『かつて俺が治めていた帝国。“竜帝国ウェルタニア”の光景だ』
ドライグよりはっきりと告げられた言葉に、二人は瞠目して眼前の光景を凝視してしまう。
「話には聞いていたが……そうか、こんなにも平和で温かい国だったのか」
「これが、始祖様が治めていた国の光景か。まさしく、理想の楽園じゃな」
『うん、とても素晴らしい光景だ。これは、確かに見事だね』
二人ともかつてドライグが治めていた竜帝国“ウェルタニア”にはそれぞれ思い入れがある為、目の前の平和な光景に感慨深い声をあげる。
ヘスティアも記憶の中で見た光景をより詳しく見れて感嘆の声をあげた。
『………三人とも礼を言う。俺も、そう評価してもらえて何よりだ』
ドライグはかつての治世を一片でも評価してもらえたことに素直に喜びを示す。
「しかし、ウェルタニアの光景が出てくるってことは、これが俺用の試練ってことか」
『その通りだ。これこそ竜継士用の特殊試練だ。相棒には赤竜帝として俺が…先代の赤竜帝が歩んだ軌跡を……そして、その末路を知ってもらうことが、試練の内容だ』
「末路……」
その単語に陽和とティオの表情は自然と暗くなる。
だって、彼らはウェルタニアがエヒトによって滅ぼされたことを知っている。今目の前に広がる穏やかな光景が、神によって踏み躙られることを、二人は理解していたから。
『そんな顔をしなくていい。後悔はあるが、既に終わった事だ。今更どうしようもできないからな』
「ドライグ……」
『それに、今は相棒という希望がある。俺達のこれまでが無駄ではなかったと分かった。ならば、これ以上過去を嘆く必要もない』
陽和の存在がドライグ達の奮闘を証明する。
それが分かった今、この過去は無駄ではなく、意味があるものだと思えるようになった。
「そうか……ああ、そうだな……」
そう言われ、陽和は悲しげながらもその中に確かな微笑みを浮かべる。陽和はウェルタニアでの出来事をあまり知らない。ドライグが記憶を意図的に見せなかったこともあり、知っているのは国が神によって滅ぼされたことだけだ。
ドライグにとっては今でも悲しい記憶であるのは確かだ。だって、国のことを話す時の彼はいつも悲しそうだったから。
だからこそ、自分の存在が希望なのだと改めて言われれば無性に嬉しかったのだ。そして、だからこそこれから見せられるであろう悲劇を目を逸らさずに見ようと密かに決意した。
「そういえば、さっきティオがいて丁度いいと言ってたけどそれってもしかして、竜人族の生き残りだからか?」
『その通りだ。かつての大迫害から生き残った者として、ティオ・クラルスにはこれから見る光景は教訓として見届けてほしいと思ったんだ』
「……そうじゃったのか」
ドライグの言葉にティオは納得の声を上げる。
500年前、神の扇動によって守るべき者達に裏切られた国を滅ぼされた経験のあるティオにとって、ドライグがこれから見せるであろう幸福と絶望の光景は大迫害から生き残った竜人族として見届ける価値があると理解したのだろう。
『この後、悲惨な物を見るのには変わりはないが、今だけはどうか我が国の光景を楽しんでくれ』
この後に凄惨な悲劇を見せられると分かっているからこそ、せめてもの気休めとしてどうかかつての温かな国を見て回ってほしい。そんなドライグの優しい気遣いに二人は穏やかに微笑み頷く。
「……ああ、そうだな。今だけは楽しませてもらおう」
「じゃな。始祖様の平和な国、妾も見て回りたいのじゃ」
そんな二人の言葉にドライグは穏やかに応える。
『そうか。それならば……あそこの神殿を目指して進むといい。あそこにいかんと、試練が進まんからな』
「神殿……ああ、あの丘の上のだな。分かった」
『急ぐ必要はないからな。ゆっくり行くといい。それと、俺はしばらく黙っておく。お前達が声をかければ応えるが、基本話しかけることはないと思っていてくれ』
『ボクも大人しくしておくよ』
そう言ったきりドライグとヘスティアは完全に沈黙する。ドライグに言われた神殿が都市の中央部にある丘の上にあることを確認した陽和はティオへと振り向く。
「よし、じゃあ折角だし過去観光と洒落込むか」
「じゃな。些細な気休めではあるかもしれんが、それでも楽しめるところは楽しんでおかなければのう」
「ああ」
それから二人はウェルタニアの街並みを観光も兼ねて見て回った。
ある場所では魔人族の男の子と人間族の女の子、そして竜の翼を広げている竜人族の男の子が石畳の道をお菓子を手に駆け回っている。
ある場所では森人族の青年と狐人族の女性が楽器を手にし陽気なリズムを奏で、虎人族の女性がリズムに合わせて軽快なダンスを踊っている。
ある場所では魔人族と熊人族、牛人族の三人の男性が大きなジョッキを手に飲み比べをしており、周囲では様々な種族の者達がヤジを飛ばしている。
空を見上げれば竜化した竜人族や翼人族が思いのままに飛んでおり、竜の背中には幼い子供達が乗っており皆笑顔だ。
かつてドライグが治めていたウェルタニアは『誰もが笑い合える楽園』と称されるに相応しく、どんな場所でも様々な種族の者達が笑顔で笑い合っていたのだ。
まさに楽園。ミレディ達が求めた自由な意思が自然と息づいた、平和な国の姿がそこにはあった。
また、景観も美しく街の中を流れる川や、生え並ぶ木々、その調和が極めて高水準で保たれており、建物が素朴さと落ち着きさを感じさせる趣も相まってその場にいるだけで心が洗われるような清廉さを感じた。
きっと、何も知らずにこの景色を見て誰かが世界で最も美しい木と水の都と言われれば、何も疑わずに信じることだろう。そう断言できるほどに美しかった。
清廉な街並みと平和的な民の活気。
その二つの調和はとても素晴らしく、見て回っていた陽和の表情は自然と穏やかで優しげなものになっていた。
ティオはかつての己の故郷、滅んだ竜人族の王国の光景を重ねたのか、少し悲しげながらもそれでも感動を堪えきれずに目尻に涙を溜めていた。
それから、約1時間。適当に歩き回っていた二人は、ドライグの言っていた神殿がある丘の麓にある広場のベンチで休憩をしていた。
「ふぅ、色々と見て回ったが本当に今の世界じゃ考えられない光景ばかりだったな」
「うむ。皆、心の底から笑い合っており、日々を楽しんでおる。このような光景が確かに存在していたのだと妾は感動しておるよ」
幼き頃から憧れていた始祖ドライグが治める帝国の光景を見ることができ感動に震えていたティオは、水筒の水を一口飲むと俯きポツリと呟く。
「…………妾達の王国もかつてはこのように全ての種族と手を取り合い共存しておった」
ティオの故郷ー五百年前に滅んだ竜人族の王国も、ウェルタニアのように全ての種族の人々と共存していた。
あらゆる国、あらゆる種族を受け入れ、共に手を携え合い、手を差し伸べ、平和をもたらしてきた。当時はどの国も、どんな種族も、多かれ少なかれ、竜人族には恩義と敬意を抱いてきたほどだ。
完全竜化という地上のどんな種族も持ち得ない固有魔法、始祖ドライグの眷属の末裔の証たるソレは、確かに人々に大きな恐れを抱かせた。
だが、だからこそ、竜人族は誰よりも、どんな存在よりも、高潔であらんとしてきた。
“恐れ”を“畏れ”に、そして、“畏敬”へと昇華させるためにだ。
「……父上や、爺様達が長い時をかけて夢のような楽園を見事作り上げたのじゃ。じゃが、唐突に守っていた者達によって国はあっけなく滅ぼされてしまった」
———世界の守護者
———平和の紡ぎ手
———真の王族
人々はそう竜人族を称えた。
だというのに、そう声高に称賛していた人々は手のひらを返したように狂気と共に罵詈雑言を吐き出しながら、自分達の故郷を滅ぼした。
両親はあの戦いで帰らぬ人となり、多くの同胞を失った。わずかな生き残りと共にティオ達は大陸の外にある隠れ里に逃げ、そこで五百年も隠れ潜んで生きてきたのだ。
「……あの時は辛かった。幼い身で未熟じゃったから、妾は戦いにも行けずにただ守られ逃げることしかできなかった。それが堪らなく悔しくて、悲しかったのじゃ。そして、国を滅ぼした教会達が憎くて仕方がなかったのじゃ」
当時の悪夢を思い出したのだろう。膝の上で拳を作り震えるほどに強く握りしめるティオの表情は険しく辛いものだった。
「ティオ………」
そんなティオの様子に隣で座る陽和は小さく彼女の名を呟くと何も言わずに優しく彼女の頭を撫でる。
彼女がこれまで抱えてきた苦しみや怒りに、自分がとやかく口を挟むことはできない。だからせめて、彼女には今力になれる人がいることを分かってもらいたくてこんな行動に出た。
「………ふふ、ありがとうの。主殿」
そんな陽和の気遣いにティオはクスリと微笑んだ。
ティオに陽和は思いやるような柔らかい表情を浮かべる。
陽和に頭を撫でられ気が晴れ満足したのだろう、サッと立ち上がったティオは朗らかな笑顔を陽和に向ける。
「時間を取らせたのじゃ。早く、次の試練に行こうぞ」
「……そうだな。だいぶ散策してたし、そろそろ神殿行くか」
ティオにそう返すと陽和はベンチから立ち上がる。そして、早速丘の頂上にある神殿へと続く階段へと向かおうとするティオの背中を見やると彼女を呼び止める。
「ティオ」
「ん?なんじゃ、主殿」
足を止め再び振り向いたティオに陽和は近づくと彼女を見下ろしながら優しく微笑みながら口を開く。
「お前は誰よりも博識で冷静だ。雫達もお前に頼ることが多かった。俺自身も、お前のことを信頼している」
「あ、主殿?急にどうしたのじゃ?」
急にそんなことを言う陽和にティオは首を傾げるも、陽和は話を続けた。
「まぁ聞け。俺が言いたいのはつまりお前は一人じゃないってことだ。一人で隠れ里を出た時とは違う。今は、お前に信頼を寄せる仲間が、俺がお前と共にいる。これからは俺らも一緒にいるってことを忘れないでくれ。……そして、いつの日かお前の黒い炎が鎮まる日が来るのを願っている」
「っ!!」
最後にニッと笑いながら言った陽和の言葉にほんのりと頬を赤く染めたティオは胸を締め付けられるような感覚に陥り、自分の顔に熱が籠るのが自分でもはっきりとわかったのだ。
言いたいことを言った陽和は「さぁて、神殿行くか」と呑気に言ってティオに背を向けて階段のほうへと向かってしまう。
しかし、逆にティオはその場で立ち尽くしたままだ。
「…………」
立ち尽くしているティオは頬を赤く染めており、陽和の背中にこれでもかと熱が宿る潤んだ眼差しを向けていて、先ほどの不意打ち気味に言われたトドメの一言に心臓の鼓動が激しくなっていたのだ。
赤く染まった頬を、ティオは誰も見ていないにも関わらず、両手を頬に当てて隠してしまう。
そのしおらしい姿をハジメ達が見ていれば、ニヤニヤと生温かい視線を向けてくるのだろうが、今は誰も見ていない。故に、彼女の珍しい姿は誰の目にも映らない。
(………全く、主殿よ、それはずるいのじゃ)
先ほどの発言はティオ的には不意打ちの口説き文句にも等しいものだった。
そこまであの迫害の過去のことを深く話したことはないはずなのに、的確に自分の心に響く言葉を何食わぬ顔で言ってくるのだから、ティオ的には陽和はとてもずるいと感じてしまったのだ。
(……平然とあんなことを言うのじゃからなぁ……まぁ、そこも主殿の美徳なのじゃがな)
天然たらしとでもいうべきか。
自分が言われて嬉しいことを的確にいってくれる陽和に文句の一つでも言いたいが、そう言うところも彼の美徳なのだとティオは思っているので文句を言うことはできず、慌てて陽和を追いかけるのであった。
▼△▼△▼△
長い石段を登りきって二人は丘の上の神殿に着いた。ちなみに、石段の数は数百はあり、自分達ならばともかく老人や子供にはキツいはずだ。
しかし、驚くべきことに当時の時代にはロープウェイのようなものが存在しており、石段の脇では数十人が入れるような箱型の物体が、等間隔に並んで山頂へと伸びていたのだ。本当にアーティファクト様々である。
とはいえ、二人は折角だし石段を登って丘の上に辿り着いた。頂上に辿り着いた二人の眼前には神殿があり、その威容に二人は息を呑む。
「…‥これが……ドライグの神殿か……」
「何ともまぁ見事な。……神聖さすら感じるのぅ」
朱色の門を抜けて見えたドライグの神殿はまさに見事の一言に尽きた。
朱色の屋根と落ち着いた色の木の柱によって作られた神殿は、どこか日本の神社を連想させるつくりであり、赤竜化した陽和が十頭いても余りあるほどの広さの庭は極めて美しく、壁際に生え並ぶ桃色の花が咲く木々や神殿の落ち着いた趣も相まって神聖さすら感じた。
ともすれば、ここが神域なのではと言っても納得できてしまうほどに、それは威容に満ちていたのだ。
そして、神殿の威容に目を見張る二人の眼前で四つの影が正門前の庭に降りてくる。
降りてきた影は、二頭の竜だ。
まず降りてきたのは、ティオよりも一回りほど大きい純白の鱗の竜だ。胸部には青い宝玉らしきものがある。白竜は翼を羽ばたかせながら庭へと降り立ち、続いてもう一頭の竜も降りてくる。
白竜に続いて降りてきた竜は陽和達にとってとても見覚えがあった。それもそのはず、紅蓮色の竜鱗に翡翠色の瞳と宝玉を持つ白竜よりも更に巨大な体躯を持つ勇壮な赤竜は、
「ドライグ……」
陽和の内に宿る赤竜帝ドライグなのだから。
二人共に赤竜帝ドライグの姿はそれぞれ見慣れているため、あの赤竜がドライグだということはすぐに分かった。
そして、二人が見ている前で白竜がその身を純白に輝かせながら人へと転変した。
現れたのは、美しい女性だ。白雪を思わせるような純白の長髪と鮮やかな青の瞳を持っている。優雅に微笑む壮麗な美女である彼女は紫と青を基調とした和装に身を包んでおり、美麗な作りから高貴な立場の女性なのだとわかる。
「あの人はまさか……」
格好や雰囲気から彼女の正体を何となく察した陽和がその気づきを口にしようとした時だ。陽和とティオは目を疑った。
なぜなら、ドライグがその肉体を輝かせて、人へと姿を変えたのだから。
現れたのは、赤と黒を基調とした和装を身に纏う筋骨隆々の美丈夫だ。
燃え上がるような炎を思わせる紅蓮色の髪と翡翠色の瞳を持つ男の容姿はとても優れており、背丈も190はあるだろう高身長。
絶大な覇気と気品を纏うその姿は、佇まいだけで“彼こそ帝王”だと理解させられる。
百人中百人が目を奪われること間違いなしの容姿が整った勇壮な男性がそこにはいたのだ。
「え、はぁっ⁉︎あれがドライグっ⁉︎」
「始祖様は人に変身できたのかえっ⁉︎」
まさかのドライグが人の姿になったことに陽和とティオは目を丸くして驚愕の声を上げる。
『ん?俺が人化できることはお前達には言ってなかったか?』
「「聞いてねぇ(ないのじゃ)!!」」
『ボクの記憶でも言った覚えはなかったねぇ』
二人揃って抗議の声を上げ、ヘスティアが言ってないとカラカラと笑う。
彼女が人の姿になるのは予想がついていた。竜人族の国なのだから、何らおかしくはないだろう。
だが、まさかドライグが人間の姿に、それも美丈夫の姿になれるなど予想外にも程があったのだ。
そこで陽和は一つ疑問を覚えティオへと振り向く。
「いや、待て。何でティオも驚いてんだ?ドライグの人化のことは後世に伝わってなかったのか?」
「う、うむ、あまり残っておらぬな。口伝の内容やウェルタニアの事などの概要ぐらいしかなかったゆえ、妾もまさか始祖様が人に転化できるとは知らなかったのじゃ。それに、当時の迫害で記録の大部分がなくなってしまったのじゃ」
「な、なるほど…」
当時の大迫害で多くの書物が失われ、ドライグのことに関する書物も数多く失ってしまったのだろう。いや、それ以前に数千年も前の詳細をティオ達も知るはずがないのだろう。
一人納得した陽和と説明をしたティオにドライグが人化について改めて伝えた。
『元々俺は人化という固有技能を持っていた。国を興す前は時折、人の姿になっては人里に降りて人の世を見てまわっていたこともある。竜の姿では人を怯えさせることもあったからな』
「そ、そうだったのか?」
『そもそも、俺は変成魔法を使って人間達を竜人族へと転生させていたのだぞ?俺自身を人化させることぐらい造作もない』
「お、おう、確かにそれもそうだな」
「た、確かにその通りなのじゃ」
他者を異種族へと転生させることができるのならば、自分の体を人型へと変えることなど確かに造作もないだろう。
ドライグにそう言われ、納得した陽和とティオは言われてみればそうだと頷かざるを得ない。
そして、女性とドライグはお互いを愛おしそうに見つめると共に神殿の方へと歩き出したのだ。
彼らの後を一定の距離を保ちながらついていく陽和は白竜の女性がドライグに向ける眼差しから彼女の正体を確信し、ドライグに尋ねた。
「……ドライグ……彼女が……お前の番なんだな?」
静かに尋ねた陽和の問いかけに少しの沈黙の後ドライグは頷く。
『…………その通りだ。彼女の名はアルビオン ・グウィバー・ウェルタニア。俺の最初の眷属であり、同時に俺の唯一の番だ。『
「そうか……」
悲しみと愛おしさがないまぜになった言葉に陽和とティオの表情は自然と暗くなる。
今の会話だけでもわかる。ドライグが番の彼女を確かに愛していたのだと。
ティオがアルビオンの名に聞き覚えがあったのか、思案するように顎に手を当てると口を開く。
「『白竜妃』アルビオン ……妾達の記録では確か最初の竜人族と記録されておったな」
『ああ、彼女は元人間族だ。俺を最初に神と崇めていた一族の末裔………そして、俺がこの世で初めて愛した者でもある』
「ドライグ……」
『白竜妃』アルビオン ・グウィバー・ウェルタニア。
ドライグがこの世界で初めて愛した女性の名であり、まだ国を興す遥か前の時代、自身を竜神と崇めていた巫女の一族の末裔でもあった。
長い交流の末彼が見初め血を分け与えたことで世界初の竜人族として生まれ変わったらしい。
元来有していた『毒』の固有魔法の他に、眷属に転生したことで獲得した『半減』などの力を駆使し、ドライグと共に戦場を駆け抜けていた。
竜帝国ウェルタニアにおいてドライグの次に強い彼女は、その実力の高さから各国からは相当警戒されていたらしい。
『しかし、よく気づいたな。相棒には彼女の記憶は見せてなかったと思うんだが……』
「まぁな。でも、なんとなくだが、彼女の眼差しは雫が俺に向けてくるものとよく似てたから気づいたってのもある」
陽和がアルビオンの正体に気づいた最大の理由は彼女がドライグに向ける眼差しが雫が自分に向けるそれとよく似ていたからだ。
『………そうか。うむ、確かに、そうかもしれんな』
雫とアルビオンが似ていると言われドライグはそう返すだけだった。だが、声が妙に嬉しそうだったと陽和は密かに思った。ティオも同じことを思ったのか、心なしが眼差しが優しげなものへとなっていた。
それからしばらくドライグとアルビオンの後を追いかけ廊下を歩いていると縁側へと出た。
山水の調和が取れた庭園の美しさに、二人はもはや何度目か分からない感嘆の息をついた直後、周囲の空間が歪み、今度は庭を歩きながら花を眺めているドライグとアルビオンの姿が現れる。
庭に咲く花を優しく撫でて愛でるアルビオンは少し憂うような表情を浮かべドライグへと振り向く。
『ドライグ様、諸外国の様子はどうでしたか?』
『よくはないな。また教会が侵略行為を始めた。周辺国を従属国へとし、領土を広げようとしている。信仰のもと異端者を老若男女関係なく辱め、虐殺の限りを続けているらしい』
どうやら彼らが話しているのは諸外国の様子らしい。しかし、彼らの会話や表情からも諸外国の様子はあまり良くはないらしい。
『解放者と出会う数百年前の時代にも教会は存在していた。当時は確か『清教教会』という名だったな。まぁ、名とは裏腹にエヒトの醜さに満ちた教会だったがな』
「いつの時代も教会はクソなんだな」
「じゃな。ふざけた名前じゃ」
当時を思い出してか忌々しく吐き捨てるドライグに陽和達は同意しうんざりした表情で頷く。
その後も話を聞く限り、当時の教会はエヒト神の正当性を主張して周辺諸国への侵略行為を続けていたらしい。名目上は異端者を処罰し、エヒト神の正しさと慈悲を伝え、正しい信仰を植え付けるため。しかし、実際はそういう筋書きのゲームだったのだろう。当時の時代では教会が周辺諸国を侵略し支配し、それに対する周辺諸国の民達の無駄な足掻きを見て楽しんでいたようだ。
『樹海の子らとも連携は取ってはいるが正直厳しいだろう。教会の支配は根強く広がっている。やはり、根本から人の子らがどうにかしなければ教会の支配を脱することはできん』
『ええ、悲しいですが我らは邪竜と呼ばれてる上、獣人族の皆様は見放された種族と呼ばれています。我らが主体では難しいのが現状でしょう』
過去のドライグの言葉に花を見ながらそう応えたアルビオンは、悲しみを押し殺すような表情を浮かべる。
『当時はなフェアベルゲン、昔の獣人の国と同盟を結んでおり、エヒトの支配から人々を解放する術を模索し続けていたんだ。しかし、会話からもわかる通りに、俺達は所詮は外部の存在。変革をなすには内側から、やはり人間がどうにかしなければ難しかったのだ』
純粋な武力で教会戦力を叩き潰すことは簡単だった。だが、武力支配は不要な軋轢を生む可能性が大きい。そんな状況で神の狂信を説明したところで納得してもらうのは難しいだろう。
『無論、エヒトを殺せば全て済む話だった。だが、奴は神域と呼ばれる次元の異なる空間にいてな、容易に近づくことすら叶わなかったんだ』
神を殺せば済む話ではあるが、肝心の神が次元の異なる空間『神域』にこもっているせいで打倒ができなかったらしい。
『エヒトに対抗する為の術、そのうちの一つが『ウェルタニア』の建国だった』
どうにか『神域』に乗り込む方法を模索しつつ、ドライグ達は様々な手を講じた。そのうちの一つが『ウェルタニア』の建国だったのだ。
その言葉と共に風景が再び歪み、今度は先程自分達がいた神殿の正門前の庭で赤竜状態のドライグと人間状態のアルビオンと、彼らの周囲には兵士であろう竜人族の男女が十数名。更には彼らの前には薄汚れ傷ついた人達が数十人集まっている光景が映る。
誰もが手足に枷と鎖をつけられており、中には首に鋼鉄の首輪らしきものもつけられている者達もいた。人間族だけでなく獣人族もいて同じような姿をしている。ボロボロの姿はまるで罪人や奴隷を思わせる姿であり、彼らを見て陽和は気づく。
「…‥彼らは、もしかして異端者や奴隷だったのか?」
『よく気づいたな。その通りだ。彼らは教会で異端者として処刑を待っていた者達や拉致されていた獣人族達だ。当時の俺達は彼らを保護して国に連れてきていたのだ』
「保護してたってのか?」
『そうだ。元より、ウェルタニアとはアルビオンの一族が主体とし各地から処刑されそうになっている異端者や奴隷にされた獣人達を保護していくうちにできた国なんだ』
そう説明するドライグに陽和とティオは顔を見合わせた。解放者以前に、異端者はいてドライグがそれを保護したのだと知り、安堵し誇らしい気持ちが湧き上がったのだ。
「そう、だったのか。それは……すごいな」
『まぁ元を辿ればアルビオンに頼まれたからだがな』
「頼まれた?」
ドライグの言葉に首を傾げた陽和にヘスティアが誇らしげに答える。
『アルビオンさんがね、教会に脅かされずに誰もが笑い合える場所を作りたいと言ったらしいんだ。当時既に番として迎え入れてた彼女の頼みもあって、ドライグ君は異端者や奴隷の保護を始めて『ウェルタニア』を作ったんだって』
ヘスティアの言葉を証明するかのように風景が歪み再び景色が変わる。桜にも似た桃色の花が咲き誇る木々が生え並ぶ美しく穏やかな光景。そこに彼女はいた。白と青の和装の裾と純白の髪を、暖かい春の風に靡かせながら花を見上げている。その隣には当然のようにドライグもいて、彼女と同じように花を眺め目を細めていた。
二人仲良く花を眺めていた時、アルビオンがドライグへと振り向き微笑みながら一つ提案をしたのだ。
『ドライグ様、国を作りませんか?』
『国、だと?』
『ええ、この村は貴方様のおかげで教会の脅威はありません。眷属にしていただいたおかげで、戦力としても対抗できます。ですが、外の世界は違います。外の世界では教会の支配の手が各地に伸び、人々の心が歪められてしまっています。そうして異端者として処刑された人や、奴隷になってしまった獣人族の方々も多いです。……私は、その状況を変えたい』
胸に手を当ててそう告げた彼女は優しさの中に確固たる高潔の光を美しい青の瞳に宿し、真剣な表情を浮かべながら続けた。
『………世界中の人々がいつか笑顔で手を取り合えるように、心の赴くままに生きれる世界を作る第一歩として、異端者の方々や獣人族の奴隷の方々を保護していき、誰もが笑い合える国を作りませんか?人々が教会に脅かされずに、笑顔で笑い合える理想郷を』
慈愛に満ちた言葉にドライグはしかし、少し躊躇うような表情を浮かべると彼女から視線を逸らし地に落ちた花びらを見下ろす。
『アルビオンよ、お前のその思想は尊いものだ。お前の言う理想郷が実現されれば、まさしく楽園となるだろう。エヒトの支配も俺はずっと憂いてきた。救えた命もあったはずだと後悔することもしばしばだ。お前のいうことも一理あるのは分かっている。だが……我らは教会によって邪竜と定められている。悪しき者の印象がある我々が国など作ったところで人の子らに受け入れられるのだろうか』
ドライグはそんな懸念を口にする。
当時からドライグとその眷属竜人族はエヒトの謀略により悪しき邪竜とその眷属という認識を植え付けられており、まさしく邪悪とされているのだ。
そんな者達が理想郷となる国を作ったところで、元の印象から手を取り合うのは難しいのではないかと危惧していたのだ。
だが、そんな彼の懸念にアルビオンは少しムッとするとドライグにビッと指を突きつけて咎める。
『そんなこと誠実を尽くし続けていけばいずれ覆る話です。始める前から懸念があるからとやらないのは腰抜けの考えです!』
『こ、腰抜けっ⁉︎』
『はい、腰抜けです。なんなら、引きこもってるエヒトと同程度の小物ですね』
『待て。エヒトと同じなどというのは勘弁してくれ。鳥肌が立って敵わん』
ゾワリ背筋から伝わる悪寒に顔を青くしたドライグがそう抗議すると、アルビオンはくすくすと笑った。
『ふふ、冗談はさておき。そもそも、異端者や奴隷の方々は皆さんまともな方々ですよ?最初こそ第一印象というものがありますが、そこは真摯に向き合っていけばいずれ打ち解けていけます。我々もそうだったではありませんか』
『それは…確かに、そうだな。いや、待て他の者ならともかく、最初からお前は俺を恐れてなどいなかったではないか』
『私のことはもういいでしょう。私が言いたいのは、我々という前例がある以上、誰とだって手を取り合える可能性はあるということです!』
声を上げてそう言うとドライグの手を優しく取りながら彼女は穏やかな表情を浮かべながら堂々と言い放った。
『何より貴方様は『赤竜帝』ア・ドライグ・ゴッホでしょう。世界に名を轟かせる誇り高き赤き竜の帝王が、そんな気弱なことを言っていては、王の品格が疑われてしまいますよ。もっと堂々としていないと貴方らしくありません』
そんなことを彼女はドライグに言ったのだ。
恐らく、世界で初めてドライグ相手にここまで言い放った人間なのは間違い無いだろう。
これでもかと驚き目を丸くするドライグの表情がそれを裏付けていた。
やがて唖然としていたドライグが破顔するとフッと小さく笑ったのだ。
『……全く、お前には敵わんな。お前はいつも俺の予想を超えてくる。やはり人間の可能性というのは実に面白いな』
『ふふ、では早速行動しましょうか!実は近々、砂漠の方で異端者を処刑するという話があります。折角ですので、彼らを保護しちゃいましょう』
『さては、貴様俺の承諾関係なしにやる気だったな?』
『ふふふ、何のことでしょう』
そう彼女は悪戯っぽく微笑むと和装の裾を靡かせながらくるりと翻ってドライグに背を向けて森の中をさっさと歩いていく。
ドライグは困ったような笑みを浮かべると小さく息をついてやれやれと言った様子で首を振りながらも彼女の後を追いかけていった。
そうして二人の姿が遠ざかっていくと、再び周囲の風景が歪み、今度は様々な場面の光景が同時に出現した。アルビオンやドライグが大勢の人達を保護している場面もあれば、竜人族の臣下達と共に作戦会議のようなものをしている場面もあり、更には竜人族総出で炊き出しをしているような場面もある。
そのほかにも様々な場面にドライグとアルビオンの姿はあって、二人が国作りのために共に歩み、数多の苦難を乗り越え努力してきたことが陽和達には手に取るようにわかった。
無数の過去映像を見ているとドライグが捕捉するように説明をする。
『見ての通り、国づくりを提案したのはアルビオンだ。最初こそ俺も懸念があったが、それでも彼女と共に異端者や奴隷の保護を続けていくうちに、村は街となり、やがて国となった。本当に、彼女が願った国を、世界の理想郷『ウェルタニア』を実現するまでに至ったんだ』
ドライグとアルビオンが建国のために足掻き続けた軌跡の過去映像は終わり、今度は竜化した二人が丘の上、神殿から街を見下ろしており、見下ろした先、街からは人々の歓声が響き渡っている。
何かの式典でもあったのか、異種族混合の音楽隊が演奏をし、空では無数の竜人族が自由気ままに空を飛んでいる。
何かの催しかと二人が勘ぐった時だ、人々が歓声と共に叫んだ。
『ドライグ陛下万歳!』
『アルビオン王妃万歳!』
『ウェルタニア建国万歳!』
『竜帝国ウェルタニア、永遠であれ!』
ドライグやアルビオンを賛美する声が聞こえ、次にはウェルタニアの建国を祝福する声が多数響いたのだ。この叫びに二人はこの催しが何かを理解した。
「建国……もしかして、これってウェルタニアの建国際なのか?」
「そうじゃろうな。建国を祝う式典のようじゃ」
『ああ。これはウェルタニアの建国を祝う建国際の光景だ』
ドライグが二人の理解を肯定すると、過去映像の中のアルビオンがドライグを見上げながら表情を綻ばせる。
『ドライグ様、ようやくここまで来れましたね』
『そうだな。お前が国を作らないかと提案して800年。よくここまでできたものだと今でも感心している』
『ええ、私も同じ気持ちです。ですから、次は、これを世界中に。神の支配を脱し、世界中の人々が笑い合えるように、これからも手を尽くしていきませんか?』
一つの目標を達成すれば次の目標へと。以前よりもさらに大きく、更に困難な目標を彼女は掲げた。
世界を変える。一見無謀とも言える彼女の提案に、しかしドライグは以前のような懸念を告げることはなく、慈しむように穏やかな微笑むを浮かべ、彼女に首を寄せる。
『うむ、そうだな。お前とならば、出来るかもしれん。どれだけの年月がかかろうとも、いつか必ずお前の夢見た理想を実現するために、共に歩んでいこう、誰よりも心優しき我が妃アルビオン』
『ええ、ありがとうございます。どうかこれからも共に歩んでください。誰よりも誇り高き我らが帝王ドライグ様』
二人は心の底から幸せそうに微笑みながらお互いに頭を寄せながらそう言う。
お互いを愛し、共に歩まんと寄り添い合う二人の姿に陽和達は自然と目を奪われる。彼らの姿が陽和達にはある種の完成された姿のように見えたからだ。
そこで映像は途切れ、元の庭の景色が広がる。
映像を見終えた陽和の瞳からは涙が溢れ、つーと頬を伝って落ちていた。
静かに涙を流す陽和は、涙を拭いながら穏やかな笑顔を浮かべる。
「………アルビオンさんは、とても優しい人なんだな。誰もが笑い合えることを願ってまさか国まで作るとは、ミレディ達解放者達に並ぶほどに気高い人だ。ここまで誰かを想い、誰かの笑顔の為に行動してやり遂げるのはそうそう出来ることじゃない」
「うむ、妾も同感じゃ。始祖様の国の成り立ちだけでなく、白竜妃様の人柄も知ることができて妾は感動しておるよ」
陽和に続いて目尻に涙を溜めていたティオも涙を拭いながら深い感動を込めて最高の賛辞を送る。ドライグは二人の賛辞に昔を懐かしむように、そして愛おしそうに笑う。
『ああ、彼女はどこまでも優しかった。人が築き上げる幸福を見るのが何よりも好きだった彼女は、多くの人の幸せを願っていた。誰かの幸福を我が事のように喜び、多くの人々を慈しんでいた相棒彼女はまさに『聖女』と呼ぶに値する気質の持ち主だった。彼女のおかげで俺も誰かを愛することの喜びを知ることができたんだ』
心から愛していたのだろう。彼女を称賛する彼の言葉の節々には、確かな愛情が宿っていた。
『ティオ・クラルスよ、お前は当時竜人族は高潔な種族だと世界から呼ばれていたと言っていたな?その所以は俺ではなく、アルビオンだ。彼女こそが竜人族の誇りであり、後の竜人族を高潔たらしめたと断言する』
後の世で竜人族が高潔とよばれているがその始まりはアルビオンだ。彼女のこの行動こそが、竜人族を高潔たらしめたものであり、彼女の優しさこそが竜人族を象徴するものであり、彼女こそ竜人族だと言ってもいいほどなのだ。
始祖であり、帝王であり、夫でもあったドライグがそう評したことに二人は肯定する。
「ああ。始まりの竜人である彼女の行動があったからこそ、竜人族は彼女の背に倣い優しさを、誠実を貫いた。そしてその結果が、高潔と呼ばれるに至った。本当に、見事なものだ」
「妾も異論はない。彼女の姿こそが、妾達後の竜人族の導になり連綿と受け継がれてきたのだと今なら分かる。まこと天晴れじゃ」
ウェルタニアの成り立ち、始まりの竜人アルビオン のことを知ることができ、二人は嬉しかったのだ。
それからしばらく二人が感動の余韻に浸っていた時、縁側の端にある引き戸が音を立てて開いた。
その先には廊下が伸びており、次の段階へ進めと示唆しているようだ。
『二人ともそろそろ次の試練に行こうか』
「ああ」
「うむ」
ドライグに促され二人は引き戸の奥へと進み廊下を進む。しばらく歩いて出てきた場所は先程とは別の庭だ。
先程と違うのは庭の中央に桃色の花が咲き誇る大木が聳え立っており、四方を朱色の御殿に囲まれて横に大きく広がった枝の隙間から太陽の光が差し込む様は隠された秘境のようだ。
「これはまた見事だな……本当、ウェルタニアには何個絶景があるんだか」
『これは見事だね。ドライグ君の記憶でいろんな景色を見てきたけど、屈指の美しさだ』
「美しいのぅ。静謐さと華やかさを両立した見事な木じゃ。これは天然なのかえ?」
『ああ、この木は天然物だ。丘の頂上に生えていた一際大きい木でな。アルビオンが気に入ってた。かくいう俺も、この眺めは好きだった』
三人からの賞賛にドライグは気を良くして上機嫌に答える。自分のお気に入りの景観を陽和達にも気に入ってもらえて嬉しいようだ。
そして再び風景が歪み、木の下でゆったりとした装いのアルビオンとドライグの姿が現れる。
アルビオンはなぜかお腹を撫でており愛おしいものを見るような眼差しをお腹に向けている。ドライグもアルビオンのお腹へと同様の眼差しを向けている。
それを見て二人はまさかと思った時、ドライグがその気づきを肯定するように説明する。
『ウェルタニアを建国してから千年が経った頃、俺達の間に子供ができた。まだ妊娠初期の段階だが、それでも、子供ができたことは嬉しかった』
それから日々は巡り妊婦となったアルビオンを気遣おうとして空回りして珍しく慌てるドライグを見て、くすくすと笑うアルビオンの姿があったり、妻帯者の部下達に出産や妊娠のこと、子育てのことを聞いて回っているドライグの姿があったり、女性の臣下や従者達から胎教にいい話や、出産後の手解きなどを教わっているアルビオンの姿があった。
生まれてくる子の為に何か手を尽くそうとして、でも初めてのことだから分からなくて不器用ながらも地道に色々と学んでいくドライグの父親らしい姿と、自身の体調に気遣いながら子の為にできること全てを調べては実践しているアルビオンの母親らしい姿がそこにはあった。
そして、そんな日々が移り変わり、出産の時が近いとわかるほどお腹の膨らみが目立つようになった頃、大木の下で椅子に座りながらお腹に手を当てながら歌を歌うアルビオンの姿が映る。その傍には当然ドライグもいて、お腹の上に乗せられたアルビオンの手に自分の手を重ねながらアルビオンの歌を心地良さそうに聞いている。
『もうそろそろ生まれるそうですよ、ドライグ様。私、早くこの子と会いたいです』
『俺もだ。早くこの子と会いたいな』
『男の子と女の子、どっちになるんでしょうか』
『どっちでもいいさ。どちらも俺達の愛しい家族には変わりない。でも、そうだなぁ、娘ならばきっとお前に似て優しい子になるだろう』
『でしたら、男の子なら貴方に似て勇気のある逞しい子に育つでしょうね』
生まれてくる子供がどんな風に育つのかを夢想し語り合う二人に自然と陽和達の表情は優しいものに変わる。
『そういえば名前はもう決めてるんですか?』
『ああ。息子ならばヘリオス。娘ならばセレーネにしようと考えている。ヘリオスには『希望の朝日』を、セレーネには『幸福の月』という願いを込めた。どうだろうか?』
『ええ、いいと思います。私も、その名前が相応しいと思いますよ』
『……そうか。……たくさん悩んだ甲斐があったな』
『ふふ、ドライグ様、沢山名付けの本を読み漁ってましたし、ドラグディやグライス達にも相談してましたものね』
『なっ、お前知ってたのか?だ、だが、バレないようにしていたのだが……』
『ニエシカに教えてもらったんです』
『………情報提供はそこからか』
額に手を当て天を仰ぎ見ながらそう呻くように言うドライグにアルビオンはクスリと微笑むと彼の肩に頭を寄せる。
『楽しみですね、ドライグ様』
『ああ、楽しみだな。アルビオン』
生まれてくるであろう子共の未来を夢想しながら、誕生を心待ちにするその姿はどこにでもあるような夫婦の姿で、見た者の心が自然と温まるような微笑ましい光景だった。やがて映像が消え、元の大木のある庭の光景に戻った。
『………幸せとはああいうことを言うのだろうな。誰かを愛し、誰かと子を成し、その子の誕生を心待ちにする。どこにでもあるが、かけがえのない尊い日常は、彼女に出会う以前の俺では考えられなかった』
万感の想いで言葉を紡ぐドライグ。きっと今肉体があれば、涙ぐんで微笑んでいることだろう。
人と竜。異なる種族の間で生まれた奇跡の物語がそこにはあったのだから。ドライグは深い愛情が込められた言葉で静かにつぶやく。
『…………ああ、本当に幸せだった。いつまでもこの日常が続けばいいと思っていた』
「「……っっ」」
『思っていた』。その口ぶりに陽和とティオの表情は険しくなる。
二人は理解してしまったのだ。幸せな光景はここまでであり、これからは悲惨な地獄の光景が幕を開けるのだと。そして、それを察するかのようにドライグは悲痛さが宿る声音で静かに言う。
『………だが、その幸せは続かなかった』
そう言った直後だ。
凄まじい轟音と衝撃が神殿を襲い、フッと陽光が消えたのだ。神殿を揺らすあまりの衝撃に陽和達はよろけてしまう。
「な、何が起きたんだっ⁉︎」
「分からぬっ。じゃが、これは外で何かが起こっておるのかっ⁉︎」
轟音と衝撃の直後、二人の耳に怒号や悲鳴のような声が無数に聞こえてきたのだ。外で何かが起きた。そう確信した陽和が枝葉の隙間から陽光が消えた空を見上げた瞬間、目を見開く。
「な…んだ、あれ……月が、赤い…」
見上げた空はいつの間にか暗い夜空へと変わっており、夜空には血のような悍ましい赤に染まった三日月が上っていたのだ。
赤い月光のせいか、先ほどまで静謐さや美しさすら感じていた桃色の花が血を吸い上げたかのような深紅へと染まっており、恐怖や怖気を感じる妖木のように見えてしまった。
妖しさすら感じる悍ましい月夜にティオも気付き、二人とも総毛立つような悪寒に襲われる。
そう、幸せな過去はここまで。
これより始まるのは、悲劇。
怒号、悲嘆、絶望、喪失に満ちた狂騒の夜が、始まろうとしていた。
▼△▼△▼△
突如聞こえてきた無数の怒号と悲鳴。さらに断続的に響く爆音と伝わってくる振動に陽和達は揃って焦燥を露わにする。
「とにかく外に出るぞ!」
「うむ!」
陽和はティオにそう促すと勢いよく反転し、元来た道を駆け戻る。ティオも追随し神殿の正門に戻りその光景を目の当たりにした。
「これは…っ」
陽和が愕然とした様子で搾り出すような声で呟く。
ティオは目を大きく見開き、表情を強張らせている。
二人が見下ろすウェルタニアの都は、赤く染まっていた。
あちこちで火の手が上がり、無数の魔法が飛び交い、怒号と悲鳴が都を席巻している。先程の山水の調和が取れた美しく清廉な街並みの姿はもうそこにはなくて、地獄の劫火に呑み込まれ灰燼に帰そうとしていたのだ。漆黒の闇に満ちた空には無数の銀の星々が浮かんでおり、赤い月、銀の星々を抱く夜空の下では無数の竜人族が竜化し、竜の姿でお互いに向けて閃光を放っていた。
殺し合っていたのだ。誇り高き竜人族が、支え守り合うべきであるはずの同族に向けてブレスを放ち、牙を突き立て、鉤爪を振るっていたのだから。
同胞同士で殺し合う異様な光景にティオが信じられないと言った様子で悲鳴じみた声を上げる。
「何故、じゃ。何故同胞同士で殺し合っとるのじゃっ⁉︎仲間ではっ、家族ではないのかえっ⁉︎」
この光景はかつて自身が目の当たりにした大迫害の光景とよく似ていた。だが、当時竜人族は全てが味方であり、侵略者たる敵の殆どを無力化しただけで命までは奪っていなかった。
彼らは最後まで高潔であり、己の誇りを貫いたのだ。だというのに、今目の前では同胞同士で殺し合っている。誰よりも高潔であるはずの、ましてや始祖たるドライグが治める国で同胞同士で殺し合うなど、ティオからすれば異様であり理解ができない光景だったのだ。
そして、劫火に焼かれている眼下の都では、
『異端者を殺せ!エヒト様の為にぃぃぃぃ!!』
『神敵を許すな!!我等の忠誠をエヒト様に示せぇっ!!』
『反逆者を殺せ!!反逆者に神の裁きをぉぉぉっ』
『ああぁぁエヒト様ぁぁ!私の忠義をお見せいたしましょう!!』
『エヒト様の為に殺せ!殺し尽くせぇぇっっ!!』
『世界の裏切り者を探し出せぇぇぇぇっっ!!』
『邪悪な国の存在を許すなぁぁぁぁぁぁっっ!!』
怒号と悲鳴が響く中、聞こえてきたのは狂気に満ちたシュプレヒコール。耳を塞ぎたくなるような不快で悍ましい雄叫び。
遠くを見れば、教会勢力と思しき鎧を身に纏う神殿騎士達だけでなく、神官やシスター、他国の兵士達、果てには、明らかに一般人と思われる者達が各々得物を手に都へと雪崩れ込んできていたのだ。
陽和とティオは、正気を削られるような狂気の大合唱にこれ以上聞きたくないという風に顔を歪める。
『……世界が狂わされたのだ』
顔を歪める二人にドライグが静かに答える。
何が起きてるんだと目元を険しくし陽和の左手の宝玉へと視線を向ける陽和とティオにドライグは悔しさを噛み締めるような声音で続けた。
『教会の総本山である神国とミレディ達解放者の決戦が解放者の勝利で終わり教会の権威が揺らぎしばらくした頃、神は最後の遊戯として世界中の人間を洗脳し解放者狩りを始めた。軍人だろうと一般人も関係ない、それどころか子供も老人も関係なく、その全てが狂信の坩堝に堕とされたのだ』
「世界規模の洗脳じゃとっ!?しかも、解放者のみを対象から外して行ったというのかっ!?そんなことできるはずがないのじゃ!」
世界中の人々をほぼ同時に洗脳し操るなどあり得ないと叫ぶティオに陽和が顔を青ざめさせながら、怒りを堪えるような声音で呟く。
「………いや、それができてしまうんだ。神エヒトは……自身の人形を、使徒を世界中に解き放ち“魅了”により人々に狂信を植え付けたんだ」
「人形?使徒?主殿、何を言っておるのじゃ。神の使徒とは異世界から召喚された者達のことではないのかえ?」
『神の使徒』。それは、今の世界では陽和やハジメ達のように異世界から神エヒトによって召喚された者達の総称であるはず。
だとすれば、当時にも異世界から召喚された者がいたのかと思ったが、それ以前に人形と言ったことが分からなかったのだ。その疑問に、陽和はスッと腕を上げて空に浮かぶ銀の星々を指差しながら答える。
「違う。本当の意味での神の使徒は、俺達召喚者のことじゃない。アレがそうだ」
指差した先、夜空に浮かぶ無数の銀の星々へとティオが視線を向けて気付いた。星々だと思っていたそれは、星ではないということに。
「銀の星?いや、人?……違う…人に見えるが、ヒトではないっ。主殿っ、なんじゃアレはっ」
星々をはっきりと視認したティオがソレを見て愕然とした声を上げる。
天空より銀の砲撃を放ち、正気であろう竜人達を次々と撃ち落としていくソレを見た瞬間、魂が理解したのだ。あれは人ではない何かだと。
星々の正体、それは絶世の美女だ。
夜風に靡く銀髪、澄み渡った無機質な碧眼。炎によって赤く照らされながらもはっきりとわかる美貌。芸術的なスタイルの上に白を基調とした戦装束と頭と手足、胸部と腰に部分甲冑をつけた戦乙女。
背中には人間にはありえない銀に輝く一対の翼を背負い、両手には白い大剣が握られている。
神秘的で神々しく、非現実的なまでに美しい女。
それが銀の星の正体だった。それが空を埋め尽くすほどに存在しており、全員が同じ容姿をしていたのだ。
「アレこそが本当の神の使徒。エヒトが作り上げた神威の具現。世界をより効率よく支配し、遊戯を滞りなく進める為の人形だ。そして、その強さも異常だ。神威の具現、そう称するにふさわしいほどに単純な戦闘能力は高く、ハジメと同等のステータスはあるはずだ。ソレに加えて、あらゆる物全てを分解する固有魔法を持ち、魔法も全属性に適性がある。それほどの存在が、空を埋め尽くすほどに量産されている」
「……っっ」
陽和より告げられる神の使徒の情報とその恐ろしさにティオは戦慄してしまう。いくら、解放者がいた時代の者達の質が今よりも高かったとはいえ、それでもハジメと同等の戦闘力がある人形が存在し、しかもソレが無数にいるのだと、恐ろしさに体が震えてしまう。
「なんてことじゃ……よもや、あれほどの存在が量産されてるじゃとっ?」
「ああ。そして、神が健在である以上、あいつらも依然として存在し続けている。俺は、あの人形の一体を実際に見たことがある」
「なっ、主殿はアレと対峙したのかえっ⁉︎」
ティオはあれほどの強敵といつ対峙したのかと驚愕を顕に尋ねるが、陽和が首を横に振る。
「いや、戦ってはいない。見たことがあるだけだ」
「それは、いつなのじゃ?」
「俺達が召喚された日だ。神山の教会で教皇のクソジジィから話を聞いていた時、奴の後ろに銀髪のシスターがいたんだ。今思えば、アレが神の使徒だと断言できる」
召喚された日、説明をするイシュタルの背後に控えていた銀髪のシスター。彼女を見た時、とてつもない悪寒を感じた。
アレはダメだ。アレは人の世界に存在してはいけないナニカだと。あの時陽和はそう確信したのだ。そして、ソレは正しかった。
彼女こそ世界を狂わせている神の使徒であり、人形の一つ。そして、もしもあそこでイシュタルの協力を拒んでいたら、間違いなくあのシスターに処分されていたことだろう。
『話を戻すが、エヒトはあの人形共を使って世界中の人間を操ったのだ。世界各地に放った使徒達がシスターや司祭に扮し、魅了をかけて操った。……そして、その狂気の魔手は解放者の人員にも及んでいた』
「なんじゃとっ⁉︎」
「…………」
ティオがこれでもかと目を丸くする。陽和は以前に解放者が辿った軌跡をドライグ自身から聞いていたが為に、大した驚きはせず静かに聞いている。
『それは我等『ウェルタニア』も同じだった。少なくはない民達が使徒達によって洗脳され、若い軍人達を中心に民達が反乱を起こしたんだ。味方で殺し合っているのは、そういうことだ』
「……そう、じゃったのか……」
ドライグの説明を聞いたティオはそう返すと俯きわなわなと怒りに震えながら「なんてことを…」と呻くように呟く。
握り締めた拳から血が滲み、噛み締める唇が彼女の怒りを表していた。
———グゥゥガアアアアアァァァァァァァァァァァァァッッ!!!!
その時、一際大きい竜の咆哮が響いた。
聞き慣れたその咆哮に陽和がバッと振り向き、その先にある光景を見て動揺に声を震わせる。
「そんな、まさかっ…!」
「……嘘、じゃろう」
陽和に続きティオも遅れて気づき信じられないと愕然とした様子で思わず呟いた。
二人の視線の先でも、無数の竜人族が竜化して殺し合っており、そんな彼らの中心で殺し合う二頭の竜に視線が釘付けになる。
その二頭の戦いは片方が一方的に攻撃を仕掛けており、片方が一方的に攻撃を受けているという異様なものだった。
攻撃を受けていたのは、誰よりも巨大で勇壮な、紅蓮色の竜鱗に翡翠の瞳と宝玉を輝かせる赤竜。
そして、攻撃を仕掛けているのが、純白の鱗を身に纏い青の瞳を輝かせる美しい白竜。
赤竜と白竜が、ドライグとアルビオンが戦う光景がそこにはあったのだ。
あまりに残酷で、あまりにも無慈悲な、ドライグが最愛の妻と戦っている最悪の事実に、陽和達は頭を殴られたかのような衝撃に襲われ呆然としてしまう。
二人が呆然とその光景を見上げる中、過去映像の中でドライグは叫んだ。
『止まってくれっ、アルビオン!』
攻撃を受け続けたからか、身体のあちこちに小さな傷を作っているドライグは、悲痛な声音でかけがえのない妻に縋るように叫んだ。
だが、そんな彼の叫びに対し、アルビオンは到底最愛の夫に向けるものではない冷徹で残酷な眼差しを向けながら応える。
『ドライグ様、なぜ、教会と手を取り合おうと思わないのですか?無為に殺し合いお互いの民を犠牲にするよりも、手を取り合い無血での和解を目指すべきだと何故わかってくれないのですかっ!?』
その雄叫びと共にアルビオンは、大きく息を吸い顎門を開いて白銀の閃光を放つ。
流石は白竜妃と言ったところだろう。解き放たれた閃光は莫大な破壊力を秘めており、歴戦の猛者であっても防御が必要だと思わせるほどの威力を秘めていた。いや、歴戦の猛者であっても防げるか怪しい程だった。
それをドライグはブレスをもって相殺し、アルビオンの言葉に反論する。
『分かるはずがないだろっ!教会と手を取り合うだとっ!?お前もこれまで散々見てきたはずだ!!奴が世界を狂わせたっ!!そして今、お前達の心すらも操り、同胞を殺させ、俺と殺し合わせているのだぞっ!?』
『私達はずっとすれ違っていただけなのです。私は正気でようやくエヒト様の尊い神意を理解しただけなのです』
『それは違う!奴はただ人を弄ぶことしか考えていない!それをお前は何度も見てきたはずだ!見てきたから、虐げられる者達を憂い共にこの国を作ったはずだ!!』
『私達が国を作ったのは、いずれエヒト様の作る世界に献上する為です。この世界の物は遍く全てかのお方のものなのです。貴方こそなぜ長い時を生きてきたにも関わらず、かのお方の神意を理解できないというのですか?』
『アルビオン……お前………』
以前と全く違う価値観に、思想にドライグは呆然としてしまう。あれほど虐げられた者達を憂いてきた優しい心の持ち主だった彼女が、ここまで対狂気じみた思想に歪められてしまったことに悲しげな声をあげてしまう。
だが、悪辣な遊戯を楽しむ神は悲嘆に浸る時間すらドライグには与えなかった。彼の絶望を嘲笑うように天から銀光の豪雨が降り注いだ。
『ぐぅっ、このっ、教会ッ!』
天より降り注ぐ分解砲撃がドライグの肩口を抉る。
一撃肩を穿たれたドライグは、即座に炎を全身から噴き上げ纏いながら横槍を入れてきた使徒達に怒りの咆哮をあげる。
対する、使徒達は天より翼を羽ばたかせながらアルビオンの周囲に並び立ちながら、使徒の1人がドライグに淡々と告げる。
『彼女の説得は諦めなさい、赤竜帝ドライグ。我が主の力は絶対。彼女はもう貴方の知る彼女ではない。大人しく、彼女に殺されなさい。共にあり続けた夫婦の殺し合い。それを我らが主は望んでいます。
『貴様らはどこまで我らの心を踏みにじれば気が済むっ!!』
『全ては我が主の御心のままに』
『〜〜っっ、エヒトォォォォォォォッッ!!!!』
『グゥルゥアアアアアァァッッ!!』
最愛の妻の心を都合よく歪め、自分と殺し合わせるという下劣極まりない所業にドライグの心は憤怒に灼かれ怨嗟に満ちた怒号をあげる。そして、同時にアルビオンが咆哮を上げながらドライグへと襲いかかった。
『っアルビオンっ!』
縋るような悲痛な声音で彼女の名を呼ぶもアルビオンは耳を貸さず、そのままドライグの抉られた肩口に牙を突き立てた。
『ぐぅっ⁉︎』
鱗が抉れ肉が露出する肩から突き刺さる痛みが広がる。
『『『陛下っ!!』』』
『俺に構うなっ!お前達は使徒を抑えろっ!!』
近くで戦っていた臣下達にそう返したドライグは、肩から血を噴き出し痛みに呻きながらも噛み付くアルビオンの両肩を掴み必死に言葉を紡ぐ。
『止まれっ、止まってくれアルビオンっ!俺は、お前と殺し合いたくなどないっ!傷つけたくないっ!だから頼むっ!目を覚ましてくれっ!!』
なんとかアルビオンの心を取り戻そうと必死に叫ぶドライグだったが、アルビオンにその声は届かず彼女は牙を突き立てながら鉤爪を振るいドライグの肉体に新たな傷を刻んでいく。更にはブレスを放たれ、固有魔法により弱体化をされようとも、ドライグは何度も血を吐きながらも、反撃をせずになおも必死に言葉を紡いでいく。
いや、初めから反撃などできるはずがないのだ。彼女は最愛の妻だ。操られているとはいえ、これまで長い時を共に歩んできた彼女小さな擦り傷一つすらつけられるはずがないのだ。
そして、反撃をしないのは最愛の妻だからだけではない。
『……アルビオンはまだ出産しておらず身籠っている状態だった』
「っっ、そんなの、尚更反撃できるわけがっ」
『ああ、反撃などできるわけがない。細心の注意が特に必要な彼女には、一度の反撃すらもお腹の子に影響を与えかねなかった。だから、俺は耐えて必死に説得していくことしかできなかった』
ドライグが話をしていく間も、過去映像の中ではドライグがアルビオンを抑えながら必死に説得を重ねていた。
だが、夫婦の殺し合いを望むエヒトがそれを許容するはずもなく、
『がぁぁっ⁉︎ぐっ、貴様らっ‼︎』
アルビオンの背後から銀の閃光が再び放たれ、身体の各所を抉る。使徒の分解砲撃だ。
臣下の竜人達と戦っていた別の個体だ。さらなる増援としてアルビオンに加勢をして確実にドライグを殺そうとしているらしい。アルビオンと取っ組み合いをしているドライグは死角から放たれた閃光に対処が間に合わなかった。
しかも、タチの悪いことにアルビオンごと貫こうと致命の攻撃を乱射してくるのだ。
『がっ、はっ、ぐぉっ』
組み付かれながらも身体をどうにか動かしてアルビオンに攻撃が当たらないようにした分、分解の攻撃を一身に受けてしまい肉体が更に穿たれる。
苦悶の声を上げるドライグは、バランスを崩してしまいアルビオンに組み敷かれたまま地に落ちて行くが、墜落の直前どうにか自分を下にし地面に墜落する。しかし、地面に落ちてもなお、アルビオンの殺意は消えず、下にいるのを幸いと言わんばかりに、アルビオンはドライグの喉元に牙を突き立てた。
『ガアァァァァッッ!!』
『がっ⁉︎アル、ビオンっ』
首から血が噴き出し、アルビオンの純白の鱗が赤く染まっていく。喉元を噛みちぎらんと牙を突き立てる力を強めるアルビオンを無理やり引き剥がすこともできず、ドライグは首元を噛まれながらもどうか届いてくれと必死に叫ぶ。
『アルビオンっエヒトに負けるなっ!思い出せっ!!お前がこれまで何を成してきたかをっ!!お前を慕う者達の顔をっ!!何を見て笑い、何を見て喜んだかを思い出せっ!!』
『っっ、早く死になさいっ!!』
ドライグの必死な言葉に、アルビオンは少し苛立ちが混ざる声音で噛む力を更に強める。同時に、固有魔法の一つ『半減』により、ドライグの力を半減していき確実に弱体化させていく。
だが、ドライグもまた『倍加』を行使することでアルビオンの『半減』を打ち消して耐えながら両腕を動かし彼女を優しく抱きしめる。
『お前が俺に愛することを教えてくれたっ!お前がいなければ、共に生きる喜びを知ることもできなかったっ!!』
『っっ、黙りなさいっ!!』
アルビオンは明確な苛立ちと共に、自身の周囲に白銀の光星を無数に生み出し、そこから『毒』の光弾を乱射してドライグの全身を滅多打ちにする。
大気が歪むほどの密度の白い光の瀑布。鱗に亀裂が生まれ、傷口を更に広げて、確かな激痛を全身に与える。しかし、ドライグは言葉を紡ぐことを決してやめなかった。
それは、
『俺は、お前を愛しているっ!』
彼女を愛していたから。
これまで共に歩んできた軌跡を思い出し、彼女がいたからこそ歩んで来れたのだと。彼女のおかげでここまで来れたのだと。それを示し、愛をもって彼女を救わんと叫び続ける。
『お腹の子供だってお前を愛しているっ!俺達は親になるのだろうっ!?お腹の子にこんな無様を見せる気かっ!?』
『———っ、死んでっ!早く死になさいっ!!』
『母親ならば、目を覚ませっ!!アルビオン・グウィバーッッ!!!!』
そして、奇跡は起きた。
狂気に歪んだ冷徹で残酷な瞳に確かな光が宿る。
思考にノイズが走り、激しい頭痛が起こる。彼女は思わずドライグの首から牙を離して雑念を払うように頭を何度も振るった。
そうすれば白昼夢に囚われていたかのような思考が、次第に晴れていきアルビオンは己を取り戻す。
正気に戻った眼差しで傷だらけのドライグを見た瞬間、アルビオンは自分が何をしていたかをはっきりと思い出し、まず罪悪感が湧き上がった。
『あ、ああっ……そ、そんなっ……私っ、私はっ貴方にっ、なんてことをっ』
『いいんだアルビオン。お前が無事ならばそれで大丈夫だ』
瞳から滂沱の涙を溢すアルビオンにドライグは優しく言葉を投げかける。
二人が紡いだ愛が、狂神エヒトの洗脳に打ち勝った。それは紛うことなき奇跡で、神の洗脳に打ち勝てるという他ならぬ証明だった。
だが、神はどこまでも悪辣で、そんな奇跡を———
「っっ、やめろぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
嘲笑うように握り潰した。
何かに気づいた陽和が青ざめながら叫び、思わず手を伸ばすと同時に、無数の銀の閃光が二人を貫いたのだ。
アルビオンの腹部と左半身とドライグの右上半身を銀の閃光が……分解の砲撃が、容赦なく消失させた。そこにあった小さな命諸共に。
『アル、ビオン?』
『ドライ、グ様…』
目を見開き呆然とするドライグの前でアルビオンは体の断面から盛大に鮮血を飛び散らせながら横へ倒れる。
倒れた瞬間、彼女の肉体は竜から人のソレへと変わり鮮血の海へと沈む。
ベチャッと血の海に落ちる音を聞いた瞬間、ドライグはその音を聞いた瞬間、絶叫じみた声で彼女の名を叫ぶ。
『あ、アルビオンっ!!』
瞬時に人化してアルビオンに駆け寄るドライグ。消失した右上半身の断面からはアルビオンと同じように鮮血が溢れ続けているが、己の体の状態など意に介さずに血の海に沈むアルビオンを片腕で抱き上げた。
『し、しっかりしろ!アルビオンっ!』
瞳から大粒の涙を流しながら縋り付くように叫ぶドライグに、アルビオンはなんとか顔を動かして最後の力を振り絞り、右手を伸ばし彼の頬に手を添える。
『ごめん…なさい……私が、愚かだったから……子供が……』
『お前のせいではないっ!お前は何も悪くないっ!自分を責めないでくれっ!!』
頬に添えられた手を掴みながらドライグは必死に魂魄魔法と再生魔法を行使して彼女を回復させようとする。しかし、不運なことに魔力を消耗し過ぎてしまったからか、あるいは彼女を傷つけられたことによる動揺が大きすぎたからか、魔法の行使は上手くいかず、既に致死量を超えた量の血を流し続けており、傍目にも分かるほどに彼女の命の灯火は消えかかっていた。
『ドライグ、様……私、幸せでした……貴方に、見初められてから、ずっと…』
『やめろ、それ以上言うなっ。何も、言わないでくれっ』
『いろんな景色を……沢山の幸福を、見ました……共に国も作って……本当に、楽しい日々でした』
『ああぁぁぁ駄目だ駄目だっ!死ぬなっ!死なないでくれっ!俺を置いて逝かないでくれっ!』
アルビオンの手を掴むドライグは駄目だと泣きながら首を何度も横に振るも、アルビオンの命の灯火は刻一刻と弱まっていく。
アルビオンは己の青の瞳にこの世で何よりも愛しく誇りに思っている最愛の夫の姿を映すとふっと笑った。
『沢山の幸せを……ありがとう……私も、貴方を……愛しています』
それが、長きにわたり赤竜帝と共に歩み続けた白竜妃アルビオンの最後の言葉だった。
アルビオンの手から力が抜けてドライグの手から滑り落ち、血に濡れた着物の上に落ちた。
静かに事切れたアルビオンを抱きしめるドライグは、愕然とした様子で彼女を見下ろしやがて一層涙を溢し唇を震わせると、
『あ、ああ、アアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッ!!』
慟哭を上げた。
その慟哭は、聞いた者の心を引き裂くような悲嘆に満ちたものであり、怒号と悲鳴に満ちた戦場の中にあってもどこまでも響いた。
「ドラ、イグ……」
陽和はもう涙を止めることができなかった。
慟哭を上げるドライグの姿があまりにも痛々しくて、家族同然の存在が愛する者を失った痛みが伝わってきて胸が張り裂けそうだった。
ティオも唇を真一文字に噛み締めながら無言で涙を流している。
その時だ。
「「っっ!?」」
二人は、突如ゾワリと背筋を伝った悪寒に青ざめ、ビクッと体を震わせる。
「な、なんだ?」
「身体が、震えて……」
得体の知れない何かを感じた二人は、無意識のうちに自分の身体がカタカタと震えていることに気づく。生物としての魂が、本能が、恐ろしいナニカから今すぐ逃げろと警鐘を鳴らしていたのだ。
「ドライグ……?」
陽和がどこか怯えた様子で彼の名を呼びながら、恐る恐ると彼へと視線を戻した瞬間、ソレは起こった。
『ア………ア゛ァ……アアァァ◾️ァァアアアァァァァァァァ◾️ァ゛ァ゛ァァ◾️ァァアアアァァ◾️◾️◾️アア◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️ア゛ア゛ア◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️ッッッ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎』
悲嘆に満ちた慟哭は次第に、怨嗟に満ちた獣の咆哮へと変わり、同時にドライグの全身から血のような赤黒い色の炎の如きオーラが放たれたのだ。
大火山の噴火、いや煉獄が現世に具現したかのような勢いで解き放たれたオーラは、殺意と怨嗟に満ちており、過去映像越しだと言うのに気が狂うような悍ましい気配に、陽和達の表情は一層青ざめる。
ただのオーラの解放。それだけで周囲にいた使徒達は消し飛び、その怨嗟の波動に戦闘をしていた者達が全員戦闘を止めて振り返るほどであり、狂信に堕ちていた物達の顔にすら圧倒的な恐怖が浮かんだ。
あの感情がないはずの使徒ですら表情を強張らせている。
そして、赤黒いオーラを纏うドライグは事切れたアルビオンをそっと地面に寝かせると静かに立ち上がり、空から見下ろす使徒達を睥睨し一言。
『—————————死ネ』
それはまさしく呪詛であった。
ティオはその呪詛の冷たさに表情を引き攣らせ、体の震えを抑え込むみたいに握り拳を作っている。
陽和は「……っぁ」と小さな引き攣った声を発し、無意識のうちに一歩下がってしまうほどに恐ろしさを感じてしまっていた。
映像越しでも、恐怖に失神しかねない憤怒がそこにはあった。
その瞬間、世界を滅ぼす覇王が解き放たれた。
そこからはまさに地獄だった。
翡翠の瞳を爛々と妖しく輝かせながら、血のような赤黒い魔力を炎のように燃え上がらせたドライグは獣の咆哮を上げて瞬く間に欠損した部位を炎と共に再生させながら赤竜へと転化。
寒気がするほどの赤黒いオーラをその全身から放ちながら、ドライグは不気味な咆哮を上げて破壊を始めた。
解き放たれた炎は、鮮やかな紅蓮ではなく悍ましい赫黒。煉獄の劫火が如き禍々しい獄炎は、眼前の全てを焼き払う。
敵も味方も関係ない。視界に映るもの全てが敵だと言わんばかりに理性を手放し獣へと堕ちたドライグは全てを鏖殺していく。
聞くものの正気を奪うような悍ましく不気味な怨嗟の咆哮を上げながら、彼は赫黒の獄炎を振り撒く。
神の使徒を、教会の騎士達を、他国の兵士達を、そして、狂信に歪められた一般人を、己の最愛の番を奪った者達を、番が愛した国に攻め入った者達の一切合切を許さないが故に。
圧倒的だった。
先程まではアルビオンに苦戦していたとはいえドライグに明確な傷を与えていた使徒達は全く相手にならず、あらゆるもの全てを分解するはずの分解砲撃はあらゆるもの全てを焼き尽くす燼滅の獄炎を前に意味を成さずに、逆に焼き尽くされていく。
裏切った竜人達や国に攻め入った者達は元から相手にならずに容赦なく蹂躙されていく。ドライグの怨嗟の咆哮に狂信の洗脳が解かれ正気に戻った者達は、すぐさま悲鳴をあげて逃げるものの、それらすらもドライグは逃さずに徹底的に蹂躙する。
赤黒い獄炎が数多の命を灰すら残さずに焼き尽くしていき、憤怒に満ちた殺意が遍く全てを蹂躙し、不気味な怨嗟の咆哮が無数の悲鳴を掻き消す。
その姿は、まさに“厄災”であり、“邪竜”であった。
そうしてドライグが正気を取り戻した頃には、ウェルタニアに存在している命は己のみとなっていた。
彼の周囲では己の所業を見せつけるように赤黒い炎が激しく燃え盛っている。元の形を維持できているものは殆ど残っておらず、建物はもちろんのこと、蹂躙した使徒や人々の死体すらも殆どが灰燼と化してしまった。
そう、最愛の番の亡骸すらも。
『アル、ビオン……アルビオンっ』
僅かな可能性に縋りつき、周囲を見渡すドライグ。魂魄魔法により魂を視る目も同時に使用して探してみたが……遺体も、魂も跡形もなく消えてしまったという、無慈悲な結果だけを映していた。
『うっ……ぐぅっ……すまないっ…すまないっ、アルビオンっ』
瞳から大粒の涙を溢しながらドライグは最愛の番へと謝罪を繰り返す。守れなくてすまないと、遺体を弔えずにすまない、万の感情が宿る声音で呻くように繰り返す。
そして、赤黒い炎の海の中で謝罪を繰り返していたドライグは涙を流したまま天を仰いで、咆哮を上げた。
グゥオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ—————————ッッッ
竜の咆哮は悲しみに満ちており、無数の悲鳴が消えた炎の海の中でどこまでも響き続けた。
前半の幸福な日常からの後半の絶望の末路の温度差で書いてて情緒不安定になりました。後半はいかに残酷な末路をやろうか考えていた分、セルフで自分を追い込んでましたわ。
それはそうと、皆さんお察しの方が大多数でしょうが、ドライグの番の竜は、原作では生前生後問わずに喧嘩するほどの仲のいい喧嘩仲間にして好敵手ことアルビオンです!勿論、性別は違いますよww
そして、千年以上の年月を共に歩んできたアルビオンが洗脳されドライグと殺し合わされ、最後には正気に戻ったところで子供諸共殺されるという、自分が思いつく限りの外道胸糞展開を書いてみました。
あとは、最後のドライグの暴走ですが、原作を知ってる方はよく知っておられるでしょう。例のアレです。