」
雫の警告の悲鳴と魔物の方向が重なる。
どこに潜んでいたと言うのか、光輝達が攻撃を直撃しようとしたタイミングに合わせて、二つの影が光輝達へと襲いかかったのだ。
「っ!?」
「なんだっ」
突然の事態に光輝と龍太郎の背筋を悪寒が襲う。
急迫した二体の影は、手に持った金属製のメイスを凄まじい勢いで振り抜く。
光輝は剣の遠心力を利用して身を捻って躱し、龍太郎が左腕を振り上げてメイスを弾きどうにか直撃は免れる。しかし、光輝はバランスを崩し地面を転がり、龍太郎は二撃目の拳撃で吹き飛ばされた。
二人を襲ったのは、ブルタールに近い魔物だ。しかし、その魔物の体型はブルタールとは違い、極限まで鍛えて引き絞ったかのように細身だった。
「なんだ、こいつら!?」
「くそったれっ、一体、どこから湧いてきやがったっ」
今まで見たことがない、そして明らかに強力な魔物の出現に悪態混じりの疑問を吐き捨てる。と、その時、二人の間に何かが吹き飛んできた。
「ぐぁっ!?」
苦悶の声を上げて吹き飛んできたのは、重吾の指示を受けて気配を消していた遠藤だった。
「遠藤!?」
「ぐっ、気をつけろ、みんな!見えてるやつだけじゃない!そこかしこにいるぞ!」
遠藤は負傷したらしい脇腹を抑えながら警告の声を上げる。気配を消した彼は、暗殺者の技能である隠形でカトレアの背後を取ろうと動いていたのだ。
しかし、完全に後ろを取る前に事態が動き出し、動揺のため気配をダダ漏れにしてしまったのがダメだった。一気に距離を詰めようとしたところで、横合いから凄まじい衝撃を受けて吹き飛ばされたのだ。
その時に彼ははっきりと見たのだ。
自分を吹き飛ばした相手が光輝達を吹き飛ばしたのと同じ魔物であることを。しかも、そのブルタールもどきの傍にはキメラがいて、ブルタールもどきがキメラに触れれば再び姿を消したのだ。
つまり、敵はキメラの隠形能力を使い、そこかしこに潜んでいると言うことだ。それも、九十階層の魔物を全滅できるほどの魔物達が。
遠藤の警告を証明するように、恵理の方にも新たな魔物が出現していた。
ヒュオオオ!と言う音と共に、恵理が展開していた炎の津波が、ある一点へと吸い込まれていったのだ。
「うそでしょ………」
範囲魔法を吸収したと言う衝撃に固まった恵理の視線の先で、犯人が姿を現す。
それは体から六本の足を生やした亀のような魔物だった。背負っている甲羅は炎と同じ赤に染まっていた。
まさかと、思った次の瞬間、多足亀が口をガパッと大きく開いたかと思えば、背中の甲羅が輝き、口の奥に赤い輝きが生まれる。
それは、まるで発射寸前となったレーザー砲のよう。
「ま、まずいっ!」
「にゃめんな!守護の光は重なりて、意思ある限り蘇る———“天絶”!」
「“波城壁”!」
鈴と雫が声を上げて障壁を展開させる。
二十枚の光の障壁が重なるように出現し、それを包み込むように水の障壁が展開される。光の障壁は全て斜め四十五度に設置されている。
障壁が展開されると同時に砲撃が放たれ、障壁を粉砕し、水の壁を蒸発させながら上方へと逸らされていく。
それでも、継続して放たれる砲撃の威力は凄まじく、水の障壁は蒸発し、光の障壁は砕かれていく。鈴は光の障壁を次々と新しく展開し、雫も魔力を流しこみ水の壁を途切れないようにさせることで砲撃の破壊速度と拮抗させて辛うじて晒し続けることに成功した。
しかし、逸らされた砲撃は、激震と共に迷宮の天井に直撃して、周囲を粉砕しながら赤熱化した鉱物を雨の如く撒き散らした。
「ちくしょう!なんだってんだ!」
「なんなんだよ、この魔物は!」
「くそ、とにかくやるぞ!」
ここでようやく混乱から回復した者達が完全な戦闘態勢を整えた。
「香織!永山君!私が斬り込むわ!回復と守りお願い!!」
「うん行って!雫ちゃん!」
「任された!行け!」
雫が香織と重吾にそう叫ぶとグンッと身を屈めて残像すら残さない超速の世界に入る。青い眼光の尾を引きながら、この場の誰よりも速い速度で駆け出した雫は、一瞬でキメラの真横に飛び出して水纏う剣を振り抜く。
「ハァッ!!」
予備動作のない移動かつ超速による急激な緩急でキメラの死角へと潜り込んだ雫は、強化されたステータスで一気に刀を振り上げる。
青色の剣閃が虚空に走ったかと思えば、次の瞬間にはキメラの胴体が切り裂かれずるりと巨体を二つに分けながら崩れ落ちた。
キメラを一刀のもとに両断した雫は剣の振りの勢いを利用して体の向きを変えると、少し離れた場所にいたブルタールもどきへと接近。メイスを振り上げた左腕を切り飛ばした。
「ルゥガァァア!?」
鮮血を噴き出しながら苦悶の咆哮を上げるブルタールに、雫は剣の鋒を向けて剣を持つ右腕を引き絞ると勢いよく前に突き出した。
「“流水槍”!!」
剣に纏わせた水を渦巻かせて槍のようにし強烈な刺突を繰り出す。防御の為の左腕を失ったブルタールもどきは無防備にそれを受けてしまい、胴体に巨大な風穴を開けた。
明らかな致命傷。早くトドメを刺して仲間の救援に向かわないと。そう焦る雫の目の前でタチの悪い現象が起こった。
「キャワァアア!!」
突然、部屋全体にそんな叫びが響いたかと思うと、雫の眼前でブルタールもどきが赤黒い光に包まれて、瞬く間に胴体の風穴を癒していき、更には左腕までもが再生したのだ。
雫は癒されるブルタールもどきに注視しながら、叫び声の方へとチラリと視線を向ける。
すると、呑気に高みの見物と洒落込んでいたカトレアの肩に、いつの間にか双頭の白い鴉がいたのだ。その白鴉の一方が雫の目の前にいるブルタールもどきに向けられていた。
「っっ、回復役までいるっていうの!?」
『赤竜帝の恩恵』が発動している間に、敵の数をできるだけ減らしたかったのに、与えた傷を即座に癒やされてしまった。
強力な魔物だけでなく、優秀な回復役までいると言う悪夢のような事態に、雫が思わず悲鳴を上げる。
周囲を見ても同じような光景が広がっており、苦労して与えた傷が無駄に終わっていた。
彼女達の苦戦を腕を組んで余裕の態度で見物していたカトレアは無様な足掻きだと笑う。
「くくっ、さぁ、あんた達の抵抗はいつまで保つかねぇ。精々無様に足掻いて私を楽しませな!!」
直後、カトレアの言葉に合わせて完全回復した魔物達が雫達へと再び襲いかかった。
▼△▼△▼△
「ヒャッハー!ですぅ!」
左手側の【ライセン大峡谷】と、右手側の雄大な草原に挟まれながら“シュタイフ”と“ブリーゼ”が太陽を背に西へと疾走する。ブリーゼは街道の砂埃を巻き上げながら道に沿って進んでいるが、シュタイフの方は峡谷側の荒地や草原を行ったり来たりしながら、ご機嫌な様子で爆走していた。
「……シアの奴、ご機嫌だな。世紀末な野郎みたいな雄叫びあげやがって」
「……むぅ。ちょっとやってみたいかも」
「……てか、なんであいつあんなに乗りこなしてんだよ」
ブリーゼの運転席で、窓枠に肘をかけながら片手でハンドルを握るハジメが呆れたような表情で呟く。彼の言葉通り、今シアはブリーゼの方には乗っておらず、一人でシュタイフを運転していた。
もともと彼女は、シュタイフの風を切って走る感じが好きなのだが、人数が増えたことでブリーゼでの移動が主流になっているのがお気に召さないらしい。
窓から顔を出して風を感じることはできるが、それでは物足りなく、ブリーゼでのハジメの隣はユエの指定席でもある為、ハジメにくっつくこともできない。それならば、自分でシュタイフを走らせてみたいとハジメに懇願したのだ。
魔力駆動車は魔力の直接操作ができれば簡単に動かせるので、シアにとっては大して難しい者ではなく、あっという間にハジメなど足元に及ばないほどに乗りこなしていたのだ。
ドラフトからのウィリー、しまいにはジャックナイフやバックライドなど、プロのエクストリームバイクスタント顔負けの技を披露するシアは、時折ハジメの方へと視線を向けて地味に煽っていた。
そんな彼女をハジメの傍で同じようにみていたユエがちょっとやりたそうにしているが、ハジメ的にユエの「ヒャッハー!」など見たくないので断固阻止を密かに決意する。
後ろの座席で二人と同じように見ていた陽和がシアの豹変具合と運転さばきに若干驚いていたりする。
しかし、ハジメと陽和がそんなことを思ってるとも知らず、ユエの膝の上に座るミュウが大きな瞳をキラキラさせながら、シアにおねだりを始めたのだ。
「パパ!パパ!ミュウもあれやりたいの!」
「ダメに決まってるだろ」
ミュウは速攻でお願いを却下されるも「やーなの!ミュウもやるの!」と全力で駄々をこねる。
暴れるミュウが座席から転げ落ちないよう、ユエが後ろから抱きしめて叱りつけてるのを後ろから見て、苦笑を浮かべた陽和が助け舟を出す。
「流石にあんなアクロバティックなのはダメだとして、お前が一緒に乗る分ならいいんじゃないかな?」
「お兄ちゃん!」
陽和の助け舟に駄々をやめたミュウがパァッと表情を輝かせる。そんな二人の視線にハジメが「仕方ないなぁ」と言うような表情を浮かべる。
「……まぁ俺と一緒になら構わねぇか。でも、シアと乗るのは断じて許さないからな」
「シアお姉ちゃんはダメなの?」
「絶対ダメだ。見ろよ、あいつ。今度は、ハンドルの上で妙なポーズを取り出したぞ。なぜか心に来るものがあるが……あんな危険運転する奴の二輪に乗るなんて絶対ダメだ」
「あれ……ジョ◯ョのポーズか?なんであいつ知ってんの?」
見ろとハジメがシアに視線を向ければ、シアはシュタイフのハンドルの上に立ち、右手の五指を広げた状態で顔を隠しながら、左手を下げ僅かに肩を上げると言う奇妙なポーズでアメリカンな笑い声を上げているのだ。
その香ばしいポーズに陽和は「なぜあいつがアレ的なポーズを?」と驚き、ハジメがジト目を向けながらミュウに釘を刺した。
「そもそも、二輪は危ないんだからできれば乗せたくないんだがなぁ……。二輪用のチャイルドシートとか作ってみるか?材料は……ブツブツ」
「ユエお姉ちゃん。パパがブツブツ言ってるの。変なの」
「……ハジメパパはミュウのことが心配。……意外に過保護」
「もういっそのこと、サイドカーつけりゃいいんじゃないか?」
「ふふ、ハジメは意外に子煩悩じゃのぅ。これがギャップというものか」
「すっかりパパが板についてるじゃないか」
膝の上から自分を見上げてくるミュウの頭をいい子いい子しながら、ユエがミュウの話し相手を務め、後部座席に座る陽和達がハジメの様子に苦笑いなり微笑んだりする。
当初こそパパ呼びを何がなんでも変えようとあの手この手を尽くしていたが、ミュウの涙が滲む潤んだ瞳の無言の訴えには太刀打ちできず、なし崩し的にパパ呼びが定着した。
陽和同様ハジメも無垢な少女の純粋さの前には太刀打ちできなかったようだ。
それからしばらく街道を爆走して少し、陽和達は目的地である【宿場町ホルアド】に到着したのだ。
元々陽和が雫を迎えにいくことが目的だったのだが、そのほかにも【フューレン】でイルワから頼み事をされたのでそちらを果たす為でもある。
なお、当初はハジメ達は町の外で待機し、陽和だけがホルアドに入り雫を迎えにいく予定だったのだが、タイミングよく雫達が【オルクス大迷宮】にいるとも限らない為、雫達がまずどこにいるのかの情報集めとイルワの頼み事の際に全員が揃っていた方が話が進むと判断し、全員で冒険者ギルドを目指すことにした。
「……ホルアド……懐かしいな」
冒険者ギルドを目指して町のメインストリートを歩く中、町を見回したハジメが小さく呟いた。肩車をしてもらっているミュウが、ハジメの呟きに気づき不思議そうな表情をしながらハジメのおでこを紅葉のような小さな掌でペシペシと叩く。
「パパ? どうしたの?」
「ん? あ~、いや、前に来たことがあってな……まだ四ヶ月程度しか経ってないのに、もう何年も前のような気がして……」
「……ハジメ、大丈夫?」
『…………』
複雑な表情をするハジメの腕にそっと自らの手を添えて心配そうな眼差しを向けるユエ。陽和も言葉にはせずとも心配そうにハジメの様子を伺っていた。
ハジメは肩を竦めると、次の瞬間にはいつも通りの雰囲気に戻る。
「ああ、問題ない。ちょっとな、えらく濃密な時間を過ごしたもんだと思って感慨に耽っちまった。思えば、ここから始まったんだよなって……緊張と恐怖と若干の自棄を抱いて一晩過ごして、次の日に迷宮に潜って……そして落ちた」
「……」
『……そうだったな』
全てが変わった切欠とも言うべきあの日のことを思い出し独白をするハジメの言葉を、陽和達は神妙な雰囲気で聞く。ユエは、ジッとハジメを見つめており、当時を知る陽和は感慨深く、しかし少し悔恨の宿る声音で頷く。
仮面の下では陽和は悔恨に少し表情を険しくさせていた。彼の中には未だにハジメを守れなかったと言う後悔が幾分か残っている。守れず失って、大迷宮前の広場で自分を責めて憎んだあの夜のことを、陽和はハジメの独白を聞いて思い出していたのだ。
そんな中、ティオが興味深げにハジメに尋ねた。
「ふむ。ハジメはやり直したいとは思わんのか?元々の仲間がおったのじゃろ?ハジメの境遇はある程度聞いてはいるが……皆が皆、ハジメを傷つけたわけではあるまい?主殿のように仲の良かったものもいるのではないか?」
ティオはまだ陽和達と付き合いが浅い。
その為、時折、今のように陽和達の心の内を知ろうと、客観的に見ればかなりストレートな、普通なら気を遣ってしないような質問をする。しかしそれは、単なる旅の同行者ではなく、ティオ自身がきちんと陽和達の仲間になりたいと思っているが故の彼女なりの努力によるものだ。
「そうだなぁ、確かにそう言う奴はいたよ……」
だから特に気を悪くすることもなく、ハジメはティオの質問を受け止め、空を見上げながら自分を守ると誓ってくれた香織の姿を思い出す。
しかし、不意に、自分の腕に触れる手に力が込められるのを感じてハッと我を取り戻すハジメ。見れば、ユエが揺らがぬ強い眼差しで真っ直ぐにハジメを見つめており、触れている手はギュッとハジメの袖を握りしめていた。ハジメはそんなユエと目を合わせると、ふっと目元を和らげて優しい眼差しで同じくジッと見つめ返しながらティオの問いかけに答えた。
「……でも、もし仮にあの日に戻ったとしても、俺は何度でも同じ道を辿るさ」
「ほぅ、なぜじゃ?」
ハジメの様子を見れば答えは自ずとわかる。
しかし、ティオは、少し面白そうな表情であえて聞いた。セレリアや陽和も答えが予想できてしまっているのか呆れながらやれやれと首を横に張る。
ハジメはユエから目を離さないまま、自分を掴むユエの手に自らの反対側の手を重ねて優しく握り締める。ユエの表情が僅かに綻ぶ。頬も少し赤く染まっている。
「もちろん……ユエに会いたいからだ」
「……ハジメ」
そうして突如見つめ合う二人。
ちなみにだが、今一行がいるのはホルアドの町のメインストリートのど真ん中だ。【オルクス大迷宮】に潜る為に来た冒険者や傭兵、国の兵士、そして彼等を相手に商売するため多くの商人がこの街には集まっており、常時、大変な賑わいを見せている。
そんな多くの人々で賑わうメインストリーのど真ん中で、周囲のことなど知ったことかと二人は二人だけの世界を作り、互いの頬に手を伸ばし、今にもキスしそうな雰囲気を醸し出す。
好奇心や嫉妬の眼差しが二人にこれでもかと注がれ、若干、人垣まで出来そうになっているが、やはり、ハジメとユエは気がつかない。お互いのことしか見えていないようだ。
そんな彼らの様子に陽和とセレリアは心底呆れたとため息を付き、ティオが苦笑する。そして、シアが多分な嫉妬のオーラを醸し出しながら三人に話しかける。
「皆さん、聞きました?そこは、〝お前達に〟っていうところだと思いません?ユエさんオンリーですよ。また、二人の世界作ってますよ。もう、場所も状況もお構いなしですよ。それを傍から見てる私達にどうしろと?いい加減、あの空気を私との間にも作ってくれていいと思うんです。私は、いつでも受け入れ態勢が整っているというのに、いつまで経っても、残念キャラみたいな扱いで……いや、わかっていますよ?ユエさんが特別だということは。私も、元々はお二人の関係に憧れていたからこそ、一緒にいたいと思ったわけですし。だから、ユエさんが特別であることは当然で、それはそうあっていいと思うんですけどね。むしろ、ユエさんを蔑ろにするハジメさんなんてハジメさんじゃないですし。そんな事してユエさんを悲しませたら、むしろ私がハジメさんをぶっ殺す所存ですが。でも、でもですよ?最近、ちょっとデレてきたなぁ~、そろそろ大人の階段上っちゃうかなぁ~って期待しているのに一向にそんなことにならないわけで、いくらユエさんが特別でも、もうちょっと目を向けてくれてもいいと思いません?据え膳食わぬは男の恥ですよ。こんなにわかりやすくウェルカムしてるのに、グダグダ言って澄まし顔でスルーして、このヘタレ野郎が!と思ってもバチは当たらないと思うのですよ。私だってイチャイチャしたいのですよ!ベッドの上であんなことやこんなことをして欲しいのですよ!ユエさんがされてたみたいなハードなプレイを私にも!って思うのですよ!そこんとこ常識人枠の皆さんはどう思います!?」
『知るか。心底どうでもいいわ』
「シ、シアよ。お主が鬱憤を溜め込んでおるのはわかったから、少し落ち着くのじゃ。むしろ、公道でとんでもないこと叫んでおるお主の方が注目されとる」
「し、シア、とりあえず落ち着け。色々とアウトなことを口走ってるお前が今一番変な奴だと思われてるから」
メインストリートのど真ん中で、エロいことしてほしいと叫ぶウサミミ美女の言葉を、額に手を当てながら心底呆れたと露骨にうんざりしつつ、バッサリと切り捨てた仮面の男。左右から必死に宥める妙齢の美女と狼耳の美女。
好奇心で集まっていた周囲の人々が異様な雰囲気に少し驚きつつ後ずさった。
「パパ〜、シアお姉ちゃんが……」
「ミュウ。見ちゃダメだ。他人のふりをするんだ」
「……シア。……今度、ハジメを縛ってシアと一緒に……」
シアの雄叫び流石に我を取り戻した二人は、キョトンとするミュウに、シアの姿を見せないようにしながら他人のふりをした。
『………一応言っとくが、お前らが原因だからな?このクソバカップル』
ジト目を向ける陽和の怨みがましい言葉に二人は何のことかと全力でそっぽを向いた。
その時、遠くの方から「何の騒ぎだ!」と怒声を上げる警備兵の姿がちらほらと見え出したので一行は仕方なくその場を離脱した。それからどうにか警備兵と集中する視線から逃げ切った陽和達が路地裏で一息ついた後再び冒険者ギルドへと向かう道を歩いている時、ティオが今度は陽和に尋ねた。
「ハジメがどう思ってるかは分かったとして、主殿は正直なところどう思ってるのじゃ?」
『何がだ?』
「もしも仮にじゃ。その日に戻れたのなら今度こそハジメを助けれればとは思わんのか?」
ティオは敢えてそう尋ねた。彼がハジメを助けられなかったことは知っている。だが、それがあったからこそ彼はハジメ救出の為にオルクス大迷宮に篭り、必死に攻略を続けた先で赤竜帝の力を継承し、覚醒を果たしたのだ。竜人族としての悲願ではあるもののティオ個人としては複雑な思いだった。
『…………無論、戻れるのなら、ハジメを助けたいとは思う。けど…』
と、陽和がティオの問いかけを肯定しながらも、最後は言い淀んでしまう。そして、自身の左手を見下ろしながら少し沈黙した後に再び口を開いた。
『………ハジメには悪いと思っているが、アレが切欠ではあったんだ。俺の場合は遅かれ早かれ王宮から逃げる予定ではあった。だが、あの日、あの事件があったからこそ、今がある。力を継いだことも、雫と恋人になったことも、お前達との出会いも。全てはあの事件から始まった』
これまでの全ての出来事が『今』を形作っている。どれか一つでも欠けていたら、『今』は違っていただろう。
あの事件が無かったら『今』はない。強くなる事を志してはいても、当時ほど必死にはなってはいないだろう。だとすれば、オルクス大迷宮100階層の『継承の間』にたどり着けなかったかもしれない。
ハジメには悪いが、あの事件があったからこそ、様々な道程の果てに『今』がある。だから、
『………だから、俺は戻れるのだとしても戻らないよ。戻るってことは、これまで俺が紡いできた軌跡が、物語が無駄になってしまうからな。迷いも、後悔も、全てを背負って俺は未来に向かって進み続けるよ』
仮面の下で笑みを浮かべながらハジメ達を見回しそう自分の答えを示した陽和。セレリア達は出会いを無駄にしたくないと言われ、少し気恥ずかしくなって、くすぐったそうな笑みを浮かべる。そして、ハジメは陽和の答えに不敵な笑みを浮かべる。
「ハッ、お前らしいな」
『……お前の前で言っていいことでは無かったと思うがな』
「確かに色々キツイことはあったが、結果的に俺はこうして生きてるからな。別に後ろめたいと感じる必要はねぇよ」
ハジメとしてはユエと出会う為に何度でも同じ道を辿ると言っている以上、陽和の戻らないと言う選択肢に文句を言うつもりはなかった。
「ふふ、そうか。それが主殿の生き方なのじゃな」
尋ねたティオは彼の真意をまた一つ知ることができ嬉しそうに微笑んだ。
『……戻れるのならやり直したいという者は多いだろう。しかし、過去には戻れない。だからこそ、どれだけの迷いや後悔があろうとも、前に進み続ける他ないのだ』
これまで多くの人間を見てきたドライグが心の内でそう呟く。彼は過去をやり直したいという人間を多く見てきた。だが、過去には戻れない。未来に向かって進み続けることしか許されていない。
その過程で多くの人間が迷いや後悔に押し潰されることだろう。しかしだ。
『何度潰れそうになっても、未来への希望を胸に何度でも立ち上がり前に進み理想を叶えた者達こそ『英雄』と呼ばれる。だから、相棒はそのまま進み続ければいい。俺が断言しよう。相棒の歩む道は『英雄』の道だ。何一つとして間違っていない』
(ドライグ……)
『うん、ボクも同意見だ。未来は誰にもわからない。だから、その時の選択が正解か間違いかもわからない。でも、分からないからこそ未来を信じ続けた人の最果ては……きっと明るいものになると思ってるよ』
(ヘスティア……)
二人の相棒にまでそう言われた陽和は仮面の下で表情を綻ばせる。相棒達が信じてくれる。ならば、自分は進み続けよう。かつて清水にも言ったようにきっとその先に答えがあると自分は信じているのだから。
それからしばらく歩くと、漸く冒険者ギルドホルアド支部に到着した。
久々にホルアド支部に来たことに懐かしいと思いつつ陽和がギルドの金属製の扉を開ける。重苦しい音が響く。
内装は以前陽和が見たのと変わっていない。壁や床は、所々壊れていたり大雑把に修復した跡があり、泥や何かのシミがあちこちについていて不衛生な印象がある。
正面がカウンター、左手側に食事処がある。他の支部とことなるのが、酒を提供していると言うことだ。
(……そういや、美味い酒奢って色々と話を聞いたな)
陽和は情報集めの為に他の冒険者に酒を奢って色々と話を聞いていたのを思い出し、内心ほくそ笑む。
上等な酒を奢れば情報を提供してくれる。冒険者もギブアンドテイクで成り立っているのだ。
二階部分にも座席があり、手すり越しに階段を見下ろしている冒険者らしき者達もいる。ちなみに、二階は主に高ランクの冒険者のみが利用できると言う暗黙の了解があり、金ランクへと昇格した陽和も二階を利用していたりする。
しかし、内部を見渡した陽和は違和感を抱き始める。
(………おかしいな。なぜこうも殺気立っている?)
どうもギルド内の雰囲気全体がピリピリと殺気立っているように感じたのだ。以前利用してた時は、確かに気概に満ちていたのだが、それも冒険者や傭兵などの戦闘専門の者達が自然と纏うものであり、これほど殺気立ってはいなかった。
つまり、今このホルアドでは歴戦の冒険者たる彼らですら深刻な表情をさせる何かが起きているようだ。
(………嫌な予感がする)
陽和はギルド内の雰囲気にどうしてか胸中がざわつく。自分にとっても何か深刻な事件が今起きていて、早く行かなければ取り返しのつかないことになるような気がして仕方なかったのだ。
(……すぐに確かめねぇと)
不穏に渦巻く焦燥に駆られながら陽和はギルドに足を踏み入れる。しかし、その瞬間、冒険者達の視線が一斉に陽和達を捉えた。
その眼光のあまりの鋭さに、ハジメに肩車されていたミュウが「ひぅ!」と悲鳴をあげてハジメの頭にしがみついた。冒険者達は美女、美少女に囲まれた挙句、幼女を肩車しているハジメと仮面をつけている陽和に、いろんな意味を込めて殺気を叩きつけ始めた。ますます震えるミュウを肩から下ろし、片腕抱っこに切り替えたハジメはミュウを自身の胸元に埋めて、外界のあれこれを完全シャットアウトした。
その様子が頭に来たのか、血気盛んな、あるいは酔った勢いで席を立ち始める一部の冒険者達。彼らの視線は明らかに「ふざけたガキどもをぶちのめす」と、何より雄弁に物語っていた。
ギルドを包む異様な雰囲気からくる鬱憤晴らしと、単純にやっかみまじりの嫌がらせをしようとしていたのだ。
話はぶちのめしてからだと言わんばかりに踏み出そうとする荒くれ者共に、すっかり親バカとなったハジメが娘を怯えさせられたことに額に青筋を浮かべ、いざ威圧を放とうとした時だ。
ドンッッッ!!と凄まじい衝撃音が聞こえてきそうなほどの濃密にして強大、かつ凶暴な殺気が冒険者ギルド全体に広がり冒険者達に情け容赦なく叩きつけられた。
ビリビリと空気が震えるほどの濃密な殺気は、冒険者達の殺気だけでなく、ハジメが放とうとしていた威圧すら塗り潰すほど凶悪であり、未熟な冒険者達の意識を瞬時に刈り取り、二階含め立ち上がっていた冒険者達の全ての腰を抜かした。
ドサドサと崩れ落ちる音が響き、階段を転がり落ちる音も聞こえる。半分が泡を吹いて意識を失い、残る半分が腰を抜かし座り込んでしまい顔を青ざめさせながら歯をカチカチと恐怖に慣らしている。
「おい、ソル…?」
「どうして、いきなり……」
予想外の殺気に叩きつけられなかったハジメ達ですら困惑を隠せない中、殺気を放った張本人である陽和が彼らを見回しながら低い声音で話しかけた。
『今貴様達に構っている時間はない。命が惜しいなら黙って大人しくしてろ。いいな?』
有無を言わさない絶対的な圧が込められた声。特に大声を上げたわけではないのだが、その声はギルド内によく響き、化け物を見るような恐怖の眼差しを向けていた冒険者達は逆らえば殺されると直感して、ただただ首がもげるかという勢いで必死に頷くしかなかった。
一瞬で冒険者達を黙らせた陽和はカウンターに向かう。
「お、おい、ソル、お前どうしたんだいきなり……」
「ハジメならともかく、何で貴様がそこまで殺気だっているんだ?」
『………後で話す』
困惑するハジメとセレリアが左右から陽和にそう尋ねるものの、仮面の下で険しい表情を浮かべる陽和はただ一言そう短く返しただけだった。
明らかに陽和が殺気立っているがその理由が皆目見当もつかないハジメ達は顔を見合わせて首を傾げる。尋ねても何も話してくれない。ハジメ達は疑問を感じつつもとりあえず陽和の後をついていく。
陽和はカウンターに着くと、恐怖と緊張で表情を青ざめ強張らせている受付嬢に尋ねた。
『支部長ロア・バワビスはいるか?フューレンのギルド支部長イルワ・チャングから手紙を預かっている。直接渡せと言われてるからな、取り急ぎ面会の手配を頼む』
陽和はそう言いながらステータスプレートを差し出す。受付嬢はガチガチに緊張しながらも、プロらしく居住いをただしてからプレートを受け取った。
「は、はいっ。お預かりしますっ。え、えっと、フューレン支部のギルド支部長様からの依頼ですねっ」
普通一介の冒険者がギルド支部長から依頼を受けることありえない。それに内心で疑問が浮かぶものの、陽和の威圧を前に緊張しっぱなしの彼女は受け取ったステータスプレートに表示されているランクを見て目を見開いた。
「き、金ランク!?」
金ランクは冒険者全体で1割にも満たない。そして、金ランクに認定されればその者の情報はギルド職員に共有される。しかし、陽和達の場合は最近決まったばかりであるので知らず、驚愕の声を漏らしてしまったのだ。
その叫びに、ギルド内の全ての人間が驚愕に目を見開いて陽和を凝視する。
俄に騒がしくなったことに、自分が個人情報を大声で晒してしまったことに気がつき、表情を青ざめさせるとものすごい勢いで頭を下げ始めた。
「も、申し訳ありません!本当に、申し訳ありません!」
『構わない。とにかく、支部長に取り次ぎをしてほしい。なるべく急いでくれ』
「は、はい!少々お待ちください!!」
いつまでも謝り続ける受付嬢に陽和がそう言うと受付嬢は脱兎の如く奥に消えていった。
美女・美少女を連れ更には子供まで連れている仮面の金ランク冒険者に、ギルド内の視線がこれでもかと集まる中、注目されることに慣れてないミュウをハジメ達があやす。その一方でセレリアが神妙な面持ちで陽和に尋ねた。
「なぁ、そろそろ話してくれないか。なぜ貴様はそこまで殺気立ってんだ」
『…………ギルド内の空気が以前と違っていたからだ。どうも殺気立っていて、何か異常事態が発生したとしか思えない』
セレリアに尋ねられ観念したのか理由を話し始める陽和。確かに彼の言う通り空気が殺気立っていたのは自分達も感じていた。だが、
「……確かにそうだが……それで、貴様も殺気立つことなのか?」
セレリアの言う通りだ。ギルド内の空気が殺気立っているが、陽和はがそこまで殺気立つ理由にはならない。感化されたとしても、空気を感じただけでなるものなのかと思ったのだ。
ミュウをあやしながら話を聞いていたハジメ達も同意して頷く中、陽和は答える。
『……分からない。だが、嫌な予感がして胸騒ぎが止まらないんだ。何か俺にとっても重要な何かが起きてるような気がして仕方ない』
「…………」
陽和程の人間が胸騒ぎを感じている。その事実に、セレリア達の表情は自然と険しくなる。彼が危機感を感じる何かが、今ホルアドのどこかで起きている。それはセレリア達が警戒するに十分すぎる理由だった。
『……とにかく、情報が必要だ。受付嬢が戻る前に少し聞いて回るか』
周囲の冒険者達から話を聞き出せば分かるだろうと思った陽和は、まだ意識のある冒険者達に視線を巡らせ、いざ声をかけようとした時だ。
ギルドの奥からズダダダッ!と何者かが猛ダッシュしてくる音が聞こえ出した。
何事かと後の方に注目していると、カウンター横の通路から全身黒装束の少年がズザザザザーッと床を滑りながら猛烈な勢いで飛び出てきて、誰かを探すようにキョロキョロと辺りを見渡し始めながら叫ぶ。
「金ランク!どこだ!?」
陽和とハジメは、その人物に見覚えがあった。
「……遠藤?」
ハジメが目を丸くして思わずそう呟く。
そう、そこにいたのは、陽和達のクラスメイトの一人ー遠藤浩介その人だった。
「い、今の声南雲か!?いるのか!お前なのか!どこなんだ!出てきてくれ!」
あまりの大声に思わず耳に指で栓をする人が続出する中、陽和達の視線が一斉にハジメに向く。ハジメは、自分の名前を連呼する遠藤に、頬をカリカリとかくと、関わりたくないなぁと思いつつも声をかけた。
「あ〜遠藤?ちゃんと聞こえてるから大声で人の名前を連呼するのはやめてくれ」
「!?南雲、どこだ!」
ぐりん!と遠藤がハジメの声に反応して振り向くものの、直ぐにハジメさら目を逸らすと再びあたりをキョロキョロと見渡し始めた。
「くそっ!声は聞こえるのに姿が見当たらねぇ!幽霊か?やっぱり化けて出てきたのか!?俺には姿が見えないってのか!?」
「いや、目の前にいるだろうが、ど阿呆。つか、いい加減落ち着けよ。影の薄さランキング生涯世界一位」
「!?また、声が!?ていうか、誰がコンビニの自動ドアすら反応してくれない影が薄いどころか存在自体が薄くて何時か消えそうな男だ!自動ドアくらい三回に一回はちゃんと開くわ!」
「三回中二回は開かないのか……お前流石だな」
『……普通は毎回開くんだけどな』
そこまで言葉を交わしてようやく、遠藤は子供を抱えている白髪眼帯の男がハジメ本人だと気づいた。
遠藤はまじまじとハジメの顔を見つめ始め、まさかと言う面持ちで声をかけた。
「お、お前……お前が南雲……なのか?」
「………ああ、そうだ。見た目こんなんだが、正真正銘、南雲ハジメだ」
上から下までマジマジと観察し、それでも記憶の中のハジメの姿との違いに半信半疑だったが、これまでの会話でようやく遠藤はハジメのことを信じることにした。
「お前……生きていたのか」
「今、目の前にいるんだから当たり前だろ」
「何か、えらく変わってるんだけど……見た目とか雰囲気とか口調とか……」
「奈落の底から自力で這い上がってきたんだぞ?そりゃ多少変わるだろ」
「そ、そういうものかな?いや、でも、そうか……ホントに生きて……」
あっけらかんとした態度に困惑しつつも、死んだと思っていたクラスメイトが生きていたことに安堵し目元を和らげる。
いくら彼が香織に構われていて嫉妬の念を抱いていても、また檜山達のいじめを見て見ぬ振りをしていたとしても、ハジメの死は衝撃だった。
だからこそ、彼の生存は純粋に嬉しかった。
「というか、お前金ランクを探してるのか?なんか慌ててたみたいだが……」
「っ、そ、そうだっ!南雲、金ランクのヴァーミリオンって人どこにいるか知ってるかっ!?」
『……ヴァーミリオンは俺のことだが、察するにハジメの同郷の人間だろ?そいつが何のようだ?』
ガラリと安堵から切羽詰まったような表情に変えた遠藤がハジメにそう問い詰めたのだ。
そこでようやく陽和が会話に参加し、自分が金ランクのヴァーミリオンだと伝える。
陽和の存在を認識した遠藤は彼の方を一度振り向くと、ハジメに尋ねる。
「南雲、この人は知り合いなのか?」
「ああ、俺の旅仲間だ。ちなみにだが、俺も金ランクだからな。で、それがどうかしたのか?」
まさかの非戦闘職のハジメまでもが金ランクだと言うことに驚きを隠さず目を丸くしていた遠藤だったが、次いで表情を悲痛に歪めるとハジメに飛びかからん限りの勢いで肩を掴みにかかり、今まで以上に必死さの滲む声音で懇願を始めたのだ。
「なら頼む!一緒に迷宮に潜ってくれ!早くしないと皆死んじまう!一人でも多くの戦力が必要なんだ!健太郎も重吾も皆死んじまうかもしれないんだ!頼む!!」
切羽詰まった尋常でない様子にハジメは困惑してしまう。関わりは少なかったが、少なくとも遠藤がここまで取り乱したことは見たことがなかったからだ。
そして、遠藤の言葉にハジメが困惑しながら問い返そうとする前に、陽和が一瞬早く反応する。
『……待てっ。それはどういうことだっ!?』
仮面の下で血相を変えた陽和は遠藤の胸ぐらを掴むと自分の方へと振り向かせながら、焦燥のままに声を荒げる。
『今、皆が死ぬかもしれないって言ったな!?皆ってことは重吾達だけじゃなく、雫も大迷宮にいるのかっ!?』
「な、何であんたが八重樫さんの名前を…?それに、重吾のことも……」
遠藤は見ず知らずの男が自分の仲間のことを知っており、雫の本名まで知っていることに思わず困惑しそう問い返してしまう。
だが、遠藤の話を聞いた陽和は焦燥を露わにし遠藤の胸ぐらを掴んで激しく揺らしながら怒号を上げる。
『そんなことはどうでもいい!!とっとと何が起きたのか説明しろ!!今あいつらはどこにいる!?何に襲われたっ!?』
「ちょっ、うぐっ…く、苦しっ……」
『早く言え!!あいつらに何が起きたんだっ!?雫は無事なのかっ!?どうなんだっ!おいっ!!』
足がつかなくなるほどに持ち上げられた遠藤が苦悶の声を上げるものの、明らかに取り乱している陽和はそれには気付かずに遠藤に説明を迫った。
流石に見かねたハジメとセレリアが陽和を止めようと左右から抑えにかかる。
「お、おい、ソル落ち着けっ!遠藤が苦しそうにしてるぞっ!」
「ソル止まれっ!そんなんじゃ話ができないだろっ!」
二人が陽和を落ち着かせようと必死に宥めるも、陽和がギンッと二人を睨み怒鳴る。
『これが落ち着いてられるか!?雫が死ぬかもしれないと言われたんだぞ!?早く助けに行かねぇと!!』
「「いいから落ち着けっ!!」」
『うごっ!?』
ドゴンッ!と重低音を響かせて陽和の両脇腹に拳骨が炸裂する。ステータスが2倍ほどの差があったとしても脇腹に深々と突き刺さった重い拳撃には流石の陽和も苦悶の声を上げ思わず遠藤の胸ぐらを掴む手を離してしまう。
打撃とは思えない音に周囲の冒険者達が顔を青ざめる中、陽和が両脇腹を抑えてプルプルと鈍痛に震える。だが、冷静さは取り戻せたらしい。
「……少しは落ち着いたか?」
『……あ、ああ。少し、取り乱した。すまん』
セレリアの問いかけに未だ鈍痛に顔を歪ませる陽和がそう答え短く謝罪する。
落ち着いた陽和を見て、ため息をついたハジメは座り込んで呆然としている遠藤に話しかけた。
「ソルのことはともかく、どう言う状況なんだ?勇者の天之河がいれば大抵何とかなるんじゃないのか?それに、メルド団長もいるなら二度とベヒモスのようなことは起きねぇだろ」
呆然たしていた遠藤はメルドの名を聞いた瞬間、ひどく暗い表情になって俯いてしまう。そして、押し殺したような低く澱んだ声でポツリと呟いた。
「……んだよ」
「は?聞こえねぇよ。なんだって?」
「……死んだって言ったんだ!メルド団長もアランさんも他の皆も!迷宮に潜ってた騎士は皆死んだ!俺を逃すために!俺のせいで!死んだんだ!死んだんだよっ!」
「……そうか」
『そんな……』
癇癪を起こした子供のように「死んだ」と繰り返す遠藤に、ハジメはただ一言、そう返した。だが、陽和はメルドが死んだと言う言葉に瞳を大きく見開き動揺を露わにする。
関わりが少なかったハジメとしては少し残念さがよぎる程度だが、陽和は違う。
何度も世話になったし、重要な立場でありながら自分に危機を伝えにきてくれた。馬鹿げた茶番にも付き合ってくれた大恩がある人物だ。
そんな彼が死んだ。その言葉に陽和の胸中には一気に悲しさが膨れ上がった。
(……まだ、何も恩を返せて、ないのにっ…)
陽和は悲痛に表情を歪める。
自分は彼に命を救われた。全てが終わった後酒を酌み交わしたいとすら思っていた。なのに、その救われた恩返しを何もできずに、死んでしまった。
何も返せなかったこと。恩人の危機に間に合わなかったこと。二つの悲しみが彼の胸中を埋め尽くそうとしていたのだ。
(メルド団長っ……)
悲壮に瞳の端に涙を浮かべ、ギリッと歯を噛み締め顔を俯かせる陽和をチラリと見たハジメは遠藤に振り向いて尋ねた。
「で?何があったんだ?」
「それは……」
遠藤は座り込みながら事の次第を話そうとする。と、そこでしわがれた声による制止がかかった。
「話の続きは、奥でしてもらおうか。そっちは、俺の客らしいな」
声の主は60歳過ぎぐらいの体格のいい、左目に大きな傷が入ったり迫力のある男だった。
彼こそが冒険者ギルドホルアド支部長のロア・バワビスだ。そして、遠藤の慟哭じみた叫びに再びギルドに入ってきた時の不穏な雰囲気が満ち始めた事から、この場で話をするのは相応しくないだろうと判断し陽和達は大人しく従う事にした。
おそらく、遠藤は既にここで同じように騒いで、勇者組や騎士団に何かがあったことを晒してしまったのだろう。ギルドに入ったときの異様な雰囲気はそのせいだ。
ロアは遠藤の腕を掴んで強引に立たせると有無を言わさずにギルドの奥へと連れていった。遠藤は、かなり情緒不安定なようで、今はぐったりと力を失っている。
「……ソル、私達も行こう」
『……ああ』
悲しみに顔を俯かせていた陽和はセレリアにそう言われ顔を上げるとハジメ達と共にロアの後をついて行った。
………もうすぐだ。もうすぐ再会イベが来るぞ。