『ねぇ、クレアさん、シャルフィさん』
『なーに、セレリアちゃん』
『どうしたー?』
穏やかな陽光が差す長閑な田舎町の片隅。
少し大きい一軒家の居間で大きなテーブルには三人の女性が座っていた。それぞれ武器の手入れをしている二人の女性がおり、その傍では興味深そうに見ている10歳ほどの少女の姿があったのだ。
その少女ー幼き日のセレリアは双剣と槍をそれぞれ手入れしているウルフカットの女性ークレアと長髪の女性ーシャルフィの名を呼ぶと無邪気に尋ねた。
『オサカンってどう言う意味?』
『『っっ⁉︎⁉︎』』
およそ10歳の少女の口からは決して出てこない単語に、二人はギョッとする。二人ともゴトッと武器を机に落とすほど衝撃を受けており、クレアがなんとか平静を保ちながら答えた。
『きゅ、急にどうしたの?誰がそんな言葉を教えたの?』
『バートさんだよ』
『へ、へぇ、バートがねぇ。な、なんでそんなことを聞いたのか理由を聞いてもいい?』
既知の人物ーバートに対し可愛い義妹になんて言葉を教えてくれたんだと内心で思い青筋を立て頬をひくつかせながらも、クレアはなぜその言葉を発するに至ったのかの理由を問う。
『えっとね、クレアさんとシャルフィさんは兄さんの恋人でしょ?』
『そうね。私達はディーの恋人よ。それがどうしたの?もしかして、なんか嫌なことでも言われた?』
『ううん、私もね二人がお姉さんなのは嬉しいからいいの。でも、周りのお家だと恋人が二人いる人なんていないから、なんでかなってバートさんにこの前聞いたの』
『そ、そう。確かにこの辺りだとあまりいないわね。それで、バートは何て答えたの?』
『そういうものだって教えてくれたよ。でもね、続きがあって二人はディーのハーレムなんだっ言ってた。ハーレムって一人に対して恋人が複数いることの意味なんでしょ?だから、二人は兄さんのハーレムのメンバーで夜はお盛んなんだよって教えてくれたの』
『『…………………』』
話を聞いていた二人からブチっと血管が切れるような音が響く。
確かに自分達はディレイドの恋人だ。そして、魔人族の国では重婚は普通にある。だが、自分達が暮らすこの長閑な田舎町では重婚をしている家庭はあまりないし、セレリアのお友達の家庭ではゼロだ。
だからこそ、周囲は自分の家とは違うことに疑問を抱き純粋にバートに尋ねたのだろう。ハーレムなのも、オサカンなのも事実だ。否定する気もない。
だからといって、その言葉を10歳の少女に教えて言いわけがない。悪ガキどもならばまぁ知っててもおかしくはないだろう。だが、蝶よ花よと可愛がってきた自分達の妹は知るべきものではない。いや、一生知らなくていいとすら思えるほどに彼女らはセレリアのことを溺愛していた。
その為、もはやシスコンである二人の行動は早かった。
『クレア、あたしちょっと出かけてくるわ。あいつ探してくる』
『ええ、私の分もお願いね』
『おう』
シャルフィが手入れしたての槍を手に玄関へと向かう。
身体のあちこちに青筋が浮かんでおり、今から不埒な男を討伐しにいくのは明らかだ。バートは今すぐに逃げるべきである。
そして、同じく青筋を立てているクレアはセレリアの両肩に手を置くと、静かに言い聞かせる。
『いい?セレリアちゃん。そんな言葉お外で使っちゃダメよ。いいえ、もうそんな言葉言わないでいいわ』
『え、だ、ダメなの?』
『ええ、ダメよ。それはセレリアちゃんが知る言葉じゃないの。だから、これからはもう言わないって約束してくれる?』
『え、う、うん、分かった』
有無を言わさない圧力に少し驚きつつも逆らったらやばいと子供ながらに感じたセレリアは口答えせずに頷くほかなかった。そんな時だ。外からシャルフィの怒号が響いた。
『バートォォォッッ‼︎テメェッ‼︎あたしらの可愛い妹になんて言葉教えてやがるっ‼︎』
『シャルフィ⁉︎なんだよ急にっ⁉︎』
『いいから大人しくしろゴラァッ‼︎‼︎』
『うぉぉぉっ⁉︎』
今日はディレイドとバートが冒険から帰ってくる日だった。
だからだろう、シャルフィは戻ってくるだろうバートを捕まえてシメようとしたのだが、思いの外早く見つけたらしい。
やり取りからして槍で追いかけ回されているようだ。
そして、戦斧で応戦を始めたのだろう。激しく撃ち合う音が響いてきた。何事かと首を傾げるセレリアだったが、扉を開いて中に入ってきた人物を見るとパァッと顔を明るく輝かせる。
『兄さん!お帰りなさい!』
『ただいまセレリア。二人といい子にお留守番してたか?』
『うん!ねぇっ、今回の冒険の話を聞かせてよっ‼︎』
『ああ、後でな。それよりも、シャルフィの奴いきなりどうしたんだ?急にバートに襲いかかったんだが……バートがセレリアに何か吹き込んだのか?』
抱きついてきたセレリアを受け止めると抱っこしながら外のカオスな状況についてクレアに尋ねるディレイド。
クレアは凄みのある笑みを浮かべながら、その問いに答えた。
『ええ、バートったらセレリアちゃんに私達が夜お盛んだって教えたのよ。信じられないでしょう?』
『………あー、なるほどな。いや、でも、遅かれ早かれその言葉自体はいずれ知ることになっていたと思うんだが』
ディレイドからすればいずれ知ることになるのだし、今知っててもいいんじゃないかと思うが、情操教育の観点からクレアの意思は揺るがない。
『駄目よ。女の子にとって情操教育は大事なのよ?ディーは将来セレリアちゃんが倫理観がズレた子になってもいいのかしら?』
『うっ、それは駄目だ』
『でしょう?いずれ知るのだとしてもタイミングが重要なのよ。お兄さんなんだから、セレリアちゃんのためにもそういうことはしっかりと把握しときなさい』
『わ、分かった』
クレアの強い口調に有無を言わせない圧力を感じたのか、ディレイドが若干冷や汗をかきながら頷く。そうして満足げに頷いたクレアはディレイドからセレリアを回収すると早速命じた。
『よろしい。というわけで、二人を止めてきて。そろそろ洒落にならないから』
『お、おう』
クレアの命令にディレイドは頷きながら、ついさっき帰ってきたばかりなのにすぐさま玄関へと向かい外で戦う二人の仲裁に向かっていった。
その背中を見送るとクレアはセレリアを床に下ろしながら嘆息する。
『まったく、男ってこう言う時大雑把なんだから。セレリアちゃんもああいう男共にはちゃんと強く言えるようになるのよ?』
『う、うん』
クレアの迫力にセレリアはちょっと驚きつつ頷く。
ちょっと怖がっている様子のセレリアに、クレアはクスリと笑うと手を引きながら台所に向かう。
『さて、お馬鹿さん達も帰ってきたことだし、そろそろ晩御飯作りましょっか。セレリアちゃん、手伝ってくれる?』
『うん、私野菜切りたい!』
『いいわよ。でも、ちゃんと子供用の包丁でね』
『分かった!』
そんなことを話しながら歩き食材を準備していく二人。その作業中にセレリアは窓からシャルフィとバートの仲裁をしているディレイドを見ながらクレアに尋ねた。
『ねぇ、クレアさん。恋人がいるとどんな気持ちになるの?』
『あら、そんなこと聞くなんて、もしかして好きな子でもできたの?』
もしや可愛い義妹に春が到来したのかしらん?と興味深そうにセレリアの顔を覗き込むクレア。しかし、セレリアはそんな期待の眼差しに対して首を横に振る。
『ううん、だって周りの子達兄さんみたいにかっこよくないもん』
『あらあら、セレリアちゃんは本当にディーのことが好きなのね』
『うん!大好き!』
満面の笑みで頷く。クレアはふふッと笑いながら彼女の頭を撫でる。セレリアは気持ち良さげに目を細めた。
『じゃあ、セレリアちゃんの好きなタイプはディーみたいな人かしら?』
『うーん、よく分かんない。ねぇねぇ、恋人がいるとどんな気持ちになるの?やっぱり特別なの?』
『そうねぇ、とても特別なのは確かね。その人の為に何かしてあげたかったり、その人と一緒にいると心がとっても温かくなるのよ』
『そうなの?でも、それなら私も兄さんやクレアさん達と一緒にいると心がふわぁって温かくなるよ?』
『ありがとう、私も同じ気持ちよ。でもね、恋人ってのはもっと温かくなるのよ』
『もっと?』
『もっとよ。いずれあなたもそれを知る日が来るかもしれないわね』
恋の意味も知らない少女にもいつか恋を知る日が来るだろう。いつか来る日を想像し微笑む彼女だったが、そうなれば確実に起きるであろうことを思い苦笑いを浮かべる。
『あぁでも、もしもセレリアちゃんに恋人ができたらディーは泣いてしまいそうだわ。いえ、もしかしたら、未来の彼氏君を一発殴るかもしれないわねぇ』
『んぅ?』
シスコンであるディレイドならば間違いなく泣くか殴るかのどちらかはやるだろう。
魔人国最強の冒険者として名を馳せる彼に殴られる未来の彼氏を想像し、大変ねぇとひと事のように呟いた。
その意味がわからずセレリアはただ首を傾げるだけだった。
それからしばらくしてディレイド達が戻ってきて、五人で仲良く食卓を囲んだ。
それは、セレリアの在りし日の幸せな日常だった。
その光景が何よりも幸せだった。大好きな兄がいて、彼を慕う人がいて、彼を友と呼ぶ人がいた。皆、大好きで大事な人で一緒にいるといつも心が温かった。
どこまでもこの
だが、その幸せはもうない。
あの日を境に自分を取り巻く全てが変わってしまった。
兄は信仰に狂い、自分は獣に堕とされた。
親しき人達とは会えなくなり、自分はまっくらな牢屋へと閉じ込められた。
それが苦しくて、辛かったから逃げ出した。
その先で『太陽』に出会った。
暗い闇を照らし冷え切った心を温めてくれる『太陽』の輝きに心に奪われた。
素晴らしい仲間達に巡り合った。
好きな人ができた。親友ができた。
親友と喧嘩した。好きな人に受け入れてもらった。
他にも沢山の出来事があった。外の世界を知って、他の種族の人のことを知って、彼女は宗教や世界が違えど同じなんだと知った。
クレアの言っていた意味がようやく分かった。
恋人ができると言うのは、とても特別であの日の日常よりも心が暖かくなったのだ。
これが人を愛し愛される温もりなんだと彼女は数年経ってようやく知った。
でも、欲を言うならば、この陽だまりの中にディレイド達もいればいいなと思った。
その光景は、きっととても温かくて幸せなもののはずだから。
△▼△▼△▼
無数の魔物と魔人族が土煙をあげ、地鳴りを響かせながら、平原を闊歩する。
その目的は彼らの視線の先にある王都への侵略と王城の陥落。数百年に渡り続いた魔人族と人間族の戦争に終止符を打つ為に、魔人族が奇襲を仕掛けたのだ。
最後の防御たる外壁を打ち砕かんと次々と攻撃を仕掛ける魔人族と魔物の軍勢で犇めく中、外壁から少し離れたところで不自然に開けた場所がある。
その中では、二つの閃光が迸っていた。
「はぁああぁぁッ‼︎」
「オラァァァァッ‼︎」
裂帛の気合いが木霊し、火花を散らしながら武器をぶつけるのは雫とシャルフィだ。
お互い扱う属性は水。青色と緋色という対照的な色の軌跡を描きながら、槍と刀を振るう。凄まじい速度で幾度となく激突を繰り返す様は、まさしく一流の武人同士の激突であり、青と赤の水の舞台の上で二人の武人が織りなす戦いは苛烈であると同時に美しかった。
何合打ち合ったか分からぬほどに打ち合った後に二人はお互いの体を弾き距離を取ると、雫が刀を指揮棒のように振るう。
「———“流穿・水礫波”ッ‼︎」
瑠璃色の輝きを帯びて放たれるは鉄砲水が如き無数の水弾。
さながら豪雨のような勢いで眼前の鮫女を穿たんと迫るものの、対するシャルフィは槍を垂直に持つと石突を地面に打ち付ける。
「———“緋水波盾”」
静かな言霊と共に緋色の水が湧き上がりシャルフィをドームのように包み込む。
直後、ドームに水弾が無数に直撃するもののドームは依然として揺るがず、波紋を立てるだけとなり結局破ることは叶わなかった。
「……………」
だが、雫は動じない。
既にそれは分かりきっていたことだったから。だから、再び刀を構えシャルフィに突貫するも、それよりも早くシャルフィが動いた。
「———“緋水斬刃”」
両肘の鰭に緋水を纏わせると両腕を振り抜き、緋色の水刃を飛ばす。それは、瞬く間に分裂すると、細かい水の刃となって雫に殺到した。
「———“水刃・乱れ咲き”ッ」
対し雫もまた水刃を乱れ打つ。無数の水刃が雨が如く放たれ、緋色の水刃と激突する。
その結果は、7割が相殺され、残り3割は緋色の水刃に斬られた。雫の水刃に打ち勝ったシャルフィの水刃はそのまま雫に容赦なく降り注ぐ。
「っっ、くっ」
雫は歯噛みしながらすかさず翼を広げ勢いよく後退。降り注ぐ水刃の雨を水の障壁を張り攻撃を逸らしていくものの、完全にはそらせずにいくつか被弾し、服と肌が裂かれ血が滲む。
そこに水流に乗りながらシャルフィが襲来。宙に水流の道を作った彼女は雫の上空に陣取り、槍を構えると足場の水流を蹴って雫へとまっすぐに急降下した。
弾丸が如き豪速の突撃に雫は地面を尻尾で叩いて強引に方向転換、次いで鎧から水流を噴射してその場から急いで離脱した。間一髪の差で、直撃は避けることができ雫はすかさず攻撃直後で無防備なシャルフィに刀を振り下ろす。
だが、
「ハッ、見え見えだぞ」
「っっ⁉︎」
鼻で笑うような声と共に金属音が鳴り響き、防がれる。
雫の刀を止めたのは、彼女の肘から伸びる鰭だ。獣の鉤爪のような硬度と切れ味を誇り、その鰭ですら並みの刃物よりも鋭い。シャルフィは金属質の鰭に水を纏わせさらに切れ味を増した刃鰭と呼ぶべきそれで受け止めたのだ。
しかも、受け止めるだけでなく逆に押し込んでくるほどだ。
刀から伝わる埒外の膂力に雫は踏ん張るものの、ジリジリと地面を削りながら押されてしまう。
「はっはははははァッ‼︎‼︎」
シャルフィは哄笑をあげながら片腕を振りかぶる。
そうして始まるのは両腕の刃鰭と槍が融合した乱舞だ。
身の丈を超える槍を巧みに操りながら、両腕を振るい刃鰭で切り掛かってくる。
両腕を巧みに振るい刃鰭で切り掛かるのと同時に、足や尻尾、空いた片腕を使い槍をくるくると器用に回転させながら、槍と刃鰭を以って雫を切り裂かんと迫る。
その乱舞はまさに津波。濁流が如き乱舞に雫は防戦一方となる。
(これはっ、まずいっ)
雫はシャルフィの乱舞の凄まじさに戦慄する。
槍術だけでなく、両腕の鰭、尻尾すら利用した全身の動きを連動させた乱舞。獣の特性を得た獣人の姿となったからこそできる常識外れな芸当。
獣魔兵になってから編み出した戦法なのだろうが、それでも一流の槍使いとしての下地があるからこそできる技術だ。その達人じみた技術に雫は扱う武器が違えど自身よりも上の段階にいるのだと理解できてしまった。
戦慄しながらも“流水剣舞”と小型の水の盾を複数駆使してシャルフィの猛攻を凌いでいく。しかし、シャルフィの怒涛の乱舞が雫の防御を容赦なく噛み砕いていき、雫の体に切り傷を刻んでいった。
「っっ⁉︎」
やがて、防御が間に合わず槍の切り上げで刀が突き上げられ、雫は上体をのけ反らされ懐がガラ空きになってしまう。
その致命的な隙をシャルフィが逃すはずもなく、槍から両腕を離し左右の刃鰭で雫の胸を斜め十字に切り裂いた。
「っ、ああぁぁっ‼︎」
胸から血が噴き出し、雫の口から悲鳴が上がり後方によろめいてしまう。そこにダメ押しの一撃が叩き込まれた。
「ぐぅっ⁉︎」
シャルフィの鮫の尻尾がしなり、脇腹に叩きつけられたのだ。脇腹に強い衝撃を感じ、骨が軋む音が響いて雫が苦悶の声を上げながら真横に吹っ飛び地面を転がる。転がりながらも体勢を立て直した雫は翼を羽ばたかせて後退するもシャルフィがすかさず追撃を仕掛けた。
「———“緋水鮫牙”」
槍の穂先を雫へと向け先端部に緋色の水を纏わせると、刺突を連続でその場で行う。そうすれば、先端部に纏っていた水が弾丸の如く連続で放たれ、それらはまさしく鮫の牙のような形状になり、凄まじい速度で雫へと襲いかかった。
「———“氾禍浪・渦刃”ッ‼︎」
雫はすかさず渦潮の水竜巻を纏うと翼を羽ばたかせて前進しシャルフィへと突貫。水の刃を内包する水竜巻が、鮫牙の雨を真正面から迎え撃つ。激しく渦巻く竜巻に弾かれ、鮫牙の刃は逸らされ宙を舞った。
しかし、一部は弾くことが叶わず水刃を混ぜて激しく回転させる激流の攻防一体の竜巻を食い破り、中の術者に直接その攻撃を届かせた。
「づぅっ、ぁっ」
肩や腹に牙が突き立てられ、肉が穿たれ鮮血が噴き出す。
激痛に雫は悶え口の端から血を溢すも歯を食いしばり耐えるとそのままシャルフィへと刀を振り下ろした。
振り下ろされ放たれた極大の水刃をシャルフィは槍に緋水を纏わせて一閃。水刃と水の斬撃が激突し相殺され、大量の水飛沫を上げる。
雫がすかさず自分に再生魔法をかけて致命的な傷だけを癒やし地面に降り立つと、刀を構える。
鋒をシャルフィへと向けながら刀を持つ右手を弓を引き絞るように構え、峰に左手を添える。右足を引き腰を低く落とし深呼吸をすると、槍を振るって生み出した暴風で水飛沫を払ったシャルフィに向けて瑠璃色の魔力を帯びた雫を突き出した。
「穿てっ‼︎———“一角”ッ‼︎」
突き出された刀から放たれる瑠璃色の光芒。
否、光のように見えるそれは水のレーザーだ。水を圧縮して放つ水流の魔法“破断”と思われるそれをシャルフィは障壁で受けようとする。
「っっ⁉︎」
だが、障壁に瑠璃色の光芒が触れた瞬間、シャルフィは反射的に首を捻った。悪寒が背筋を伝い、本能が鳴らす警鐘に従った結果だ。
その行動は正しく、障壁を青の光芒は紙切れの如く容易く貫通しシャルフィの頬を浅く裂いた。
———水・空間複合魔法“一角”。
水属性魔法“破断”を5本分束ねて空間圧縮した上で、空間貫通効果を付与した万物貫通の水のレーザーだ。有効射程範囲は200mだが、その距離内であれば如何なる防御も意味を成さず貫通することができる。
これにより、かなりの強度を誇るシャルフィの障壁を貫通できたのだ。
「……………ハハハッ」
シャルフィは自身の頬から流れる血を撫でると、紫の瞳を細め牙を剥き出しに凄絶な笑みを浮かべる。
パックリと裂けて血が流れるも、動揺は見せずただ乱暴に拭うと快活に笑う。
「はははっははははははっ‼︎やるなぁ水竜‼︎ここまであたしとやりあえる奴は久しぶりだぜ」
戦闘の高揚に好戦的な笑みを浮かべながら、雫の技量を褒めるシャルフィだったが、雫からすればそれは嫌味にしか聞こえなかった。
「………よく言うわね。そこまで余裕を見せておきながら、互角みたいに語らないでくれる?今のも渾身の一撃だったのよ」
「ああ、さっきのは本当に危なかった。空間魔法の一撃は防げねぇから、全力で回避に専念したんだぜ?なのに、回避しきれずに頬を裂かれた。流石は神代魔法と言ったところか」
「空間魔法って見抜いてたのね」
「ディーさんの魔法を何度も見てるからな、すぐに気づいたよ。それがなかったら、今頃は頭を貫通してたかもな。誇っていいぜ?お前の強さは十分うちの精鋭としても通用する。流石は赤竜帝の眷属だ」
シャルフィはそう雫の強さを評価するが、悲しいことに雫とシャルフィの戦いはシャルフィが有利だった。
その証拠に雫は全身に裂傷ができる服も裂けて血が滲む痛々しい様相を見せるのに対して、シャルフィは小さな切り傷がいくつかあるぐらいだ。しかも、雫に至っては再生魔法で何度か致命傷を回復させているのだ。傷の量の差は明らかだった。
お互い武術の腕は一流だが、一流の中でもシャルフィはまさに達人と呼ぶべき技量の持ち主であり、雫は未だ発展途上。その差が雫を追い詰めていた。
それは魔法の技量も同じ。水属性魔法勝負においても、雫はシャルフィに一歩及ばずだった。魔法のぶつけ合いにおいてはこちらが競り負け、あちらの防御を破るのが難しい。しかし、それは仕方のないことだとも言えてしまう。そもそも、雫が魔法に触れたのはこの世界に呼ばれてから、ましてや『赤竜帝の眷属』として加護が発現してからだ。元々は剣士として魔法適性は低いがゆえに、覚醒してからだとするならキャリア的にはまだ三ヶ月しか経過していない。
一方でシャルフィは魔法を得意とする種族ー魔人族の生まれ。そもそも水属性魔法に高い適性を持ち、水属性魔法と槍を合わせた戦闘スタイルを雫の歳の頃には確立し、人間族の基準でいう金ランククラスの冒険者として名を馳せていた。キャリアは十年以上。二人の間には様々な面で大きな隔たりがあったのだ。
(………あの時と同じじゃない)
武人としても、水属性魔法の使い手としても、シャルフィは雫の格上だった。バートの時と同じく、自身が不利な状況であることに雫の表情は自然と険しくなる。
「……バートさんといい獣魔兵ってのは揃いも揃って常識はずれね。本当に嫌になるわ」
「それとやり合えてるお前も大概だがな。やっぱ赤竜帝の眷属ともなると強さが段違いだな」
雫の恨み言に槍を回しながらそう返すシャルフィ。
交戦的な笑みを浮かべる彼女は、心底楽しそうに笑っている。戦争をしに来たというよりかは、戦いを楽しみにきたと捉えてもいいぐらいだ。
「………貴女、他の兵士とは少し違うわね。純粋に戦いを楽しんでいるように感じるわ」
「ん?まぁその通りだな。正直なところ、あたしはただ強くなりてぇだけなんだ。強い奴と戦ってそいつに勝って、自らの糧として更なる高みに到達する。それだけでいい」
神への信仰も、異種族への差別意識もどうでもいい。
魔人族の種族としての誇りはあれど、かといって選民思想とかではなくただただ己の生まれを誇っているだけ。
ただ彼女は強くなりたいだけなのだ。純粋に戦いを楽しみ、強くなり更なる高みを目指す。種族や信仰の違いなんてどうでもいい。ただどちらが強いかを競い合い、勝ちたいだけ。
それこそが、“蒼鮫”シャルフィ・マリアーネであり、かつて“大物喰らい”の二つ名で名声をあげていた槍と水使いの冒険者だ。
だが、雫はそれだけではないと感じていた。だって、
「それだけなのかしら?私からすれば、貴女は誰かの為にも戦っているようにも感じるけど?例えば、愛しい人に応える為に、とかね」
「…………へぇ、よく気づいたな。一応気付いた理由を聞いてもいいか?」
「なんとなくかしらね。貴女の槍からはただの狂信者には出せない気迫を感じたわ。愛してる誰かの為に戦う覚悟を、ね」
彼女の槍からは誰かを想える人の強さを感じたのだ。
ただ強いだけではない。誰かの為に戦える強い想いが。
そして、その想いが向けられている人が誰なのかも。彼女には分かってしまった。
シャルフィは図星だったのか、照れくさそうに頭を掻く。
「おいおい、そんなにあたしはわかりやすいのか?それとも、水竜、お前の勘が良すぎるのか?」
「両方かしらね。あなたはしきりにディレイドのことを気にしてるようだったもの。それに、あなたが彼に向ける眼差しはセレリアが陽和に向けていた眼差しと似ていたから、すぐにわかったわ」
戦闘の最中、シャルフィは上空で激突を繰り返す彼をーディレイドのことを気にしており時折上空を見ていたのは気づいた。それは彼の様子を気にしながらも自分の相手をできているということを意味しており、雫は実力差を見せつけられているようで悔しかったが。とはいえ、今はそんなことよりも、彼女の視線がセレリアが陽和に向けるソレとよく似ていたから分かったのだ。
雫の指摘にシャルフィは興味深そうな様子を見せる。
「へぇ、セレリアと似てるってことは、あの子はもしかして赤竜帝の女なのか?」
「そうね。ちなみに、私もだけど」
「ハッ、あの若さでもう女を二人も作ってんのか。色男なんだな、赤竜帝ってのは」
「ふふっ、そうかもね」
「しっかし、そうかぁ、あのセレリアがなぁ。兄貴にベッタリだったあの子が………本当に……」
最後の方は聞き取れなかったが、雫の目は確かに彼女の唇が『よかった』と言っていたのを見逃さなかった。それに、心の底から安堵したような表情、知り合いの幸せを心から喜ぶソレであり、雫はますますシャルフィをただの敵だと断ずることはできなくなっていた。
だからこそ、込み上げる疑惑をそのまま言葉にした。
「…………ねぇ、どうしてあなたはディレイドの下についてるの?」
「……………」
「貴女は別に信仰が全てってわけじゃないでしょう。本来なら裏切り者の彼女なんて、敵でしかないはず。それなのに、バートさんと同じようにセレリアの無事に安心しているようだったわ。だからこそ分からない。家族を傷つけるような彼を好きになって、彼の為に大義もない戦いに身を投じる理由が」
「………………色々あるんだよ。大人にはな」
雫の問いかけにシャルフィは自嘲気味に呟いた。
言葉にこそしていなかったものの、明らかにシャルフィもセレリアとディレイドの関係性に思うところがあると物語っていた。それでも、自分が口を出すことではないと考えているのだろうか。
真意を知るべく更に問いかけようとする雫だったが、それよりも早く視線を鋭くしたシャルフィが雫に問い返した。
「………こっちからも一つ聞きてぇ」
「………何かしら?」
「………‥バートは、赤竜帝と正々堂々戦ったんだろ?赤竜帝の様子とあいつの性格を考えれば、小細工なんて弄してないはず。真正面からお互いの実力をぶつけて戦った。それで間違いねぇな?」
「………ええ、そうね。もしかして、恨み言でも吐くつもり?」
明らかにバートとは旧知の仲であろうシャルフィに雫は当然の疑問を投げかける。知り合いを殺されたとあれば恨み言の一つでも吐くつもりかと問う雫に、シャルフィは首を横に振り実にあっさりとした言葉で返した。
「いいや、そんなことはしねぇよ。あいつが選んだ道なら文句は言わねぇ。まぁ、婚約者のカトレアを殺されたミハイルは別だろうがな」
カトレアの婚約者の気持ちを思って理解を示したが、雫はそれでもと瞳を鋭くして冷たく切り捨てる。
「………婚約者を殺されたなら恨みを抱くのはわかるけど、彼は一度警告してたわ。セレリアに免じて逃げるなら殺さないって。でも、彼らは戦う道を選んだ。その結果敗北して殺された。その結末に文句を言う資格はないわ」
「全くもってその通りだな。あいつらが選んだのなら、外野のあたしらが文句を言う資格はねぇ。まぁ、理屈ではわかってても感情では納得いかないのが人だ。ミハイルが恨み言を吐くのは許してやってくれ」
「別にそのミハイルって人のことはどうでもいいわ。そんなことより、あなたは何を聞きたいの?」
ミハイルなんて顔も知らない者が恨み言を抱いていようが正直どうでもいい雫は、シャルフィが尋ねたいことを率直に尋ねた。
「なに、簡単な話だ。あたしはバートの最期を知りたいんだ」
「最期?」
「………あぁ。あいつは、最後に笑っていたか?」
静かな声音で問いかけるシャルフィ。
あまりにも真剣な眼差しに込められた感情には雫には想像もつかないほど大きかった。きっと、ただの知り合いなんて言葉では言い表せないほどに大事な関係だったのだろう。
だからこそ、雫はその理由を深く問うことはせずに己が見たあの戦いの結末を嘘偽りなく伝えた。
「…………ええ、彼は笑っていたわ。陽和に、セレリアのことを、魔人族の未来を託してね」
「…………そうか、ありがとうよ。それが聞けてよかった」
パートの結末を聞いたシャルフィは礼を言うと一度目を伏せて小さく笑うと、再び目を開く。
その目尻には確かに光るものがあったが、瞳に宿る輝きは先程よりもはるかに力強く決意に満ちていた。その眼差しに雫は自然と警戒心をあらわにし身構える。
シャルフィは槍を掲げ自身の周囲に緋水を漂わせながら高らかに吼える。
「我が名はシャルフィ・マリアーネ‼︎魔人族が精鋭、獣魔兵“蒼鮫”‼︎我が盟友バートに代わって同胞達の障害を貫く槍となり、今ここでお前を打ち砕こう‼︎‼︎」
シャルフィとバートは盟友だった。
幼少の頃からの親友であり、パーティーメンバーでもあった二人は、男女の仲には至らなかったもののお互いを良き好敵手と認識して切磋琢磨していた。
友だった。好敵手だった。競い合う日常が何よりも楽しかった。どちらが魔人族最強の武人になるかの競争をしていたほどだ。いつまでも彼と競い合っていたかったが、それはもう叶わない。お互いもう無邪気だったあの頃ではなく、様々な思いが絡んだ結果、彼は自分との競争の約束を果たす前に戦場で散ってしまった。
だが、彼が笑って逝ったのなら、それは武人として満足がいく戦いができたと言うことなのだろう。それは一人の武人としてとても羨ましいことだった。
未練があったとすれば、それは彼が陽和に託したと言ったセレリアと同胞のことだ。その未練は薄々気づいていた。彼が獣魔兵になる動機を彼女は元々知っていたのだから。
だからこそ、シャルフィはバートの遺志を受け継ぐ。
彼に代わり同胞を守り、障害を打ち砕く矛になる為に。
それが、好敵手であり親友であった自分ができる彼への手向けとなる。
正々堂々たる名乗りと宣戦布告に、雫は頬を緩めて静かに笑うと直後には表情を引き締めて凛と声を上げてその挑戦を受け止めた。
「赤竜帝眷属八重樫雫。私は陽和の道を切り拓く剣となって、貴女達に勝ってこの戦争を止めるわ」
シャルフィはバートの遺志を継ぎ同胞達の障害を貫く為に。
雫は陽和の覚悟に従いこの戦争を止める為に。
互いの覚悟を、決意を受け止め、その上で互いを打ち倒し先へと進むべく二人の武人が、正真正銘の死合いに身を投じる。
打ち倒すのみ。
お互い惚れた男の為に、ただその一念のみを携えて、お互いに相棒たる武器の柄を破壊せんばかりに握りしめ、覇気が凄絶に迸る。
「いざ」
「尋常にー」
戦場には似つかない恐ろしいほどの静寂が二人の間に満ちて、やがてー
「「勝負ッッッ‼︎‼︎」」
獣であり武人の死闘が再び始まった。
▼△▼△▼△
場所は変わり、雫とシャルフィが戦っている場所から少し離れた場所では、青い炎が激しく燃え盛り、紫の氷柱があちこちに乱立している。
蒼炎と紫氷が混ざる氷炎世界の中に魔人族の軍勢や魔物達の存在はいない。その世界には、二頭の獣達しかいない。
魔人達はそこに近づこうともしないし、近づくことすらできなかった。
それもそのはず。この氷炎世界こそ二頭の獣達の縄張りそのものであり、その他大勢が踏み入ることを許さなかったのだ。
雫とシャルフィの戦場が水の舞台だとするのなら、こちらは、氷炎の闘技場といったところか。
そんな闘技場の中で二頭の獣達は、少し距離を空けて対峙している。しかし、睨み合う獣達の片割れー紫の氷を全身に纏う白銀の人狼は片膝をついて荒い呼吸を繰り返しているのに対して、青い炎を纏う漆黒の人虎は悠然とした佇まいで人狼を見下ろしていたが。
人虎ー獣魔兵《黒虎》クレア・シュヴァルディは首を傾げながらセレリアに告げる。
「…………セレリアちゃん、まだやるのかしら?もう勝負は見えてるわよ」
「………ぐっ、そ…、ま、だだ」
クレアの問いかけに、セレリアは荒い呼吸を繰り返し、口の端から流れる血を拭うとなんとかそう返した。
交戦の意思を示すセレリアにシャルフィは彼女の体を見回しながら、呆れた様子で指摘する。
「そんなに傷だらけになってまだ戦うの?実力差をわからないほど馬鹿じゃないでしょ?」
彼女の指摘通り、彼女の氷鎧は所々砕かれており、そこからは例外なく痛々しい傷口が顕になって血が流れて紫の鎧を赤く染め上げていたのだ。対してクレアの蒼炎の鎧は以前健在で無傷だ。
状況は雫よりも悪かった。
雫とシャルフィは同属性の魔法を使うがゆえに属性相性はなかったが、クレアとセレリアには属性相性がありセレリアが不利だった。
それもそのはず、クレアが使うのは陽和と同じ炎だ。セレリアの氷に対して最も有利な属性である。その為、彼女の技能でもある“氷蝕”は通用せず、セレリアの氷属性魔法はクレアの火属性魔法によって弱体化されているのだ。
そして、近接戦闘の腕も言わずもがなだ。
セレリアは獣魔兵にされる前までは戦闘のせの字も知らないただの町娘だ。『魔法戦士』の天職があり、格闘術が技能としてあったとしても争いが苦手だった彼女は冒険者になることを選ばなかった。だからこそ、獣魔兵になるまでは戦闘系天職を持っているにも関わらず、戦闘経験が皆無だった。
初めて戦闘を行ったのは獣魔兵になってからだ。陽和と出会ってからは格闘術を教わり自分のスタイルがある程度確立されつつあるが、未だ模索してる段階だ。だからこそ、武術の腕が未熟な彼女の戦法は基本ステータス任せのゴリ押し戦法であり、陽和や雫のように武術を駆使した武人の戦い方はできていない。
対してクレアは陽和やシャルフィと同じく武術の達人だ。扱う得物は双剣。昔から双剣を駆使し、火属性魔法を得意としていたからこそ、炎と双剣術を合わせた戦闘スタイルを獣魔兵になる以前から確立しており、冒険者として多くの実戦経験も積んできた。シャルフィが“大物喰らい”と呼ばれていたように、クレアは“戦姫”と呼ばれるほどであり、金ランククラスの魔人族有数の冒険者だ。
獣魔兵としてステータスが拮抗している以上、ゴリ押しの戦法は通用せず、魔法の属性相性と近接戦闘の技量を考慮するとクレアに分配が上がるのは自明の理だった。
そんなことセレリアも分かっていた。自分が圧倒的に不利なことくらいは。だが、それでも、
「それっ、でもだ……私はっ、諦めるわけにはいかないんだっ」
セレリアには諦められない理由がある。
傷口から血が吹き出すのも構わずに膝に力を入れ立ち上がると、衰えぬ戦意で声を張り上げる。
「私は、兄さん達を止めるっ。ここで兄さん達を止めて戦争を終わらせ、昔の日常を取り戻すっ‼︎それが、あの日逃げた私にできることだっ‼︎‼︎」
淡紫の魔力を噴き上げ己の覚悟を改めて言葉にした彼女は氷鎧を纏い直すと地面を蹴りかけ出す。
彼我の実力差を見せつけられても、なおも抗う意思を示すセレリアにクレアは兜の下で表情を悲しげに歪めた。
「……………馬鹿な子ね」
水色の瞳を細め、悲しげにつぶやいた彼女はすぐに瞳を冷たいものに変えると、セレリアを迎え撃つ。
飛び上がったセレリアは氷の鉤爪を巨大化させてクレアを叩き潰さんと振り下ろす。
「———“氷魔爪・顎門”っッ‼︎」
「———“熾炎魔爪・業拳”」
振り下ろされる巨大鉤爪を迎え撃ったのは、青い炎で形作られた炎の獣腕だ。セレリアやバートと同じく自らが扱う属性を腕の形にしたものであり、掴み合うような形でせめぎ合うがその拮抗はすぐに崩れる。
「無駄よ。あなたの氷は通用しない」
「っっ⁉︎」
彼女の言葉と共にセレリアの氷の鉤爪が白煙をあげて溶け始める。炎と氷、魔力量に大きな差がない限り炎が勝つのは道理。炎の腕が氷の腕を溶かし始め、数秒もたたぬうちに粉々に粉砕した。
セレリアは氷の鉤爪を外してすぐさま距離を取り次の一手を放とうとする。だが、その瞬間にはクレアが足の炎を爆破させた加速で一呼吸の間にセレリアの懐に潜り込んでいて、ガラ空きの腹部に容赦のない斬撃を放つ。
「ぐぅっ⁉︎」
氷鎧は燃え滾る蒼炎を前に容易く切られ、新たな傷が生まれ血が噴き出す。肉を裂かれ、焼かれる痛みに苦悶に顔を歪め蹌踉めくセレリアは苦し紛れに顎目掛けてアッパーカットを繰り出す。しかし、それは軽く後ろにのけ反るだけで回避され、逆に横っ腹に剣の峰打ちを喰らう。
横に蹌踉めきながらもなんとか踏ん張り、顔面目掛けて拳を突き出す。それは紙一重で避けられ、逆に足を払われ前のめりに倒れ背中に柄での打撃を受け地面に倒れる。
すぐさま動き足を上げて下から顔面へと踵での打撃を繰り出す。それは容易く受け止められ、足を掴むとクレアはセレリアの体を振り回し地面に叩きつけた。叩きつけられたセレリアを中心に地面が蜘蛛の巣状にひび割れ、未曾有の衝撃が彼女の全身を駆け巡る。
「がはっっ⁉︎⁉︎」
肉体を蹂躙する衝撃に、セレリアは血を吐き出す。
その衝撃はあまりに強く、意識こそ飛ばなかったもののしばらくは動けないほどのダメージを受けてしまった。
そして、動けなくなったセレリアの胸部めがけて足を下ろそうとした瞬間、セレリアは叫ぶ。
「っ“崩陣”っ‼︎」
「っ‼︎」
発動したのは重力反転の重力魔法。
空へと打ち上げられたクレアは一瞬驚いたそぶりを見せたものの、すぐさま冷静に対処し四肢の炎を小刻みに爆発させて空中での姿勢を整えると、両脚の炎を爆発させてセレリアへと勢いよく降下し、セレリア目掛けて足を突き出す。
何度か体を起こしていたセレリアはその場から勢いよく飛び退き後退、直後、セレリアのいた場所にクレアの蹴撃が突き刺さり、周囲の地面を爆砕した。
炎が燃え上がり、地面が捲れ上がる中、余波に鎧を焼かれながらもセレリアはクレアの頭上に巨大な氷塊を形成し、叩き落とす。
「“魔氷砕撃”ッ‼︎」
超巨大な氷塊を落とし対象を圧壊させるシンプルな魔法だが、シンプルゆえに発動時間は短い。
「———劫火解放」
そうして轟音を立てながら落ちてくる氷塊を前にクレアは全く動じずに身を屈めると、言霊を唱えながら双剣に炎を纏わせて身の丈をも超える蒼炎の双魔剣へと変える。
込められた魔力量、熱量にセレリアは絶句してしまう。その膨大な魔力は、蒼天を十数発分圧縮したそれに等しかった。
間違いなく彼女の必殺であり、大技だ。
「———“熾炎ノ魔剣・冥劫”』
超高密度の蒼炎の双魔剣をクレアは逆手に構えるとそれを勢いよく振り抜き、氷塊に叩きつける。
蒼炎の双魔剣は紫氷の塊を十字に切り裂き、瞬く間に蒸発させた。それだけに足らず、振り抜かれた炎の斬撃はそのまま飛ぶ斬撃へと転化して数十m空を昇った後大爆発を引き起こした。
「そん、なっ…」
空が蒼色の炎に彩られる光景にセレリアは愕然と声を震わせることしかできなかった。相当量の魔力を込めた一撃すら容易く破られたことに対する動揺だったが、今は呆けている場合ではない。
「っっ⁉︎」
立ち込める蒸気の中を蒼い光が突き破り、獄炎を纏うクレアがセレリアの眼前へと迫る。セレリアが回避する暇もなく、クレアは蒼く燃え盛る右拳を彼女の鳩尾に突き刺した。
「———“熾炎爆哮”ッ」
「〜〜〜〜〜〜ッッ⁉︎⁉︎」
直後、獣が咆哮をあげるが如く、右手の蒼炎が爆ぜる。
獣魔兵によって底上げされた獣の膂力に炎の爆破加速を加えた、速度と力を相乗させると同時に炎の爆発をも加えた強力無比な一撃にセレリアの体は軽々と数十メートルを吹っ飛び、闘技場の端にあった氷柱に叩きつけられ、崩れ落ちた。
「ゲホッ、ガハッ、がっ‼︎づぅっ‼︎」
受け身を取ることすらできず倒れたセレリアは立ち上がることすらできず、鳩尾と腹部を抑えて悶える。
前面の氷鎧は粉々に砕け、焼けた皮膚が覗いている。直前に裂かれた傷口も焼かれており、彼女の褐色の肌は黒く焦げて氷の鎧には青い炎がまとわりついて彼女の肉体を焼き続けていた。
肉を焼かれるだけでなく、骨すらも何本も折れてしまい、全身に波及する未曾有の激痛に血を吐きながら彼女は蹲ることしかできなかった。
「あらあら、随分と痛そうだわ。でも、無理もないわね。肉を焼かるだけじゃない。骨も何本か折れたでしょう?痛みに慣れてないあなたが耐えるには、難しい痛みだと思うわ」
「っ……ぐっ……ぁ、“絶、象”」
悠々とした足取りでこちらへと歩いてくるクレアを睨みながら、セレリアは再生魔法を駆使して肉体の傷を元に戻す。
瞬く間に無傷へと戻り、傷を癒したセレリアは脂汗を流しながらも、なんとか立ち上がり二本の足でしっかりと立つと拳を構えた。その様子にクレアはため息をこぼす。
「…………はぁ、どうして分かってくれないのかしら。素直に降参すれば悪いようにはしないのに。無駄に抗ってどうするの?このままだ死んでしまうわよ?」
「…………どれだけ差を見せつけられようとも、諦める気はない」
「立派ね。でも、現実はそう簡単にはいかないわ。どうしようもない実力差が私達の間にはある。いくら続けても結果は変わらないわ」
「……だからって、それが、諦める理由にはならないだろう」
「そうかもね。でも、私だって可愛い義妹を傷つけたくないのよ。もしも、加減ができなくて貴女を殺してしまったら、貴女のご両親にも、夫であるディーにも顔向けできないわ」
ディレイドとはすでに夫婦の間柄であるクレアはセレリアの義理の姉にあたる。その関係はセレリアも知っていて、昔から本物の姉妹のような関係性を築けていた。だからこそ、彼女を傷つけるのは本意ではない。故に、クレアは慈愛を感じさせる優しい表情でセレリアを一度見やると、手を伸ばしながら請うた。
「だから、もう大人しく降参してちょうだい。そして、私達と一緒にお家に帰りましょう?どうせあなたは私には勝てないんだから」
「っ、断るっ‼︎帰るのは、兄さん達を正気に戻してからだっ‼︎‼︎」
義理の姉である彼女の物言いに、セレリアは一層闘志の炎を燃え上がらせ、氷の槍を無数に乱射する。
雨が如き氷槍の連射にクレアは全く動じる様子もなく、静かな声音で一言。
「———“熾炎烈華”」
その言霊に応えて、架空に無数の炎の花を咲かせる。
四枚の花弁を有する青い炎の花はクレアを守るように咲き誇ると氷槍を悉く焼き尽くす。白煙をあげて氷槍を全て溶かすとクレアは片手の剣を指揮棒のように振るう。
そうすると炎華は全てが勢いよく回転して手裏剣が如くセレリアへと襲い掛かったのだ。青い火花を散らしながら、突き進む様はさながら花吹雪だ。しかし、その実、敵を焼き尽くす殺戮の魔弾だ。
「っっ、“魔氷零華”ッ‼︎‼︎」
焦燥の声と共に発動されたのは紫氷の華。
それはセレリアを包み込み蕾のような形状となって、完全防御形態をとる。かつて雫との大喧嘩との際に彼女の水属性魔法の乱射を耐え抜いた氷の華がクレアの花吹雪を防ぐ。しかし、彼女の抵抗を嘲笑うかのように蒼炎の花吹雪は氷の華を容易く打ち砕いた。
「っっ、ああぁぁぁぁぁぁぁっっ⁉︎」
爆発音の中にセレリアの悲鳴が響く。
爆炎が収まったのち顕になったセレリアは、鎧を纏い直したにもかかわらず再び粉々に砕かれており、青い炎に焼かれていた。息も絶え絶えな彼女に、クレアはゆっくりと近づきながら告げる。
「もう実感してるからわかると思うけど、獣魔兵になって発現した私の技能“炎燼”は、炎で触れた相手を一定時間焼き続けることができるのよ。水属性魔法や魔力耐性が高い人にはあまり効かないのだけれど、その反面氷属性には効果覿面なの。あなたが『銀狼』として高威力の氷属性魔法を扱えたとしても、私の炎の前では無意味。少し焼かれる時間を遅らせるぐらいよ」
クレアが『黒虎』になったことで獲得した技能“炎燼”はセレリアの“氷蝕”の技能と似ている。
水には弱いがその反面、氷には極めて高い効果を見せ、氷属性魔法を著しく弱体化させてしまうのだ。そして、炎は一定時間残り敵対象を焼き続ける効果まである。
セレリアが“銀狼”として高威力の氷属性魔法を扱い、“氷蝕”の技能があったとしても、弱点はどうしてもある。彼女にとって炎とはまさしく致命的な弱点であり、クレアや陽和のように格上の使い手の炎には、彼女の氷属性魔法が弱体化されてしまうのだ。だからこそ、ここまで一方的な戦いになってしまっている。
「ぐっ、“氾塊浪”ッ‼︎」
息も絶え絶えなセレリアは蹲りながらも左手を突き出して、水の濁流を放つ。
氷が不利ならば、水で対抗する。
クレアの技能や属性を考えれば使う属性を水属性に変えるのはいい判断だ。クレアもその戦法は有効だと頷く。
「確かにその判断はいいわ。水は炎に強いから、私に対しては有効な手段ではある。実際に私と戦う時は大勢がそうしてきたわ。でもね」
確かに炎に対して水は有効だ。
これまで戦ってきた氷属性魔法を得意とする手合いは、氷属性魔法が水属性魔法の上位属性で元々扱えるからこそ、大半が水属性魔法に戦法を切り替えてきていた。
だが、それは一般の戦士の戦いでならの話だ。彼女にそれは当てはまらない。
「相性的には不利であっても、水を燃やす炎は存在するのよ」
迫る濁流を前にクレアは静かに笑うと、全身に纏う蒼炎を激しく燃え上がらせ、その熱量を解放した。
「———“熾炎煉獄・煌天”」
「———っ⁉︎」
彼女を中心に蒼い光が煌めき爆ぜる。
蒼い太陽がそこに出現したかと錯覚するほどの爆発は、水の濁流を容易く蒸発させ、周囲に生えていた紫の氷柱すらも呆気なく焼失する。滾る炎の爆発はそれだけに留まらず、氷炎の闘技場を煉獄の炎海へと塗り替えて、大地を赤熱化させるほどだった。
爆心地に近かったセレリアはその爆発に当然巻き込まれており、爆発が収まり顕になった彼女の姿は痛々しく、纏う氷鎧はほとんど砕かれ、手足に辛うじて残っている状態だった。
服が焼けて顕になった肌は多くが焼かれ焦げていた。
「……ぅっ………ぁっ………」
「私が水属性魔法への対策を怠っていると思ってたのかしら。だとしたら、随分となめてるわね。この私が、あの程度の魔法を対処できないわけがないでしょう。焼き尽くせばいいだけよ」
水属性魔法への対処法は実にシンプルだ。
水をも焼き尽くせるほどに火力を上げればいい。たったそれだけだ。単純だが火属性魔法を極めつつある彼女にはそれを可能とする力がある。
そして、セレリアは身近にそれを実際に成している者がいるからこそ、彼女の対処法に焦燥を顕にする。
(……まるで……陽和を相手に戦ってるみたいだ……)
達人クラスの武術の腕。高レベルの火属性魔法。
総合的な戦力は陽和に遠く及ばないが、その二つに関して言えば前者が陽和と同レベルであり、後者はそれに近しいレベルだ。そして、彼女の戦い方は奇しくも陽和に似ていた。
(隙が、ない……っ)
戦士としての完成度が高すぎる。
彼女にはどう足掻いても勝てないと、他ならぬセレリアが現実を理解してしまい、表情に絶望の色が浮かび始めた。
そうして立ち上がれずに蹲る彼女にクレアは淡々と言葉を投げかける。
「それにしても、酷いわぁセレリアちゃん。私達が正気じゃないって言うなんて。家族に対してその言い方はあんまりじゃない?」
「事実だろう。家族の情よりも信仰を優先して、大義もない戦争に同胞を巻き込んでいる。こんな無意味な戦争に勝っても、その先にかつての日常はないんだぞっ⁉︎また別の戦争が始まるだけだっ‼︎それがなんでわからないっ‼︎」
ゆっくりと身を起こし血を吐きながらも叫ぶセレリア。
彼女の脳裏には、かつての幸せな日常の光景が過っていた。ディレイドやクレア、シャルフィ、バートなど愛すべき家族達や親しい人達との幸せな日常の光景を思い、変わり果てた彼女達の姿にどうしてと叫ばずにはいられなかった。
だが、そんな彼女の悲痛な叫びはクレアに届くことはなかった。
「私はディーが選んだ道に妻としてどこまでもついていくと決めただけよ。その先が破滅であろうとも、彼がその道を歩むのならば私達はその道を共に歩むわ」
「ふざけるなっ‼︎愛しているのなら、止めるべきだっ‼︎破滅に堕ちようとしているのにどうして止めないっ⁉︎これまでだってそうだっ。あなたなら、兄さんが間違ってることぐはいわかっているだろうっ⁉︎なのに、どうして何もしなかったんだっ⁉︎」
「………………」
妻ならば彼の変化にすぐに気づけたはずだ。セレリアの知る彼女ならば妹を獣魔兵にしようとした時点で止めてもいいはずなのに、自分が知る限りでは何もしてくれなかった。
信仰に執着するようになった兄に自分と同じように間違ってると言ってくれるはずだと信じていたのに、その期待は裏切られディレイドを盲目的に信じる彼女の姿にショックを受け怒りを覚えた。
裏切られた怒りのままにそう問い詰めると、クレアはしばらくの沈黙ののちに空を見上げながら答える。
「……………………彼の覚悟を知ったからよ」
「覚悟、だと?」
空を見上げながらそう呟いた彼女の視線の先には、愛する夫のーディレイドの姿がある。陽和と幾度となく激突を繰り返す彼の姿を見ながら彼女は静かに語り始める。
「あなたは知らないだろうけど、彼だって色々と悩んでいたわ。それでも彼は拳を握り戦う道を選んだ。ただ一つ、私達魔人族をより良い未来へと導くために、彼は英雄になる道を選んだ」
クレアは大迷宮攻略から帰ってきたばかりのディレイドの姿を思い出す。彼はフリードとは違い、大迷宮攻略という偉業を果たしたにも関わらず純粋に喜んではいなかった。その誇らしげな笑顔の裏に絶望が隠れていて、彼が無理やり笑顔を作っているのだと気づいた。
それは、彼を愛し妻になることを選んだからこそ気づけたわずかな変化。
それから信仰に執着するようになってしまったことも当然気づいていた。セレリアを獣魔兵にした時も、発表の後だったが妹を傷つけたことに対し憤慨し、シャルフィと三人きりの時に問い詰めたりもしたほどだ。
だが、その時に彼女は言葉で伝えられなくても、彼の瞳を見て気づいた。
彼はもう己の心に蓋をしてしまったのだと。
ただ同胞達をより良い未来に導くために、彼は自分の心を犠牲にしてしまった。自らを犠牲にし戦い続ける道を、全てを背負う英雄の道を大迷宮を攻略したあの日に選んでしまっていたのだ。
それほどまでの悲壮な覚悟を前に、自分では変えられないのだと彼女は悟ってしまった。真っ向から彼の覚悟を受け止め打ち破れるほど、自分は強くないと理解していたから。
だから、変えられないならせめて彼の覚悟に殉じようと思ったのだ。
「彼を愛しているからこそ、一人で戦わせはしない。彼が自らを獣に堕とすというのなら、私達も獣に堕ちるわ。どんな結末であっても、私とシャルフィは最後まで彼と運命を共にする。それこそが私達が獣魔兵になった理由であり、今あなた達と戦う理由よ。これでも、私達は間違ってると言うのかしら?」
「……………っ」
共に破滅の道を突き進むと躊躇いもなく言い放つ彼女の気迫に、セレリアは何も言えなくなる。
陽和がディレイドが狂信者と断じることができなくなったように、セレリアもまた彼女の覚悟に確かな愛を感じた。
彼女達は正気じゃないから神の下僕になったのではない。ディレイドを愛してるからこそ、彼と同じ道を歩むことを決めたのだと理解させられてしまった。
その悲しすぎる愛の形をセレリアは間違いだと断ずることはできなくなってしまった。人を愛することを彼女も知ってしまったから。
それでも、このままでは駄目だとなんとか言葉を紡ごうとしたときだ。
遙か上空で紅蓮の華が咲き誇ったのだ。
空は紅蓮に照らされ、絶大な爆音が轟く。地上に届くほどの凄まじい衝撃波に二人は反射的に顔を上げた。
「……ディー」
彼女達の視線の先では何度も血を吐き出し苦悶するディレイドの姿がある。その傍らにはエレボスもいて、ディレイド同様に深い傷を負っているのは明らかだった。
痛々しい彼らの姿に心配そうに夫の名を呼ぶクレアだったが、次の瞬間にはそれは驚愕の表情へと変わる。
なぜなら、ディレイド達を追い詰める赤い鎧を纏う男ー陽和が上空に掲げていた巨大な炎塊が形を変えて炎の竜になったからだ。
『ガアアアァァァァァァァァァァ‼︎‼︎‼︎』
咆哮が物理的な衝撃波となり再び地上を揺らす。
炎の竜は、炎で構成されているはずなのに放たれる威圧は同じ竜のエレボスのそれを上回り、紅咲陽和と同等。到底魔力で構成された擬似生物とは思えないほどだった。
「なによ、あれ……」
あまりにも埒外な魔法にクレアは驚愕の声を上げる。
しかも、それだけにとどまらず、陽和と炎竜を囲むように五つの魔法陣が出現し、そこからも新たに魔法生物が五体出現したのだ。
「冗談でしょう?」
炎竜にも引けを取らない五頭の神獣達の出現に、クレアは思わずそんな言葉が喉をついて出てしまう。それらの魔法をあらかじめ知っていたセレリアは微笑を浮かべる。
「“五神獣”に“ドライグ”か。話には聞いていたが、実際に見ると凄まじい迫力だな」
「一つ、聞きたいのだけれど、あれは赤竜帝君が召喚した魔物なの?エレボスと同じ従魔かしら?」
「いいや、あれは魔法だ。神代魔法と属性魔法の複合魔法の産物。まぁ、私も初めて見た時は唖然としたからな、気持ちはわかる」
「あれが魔法ですって?冗談にも程があるわよ。変成魔法で強化された従魔って言ってくれた方がまだ納得できるわ」
「だろうな」
クレアの言葉にセレリアは肩を竦めて同意をします。
味方の自分でさえあの魔法は常識はずれにも程があると思っているのだ。敵である彼女が驚愕を通り越して笑いすら出てしまっているのも無理のない話だった。
そして、二人が見上げる中、五頭の神獣はヘスティアの操作に従い大地へと降り立ち軍勢の蹂躙を始めた。放たれる威圧に違わない圧倒的蹂躙を見せつけ、軍勢を阻む獣達を遠くから見ながらクレアは苦い表情を浮かべる。
「参ったわね。あんなのが立ちはだかったら、私達がどうにかしないと無駄に兵を消費してしてしまうだけね」
「ああ。並の兵では虫の如く蹂躙されるだけだぞ。潔く撤退させるべきだと思うがな」
「そうしたいのは山々だけど、出来ないわね。もう兵は止められない。長い間準備してきたんだもの。それを無駄にはできないわ」
“五神獣”がいる限り、自分達獣魔兵が出張らなければあの防衛線を突破することは叶わないだろう。だが、肝心の獣魔兵達はそれぞれ陽和達の相手をしなくてはいけない状況にある。
それならば兵を撤退させるべきだが、この状況では結局蹂躙されるだけだろう。長い準備期間を無駄にしたくはないのもあるが、それ以上にあの怪物達から逃れる算段が思い浮かばなかったのだ。
「かつて神を相手に互角に戦った邪竜の力……いいえ、この場合はそれを使いこなす彼の技量が凄まじいのね。あれが、神に抗う英雄の力なのかしら。この世界に呼ばれてから半年しか経っていない坊やが持っていい力じゃないわ」
「全くだな。だが、彼はその力で世界を救おうとしている。神の呪縛からこの世界を解放し、自由な意志を取り戻す為に。かつて解放者達が果たせなかった使命を果たそうとしている」
「…………確かに彼ならば神と戦えるかもしれない。私達魔人族をたった一人で相手できるほどの強大な力を有しているのだもの。このまま成長すれば、いずれ神とも戦えるかもしれないわね。でもね、ディーも以前から何も成長してないと思う?」
「……それは…っ⁉︎」
答えようとした時、莫大な魔力の高まりを感じるセレリアは再び上空を見上げる。上空では陽和と炎竜がエレボスと対峙しており、ディレイドがいるであろう場所は闇色の竜巻が渦を巻いていたのだ。
魔力の出どころはその竜巻からであり、何事かと凝視しているとやがて竜巻が消える。しかし、そこにディレイドの姿はなく代わりに紫黒の雷竜の姿があった。
『グゥオオォォォォォォォォォォォォォッッ‼︎‼︎‼︎』
「あれは……兄さん、なのか?」
咆哮を上げる雷竜の姿にセレリアは声を振るわせる。
場所的に、そして魔力の感覚的にあの竜がディレイドなのはなんとなく気づいた。だが、頭が状況を理解できなかった。
獣魔兵として竜の力を有しているとは言え、竜人族固有の“竜化”を獲得しているなど誰が思うだろうか。
「………“雷竜化”。ディーが辿り着いた変成魔法の極地よ」
「極致、だと?だが、いくらなんでもあれはっ‼︎」
「常識外れにもほどがあるわね。でも、彼があの日から何もしていないわけがないじゃない。確かに赤竜帝君は強いわ。それはディーも同じ。彼だって英雄なのよ。そんな彼が奥の手を解放して戦ったらどうなるかしらね?少なくとも、お互い無事で済むはずがないわ」
「…………っ」
今度はセレリアが苦い表情を浮かべる。
正直ディレイドが竜化を獲得しているのは予想だにしていなかった。以前二人は互角の戦いを繰り広げ、今回二人は新たな力をそれぞれ獲得して激闘に臨んでおり、若干陽和が押しているがそれでも余談は許さない状況だ。
そんな混沌とした状況下でのディレイドの“雷竜化”だ。竜人族が竜化した時はステータスが上昇する。ディレイドも同じであるならば、状況はより険しくなるだろう。
その考えを裏付けるように陽和もまた竜化して巨大な赤竜へと姿を変えており、しばらくの睨み合いの後にお互い竜の肉体での激闘が始まった。
そして、再び始まった竜達の戦いから視線を外したクレアは改めてセレリアへと向き直り静かに問うた。
「さっきの質問の答えを聞こうかしら。あなたは、あれを見てもなお、私達が間違ってると思う?」
上空での激突な衝撃波が地上にまで届き二人の髪を揺らし、耳には4頭の竜の咆哮が届く。自分達が愛する男達の死闘を耳で聞き、肌で感じながら、セレリアはその問いに答えた。
「…………それでも、私は間違ってると思う。だが、もはやこれは正しいとか間違いなんていう曖昧な言葉で片付けていい領域ではないんだろう。私達はただお互いの『正義』をかけて戦っているんだ」
「……その通りよ。私達にはお互いに譲れない想いがある。もう説得でどうにかなるものではないわ」
「ああ、そうだな。私達はお互いに愛する人の道を信じて戦うだけなんだ。それにー」
そう言うとセレリアは視線を横に向ける。
その視線の先では青と赤の水のアーチが無数に出現しており、それらの間を瑠璃色と緋色の魔力の輝きが目まぐるしく動きながら激しくぶつかり合っていた。遠くにいるからこそ直接見えないがその瑠璃色の輝きは自分の親友のものだとすぐに気づいた。
「私の親友が、誰よりも彼を信じる雫が諦めずに戦っているんだ。ならば、同じく彼を信じ愛する私がここで諦めていいわけがない。だから、彼らを信じてどこまでも戦い抜こう」
拳を構えるセレリアは雫に呼応するように淡紫色の魔力を高め吹雪の如く激しく渦巻かせる。“絶象”により傷を全て治し、氷鎧を纏い直した彼女は闘志に満ちた瞳で真っ直ぐに倒すべき敵を見据えた。
その眼差しにクレアは目を細めて、兜の下で小さく笑った。
「………ふふっ」
彼女の眼差しにディレイドの姿が重なった。
どんな状況であろうとも自分が信じる大切の為に諦めずに最後まで戦い抜くという意志の強さ。国にいた頃はついぞ見たことがなかったが、多くの出会いや戦いを経た彼女はついに兄と同じ瞳を浮かべるようになっていた。
その成長にクレアは心の内で嬉しそうに呟く。
(…………強くなったわね。セレリアちゃん)
かつての戦いを知らなかった可愛らしい町娘の姿はそこにはない。だが、それを惜しいとは思わない。
自分達が守らないといけないと思っていた可愛らしい子犬に過ぎなかった彼女は、もうとっくに自分達の群れから独り立ちして頼れる群れを見つけていたのだから。
新たな戦士の誕生にクレアは微笑むと、双剣を構え蒼焔を纏わせる。
「改めて、あなたを敵と認識するわ。戦士としてのあなたの力をもっと私に見せてちょうだい」
「ああ」
短く言葉を交わした二人は、同時に地面を蹴って炎剣と氷拳をぶつけた。
それは、獣であり戦士としての戦いであると同時に姉と妹の戦いだ。
片や愛する夫の絶望に少しでも寄り添う為に。
片や愛する男の希望に従い悲劇を止める為に。
お互い信じ愛する男が歩む道を進み、その道を阻む障害を取り払おうと剣を握り、拳を握った。
そこに善悪がなければ、第三者の意志もない。
あるのは狂おしいほどの『愛』だけだった。
信じているから、彼女達はそれぞれ武器を手に戦うことを選んだ。
自らを人ならざる獣に堕としたとしても。
彼も同じく獣に堕ちる道を選択していたから。
その先が破滅だと分かっていても、彼を孤独にさせないが為に。
共に寄り添うと決めたからこそ、彼女達は破滅の道を進む。
それもまた、一つの『愛』の形だ。