さぁいよいよ陽和が暴れるぞぉ!!
今回も色々と付け加えてめちゃくちゃ長くなったけど、まぁ許してください。
今思えば、この時だったかもしれない。
10年以上前の話だ。まだ小学生にもなっていない幼稚園児の頃だったか。
あの日、俺は雫と二人で絵本を読んでいた。
確か親父が仕事の関係で知り合いになった作家さんから絵本を貰ったと言っていたのを覚えている。
あの頃、紅咲家と八重樫家は親同士が仲良かったこともあって、度々互いの家に遊びにいったことがあったのだ。そして、雫が俺の家に遊びに来た時に、親父が面白いから二人で読んでみるといいと言ってその本を渡してきたのだ。
縁側で横並びに座って俺達はその本を早速読み始めた。
タイトルは『赤い騎士と青のお姫様』。
昔々、とある国に青いドレスがよく似合うお姫様がいました。
花のような笑顔が綺麗で、青い花でドレスを彩る姿はとても美しく、国民に愛され、家族にも愛されている皆から好かれ愛されているお姫様でした。
そんなお姫様はある人に密かに想いを寄せていました。
それは、赤い鎧の騎士様です。
この国を守る誉れ高き騎士団の若き精鋭たる青年。
剣を振るう姿に、民と触れ合う姿に、お姫様はいつしか赤い騎士様に惹かれていった。
そして、赤い騎士もまたお姫様に想いを寄せていたのです。お姫様の花のような笑顔に、民を慈しむ優しさに、彼もまたお姫様に惹かれていった。
お姫様と騎士は互いを想いあっていたのです。しかし、身分の差がそれを許さず、二人は近くにいながら、その想いを打ち明けることすらできなかった。
そんなある日、お姫様は隣国の王子様に嫁ぐことが決まってしまいました。
お姫様は嫌だと叫びたかったものの、国の為に、王族の責務を果たす為に、その婚約を受け入れます。
そうしていよいよ隣国へと向かわないといけなくなり、場所へと乗り多くの護衛騎士達と共に隣国へと旅立ちました。
想いを伝えられなかったことを悔やんだお姫様でしたが、もう会うことはできないと淡い恋心に蓋をして生きていくことを決めました。
しかし、その途中でお姫様を悲劇が襲います。
隣国に向かう途中でお姫様の乗る馬車は何者かに襲われたのです。
野盗に偽装していましたが、それは王子とお姫様の結婚をよく思わない隣国の貴族達が差し向けた刺客でした。
多勢に無勢とはよく言ったもので、数で圧倒的に勝る刺客は護衛騎士達を次々と倒していってしまい、やがてお姫様一人となりました。
窮地に追い込まれたお姫様は騎士の剣を拾い上げて自らも命を賭けて戦うことを決意しました。
しかし、蝶よ花よと可愛がられていたお姫様には多少剣の心得があっても、刺客達にはとても敵わなくて、あっさりと敗北してしまい、死の寸前まで追い込まれてしまいました。
そうしてお姫様がその命を奪われる直前、一人の騎士が助けに駆けつけたのです。
それは、もう二度と会えないと思っていた赤い騎士様でした。
馬に乗って駆けつけた彼はお姫様を背に立つと刺客達にたった一人で立ち向かいました。
一人対多数。いくら精鋭といえど苦戦を強いられてしまい、騎士様は何度も何度も傷を負いました。しかしです。自分の体がどれだけ傷つけられようとも、お姫様を守るためにその命を賭けて戦いました。
長い長い戦いの果てに、赤い騎士は遂に全ての刺客を倒しました。
赤い騎士は見事お姫様を守り抜いたのです。
お姫様を守り抜いた赤い騎士は傷だらけの体を引き摺りながらも、お姫様を抱えて馬に乗り共に王都へと戻りました。
その後、話を聞いた王様は赤い騎士の忠義にいたく感動し、王子との婚約を解消させて、赤い騎士との結婚を許したのです。
そうして晴れて結ばれた二人は王都から遠く離れたのどかな町いつまでも幸せに暮らしました、というよくある王道展開な騎士と姫の恋物語だ。
そんな絵本を俺と雫は横並びに座りながら読んでいた。読み終わった雫はキラキラとその瞳を輝かせていて、『赤い騎士様カッコいいね』って言っていたのは覚えている。
女の子はこう言った物語が好きで、かっこいいヒーローに守られるヒロインに憧れるのは幼心ながらに知っていた。
でも、それは俺も同じだった。
俺も雫がお姫様に憧れたように絵本の中の赤い騎士に憧れたのだから。どれだけ厳しい困難であっても、誰かを守る為に命を賭けて戦い勝つその英雄の姿に俺も憧れてしまったのだ。
気づけば俺はこんなことを口にしていた。
『しずくちゃんもあおいどれすにあうよ。ぜったいかわいいから』
と。このませガキめと俺は我ながら思い出して呆れてしまったほどだ。そんな事を言った俺に雫は一瞬ぽかんとすると、その次には嬉しそうに表情を綻ばせて、
『それならはるとくんは騎士様だね。騎士のはるとくん、きっとかっこいいよ』
と返してくれた。今思い返せば恥ずかしさと嬉しさで感情がバグりそうだったが、当時の俺はそんなこと考えるはずもなく無邪気に笑ってやがった。
俺はひとしきり笑うと雫に右手を差し伸べながらこう言った。
『じゃあしずくちゃんがあぶなくなったらおれが守るよ。おれはしずくちゃんの騎士だから。やくそくだ!』
そう言うと俺は小指を立てた。指切りだ。確かこの頃は母さんに指切りを教えてもらったばかりだった気がする。
騎士がどんなものかも知らないくせに、誰かを助けるってことがどんなことかも知らないくせに、当時の俺はそんな事を宣言したのだ。
雫は俺の顔を見てしばらくぽかんとしていたものの、やがてぽっと顔を赤くすると右手をだして小指を俺の指に絡めながら満面の笑みを浮かべた。
『はるとくん、ありがとう』
満面の笑みを浮かべてそう言ってくれた。
俺はそんな彼女のまさしく花が咲き誇ったかのような笑顔に、胸がドキリとはねたのが分かった。
当時は、それが何なのか分からなかった。
だが、今なら分かる。
俺は彼女の笑顔に目を奪われてしまっていたのだ。
この時だ。この時なのだ。
俺が彼女を
だから俺は励んだ。
だから俺は努力した。
全てはあの日の約束を果たす為に。
あの絵本の騎士のように、どんな困難が相手でも
彼女の笑顔を守れるような格好いい英雄になる為に。
俺は、戦う事を、強くなる事を選んだんだ。
———だから、今こそその約束を果たす時だ。
▼△▼△▼△
突然現れた陽和にその場にいた誰もが目を奪われた。魔人族も人間族も関係なく、魔物ですら驚愕に目を見張った。
雫が凶爪に貫かれようとした瞬間、何かの咆哮が轟き、文句なしでこの場で最強だったバートが、突如現れた何者かに吹き飛ばされたのだから。
その場にいた者達の視線は自然とその闖入者へと注がれる。
その何者かは、紅蓮を纏っていた。
太陽、あるいは炎と見紛うような鮮やかな紅の鎧にその身を包んでおり、兜に隠れて顔がわからないが、洞窟の暗闇の中で翡翠の瞳が輝いている。
「あ、あんた…何も『黙れ』っ!?」
カトレアが声を震わせて謎の闖入者に誰何を問おうとした瞬間、闖入者が口を開く。
その声音は、焼き尽くすような烈火を宿しており、その凄まじい重圧にカトレアはビクンと身体を震わせる声を発することすらできなくなった。魔物達も同様で、ガタガタと身体を震わせつつも、逃げ出すことすらできないでいた。
その重圧は重吾達にも向けられており、謎の男から放たれた重圧にクラスメイトの何人かは涙目になっていて、誰もがその場から動くことができなかった。
そして、その場に金縛りにあったかのように動けないカトレア達に謎の闖入者ー紅咲陽和は、淡々と冷酷な声音で宣告する。
『お前達はそこで待ってろ。何もするな。何かした瞬間、殺す』
憤怒の烈火宿す言葉にカトレアは頷くことすらできず、ただ沈黙することしかできなかった。
陽和はカトレア達を黙らせると、自分の腕の中にいる少女の姿をその視界に映す。
「雫……」
陽和は彼女の身体を見回す。
間一髪間に合いはした。だが、この身体を見て仕舞えば、間に合ったなど口が裂けても言えなかった。
むしろ、もっと早く向かっていればと後悔すらした。
(……こんなに、傷が……)
両腕は砕けてあらぬ方向に折れ曲がっており、左肩から太ももにかけて四条の傷痕が刻まれている。その傷痕はとても深く、辛うじて心臓を斬られていなかったから瀕死で留まっていたのだと理解した。
あと少しでも深ければ、手遅れだった。
恋人のあまりにも痛々しい姿に、心の内から怒りが込み上げる。彼女に向ける瞳こそ穏やかな愛を湛えて優しげではあるが、兜に隠れている表情は強張っていた。
『………ッッ』
ギリッと歯を噛み締める音が小さく響く。
彼女を傷つけた敵を殺したくて殺意が際限なく溢れて止まらない。
彼女が戦わざるを得ない状況を作った光輝が憎くてしょうがない。
こんなに傷だらけになってから来てしまった自分を呪うしかない。
「………はる、と…」
『ッッ』
敵へ、光輝へ、自分へと向けた様々な負の感情が渦巻き膨れ上がる中、腕の中にいる恋人が微かな声音で自分の名前を呼んだことでハッとする。
陽和は兜だけを解除して素顔をあらわにすると、片膝をつき彼女の身体を優しく地面に座らせて、優しく微笑んだ。
「ああ、俺だ。助けに来たよ、雫」
「……来て、くれた……のね……」
「遅くなってごめんな。俺がもっと早く来ていれば」
「……ううん…あなたは……来て、くれた……」
「待ってろ。すぐに回復するから」
嬉し涙を流して力無く笑う雫に陽和は左手を翳して一言。
「“ディア・エイル”」
紅白の輝きが雫の体を優しく包み込む。
全てを癒す最高の回復魔法がくつもの致命傷を癒していき、砕けた骨を治し、傷を塞ぎ、体力を、魔力をも回復させていった。
瀕死だったが故に、急激な回復は彼女の身体に悪いと判断して陽和は少しゆっくりと回復を行っていき、やがて、20秒ほどの時間を要して完全に回復させた。
回復した雫はうっすらと開いていた目をしっかりと開けて目をぱちくりしながら、自分の体を見渡す。
致命傷ばかりで死を待つしかなかったはずの傷が全て癒やされていた。
「う、嘘。もう、回復した、の……?」
完全に治癒されたことに雫は戸惑いを隠せない。
回復魔法であっても手遅れな傷もあったのに、それすらも治癒してしまった。しかも、明らかに治癒師の香織よりも回復速度が早いのだから。驚くしかなかった。
「ああ、でも怪我が酷かったから、少し時間はかかったけどな」
「…‥少しって、十分早いわよ」
驚愕を隠し切れない雫はそう返すと、改めて陽和をじっと見る。燃えるような赤い髪、鮮やかな翡翠の瞳。見たことのない鎧と変化した容姿に視線を向けた彼女は尋ねた。
「その姿は……もしかして、赤竜帝の?」
「力を継承して色が変わったんだ。変か?」
「ううん、その姿もかっこいいわ。鎧もよく似合ってる」
雫は首を横に振りながらそう答えると、彼の首に腕を回して抱きついた。恋人の体温を確かに感じて本物の陽和だと理解した雫は大粒の涙を流しながら、陽和を抱きしめる力を強めた。
「…陽和、ありがとうっ。助けに来てくれて、ありがとうっ。ずっと、会いたかったっ」
「俺もずっとお前に会いたかった。もう大丈夫だ」
陽和も目の端に涙を浮かべながら彼女を抱きしめ返すと、嗚咽を漏らす彼女の頭を安心させるように優しく撫でる。そしてしばらく抱擁を交わしていた二人は、抱擁を解くとどちらともなくキスを交わす。
「んっ…」
ほんの一瞬の触れ合うようなキス。しかし、それでも充分に幸福を感じることができた雫は、見惚れてしまうような微笑みを浮かべると、もう一度陽和に抱きつき、何度目か分からない感謝を口にした。
「……陽和、本当にありがとう」
「……あぁ」
陽和はそれを優しく受け止めると、ほんの少しだけ無言の抱擁を交わす。そして、数秒後に抱擁を解くと、宝玉から深紅のケープを取り出してふぁさと雫にかけて身体を覆った。
「これ羽織っておけ。後で着替えるとして、今はそれで隠しておくんだ。色々と見えてるから」
「え?」
陽和にそう言われ、雫は自分の体を見下ろす。
先程までは肉が裂けて血を噴き出していたあまりにも痛々しい姿だったが、今は陽和の魔法により完全回復したおかげで傷は跡形もなく消えて、滑らかな白磁の肌に戻っていた。
そう、肉体だけは完治していた。しかし、服は元に戻っていないのだ。
バートに大きく切り裂かれた為か、シャツはもはや服の用途を為していなくて、豊かな胸を半分も隠せていなかったし、腹部は完全に露出していた。
しかも、太ももまで切り裂かれた為、ズボンも右側が深く裂かれており、右太腿が半分ほど露わになっていたのだ。
「〜〜〜〜っ、きゃっ」
自分のあられもない姿に雫はボッと顔を赤くして、可愛らしい悲鳴をあげてケープにくるまって自分の身体を隠した。
陽和だけならばともかく、ここには他の仲間達もいる。身体を見られるのは流石に恥ずかしかったのだ。
ケープに包まり、すっぽりと顔だけを出す雫に、陽和は優しく微笑むと、頭を優しく撫で立ち上がった。
「ここで待ってろ。すぐに終わらせる」
「うん」
雫は頷いて彼を送り出した。気をつけてとは言わなかった。だって、彼ならばこんな困難でも打開できると信じることができたから。それなら、自分はただこの戦いが終わるのを待つだけだ。
陽和は雫へと再び左手を翳すと今度は、
「“浄火の大光盾”」
光炎の大盾を雫を覆うように球状に展開する。
万が一、いや億が一雫を攻撃しようとする輩がいても、これならば傷つけられる心配もない。最も、雫に近づけさせるつもりも毛頭ないのだが、恋人の為だ。出し惜しみなどしない。
雫の防御を完璧にした陽和は兜を展開すると、岩牢に囚われた重吾達へと歩み寄る。
「お、お前………」
歩み寄る陽和に重吾は純粋な驚愕に声を震わせる。背を向けていた為顔こそ見えていなかったが、雫の様子から陽和のことに気づいたのだろう。何故ここにいるのかという驚愕と、来てくれたのかという安堵がないまぜになっていた。
「は、はる『重吾。お前に言いたいことはあるが、その話はあとだ。メルド団長はまだ生きているな?』っ、あ、ああ、今はまだなんとか」
『ならいい』
陽和は重吾の背後で寝かされ回復をされているメルドに視線を向ける。血塗れで、腹部は貫かれでもしたのか血が滲んで止まっていないようだ。
回復魔法のおかげで辛うじて瀕死にとどまってはいるものの、回復魔法が切れたら本当にまずい。
とはいえ、陽和としてはメルドは死んだと思っていた為、まだ生きているのは僥倖だった。
だからすかさずメルドに向けて左手を翳し回復魔法を発動する。
『“ディア・エイル”』
陽和の左手から放たれた紅白の輝きがメルドを包むと、急速に回復させていく。
息も絶え絶えだった様子だったのに、それが瞬く間に回復し顔色も健康的な色を取り戻す。治癒師の香織や辻は詠唱や陣も無しに魔法を発動し、現存する回復魔法よりも遥かに高レベルな回復力に目を丸くする中、完全回復したメルドはゆっくりと上体を起こすと、自分の体を見渡す。
「き、傷が…消えただと?」
メルドは驚愕を隠さずにそう呟くと、それを成した赤い鎧を纏う陽和を見上げる。最初こそ誰だか分からなかったようだが、少し観察して陽和だと気づいたのか、驚きに目を見開いた。
「お前、まさか……」
『メルド団長、話は後です。今はそこで休んでいてください』
「あ、ああ」
有無を言わさない圧力にメルドはただ頷くことしかできなかった。そうして今度こそカトレア達の方へと振り向こうとした時、彼を呼び止める声が聞こえる。
「ま、待ってくれ!」
呼び止める声に陽和は背中越しに振り向き視線だけを向ける。呼び止めたのは龍太郎だった。
彼は必死な顔で陽和に懇願する。
「誰だか知らねぇけど、光輝の治療もしてくれ!光輝もやべぇんだ!頼む!」
両手を地面につけて頭を地面に擦り付けるように頼み込む龍太郎。龍太郎の傍には血塗れの姿で寝かされている光輝がいる。
一見すれば死体同然だが、よくよく目を凝らせば口がかすかに開いて呼吸をしていたことから、辛うじて生きているとわかる。しかも、意識を残しているのか、視線をこちらに向けている。
親友だからこそ光輝のことを心の底から案じており、他の面々も何人かは同じく治療してくださいと頼み込む始末だ。
だが、
『断る』
「え?」
その懇願はあっさりと拒絶される。
どうして!?と言わんばかりに目を見開く龍太郎に陽和は凄まじい憤怒を宿す瞳を向けると、抱える怒りの激しさとは対照的な底冷えするような声音で告げる。
『何故俺がそこの馬鹿を助けなきゃならない?遠藤から話を聞いたが、大元を正せばそいつが元凶だろう。そいつが状況を理解しないで、ふざけた正義感で戦って、その結果、雫が戦わざるを得ない状況になった。そいつが原因で、雫が傷ついた。雫が泣いた。なのに、治療しろだと?ふざけるのも大概にしろ』
「ッッ!」
陽和から噴き出るのは炎のような殺気。炎など燃えていないはずなのに、焼かれると錯覚してしまうような荒々しい殺気に龍太郎達は言葉を発することもできない。
誰でも分かった。陽和は激怒しているのだと。
『雫が傷ついた』。それが彼の逆鱗に触れ、その状況を招いた魔人族だけでなく、光輝にもその殺意の矛先は向いているのだと、彼らは心の底から理解させられた。故に、例え瀕死でも完全回復させることができる最上級の回復魔法を使えたとしても、陽和は決して光輝を治療しないのだと思い知らされた。
恐怖に顔を青ざめる龍太郎達を睥睨した陽和は、用はないと背を向けながら吐き捨てる。
『そんなどうしようもない愚図など救うわけがねぇだろうが。治療したいならお前らで勝手にやってろ』
「………」
容赦のない言葉に龍太郎が肩を落とし項垂れてしまう。そんな彼を一瞥した陽和は心底下らないと鼻を鳴らすと、今度こそカトレアへと振り向くと一つ提案する。
『おい、女。業腹だが一度だけ、たった一度だけ選ばせてやる。だから、選べ』
「……選ぶ?」
『ああ。ここで俺に殲滅されるか、撤退して生き延びるかをだ』
「……なんだって?」
突然の提案にカトレアは目を丸くして思わず聞き返してしまう。彼女には理解ができなかった。陽和と雫が恋人関係なのはもう分かった。それならば恋人を傷つけた自分達を許すはずがない。なのに、選択肢を与えてきた。
理解ができずに混乱している彼女に陽和は一歩踏み出しながら、怒りを堪えるように唸りながら答える。
『俺は、お前達を殺し尽くしたい。雫を傷つけたお前達を許せない。今すぐに八つ裂きにして焼き滅ぼしたいほどに、俺は怒り狂っている』
その声音には抑えきれない憤怒が宿っており、疑いようもなく陽和が怒り狂っていると分かった。なのに、それでもなお何故選択肢を与えたのか。
それは、
『だが、あいつの手前、魔人族であってもあまり殺したくはないのが本音だ。だから、一度だけ選ばせてやる。俺と戦い死ぬか。撤退して生き延びるかを』
仲間の、セレリアの為であった。
確かに雫を傷つけたことへの怒りはある。だが、僅かに残っている冷静な部分が、魔人族を救わんと足掻くセレリアの覚悟を知りながら、同胞を殺していいのかと訴えていた。
彼女達はエヒトによっていいように使われている存在だ。たとえ、雫を傷つけたとしても、セレリアにとっては救うべき同胞だ。
だからこそ、彼女の心情を慮っての最大限の譲歩が一度だけ選ばせるということだった。ここで撤退するならばそれで良し。ぶつけられれなかった怒りは光輝にぶつければいい。しかし、拒否した場合は、彼女達も報復の対象だ。
陽和の提案にカトレアは頬から冷や汗をつぅと流しながら、思考した。そして、
「……殺れ」
ただ一言、陽和を指差し魔物に命令を下した。
カトレアはこの時、致命的なミスを犯した。
魔人族が誇る最強の兵士たる獣魔兵のバートが、目の前の男に突然吹き飛ばされた。パワーと耐久力に秀でてその暴力と堅牢さは魔人族最強と称すべきほどの存在。それがあっさりと吹き飛ばされた。
その突然の事態に混乱し、冷静さを欠いてしまったことで、普段ならできたであろう判断が出来なくなっていたのだ。
そして、賽が投げられ魔物達が殺到する中、いよいよ陽和は憤怒の化身となった。
『なら、皆殺しだ』
魔物達が迫り来る中、そう呟いた陽和はもう一歩踏み出しながら兜の下で牙をむき出しにすると、その憤怒を解放した。
『グゥオオオオオァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァッッッ!!!!』
翡翠の瞳と宝玉を爛々と輝かせ、全身に紅蓮の輝きを纏う竜帝は、大咆哮を上げる。
洞窟の壁面に亀裂を刻むほどの凄まじい音塊が、竜帝の顎門から解き放たれ轟く。
カトレアに命令を下された魔物達は原始的恐怖を喚起させる竜帝の恐嚇を直接浴びてしまい、揃いも揃ってその身を強張らせると、恐怖にその身を震わせる。
重吾達ですら恐怖に体を硬め、何人かは腰を抜かすほどの怒号。
たった一度、されど一度の咆哮で、この場にいる殆どの生命から体の自由を奪った陽和は、牙の如く歪んだ竜眼で鏖殺する敵共を見据えながら、相棒達に声をかける。
『ドライグ、ヘスティア』
『ああ、相棒の怒りはっきりと伝わってくるぞ。好きに暴れろ』
『うん、ボク達は止めないよ。君の思うがままに暴れるといいさ』
二人の相棒と短く言葉を交わした陽和は、腰の鞘からヘスティアを抜き右手で構え腰を低く落とすと呟く。
『“クリムゾン・アルマ”』
その言霊と共に陽和の四肢と竜聖剣には紅緋の炎雷が宿る。
恐怖に硬直していたカトレアは、陽和の様子に『アレはまずい』と危機感を感じ、怯える心を奮い立たせ焦燥のままに魔物達に再度命令を下す。
「お、お前達!早く奴を殺しな!!」
「が、ガァァアアア!!」
「グオオォォ!!」
命令に従い一度は止まった魔物達も、怯えつつも気力を振り絞り雄叫びをあげて動き出し陽和へと襲いかかる。対する陽和はゆらりと動くと次の瞬間には、
『Boost‼︎』
『“火華”』
倍加の音声と爆発音と共に一気に加速して迫る魔物達の群れを悉く斬り裂いていった。斬り捨てられた魔物達は肉体がバラバラに崩れ落ち炎に包まれ灰となる。
『…………』
直後、何かを感じ取った陽和が無造作に背後に腕を伸ばして何かを鷲掴んだ。
すると、陽和が掴んでいる空間が揺らぎ、拘束から逃れようと暴れるキメラが姿を現した。それを見て、陽和が眉を吊り上げ侮蔑の眼差しを浮かべる。
『おい、動いたらわかっちまう隠密なんざ何の意味があるんだ?』
隠密能力のくせに動けば空間が揺らいでバレるなど意味があるのだろうかと、思わず呟いてしまう。
そして、顔面を掴む手に力をこめると数百キロはある巨体を軽々と持ち上げる。
数百キロある巨体に加え、拘束から逃れようと大暴れしているのに微動だにしない陽和にカトレアや重吾達が絶句する中、
『………精々、投擲に使えるぐらいか』
そう呟くと、顔面を握りつぶしながら踏み込むと眼前に迫っていた魔物達に叩きつけた。
グシャと音を立てて迫っていた魔物達が潰れると、陽和はもう一度巨体を持ち上げて、今度はメイスを以って迫るブルタールもどき数体に向けて勢いよく放り投げたのだ。
野球の投球よりも速い速度で迫る巨体には流石にブルタールもどき達も受け止める態勢を見せて、数体がかりでその巨体を受け止めようとする。しかし、勢いがあまりに強すぎたからか、ブルタールもどき達はキメラの巻き添えを喰らい壁に叩きつけられてグシャリと潰れた。キメラも放り投げられた時点で顔面を握り潰され絶命していた為、共に地面に崩れ落ちてピクリとも動かなくなった。
「まじ、かよ……」
誰かが掠れる声でそう呟いた。
陽和は次に竜聖剣を振るい何もない空間に向けて炎の斬撃を飛ばす。斬撃が通過した後、空間が一瞬揺らぐとずるりと斜めに体がずれたキメラとブルタールもどきが現れ、血を吐き出しながら崩れ落ちる。
姿が見えないことなど障害にもならない。陽和の優れた感知能力の前には無意味。怒れる竜帝を前に隠蔽程度で逃れるわけがないのだ。
『BoostBoostBoostBoostBoostBoost‼︎‼︎』
一撃の元に瞬殺した陽和は次の目標へと狙いを定める。これより始まるのは、殺し合いではなく、ただの蹂躙。決して怒らせてはいけない竜の逆鱗に触れた者達の鏖殺だ。
『Transfer‼︎』
『“ファイア・ボルト”“アストラル・ウインド”』
無造作に左手を翳した陽和は自身の頭上に五十を上回る雷炎の塊と風光の星を生み出すとすぐさま発射する。
流星が如く軌跡を描いた雷炎と風光は迫る魔物達を悉く爆砕していく。運良く回避行動を取れたとしても、爆発の余波のみで致命傷を負いすぐに死んだ。
四ツ目狼と黒猫が連携して全方位から飛びかかったり触手を伸ばしたりと攻撃を仕掛けてくるものの、陽和は翼を広げて素早く飛び上がり容易く回避。そして、天井に着地すると両足の炎を爆破させ天井を蹴り砕きながら、弾丸が如く飛び出し一塊になっている黒猫達に拳を構え地面へと叩きつけた。
着弾の瞬間、雷炎が周囲に解き放たれ大爆発を引き起こし魔物達を一撃で爆砕する。
距離が離れていたため爆発の範囲外にいた魔物達は地面を拳に突き刺したままでいる陽和へと雄叫びをあげて肉薄する。
ブルタールもどきがどこかで砕きでもしたのか大岩や棍棒を投擲し、巨体のキメラが狼の狩りのように正面からでなく背後からも挟撃を仕掛けようとする。
拳を引き抜いた陽和はそれらに対しあえて翼を広げて前方へ飛翔すると正面から迫るキメラの顔面に拳を叩き込んで頭部をトマトのように破裂させ、次に迫る大岩目掛けて突撃を始める。
『フッッ!』
短い呼気と共に紅蓮が猛る。
紅蓮纏う竜帝は迫る大岩を体当たりで容易く爆砕すると、前方にいたブルタールもどき達へと一瞬で接近し悉くを焼き斬っていく。
トンッと軽やかに着地した陽和は次いで後方へと視線を向けると、迫るキメラを切り裂き、ついでに黒猫や四ツ目狼達も切り捨てていく。
切り裂かれた魔物達は悉くが炎に呑まれ灰へと変わっていった。
炎が燃え狂い、灰が舞い上がる紅蓮の地獄絵図の中で陽和は竜聖剣を手に、踊るように魔物達を蹂躙していく。
「な、何だあれ……何が起きてんだ?」
「今誰が、戦ってるの?」
龍太郎が目の前の異常な光景に愕然と声を震わせ、鈴が赤い鎧の下にいるのは誰だと疑問を溢す。
それはここにいる大半が思っていることで、彼の正体を知るのはメルド、香織、重吾だけだ。
(あれが赤竜帝の力か。あれほどに凄まじいとは……いや、あれだけの力を使いこなす陽和が凄いのか)
重吾は自分達では敵わなかった魔物達を圧倒する陽和の姿に改めて陽和の凄さを実感する。メルドの治療が必要なくなり、光輝の治療を辻と共にしている香織は、回復をかけながら重吾に小声で尋ねる。
「ね、ねぇ、永山君…あの赤い鎧の人って、もしかしなくても、彼、だよね?」
「……ああ。八重樫の反応を見る限りな。ともかく、あいつが来てくれたならもう大丈夫だろう」
事情はどうあれ陽和がこの場に来てくれた。もう命の危機に陥ることはないだろうと重吾は安心し、ようやく肩の力を抜いた。重吾と同じく安堵から肩の力を抜いた香織は、遠くで陽和の結界に守られている雫へと視線を向けるとなんとも言えない表情を浮かべる。
「ていうか、私、雫ちゃんのあんな顔見たことないんだけど……」
「そ、そうか」
雫はぽへぇ〜とした表情で陽和の戦いを眺めていた。彼女の横顔は、結界越しにでもわかるほどに赤くなっており、瞳は熱に潤んでいたのだ。
自分の窮地に恋人が助けてきてくれたという夢のようなシチュエーションでときめくのは分かるが、それでも「10年付き合いある幼馴染なのに、あんな乙女な雫ちゃん初めて見たよ……」と香織は少し悔しそうに呟いていた。
「ルゥオオオ!!」
「ルゥアアア!!」
鏖殺を繰り返す陽和の左右からアハトド2体が四本の腕を振りかぶりながら挟撃する。
二体のため計八つの“魔衝波”込みの拳が陽和を圧壊せんと同時に振り抜かれた。
『………』
轟音を立てて確かに直撃はした。そう、直撃はしたのだ。しかし、八つ同時に拳が直撃しても、陽和は微塵も揺らがなかったのだ。
「は?」
カトレアはその光景が信じられなかったのか、目を丸くしてそんな声を漏らしてしまう。
限界突破状態の勇者を圧倒したはずのアハトドの拳。それが八つも同時に叩きつけられた。なのに、彼は怯むどころか、まったく揺らぎもせずに平然と受け止めたのだ。
魔物達の中では最強のアハトドの攻撃が、全く意に介されていない光景に絶句するしかなかった。
確かにアハトドは強いだろう。勇者である光輝を限界突破の状態でも圧倒したのだから。その力は確かなものだ。だが、相手が悪すぎた。
相手は、伝説の邪竜と謳われた神を除けばこの世界最強の怪物の力をその身に宿している。怒り狂う竜帝を前に勇者を圧倒する程度の攻撃など無意味なのだ。
まるで大樹の幹を殴ったかのような手応えにアハトド達は困惑を隠せない。そして、八つの拳を平然と耐え抜いた陽和は翡翠の瞳を向けると煩わしげに告げる。
『………おい、邪魔だ』
そう言って、左手をゴキリと鳴らしながら上げた瞬間、アハトドの体が赤光に覆われ一人でに浮かび上がったのだ。
『……潰れろ』
陽和は開いた左手を閉じる。
すると、アハトドの巨体が端から重力によって圧壊されていき、ゴキバキ、グチャと嫌な音を立てながら数秒であっという間にサッカーボールほどの大きさの肉塊へと圧し潰されていた。
圧壊したアハトドには興味ないと言わんばかりに肉塊を燃やしながらそこら辺に放り捨てると、雄叫びを上げて迫るアハトドに視線を向ける。
「ルゥオオ!!」
たった今目の前で同族が圧壊されたというのに、それでもなお攻撃を仕掛け、拳を振りかぶるアハトドに陽和は握り拳を作りながら迎え撃つ。
赤竜の拳とアハトドの拳が激突して衝撃音を鳴らすも、拮抗はせずアハトドの拳は赤竜の拳に容易く砕かれ、手首ごと粉砕される。
「ルゥアアアアア!?」
悲鳴を上げて仰け反るアハトドに陽和は左腕を戻し竜聖剣を傍の地面に突き刺すと、両腕を引いてガラ空きの胴体へと炎雷纏う拳の連打を見舞う。
直後、両腕が掻き消え凄まじい轟音が連続で鳴り響いて、アハトドの顔面、肩、腕、胴体、脚に炎雷の拳が刻まれ、次の瞬間には身体が粉々に弾けた。
『………』
アハトドの血肉の破片が音を鳴らして地面に落ちていく中、陽和は返り血に赤い装甲を濡らしながら、まだ生き残っている魔物達へと襲いかかる。
『BoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoost‼︎‼︎‼︎』
竜聖剣を振るいキメラやブルタールもどき達を纏めて切り捨て、黒猫の頭を握り潰し、伸ばしてきた触手を掴んで焼き尽くし、四ツ目狼達を踏み潰し、爆砕していく。
次々と魔物達がたった一人に蹂躙されていき、死屍累々と転がる死体が例外なく炎に焼かれ、洞窟内は炎の海と化していく。
『……?』
鏖殺を繰り返す陽和の耳に『キュワァァァ』と奇怪な音が聞こえてきた。手を止めずにそちらに視線を向ければ六足亀の魔物アブソドが口を大きく開いており、その口の中で純白の輝きを圧縮しているところだった。
陽和は知りもしないが、あれはメルドの“最後の忠誠”に蓄えられていた魔力を吸収したものだった。それは範囲こそ狭いが人一人消滅させるには十分な威力を有していた。
その強大な魔力が限界まで圧縮され、次の瞬間には陽和を標的として砲撃となって放たれる。射線上の地面を抉りながら迫る死の光に、雫は思わず叫ぶ。
「駄目、陽和っ!避けてっ!!」
『大丈夫だ』
雫に短く返した陽和は兜の口部分を開くと息を吸って大きくのけ反らせて、口に紅緋の輝きを収束させた。そして、雷炎を迸らせながら、左腕の宝玉を輝かせて倍加も発動させた。
『BoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoost!!!!!!』
力強い音声が連続で鳴り響き、紅緋の輝きが臨界点に達した瞬間、陽和はのけ反らせた上体を前へと勢いよく戻してその輝きを解き放つ。
『Transfer!!』
『グゥガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッ!!』
洞窟を揺らすほどの轟音じみた咆哮と共に紅緋色の砲撃が放たれ、アブソドの純白の輝きと激突するもののその砲撃の太さは明らかに桁違いで、拮抗すらせずに容易く純白の輝きを呑み込みそのままアブソドをあっさりと消滅させ、背後の壁をも余裕でぶち抜いて先が見えないほどの大穴を空けた。
「なっ……」
アブソドの砲撃を真っ向から迎え撃ち消滅させた埒外の破壊力にカトレアは絶句し、次の瞬間にその表情は凍りついた。
なぜなら、砲撃を打ち終えた陽和が巨大な雷炎の槍を生み出しており、こちらへと狙いを定めていたからだ。
『“極大・雷炎槍”』
スパークし、螺旋を描く巨大な雷炎の槍が魔人族の女へと真っ直ぐ襲いかかる。
「っっ!?ちくしょう!」
カトレアは槍から逃れようと必死に走る。しかし、槍の速度は遁走の速度よりもはるかに速く、確実に彼女を貫くことだろう。
しかし、ここで予想外のことが起こった。
槍がカトレアを貫く直前、大柄な人影が庇うように割り込んできたのだ。その人影はつい先程陽和が吹き飛ばしたバートであり、獣の剛腕を振りかぶりながら叫んだ。
「“剛獣魔爪”ッッ!!」
鋭い鉤爪を有する剛腕に黒曜の岩石を纏い黄土色の魔力を宿らせながら、雷炎槍を掴んで受け止めたのだ。
「グゥッ………オオォォォォォォォォッ!!」
雷炎槍を受け止めたバートはしばらく火花を散らし拮抗し、やがて雄叫びをあげて雷炎槍を弾いた。
天井へと軌道を逸らされた雷炎槍はカトレア達の後方の天井に突き刺さると、大爆発を起こした。
(………逸らした、だと?)
雷炎槍を逸らした光景に陽和は僅かに瞠目し、警戒心を滲ませる。先程雫にトドメを刺そうとした男、怒りのままに殺すつもりで吹き飛ばしたのに、死んでおらずあろうことか立ち上がり自分の一撃を逸らしてみせた。
並外れた頑丈さとパワー、一瞬何者かと訝しむも、半人半獣の姿にすぐに気づいた。
『………セレリアと同じ獣魔兵か』
『そのようだな。熊の魔物をベースにしたか』
『……彼強いね。セレリア君と同等じゃないか?』
『いや、恐らくはあいつよりも強い。この短期間でどれだけ強化を施されたんだ?』
陽和の見立てでは単純の強さで見ればセレリアと互角だが、あの頑丈さとパワーならば彼女に勝ってもおかしくないと思ったのだ。
同じく改造を施されたとしても、セレリアは奈落の魔物肉による強化と陽和との鍛錬のステータス向上が加えられている。にも関わらず、バートはそのセレリアよりも強い。一体どれだけの強化を施されたのかと疑わざるを得ない。同時に、セレリア脱走後から今日までの数ヶ月でセレリアを超える怪物を生み出した将軍二人の手腕に素直に感心するしかなかった。
そう陽和達が警戒を滲ませバートを観察する中、肩を上下し荒い呼吸を繰り返すバートは、自身の後ろにいるカトレアに声をかける。
「カトレア様……ご無事、ですか?」
「あ、ああ。バート、あんたは無事なのかい?」
「ええ、何とか。……傷は、浅くは、ありませんがね」
そう答えながらバートは胸の傷を撫でる。
バートの胸部は拳の形に陥没しており、先の一撃は胸部を焼くだけにとどまらず内臓をも焼いたのだ。
重すぎる一撃から回復し切っておらず、口の端から血を流すバートは、脂汗を流しながらそれを成した陽和へと視線を向ける。
何か話し込んでいるように見えるが、その眼差しだけは一切逸らさずにこちらへと向けられている。挙動を何一つ見逃さないと言わんばかりの殺意を放っていた。
(まずいな…‥なんだ、あの化け物は)
自分の中の獣の本能が告げている。『アレは危険だ』と。彼の中に宿る怪物に比べれば、自分の中の獣など何と小さなことか。間違いなく、自分はあの怪物を激怒させてしまったのだ。
まず勝てない。あらゆる抵抗もねじ伏せられて、喰われてしまうことだろう。
かつて雫が自分に抱いた恐怖を、今度は自分が彼に抱いてしまっていたのだ。
しかし、本能から伝わる恐怖を気力で堪えたバートは、恐る恐ると尋ねる。
「……お前、何者だ?」
『……俺のことはどうでもいい。それよりも、お前獣魔兵だな?セレリアの後釜か』
「「っっ!?」」
陽和の口から出てきた本来ならば魔人族以外は知らない『獣魔兵』と『セレリア』という二つの名前。
それには二人揃って目を剥くほど驚愕する。
「な、何であんたがセレリア様のことを知ってるんだい!?」
敬愛する上司の妹だからだろう。獣魔兵であろうとも、様付けし敬意を表しているカトレアに陽和は淡々と答える。
『あいつは俺の仲間だからだ。今は共に旅をしている。だから、お前達魔人族の内情も知っている』
「そ、そんなことが…」
『信じたくないなら信じなければいい。だが、じきにこの場に来る。あいつらの足が早ければ、あわよくば再会もできるだろうよ。もっとも、それまで生きていればの話だがな』
将軍の妹が敵の手の中にある。その事実をきいて信じられないと驚愕するカトレアに陽和は淡々とそう答える。その時、バートが一つ陽和に尋ねた。
「……セレリアが仲間だと?なら、お前はどっちの味方なんだ?魔人族の、それも二大将軍の一人の妹であり最初の獣魔兵たる彼女を仲間に抱えながら、なぜ勇者を助けに来た?」
『勇者を助けに?ハッ、勘違いするな。俺は勇者を助けにこの場に来たんじゃない。勇者なんざどうでもいい。俺は俺の女を助けに来たんだ。それ以外の理由があるかよ』
「……っ」
陽和は堂々とそう宣言する。
陽和達の会話を聞いていた雫が『俺の女』発言に、若干気恥ずかしさに顔を赤らめるものの嬉しそうに表情を綻ばせる。
『さて、どっちの仲間と聞いたな?俺はどちらの味方でもない。だが、同時にどちらの味方でもある。全ての種族に平等に接する。だからこそ、敵対するならばどの種族でも容赦はしない。敵ならば滅ぼす』
陽和は種族で差別などしない。彼は『解放者』だ。真に敵対すべきは神のみであり、人間族、魔人族、獣人族の全てが守るべき対象だ。そして、神でなくとも自分の大切を傷つける者ならば、種族問わず撃滅する。ただそれだけの話なのである。
『確かあいつは『銀狼』と呼ばれていたな。だとしたら、お前の呼び名は見た目から察するに『紅熊』ってところか?』
「………その通りだ。『紅熊』バート・ガルディアだ」
『別にお前の名前なんざ興味もない。名を知ったところでお前が雫を傷つけた事実は変わらねぇだろ。それなら、お前はもう俺にとって殺すべき敵だ』
「……なるほど。あの剣士はお前の恋人だったのか。それならば、そこまで激怒するのも頷ける」
バートは陽和の憤怒の原因を理解する。恋人が殺されかけたのなら、あそこまで怒るのも当然だ。
一人勝手に納得するバートに陽和は竜聖剣を鞘に仕舞うと、露骨に苛立ちながら拳を鳴らし唸るように呟く。
『もういいか?俺はあいつに同胞を殺す姿を見せたくないんだ。あいつが来る前にお前達を消し炭にする』
「……やってみろ。消し炭にされるほど俺は柔ではないぞ」
『ぬかせ』
二人はほぼ同時に飛び出す。紅緋の炎雷纏う陽和を迎え撃つべくバートは一歩踏み出した瞬間、叫んだ。
「———“紅熊魔装・岩鎧”ッッ!!」
直後、バートの全身を黒曜の岩石が覆い鎧のようになる。まさしく熊を模った黒曜の岩鎧を纏ったバートは熊の顔を模した兜の奥で黄土色の眼光を輝かせながら駆ける。
「ウオオオオオオオオォォォォォォォォォォ!!」
左腕を振りかぶり、雄叫びをあげながらバートは岩石纏う左拳を突き出す。対する陽和も左腕を振りかぶり、左拳の炎雷を一層迸らせる。
そして、両者の距離がゼロになった瞬間、お互い拳を激突させた。
大気を破りかねない轟音が響き渡り、余波で近くにいた魔物達が吹っ飛ばされるほどの衝撃が放たれる。それほどの重い一撃のぶつかり合いの直後、始まったのは凄まじい打撃の応酬だった。
「オオォォォォォォォッッ!!」
『……………』
一撃一撃が大気を震わせるほどの重撃。放たれる衝撃波は洞窟全体を揺らし、衝撃が伝播し周囲の地面や壁面には亀裂が刻まれるほどの重撃が何度もぶつかり合う。
『BoostBoostBoostBoostBoost‼︎‼︎』
倍加の音声が何度も響く。
時には顔面に、時には胴体に、時には拳同士をぶつけ殴り合いを続け、やがて百を超えた頃お互いの拳をぶつけお互いの体を大きく弾いた。
バートはあまりの衝撃に踏ん張りが効かず、地面を削りながら数メートル後退すると兜の下で冷や汗を流す。
(何なんだこの重さはっ!?)
はたから見れば拮抗しているように見えただろう。だが、実際は違う。実際はバートが圧倒されていた。
一撃一撃拳を合わせるたびに痺れるような衝撃が全身に響き、音声が響くたびにその重さは増していき、魔力で強度を上げた岩の鎧に亀裂を刻んでいるのだ。
その一方で陽和は全くダメージを受けた様子がない。鎧も亀裂など生じず依然として堅牢さを維持したままだ。
『銀狼』が速度に特化するように造られた獣魔兵ならば、『紅熊』はパワーと耐久力に特化した存在として造られている。前作の『銀狼』での改造結果を踏まえて、彼女を超える暴力の化身として生み出された。
そのはずだったのに、その暴力で押されていると言う事実に動揺を禁じ得なかった。
亀裂を一瞬の間に高速で修復しているからこそ、ギリギリ耐え凌ぐことができている。だから、魔力が尽きてしまった時には、もう……
「っっ!?」
だが、そこまで考えた時、バートの眼前には既に陽和が肉薄していて、左拳を構えていた。
「ぐぅおっ!?」
容赦なく顔面に拳が叩き込まれ炎雷が炸裂する。炎雷が爆ぜ、兜に大きな亀裂を生みながらバートの巨体は後方に勢いよく仰け反った。
顔を抑えながら後方に蹌踉めくバートに陽和は容赦なく追撃を仕掛け、瞬時に背後へと回り込んで横っ腹に蹴りを叩き込んだ。
「ごふっ!?」
ドゴンと鎧を貫通して肉体に響く重い衝撃にバートは肺の空気だけでなく血も吐き出して横にぐらりとその巨体を揺らす。
「ぐぅっ、ぬぅっ…」
その巨体故か、吹き飛びはせずに横に数歩蹌踉めくだけだったが、それでも肉体に響く鈍痛に苦悶の声を上げる。そんな彼の後頭部を陽和はガシッと掴んだ。
「ぐぅふっ!?」
まずい!そう思った時にはもう既に遅く、バートの顔面は地面に叩きつけられていた。地面が崩壊するほどの威力で叩きつけられ、バートは一瞬意識が飛びかける。しかし、叩きつけは一度で終わらず後頭部を掴んだままの陽和は頭部を持ち上げるとその後何度も地面に叩きつける。
ガンガンガン!と何度も音が響き、バートの兜の破片がパラパラと宙に舞う。飛びそうになる意識を必死に保っているバートは自身の後頭部を掴む陽和に攻撃を仕掛ける。
「ぐぅっ、ぬぅおおおぉぉぉぉぉぉ!!」
顔面を掴まれ視界が揺れる中、バートは右腕を持ち上げて鉤爪を上にいるであろう陽和へと突き出す。しかし、それは呆気なく回避され、陽和は翼を広げて飛び上がるとバートから少し離れた場所へと降り立った。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
荒い呼吸を繰り返しながら立ち上がったバートの鎧は所々剥がれかけており、兜は半分ほど欠けて素顔が顕になっている。口の端から血を流すバートに陽和は思った以上に頑丈なことに舌打ちする。
『チッ、思ったよりも頑丈だな、お前。流石は獣魔兵といったところか。セレリアといいよくもまぁここまで強力な奴らを造り上げたものだ』
「……なめて、貰っては困るな。頑丈さには、自信があるんだ」
『…………』
バートの返答にスッと目を細めた陽和は、全身から魔力を滾らせながら冷酷な声音で告げる。
『………おい、熊野郎。格の違いを見せてやる』
「な、何を…」
荒々しく噴き上がる莫大な魔力にバートは得体の知れない恐怖を感じ、無意識に後退ってしまう。
そんな彼を見据えながら、陽和は一言短く唱え、ソレを発動する。
『———“臨界突破”』
『Explosion‼︎‼︎』
「っっ!?」
瞬間、紅白の輝きが彼の全身から解き放たれる。
溜め込まれた倍加の力も解放され、一定時間の強化状態に入る。莫大。そんな言葉すら生ぬるい凶悪すぎる魔力の高まりにバートが戦慄し顔を青ざめる中、紅白の輝きを纏う陽和の姿が掻き消えて、
「ごっぉ、はぁっ!?」
次の瞬間には、懐に潜り込んでいて岩の鎧を容易く砕き腹部に拳を突き刺していた。骨が砕ける音が響き、バートは腹部に突き刺さった衝撃に苦悶の声を上げ血の塊を吐きながら大きく殴り飛ばされた。
弾丸のように勢いよく吹っ飛ばされたバートは、そのまま背後の壁をぶち破り、その奥の通路の壁に叩きつけられた。
「ぐぅっ、かはっ、ごはっ……づぅぁっ!!」
瓦礫に体を半身埋めているバートは、何度も吐血しながら肉体を焼く激痛に喘いだ。
(に、肉が焼けたっ!?いやっ…それよりも…な…何だっ、あの力の上昇はっ!?)
骨が数本折れ、皮膚だけでなく内臓まで焼けてしまった激痛よりも、先程までは亀裂を刻む程度だったのに、あの紅白の輝きを纏った瞬間、力が跳ね上がり鎧を容易く粉砕してみせたことに驚きを隠せなかった。
(ま、まさか……奴も持っているのかっ!?)
そこで彼は一つの可能性に至る。
急激なステータスの上昇。それを可能にする技能が一つだけある。それは限界突破だ。
勇者である光輝がアハトドを一蹴した技能でもあり、陽和もまたその技能を持っているのではないかと言うことだ。しかし、先ほど限界突破とは言ったなかった。ということは、亜種の技能だろう。
何にせよ、ただでさえ隔絶していた実力が、更に隔絶してしまったことにバートは絶望するほかなかった。だが、絶望に浸る暇など陽和が与えるはずがない。
『おい、いつまで寝てる』
「っ!?」
『こっちに来い』
大穴の向こうにいる陽和がバートに右手を翳せばバートの体が赤光を帯びて瓦礫をかき分けながら一人でに浮かび上がると、陽和の方へと引き寄せられたのだ。
勿論、バートの仕業ではない。陽和が重力魔法でバートを引き寄せたのだ。
しかし、そのカラクリを知らないバートは無様に空中でもがくことしかできない。そして、バートを引き寄せながら、彼は右拳を構える。それを見たバートがとにかく迎え撃とうと、もがきながらも鉤爪を突き出すものの、それは首を横に傾けることで容易く回避され、顔面に右拳が叩き込まれた。
「ごぉほっ!?」
顔面に拳がめり込みその勢いのまま地面に叩きつけられる。地面がバートを中心に蜘蛛の巣状の亀裂を生み、崩壊する。
バートは一瞬意識が飛び、衝撃によって意識が戻る。だが、その一瞬の間に陽和はバートの上に立っており、炎雷纏う両腕を掲げてそれを振り下ろそうとしていた。
「ッッ!!」
間一髪腕をクロスできたのは、獣の本能が大きいだろう。岩石纏う両腕をクロスさせて防御の構えを取った瞬間、未曾有の衝撃がバートの全身に響く。
「ぐぅっ、ぬぅ、おぉっ!?」
苦悶の声がバートの口から漏れる。
雨のように降り注ぐ拳撃の乱打。打ち付けるたびに炎雷は爆ぜて、岩の鎧など紙屑のように粉砕して、バートの肉体にダメージを蓄積させていく。
一撃一撃が致命傷クラスの重撃。両腕の防御と、肉体の頑丈さでかろうじて耐えてはいるが、もう長くは保たない。だから、バートは苦し紛れの魔法を放つ。
「“魔岩裂槍”ッ!!」
周囲の地面が、壁面が、天井が蠢き黒曜の岩槍が伸びて陽和へと襲いかかった。四方から伸びる岩槍でも彼を貫くことは難しいだろうが、それでも一瞬動きを止めるぐらいはできるはずだ。
そんな淡い期待は、
『———“轟電雷華”』
陽和の全身から解き放たれた雷撃によって容易く打ち砕かれた。緋色の雷撃が岩槍を迎え撃ち、一切合切を砕いたのだ。緋色の雷華が黒曜の破片を撒き散らしながら咲き誇る光景にバートは凍りつく。
そして、振り返りもせずに迎撃してみせた陽和は拳に宿る輝きを一層強く迸らせながらクロスしている両腕に振り下ろして、遂に粉砕した。
「がぁぁぁっ!?」
両腕があらぬ方向に折れ曲がり、焼けるような痛みにバートは絶叫をあげる。しかし、それでも陽和は止まらず、首を掴んでその巨体を持ち上げる。
「がふっ!?」
上体を無理やり持ち上げた陽和はバートの顎にアッパーを叩き込んでかちあげる。あまりの衝撃にバートの両足までもが地面から離れ、飛び上がる。一瞬の浮遊感の後、バートは地面に崩れ落ちようとするが、その横っ腹に竜の尻尾が叩きつけられた。
「ぐふっ!?」
口から血の塊を吐きながら、身体をくの字に折り曲げられたバートは、横の壁へと叩きつけられるとズルズルと地面に崩れ落ちて膝をつく。
「がはっ!ごほっ、ごほっ!」
膝をつき何度も血の塊を吐くバート。だが、その瞳からは未だ戦意の光が消えておらず、まだまだ戦うと言う気概が窺えた。彼の戦意の強さや、まだ耐えていると言うことに陽和は苛立つ。
『まだ耐えるのか。呆れるほどのしぶとさだな』
『……確かにな。相棒の力にここまで耐えるとは、初めてじゃないか?』
『そうだね。ティオ君も中々耐えてたけど、あれは本気じゃなかったしね』
バートの頑丈さにはドライグやヘスティアすらも素直に感心する。戦ってみて彼の強さをある程度測った陽和は、バートの平均ステータスがおよそ14000だと推測する。パワーと耐久力はさらに秀でていて、恐らくは+6000ほど。20,000前後のステータスを持っていると判断したほうがいいだろう。
つまり、バートは素のパワーならば陽和に迫るほどであるのだ。その頑丈さとパワーは危険だと判断せざるを得なかった。と、その時だ。
「キャワァアア!!」
突然、そんな叫びが響いたかと思えば、陽和の眼前でバートが赤黒い光に包まれて、瞬く間に全身の傷が癒やされて行ったのだ。粉砕された両腕をはじめとして、全身の殴打痕や火傷が次々と消えて行った。
『あ?』
バートは回復魔法を使った様子はない。それならば援護による回復だと判断した陽和は眉を顰めながら、視線を叫びが響いた方向に向ける。
その先には冷や汗を流すカトレアがいて、その肩には双頭の白鴉がいた。白鴉がこの元凶だと看破した陽和は舌打ちする。
『チッ、回復役までいるのかよ。至れり尽くせりじゃねぇか』
「今だ!かかれっ!!」
苛立つ陽和にカトレアが声を張り上げて魔物達に再度命令を下す。彼女の命令を受け未だ生き残っている全ての魔物達が陽和へと襲いかかった。
魔物達では相手にならないと分かっていても、とりあえず数で彼の注意を向かせて一瞬でも時間稼ぎをし隙を作ろうとしたのだろう。しかし、
『———“紅華・爆炎刃”』
それらは全くの無意味だった。
彼は迎撃態勢すら取らずに、静かに呟き全身から無数の炎の刃を四方八方出鱈目に放ったのだ。
炎刃は魔物達を切り裂きながら、次々と爆破し爆炎の華を咲かせる。爆音と共に紅蓮の華が咲き誇り陽和に襲い掛かろうとした魔物達は一匹の例外もなく消し炭となった。
「このっ、化け物めっ」
大量の魔物達が一瞬で殲滅されたことにカトレアは驚愕を隠せずに恨み言を吐き捨てる。そんな彼女に陽和はスッと目を細めると無造作に右腕を振るった。直後、緋色の雷が放たれ、カトレアの左頬を通り過ぎた。
「えっ…?」
雷撃が通り過ぎた瞬間、自分の左肩が軽くなったことと視界の端で白い何かが飛び散ったことに、呆然とした様子で視線を下す。左肩にはあるはずのものが、左腕が消えていて肩から鮮血を噴き出していたのだ。
「ぎっ、ああぁぁぁぁっ!?」
直後、左肩から伝わる熱を持った激痛に傷口を抑え絶叫をあげて崩れ落ちるカトレア。
しかも、肩にいるはずの白鴉の姿はそこにはなく、代わりに赤い血肉が残っていた。
何が起きたか分からないが、今の一瞬で白鴉は潰され、自分の左腕が消し飛ばされたことは分かった。悲鳴を上げるカトレアに陽和は淡々と告げる。
『邪魔をするな。次邪魔をしたらお前から先に殺す』
「……っっ!?」
陽和の殺気にカトレアは息を飲み恐怖に体を震わせる。強力無比を謳う魔物の軍団を花を踏み潰すかのように容易く駆逐し、最強の兵士たる獣魔兵であるバートすらも圧倒しているあの男は、いつでも自分を殺すだけの余裕があるのだと理解させられた。
自分にまで対処する余裕がないからではない。まともに相手にする必要がないと認識されており、その上でいつでも殺せる存在なのだ。
その事実が、戦士たる強靭な精神を持っていると自負しているカトレアの心を絶望に染め上げた。圧倒的な暴力の化身に、カトレアは心臓が掴まれているかと錯覚する。
(なんなんだあれは!?あんなものが、あんな化け物が存在していいってのか!?)
カトレアの中ではそんな負の思考が渦巻いており、その場から動くこともできなかった。
だが、カトレアの行動は全くの無駄というわけではない。
「オオオオオオオォォォォォォォッッ!!」
彼は雄叫びをあげて陽和へと鉤爪を振りかぶっていたのだ。カトレアが稼いだ時間の中で回復したバートは、魔力を総動員して半壊した黒曜の岩鎧を纏い直して、更に魔力を圧縮することで強度を格段と増して、身体強化をも使って身体能力を底上げしたのだ。
これまでで間違いなく一番強い状態のバートは黄土色の魔力を蒸気のように噴き出しながら、カトレアに視線を向けたままの陽和の頭部目掛けて鉤爪を振り下ろした。
しかし、それは陽和が左腕を持ち上げたことであっさりと防がれて、籠手と鉤爪が火花を散らしながらせめぎあう。
「お前は強いっ!俺なんか敵わないほどにだっ!だがっ、お前がいくら強かろうとも、限界突破は消耗が大きいはずっ!どこまでその力保つっ!?」
陽和を切り裂かんと力を込めながら、バートはそんなことを問うた。
確かに限界突破は消耗が激しい技能だ。使用者のステータスを3倍に引き上げる代わりに、使用後は凄まじい倦怠感と魔力の大幅な消耗を齎す。一日に連続で使うと更に負担がかかり、動くことも難しいほどだ。
限界突破の亜種である臨界突破もその制限はある。彼も使用後は倦怠感や魔力を大幅に消耗してしまっている。
バートの言うことは一理あり、時間切れまで耐えて疲れ切ったところを狙うというのは、一つの攻略法ではある。だが、
『———“女神の契り”』
彼には女神の祝福がある。
聖火の女神と交わした魂の契約により、陽和には無限回復の技能が発現した。これにより彼は臨界突破発動中であっても魔力や体力を無限回復させることができ、この二つの技能を併用している限りは、陽和はほぼ無限に戦闘行為を続けることができるのだ。
そして、“臨界突破”発動時の陽和のステータスは平均10万。しかも、“女神の契り”によりほぼ無限にそのステータスを維持できる。そこに赤竜帝の倍加の力まで加わって仕舞えば、もはやバートに勝ち目など欠片もあるわけがなかった。
「………っっ!?」
紅白に加え翡翠の輝きが混ざり、両腕には花と蔓が絡み合った翡翠の紋様が浮かぶ。更に濃密となり凶悪さを増した圧力に、バートが絶句する中、陽和は口を開く。
『どこまで保つかって聞いたな?』
その言葉と共に陽和は拳を握り締め紅白と翡翠の輝きを纏いながら兜の下で口を裂き嗤うと、バートを更なる絶望に叩き落とす一言を言い放った。
『どこまででもだ』
直後、地面を砕くほどの強い踏み込みと共に右拳を繰り出し、バートの金剛の如き堅牢な鎧を再び爆砕して大きく殴り飛ばした。
▼△▼△▼△
“臨界突破”に加え“女神の契り”まで発動した陽和は更に苛烈さを増した暴力を以てバートを蹂躙する。
攻撃を繰り返してもその攻撃は容易く弾かれ、逆に陽和から重い一撃を喰らってしまう。土魔法で四方から攻撃を仕掛けても、彼が纏う炎雷には通じず、呆気なく破壊される。
近接、魔法、どちらの分野においても圧倒され、バートは多くの手札を潰され追い込まれていく中、彼の姿を見て一つの存在に思い至り、内心で動揺する。
(緑の瞳に、赤い鱗…竜の翼……埒外な強さ……まさか、まさかまさかまさかっ!?)
数ヶ月前に魔人族を騒がせた一つの予言を思い出す。数ヶ月前に人間族の領土内で極太の炎の柱が大地を突き破り天へと放たれたという事件が発生したという報告を耳にしたことがある。
しかも、その炎の柱は、教会の預言者曰くかの伝説の邪竜の復活を示すものだったとも。
伝説の邪竜は人間族だけでなく、魔人族にとっても共通の脅威である。かの邪竜が目覚めたと言う予言は魔人族であっても、恐怖し警戒せざるを得ないほどに危険なものであった。
神話に記されているその邪竜は翡翠の瞳と同色の宝玉を有しており、その鱗は炎のような紅蓮色が特徴だったらしい。
その特徴は……目の前の男のソレと全く同じだった。そして、人間族の間では一人の男が“邪竜の後継者”として指名手配されているという情報も掴んでいた。
それが意味するところは、つまり、彼こそが、自分を圧倒するこの怪物こそが。
「お前……まさかっ……赤竜帝かっ!?」
復活した赤竜帝の力を受け継いだ後継者に他ならないと言うことだ。自分の正体に気づいたバートに陽和は手を止めないまま感心の声をあげるとその気づきを肯定した。
『……へぇ、気付いたか。ああ、お前が気付いた通り、俺は二代目赤竜帝だ』
「まさか邪竜の後継者だったとはなっ。それならば、その強さにも納得がいくっ」
『知ったところでどうでもいいだろ。俺がお前を殺すことに変わりはない』
「全くもってその通りだなっ!」
そうして二人は再び拳をぶつける。空気が割れかねない轟音が響き、周囲の地面が捲れ上がる。そして、拳の競り合いにバートは負けてあっさりと腕を弾かれ、腹部に強烈な蹴りを受けて吹っ飛ぶと、背後の壁に突っ込んで崩壊させた。
既に二人の周囲は元の部屋の姿をなしていなかった。部屋の形は正八角形ではなく、壁面は大きく崩れ、無理やり拡張し歪な形になっている。四つの入り口のうち二つは既に崩壊しており、その間の壁も木っ端微塵に砕かれ大きく広がっている。
破壊はそれだけではない。天井や床にも大きな穴がいくつも空いており、彼らは上層や下層をも巻き込んで目まぐるしく移動しながら激闘を繰り広げていたのだ。
もっとも、そのすべてが陽和がバートを吹っ飛ばした結果のものであり、終始陽和が圧倒していた。
『ガアアアァァァァァァァァ!!』
そして吹っ飛んだバートに陽和は雄叫びを上げながら、追撃を仕掛ける。翼をはためかせて飛び上がった陽和は、バートへと向けて飛翔しながら飛び蹴りをかます。
「がっはっ!?」
壁に埋もれ悶絶していたバートは回避が間に合わず腹部に一撃を喰らってしまう。壁面を崩壊させながら、バートの体はより深く埋もれてしまった。
陽和は壁に埋もれるバートの頭を掴んで強引に引き摺り出すと、地面に叩きつけそのまま彼の頭を引きずる。そして、最後にバートを持ち上げると、天井へと勢いをつけて放り投げる。
天井へと叩きつけられて、ゆっくりと地面へと落ちるバートに陽和は容赦なく追撃を続ける。
翼を広げると再び飛び上がると、落ちるバートに襲いかかる。
「ごふぅ!?」
閃光の如くバートに襲いかかった陽和は鳩尾に膝蹴りを叩き込む。口から大量の血を吐きながらバートの身体は再度打ち上げられ、あまりの威力に天井をぶち抜いて上層に移動してしまう。
上層へと打ち上げられたバートは八十八階層の天井にぶつかることでようやく止まり、再び落ちていく。
「がふっ!?」
バートと共に八十八階層へと移動した陽和は天井に着地すると天井を蹴破りながらバートを殴り飛ばした。消耗してしまっているバートでは陽和の一撃を防御することもできず、顔面を殴り飛ばされ地面を何度も跳ねながら、転がる。
血反吐を吐きながら、どうにか顔を上げたバートは大粒の汗を流しながら自分に迫る陽和を見ると、
「ぐっ、“黒冥・孤絶牢”ッッ!!」
刹那、黄土色の魔力が周囲に広がり、六角形の黒曜の岩の柱が陽和の四方八方から伸びて圧壊せんと襲いかかる。一瞬で視界を埋めつくさんと伸びる岩柱に陽和は一言。
『“
四肢に纏う紅緋の炎雷が爆ぜる。炎雷の華が咲き、迫る黒曜の岩柱をすべて爆砕してみせた。
そして、岩柱を爆砕した陽和はその先にいるバートを叩き潰そうとした。したのだが、その先にはバートはいなかった。
『………下に逃げたか』
気配感知ですぐにバートが下の階に逃げたのだと陽和は気づく。今の岩柱は目眩しだったのだろう。そして、あの一瞬で彼は土魔法で地面に穴を開けて下へと逃げたのだ。ご丁寧に開けた穴を閉じている。
しかし、何を企んでいるかは知らないが、この程度陽和にとっては何の問題にもならない。
『逃さねぇよ』
『Boost‼︎』
陽和は地面を見下ろしながら、そう呟くと顎門を開いた。
一方、魔法を目眩しにして下の階へと逃げたバートはカトレアのところへ駆けていた。
理由はただ一つ。
(今のうちに、カトレア様を…)
カトレアを逃す為だ。もう自分は生きて帰ることはできない。だから、せめてカトレアだけはと逃がそうとしていたのだ。下層へと降りたバートは、どうにか彼女だけでも別の階層に逃がせればと考えたのだが、次の瞬間、天井を突き破り一筋の熱線が放たれ、バートの脇腹を大きく抉った。
「ぐぅあああぁぁぁっ!?」
天井から放たれた熱線にバートは目を丸くし、直後感じた激痛に血が噴き出す脇腹を抑えながら思わず叫んでしまう。激痛に苦しむバートを、天井に開いた大穴から翼を広げてゆっくりと降りてきた陽和が見下ろした。
『この俺がお前達を逃すと思ったのか?舐められたものだな』
翡翠の瞳に燃え盛る殺意の炎を滾らせながら、陽和はバートへと宣告する。
『逃すわけがないだろ。お前らはここで俺が殺す』
直後、陽和はバートへと再び襲いかかった。
大迷宮では絶えず重い轟音が響き、あまりの衝撃に八十九階層自体が頻繁に揺れてあちこちに亀裂を生み出す。このままいけばこの階層自体が崩壊してしまうのではないかと言う不安を抱きビクビクしている彼らは、目の前で圧倒的蹂躙を繰り返す陽和から視線を外すことができなかった。
誰もが度肝を抜かれて呆然としながら、陽和の蹂躙を見ることしかできない。
「なんなんだ……あれはいったい、何者なんだ!?」
どうにか会話できるとこまで回復した光輝が動かない体でうつ伏せに横たわりながら、叫ぶように呟いた。だが、誰もその問いに答えることはできない。
殆どがその正体を知らないというのもあるが、圧倒的すぎる戦いに呑まれて声を発することすら難しかった。そんな中、正体を知っている重吾達は正体を明かしていいのかと迷っていたのだ。
重吾達が口をつぐむ中、野村が恐る恐ると重吾に尋ねた。
「な、なぁ重吾。お前はあの人と知り合いなのか?」
「……何故そう思う?」
「だって、あの人お前のことを名前で呼んでたじゃねぇか。それにお前もあの人のことを知ってそうだったろ」
「……………」
先程の会話で疑問に思ったのだろう。野村のそんな問いかけに重吾は沈黙する。だが、この場にいるほぼ全員から疑問の視線を向けられ、少しの逡巡の後観念するように口を開く、
「あいつは……」
そして彼の正体を明かそうとした時、ここにいないはずの仲間の声が聞こえた。
「重吾!健太郎!」
その声は、自分達が情報を託した者の声、遠藤の声だ。重吾と野村は遠藤が無事だったことに弾かれたように振り向き安堵に声をあげた。
「「浩介!」」
「皆助けを呼んできたぞ!」
“助けを呼んできた”。その言葉に反応して、皆があの赤い鎧の男こそ遠藤が呼んだ助けなのかと安堵した。そして、遠藤の後ろから数名が更に姿を現す。
「おーおー、暴れてんなぁあいつ」
この戦場には似つかわしくない呑気な声に全員がそちらに振り向く。
「……ん、やばい」
「うっわぁ、滅茶苦茶ブチギレてますね」
「…………」
そこには数人の男女がいた。白髪眼帯黒コートの男だ。兎耳の少女に、金髪の少女、狼耳の女性だ。彼らは散歩に行くかのような足取りで遠藤の横を通り過ぎながら、陽和の戦闘を見てそんな声をあげていた。唯一、狼耳の女性だけは、声を出さずに真剣な表情で戦いを見ていた。
重吾達は突然現れた見知らぬ者達に目をぱちくりとさせて首を傾げる中、香織だけは違った。
「………え?」
白髪眼帯の黒コートの男と目が合った瞬間、香織の体に電撃が奔った。大切な人が消えたあの日から時を止めていた心が、突如、火を焼べられたように熱を放ち、ドクンッドクンッと激しく脈打ち始めた。
誰かを尋ねるよりも先に、香織の心が歓喜で満たされる。
髪の色が違う。纏う雰囲気が違う。口調が違う。目つきが違う。だが、わかる。香織には分かったのだ。雫が陽和に気づいたように香織も彼のことが分かった。だから、香織は歓喜のままに、
「ハジメくん!」
そう叫んだ。「え?」と香織の言葉に重吾達が一斉に間の抜けた声を出す中、自分の名を呼ばれたハジメは苦笑いを浮かべる。
「よぉ、白崎。なんか牢に囚われてっけど、無事みたいだな」
「ハジメ君……本当に、生きて……」
香織が目の端に涙を浮ばせながら、再度、ハジメの名を、声を震わせながら呼ぶ。あらゆる感情が飽和して、今にも溢れ出しそうなのを必死に抑えているかのような声音だ。
再会の歓喜や募りに募った恋慕の情が切なさを伴って滲み出ていた。
そんな彼女にハジメは肩をすくめると、
「まぁ牢屋に囚われたまんまってのもあれだし、ちょっと待ってろ」
そう言って牢に触れるとサクッと錬成で分解した。どれだけバートの魔力で強固であっても所詮は岩石。錬成師たるハジメにとっては牢屋を壊すことなど造作もない。
詠唱も陣も使わずに錬成を使って岩牢を解除したハジメにクラスメイト達がどういうことだと疑問に思う中、重吾がハジメに近寄る。
「本当に、南雲なのか?…いや、疑うわけじゃないんだが、見た目が変わりすぎててな……」
「まぁ見た目が変わってるのは自覚してるからな。親友のあいつはすぐ気づいたとは言え、関わりが薄かったお前らじゃ気づかねぇか。とにかく、俺はお前らが無能つってた、錬成師の南雲ハジメだよ」
「そう、か。あいつは、お前を見つけることができたんだな。よかった……」
ハジメを失った時の陽和の姿は今でも嫌というほど覚えているからこそ、陽和がハジメを見つけることができ共にいるという事に嬉しさを隠しきれなかった。
二人の会話から目の前の眼帯男が本当にハジメなのだと理解して半数ほどがハジメの生存に喜んだ。ちなみに、喜んでいなかったのは近藤達ハジメを虐めていた連中だ。生きていたのかという驚愕していた。だが、その中で一人、酷く狼狽した声で叫ぶ者が現れた。
「う、嘘だ!お前が南雲なはずねぇ!南雲は死んだはずだろ!そうだろ?みんな見てたじゃんか。生きてるわけねぇ!お前は偽物だろ!!」
檜山だ。彼は顔を青ざめて尋常じゃない様子でハジメは偽物だと騒ぎ立てる。だが、それには実際にステータスプレートで確認した遠藤が否定した。
「いやいや、ステータスプレートも見たし、本人が認めてるんだから間違いねぇよ。何言ってんだお前」
「嘘だ!何か細工でもしたんだろ!それか、なりすまして何か企んでるんだっ!」
「いや、何言ってんだよ?そんなことする意味、何にもないだろ」
滅茶苦茶なことを言う檜山に遠藤は若干呆れた様子でいう。周りにいる行動達も檜山の様子に何事かと若干引いてしまっているようだった。
そんな錯乱気味の檜山を、他の者達も異常者を見るような目で見ており、ハジメの生存に涙を滲ませていた香織が「なんでそんなこと言うの?」と唖然としており、陽和からあの事件の詳細を聞いているメルドは檜山がハジメ達を殺そうとしたのがほぼ確定したと判断して、視線が険しくなる。
「チッ、ガタガタウルセェな」
「ひっ」
尚もハジメの生存を否定し喚き立てる檜山にハジメが舌打ちしながら冷水のような殺気を叩きつける。以前のハジメしか知らない檜山は突然の殺気に小さな悲鳴を上げて腰を抜かしてしまう。
座り込んだ檜山を睥睨するハジメは檜山にドンナーを向けながら冷ややかな声をかける。
「別にお前がどう思ってようが、俺は正真正銘南雲ハジメだ。それでもなお騒ぐんなら、マジで黙らせるぞ」
「……っっ」
ハジメの威圧にガタガタと震えて何も答えられない檜山につまらなそうに鼻を鳴らして早々に視線を外すと、周囲をキョロキョロと見回しながら重吾に尋ねた。
「そういや、永山。八重樫はどこにいるんだ?まさか、殺されてはいないよな?」
「いや、八重樫ならあそこで結界に守られてる」
重吾が指を指した先には、結界で守られている雫がいた。陽和が暴れ回っている場所は炎の海だったので、赤色の結界は見分けがつきにくかったのだ。
しかし、彼女は陽和の戦いから一切視線を逸らしていないため、こちらには気づいていないようだ。
そして、重吾達が岩牢に囚われていたことや、雫だけあんなところにいることにある程度状況を察したハジメは重吾に尋ねた。
「……なぁ、もしかしなくても、八重樫殺されかけてたか?」
「ああ。本当にギリギリだった。あいつが一瞬でも助けに来るのが遅かったら、八重樫は間違いなく殺されてた」
「あぁ成程。どうりであのブチギレようか」
陽和の戦いようからして、これまでにないほどブチギレているのは気づいていた。死にはしなかったものの、殺されかけていたという事実が陽和をガチでキレさせたらしい。途中ここに向かう途中で感じた莫大な魔力や殺気、洞窟を揺るがすほどの振動や咆哮を鑑みれば、自然とその結論に至った。
その時、二人の会話に焦ったそうにしていた野村が我慢の限界を迎える。
「な、南雲が本物なのはわかったけどよ……そろそろ、あの人が誰なのか教えてくれよ重吾!」
「…………」
野村の問いかけに重吾は再び口を閉ざす。しかし、
「あいつは陽和だ」
「ッ南雲」
他ならぬハジメがあっさりと彼の正体を明かしてしまったのだ。重吾が咎めるように声を上げる中、腕を組んだハジメはもう一度はっきりと陽和の正体を告げた。
「あいつは紅咲陽和だよ。俺の親友で、教会から絶賛指名手配中の『赤竜帝』紅咲陽和だ」
「「「「っっ!?」」」」
光輝達の間に衝撃が走る。
今目の前で圧倒的な蹂躙を繰り返す赤い鎧の人物が、まさか数ヶ月前に姿をくらまし、邪竜の後継者として指名手配されているクラスメイトだったとは思わなかったのだ。
「あいつが、陽和なのかっ!?」
「じゃあ、あの力がもしかして……」
龍太郎は純粋な驚きをあらわにして、鈴があの姿こそが赤竜帝の力なのだと理解する。他の者達もあの赤い鎧の姿こそが赤竜帝の力だと理解した。若干信じられないと言った様子だが、彼ならばあり得ると考えるクラスメイト達にいち早く正体を明かされた遠藤が渇いた笑みを浮かべる。
「ははは、気持ちはわかるけど本当らしいぜ。俺も最初は信じられなかったけど、色々と話を聞いていくうちに納得できちまった。何より、俺が南雲と再会した時、重吾と八重樫さんの名前を知ってたからな。もう信じるしかないよ」
事実だから仕方ないと肩を竦めた遠藤の話を聞いてクラスメイト達もあの男こそ紅咲陽和なのだとようやく理解し信じた。そんな中、陽和を完全に敵対視していた光輝はというと、
「あれが……紅咲?…それなら、あれが邪竜の力、なのか……」
横たわりながら呆然とした様子でそう呟くと、やがて瞳に剣呑な光を宿しギリィと歯を噛み締めて、地面に指を立てて地面を削りながら強く拳を握り締めた。
その表情は明らかに憎悪に染まっており、不倶戴天の敵に出会ったかのようだった。いや、事実そうなのだろう。邪竜討伐に意気込んでいる彼だからこそ、ようやく見つけた宿敵の存在に殺意を募らせているのだ。もしも体調が万全ならば、今すぐに斬りかかりに行きそうなほどだった。
しかし、誰もそれに気づくことはなかった。誰もが陽和の戦いに圧倒されてしまっていて意識がそちらに向いていたからだ。
その時、重吾があっさりと正体を明かしたハジメを咎める。
「南雲っ、そんなにあっさりと認めてどうする!万が一、教会にバレたりしたらっ!」
だが、そんな彼にハジメがあっけらかんとした様子で言葉を返した。
「いや、あいつは八重樫を助けると決めた時点でもう気にしてねぇよ。どうせ、八重樫も八重樫で陽和のこと名前で呼ぶだろうしな。遅かれ早かれバレるんなら、別に俺が先に名前を明かしててもいいだろ」
「ぐっ、そ、それはそうかもしれんがっ」
「まぁお前の言いたい気持ちもわかるが、別に教会や王国の連中が来たところで生半可な奴じゃ今のあいつには勝てねぇよ。それに俺達があいつを殺させねぇ」
「………っっ」
断言したハジメの様子に重吾は息を呑んだ。
以前とは変わり過ぎていたことへの驚きもあるが、それ以上に陽和を殺そうとするのならばどんな敵でも容赦しない、という強い覚悟が伺えたのだ。それを彼の目を見て理解してしまった重吾は露骨にため息をつく。
「はぁ……分かった。だが、あとであいつに怒られても知らんぞ」
「別になんとかなんだろ。あいつ自身、いずれはバレると覚悟してるからな」
「……そうか」
もうこれ以上は議論しても無駄かと早々に諦めた重吾は、若干疲れた様子で頷いた。
「しっかし………」
ハジメはスッと目を細めて現在進行形で陽和にボコられているバートへと視線を向ける。警戒心を露わにバートを観察したハジメは彼の強さを看破して呻くように呟く。
「あの熊みてぇな大男、強ぇな。俺やセレリアでも勝てるかどうか分かんねぇぞ」
「……ん。あの大男は別格」
「ですね。私では勝てそうにありませんね。もしかして、あの人も獣魔兵なんでしょうか、セレリアさん。セレリアさん?」
ユエもバートから感じる強さに冷や汗を浮かべ、シアは所々剥がれかけている岩の鎧から見える毛皮や鉤爪を見て彼もまたセレリアと同じ獣魔兵なのではないかと、セレリアに尋ねる。
だが、セレリアは何も答えなかった。どうしたのかとハジメ達が振り向けば、大きく瞳を見開いて動揺に揺らしていたのだ。
「そんな……なんで………あなたが……」
そう呟く彼女の視線は陽和と戦うバートに向けられている。その表情は信じたくないという驚愕に染まっていた。そして、彼女は震える声でその男の名を小さく呼んだ。
「……バート、さん」
明らかにセレリアはあの熊男と既知の間柄だった。「どうして…」と呟く彼女にハジメが静かに尋ねる。
「……知り合い、なのか?」
「…………兄さんと同業だった人だ。同じ冒険者だった……あの後も、冒険者を続けていたはずだ……なのに、どうして……獣魔兵なんかに……」
悲痛に表情を歪めるセレリアは悲しげにそう呟いた。その表情からして付き合いがある人間なのだろう。自分が脱走した後、どんな経緯があったかわからないが、彼が獣魔兵になってしまったことにショックを受けてしまっていた。
それと同時に、陽和達もまたセレリア達の存在に気づいてしまった。
『?……チッ、間に合わなかったか』
「なに?……っっ、セレリア」
視界の端に映った彼女の姿に陽和は忌々しく舌打ちし、バートも彼女に気づき小さく彼女の名を呼んだ。二人とも戦闘をやめると彼女の方へ視線を向ける。
「どうやら本当らしいな。セレリアがお前の仲間だと言うのは」
『見ればわかるだろう。人間族や亜人族と共にいるのがその答えだ』
「ああ、そうだな」
(?…笑った?)
そう呟いたバートは心なしか笑ったように見えた。
どういう経緯であれ、セレリアが今の魔人族とは敵対関係にある。故に、魔人族側からしたら彼女は裏切り者でしかないはずだ。なのに、彼は恨み言を吐くことはなく、むしろ生存に安堵しているように陽和には見えてしまった。
なぜ?と疑問に思うが、それを尋ねるよりも先にカトレアも彼女の存在に気づいてしまい、驚愕のまま叫んだ。
「セレリア様っ!なぜ、何故あなたが人間族などと行動を共にしているんですかっ!魔人族を裏切ったのですかっ!?」
「カトレアさん……」
魔人族であるカトレアから様付けで呼ばれていることに重吾達がどういうことだと視線を向ける中、カトレアにそう言われたセレリアは悲痛な表情のまま小さく彼女の名を呟き、自分の腕をもう片方の腕で掴む。
カトレアは血が滴る左肩を抑え、フラフラと立ち上がると目の端に涙を浮かべながら懇願するように尋ねる。
「あのお方の妹である貴女様ならば、あの方達の御心だって理解できるはずですっ!貴女様は我ら魔人族の希望だった!貴女様もあのお方達と共に英雄として肩を並べるはずだった!それなのに、どうしてっ!」
「………私は、そうは思わなかったからだ」
カトレアの問いかけにセレリアは静かな声でそう返した。そして、彼女は数歩前に踏み出すと、獣化を解いて自身の魔人族の耳を晒しながら、カトレアとバートをその琥珀色の瞳で真っ直ぐ見つめると決然とした表情で己の覚悟を宣言する。
「私は兄さん達の考えが間違ってると思っている。だから、貴女達と敵対する道を選んだ。戦争を終わらせて平和を取り戻すために彼と共に世界と戦う道を選んだ。私はもう魔人族の精鋭獣魔兵の『銀狼』ではない。紅咲陽和の仲間のただの魔人族セレリアだ」
「そ、そんな……」
セレリアの覚悟にカトレアはショックのあまり膝から崩れ落ちて項垂れてしまう。セレリアも言いたいことを言い終えたのかそれっきり口を噤んでしまった。
それを見た陽和がヘスティアを鞘から抜き放ちながらバートに告げる。
『もう終わりにしよう。これ以上、戦いを長引かせたくはない』
「同感だな。そろそろ決着をつけるか」
そう返すと、バートは右腕を突き出し足元の地面から黒曜の岩石で固めて構築した自分の身長をも超える大戦斧を生み出す。
「———“剛斬斧岳”」
黒曜に輝き黄土色の魔力を纏う戦斧は岩石から構築したとは思えないほどであり、その強固さには陽和でさえ目を見張るほどだった。
バートは戦斧を両手で持つと大気を唸らせながら回して構える。それは明らかに戦斧を使い慣れた武人の動きだ。それもそのはず。バートは獣魔兵になる前は戦斧をメイン武器として使って魔物達と戦っていた腕利きの冒険者だったのだから。
この姿こそが、バート・ガルディア本来の戦闘スタイルなのだ。
戦斧を構えたバートは全身から血を流し、特に熱線に抉られた脇腹からは今も鮮血が溢れている。折れていない骨の方が少なく、強靭な筋肉と岩の鎧で強引に動かしている状態だ。
まさしく死に体。だが、戦斧を構える姿からはそれを全く感じさせない闘気が窺えた。
「赤竜帝よ。どうか、お前の名を聞かせてくれないか?」
それを聞いた陽和は兜の下で僅かに表情を崩した。
彼は雫を傷つけた張本人だ。当然、許すはずはなくセレリアの前だからと見逃す気もなかった。
怒りも、殺意も確かにある。
しかしだ。陽和もまた武の道を進む者。
たとえ恋人を傷つけた怨敵であっても、彼らもまた同胞の為に戦う者達だ。そして、そんな彼が己の武を賭けてここを死地と定めた。ならば、その『武』に応えなければ武人の資格はない。
それに雫は助かった。それならば、最後ぐらいは彼の覚悟に応えてもいいと思えたのだ。
だから、陽和は最期にこの目の前の武人の心情を汲み、兜を解除して素顔をあらわにしながら、竜聖剣の鋒を向けて己の名を告げた。
「陽和。俺の名は紅咲陽和。解放者が一人、『赤竜帝』だ」
「バート・ガルディア。獣魔兵が一人、『紅熊』だ。我が生涯最後にお前のような英雄と戦えることを誇りに思う」
「それは光栄だな」
お互いニィッと不敵な笑みを浮かべた。ただただ相手を打倒せんが為に、お互いの相棒たる武器の柄を握り締めて、闘気を凄絶に迸らせる。
そして、二人は同時に地面を踏み締めて、
「はあああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「おおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
同時に駆け出してお互いの武をぶつけた。
裂帛の気合いを上げながら、己が得物を振りかぶり正面から激突する。竜聖剣と大戦斧は刃をぶつけ合うたびに、耳をつんざくような轟音と爆撃じみた衝撃波を放射する。
「おおらぁぁっっ!!」
バートの唐竹割りの一撃を、陽和は竜聖剣を斜めに構えて受け流しつつ、くるりと翻りながら横薙ぎの一撃を繰り出す。しかし、それは一瞬で大戦斧を持ち替えたバートが下から刃をかちあげることで弾かれる。
そして、腕が持ち上がりガラ空きとなった胴体に大戦斧の一撃が繰り出されるが、陽和はここで超人的な身のこなしを披露する。
なんと、戦斧の刃の腹に手をつくとふわりと自分の身体を浮かばせて側転して戦斧の薙ぎ払いを躱したのだ。
「ははっ!やるなっ!」
軽快な身のこなしにバートは純粋に笑ってしまう。
側転して回避した陽和は上下反転した視界のまま、足を振るい肩に脚撃を叩き込む。
「ぬぅっ」
肩に蹴りを叩き込まれバートは大戦斧を掴む手が若干緩んでしまう。その隙を見逃さず、体勢を立て直した陽和が下から喉目掛けて突きを繰り出した。
「うおぉぉぉっ!」
明らかに防御が間に合わない。そう思えたのだが、バートは武器を掴み直すのではなく、そのまま手放すと、鉤爪を突き出して竜聖剣の腹にぶつけることで軌道を逸らしたのだ。突きの軌道が逸らされ、バートの左頬を浅く切り裂くだけにとどまる。
二人はほぼ同時にバックステップ。武器を持ち直すと再び前進して斬り合いを始める。
黄黒と赤緑の軌跡が無数に宙に描かれ、凄まじい轟音が響く。
いつまでも続くかと思われた武のぶつけ合い。しかし、それは長くは続かなかった。
「はぁっ!!」
「ぐっ、ぬぁっ!?」
陽和の斬り上げにバートは受け止めた大戦斧を遂に手放してしまった。
彼はすでに限界を迎えていたのだ。
これまでの苛烈な暴力でバートの体にはダメージが蓄積し、抉られた脇腹からは血が流れすぎた。もはや彼に戦斧を握る力はほとんど残されておらず、終盤はほぼ気力で陽和と打ち合っていたぐらいだ。
「———ッッ!!」
両腕をかちあげられ後ろに蹌踉めくバートに、陽和は更に一歩踏み込むと、竜聖剣を突き出して今度こそバートの心臓を貫いた。
「——————」
黒曜の岩鎧を突き破り、バートの体をも貫いて血に濡れた紅蓮色の刃がバートの背中から飛び出している。
「がふっ」
バートは一度血の塊を吐いた後、口の端から血を流しながら力無く笑う。
「は、ははっ、叶うなら、お前とはもっと別の形で会いたかったな」
「俺もだ。きっと仲良く酒でも酌み交わせただろう」
バートの言葉に儚い笑みを浮かべた陽和は、竜聖剣を引き抜いて剣を振るい血を払った。引き抜いた瞬間、貫かれた穴からは血が一気に溢れ出す。
「がはっ!」
バートはもう一度血の塊を吐き出すと、崩れ落ちて両膝をついた。岩の鎧がはらはらと端から崩れていき、足元に血が溜まっていく。
「バートさん!」
そこで遂に限界を迎えたのか、セレリアが彼の名を叫びながらこちらへと駆け寄ってくる。竜聖剣を鞘に収めた陽和は駆け寄ってくるセレリアの姿を見ながら、バートに声をかける。
「伝えたいことがあるなら話せるうちに話せ。まだ少しぐらいは話す余裕はあるだろ?」
「……ああ、礼を言う」
「……すまない」
感謝するバートに陽和は少し表情を歪めて一言謝罪するとバートの横を歩き、カトレアの方へと向かった。左肩を押さえたまま座り込んでいるカトレアはバートが敗北した光景に、瞳に諦めを宿していた。
彼女は近づく陽和へと視線を向けると、渇いた笑みを浮かべる。
「……まさか、バートが負けるなんてね……伝説の邪竜様は噂以上だったようだ」
「何か言い残すことはあるか?遺言ぐらいは聞いてやるぞ」
陽和はカトレアの首筋に竜聖剣を添えながらそう宣告する。首に添えられた死に対して、カトレアは死期を悟ったような澄んだ眼差しを向けると、小さく笑うと道半ばで逝くことの腹いせに、負け惜しみと分かりながらも言葉を叩きつけた。
「いつか、あたしの恋人があんたを殺すよ」
「………」
その言葉に、陽和はぴくりと眉を顰めると、感情を感じさせない眼差しを向ける。
「………セレリアには何かないのか?」
「ないね。あたしはバートと違って特に関わりがあるってわけじゃない。あのお方の妹だからってだけさ。……もう、いいだろ?とっとと終わらせてくれ。あたしは、捕虜になるつもりはないからね…」
「……そのつもりだ。戦士たるお前にそんな辱めを受けさせるつもりはない。受けさせるわけがない」
決然とした表情でそう返した陽和にカトレアは目を丸くする。捕虜にされるくらいなら、どんな手でも自殺してやると、できることなら戦いの果てに死にたいと思っていたカトレアは、目の前の男が自分の覚悟を汲んでくれたことに驚きを隠さなかった。
目を丸くした彼女は、驚きを口にする。
「………あんた、変わってるよ。他の人間どもとは大違いだ。あたしら魔人族にもそんな目を向けてくれるんだね」
カトレアにだけ見えた陽和の眼差し。それは、極限まで悲しみを抑えているようなものだった。
その眼差しに気づいた彼女は、思わず笑みを浮かべてしまう。
「……どうやら、赤竜帝様は伝説通りの存在じゃないらしい。随分と優しいんだね」
「……俺の事は存分に恨んでくれていい。お前達には俺を恨む権利がある。今この方法しか選べない俺を、決して許すな」
「……そうかい」
そう呟くとカトレアは目を閉じて、ただ死を待つ。
陽和は歯をギリッと噛み締めながら震える腕に力を込めて剣を振りかぶる。そして、いざ振り下ろそうとした瞬間、大声で制止がかかった。
「待て!待つんだ!!彼女はもう戦えないんだぞ!!殺す必要はないだろ!!無抵抗の人間を殺す気か!?どこまで外道に堕ちれば気が済むっ!?」
「…………」
耳障りな声に陽和は露骨に怒りながら肩越しに振り返る。陽和を制止したのは光輝だった。彼はフラフラとした足取りでなんとか立ち上がると、さらに声を張り上げる。
「捕虜に、そうだ。捕虜にしろ。無抵抗の人を殺すなんて、絶対に認めない。俺は勇者なんだっ。邪竜のお前の悪行を止めなくちゃいけないっ」
「………あぁ?」
あまりにツッコミどころ満載のふざけた言い分にハジメ達は「何言ってんだこいつ?」と訝しむ。重吾達も光輝の言い分に唖然とする中、制止された陽和は憤怒に表情を歪めると、目を極限まで見開き怒りのあまりに声を震わせる。
「……お前がっ、お前如きがっ………っっ!!」
怒りのあまりにギリッと噛み締めた唇が千切れ、血が溢れてしまう。しかし、そんな唇の痛みなどどうでもいいほどに怒りを感じた陽和は、その怒りを爆発させる寸前でどうにか堪えて剣を振り抜いた。
「——————」
カトレアの首が斬られ、噴き出た鮮血と共に宙を舞う。一瞬の浮遊の後に首が地面に落ちる鈍い音が響き、静寂が辺りを包んだ。
クラスメイトが殺人を犯した。状況が状況で仕方ないとはいえ、それでも人が目の前で殺された光景に遠藤達は息を飲み戸惑ったように佇む。
香織や重吾は陽和の覚悟を知っていた為、また自分達は彼に守られたと自覚している為、手を血で汚した友人を何があっても彼を忌避しないようにと決めた。
ハジメやユエ、シアは静かに陽和の背中を見ており、バートのそばに座り込むセレリアは表情を悲しげに曇らせていた。同胞と戦うことを決意したとはいえ、同胞が死ぬ光景にはショックを受けてしまった。
「……陽和………」
そして、恋人である雫は陽和が人を殺したことに悲痛な表情を浮かべた。
それは、陽和が人を殺したことにではない。人を殺すことは雫自身も覚悟していたことだし、この世界に来たばかりの時点で陽和も覚悟していたことだと知っている。だから、その時が来てしまったんだと悟るしかなかった。
雫が悲しかったのは、自分が死にかけてしまったから陽和に人殺しの選択をさせてしまったということだ。自分があの戦いでバートに勝っていればこんな未来にはならなかった。自分の弱さが彼に辛い決断をさせてしまったのだと、内心で思っていた。
雫は彼らの会話を全て聞いていたからこそ、陽和が二人を殺すことに罪悪感を感じていたこともわかっている。カトレアの首を刎ねる時も、剣を持つ手は僅かに震えていたし、バートには謝罪すらしていたから。
誰かを守る為に戦える彼が、人を殺すことに何も感じないはずがないのだ。しかも、バートは仲間であろうセレリアの知り合いでもあったし、カトレアには恋人がいると知れば、抱く悲しみはより大きいことだろう。
人を殺す覚悟があることは、人を殺しても罪悪感を感じないということではない。生きている人間を殺すということは、その人を殺すだけではなく、その人を大切にしている者達からその人の存在を奪い、悲しませるということでもある。恋人がいる人。家族がいる人。戦友がいる人。誰にだって、誰かとの関わりがある。人を殺すということは、その関わりを壊すことに他ならないのだ。陽和はそれをよく理解していた。理解しているからこそ、光輝のように半端な覚悟ではいられないと決断をしたのだ。
そんな彼の心情が手に取るように分かってしまった雫は、無事に地上に戻った後彼の抱える苦しみを全て受け止めようと密かに決断した。
だが、当然、正義感の塊たる勇者は黙っているはずがない。光輝は拳を握り歯を噛み締めると、陽和を鋭い眼光で睨むと呟く。
「なぜ、なぜ殺したんだ。殺す必要があったのか………」
静寂の満ちる空間に、必死に感情を押し殺した光輝の声が静かに響いた。
冒頭の絵本の話は陽和が雫へ恋心を抱いたきっかけの話です。
この絵本があったから、陽和は雫のことを守りたいと、好きになったわけなのです。
そして、バートの強さはセレリアやハジメよりも上です。将軍二人に魔改造されたってのもありますけど、元々腕利きの冒険者ー人間族で言うところの金ランクレベルの冒険者でしたのでその下地もあってめちゃくちゃ強くなりました。ラストのぶつかり合いではバートの武人としての覚悟に応えたからこそ成立したものです。
陽和もまた武の道を進むもの。どんな敵であろうとも真摯に武に打ち込んできたかは、その構えを見ただけでわかってしまうのです。だからこそ、バートを最後の最後で雫を傷つけた怨敵ではなく、誇りある武人と認めて魂のぶつけ合いたる斬り合いを引き受けたと言うわけです。
そして、最後の最後で勇者笑はやってくれましたね。陽和君の収まりかけていた怒りのボルテージがまーたぐつぐつと上がってきてしまいました。
この後、どんな仕打ちが待っているのやら………