「ん……ここは……?」
朧げな意識を手繰り寄せ、鉛のように重い瞼を無理矢理こじ開ける。蛍光灯の白光が眩しく、思わず目を閉じてしまいそうになった。どうやら此処は雄英高校の保健室らしい。周囲を仕切るカーテンも、寝かせられたベッドも眩い純白で、自分が酷く重症の病人のように感じる。
美亜は気怠い体を起こし、霞んだ視界で身体を見下ろす。血に塗れた体操着は病衣に着替えさせられ、両血腕は二の腕まで包帯でぐるぐる巻きにされている。ただ、血腕の内部で素の腕は『再生』されているため、外傷は全く無い。
それでも意識が朦朧とし、頭には鈍痛が響く。精神的なものか、あるいは個性の暴走の代償か、何にしろ油断すれば再び気を失いそうだ。
「私は――」
あの時、黒く塗り潰され、侵されてゆく意識の中で、脳裏にフラッシュバックした無数の記憶。記憶と呼ぶにはあまりに断片的すぎるそれは、忘れたかった、封印していた過去。
「結局私は――あの時から何も、何一つ変わらないのか」
表情は変わらなくとも、その声には落胆の色が隠しきれない。乱雑に体をベッドに預け、真っ白な天井を見上げる。
「気分はどうだい?まさかまだ正気じゃない、なんて言わないだろうね」
カーテンが開き、リカバリーガールが顔を出した。こんな事態に慣れているのか、心配と呆れの混じった表情を浮かべている。その背後には、全身を包帯で巻かれた相澤が車椅子に座っている。
「リカバリーガール、相澤先生……今、どうなっているんですか?」
相澤は誰かにメールを送りつつ、ボソボソと事の顛末を話し出した。
「お前は棄権による敗退、決勝は爆豪と轟で爆豪の優勝だ。お前と飯田が三位だが……悪いな、表彰式はもう終わったよ」
「そうか、中止にならなくて良かった。体育祭は皆の目標だったから」
心から安心した自分に少し驚く。どうやらいつの間にか、体育祭に対して、それなりに思い入れを抱いていたようだ。だが、それも仕方のないことだろう。真っ直ぐに、懸命に上を目指す皆の、輝く眼差しを見てしまったのだから。
「相澤先生、大事な話がある。私は――」
その時、勢いよくドアが開かれ、オールマイトが飛び込んで来た。慌てたように周囲を見渡し、起き上がる美亜の姿を視界に入れると、分かりやすく安堵の笑顔を浮かべる。漫画やアニメのような彼の動きに、呆れた様な空気が流れ、場の雰囲気が少し和む。
「オールマイト先生、遅いですよ。呼んだらすぐ来てくださいと念を押したはずですが」
「いやぁ、すまない相澤くん。A組の皆を宥めるのに時間がかかってね。君からのメッセージってだけで、千染君の件だと気付くなんていい感をしているよ」
嬉しそうに笑うオールマイトは、ベッドの脇に相澤と並んで座り、美亜にもその笑顔を向けた。
「さて――千染君、気分はどうだい?見たところ怪我などはして無いみたいだけど……。すまなかったね。何分緊急事態だったから、多少荒技を使ってしまった」
「大丈夫です、見ての通り傷一つありません。私なんかの心配よりも……すみませんでした。暴走して、発狂して、皆に迷惑をかけた。先生が止めてくれなければ、私が体育祭をぶち壊すところでした。謝って済むとは思いません。ですが本当に……本当にすみませんでした」
頭を下げた美亜に、思わず2人は面食らってしまった。口から漏れ出た言葉は、感謝ではなく謝罪。後悔と苦難。競技中の暴走で多くの人に迷惑をかけた。当然謝罪して然るべきだか、彼女の性格上、ここまで正直に謝られるとは思わなかった。
「まぁ……あまり考えすぎるなよ。勿論反省は必要だ、明らかにお前の責任なんだからな。でも今は、二度と繰り返さなければそれでいい。幸い負傷者はゼロ、騒ぎもマイクがうまく抑えてくれている」
「そうだよ千染くん!それにこんな時は、ごめんなさいじゃなくて、ありがとうって言うものだよ」
美亜が下げていた頭を上げた。相変わらずの無表情だが、その眼が困惑で揺れ動いている。自分を許していいのか、オールマイト達の好意に甘えてもいいのか悩んでいるようだ。
「ですが――」
「ですがもだがもナシだ!いいかい、君達が未熟なのは当たり前なんだ。ついこの間まで中学生、個性もまともに使用したことがないんだから。だからこそ、そんな君達を支える為に私達教師がいる。もっと言えば、私達の背中を見てヒーローに憧れてくれたら、これに勝る喜びは無いんだけどね……。だから今回の件はこれでお終い。ただ未熟な生徒がちょっとお茶目をして、それを先生達が諌めた。後は……そうだね、千染君が今後の糧にしてくれたらそれでいいんだ」
やはりこの人こそNo.1ヒーローだ、相澤は改めてそう実感する。ユーモラスで常に笑顔を絶やさない。多くの人を救い、導いて来た太陽のような存在。誰もが憧れる、正に平和の象徴と呼ばれるに相応しい傑物である。
だからこそ、素晴らしい人物からの素晴らしい言葉だからこそ、美亜の心は晴れない。寂しそうに、何かを諦めたかのように目を瞑る。
相澤には美亜の気持ちが分かってしまう。彼女とって、彼の放つ光は眩し過ぎるのだ。そして彼に続こうとするA組の生徒達もまた、彼女にとっては余りにも眩しく、その心を焦がすのだろう。
「本当に――ありがとうございます。おかげで気分が軽くなりました」
ほんの僅かの間で思慮を巡らせ、開いた瞼から眼が覗く。きっと誰が見ても、今の言葉が本心でないと分かるだろう。たとえ無表情であっても。それ程迄に美亜の眼は哀しい光を放っていた。
いつの日か、オールマイト達の放つ輝きが、千染の心の闇を照らし尽くしてくれるのかもしれない。けれど自ら諦め、悟ってしまっている。このまま彼らと共に過ごす事で、その熱に心を焼き尽くされ、翼を失い地に打ち据えられる未来を。
(諦め、悲観、恐怖……こいつはもう……)
「オールマイト、相澤先生、本当にありがとうございました」
美亜が深々と頭を下げる。数拍の後に上げられたその眼には、覚悟の色が宿っていた。
「私は、雄英高校を退学します。短い間でしたがお世話になりました」
「なっ!どうして!?」
「私は――これ以上皆と共に居られない、居てはいけないんだと思います。
茜色の夕日が俯いた美亜の表情に影を作る。静寂に包まれた保健室で、彼女の独白がポツポツと静かに続いた。
「私が雄英高校に入学した理由は、自分の為だから。誰かの為に、多くの人を守りたくてヒーローを志している皆とは違う。私はただ……今の安寧を、平穏な生活を二度と失いたく無かった。強くなれば失わない、二度と奪われる事もない。だから私は雄英高校に入学した。皆とは違い、ただ自分のためだけに――」
美亜の表情が苦しそうに歪み、言葉が途切れる。ただ今の平穏な生活を守りたくて、その為の力が欲しくて。未来には一切目を向けず、ただ停滞を望む、その入学理由は余りにも異質で、他の生徒達の志とは明らかに違う。彼女の過去には、そんなことを願わざるを得ない何かがあったのだろう。
だからといって、相澤には必死に引き止めるつもりなど無い。結局、ヒーローの適正なぞは本人の意思によるものが大きいからだ。自らを危険に晒し、名も知らぬ誰かを守るために戦う。望まない人間がなっても、そこにはただ辛さと後悔だけが生まれるだろう。
「――ありがとう千染くん。君の本心が聞けて本当に良かった」
しかし意外にも、オールマイトが発した言葉は感謝だった。慰めでも悲しみでも無い返答に、思わず美亜は顔をあげる。そこにあるのは、オールマイトの満面の笑顔だった。
「自分には憧れも夢も無い、そう言ったね?」
「あぁ、何も無い私は……この場所にいるべきじゃない。それは貴方も分かっているはずだ」
「――あるよ、あるんだ千染君。胸を張って誇れる立派な目標が、輝かしい憧れが君にはある。ヒーローになりたい、それが全てじゃ無いんだよ。平穏な生活を守りたい、それだって立派な夢なんだ」
「それの何処を――何が誇れる!」
声を荒げた美亜、しかしその眼をじっと見つめ、オールマイトは笑顔を崩さない。優しい声色で語りかける。
「だって――君に救われた人がここに居るだろう?芦戸くんや緑谷くんから聞いたよ。あの時、命を賭して
オールマイトからの催促する目線に、相澤は溜息をつきながら答える。
「そうだな、確かにあの時は助かった。それに俺だけじゃ無い、生徒達もだ。お前がいなかったらどれ程の被害が出ていたか……」
その言葉に、オールマイトは嬉しそうに笑って美亜に向き直る。
「それに、平穏な生活を守りたいと願う君が、危険を承知で立ち向かったんだ。雄英高校での学校生活も――既に君の中で、守りたい大切な日々なんじゃないか?」
美亜の目がはっと見開かれ、湧き上がる困惑に視線が泳ぐ。自分は何故、あそこまで激昂し、必死に戦ったのか。未だはっきりしない感情の中、それでも一つだけ浮かんだ想いがある。
「そう……なのか……?私はあの場所で……。ただ力が欲しいだけじゃなくて、もっと何か別の物を求めて……」
美亜から紡がれる、本心へと繋がる言葉の欠片。笑顔で聞いていたオールマイトは、いい終わるや否や、より一層の笑みを持って返した。
「よし!その言葉が聞きたかった!いいんだよ、まだ分からなくて。本心はそうじゃないかもしれない。でも唯一分かることは、君は
千染の表情から、その眼の色から、徐々に諦めが去っていく。呆れるほど真っ直ぐな人だ、そう思って溜息を吐く。俺の溜息をどういう意味で取ったのか、オールマイトが恐る恐る、同意を求めるように此方を振り返った。
「はぁ……本当にあなたって人は。別に構いませんよ。雄英にいるからといって、必ずヒーローを目指せってわけじゃ無いですから。沢山のことを経験して、自分の道を探せばいい」
頭を撫でようとするオールマイトの手を、美亜が鬱陶しそうに払い除けている。だがその表情、わずかに緩んだ口元と赤味がかった頬。ほんの僅かな変化だが、それでも彼女の心に、僅かでも希望が差し込んでいる筈だ。
(強力な個性に不安定な精神……オールマイトが居てよかった。それに家に帰ればあの二人もいる。良い方向に向かっている筈だ、そうだよな……)
「美亜!」「美亜ちゃん!」
相澤がそんなことを考えていると、病室にその2人が飛び込んできた。よっぽど急いできたのだろう、息が切れて肩が上下している。
「みっ、美波さん、拳士もどうしてここに?」
「よっ、よかったぁぁぁぁ!」
相変わらず煩い拳士が、美亜に飛びつくと大声をあげて泣き出した。怪我人に飛びつくのもどうかと思うが――やっぱり学生の頃から、何も変わっていないようで安心する。そんな2人をそっと抱きしめる美波さんも。
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「本当にご迷惑をおかけしました。美亜が無事にいられたのは先生方のお陰です。ありがとうございました」
校門前、美波と拳士が深々と頭を下げる。美亜の傷は既に『再生』しており、精神面のケアのために家に帰す事になった。疲れているのか、美亜はひとしきり泣きじゃくる拳士をあやした後、気絶するかのように深い眠りに入ってしまった。今も迎えの車の後部座席で、呑気に熟睡している。
「大丈夫!全然迷惑だなんて思ってないよ!」
「まぁ……美波さんには世話になった借りがあるからな」
「そっか……、ありがとね相澤くん!オールマイト先生!」
頭を上げた美波が、輝くような笑顔を見せる。学生の頃から思っていたが、この人の笑顔は個性なのではないだろうか。黄金色の瞳に見据えられ、美しい笑顔を向けられてしまえば、心を許してしまいそうになる。事実、オールマイトは照れ臭そうに顔を背けているし、俺の顔も包帯で隠せてはいるが、間違いなく赤面している筈だ。
(はぁ……やっぱりかなわねぇな……)
ひとしきり謝罪と感謝の言葉を述べ、走り去っていく車を見送る。
「オールマイト先生、さっきの話は真実だと思いますか?」
美波達から伝えられた千染の『個性』、当の本人が眠っていた為真偽は確認できないが、千染があの2人に隠し事をするとは思えない。
しかし、その個性は思わず疑念を抱いてしまうほどのものだった。
「うーん、結局は本人にしか分からない事だからね。いや、もしかしたら――本人ですら理解していないのかもしれない……か?」
「それはどういう事です?」
「いや、何でもない。いいんだ、僕達に出来ることは信じること、導くこと、守ること、それだけだから」
曖昧な言葉を残し、校舎へと戻るオールマイト。明らかに何かを隠している、千染の個性を聞いて何を考えたのか。
(はぐらかされたな……オールマイトも、あの2人も、何を知っている。俺は何を知らない?)
「少し調べてみるか――はぁ、めんどくせぇな……」
そう呟いた相澤の声は、夜の空へと消えていった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
お久しぶりです。社会の荒波にボコされている夏秋冬です。
前回の投稿はいつだったのだろう――?
本話もかなり前にできていたのですが、微調整と確認をしているうちに5月になっていた……。幻術か……?
誰か妄想を文字に起こしてくれる機械作って下さい。
というわけで何とか体育祭編が終わりました。続いて職場体験編に入ります!
果たして美亜の職場体験先は?ステインは?そして現れる脳無とは……?
是非次話も読んでいただけると嬉しいです!よろしくお願いします!