心が弱くても勝てます 作:七件
時間は少し遡る。
一日目の夜のことである。
クラスメイトはキャンプファイヤーを前に、思い思いに寛いでいた。
オレは木に背中を預けて、それを遠目で眺めていた。
「綾小路。話がある」
すると、茶柱に手招きされる。
訝しみながら、オレは教師用のテントの中に入る。
ランタンの明るい光に目を細めた。
設備はしっかりしており、オレ達生徒とは天と地ほどの差がある。
無線機は学校側と連絡を取る用だろうか。
「前の面談で言い忘れたことでもあったんですかね」
唐突に茶柱はオレの額に触れようと手を伸ばそうとするので、咄嗟に振り払った。
「セクハラですよ」
「……体調が悪いのか」
オレは腕時計を見下ろす。
生徒に配られた腕時計は時刻の確認だけでなく、体温や脈拍なども測ることができる。更にGPSも搭載されており、万が一に備えて学校側に非常事態を伝えるためのボタンもある。
自主的に体調不良を訴えなければ、わざわざ学校側もリタイアを強制することはないのだろうが、明らかに無理をしているようなら、担任に直ちに伝えられ、直接確かめるよう言われているのだろう。
「堀北の方が辛そうですけどね」
オレはそっぽを向きながら適当なことを言う。
「学校側からはお前に対してのみ報告された。余程のことがない限り、しかも一日目に本来はこういった手段は取られないんだがな。熱でもあるのか?」
「そんな所です。もちろん続行するつもりですよ」
「……そうか」
「ただ、学校側から続行不可と判断される可能性があります。それは茶柱先生としてはマズいですよね?」
茶柱はぎこちなく頷く。
一切動じず、普段と変わりないように見える生徒に、異常性を感じ始めたようだ。
痛ましげな表情をしている。
実に勝手な話だが。
「腕時計は許可なく取り外すことはできない」
「外す許可を出せと?」
「誤魔化すことはできるでしょう。例えば、茶柱先生自身がこの腕時計を付ける、とかね。破損すれば換えることができるなら、予備はあるはずです」
壊れた方をオレが、オレの腕時計を茶柱が身につける。
茶柱はDの担任のため、ベースキャンプ付近で常に生徒達を監視している。
数人が120人分を追っているわけだ、拠点から動かないだけの生徒をそこまで注目はしないだろう。
もしバレても茶柱の責任にしてしまえばいい。
茶柱は考え込んでいるようだったが、程なくして同意を示した。
元々腕時計は今後のことを考えれば無力化する方向だった。
学校側はどこまでオレ達のことを監視し、そして不測の事態に介入してくるか分からないからだ。
GPSを実質外すことができるのは、不幸中の幸いだったな。
これで今後は自由に動くことができる。
「大丈夫か、綾小路」
オレは怖気付いた茶柱を冷ややかな目で見下す。
「あんたが始めた賭けだろ」
■
リストアップは特に問題も起こらずスムーズに終わり、日は暮れて各々就寝の準備を始める。
二日目の夜は快適が約束されていた。
男子はテントと枕が購入され、そして女子の扇風機を分けてもらうことになったからだ。
だが、オレは野宿を選択することにした。
オレの奇行にクラスメイトも慣れてしまったのか、特に反対はなかった。むしろテントが広くなるので歓迎された。平田だけは何か言いたげにこちらを見ていたが、まるっきり無視した。
無人島生活三日目。
朝食を食べ終え、朝の点呼をしてからオレたちは行動を始めた。
今日はキャンプ地維持という名の実質休みを貰った。
焚き火の枝を集めたり、料理を手伝ったりするだけで、動いていなくても特に咎められることはない役割だ。
Cクラスが全員リタイアした、という話を小耳に挟みつつ、オレはキャンプ地から少し離れた木の傍に腰を下ろす。
ペットボトルに入った川の水で水分補給をしつつ、ボーッとしていると、サクサクと草を踏み締める音が聞こえた。
音の方に目を向けると、そこには櫛田が立っていた。
そういえば彼女は調理班だったな。
「よお」
手を上げて挨拶するが、無視された。
若干裏モードが透けて見えている。
オレは周りに人の気配がないか一応探っておく。
……。
一言も発さずオレの目の前に座り出す櫛田に不気味さを感じた。
「……大丈夫か?」
「そう見えるんだったらあんたの目はイカれてるね」
声は可愛いのに、内容が絶望的に合っていない。
チグハグ具合が逆に怖いぞ櫛田。
これなんてホラーゲーム?
「この学校終わってんの?普通にバカンスさせろよ」
ごもっともな意見で。
「てかさ。あんたこの旅行バックレるとか自慢してた癖に結局来るんじゃん」
「お前が心配だったんだ」
「あ?」
「たまにはオレの純粋な好意を受け取ってくれ」
「純粋じゃなくて虚無でしょ?」
「これが終われば豪華客船を満喫できるぞ。頑張れ頑張れ」
「はい先生!」
突然櫛田が手を挙げた。
お、本格的に壊れ始めたな。
「どうでもいい予定ばかりが埋まってる場合はどうすればいいですか?」
「全部バックレればモーマンタイです」
「それができません!」
「無人島に豪華客船。これらから連想されるものといえば?」
「殺人事件!バトルロイヤル!」
「正解できた櫛田さんにはボーナスポイントでこの花をあげましょう」
「わーい」
オレはその辺の草を毟って櫛田が両手で受け皿を作っているところに降り注いでいく。
そして、彼女はおにぎりみたいに丸めて、笑顔でオレにぶん投げた。
もちろんオレも笑顔で避けた。
優しい世界だ。
「マジで一瞬だけ皆死んでくれないかな……」
本心からの訴えのようだが、オレは神様じゃないので叶えてあげられない。
「皆殺されればお前を褒め称えてくれるような存在も消えるぞ。いいのか?」
「いいよそういう話は」
「さいですか。で、何か用件があるんだろ」
付き合ってあげても良かったが、オレはさっさと本題に入るよう促した。櫛田も分かっているのだろう、キュルンとアイドル顔に戻る。
「Dのリーダーを龍園くんに教えちゃった」
テヘッと笑う櫛田。
テヘッじゃないが。
とんでもねえ核爆弾を落とされ、オレは頭を抱えた。
「伝え終えたのか?」
「うんっ」
「昨日か?」
「オープンだったし気を遣ったよ」
「他クラスと何かする時はオレに報告してくれって伝えていたはずだが」
「今報告したよ」
「後の祭りという言葉があってだな……」
「え?桔梗わかんなーい」
すっとぼける櫛田。
今ここで龍園をオレに憑依させて男女平等パンチを繰り出したくなる衝動に駆られる。
断じて言うが可愛くないからな?
「龍園にはリーダーをどう伝えたんだ」
「Dのリーダーは堀北だよって」
「……そうか」
「でもさ、結局みんなリタイアしちゃったし、無駄骨だったかな」
「いや、リーダーを当てれば50ポイント追加だ。誰かは残っているだろうな」
ガックシと項垂れているオレの態度に、櫛田は若干不安になったようだ。
「何かまずいわけ?」
「……失敗した堀北を慰める算段を考えている」
と、安心させておく。
櫛田が龍園に堀北がリーダーだと伝えることは考慮に入れていた。
だが、事後報告されるとは思っていなかった。
人の目につくような場所で龍園と接触はしないだろうと踏んでいたので、昨日はまず論外。後々、例えば今日。龍園に会いたいのに居なくなったと泣き付かれ、森に潜伏しているだろう龍園を探し当てて、契約を取り付けハイエナムーブをする、という破茶滅茶に今後の動きが楽になる作戦に賭けていた部分があったのだ。それを、全部ぶっ壊された。
悪魔め!
……まあ、彼女が逸ってしまうのも無理はなかったのかもしれない。
「オレの平穏な無人島生活にサヨナラバイバイしただけで、特に問題はないな」
「じゃあいいよね?」
良くないが?
そう文句も言ってやりたかったが、ここで、「リーダーは堀北じゃない可能性がある」なんて事実を知られれば、余計面倒なことになる。
実はオレも堀北に隠されてしまったせいでリーダーが誰か、本当の意味では知らない。堀北は自身がリーダーである、とクラス全員に伝えたらしく、装置に誰にも近付かないように、占有する時以外は常に岩をシートで覆った。
彼女は確実に守ってみせる、と言い切った。
要は、完全にブラックボックス状態な訳だ。
そのことを櫛田が知れば、オレという存在は堀北に本当に信用されているのか、と訝しむはずだ。
元々櫛田との契約は、オレが堀北に一番信用されている位置にいることが大前提。
揺らぐようなことがあれば、今までの努力が水の泡になってしまう。
「報告も終わったし、キャンプ地に戻るね?」
櫛田は表に戻り、スクリと立ち上がった。
「ミネラルウォーター使いたいんだけど、何本残ってたか知ってる?」
「六本ぐらいだったはずだ」
「うぃっす」
「……仮面が剥がれないよう頑張れよ」
「綾小路くんこそ、顔色悪いよ?」
「誰のせいだと……寝不足なんだ」
「おやすみっ」
「永眠しそうだな」
とびっきりの可愛い笑顔を向けてから、櫛田は去っていく。
スマイルに値段が付く理由がなんとなく分かった気がした。
「綾小路。サボっているのか?」
男の声に、情報量を減らそうと閉じていた目を緩慢に開く。
顔を上げると、顔を顰めた幸村が立っていた。
「……考え事をしていた」
「枝集めに考えることなんてないだろ」
「そうかもしれないな」
「暇ならこっちを手伝ってくれ。高円寺の地図をもとに西瓜を見つけたんだ。人手が足りない」
「西瓜は何個あって何人その場にいる」
「いいから来てくれ」
「今ベースキャンプにはオレを含めて五人しかいない。空にするのは流石にマズいし、他の班で帰ってくる人もい「枝集めをサボってる人間が偉そうにするな。暇なんだろ?」
幸村は被せるようにそう指摘する。
素直に彼の言うことを聞いておいた方が良さそうだ。
幸村についていこうと立ち上がろうとしたその時、視界が歪む。
平衡感覚を失い、オレは地面に手をつき、ぐわんぐわんと揺れる世界から振り落とされないよう必死に掴んだ。
「どうした」
幸村の声が上から降りかかる。
徐々に通常の世界を取り戻していく。
「いや。草むらに珍しい虫を見つけたんだ」
「……どうしてこのクラスには変人しかいないんだ」
幸村は大きく、わざとらしさを隠さずにため息を吐いた。
そしてスタスタと先へ行く。オレは腕を登ろうとする蟻を手で払ってゆっくりと立ち上がった。
幸村は見た感じこういった環境には慣れていない。加えて体力もあるようには思えない。キャンプが始まって三日目の正午。折り返し前の、一番キツい時間帯だろう。苛つくのも仕方がない話だ。
西瓜の重さを計算しながら、オレは吐き気を抑えつつ森の中を歩いた。
■
夜になった。
焚き火とランタンの灯りも消されている。
皆が寝息を立てている中、オレは、物音を立てないよう立ち上がった。
段々と目は暗闇に慣れていき、ライトなしでもほぼ昼間と近い形で辺りを把握できるようになる。
そして、森の中へと足を踏み入れた。
風の音。水の音。虫の音。
水辺には蛍が冷光を放ち、揺れる木々の葉の間から、星々の光がこぼれ落ちる。
最初の夜は不慣れで、Bのキャンプ地から帰るのにかなり時間をかけてしまった。だが、昨日の夜はスムーズに探索できたので、今日もそこまで手間取ることはないだろう。
深夜散歩の目的、それは。
龍園及び、他のCクラスの生徒を探し当てること。
もし上手くいけば、今日中に龍園らを見つけることができるかもしれない。Aクラスの洞窟内にはいないことを昨日確認できたので、必ずスパイの無線機の相手がこの無人島に潜伏しているはずだ。
正直、龍園のような自分のみを信じる性格なら、他の人間にリーダーは任せないという確信はある。
要は、この行為は取り越し苦労に違いないのだ。
ならば何故、わざわざ寝る間を惜しんで深夜の散歩を決行するのか。
言ってしまえば、
ただの暇潰しだ。
茶柱の脅しがあったあの日から、満足に眠ることが難しくなった。
目を瞑れば、あの男が強引にオレをホワイトルームに連れ戻しにやって来るのではないか、というバカげた妄想が頭を支配する。国が運営する学校だ。あの男が手出し出来るわけがない。そう何度も否定してみるが、治る気配がなかった。たかが杞憂で人間はここまでおかしくなってしまうのか、と逆に感心さえした。医者に言うと耐性があることがバレてしまうので、財布の紐を緩めて市販の睡眠薬を今まで服用していたが、無人島では使えない。
加えて、ここはあの学校の外。手出しは出来ない、という安心は一切消え去った。
そんな状況で安易に眠れるかと言われれば、結構難しい。
一瞬でも気は緩めなかった。
試験どころじゃないな、と自嘲もしたくなる。
夜の森に紛れながら、オレはなるべく音を消して探索した。
ふと、立ち止まる。
オレは身をかがめ、違和感の正体を確かめた。
巧妙に隠されていたが、そこにはクシャクシャにした数枚のビニールがあった。
もし気付かずこれを踏めば、大きな音が鳴ってしまう。
罠だ。
つまり、奴はこの近くに潜伏している。
息を潜め、気配をできるだけ消す。
罠に気を付けながら、ゆっくりと足を進めていく。
すると、少し先に、木に背中を預けている影が見えた。
近付いて何者か確認したかったが、これ以上は踏み込めない。
オレは思案する。
どうやって距離を詰めるか。
傍の大木を見上げた。
枝もある程度しっかりしている。
何者かが背中を預けている木に飛び移り、上から覗くことができそうだ。
よし。論理的で何の穴もない完璧な作戦だな。
オレは木によじ登った。
手の位置に気を付けながら、足を窪みにかける。
少し手間取ったが慣れればスイスイと登ることができ、目当ての枝まで辿り着くことができた。
ここからが重要だ。
向こうの木に飛び移る必要がある。
オレは深呼吸をする。
そして、足場を強く蹴り、空を舞った。
問題なく目当ての枝に掴まり、ぶら下がる。
生まれた反動を利用して、登りきった。
ホッと息を吐く。
ここまで来れば、あとは下を覗き、確認してから同じ要領で戻れば良い。
オレは末端までゆっくりと進んでいく。
クラリ。
唐突に、目眩が襲った。
急に激しい運動をし過ぎた影響だろうか。
あ、と思った時にはもう遅い。
オレは、宙に浮いていた。
咄嗟に受け身を取り、ダメージを軽減する。
だが、大きな音が鳴ってしまった。
目の前にいる人物が「うう」と唸り、みじろぎをする。
おお。
紛うことなき龍園だ。
オレはクラウチングスタートでその場を離脱した。
「なっ、誰だテメエ!!」
背後からの怒声の内容的に一応バレていなかったらしい。
・
・
・
龍園は今、混乱の極みの中にいた。
無人島に潜伏していることがバレてしまわぬよう、昼間は常に周りの気配を警戒し、夜に移動するアホはいないだろうが、念のためトラップを仕掛け、いつでも起きれるようにしていた。
大きな音がして、眠りから覚めた。
するとどうだろう。
目の前には何者かの影。
そして目が暗闇に慣れる前に、その影は脱兎のごとく逃げ出してしまった。
あれは誰だ。
何故目の前にいた。
突き止めなければならない。
龍園は寝起きを一切感じさせない動きで立ち上がった。
目が慣れるまで慎重に、かつ大胆に龍園は逃走者の後を追う。
ふと、木の裏に何者かが動く気配を捉えた。
尻尾を捕まえようと、龍園はその影に近付く。
刹那、首の後ろに強い衝撃を受ける。
火花が走った。
恐怖。
突き止めることもできず。
何者かに、命を握られている。
意識を保っていられなくなり、龍園はその場に崩れ落ちた。
目覚めると、朝日は既に昇っていた。
自分の体を確かめたが、特に痛むところはなく、加えて昨日眠った位置と全く変わっていなかった。トラップも発動していない。
龍園は首を捻る。
あれは、ただの夢だったのか。
実際起きたにしては、あまりに非現実的すぎる。
俺の存在がバレた?
だが、どうやって犯人はそのことに気付いた?
そもそも、あれだけ動ける人間が、この学年に存在するのか?
わざわざ見せつけるように俺を起こした意味はなんだ?
……まあ、こんな生活をしていれば、悪夢を見てしまうのも仕方がないか。
それより朝食は何を食おう。
余計なことを考えるのはやめて、龍園は試験に専念することに決めた。
己が何かに恐怖をしていた、という事実を受け入れたくなかったのだ。
究極の寝てないアピ