心が弱くても勝てます   作:七件

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窮鼠

 この学校の敷地内には全部で四つの寮が建てられている。そのうち三つは学生寮。一年から三年が別の寮で生活を行なっているという少し変わっている仕組みだ。因みに残り一つは、教師たちと、ショッピングモールなどで働く、住み込みの従業員などが住んでいる寮だ。

 つまり何が言いたいかというと、一年生全体が同じ寮に住んでいる以上、必然的に他クラスの生徒たちとも出会ったり関係を持つことになっていく、ということ。

 今まで視界に映らなかった赤の他人が、自然と目に留まるようになるということだ。

 

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 

 いつも通り階段を降りるという朝の修行を終え、エントランスを出ると、一之瀬帆波が寮の管理人にお礼を言っているところを見かけた。

 そしてくるりと振り返った時、完全に目が合った。

 彼女は人好きのしそうな笑顔で、

 

「やっほ、綾小路くん。朝早いんだね」

 

 と声をかけてきた。

 対櫛田陰キャ童貞モードか、脊髄反射脳死モードどちらで対応しようか、彼女が近付いてくるまでに、運動により酸素を窮している頭でオレは思案する。

 だが、一度スイッチを切った。

 原因は、彼女の瞳だ。

 ……彼女が嫌いそうな人間って、どんな人だろうか。

 

「おはよう。今日は布団がオレに反乱を起こして早くに目が覚めたんだ」

「ベッドから落ちたってこと?」

「革命の軍靴は近いな」

「あ、うん。寝惚けてる?」

 

 一之瀬は明らかに困惑していた。

 こんな変人にもしっかり返答してくれるあたり、優しさが身に染みる。

 これ以上やるとオレの心が死ぬのでやめておこう。

 

「管理人と何話してたんだ?」

「うちのクラスから何人か、寮に対する要望みたいのがあって。それをまとめた意見を管理人さんに伝えてたとこなの。水回りとか色々」

「一之瀬がわざわざそんなことを?」

 

 まるで学級委員長のような役回りだ。

 クラスのリーダーってそこまでするものなのか?

 Dでやったら平田は過労死するだろうな。

 

「おはよう、一之瀬委員長〜」

 

 エレベーターから降りてきた二人の女子に声をかけられ、一之瀬もそれに答える。

 

「なるほど。クラスで役割を作っているのか。確かに、問題が起きてもスムーズに解決できそうだ」

「そうそう。そんな感じ」

 

 一之瀬は少し驚いたようにオレを見る。

 

「統率取れてそうだよな、 Bクラスって」

「にゃはは、なんか照れるな。別に変に意識しているわけじゃないよ?みんなで楽しくやってるだけだし。それに少なからずトラブル起こす人はいるしね。苦労することも多いんだから」

 

 苦労することが多いと言う割には、一之瀬は楽しそうに笑う。

 彼女は本当に眩しい存在だと思う。

 

「綾小路くんはさ、この四クラスって本当に実力順に分けられてると思う?」

 

 そして、そんなことを聞いてきた。

 

「オレに意見を求めても、有意義な解答はできないと思うぞ」

「うーんっと、堀北さんのマネ」

「……どういうことだ?」

「だって、警戒心強そうな堀北さんが、ああやって相談するってことは、やる意味があるからなのかなって」

 

 彼女の観察眼は侮れないようだ。

 

「暑さでやられていたという可能性は?」

「んーないかな?っていうか、そんな状態で同盟組まないでしょ」

「その通りだな」

「で、綾小路くんはどう思う?」

「単純に総合力じゃないか?」

 

 オレは適当に答える。

 確かにDクラスにはある一点の分野に突出している生徒はいるにしても、不良品たり得る理由がある。統率が取れている点から、Bにはそんな生徒は少ないだろう。まあ、一之瀬のスター性に隠れている可能性もあるが。

 

「でもそれだったらAクラスが独走状態になると思うんだよね」

「Bクラスが喰らいついてくれるんじゃないのか?」

「そりゃ頑張るよ?でも、それこそDクラスには絶望的じゃない?」

「まあ、開幕0ポイントをかました歴史的なクラスだからな」

「あははは、笑えないね」

「一之瀬は、何か違う基準があると考えているのか?」

「うーん、それとはちょっと違くて。差はあると思うんだけど、それを覆すような何かが、隠されてる、とか。根拠はないけど……」

「いや、根拠はあるぞ」

「え?」

「龍園だ」

 

 その名前に、一之瀬は身を固くした。

 

「たし、かに?」

「Cを一纏めにできる人間が、総合力Cはあまり考えられないな。それにDクラスには、Aに居てもおかしくないような生徒も居る。例えば、平田や櫛田とか、な。一之瀬の考えはあながち間違いじゃないかもしれない」

 

 一之瀬は考える素振りを見せ、それからふむふむと頷く。

 

「堀北さんが意見を求めてた意味が分かったかも」

「一之瀬こそ良かったのか?他クラスにこんな気付きを与えて。敵に塩を送る行為ってヤツだと思うぞ」

「私はそうは思わないよ、大事な意見交換だし。それに、綾小路くんだって確信を与えるようなこと言ってくれたから、お互い様じゃない?」

 

 今までの会話で再度分析をかけていたが、なんとなく性格や考え方が把握できた気がする。彼女はとにかく、善人的な思考なのだ。

 自分の道徳心に従っているだけ。

 そして、芯の通った決して変わることのない、人として正しい価値観を持っているからこそ、ブレることもない。

 

「今日の審議のことだが……」

「ああ、心配しなくても大丈夫だよ。出来る限りのことはしたもん」

「そうか。悪いな、あの後ほとんど手伝えなくて」

「言っても、私だって紹介しただけだから」

 

 二人で通学していたので、学校への道には段々生徒の数も増えていく。

 思えば普段登校しているより明らかに周囲の目が多いように感じた。

 隣に歩いている一之瀬効果だろう。

 オレは今すぐに彼女から離脱したくなったが、そこまで人間性は腐っていないので、彼女を素直に褒める。

 

「人気者だな、一之瀬は」

「委員長やってるからね。他の子よりは目立つよ」

 

 謙遜ではなく、本心からそう思っているようだった。

 自分の求心力を自然な形で受け止めているように見える。

 

「それに、堀北さんの彼氏さんだもん。そんな人が女の子連れて歩いてたら、そりゃ目立つよ」

「あのな、それは誤解だ」

「ええ〜結構うちのクラスでも噂になってるよ?」

「嘘つけ。オレは目立たない一般男子高校生だぞ。オレの名前を知ってる奴はきっとピカソの本名も全部覚えているような変人だな」

「それは無理があるんじゃないかな……」

 

 序盤の小テスト0点、中間テストの高得点、水泳での高円寺とのデットヒート、イケメンランキング、友達0人(迫真)、エトセトラ……。

 オレって結構問題児?

 

「だからこの前オレたちのことをカップルだなんだとか揶揄ってきたのか」

「でも満更でもなさそうだったよね?」

「万も皿もありまくりだ」

「綾小路くんって結構その場のノリで適当な事を言うタイプなんだね」

「……冷静に分析されると恥ずかしいな」

 

 すると、さっきまで快活だった一之瀬は、一度その場に立ち止まる。

 どうしたんだと横顔を見れば、何か思い詰めたような表情をしている。

 

「あのさ……参考までに綾小路くんに聞いてみたいことがあるんだけど、いいかな?」

「答えられることなら、な」

 

 一億冊分の知識を詰め込んだオレの頭脳に答えられないものはない。

 

「女の子に告白ってされたことある?」

 

 あれぇ……それは読んだ一億冊には載ってなかったなあ……。

 

「脅迫は告白に入りますか?」

「えっ?」

「なんでもない。もしかして、告白でもされたのか?」

「あー、うん。そんな感じ」

「言いたくなければ無視して良いが、返事はどうするんだ?」

 

「それは……、断ろう、と考えてる、かな」

 

 一之瀬にしては歯切れの悪い返答をする。

 オレは彼女の反応に、昨日の出来事を思い出した。

 

 恋い焦がれて凶行に走った男。

 個人的に話すことができない身分への恋が、男をあそこまで狂わせたのだ。

 一生断られることのない、一方的な片想い。

 まさか高校生同士の恋でそこまで発展することはないと思うが。

 一之瀬のような性格なら、相手を傷付けないような言葉で、期待を持たせたままにしてしまう気がする。

 

「色恋沙汰にはあまり詳しくないが、断るならきっぱり断った方が良い。それが相手のためにもなると思うぞ」

 

 オレは、思いがけずそうアドバイスしてしまった。

 罪悪感からだろうか。

 ……何の?

 まあいい。

 

 オレの言葉で一之瀬は、目から鱗が落ちたような、そんな顔をする。

 

「そう、だね。うん。私、間違ってた。ありがとね」

 

 一之瀬は親愛の眼差しをオレに向ける。

 耳鳴りがした。

 これも全部暑さのせいだ。

 

「……大丈夫?」

 

 彼女は首を傾げた。

 

「顔色、やっぱ悪いよ。この前もそうだったけど」

 

 

 観察するような目。

 期待するような目。

 湧き上がるのは不快感のみ。

 そこに恐怖を感じたことは一度もなかった。

 体が拒否反応を起こしているのは正直どうでもいい。

 慣れた、というよりは、体の不調が思考回路の邪魔をする事態を既に勘定に入れて行動を起こしているため、もう不都合は起こらない。

 

 だが、何故だろう。

 彼女の。

 透き通った善人の瞳。

 本質を見抜く、正直な眼。

 

 正しい感情を含んだ視線は、耐え難い。

 真綿で締め付けられているような感覚。

 

 

 早急に彼女に嫌われなくてはな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 教室に足を踏み入れると、運命の日、というにはいつもと変わらない光景が広がっていた。雑多な生徒たちの会話に紛れるようにして、一人静かに座っている生徒。

 その表情は、前よりスッキリとしていた。

 

「おはよう。大丈夫、か?」

「うん」

 

 佐倉は顔を綻ばせる。

 

「なら、良かった。もしまた困ったことがあったら言ってくれ」

「あ、ありがと。綾小路くん」

 

 オレは挨拶を済ませて席に着く。

 

 佐倉は結局、今回の審議には出ないことになった。

 堀北が、断ったのだ。

 SDカードは石崎たちに壊されてしまい、カメラが壊れてからはバックアップを取っていなかったため、結局証拠となる写真も損失してしまったし、同じクラスということもあって、目撃者としては弱いらしい。

 堀北は彼女の勇気に、感謝の言葉を伝えていた。

 四月の頃だったら、そんな態度は取らなかったはずだ。

 子供の成長を間近で見る親の心情とは、こんな感じなのだろうか。

 

「おはよう」

「おはよう」

「堀北。そういや話し合いに同席するもう一人の生徒は決まったのか?」

「何を言ってるの?あなたに決まってるじゃない」

「え」

 

 勝手に決められていたらしい。

 

「待て、聞いてない」

「あなたにしか正確な策は話していない。当たり前でしょう」

「平田には?」

「全ては言っていないわ。須藤くんのためよ。分かるでしょう?」

「いや、でもな」

「何か問題でも?」

「オレには無理だ。話し合い?向いてるわけがない。過呼吸になってその場に倒れ伏す」

「そこまで狭い部屋でもないし、誰もあなたのことなんて気にしないわよ」

「そういう問題じゃ、」

 

「なになに?同伴者ってまだ決まってなかったの?」

「櫛田……!」

 

 堀北の一方的なワンサイドゲームに、櫛田が介入して来た。

 堀北はあからさまに苦虫を噛み潰したような顔をする。

 

「なんのよう、かしら」

「なら、私が話し合いに参加しようか?」

「結構よ。あなたでは……役に立たないと思うから」

「そんなっ、私だって、須藤くんの役に立ちたいよ」

 

 嫌ってる、と言い放たれた相手にこんな振る舞いをされるのだから、堀北からすれば、恐怖でしかないだろう。

 少し不憫に感じたオレは、一応助け舟を出しておく。

 

「まあ、須藤を助けたい気持ちは同じだろ」

 

 櫛田に対して。

 堀北はオレを一瞥し、それからため息を吐いた。

 

「……わかった。邪魔をしないでくれたら誰でも良いもの」

 

 特に気にしていない、そんな上辺で隠しつつ、やっと堀北は了承した。

 櫛田は心の中で舌を出しているに違いないだろう。

 

 これが、櫛田に見せる“面白いもの”だ。

 

 堀北は必ず兄を前にして本調子を出せない。

 あれだけ準備して、失敗してしまうのだ。

 堪らないだろう。

 もちろん櫛田はサポートするフリをして、無能な動きをする。

 そして審議が失敗してしまう前に、延長を訴える。

 その後、とある作戦を持ちかけるが、それはポイントがかかる。

 簡単に言えば、偽物の監視カメラを取り付けて相手を嘘で騙すというもの。

 だが、監視カメラなど、到底堀北一人で出せる額ではない。加えて彼女はポイントについては流石にそう簡単に他人からは借りられないだろう。

 そこで櫛田が龍園から奪ったポイントを貸し出す。

 しかも利子をつけて。

 まあ、単なる嫌がらせ、と言ったところだ。

 櫛田はこの作戦を聞いて生き生きしていたが。本当に良い性格をしている。

 

 ……穴があるので、この作戦はほぼ失敗するとは思うが。

 

 

 

 

 放課後を告げるチャイムが鳴った。

 精神統一をしているらしい、目を閉じ腕を組んでジッとしていた堀北が目をゆっくり開く。

 

「大丈夫か?」

「ええ」

 

 緊張しているのだろう、普段より表情が固い。

 

「なあ、どうしてAクラスに上がりたいんだ」

 

 堀北は、眉をひそめる。

 何故今関係のない話題を出したのか、そんな顔だ。

 だが、オレの不可解な行動にはもう慣れたらしい。

 余計な質問をすることなくそれに応じる。

 

「あなたは以前、興味がない、と言っていなかった?」

「あの時はな。でも今は契約がある。聞く必要があると、オレは思ったんだ」

「……あなたが予想しているものと同じよ」

「お前の口から聞きたいんだ」

 

 堀北は立ち上がり、キッとオレを睨みつける。

 

「兄さんに、追いつくため。烏滸がましいとは自分でも思っているわ。でも、」

「立派な理由だ」

 

 堀北は言葉を詰まらせた。

 

「だけどな堀北。お前は100点満点のテストがあったとして、目標点数を80点とした時、素直に80点を目指すのか?お前は違うはずだ。お前は諦めない。捨て問を、捨てたままにしない。100点を目指す。そうだろ?」

 

 彼女の瞳に、再び光が戻ってくる。

 この言葉を、今は理解しなくてもいい。

 

「なあ堀北。クズの親からはクズしか生まれないと思うか?」

「なんの話?」

「ただの雑談だ。頑張ってこい」

「……ええ。言われなくても」

 

 彼女は失敗する。

 孤独な背中を見つめながら、オレはそう確信していた。

 

 

 

 

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