南海講師の部屋を訪れた翌日。
「……」
南海講師にまた来るようにと言われたものの、休日であった。休みである。休み中は建物に入れないのであった。そのため、とくにすることも決まっておらず、私は午前中を体力練成に午後を軍の図書館で本でも読もうと決めた。
さすが、教育専門の場所というか規模の大きさに驚いてしまう。以前いたところは図書室が一室あったが、こちらは平屋の建物としての図書館である。
「すっごいよなー」
思わず、声にだして感心する。
体力練成を早々に終わらせてシャワーを浴びて……急いで向かった先は軍の図書館。時刻は午前10時少し前。入口には「open」の札がかかっている。
軍の図書室といっても貴重な資料はあるにはあるが、宝の持ち腐れのように本棚に片付けられていた。
ここの図書館もどちらかというと、ミリタリーオタクに軍の特定の研究者や学者にとっては貴重な資料がたくさん置かれているんだろう。お財布にお優しい。
しかし本を読まないであろ通常の軍人には存在を忘れ去られているだろうけど。
私は恐る恐る入る。
受付に男性職員が一人おり、本を読みながら欠伸をしていた。私に気が付くと一瞥するのみで、すぐに本に戻した。
館内には受付と読書をしているものの二人しかいなかった。
(え、珍しい······のかな? 図書室にいそうな人物には見えなかったんだけど)
本を読む彼は姿勢がしっかりと伸ばされており、真剣に読書に没頭しているだけだというのに古代の偉人が作った彫刻のようだった。
いつもむすっとして同期たちに「今の俺には髪がないから彼女ができないんだ······」と嘆いてはいるが、彼は目を疑うほどの眉目秀麗だ。
同期たちは誰も本人に伝えてないようだが。髪がないことを気にしてはいるが、20mmほど残っているし、十分におしゃれできる。他の同期に方法さえ教わればモテるだろうに。この教育間では髪型の指定はなかったというのになぜ坊主を選んだのか。疑問のひとつだ。
今回の審神者教育において全国から選出された軍出の審神者見習い十二名の内の一人。被教育者名、山国桐生。といってもその名前は偽物で十二人とも今教育では全員偽名を与えられており、その名を名乗るようになっている。他にも本名、年齢、所属部隊、出身等は各人秘匿するように命令を受けている。とりあえずは私の隣の席に座る男の子だ。
(課題とか真面目に取り組んでくれるから助かってるんだよな)
昨日は彼女に降られたとのことで意気消沈中であったが、いつもは仏頂面であるも気が利くし、私が女だからといって無理に気を使わないでいてくれるいい奴なのだ。
「おつかれ」
「おつかれ」
挨拶をすれば普通に返答がきた。そしてすぐさま読書に戻る。
この審神者教育がはじまってからまだ一ヶ月しか経過していないのだが、私自身の人見知りもあって今だに彼のことがよくわからない。
「昨日は調子が悪かったみたいだけど大丈夫?」
「ああ、昨日は迷惑をかけたな。もう大丈夫だ」
視線は動かずに、抑揚なくかえってきた。それにぐさりとくる。それは本に集中したいという合図というか、会話の拒否を示す肉体言語に近い。
(本好きなの? 昨日彼女に降られて落ち込んでたみたいだけど大丈夫? 元気だして!)
正直にいうと話しかけてみたかったけど、言葉がでてこなかった。なにより読書の時間を邪魔したくない。読書に夢中になっている相手に話しかけるのはよくない。挨拶ができたから十分だと考えて私は目当ての本を探しにその場から離れる。
自分の背丈よりも高い本棚にの中に囲まれ一息をつく。やらかしてしまったと額に指をあてて、自分のコミュニティ能力の低さが情けなくなってくる。
彼とはたいてい会話が一言二言で終了する。それは聞き上手でも話上手でもないという私の会話のスキルの低さにある。
仕事や調べものをしているときはそのほうがいいのだが、楽しそうに話している声が聞こえてくると何も悪いことをしていないのに落ち着かなくなる。
せっかく、十二名しかいない大事な同期なのだ。できるかぎり仲良くしたい。
読む本を探しながら、一冊ずつパラパラとめくってはこれじゃない。これを読もう、と今日の読む本を選んでいけばすぐに決まった。
うきうきした気分で、山国とは離れた机に本を置き、席に座る。軍の図書室には人が少なく広々と使えるのがとてもいい。私は早速一冊目を読み始めた。
気になった箇所、メモしておきたいページにはポケットからだした付箋を貼り、忘れないうちにノートにメモしたりと作業に没頭していく。
(この場所、静かでいいな。ここで課題もすれば集中してできる。)
そう考えながら、黙々と読んでは付箋をはりメモをしてとどんどん進んでいく。
読んでは捲っていき、付箋をはり、鉛筆を握る手の動きはずっと止まらない。
「なあ」
微かな小さな声が聞こえた。本から顔を上げると山国が横で立っていこたとに驚いた。
「どうしたの?」
「昼飯、一緒に食べないか?」
山国からのはじめての言葉だった。
「うん。いいよ」
なにも考えずに思わず、了承した。午後の予定もなく、同期と交流できることに嬉しくなったからだ。これをきに仲良くなれたらいい。
「片付けたら行くぞ」
「わかった」
山国は山国が座っていた席へと戻っていく。私も使っていたものを鞄にしまい、本を元にあった棚の位置に戻していく。壁にかかった時計をみると短針は午後の十三時過ぎを示していた。
片付けが終わると「行けるか?」と山国が後ろに立っていた。
「うん、お待たせ」
二人で図書館をでると、蝉の鳴き声が聴こえてきてぬるく湿った空気が全身にまとわりつきだした。
「暑いね」
「そうだな」
館内をでて一分も経たない内に、じわりとこめかみに汗が流れる。私はポケットからハンカチをとりだし、それをすぐに拭った。
「何食べる? がっつり系とあっさり系」
「あっさりしたものがいい」
山国は暑さを感じさせない顔をしてこたえる。
「そうだな。喫茶店でもいい? あ、行きたいお店あったりした?」
「とくに考えていなかった。決めてくれると助かる」
「わかった」
私はスマートフォンを取り出して地図アプリを開いた。目的地の座標を確認して歩き出す。すると山国も横に並んだ。
晴天で休日で人の多い街は、親子連れやカップルに友達同士と賑わっていた。制服か指定ジャージを着た部活帰りの学生たちは楽しそうに歩いている。
「昼過ぎだとやっぱり人が多くなるね」
「そうだな」
山国は人混みに馴れていないようで、たまに人とぶつかりそうになっては直ぐに避けている。どうやら人を避けるのは上手い。
「蝉、すごいね」
「普通だと思うが、こっちは数が少ないとおもう」
「へー山国は暑くないの?」
「とくに気にはならないな」
「そっか、私は暑くて仕方ないよ」
隣を歩く山国は涼しげだ。周囲の店に置かれているスピーカーから流れる大音量の音楽とすれ違う人の声に蝉の鳴き声がまざる。騒がしいのは苦手だ。じわじわくる直射日光に、クーラーの効いていた館内が恋しくなった。
目的の場所に近づいていくと、段々と喧騒は潜めていき人の数も少なくなっていく。
「静かになってきたね」
「ああ」
「もうちょっとでつくよ」
「そうか」
山国も人の波が小さくなり歩きやすそうに、抑えていた歩幅が大きくなっていく。私はそれに合わせるように歩数を増やした。
十四時少し前。ナビの示したお店にたどりついた。
始めてはいる店内は、皮張りのソファーと艶のあるテーブルのボックス席がいくつか。カウンター席にはカウンターチェアがあり、常連と見受けられる客が静かにコーヒーを飲んでいる。暖色系の淡いランプに照らされて部屋は全体的にオレンジ色に染まっている。
混雑のピーク時間は過ぎていたので、周りから離れた壁側の四人席に難なく案内される。皺のある皮のソファーに腰を落とすと包み込まれるような柔らかな座り心地に、癒やされる。
私が壁側、山国はその正面に座る。よく効いている空調が体の熱さを冷ましていく。
「お洒落だねー」
「ああ」
山国は表情を動かすことなく、ウェイトレスが置いていった冷水を飲む。
「ここ、パンケーキが美味しいみたい」
「そうか」
「最近人気なんだって、はいメニュー」
裏表一枚に料理の写真と注文できるものの一覧がラミネートされているメニューは二人分あり、一枚を渡すと「ありがとう」と丁寧に礼を言われる。
「どういたしまして」
私はお店を調べたときにメニューを決定していたため「決まったら教えて」とスマートフォンをポケットからだし、連絡がきていないか確認しようとメール画面を開いて
「決まった」
と山国の言葉で、出したものをポケットに戻す。
注文を済ませるとウェイトレスは丁寧にお辞儀をしカウンターへと下がっていった。
その下がっていく姿を確認し終え、山国は背筋を正して視線を正面にいる私に向けた。その切れ長の目力の強さにやられて、圧迫感がものすごい。緊張して背中がソファーの背もたれに隙間なくくっついた。鋭い眼光から避ける私を包み込んでは意味ない。私は向かい合わせではなく斜めに座れば良かったと後悔する。
山国は目にキリリと力をいれて口を開いた。
「昨日は本当にすまなかった。感謝している」
背筋を伸ばしたところで、昨日の件についてくるんだろうなと予想していたので
「気にしなくていいよ、同期だし」
そう言うと、眉が上がり信じられないという目で私を見た。
「昨日のあいつも同期だから大丈夫だ、と言っていた」
「そうなんだ。まあ、同期だしね。そうなるよね。そう言うんじゃないかな」
その日の日程が終了してすぐに飲みに行くと騒いでいた面々の顔を思い出す。外野、勝手に何を言っているのと内心突っ込む。
同じ軍出の者なら同期だからたいていのことは許す。いや、同期だからという理由は曖昧すぎる。言葉にはださずにいると、彼の次の一言に疑問を覚えた。
「正直、意味がわからない」
私も正直にいうと同期だから許すとういうのには甘えと思うときもある。定義が皆曖昧で皆一様に違う。
昨日は人前で発表することにイライラしていたが、今こうして一日過ぎればどうでもよかった。納得できないような彼に、私は提案をした。
「それなら昼食おごってほしい。それと次にまた発表があったら、発表するのはそっちね。それでチャラにするよ」
「……最初からそのつもりだった」
彼は唇を尖らせて小声で言うと、右手で冷水のはいっているコップを飲み干した。
「ありがとう。これからよろしくね」
言って私は右手を差し出した。彼はしぶしぶといった風に右手をだし、お互いに握手をした。
握手が終わると、またしても言葉のない時間がしばらく流れる。カランコロンとベルが鳴り、カウンター席にいた男性客が店からでていった。
「昨日、南海講師がさ」
「ああ」
話題、話題……脳内から必死に探し出してでてきたのは、南海講師の顔だった。
「山国のことを褒めてたよ」
「あの髪のある男か」
名前を出した瞬間、山国は尖らせて悔しそうに言った。彼女と別れたことに関してはまだ傷心中のようだ。やはり一回の飲み会では傷を癒すのは難しい。
「髪のある男って······面白いね」
「俺は、今回の教育のために坊主にしたというのにあいつには髪がある」
それに彼とは講師と学生の関係でそれ以上でも以下でもない。南海講師は彼に何もしていないのに、髪がありおしゃれに見えるというだけで逆恨みだ。
そも、今回の教育では髪型の指定はなく自由にしてよかったはず。むしろ髪型から軍人と見えないように坊主はよろしくないときいていたから、坊主の山国を見てびっくりした。
「私たち軍出と、政府からの特別講師は違うでしょう」
「くそ、あいつには髪があるというのに俺には」
「この教育が終わる頃には伸びるよ。そうしたらお洒落をすればいいんじゃない? 山国は美形だからきっとすぐに恋人できるよ。遠距離恋愛の破局の確立は八割近いいって言うししゃあない。次いこ次」
そう言うと山国の瞳は揺らぎ、そっぽを向き私から視線をそらした。山国は口をへの字にして一言。
「……綺麗っていうな」
「いや、言ってないから」
私は冷静に答えた。私は彼に対して綺麗とは言っていない。じろりと、キッと少しばかし細めて私をにらむ。
「……」
「……」
さっきよりも圧迫感が薄くなっている気がする。少し話して緊張が解けたのか、新しい一面を密頃ができたからか。山国の耳が赤くなっているので照れているのがまるわかりだ。
「そういえば、発表する前に本で読んで調べてたんだけど世界で二番目にできた職業はスパイなんだって」
今までろくに会話をしたことがなかった間柄。何を話せばいいのかわからない。私は話下手だから、こういうことしか話せないのだ。
「その一番最初のスパイには、二つ説があってね。一説目は旧約聖書のアダムとイブにでてるんだけど、イブを唆して林檎を食べさせた蛇なんだって」
純粋に生きていた二人に、罪を犯すわけがない。だから蛇というスパイを使い、二人が自分で罪を犯したと意識させるたのだ。
「すごいよね。人間じゃなくて動物なの。それでね、二説目なんだけど」
「モーゼだろ。カナンの地に向かう時の話だったか、十二の部族から一名ずつ長を選び偵察させたんだったな」
私の言葉は遮られる。何を当たり前のことを、と言わんばかりの口ぶりだった。
カナンという地には悪い人たちが住んでいるといわれており、そこに住みたいモーセは十二人の部族の長に偵察をつかわすのだ。人数、強さ、物資、食物を調べるようにと。するとスパイたちは異なる意見を持ってきたのだ。カナンに侵攻するのはよせと十人、侵攻すべきと二人。
結末はどうあれ、偵察行動をさせるというものがスパイ行動の一つなのである。斥候に見えるが、これもまたスパイだ。
山国を見上げる風にして、目線を合わした。
「そう、そうなの。そこから、16世紀になるまでエリザベス女王が王様になるまでとくにないのがまたすごくて、けど他の本読んだら孫子がスパイについて五種類に細分化してるの。郷間、内間、交間、死間に……あと一つが」
五つ目はなんだっけ、と私の口は止まる。今後、私たちの誰かがするかもしれない職務の……
「……生間だ」
「そう、生間だ。生間生間」
郷間が相手側の一般人からスカウトしたスパイ。
内間が相手側重要人物をスパイにする。
交間が相手側のスパイを取り込み逆利用するカウンタースパイ。
生間が生きて帰って、情報を報告させるために潜入させるスパイ。私たちが今後行うかもしれないスパイ。
死間が潜入させて、わざと捕らえられて偽情報を自白し相手を攪乱させるスパイ。これについては捕まり、処刑されるのが前提だ。
「場所も時間も違うのに、スパイができていて暗躍してたってすごいよね。映画みたいでかっこいいし」
「そうか」
正直、審神者世代や政府に科学者に……と内部でもありそうで否定できないのが怖いところだ。敵は外だけではない、と内心かっこつけてみる。山国は涼しい顔をして、私を見ている。赤かった耳は元の色に戻っていた。
そうして少しばかりの沈黙が復活し、耐えかねて口を開いた時。ウェイトレスが注文の品をテーブルに並べたので、食事をはじめる。
山国は左利きで甘いものが好きなこと。パンケーキを食べるのははじめてで、一口目で感動して、動きが止まっていたこと。軍入隊でいうと私にとっての後輩であること。都会からではなく、地方からきたことと。
他にも話下手なりの私なりに話を聞いたが、盛り上がることはなく淡々と話しが続き、山国には申し訳なかった。山国は嫌な顔を一つとせず涼しげな顔をして話に付き合ってくれた。
同期だから少しでも仲良くなれたらいい、と思う。今後はもう会うことがないかもしれないし、仕事内容によってはばったり出くわすこともあるかもしれない。
食事の最後に、山国は微かに笑う。坊主でも美形は美形だ。髪がなくても綺麗だとわかる。それがなくても、山国はいいやつだとわかった。
「いきなりだったのにありがとう。パンケーキも教えてくれて感謝する」
「こちらこそありがと、また機会があったら一緒に食べよ。他にも美味しいパンケーキ屋さん見つけておくよ」
「頼む」
社交辞令か区別がつかず、私は小さく口角をあげた。そうして、お腹を満たした私と山国は帰宅の途へつくのだった。