竜帝と魔王の異世界冒険譚   作:桐谷 アキト

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今回は他作品のネタをぶっ込んでありまーす。
さて、今回から本格的に陽和の魔改造計画を始めてまいります。ハジメがあれだけの魔改造を経てしまった以上、陽和はどのような魔改造を施されるのか。これからをお楽しみにしててください。

というわけで、最新話どうぞ。


9話 男の意地

 

 

 

「……もう、行くの?」

「ああ、そろそろ時間が近いからな」

 

布団にくるまり声をかける雫にズボンを履いた陽和はそう答える。今陽和は上は何も着ておらず、鍛え抜かれた肉体が顕になっている。

雫の方も毛布にくるまっているが、毛布からは白磁のような透き通った肌とそこに浮かぶ、小さな赤い斑点のようなものが覗いている。

二人の格好と様子からこの短時間で何が起きたのかは推して図るべし。

 

この日、二人は長年の想いを打ち明けることができ、晴れて恋人同士になった。

恋人になった直後に、そう言う行為を行なったのは性急と言うものもいるかもしれないが、二人は10年以上両片想いが続いていたのだ。お互いがお互いに遠慮して、長い間想いを募らせていたので恋人になったことで色々と決壊したのは仕方ないとも言えるだろう。

 

そして、()()()()()()()()()が近づいたが為に、陽和はそろそろ雫の部屋から出なければいけなくなった。

雫はシャツを着ようとしている陽和の背中を名残惜しそうに、寂しそうに見つめている。

潤んだ瞳や悲しそうな表情が彼女の心情を物語っている。

陽和からこの後やろうとしている事を全て聞いているので、雫は引き止めようとはしなかったが、やはりやっと想いが実ったのに、すぐに長い間離れ離れになってしまうのは正直言って辛かった。

 

そんな心情を背中越しにでも感じ取ってしまったのか、陽和はシャツを着た後彼女に振り向いて苦笑しながら彼女の頭を優しく撫でる。

 

「そんな顔をしないでくれ。別にこれが最後のお別れになるわけじゃないんだ」

「……ごめんなさい」

「謝らなくていい。俺も気持ちは同じだから」

 

陽和とてせっかく恋が成就したのに、しばらく離れ離れになるのは寂しいことに変わりはない。だが、それでも行かねばならないのだ。

雫もそれは重々承知している事だ。

陽和はベッドへと腰掛けると真っ直ぐな瞳で雫を見つめる。

 

「雫、お前に渡したいものがある」

「何?」

 

陽和はズボンのポケットから二つのネックレスを取り出して、そのうちの一つ、火の形にも似た物を彼女へ差し出した。

 

「これは?」

「実は前に王都の露店で見かけてな。お前に似合うと思って、買ったんだ」

 

雫は陽和からネックレスを受け取ると、月にかざしてまじまじと見る。

火の形に象られた枠に赤い結晶を嵌め込んだそれは、月明かりに照らされてキラリと赤く輝いた。その様に、雫は思わず見惚れる。

 

「……綺麗」

「そう言ってもらえると選んだ甲斐があったな。……まぁ、ありきたりかもしれないが、お守り代わりって思ったのと他に、もしも寂しいと思ったら、そのネックレスを見て俺の事を思い出して欲しいって思って買ったんだ」

「ふふっ、確かにありきたりね。でも、貴方らしくて気に入ったわ。ありがたくもらうわね」

 

火の神を信仰する彼だからこそ、火の形のネックレスに願いを込めて選んだのだろう。雫にはそれが彼らしいと思ったのだ。

ネックレスを受け取った雫は、陽和へ頼む。

 

「ねぇ、このネックレス、今貴方につけてもらってもいいかしら?」

「……あぁ、俺でよければ」

 

陽和はそう快諾して雫からネックレスを受け取ると、チェーンの両端を持って彼女の首に腕を回してつける。

つけてもらった雫は嬉しそうにしながら、陽和に感想を求めた。

 

「どうかしら?」

「よく似合ってるよ」

「ありがとう。そういえば、貴方が持っているもう一つのネックレスって貴方がつける物なの?」

「そうだ。そのネックレスとセットで売ってたんだよ」

 

雫は陽和の手にあったもう一つのネックレスに気づいて、そう尋ねる。陽和はネックレスを見せながら、それを肯定した。

陽和が持っていたネックレスは銀の枠に雫のものとは違い青い結晶が嵌め込まれており、その形はティアドロップだった。

雫はそれに気づいて目を丸くする。

 

「……ティアドロップ……これってもしかして……」

「……まぁ、そういう事だ」

「…………」

 

若干赤面した陽和から肯定されて、雫は意味を一瞬で理解して顔を真っ赤にして俯かせる。

ティアドロップとは涙の雫を意味している。そう、雫だ。

つまり、陽和は恋人の名前と同じ形のネックレスを選んだという事だ。

雫は恋人になる前や後でも自分がずっと大切にされて、尚且つ愛されているのだと理解して嬉しくなって顔を赤くしたのだ。

そんな雫に陽和は赤面したまま、そのネックレスを差し出し気恥ずかしそうに笑いながら、頼んだ。

 

「これはお前につけて欲しい。頼んでもいいか?」

「……ええ、いいわよ」

 

そう言って、雫は陽和からネックレスを受け取ると、彼に身を寄せて首に腕を回しながらネックレスをつける。

今度は陽和が彼女に感想を求める。

 

「どうだ?」

「えぇ、よく似合ってるわ」

 

恋人からの惜しみない評価に陽和は表情を綻ばせると、徐に彼女の頬に手を伸ばして優しくキスをする。そして唇を離すと、優しい表情を浮かべて告げる。

 

「俺は、これから長い旅に出る。数ヶ月、もしかしたら何年も掛かるかもしれない。けれど、俺は必ずお前の元に帰る。だから、全てが終わったら、一緒に桜を見に行こう」

「ええ、一緒に見に行きましょう。ずっと待ってるから、無事に帰ってきて」

「ああ」

 

そうして2人は約束を交わすと、もう一度陽和が雫にキスをして、ベッドから立ち上がる。

 

「じゃあ、そろそろ行くよ。

これからしばらく騒がしくなると思うけど、不用意に外には出るなよ?」

「ええ、わかったわ。…あっ、ちょっと待って」

「ん?どうし…」

 

陽和はそれ以上言葉を出せなかった。

なぜなら、何かを言おうとした自分の口が塞がれていたからだ。他ならぬ雫の口によって。

雫がベッドから降りて陽和にキスをしたのだ。

口を離した雫は、頬を赤くし、恥ずかしそうにもじもじしながらも、やがて絞り出すように言った。

 

「……そ、その、い、行ってらっしゃい。陽和」

「………」

 

初めて雫からキスされたことに驚いた陽和は数瞬硬直するも、すぐに笑みを浮かべて雫にキスを返す。

 

「ああ、行ってくる」

 

そう言って、今度こそ陽和は雫の部屋を後にした。そして残された雫は……

 

「……気をつけてね」

 

これから長く危険な旅に出る最愛の恋人の無事を1人静かに願った。

 

 

雫の部屋から自分の部屋へと戻った陽和は自分が着ている服を脱ぐと、あらかじめ用意していた服と装備を身につけていく。

この日の為に備えて、準備していた耐熱性に優れた戦闘衣服と鎧。そして、銀色の鎧や衣服にはいくつかの魔法陣を刻んでおり、攻撃、結界、回復などバランス良く刻んでいる。

腰に巻くようにつけるポーチには、各種探索に必要な道具や、回復薬や増血薬など、魔法陣が刻まれた紙の束などが詰まっている。

籠手、胸当て、肩当て、ロングブーツを順にカチャカチャと音を鳴らしながら装着していく。

最後に、左腰に剣を、腰の背部に二本の短剣を装備した。

 

そして、装備を完全に整えた陽和は窓へと歩み寄り、窓を開け、眼下に広がる静寂に満ちた夜の王宮を見下ろす。

冴え冴えとした月明かりと、王都の城壁に所々灯る松明の明かりだけが王宮を照らしているが、それでも照らさない暗闇が大部分であり、静謐に満ちた王宮はどこか不気味さを漂わしている。それを見た陽和は、一度眼下の光景から視線を外して、自身の部屋の中を名残惜しそうに見渡した。

 

「………」

 

この世界に来てからの自室に、ベッドや机、クローゼットに視線を巡らせながら、この世界に来てからの生活を思い返していた。

 

「……なんで、こんなことになったんだろうな」

 

思い返しながら、陽和は悲しそうな表情を浮かべそう分かりきっていることを呟くと、その名残りを振り切るように部屋の中から外へと視線を戻し、悲痛な表情を消して、真剣な表情へと切り替える。

 

 

「……じゃあな」

 

 

最後にそう儚げに呟き、陽和はローブを纏い窓枠へと足をかけると、勢いよく蹴って外へと飛び出した。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

静寂が漂う王宮内を、黒い人影が疾走している。常人よりも遥かに早い速度で、夜闇の中を素早く駆け抜ける。

ローブを羽織り、フードを深く被っているため素顔はわからない。だが、ローブから覗く四肢が男のものだと伺わせる。

壁を走り、柱の上を跳躍したりと、見るものによっては忍者なのではないかと錯覚してしまうような移動をしている。

 

フードの人影の正体は陽和だ。

 

部屋を飛び出し()()()()()を終えた彼は今夜王宮から逃げ出すためのとある作戦を決行しにある場所へと向かっていた。

 

やがて、一つの訓練場へと陽和は踏み入れる。

そこは、普段から陽和が自主練で使うあまり使われていない訓練場だ。

 

そして、そこには既に先客がいた。

月が訓練場を照らす中、ただ一人、大剣を地面に突き立てて何かを待ち構えている騎士甲冑姿の男がいた。

それはこの国の騎士団長であるメルドその人だ。

今まで目を閉じていた彼は訓練場に陽和が降り立つや静かに目を開き、その男の姿を視界に収める。

 

「………来たか」

「…………団長」

 

陽和はフードを取り顔を見せる。

悲痛、殺気、怒気が混じったような視線を陽和がメルドに向ける中、メルドは大剣を地面から抜き陽和へと鋒を向けて、真剣な表情で告げた。

 

()()()()()()紅咲陽和。私はハイリヒ王国騎士団団長として、世界の平和の為に貴様を討つ」

 

メルドの宣言に陽和は小さく笑みを浮かべるが、次の瞬間には冷酷な表情へと切り替えて、自身も剣を構える。

 

「メルド・ロギンス団長。俺は、俺の道を阻む者ならばたとえ貴方であっても斬る」

「ならば、私を倒し逃げ出してみろ。ただし、やれるものならな!!」

 

そう言って、メルドは陽和へと駆け出す。

王国最強の名に恥じぬ疾走の速度を前に陽和もまた足に力を込めて、彼と遜色ない速度で駆け出す。

 

「オオォォォォォォォッッ‼︎」

「ハァァァァァァァァッッ‼︎」

 

やがて、二人の距離がゼロになった瞬間、お互いが裂帛の気合とともに得物の剣を振り下ろし、激突した直後甲高い戟音が王宮の夜に響く。

金属音を鳴らし鍔迫り合いをする二人。

お互いの真剣な表情から、お互いが殺す気で剣を振るったのだとわかる。

 

「シィっ!」

「ハァッ!」

 

鍔迫り合いが続く中、陽和が唐突に両腕の力を抜く。ガクンとメルドの姿勢が前のめりになった瞬間に、陽和は剣を片手で持ち腰から短剣を一本抜き逆手で振り抜いた。

だが、そこは騎士団団長。

上体を後ろに下げることで、頬を浅く切られ血を少し流す程度に抑えて、短剣の攻撃を間一髪で回避して陽和へと剣を横薙ぎに払う。

しかし、それは陽和がバク転をして難なく回避する。

再び距離が開き、今度は陽和から動く。

 

「“爆縮地”」

 

刹那、陽和の姿が掻き消える。

“縮地”の派生技能“爆縮地”により“縮地”以上の爆発的な加速を持って一気にメルドに肉薄する。

メルドも大剣を構えてそれを迎え撃つ。

そして始まる剣戟の応酬。

 

幾度の金属音を鳴らし、火花を散らしながら二本の剣が交錯する。

お互い剣の技術は達人クラス。その二人が奏でる本気の剣戟は視認が難しく、並大抵のものならば何が起きているかわからないだろう。

幾度となく斬り結び、四十合は斬り結んだ時、両者の拮抗が崩れる。

 

「“旋刃”」

「チィッ!」

 

横薙ぎに振われた大剣を弾いた直後、陽和は同一方向から来た横薙ぎの斬撃に咄嗟に剣を構えるが、不意打ちだった事もあり、あえなく弾き飛ばされる。

咄嗟に受け身を取りながら、地面を転がる陽和にメルドは追撃を仕掛ける。

 

「オオォォォォォォォッッ!!」

「ッッ‼︎‼︎」

 

躊躇わず振られる大上段からの振り下ろし。

それを陽和はすぐに立ち上がり、剣を下から振り上げる斬り上げを放つことで迎え撃つ。

放たれるは、十二個の型がある火神神楽の肆ノ型。

 

「“炎天昇火(えんてんしょうか)ッッ」

「ぐっ」

 

全身の筋肉を捻り連動させる事で一撃の威力をあげ、同時に“剛力”と“身体強化”を発動する事でメルドの大剣を真っ向からの斬り上げでかちあげてみせた。

メルドは大剣が弾かれたせいで、体勢が後ろにのけぞりよろめく。その隙をついて陽和はメルドのガラ空きになった腹部に掌底を叩き込む。

 

「“浸透頸”ッッ!!」

「ガハッ!!」

 

鎧を貫通して内部に響く衝撃にメルドは血を吐きながら吹き飛ぶ。

“浸透頸”硬い鎧を通して内部へと衝撃を送り、内側から破壊する“体術”の派生技能であり、陽和はメルドの肉体内部にダメージを与えたのだ。

地面を転がるメルドに陽和は追撃を仕掛ける。

普通なら肉体を内側から破壊する痛みに悶絶するというのに、メルドはそれを感じさせずに機敏に立ち上がると、陽和へと突進する。

 

「ハァッ!」

 

陽和は迫るメルドへと鋭い幹竹割りを繰り出す。それをメルドは剣の腹で軌道を逸らしながら、くるりと一回転して遠心力をたっぷりと乗せた見事な回し蹴りを放つ。

しかし、それは陽和が逸らされた剣をそのまま地面に突き刺して、それを支点にし疾走の勢いを利用してまるで曲芸のように剣の上で倒立を行うことで、蹴撃は難なく回避された。

 

「なにっ⁉︎」

 

あまりにも身軽な身のこなしにメルドは目を見開き動揺の声を上げる中、陽和は倒立のまま片手で器用に体を回転させて、回し蹴りをメルドの頭部へと叩き込む。

 

「ぐっ⁉︎」

 

咄嗟の判断で右腕を間に挟んだ事で直撃は免れたものの、メルドの体はぐらりと大きく傾く。

 

「?」

 

そしてそのまま蹴り抜こうとした陽和の足が不意に止まる。見れば、メルドが左手で陽和の足を掴んでいたのだ。

 

「おおぉぉっ!!」

 

メルドは不敵な表情を浮かべると、右手でも陽和の足を掴み彼の体を勢いよく振り回し、陽和を地面へと叩きつける。

 

「がはっ⁉︎」

 

背中から地面に叩きつけられた陽和は肺の中の空気を全て吐き出してしまう。

悶絶する陽和にメルドは拳を振り下ろす。

砲弾のような拳が、意識を絶とうと陽和の顔面へと振り下ろされる。

ドゴッと鈍い音が響く。だが、拳から伝わる感触にメルドは顔を顰めた。

 

「……これを、受け止めるか」

 

メルドは苦笑混じりに呻く。

受け止められていたのだ。

メルドの砲弾のような拳は、陽和の顔面に叩き込まれる寸前に陽和が彼の拳を掴んだ事でその勢いを半減させてしまっていた。

見下ろせば、陽和の赤黒い瞳からは闘志の炎が燃え盛っており、メルドを見据えていた。

 

「ッッ」

 

陽和はすぐに動き、メルドの拳を掴んだまま身を屈めると足を勢いよく伸ばしてメルドの胸部めがけて両脚での蹴りを見舞う。

 

「ぐっ⁉︎」

 

咄嗟のことで防御ができなかったメルドはモロに衝撃を喰らい、蹴り飛ばされる。

再び地面を転がるメルドに、陽和は追撃は行わずに静かに立ち上がると口の端から伝う血を拭うとプッと口の中の血を吐き出して地面に突き立てたままの剣を引き抜く。

その間にメルドも立ち上がり、落ちていた大剣を拾い構える。

 

「「…………」」

 

二人はお互い剣を構えたまま、静かに睨み合う。しばらく睨み合いの膠着状態が続いた後、陽和は片足を後ろに引き腰を落としながら、静かに詠唱を唱える。

 

「燃え滾る焔よ。刃に灯り敵を焼き斬れ。“炎刃”」

 

現れたのは、夜闇に煌々と輝く紅緋色の炎剣。

陽和が最も得意としている火属性魔法であり、その中でも特に好んで使う炎の剣が姿を表す。

その炎剣を構えて陽和は勢いよく駆け出す。

先程とは違い、“爆縮地”と“身体強化”を併用した爆発的な加速は先ほどよりも速く、瞬きの一瞬で陽和はメルドの眼前へと迫っていた。

 

しかし、メルドとて歴戦の猛者。

先程よりも速い陽和の接近に難なく反応してみせる。彼は大剣を構えて、その大きさに反しての鋭く速い突きを見舞う。それに対して陽和もまた刺突で応戦する。

 

「ハァッ‼︎」

「“紅火穿”ッ」

 

炎剣と大剣が鋒をぶつける。

金属音と火花を散らしながらギリギリと鋒で競り合う中、メルドは素早く詠唱を唱えて魔法を発動した。

 

「吹き散らせ。“風壁”」

「ッッ‼︎‼︎」

 

メルドを中心に発生した風の障壁が陽和を弾き飛ばし大きく後退させる。

その隙に、メルドは更に詠唱を行い魔法を放つ。

 

「鳴け、遍く風よっ。“風槌”!!」

 

圧縮された風の砲弾が六つ。後退を余儀なくされた陽和へと襲いかかる。陽和は詠唱を行う時間がないと瞬時に判断し、迎撃ではなく防御を選択する。

 

「ッッ、“金剛身”ッッ!」

 

“金剛身”による朱光に輝く魔力の鎧を全身に纏い、メルドの風の砲弾を受け止める。

直後、凄まじい衝撃音と共に陽和の全身を強い衝撃が襲いかかる。

 

「ぐっ、かっ」

 

その衝撃には陽和は堪らず小さな悲鳴を漏らした。それでもなんとか耐えた陽和は“金剛身”を解いてメルドの方へと視線を送る。

直後、その選択を陽和は後悔した。

なぜなら、既に自身の眼前に接近していたメルドが剣を横薙ぎに振り抜こうとしていたからだ。

 

「ハァッ!」

「ッッ」

 

メルドの接近に間一髪で気づいた陽和は咄嗟に背後へと飛び退く。しかし、完全には回避しきれずに決して浅くはない陽和の腹部が横一文字に斬り裂かれる。

 

「ッッ、ぐっ」

 

腹部に刻まれた裂創から伝わる激痛に陽和は顔を歪め小さな苦悶の声を漏らす。

じわりと服に血が滲むが、陽和は腹筋に力を込めて傷口を無理矢理塞ぎ流血を止めると、右手を前に突き出して素早く詠唱を唱える。

 

「爆ぜろっ!“炎弾”‼︎‼︎」

 

とてつもない発動速度で瞬く間に作り出され、放たれるのは計十五発の炎の魔弾。

それが光と炎の尾を引きながら、メルドへと襲いかかる。

 

「ッッ散らせ!“風壁”っ!!」

 

メルドは咄嗟に詠唱を唱えて強烈な風の障壁を発動する。

刹那、風の障壁と炎の魔弾が激突し轟音と共に大爆発を起こす。

炎の煌めきが夜の闇を払う。そして訓練場全体に炎が散らばり夜闇だけでなく、月に照らされていた陽和の姿を炎が赤く照らした。

 

「………」

「はぁ、はぁ…」

 

爆発が収まった後、そこには膝をついて荒い息をするメルドの姿があった。所々火傷の跡があり、鎧も幾分か砕かれ欠けてしまっている。

どうやら、メルドの“風壁”は陽和の“炎弾”の群れを完全に防御することはできずに、直撃こそしなかったものの、圧縮爆破による衝撃と熱波までは殺しきれなかったようだ。

メルドは見るからにダメージが大きい。外側でもはっきりとわかるほどの火傷と鎧の破損。そして内部では“浸透頸”による肉体破壊がことの他効いていた。

しかし、ダメージが大きいのは陽和も同じだ。

腹部に刻まれた裂創や“風槌”や叩きつけの衝撃が陽和に少なくないダメージを与えた。

膝こそついていないが、口の端から流れる血や、冷や汗を流す険しい表情から消耗具合が窺える。

その時、ふと陽和が周囲を見渡しながら、小さく呟いた。

 

「………そろそろ終わらせるか」

 

刹那、膨れ上がる闘志と共に陽和は詠唱を唱える。

 

「猛き狂える劫火よ、我が身を覆い鎧となれ。燃え滾り、咲き誇るは紅の火華(はな)。我が意志を力に、昇華せよ。灼熱の炎となり、数多を焼き尽くせ。“スカーレット・アルマ”」

 

聞き覚えのない5節の詠唱が唱えられ、魔法名が響き渡る。

直後、陽和の全身から凄まじい熱光が噴き上がり、メルドの視界を、夜の闇を焼く。

 

「なんだとっ」

 

咄嗟に腕で顔を覆ったメルドは腕の隙間から見える光景に目を見開いた。

陽和は直立の姿勢のまま動いてはいない。

だが、自身を視界に捉え立つ彼の両手両脚には大量の火の粉を撒き散らしながら燃え盛る紅蓮の炎が宿っていた。

 

「火の…付与魔法、なの、か?」

 

メルドはそう疑問をこぼしながら呟く。

通常、付与魔法というのは発動中の魔法の支援や、武器への付与を行うもの。火属性では“纏火(てんか)”という付与魔法がある。だが、陽和のそれは何か通常の付与魔法とは違うように見えた。それにそもそも、“纏火”の詠唱はあれほど長くはない。

 

その疑問は正しい。そして、メルドが知らないのも無理はない。

火属性付与魔法“スカーレット・アルマ”。

その魔法は陽和が編み出したオリジナルの火属性付与魔法なのだから。

耐熱性に優れた服や鎧を身につけ、尚且つ陽和レベルの高い火属性耐性と“金剛身”による衣服や鎧の強度上昇。それらの条件が揃わない限りは発動できないため、火属性に無類の適正と耐性を持つ陽和でなければ使い手がかなり限られる強力な魔法なのだ。

 

そして、これこそが陽和を“炎帝”と呼ぶに至らしめた魔法なのだ。

陽和は驚愕するメルドに、冷徹な笑みを浮かべながら告げる。

 

「そういえば、これは貴方には見せていなかったな」

「……見たことのない魔法だ。お前が編み出したものなのか?」

「ああ、ついこの間完成した」

 

陽和は得意げにそう語る。

事実、陽和としてもこの魔法は初めてゼロから作り上げた魔法であり、その効果も既に試していて自分の満足のいく結果だった。

 

「ああそれと、これをただの付与魔法と思わない方がいい。それとは……レベルが違う」

 

陽和は炎剣を構えて低く腰を落とすと、ブーツに炎を収束させ、一言呟く。

 

火華(ブレイズ)

 

瞬間、ブーツに収束された炎が爆ぜて地面を爆砕して脅威的な加速を見せ、一瞬でメルドの懐に潜り込んだ。

 

「ッッ」

 

メルドは陽和のあまりの加速に目を見開きながらも、迎撃しようとする。だが、陽和の方が一瞬速かった。

 

火華(ブレイズ)ッッ!!」

「がっ、はぁっ!?」

 

火炎の華が咲く。

メルドの腹部へと陽和の燃え盛る炎の右腕が叩き込まれ、炎がメルドの腹部で爆ぜて彼の鎧を焼き砕きながら大きく吹き飛ばした。

メルドは受け身も取れずに地面を転がる。

 

「ごほっ、ごほっ…ぐぅ、ぁっ」

 

咳き込み、腹部を焼く痛みに顔を顰めながら、今の魔法の特性に気づいた。

 

「なる、ほど……炎を爆発させる、付与魔法、なのか……それは、確かに違うな。しかも、威力も、桁違いだ」

「そういうことだ」

 

“スカーレット・アルマ”はただの火属性の付与魔法ではない。

火華(ブレイズ)』という鍵となる一言詠唱を唱えることで、指定した部位の炎を収束させて爆発させるという特性を持つ。

その爆発を移動に用いれば、強力な加速となり、攻撃に用いれば強力な打撃にもなる。白兵戦での近接戦闘能力を飛躍的に向上させる付与魔法なのだ。この魔法を知っているのは雫とレイカのみ。

そして、これを使ったということは早々に決着をつけることを意味している。

 

(そろそろ、この異変に騎士達も気付き始めた頃合いだな)

 

周囲に耳を済ませば無数のざわめき声が聞こえる。おそらくは、戦闘の爆発音などで巡回の騎士達が気づいたのだろう。“気配感知”の技能でこちらに近づく複数の気配も感知できている。

それに、真夜中の暗闇で炎が燃え盛っているのだ。気づかないはずがない。火属性魔法の規模や爆発音、それらがあれば騎士達が気付くのも時間の問題だった。

そしてここまでは()()()()にことが進んでいる。

 

(今はいわゆる前準備の最終段階だ。この後の段階が一番大変なんだがな……)

 

そう心の内で呟きながら、陽和はメルドへと意識を向ける。メルドは既に立ち上がっており、陽和へと剣を構えていた。

既に満身創痍に見えるメルドを陽和は冷ややかに見ると、冷酷さすら感じさせる視線とは裏腹にメルドを称賛する。

 

「さすがは騎士団団長。これくらいの猛攻ならば耐えるか」

「当、然だ。…ハイリヒ王国の……騎士団団長の意地を…舐めるなよ?」

 

メルドは息も絶え絶えに、不敵な笑みを浮かべてそう告げる。しかし、既にメルドは満身創痍だ。本来ならば倒れていたって不思議ではない。それでも、騎士団団長の意地が彼を立たせていた。

 

「ッッ‼︎‼︎」

 

陽和は瀕死の身でそれでも尚自身の前に()()()()()()()()()()歴戦の猛者に、そしてこの世界での最高の師との決着をつける為に、夜天を震わせる程の裂帛の咆哮を上げてメルドへと襲いかかる。

 

「……はあああああああああああああああ—————————ッッ‼︎‼︎‼︎」

 

メルドもまた、剣を構えて陽和の猛攻を迎え撃った。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオ—————————ッッ‼︎‼︎‼︎」

 

そして始まる、最後の熱戦。

火花を散らし、銀と紅の剣が何度も金属音を鳴らしながら打ち合う。

銀閃と火炎が無数の軌跡を生み、お互いの肉体に少なくない傷を刻み込んでいく。

 

(あぁ、本当に強くなったな。お前は……)

 

斬り結ぶ中、メルドは心の内で笑う。

彼は、既に自分が一対一では勝てないほどに強くなっていた。

今までの模擬戦では二人は魔法は使わずに剣技のみで戦っていた。そして今日の昼ついに陽和はメルドに勝ち、剣技においてほぼ互角となっていた。だが、魔法の腕に関しては既にメルドを超えていたのだ。

 

故に、歓喜した。魔法と剣技、全てを使う戦いにおいて、陽和はメルドを凌駕する戦士に育ってくれたのだと。弟子が自分を超える。それは師として何より嬉しい事だった。

それに、今の陽和は普通よりも強い。ただの模擬戦ならば、もしかしたら勝てたかもしれないが、これは、この戦いは、陽和が男の意地を賭けているのだ。ただの模擬戦ではなく、間違いなく決闘に類する戦い。

 

見届けるものはお互いしか居らず。その真意も決闘からは程遠いかもしれない。

誇りや矜持もなく、あるのはただの男達の意志と意地のみ。

だが、それでもこの二人にとっては間違いなく、決闘だった。

 

負けるわけがない。負けるつもりなどありはしない。ただ———勝って、前へと進む。

 

これは、その為の戦いだ。

この戦いが、いくら()()であったとしても、陽和は一人の武人として全力を賭けて戦っている。

ならば、メルドもまた同じ武人として、全身全霊を賭けて戦おう。

 

 

なぜなら、これが、これこそが自分が彼にしてやれる最後にして最高の手向けなのだから‼︎‼︎‼︎

 

 

「ゼェァァァアアアアッッ‼︎‼︎」

「オオォォォォォォォッッ‼︎‼︎」

 

雄叫びをあげながら、お互いが殺す気で剣を振るい壮絶な速度で斬り結んでいく。

無限に続くかと思われた剣戟の嵐。

だが、それは唐突に終わりを告げた。

 

火華(ブレイズ)ゥゥッッ‼︎‼︎」

「ぐぅッ‼︎」

 

炎剣に宿る火炎が爆ぜてメルドを怯ませる。

怯んだその一瞬の隙をついて、陽和は爆破で加速させた火炎纏う左脚を振り上げて、メルドの両手から剣を蹴り弾く。

両腕を強制的にあげさせられ、大剣がメルドの手から溢れ後ろへと弾きとばされる。

 

「しまっ…⁉︎」

「はあああああああッッッ‼︎‼︎‼︎」

 

剣が手から離れ青ざめるメルドに、陽和は雄叫びをあげ炎剣を掲げると、大上段から一気に振り下ろし袈裟斬りを放つ。

火炎の剣は、メルドの鎧を難なく焼き切り、その左肩から腹にかけて深い裂創を刻んだ。傷口からは血が溢れ、メルドの口からは苦悶の声と血が吐き出される。

 

「がはっ——‼︎‼︎ぐっ、———っ⁉︎」

 

メルドは口から大量の血を吐き出し、胸の傷を抑えながら、後ろに大きく倒れる。

鋭い激痛と、全く動かない体にメルドは己の敗北を悟った。

そんな彼に、陽和は静かに見下ろしながら言う。

 

「俺の勝ち、ですね」

「ああ、私の、完敗、だな……」

 

メルドはそれに力無く笑いながらそう答えた。

その事実上の敗北宣言に、火炎纏う若き戦士は、口唇の端を持ち上げ笑うと、頭上の月を仰ぎ見る。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッ‼︎‼︎」

 

上げたのは、凱歌のような勝鬨の雄叫び。

夜天を貫く雄叫びは、間違いなく周囲の注意を集めてここへと呼び集めてしまうものだったが、それでも陽和は叫んだ。

自分の勝利を知らしめる為に。

自分の命運を決定づける為に。

 

「なっ、これは、一体なにがっ⁉︎」

 

タイミングがいいのか悪いのか、陽和達がいる訓練場に騎士達が到着する。

騎士の一人が、訓練場に広がる惨状に目を見開き、動揺の声を上げる。

そして、ローブを纏い四肢に火炎を宿す陽和と、彼の足元に斃れ伏すメルドの姿を視界に収めた。

 

「メルド団長⁉︎貴様っ、何者だっ‼︎‼︎」

 

メルドに全員が気づいたのだろう。

騎士達全員が剣を鞘から抜き放ち、殺気と敵意を膨れ上がらせる。

今にも斬りかかりそうだが、仮にも王国最強のメルドが倒れている事、この訓練場の惨状を引き起こしたのがこの男にある事を理解しているのか、全員が遠くから出方を窺っていた。

炎が揺らめいていて、なおかつ背を向けているせいで、陽和の顔は分からないのだろう。正体がバレると思っていた陽和は、都合がいいと笑みを浮かべると、“炎刃”だけを解き剣を鞘に収め片手でフードを深く被り顔を隠しながら、淡々と答えた。

 

「邪竜の後継者」

「なっ」

 

その言葉に、騎士達は驚愕する。

だが、その驚愕をよそに陽和は徐に右腕を掲げると短く詠唱を唱える。

 

「——爆ぜろ。“炎弾”」

 

直後、彼の頭上に現れるのは三十もの炎の魔弾。夜天に突如現れた始原の煌めきを宿す炎弾の群れに騎士達が青ざめる中、陽和は躊躇なくそれを放つ。

 

「ッッ、退避ぃっ‼︎‼︎」

 

騎士が血相を変えて叫び、他の騎士達が回避行動を取る中、彼らの眼前の地面に炎の魔弾は降り注ぎ大爆発を起こす。

 

「くそっ、これじゃ中にいけないっ‼︎」

「誰か、魔法師を呼べ!水魔法で火を消すんだっ!」

「水を汲んでこい!急げ!」

 

炎弾が陽和達を囲むように放たれた事で、騎士達は陽和達の元へは行けずに、立ちはだかる炎の壁を前に立ち往生するしかなくなるだろう。

逃げるならば、消火される前の今しかない。

そう判断し、陽和は倒れているメルドと一瞬視線を交わすと彼の側を通り立ち去ろうとする。

その時だ。

 

 

「——————行ってこい」

「ッッ」

 

 

メルドが小さく呟いた言葉に陽和は思わず足を止めて一瞬、目を見開き、次いで穏やかな笑みを浮かべ、力強く頷いた。

 

「……はいっ!」

 

そして陽和は足の炎を爆発させて勢いよく跳躍し訓練場の柱の一本に乗るとその場を後にした。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

「くそっ、どこに行った⁉︎隈無く探せ!」

「メルド団長がやられただとっ⁉︎無事なのかっ⁉︎」

「非番の奴らも叩き起こせ!全員不審者捜索と警備を‼︎」

「何がどうなってんだっ⁉︎まさか、魔人族の襲撃なのかっ⁉︎」

「装備を整えて馬を用意しろっ‼︎早く賊を捕らえるんだっ‼︎‼︎」

 

 

背後から聞こえる騎士や兵士たちの怒号を聞きながら、陽和は次のポイントへと“身体強化”と“縮地”を使って急ぐ。

“スカーレット・アルマ”は夜闇では目立ってしまうので既に解いている。

魔力消費を抑える為にメルドとの戦いで負った腹部の傷だけを魔法で治癒した陽和は先程の戦いを走りながら思い返す。

 

「ったく、メルド団長本当に強かったな」

 

冷や汗をうかばせながら、それでも笑みを浮かべて心底楽しそうに呟きながら、夜の王宮を駆け抜ける。

 

(作戦は上々。メルド団長との『茶番』も成功した。あとは、ここから無事逃げてホルアドに辿り着く事。それが、完全成功の条件だ)

 

陽和とメルドの死闘。

それは、偶然ではなく、どちらかの片方の意思が介入したわけではなく、両者の意思によって作り上げられた必然であり茶番なのだ。

 

陽和が無事に逃げれて、メルドも罪に問われなくする唯一の方法。

 

それが先程の二人の死闘だったのだ。

 

身の危険を感じた陽和が王都から無事逃げ切る為に、見回りをしていた王国最強であるメルドを闇討ちして殺す、あるいは無力化して逃げるという筋書き(シナリオ)

二人が本気で殺し合い、勝ち負けのどちらに転がったとしても陽和と敵対したメルドは必然的に容疑者から外される。

故に、メルドが幇助行為をし処罰を受けるという未来は回避できるのだ。

 

劇場は先程の訓練場。証人ならぬ観客は最後の最後に来た騎士達。メルドと陽和は主役と悪役となり殺し合う。血が飛び散り、炎が踊り狂い、雄叫びが鳴り響く、残酷な殺陣のクライマックスに、劇場に来た騎士達は目の当たりにするのだ。

 

陽和がメルドを斬り、決定的な『悪』となる物語の結末を。

 

そうする事で、騎士団団長という『正義』の男が倒れ、立っている陽和が『正義』を斬った『悪』となるのだ。

 

陽和がメルドに提示した作戦には、そういった目的があったのだ。

しかし、その戦い自体は適度に戦い最後にメルドが斬られて終わりというわけではなく、陽和がメルドと本気の死合をしたいと望み、本気の殺し合いになった。

そしてその結果、本気の勝負に陽和は見事勝った。

メルドも決して浅くはない傷を負い、治療が必要なほどの傷を負った。

 

作戦の結果としては、最高と言えるものであり、作戦の第一段階は大成功を収めたと言えるだろう。

そして大変なのはここからだ。

今、陽和はメルドが用意した道具を乗せた早馬が置かれている場所に向かっている。

そこから、馬に乗り王都を脱出するのだが恐らくはここが最大の難所だ。

馬を走らせればどうしても気付くものがいるだろう。そして意図していたとはいえ、多くの騎士達が夜の王宮を駆け回っている。気づかれれば追っ手を差し向けてくるのは間違いない。

それらをいかに掻い潜り、なおかつ王都からうまく脱出する。それが肝だ。

ここで、追いつかれて仕舞えば全ての作戦が泡になってしまう。

ここからは完全に運頼みの作戦だ。

 

……とはいえ、すぐに追っ手が差し向けられるとは限らない。彼らを足止めする仕込みを陽和は既に行っているのだから。

 

やがて、陽和は訓練場とは反対側の西側に赴き囲う塀を飛び越えて、王宮の外へと飛び降りる。

塀の側に目的の馬がおり、黒い毛並みの大型の馬が一頭地面に座っていた。

 

「この馬か……」

 

馬には鞍の後ろには小さいバックパックが取り付けられている。メルドが言っていた道具だろう。目印である手綱に巻かれている赤い紐もあるから、この馬で間違い無いはずだ。

 

「短い間だが、よろしく頼む」

 

陽和は馬へと近づき、そう呟きながら首を優しく撫でる。

 

「ブルル」

 

馬は陽和を一瞥すると短く鳴いて耳を揺らすと陽和に身を委ねる。見かけとは裏腹に大人しい馬だ。鞍には馬の名前が刻まれており、『グレイル』とあった。

 

「よっと、じゃあ行くか。グレイル、頼むぞ。…ハァッ!」

 

陽和は鐙に足をかけて鞍に跨り、手綱を手に取り馬を立ち上がらせると、掛け声と共に腹を蹴って勢いよく走らせた。

馬は大きく身を反らし、嗎き声をあげると勢いよく駆け出す。

 

「うぉっ、ハハッ!早ぇなおい!」

 

予想以上の速度に陽和は思わず驚いて笑ってしまう。大迷宮から急いで帰ってきたときに乗った高速馬車よりも早い。

この速度ならば、予定よりも早くホルアドに着くことができるだろう。

そしてそのまま陽和は馬に乗って小さい路地を通りながら、メインストリートへと続く道へ出る。メインストリートへと出た瞬間、遠くから声が聞こえた。

 

「いたぞ!あそこだ!」

「すぐに馬を出せ!追うぞ!」

 

どうやら塀の上にいたであろう兵士達が陽和が馬に乗って逃げることに気づいたのだろう。

これから兵士達は騎士団などに報告して、馬に乗って陽和を追いかけようとするはずだ。

だが、それは不可能だろう。なぜなら、

 

「無駄だ。馬は起きねぇよ」

 

馬は全て陽和の工作によって使い物にならなくなっているのだから。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

その頃、王宮内では陽和が仕掛けた事前工作が実を結んでいた。

 

「賊は馬に乗ってメインストリートを移動中とのことだ!決して逃すな!必ず捕まえろ!」

 

騎士団団長であるメルドが重傷で医務室に運ばれ不在の今は、騎士団の副団長であり、同時にメルドの腹心の部下でもあるホセ・ランカイドが全体指揮を請け負っている。

鋭い怒声と殺気とも取れる覇気で騎士達に次々と指示を出している。

そんな中、一人の騎士が青ざめた顔でホセへと駆け寄った。彼は厩舎に馬の準備に出向いていた騎士の一人だった。

 

「ホセ副団長!大変です!」

「何があった⁉︎」

「馬が魔法で眠らされているようで、一向に起きません!これでは馬で追うことは不可能です‼︎」

「なんだとっ⁉︎」

 

ホセは目を見開く。

そう、陽和はメルドと戦う前に厩舎へと赴き馬を全て状態異常系の魔法である闇魔法で眠らせたのだ。

これが、陽和が行った仕込みだ。

メルドと戦い陽和も消耗しているのは確実で、いくら早馬に乗ったとしても騎士達の追撃は避けたかった。

ならば、その為にもその足となる馬を事前に眠らせて封じることで自分が十分な距離まで逃げれるよう時間稼ぎを目論んだのだ。

 

そして、その時間稼ぎの工作は見事実を結んだ。

馬が起きない以上、早馬に乗った陽和の追跡は不可能。急いで魔法師達に闇魔法の解除をさせるしか方法はない。しかし、それすらも時間はかかるだろう。

そこまで考えてホセは気付く。

 

「まさか、全て想定済みだとでもいうのか⁉︎」

 

ホセは顔のわからない賊の用意周到さに戦慄した。

賊はメルドを闇討ちしようとした以上、消耗は避けれないと考えたはず。

消耗した状態では、騎士達の追撃を避けれないかもしれない。もしかしたら、逃走半ばで騎士達に捕まってしまうかもしれない。だからこそそれは避ける必要がある。

そして、厩舎には数十頭の馬がいる。その全てに掛けられた闇魔法の解除は魔法師団の魔法師達であっても時間がかかるだろう。

となると、賊はそれを全て見越して手間がかかるとしても馬を魔法で眠らせたのか。

 

「なんてことだ」

 

その見事な手際にホセは畏怖すら覚えた。

ここまでの策を思いつき、尚且つメルドを正面から打倒できる存在がいようなど冗談としか思えないのだ。

 

「仕方ない。魔法師達は魔法の解除を最優先で行え。そして、敏捷が高い騎士達を中心に身体強化魔法で強化し、門へと向かい賊を追え。通信用アーティファクトで外壁の兵士達に通達し、誰も外に出さず、怪しいものがいたら、誰であろうと取り押さえるよう伝えろ。急いで取り掛かれ!」

「はっ!」

 

ホセの迅速な指示に騎士は従い、その場を後にする。そして今度は、他の騎士がホセへと近寄り耳打ちする。

 

「ホセ副団長。気になる報告が」

「なんだ?」

「例の賊なのですが、どうやら去り際に自分の事を『邪竜の後継者』と名乗ったそうです」

「何だと?」

 

思わずホセは己の耳を疑った。

『邪竜の後継者』

魔人族の暗殺者とは名乗らずに、自らをそう名乗った。他の者ならばそれが敵を惑わせる作戦の一つなのかも知れないと訝しんだろう。

だが、ホセはその可能性を迷わず切り捨てて、その賊と思しき人物をたった一人に絞った。

 

なぜなら、彼も夕方の会議にメルドと共に参加しており、ある一人の少年が邪竜と関係があるかもしれないと疑いがかけられているのを知っていたからだ。

 

(彼ならば……出来るかもしれない)

 

そして、信じたくはないがこれらのことを彼が行ったと仮定すれば全て辻褄が合うし、納得できる。

メルドを打倒できるほどの剣技と強力な火属性魔法の使い手。そして、短時間で馬を全て昏倒させれるほどの高い闇属性魔法も使える者。

それは、その属性魔法に高い適性があるからこそできる者。

そして、メルドと剣で互角に戦えるものなどこの国には一人しかいない。

そして、火属性を最も得意とし、闇属性にも高い適性を持つ存在。尚且つ、これだけの作戦を考えつく頭脳を兼ね備えた知力と武力共に秀でて『邪竜』と関係がある者など『彼』しか思いつかなかったのだ。

 

「本当に……君なのか?」

 

彼を自分は知っている。

神の使徒の中で最強の実力を有し、尚且つ聡明な頭脳をも兼ね備えた存在。

そして誰よりも心優しく仲間想いな少年だ。そんな彼がこんな凶行に及んだとは正直、信じられない。何か裏があると願いたかった。

 

ホセは愕然とした表情で門のある方向を見ながら、彼の名を呟いた。

 

 

「……陽和君」

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「王宮から通信が来た!賊が今王都を逃走中とのこと!門を封鎖し、警備を固めろ!」

 

外壁は喧騒に包まれていた。

王宮内に設置されている通信用アーティファクトから、一連の事件の報告を受けた彼らは、ホセの指示に従い門を封鎖し、厳戒態勢をしいていた。

門付近に兵を集め、門前で兵が何人か隊列を組み、門の上では射手隊と魔法師部隊が遠距離での攻撃を準備し、ここに来るであろう陽和を待ち構えていた。

 

「来たぞ!」

 

門の上で待機していた部隊長が声を張り上げる。指を差した方を見れば、月明かりの下、メインストリートを黒い馬に跨り疾走するローブを纏う陽和の姿が見えた。

 

「射手隊矢を構えろ!魔法師部隊は詠唱始め‼︎」

 

隊長の指示に従いよく訓練されたのであろう兵士たちが淀みない動作で矢を番え、詠唱を始めていく。そして陽和が射程圏内に入った瞬間、隊長は声を張り上げた。

 

「矢、放てぇ‼︎‼︎」

 

その声を合図に、数十本の矢が陽和達へと襲いかかる。矢が迫る中、陽和はグレイルの首を優しくさすりながら、告げる。

 

「グレイル、お前は何も気にしなくていい。ただ走り続けろ」

「ブルルル」

 

陽和の言葉が通じたのかはわからない。だが、陽和の言葉に耳を傾けていたグレイルは一つ鳴くと、そのまま速度は緩めずに城門へとまっすぐ突き進む。

大人しいとは思っていたが、同時にとても勇敢なようだ。何とも頼もしい馬だと陽和は笑みを浮かべると右腕を前に突き出して素早く詠唱を唱える。

 

「散らせ!“風壁”‼︎」

 

たった二言で発動された強力な風の障壁は矢の悉くを弾いていく。しかし、矢を弾いた瞬間、今度は無数の魔法が襲いかかった。

 

「魔法、放てぇ‼︎‼︎」

 

炎弾や、氷槍、風刃など無数の魔法が矢を弾いた陽和達へ襲いかかる。だが、陽和は全く動じずに腕を突き出したまま次の魔法を詠唱した。

 

「稲妻よ、誰よりも早く駆け抜けろ‼︎炎よ、いかなる敵をも打ち砕け‼︎“ファイア・ボルト”ォォッッ‼︎‼︎」

 

咆哮と共に放たれるのは緋色の光。

掌からは紅緋色の炎雷が放たれ、無数の魔法へと稲妻のように駆け抜ける。

紅緋色の炎雷が無数の魔法へと着弾した瞬間、眩い爆光が炸裂しその全てを爆砕した。

 

「なっ」

「う、うそだろ…」

「一撃、で……」

 

放った魔法の群れがたった一人の魔法によって全て打ち破られた光景に、兵士達は絶句する。

兵士達が使ったのは中級と下級魔法だ。詠唱が短い分、威力は低いがそれでも数が集まれば一個人が相手ならば蹂躙できるはずだった。

 

しかしそもそも、その相手が悪かった。

神の使徒内で最高のチートステータスを持ち、尚且つその実力もチート筆頭。さらにはオリジナルの魔法を開発してしまう魔法の才能まで有している男だ。

ステータスの1割にも満たない程度の、並の兵士如きが敵う相手ではないのだ。

そして今使われた魔法もまた“スカーレット・アルマ”同様陽和が開発したオリジナルの攻撃魔法。

 

火・雷複合魔法“ファイア・ボルト”。

 

三節の詠唱。それだけならば中級魔法に分類されるが、速度は光速であり、威力は見ての通り上級クラス。作った陽和自身もその威力に驚愕した強力な攻撃魔法だ。

しかも、中級であるために燃費もいい。それに込める魔力量によって威力も調節できる。チート魔力の保有者である陽和ならば、高速魔力回復の技能も合わさって何十発でも連発できる使い勝手のいい魔法なのだ。

陽和は一度手綱を引いて立ち止まると、今度は全ての兵士達に向けて一気に魔法を放つ。

 

「爆ぜろ。“炎弾”。迸れ。“雷弾”」

 

陽和の頭上に紅蓮の炎と緋色の雷の球体が生まれる。その数、およそ六十。

兵士達がギョッと目を剥き、青ざめる中、その無数の魔弾が彼らに襲いかかった。

彼らが対抗しようと結界などの防御系の魔法の詠唱を始めるも、それよりもはるかに早く魔弾は彼らに着弾した。

 

「「「ぐああああああぁぁぁっっ‼︎‼︎」」」

 

直後、火炎の華を無数に咲かせ、雷を辺り一帯に迸らせる。爆ぜる炎雷のせいで様子はわからないが、中から聞こえる悲鳴から陽和は中の様子を判断した。

やがて、爆煙が晴れた後、全ての兵士が地面に倒れ伏していた。門前で隊列を組んでいた兵士達は一様に雷撃によって体が痺れて地面の上で無様に這いつくばっている。

壁上の兵士達もまた、炎撃による壁の崩落に巻き込まれている。

“気配感知”で死人は出ていないことは確認できたが、全員がしばらく動けないほどのダメージを負っていた。その様子を見て、無力化できたと判断した陽和は、今度は自分の眼前に立ちはだかる門へと視線を向ける。

 

「あとは、こいつだけか」

 

高さは7mはあろう立派な鉄と木で作られた門。王都に相応しい大きさと強度を誇るであろうそれは、生半可な攻撃ではびくともしないだろう。

たが、陽和ならば一人で破壊できる。再び右腕を前に突き出して、詠唱を唱える。唱えるのは先程の“ファイア・ボルト”だ。

 

「———“ファイア・ボルト”ォォッ‼︎‼︎」

 

先程よりも魔力がこめられ大きさと威力を増してた炎雷の一撃が、裂帛の声と共に解き放たれ、門を容易く破壊した。

轟音が響き、門が砕け、外への道が開ける。

 

「よし、開いた」

 

障害を完全に取り除いた陽和は満足気にそう呟いた。そして、周りで倒れ伏す兵士達の様子を見渡すと徐に懐から折り畳まれた十センチ四方の魔法陣が刻まれた紙を取り出して詠唱を唱える。

 

「もの皆、その腕に抱きて、ここに聖母は微笑む。“聖典”」

 

その言葉とともに、発動されたのはあろうことか光属性の最上級回復魔法“聖典”。瞬く間に朱い光の波紋が広がり、範囲内にある傷ついた兵士達全てに強力な癒しをもたらしていく。

陽和とて初めから殺す気はない。だが、いくら無力化するとはいえ流石に今のはやり過ぎた。

もしかしたら、今は重傷で止まっていても、救援が来る前に死んでしまう者が出るかもしれないと危惧し、少し動ける程度まで回復させたのだ。

次々と兵士達は傷が癒えて、なんとか体を動かせるようになっていた。彼らは横になりながらも自分の体を不思議そうに見回したあと、次いで陽和に困惑の視線を向ける。

 

(これで少しは回復できるだろう)

 

彼らの視線に特に反応することはなく、兵士達の回復具合を見た陽和はそう判断する。

その時、門の傍にある無数の家屋の窓や扉から住人達が顔を覗かせ、あるいは出てきた。

さすがにこうも連続で戦闘音が響けば、否が応でも起きてしまうのだろう。

住人達は門の方を見て大量に倒れている兵士達を見てどよめきの声をあげる。

 

更にメインストリートの奥を見れば、こちらに走ってくる騎士達の姿が見える。

馬が使えない為、身体強化魔法を使ったのだろう。普通に走るよりも速い速度でこちらに迫ってきていた。

 

「………チッ、もう来たか」

 

陽和はそれらを見るや、フードを深く被り直すとグレイルを走らせ急いでその場から走り去った。

そして離れていく陽和の背中を、少し回復した兵士達は住人に手を借りて立ち上がりながらも、困惑の視線を向けていたのを陽和が気付く事はなかった。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「……外壁警備に当たっていた分隊長から報告です。門は破られ賊を取り逃したとのことです」

「……そうか」

「あと、兵士は全員が負傷しましたが、今は動ける程度に回復しているようです」

「あぁ、分かった」

 

ホセはアーティファクトを介して状況報告を受けた騎士の報告を受けて、小さくため息をついた。

警備兵が敗れ、城門が突破されることは半ば予想はしていたが、それが実際に行われたこと、それにかかった時間が短すぎることに、やはり彼が相手では並の兵士では足止めすら無理だったかと、ため息をつかずにはいられなかった。

 

「魔法の解除の方は?」

「まだ7割以上が眠ったままです。今起きている馬だけでも出して追いかけますか?」

「……いや、出さなくていい」

 

ホセは追撃の具申を却下する。

今から追いかけても間に合わないと確信したからだ。それに間に合ったとして、少数の騎士達だけで彼に勝てるとは到底思えない。

だから、ホセは独断で追撃をやめさせた。

 

「追撃はしなくていい。我々はこのまま王都の防衛を行う」

「よろしいのですか?」

「ああ、構わない。メルド団長を打ち倒した相手だ。精鋭が相手でも敵わないだろう。ならば、悪戯に騎士達を死なせるわけにもいかない。それに、今追いかけたところで行方がわからない以上、追っても無駄だ。

我々は今夜このまま王都の防衛を固める。ともすれば、混乱に乗じて魔人族が攻めてくるやもしれないからな」

「はっ!」

 

ホセの的確な指示に騎士はそう答えると、次の報告を続けた。

 

「それと、副団長。もう一つ報告が」

 

騎士の困惑した表情に、ホセは訝しみ続きを促した。

 

「話してくれ」

「はい。何でも賊は兵士達を魔法で迎撃し確かに負傷を負わせましたが、その後、驚くべきことに“聖典”を使い自分が負わせた傷を癒したそうです」

「賊がか?」

「はい。その賊がです。奇妙ではありませんか?」

「ああ、奇妙だ」

 

ホセは騎士の意見に同意だと頷く。

なぜわざわざ攻撃して傷つけた相手を、そのまま放置などせずに治癒などしたのか。しかも魔力消費の大きい最上級魔法を使ってまで。

ホセにはメルドを襲ったことといい陽和の真意が分からなかった。

 

「一体賊は、何が目的だったのでしょうか?」

「私にも分からない。ただ、無闇に人を殺すつもりはないのだろう」

 

騎士の疑問に、ホセは今までの状況からそう推測する。陽和に倒され重傷だったメルドも今は医務室に運ばれて治療を受けている。命に別条はなく、朝方には回復するとのことだ。

そして、門の兵士達も先ほど話した通り、陽和の治癒により回復している。その道中の住人も怪我人はおらず、住人が襲われる事態などは起きなかった。

そのことから、陽和は無闇矢鱈と人を巻き込まず、殺そうともしなかったことが窺える。

だが、それでもこの国の支柱的存在であるメルドを殺そうとしたこと、それ一点のみで全てが帳消しになってしまう。

それだけで十分に罪に問われることになってしまう。それをわかっているはずなのに、わざわざ兵士達を治癒したのはどう言った意図があったのかはホセ達にはわからなかった。

 

「これ以上、考えても無駄だ。君も早く持ち場につけ」

「はいっ。では、失礼いたします」

 

騎士はホセにそう答えると敬礼し、王都防衛のための持ち場へと移動した。そして、再び1人となったホセは考える。

 

(陽和君。一体、君は何が目的でこんなことをしでかしたんだ。……これではまるで……)

 

自分が『悪』だと言っているようなものではないか。

 

ホセはそう思わずにはいられなかった。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

「………追っ手は来ないか」

 

 

月明かりの下、広がる雄大な草原の只中にある街道をグレイルに乗って駆ける陽和は、背後を振り返り追っ手が来ていないことを確認する。

とりあえず、作戦は大成功を収めた。

メルドとの戦闘以外は割と運頼みだったが、どうやら自分の運は尽きていなかったらしい。

ここにきて、初めて陽和は肩の力を抜いて安堵した。

 

「はぁ〜〜、まじでどうなるかと思ったが、うまく行ってよかったぁ」

 

グレイルを走らせるのをやめ、歩かせながら陽和は安堵のため息と共に、心底疲れたように疲れを言葉にして吐き出した。

大きな難所と思われた門の前での戦闘や王都からの脱出もことの他楽に突破できた。

陽和は仕込みを行ってからずっと張り詰めていた緊張の糸を漸く緩めることができたのだ。

 

「あとはホルアドまでまっすぐ向かえばいいが……このペースだと、日が昇る頃には着きそうだな」

 

陽和は懐から地図を取り出し、星の位置を確認しながら現在の位置を確認する。

王都からしばらく速度を維持したまま走り続けていたからか、既に五分の一は通過していた。

今の時間と速度、途中のグレイルの休憩などを計算して、陽和は日が昇り始める頃にはホルアドにつけると判断した。

陽和は地図を仕舞うと、メルドとの戦いで消費した血液と魔力を回復させる為に、異世界製増血薬を噛み砕き魔力回復薬で流し込んだ。ただ、錠剤を薬品で流し込むということをしてしまったせいか、想定外の不味さに思わず吐きそうになる。しかし、なんとか耐え切って、ゴクリと飲み込んだ後、陽和は顔を顰める。

 

「うげっ、まっず…錠剤と薬品は一緒に飲んじゃダメだな、こりゃ」

 

そんな馬鹿なことを呟きながら、陽和は頬をパンと叩いた。

 

「よし、行くか!もうしばらく頼むぞ、グレイル!」

「ブルルッ!」

 

陽和はそう意気込み、グレイルに声をかける。グレイルは陽和の意気込みが伝わったのか、少し大きな鳴き声で返事をして、再び駆ける。

 

 

そうして走り続けること数時間。

大地から日が少しだけ顔を出し、空が青くなってきた頃。道中、グレイルの為に休憩を挟んだり、魔物と遭遇してそれを陽和が瞬殺したりと少ないハプニングに遭遇したものの、王都からの追っ手は一向になく、なんとか目的の地である【宿場町ホルアド】にたどり着いた。

 

「着いた……」

 

目的地に無事辿り着けたことに、安堵した陽和はそのまま町の中へと入るとある場所へ向かう。

向かった場所は、陽和達がホルアドで利用した王国直営の宿屋だった。

陽和はグレイルを止めて、下りると腰に乗せてあったバックパックを背負い、宿屋の扉を叩く。しばらくして、1人の初老の男性が出てきた。

 

「おや、使徒様。こんな朝早くにどうされましたか?」

 

既に陽和とは顔見知りである男性、この宿屋のオーナーであるダイン・リルオは誰何を問わずに陽和へと穏やかな笑みを浮かべて要件を尋ねた。

陽和もまたリラックスした表情で要件を切り出す。

 

「ダインさん、こんな朝早くに突然すみません。少し頼みたいことがあるのですが、構いませんでしょうか?」

「ええ、構いませんよ。この時間はもう起きて仕事をしているので。それで頼み事とは何でしょうか?」

 

ダインにそう尋ねられ、陽和は後ろのグレイルに視線を向けながら早速その頼み事を言った。

 

「俺はこれから大迷宮に潜るつもりなのですが、その間この黒馬、グレイルを預かっていて欲しいんです。もちろん、餌代など必要な費用は支払います」

 

そう言って、陽和は懐から白、黒、銀、金の三色の通貨がたくさん入っている袋を差し出す。ちなみにこの世界での通貨は冒険者ランクと同じように色によって貨幣価値を決めており、一、十、百、五百、千、五千、一万ルタとなっている。

つまり、白、黒、銀、金の通貨が沢山入っているということは数十万ルタはくだらない大金が入っていることになる。

陽和はこの数日の冒険者行で荒稼ぎした収入の一部である大金が詰まった袋をダインへと差し出したのだ。ダインは袋の中を見ると、血相を変えて慌てる。

 

「こ、これほどの大金は受け取れませんっ」

「いいえ、どうか受け取ってください。この馬にはそれだけの恩があるし、貴方にも短い間ですがお世話になったので、ほんの少しのお礼だと思って受け取ってください。お願いします」

 

陽和はそう真剣な口調で押し切り、頭を下げる。その様子に、ただならない何かを感じたダインは何を言っても返すことはできないと理解して、ため息をついた。

 

「……分かりました。貴方の気持ちを不意にするわけにも行きませんし、このお金は受け取りましょう」

「っありがとうございます」

「いいえ、ですがどうかお気をつけください。またご友人を探しに向かわれるのでしょう」

「えぇ、そうです。今度は長期間潜ろうと思っています」

 

ダインは陽和が大迷宮に潜る目的を知っているので、陽和もまた隠さずにそう答えた。

ダインはそれに微笑むと、馬を止めれる場所へと案内する。

 

「では、こちらへどうぞ。小さいながらも厩舎がございますので」

「はい。グレイル、行くぞ」

 

グレイルの手綱を引っ張り、陽和はダインの後をついて行き宿の裏手にある広場へと出る。そこは小さいながらも一時的に馬を置いておく厩舎になっていた。

今は馬は一頭もいないが、きっと新兵達の訓練で利用する際はここが一杯になるのだろう。そんなことを思いながら、陽和はダインの後を追い、厩舎の一つの前に着いた。

 

「この馬は大きめですので、こちらの厩舎でお預かりした方がよろしいでしょう」

「そうですね。では、お願いします」

 

ダインの案内に従いグレイルを厩舎の中にある一際大きい馬房の中へと移動させる。

馬房の中へとグレイルを移動させて、自分だけ馬房から出る。そうすると、グレイルは鳴きながら柵越しに首を伸ばして陽和に頭を擦り寄せる。

それは、まるで別れを惜しむようだった。

 

「ブルルル」

「グレイル?」

 

グレイルの様子に陽和が少し戸惑う中、ダインはその様子を見て微笑んだ。

 

「余程その馬に懐かれているようですね。長い付き合いなのですか?」

「……いえ、今日初めて会ったばかりですが……」

「そうでしたか。でしたら、貴方の人柄をこの馬は気に入ったのでしょう。初めて乗ったばかりでここまで懐かれるのは珍しいことですよ」

「………なるほど」

 

陽和はそう驚愕混じりに呟く。

馬や犬などはそう言った人間の内面に敏感だというのは聞いた事はあるが、まさか異世界でもそうなのかと少々驚いたのだ。

だが、それを理解すると陽和は穏やかな笑みを浮かべて、グレイルの首に右手を伸ばして、左手で額に触れながら優しく撫でると呟いた。

 

「グレイル、ここまで乗せてくれてありがとう。お前のおかげで、早く来れた」

「ブルルル」

「しばらくお別れになるが、それでもいつか会えたら、また背中に乗ってもいいか?」

「ブルルッ」

「……ああ、ありがとう」

 

グレイルに陽和の言葉が通じたかはわからないが、グレイルの様子から意志は伝わったのだと思い、陽和はグレイルに礼を言って離れる。そして、ダインに振り返った。

 

「ダインさん、俺はこれから大迷宮に潜ります。かなり長期間を想定していますので、もし俺がいない間に騎士団の関係者がグレイルを引き取りに来たら引き渡してください」

「騎士団に、ですか?」

「はい。グレイルは騎士団から借りてきた早馬ですので」

「そうでしたか。はい、分かりました。騎士団の方が来られ尋ねられたのなら、この馬をお渡ししましょう」

「ええ、有難うございます」

 

そう言って、今度こそ陽和はグレイルから離れて厩舎の外に出る。ダインも陽和に続いて外へ出た。そして外の通りに戻った時、ダインは彼を呼び止めた。

 

「使徒様…いえ、陽和様。僭越ながら一つよろしいでしょうか?」

「はい、何でしょうか?」

「貴方は自分の信念に従って進めばいいと私は思います」

「?それは、どういうことですか?」

 

ダインの突然の言葉に陽和は戸惑い首を傾げる。それに、ダインは「急でしたね」と苦笑いしながら話を続ける。

 

「どうやら貴方は、今とても大きくて重大な選択を迫られているように見受けられます。

ここへ朝早く来られたのも、何か理由があってのことなのでしょう」

「っ、それはっ……」

 

的確な指摘に陽和は思わず言葉を詰まらせる。そんな陽和に「宿屋のオーナーとして多くの客を見てきましたので」と穏やかに微笑みながら、言葉を続ける。

 

「きっと、貴方はこれから多くの苦難に立ち向かわなければならないでしょう。時には迷い、時には悩み、時には絶望し、最悪心が折れてしまうかもしれない。

ですが、それでも貴方が大事にする信念を信じて、その信念に従って強く、生きてください」

「…………」

「人は考えることができる生物です。だからこそ迷い、悩むことが出来るのです。

どうか、それを大事にしてください。自由な意思があるからこそ、人は道を選ぶことが出来るのですから」

「自由な、意思……」

 

ダインの言葉を思わず陽和は反芻する。

『自由な意思』

特に変哲もない言葉のはずなのに、陽和にはそれがひどく懐かしく、心のどこかで待ち望んでいた言葉のように聞こえたのだ。

反芻し呟く陽和に、ダインは「妻の家系のご先祖様からの受け売りですがね」と微笑んだ。それに陽和は首を振って礼を言った。

 

「いえ、とんでもないです。ダインさんのお話。とても参考になりました」

「ふふ、この老人の知識が貴方のお役に立てるのなら光栄です」

 

ダインはそう言って皺の刻まれた表情を嬉しそうに綻ばせる。そして陽和は彼に背を向ける。

 

「ダインさん、そろそろ俺は行きます」

「ええ、どうかご武運を。貴方の未来が、どうか()()()()()()()()()()()()()を、願っています」

「はい。ありがとうございます」

 

そう言って陽和はダインに見送られながら、オルクス大迷宮に向かうべく走り出した。

 

 

オルクス大迷宮の入り口付近の広場は、露店などが所狭しと立ち並んでいるが、まだ早朝ということもあって賑わいは見えず、店主達が開店準備を始めているところだった。

受付窓口も開いたばかりなのか、制服を着た女性や男性が準備をしていた。

陽和は少し慌ただしくなりつつある広間を通り、窓口で手続きを済ませると、一人大迷宮の中へと足を踏み入れた。

 

迷宮の中は、いつもと同じで酷く静かだ。

陽和は静寂に満ちた通路を駆ける。しばらく進むと、広間に出て、辺りの壁の隙間からわらわらと灰色の毛玉が、ラットマンが湧き出てくる。

ラットマンが縄張りに入ってきた闖入者に赤黒い眼光を向けながら、陽和へ威嚇する。

 

「あまり時間はかけたくないんだ。だから……」

 

陽和はそう低い声で呟き姿勢を屈めると、詠唱を始める。

 

「猛き狂える劫火よ。我が身を覆い鎧となれ。燃え滾り、咲き誇るは紅の火華(はな)。我が意志を力に、昇華せよ。灼熱の炎となり、数多を焼き尽くせ。“スカーレット・アルマ”」

 

詠唱を唱え、四肢に炎の鎧を纏うとぐぐっと両足に力を込めて、とてつもない覇気と殺気をその相貌に宿して叫んだ。

 

「そこを退けッ‼︎‼︎——火華(ブレイズ)ッッ‼︎‼︎」

 

言霊に応え、両足の炎が爆ぜて陽和の身体を勢いよく前へと加速させ、一条の閃光と化す。

 

「ギッ⁉︎」

「グギャッ⁉︎」

 

刹那、彼の前に立ちはだかっていたラットマンの群れは例外なく炎の尾を引いた閃光に砕かれ、悉くが炎に焼かれ灰となって崩れ落ちた。

 

 

瞬殺した魔物達には目をくれず、陽和は足の爆破加速を繰り返しながら一気に迷宮内を突き進んで行った。

 

 





ヒロインとにゃんにゃんして何がおかしいんだっ⁉︎(開き直り)
あと、旦那にキスをしてお見送りをする新妻みたいなのをイメージして書いたところあるんですが、あれで違和感ないですかね……(汗)。

いきなり脱線しましたが、今回陽和君は暴れましたねぇ。メルドさんとの激闘に、門の前での戦闘。この作戦の結果が残っている召喚組に、特に勇者笑にはどのような影響を与えるのか。見ものですね。

さて、それでは他作品ネタの説明を。
まず、陽和のオリジナルの火属性付与魔法“スカーレット・アルマ”。お気づきの方もいるかもしれませんが、改めて参考にしたのはダンメモのアリーゼさんの“アガリス・アルヴェシンス”です。“炎華”のスペルキーも同様です。
炎を纏うというシンプルなものですが、スペルキーを唱えて炎を爆発させるのもカッコいいですよね。

そして、皆さん何かいいたげであろう火と雷の複合魔法“ファイア・ボルト”。
………まんま、ベル君のファイアボルトですよ。はい。
代わりの名前が思いつかなかったんです。許して。
とまぁ、このようにダンまちやダンメモのキャラの魔法を使ったりしていますので、もしかしたら、今後もそう言ったものが出るかもしれませんなぁ。

そして最後に、ダインさん、貴方一体何者なんだ⁉︎






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