心が弱くても勝てます   作:七件

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目と耳を既に兼ね備えている綾小路による第四章。
※話の都合上、原作から変更している部分があります。
※諸事情により四章と五章(途中まで)のデータが飛んで、現在書き直し作業中です。また消えると思うと怖いので載せました。だいぶ萎えたため以降は不定期更新になります。すみません。


第四章
ユージュアル・サスペクツ


 

 

 

 生きるということは、傷を負うということだ。

 

 心ない他者。臆病な傍観者。無関心な第三者。

 あるいは理不尽な社会。

 あるいは、自分。

 

 それらは敵となり心と体を斬りつける。

 流れ出る血はやがて固まり、かさぶたとなる。

 

 生きるということは、そのかさぶたが治らないということだ。

 ジュクジュクとした生臭い世界で、ブヨブヨなかさぶたに強度はなくて、ちょっとしたことで血が溢れる。痛みに耐えられず舐めるから、もっと救えなくなる。

 ベッドでのたうちまわり、悲鳴を枕で押し殺す。

 

 

 思い返すのは平穏だったあの頃。

 他人と自分の境界線が曖昧だったあの頃。

 自分の慰め方を知らなかったあの頃。

 

 恐怖を、欺瞞を、嫉妬を、憎悪を、孤独を、後悔を。

 そして、無力を。

 知ってしまった。知り仰せてしまった。

 

 避けて通れない道に石ころのように転がっていて。

 何度も躓いて泣きながら、それでも置いていかれるのが嫌で前へと進んだ。

 ボロボロで、擦り傷だらけの自分の姿は不格好。

 振り返ることは出来ても、無傷で無垢なあの頃の自分はもう二度と返ってはこない。

 

 

 

 生きるということは、知るということ。

 そして、戻れないということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無人島試験が終わって二日経った。

 いや。経っていた、というのが正しいだろう。

 脳も身体も限界を超えていたらしい。不足分の睡眠を補うように、意識は行ったり来たりを繰り返していた。時間の感覚を完全に手放したある時、ふと目を覚ました。辺りは薄暗い。いつになく頭がスッキリと冴え、日時を確認すると二日経っていた。

 

 朝の四時。

 携帯には何通ものメールが溜まっている。

 見なくても分かる、櫛田だろう。

 オレは欠伸を噛み殺し、身体を起こす。暫く動かしていなかったので、とにかく怠かった。ガンガンと響く頭痛を無視しながら、いつの間にかサイドテーブルに置かれていたミネラルウォーターを手に取り流し込んだ。テーブルの上には他に市販のサンドウィッチが置かれていた。明らかにオレの方に寄せられているので、隣の平田の物ではない。

 ……そういえば寝たり起きたりしている間、オレはどうやって食事を買いに行っていたのだろう。もしかしたら平田らが心配してわざわざ買って、置いてくれていたのかもしれない。

 あとでポイントを返さないとな。

 

 ゆるゆるとベッドから這い出て地面に足を下ろした。

 2日ぶりとあって、波に揺られているような不快感が湧き上がる。

 

 確か大浴場は朝四時からだったはずだ。

 音を立てないよう、オレは準備してから客室を後にした。

 

 

 

 

「久しぶりだな」

「はい。約一週間ぶりです」

 

 風呂に入ってさっぱりしてからサンドウィッチで栄養を補給し、もう一眠りしてから軽い運動も兼ねて船内を歩き回っていた。するとひよりと出会した。前にもこんな事があったな。エンカウント率がバグっているのだろうか。

 彼女は前と同じように数冊の本が入ったバッグを片手に、良い読書場所を探しウロウロしていたそうだ。丁度休憩を取りたかったので、フードコートを提案する。まだ昼時にしては早い時間帯だ、生徒もそこまでいないだろう。彼女も頷いた。

 案の定席は空いていたので、壁にくっついている長いソファの席を陣取った。

 

 ひよりから貸してもらったアガサ・クリスティの『アクロイド殺し』を開く。

 

 

「謎は解けましたか?」

 

 四分の三ほど読み終えた頃、ひよりは文字に目を落としながらそう話しかけてきた。

 

「フェア・アンフェア論争を巻き起こした作品であるのは元々知っていたからな。秘密を隠す手法の巧さを重視して読んでいた。こういう言い方は傲慢かもしれないが、安心感があった」

「読書の楽しみ方は人それぞれですから」

 

 彼女は優しく微笑む。

 

「信頼できない語り手を用いた手法は、トリック限らずいつ頃に発明されたんだろうな」

「……古典を探せばあるのかもしれませんが、彼女が発表した当時は数える程度しかなく、他の先行作品には気付かなかったようですよ。こういった独創的なアイデアには驚かされるばかりです」

「なるほど、な」

「何か気になることでもあるんですか?」

 

 ひよりは顔を上げてオレの瞳を覗き、首を傾げた。

 

「……いや。まあ、なんだ。少し失礼な事を考えていた」

「どんな考えも私は受け入れますよ」

 

 そう胸を張るひより。

 彼女はこう見えて漢気が凄い。

 オレがもしか弱い女の子だったら惚れていたことだろう。

 少しだけ悩んでから、結局言うことにした。

 

 

「叙述トリックなんて一発芸みたいなものだろうに、後発作品が減らない理由が気になってな」

「一発芸呼ばわりは確かに失礼ですね……」

 

 本を閉じ、表紙のタイトルをなぞる。

 

「創作においてどんな展開も、既にやり尽くされている。あとは組み合わせ次第だ。そして多くの創作者はその事実に気付いている。だと言うのに、今この瞬間。沢山の媒介を通して創作物が生み出され続けている。そのことを不思議に思う時がある。どうでも良い、話だけどな」

 

 創作物が現実逃避の道具として使われてきた事は、一般論として知っている。娯楽は人間が活動する上で必要不可欠な要素だ。原始からそれらは形は変われど受け継がれている。

 だから創作物がこの世から生み出され続けている理由など、最初から分かりきっている話なのだ。それなのに、オレは何を知りたいと言うのだろう。

 時折、そんな不毛な疑問が気になって気になって仕方なくなる。

 

「いいえ、どうでも良いことではありませんよ」

「……ひよりは、何故だと思う」

 

「私がミステリーを好んでいるのは、推理している時間だけ解放されたような気分になるからです。自分という身体から一時的に探偵役や犯人役に乗り移って、作者によって理路整然と掃除された世界で得意げになれるからです。現実は、創作の世界のように上手くはいきませんから。幾ら先人達によってやり尽くされたトリックだって、誰かにとってのイデアとなる。だからこそ、創作は終わらないんだと。私は思います」

 

 ひよりは少し恥ずかしげに、答えてくれた。

 

「どんなに成功している人だって、違う誰かになりたいという願望は得てして持つものですよ、きっと。私だって思う時があります。綾小路くんは、どうですか。

 ーー今、この瞬間の自分以外の存在になりたいと。思ったことはありませんか」

 

 そして、答えにくい質問を投げかけてきた。

 ひよりの顔は真剣そのものだ。

 

 違う誰かになりたい、か。

 強く願ったことがあるかと問われれば、恐らく、ノーだ。

 それは死への恐怖に等しい。せっかく積み上げてきたものを手放す気にはなれない。

 しかし壊れかけている今の惨状に、望んだ結果だとしても、辟易することがないとは言い切れない。その瞬間だけは確かに、違う誰かになりたいと願っているのだろうか。

 

 ……いや、正確には、昔の自分だ。

 昔の自分に戻りたいのだ。

 

 知りたかったから飛び出したのに、なんとも矛盾した話だ。

 フィクションに置き換えれば駄作に違いない。

 主人公の行動原理に、一貫性が存在しないのだから。

 

 

 ふと、沈んだ思考は、ぐぅ、と間抜けな音によって中断される。

 顔を上げると、ひよりは顔を真っ赤にしていた。

 端末で時間を確認すると、丁度昼時の時間帯。

 フードコートはいつの間にか混み合っていた。

 

「オレは何も聞いてなかった」

「……紳士的な態度は時に人を傷付けることを覚えておいて下さい」

 

 若干怒ったような目つきをするひより。

 じゃあどうすりゃ良いんだ。

 

「お昼にしましょう。綾小路くんもお腹が空いていませんか?」

「ひよりと会う前に食べて来たから大丈夫だ」

「それはただの朝食では?」

「そうとも言うな。まあ気にせず買いに行ってくれ、席はオレが守っておく」

 

 守り人となり席から立つ様子のないオレを見て、ひよりは「では遠慮なく」と人混みの中に紛れて行った。暫くして、盆を持ったひよりがやってくる。乗っていたのは熱々のきつねうどんとメロンソーダ。

 夏とはいえ船内は空調がむしろ効きすぎているので、良いチョイスだろう。

 

 しかし、それをおもむろにオレの前に置いた。

 

「ん?」

 

 疑問にはすぐに答えてくれず、彼女は再びテーブルを離れ、今度は時間を置かずにたぬきうどんとオレンジジュースを持ってきた。

 そして満足げに席に座り、「いただきます」と手を合わせようとする。

 

「いや、待て」

「え? ああ、もしかしてたぬきうどんの方が良かったですか?」

「違うそうじゃない。怪電波でも受信したのか?」

「いいですね、その設定。今度SFモノのミステリーをお貸ししましょう」

「わざとなのか? わざとだと言ってくれ」

 

 オレは頭を抱えた。

 

 

「私、今までたぬきうどんときつねうどんの違いに意味を見出していなかったんです」

 

 そして急に語り出すひよりさん。

 

「動物の違いと乗っている具の違いだけだと。ーーでも、お店のメニュー表で、両方の素晴らしさがアピールされていて、つい、両方食べてみたくなってしまって。普段なら諦めることが出来たんですけど……」

「オレが居たから、つい頼んでしまった、て事か?」

「ごめんなさい……」

 

 口では謝罪を述べているが、大して悪びれていない態度のひよりさん。狸か狐かで悩む人間はそうそう居ないだろうと思っていたが、彼女は例外だったらしい。両方トッピングするくらい訳もないだろうに、まあ、今は彼女の厚意に甘えておこう。

 

「……せめてポイントを払わせてくれ。油揚げは半分くらい取ってもいいぞ」

「わあ、ありがとうございます!」

 

 彼女は花も咲き誇るほどの満面の笑みを浮かべた。その様子に、本当に両方食べてみたかったのか? とつい邪推してしまった。もしくはトッピングを注文する方法がよく分からなかったとか。

 オレは割り箸で油揚げを半分に切り取って、彼女の皿に移す。意外と厚みがあって苦労した。

 

「「いただきます」」

 

 手を合わせ、それからひよりは割り箸を割った。喉が詰まるような気分になったが、目の前の麺に夢中になっているひよりにバレないよう、こっそり深呼吸をする。

 

 大丈夫なはずだ。朝方のサンドウィッチは食べることが出来た。無人島試験の時も時間はかかったが難なく胃に収めることが出来ていた。条件は満たしている。

 

 相変わらず身体は拒否的だったが、戻すことはなかった。

 

 

「そういえば。無人島試験、お疲れさまです」

 

 無言で食べていると、ひよりは思いついたように言う。

 彼女の独特なタイミングには、もう慣れてしまった。

 

「ああ。そっちこそ」

「私は二日間遊んだだけですけどね」

 

 彼女は少しだけ不満げに呟いた。

 

「もっとサバイバルっぽいことしたかったです。お魚釣りとか、焚き火とか。面白そうです」

「やめとけやめとけ。面倒なだけだったぞ」

「そうでしょうか?」

「ガチサバイバルを経験した老兵からのありがたーいお言葉だ。素直に聞いておいた方が身のためだ」

 

 龍園はよく五日間やり遂げる覚悟を持てたモノだ。決してあの無人島は現代社会に毒された子供が一人で生活を送れるような環境じゃない。蛇とかでも食っていたんだろうか。

 三日前の事を思い出していると、顔を上げたひよりはクスリと笑った。

 

「……今笑いどころあったか?」

「だって、綾小路くんが本当に嫌そうな顔をしていたので」

 

 自分の頬を触れるが特に動いているようには思えない。

 ぺたぺたと触っていると、

 

 

 

「よお金魚の糞」

 

 悪意の混じった声が落とされる。

 石崎を連れて悠々と、まるで王様のような傲慢さで奴は現れた。

 噂をすればといった所だろう。

 

「いや、隠れ蓑か、デコイか。それとも本物のXか?」

「何の用でしょうか」

 

 そう問うひよりの声はいつもより硬い。

 

「なに。軽い挨拶だ」

「今は彼と談笑中です。帰ってください」

「おまえが言ったんだ、ひより。人となりを知りたかったら友達になれってな。少しくらい仲間に入れてくれたって良いだろう。なあ、石崎」

「そ、そうだそうだ!」

 

 ひよりは不機嫌を露わにした顔で箸を置いた。

 龍園はオレに向き直り、鼻で笑う。

 

「オトモダチになってやろうか?」

 

「よく知らない奴はちょっとな」

 

 普段と変わらない調子で言葉を返すオレに、龍園は眉間に皺を寄せる。

 

「いや、あの時のミネラルウォーターくれた人か。助かった」

「……あ?」

「感謝の言葉は対人関係を円滑にする効果があるということに、最近気付けたんだ」

 

 自分で言っといてアレだが、本気で頭のおかしい発言だなこれ。

 ひよりですら苦笑いだ。

 例えばこのまま、

 

「かと言って友達は遠慮願いたい。オレは暴力が苦手なんだ。いかにもな奴とつるんで万引き強要とかされた日には、人間不信に陥る自信がある。オレも友達は居ないが、余りモノ同士なんて悲しいだけだろ。傷の舐め合いは衛生面的に考えてマズいし、何より虚しい。気の合いそうな生徒を紹介できれば良かったんだがな。……山内、いや幸村か。……もしかして拳で殴り合って友情を確かめるタイプか? 須藤とかどうだ? あいつともオレは拳で殴り合って少しだけ仲良くなれた気がするんだ。暴力は苦手だとさっき言っていたって? それはあれだ。謙遜というやつだ。日本人の美徳だな。これくらい分かってもらわないと、今後も人付き合いは難しいと思うが。あ、だとすれば、まずはその、人を射殺すような目つきを治すといいかもしれない。王様みたいな態度も。高校生にもなって、生産性もなく周りに迷惑をかけるタイプの厨二病は救いようがなさ過ぎる。更生できれば友達百人到達は固いだろう、その暁には友達になってやってもいい。何となくお前とは気が合いそうな予感がするんだ。それに友達の友達は友達とも言うし、オレにも実質百人友達が出来ることになるからな。Win-Winの関係というやつだ。まあ案外他人からのアドバイスが役立つこともある。素直に聞いておいた方が身のためかもしれないぞ」

 

 ……という風に、変人ルートを邁進してやれば、多分ひよりにドン引かれるし、増えてきている周りの目はオレのことを完全に変人と見做すだろう。

 これ以上目立つのは不本意だ。入学当初に比べて他者からの視線は慣れてきたが、それでも不快なことには変わりない。

 

 布団の中で惰眠を貪っているお気楽脳味噌を蹴り起こすためにメロンソーダに手を伸ばそうとすると、唐突に、龍園はそのコップをひったくる。

 

 そしてうどんの上で傾けた。

 ドポドポドポと不愉快な音は静まり返った辺りによく響いた。

 半分ほど注いでから、ダンッとテーブルが揺れるほど強く、コップを置く。

 

 

「悪いな、手が滑った」

 

 

 そしていつもの笑みを浮かべながら、悪びれもせず言い放った。

 挑発のつもりなのだろう。

 

 

「丁度甘味が足りてなかったんだ。助かった」

 

 

 適当な言葉を返してやると、

 龍園はバカにするように嗤う。

 

「その変人面、いつまで保てるか見ものだな」

 

 

 すると突然、ひよりが立ち上がった。

 躊躇など微塵も見せず、手に持ったコップの中身を龍園に向けてぶっかける。

 

「な、おまっ、龍園さんに何してんだ!」

 

 石崎は素っ頓狂な声を上げた。

 頭からオレンジジュースを被った龍園の姿は、滑稽そのものだ。ポタポタと滴が床に落ちた。しかし彼は全く動じることなく、咎めるような視線をひよりへと送る。

 

「邪魔をするな、ひより」

 

 高圧的な、有無も言わせぬ命令。

 

「邪魔なのはあなたです、龍園くん」

 

 だがひよりも一歩も退くことはない。

 息も詰まるような重たい空気が、辺りには漂っていた。

 

 彼女の鋭い眼光に龍園は、ククと喉を鳴らす。

 そして「行くぞ」と、慌ててタオルを持ってきた石崎を連れ、去っていった。

 

 

「……ごめんなさい」

 

 嵐は過ぎ去り、ひよりはホッと顔に安堵を滲ませて、それから申し訳なさそうに俯いた。

 

「どうしてひよりが謝るんだ」

「この関係を、クラス間の争いに持ち込まないと約束したのは私ですから」

「龍園は本気で友達になりたかっただけかもしれないし、そもそも最初に煽ったのはオレだ」

 

 ひよりと共に、濡れた床をティッシュで拭いていく。

 すると彼女は怪訝な顔をする。

 

「あれって煽りだったんですか?」

「……まあ、いいだろ。それよりも、ひよりこそあんな事して大丈夫なのか?」

「龍園くんはそこまで短絡的ではありませんよ。手段として暴力を使うだけですから。私を暴力で黙らすことに大きな利点がなければ、わざわざ手間が掛かるようなマネはしないでしょう」

「そうか、なら良かった」

 

 大きな利点があれば躊躇いなくやる、ということでもあるのか。

 床を拭き終わったオレ達は再び席に着いた。

 その頃には周りの目はもうなくなっていた。

 

「そういえばXとか何とか言っていたが、あれは何だ?」

「Dクラスに一杯食わされたことが相当堪えたらしくて。龍園くんは無人島試験の裏で暗躍した、Dクラスに存在する黒幕Xを探すことに躍起になっているんです。平田くんや高円寺くんにも同じような挑発行為をしていました」

 

 ずっと部屋に引き篭もっていたので今まで害は被らなかったが、X候補の一人にはなっていたのだろう。オレが一人で出かけようとした時に平田が引き留めてきた理由がようやく理解できた。

 

「なるほどな。あまり聞かない方が良いのは分かっているんだが、」

「良いですよ。結果的に約束を破ってしまったのは私ですし」

「Cクラスとして、ひよりはXをどう思うんだ?」

 

 普段は緩く世界を捉えている彼女の瞳は、一瞬鋭く光る。

 

「これはあくまで私の主観ですが。

 ーーXを探る意義を、あまり感じていません」

 

 意外にもひよりはXに関心がないようだ。関心がない、とは少し違うとは思うが。

 

「聞く限りではヤバい奴なんだろ? 素性を知れないのは怖くはないのか?」

「重要なのはDクラス攻略は一筋縄ではいかない、という情報ですから」

「……そうか」

「今の龍園くんに何を言っても無駄でしょうけどね」

 

 彼女は自嘲的に顔を伏せた。

 

 

「ま、いつか飽きるだろ」

 

 オレは適当な事を言ってうどんを啜る。

 そして口の中に入れた瞬間、メロンソーダがブレンドされていた事を思い出した。

 吐き出すのもキマリが悪いし、残すのもどうかと思ったので、結局食べ続けることにした。

 

 ひよりは顔を歪めて緑色に染った汁を凝視する。

 

「……美味しいんですか?」

「美味くはないな」

 

 その返答に彼女は明らかに困惑していた。

 

「新しいものを、頼みましょう」

「せっかくひよりが選んできてくれたんだ。残すわけにもいかないだろ」

 

 完璧で模範的な理由を述べたと思ったが、眉を下げ、どこか寂しげな表情を浮かべるひより。

 

 唐突に、彼女は半分残ったメロンソーダをひったくり、自分のうどんにドボドボとかけた。

 意を決したように彼女は麺を勢い良く啜る。そして渋い顔で口をもごもごと動かす。

 

 オレはその一連の奇行を、半ば呆然としながら眺めていた。

 

 彼女のこういった顔は珍しい。

 

「……大丈夫か?」

「ゲロ不味いです」

 

 それでもまたもう一口と食べ続けるひより。

 時折口を抑え、必死に飲み込もうとする。

 そんな彼女の姿に、肺が潰れたような感覚に陥る。

 

「綾小路くんは?」

 

 そして、彼女もまた、心配そうにオレの瞳を覗き込んだ。

 逃れるように、目を伏せる。

 

「……ゲロ不味いかもしれないな」

 

 

 彼女の奇行の意図を理解したところで、オレの心はちっとも動かない。

 何故ならば、意味など何処にもありはしないからだ。

 

 だがどうしてだろうか。

 恐らくこの味は一生忘れられないはずだと。

 ただ漠然と、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カラオケルーム内の温度は、クーラーだけでは説明付かない程下がっている。

 

「綾小路くん。私に言うことあるよね?」

「試験お疲れ様。楽しかったな」

「あるよね?」

「謝らないからな?」

 

 空気の凍てつき度は、猿でもできる! 永久凍土の作り方! に名乗りをあげることができるほどだ。

 ま、オレからしたら扇風機の強風程度だがな。……結構寒いな。

 

「なんで?」

「歌わないのか?」

 

 櫛田にマイクを手渡したが、彼女は足を組み、微動だにしない。そして『いてつくしせん』を繰り出した。実はエスパータイプらしいぞ。という話は置いといて。

 

 目を覚まして大浴場でサッパリしてからまずしたことがある。食事? 二度寝? もちろん違う。櫛田への弁明だ。一々読んではいないが、メールの内容は100%試験結果の疑問とオレの行動に対しての非難だろう。堀北の法螺話では、オレがバカみたいに大活躍したことになっている。櫛田からしたら不服以外の何物でもない。おかげで堀北株がストップ高になってしまったのだから。メールでは説明しきれないので、何でも備えられてある豪華客船のカラオケのとある一室に予約を入れた。

 

 だが、実はオレが責められる所以はどこにもない。

 何故なら契約違反には一切抵触していないからだ。

 堀北の退学を手伝うとは言ったが、堀北の手伝いはしないなんて文言はなかった。

 依然変わらない態度を取り続けていると、

 

「……少しは手を抜くとかしてくれても良かったじゃん」

 

 先とは打って変わって、拗ねたように唇を突き出す櫛田。

 これは少し意外だった。もっと烈火の如く怒り狂うと思っていた。

 無人島試験から二日は経っているし、風化していたのかもしれないな。

 

「あのな。オレたちの最終目標はなんだ? 堀北を退学させることだろ。道中の嫌がらせでオレが信用を落とすような事態があれば面倒なことになるはずだ」

「だからってマイナス50ポイントを帳消しにし過ぎなんだよ。Cクラスも結局0ポイントになったし」

「楽しい楽しい積み木作業が終わったら後はジェンガが待ってるぞ。それに、クラスポイントが増えるのはそんなに悪いことじゃない」

「……堀北の財布だって潤うじゃん」

「そこは許してやれよ……」

「やだ」

 

 あまりに子供っぽい駄々だが、もっともな反応かもしれない。

 周りに人がいる中でリーダーを伝えるのは相当気を使ったはずだ。プライドの高い彼女からしたら、自分の働きがチャラになったことが許し難いのだろう。

 

「無人島試験の話になればみーんな二言目には堀北堀北堀北堀北堀北堀北堀北。バカのひとつ覚えみたいにさ。あんたの功績も一部では全部堀北のおかげって事になったりしてるんだよ? 知ってた?」

 

 無人島試験でDクラスが完全勝利を収めたのも、全部堀北さんが居たからじゃないか……!

 みたいな反応だろうか。

 

「さぞあいつは気持ちが良いだろうね。世界の全ては自分のために動いてるって勘違いしてんだよ。優等生を取り繕って、協力が大事だと謳っておきながら、内心見下して、バカにして、悦に浸ってんの。どうせ大したことないくせに、どうせ大したことないくせに」

 

 櫛田はストローをガジガジ齧りながら恨み言を垂れる。

 恨み言は、低く、そしてじっとりと湿っていた。

 

「さっさとバカを自覚して捻くれろ」

 

 櫛田の堀北への悪口は、いつもどこか願望が混じっている。他人の内情を見抜く目を持つ櫛田は、きっと既に分かっているはずだ。

 

 堀北は自分の思うような人間ではない、と。

 

 察していながら、否、だからこそ、イラつくことがやめられない。堀北は、自身のコンプレックスを刺激する存在でしかないからだ。

 

 

「堀北は、櫛田の望む、無力なバカではなかったぞ」

 

 オレはそんな櫛田に更に刃を振り下ろす。

 

「どういうこと」

 

「……お前は今回、完全に堀北に出し抜かれたんだよ」

 

 天使とは元々畏怖する対象だったことをなんだか思い出すような、そんな笑みだった。

 

「堀北はリーダーじゃなかった」

「……は?」

「だから、オレは名実共に堀北をリーダーにするために動いた。その副産物的なものだ、あの結果は」

「意味、分かんないんだけど」

 

 恩着せがましく事実を少し捻じ曲げ、真実らしくデコレーションした作り話を櫛田に伝える。

 

「堀北はスポットの占有ボーナスを最初から諦めて他人をリーダーに据えていた」

「……でも試験が終わって龍園に渡した時は堀北がリーダーだったよ?」

「リーダーにしたんだ。マニュアルには、正当な理由があればリーダーを変えられると書かれている。リタイアは正当な理由だろ」

 

 その文言に、櫛田の顔色はみるみる内に変わっていった。

 

「はあ?! そんなのアリ? だったら変え放題じゃん。リーダー当てとかバカらしくなるんだけど、欠陥すぎでしょこのルール!」

「だから最初からリーダーを当てようなんて考えずに、慎ましく生活することが最適解だったんだろうな」

「待って。じゃあ、あんたがリタイアしたのって」

「リーダーを変えるためだ。決して体力に限界がきたからとかじゃないぞ。もしかして心配でもしたか?」

 

 櫛田はオレを睨みつける。

 

「私の心配一個50万ポイントだから」

「返品不可なのか?」

「そもそも非売品だよバカ。それで?」

 

 そして流れるような罵倒。

 オレほどの精神強度を持っていなかったら死んでいた。

 

「堀北はこのルールの穴に気付いていた。彼女は用心深い性格だ。だから、わざとスパイにカードを盗ませたんだ」

「……龍園はあんたがリーダーだって知ったってこと?」

「そうだな。オレはこの作戦を事前に聞かされていた。櫛田が龍園に伝えた情報が全くの嘘であることを覆すために、色々な理由を付けて次のリーダーを堀北にするよう頼んだ。条件の一つとして、他クラスのリーダー当てを任された。それがあの結果だ」

 

 内容を噛み砕いていき、そして段々と最初の言葉の意味を理解していったのか、フルフルと震え始める櫛田。

 ついには立ち上がった。

 

「じゃああの時言ってくれれば良かったじゃん!! リーダーは堀北じゃないって! あの時私のことを嗤ってたんでしょ! 堀北に一杯食わされたかわいそうな奴だって!」

 

 ほぼギャン泣きである。

 

「オレがお前を嘲笑うような人間に見えるか?」

「見える」

「四月から築いてきた絆が今一瞬で崩れ去ったぞ」

 

 三度の絆よりもプライド優先な櫛田さん。

 そんなこと知るか、と言った顔でオレの胸倉を掴む。

 怒り心頭で瞳を涙で濡らしている櫛田をなんとか宥める。

 

「オレは別に嘲笑いたかったから黙っていたわけじゃない。周りに人が居るかもしれない状況で、取り乱されたら困るからだ。実際問題はなかったろ」

「別に取り乱さなかった」

「本当にそうか?」

「信用できなかったってわけ?」

「心配するに越したことはないだろ」

「他にも伝え方あったよね?」

「もう過ぎた話だ。堀北やクラスメイトへの愚痴ならいくらでも聞く。――何をすればその怒りは収まるんだ」

 

 冷静に指摘されて顔を顰める櫛田。

 

「……謝ってくれれば良いよ」

 

 彼女の沸点は最近少しだけ上昇している。

 オレの身を粉にしたメンタルケアの賜物だ。

 ワシが育てたと言っても過言ではない。

 

「嫌だ」

「はあ?」

「そもそもの話、櫛田が先にオレに話を通してくれさえすれば、本物のリーダーを伝えることができた。今回オレに非は全くない。だからぜったい謝らない。むしろ尻拭いしてくれてありがとう綾小路さん、だ。そうしたらごめんね桔梗ちゃんくらいは言ってやっても良いぞ」

「口縫うよ?」

「じゃあこの話は平行線だな」

「あんたが変な方向にぶっ飛ばしたんだよ! 死ね!」

 

 掴んでいた胸倉を乱暴に放し、吐き捨てるようにそう言った。そして椅子に体育座りしてジュースを酒を煽るように飲み干した。氷をガリガリと噛み潰している。

 

「もういいし。あんたがそういう奴だって知ってるし」

 

 そう拗ねるように呟いた。

 オレも座り直し、シャツの襟を正す。

 

「……悪かった。離脱した後にでも隙を作って伝えておけば良かったな」

 

 ふん、と彼女はそっぽを向いた。

 

「すれ違いが起きないように、今度からは事後報告はやめてくれ。逐一言ってくれればこっちで対応する」

 

 沈黙が返ってきたが、肯定と捉えても良いだろう。

 

「これからもオレは堀北に全力で協力するフリをし続ける。龍園とのコネクトを作ったのは、その方面での手助けをオレは出来ないからだ。それだけは理解して欲しい」

「……分かった」

 

 

「まあ、ありがと」

 

 空調の音で掻き消されるほど小さな声だったが、その言葉はオレの耳に確かに届いた。

 

「え、なんだって?」

「やっぱり死ね」

 

 マイクが顔面に向けて投げられる。

 咄嗟にキャッチしたが、オレでなければ事故が起きていたぞ。

 

 その後、ストレス発散もこもった聞くに耐えない罵詈雑言を一身に浴びて、時刻は十九時を回った。一応櫛田を慰めきれない可能性も考えて終了を二十一時にしておいたので、まだ二時間は余っていた。

 大分満足げな櫛田。

 

「なんか歌うか?」

 

 そう提案すると「あんた歌えんの?」と純粋な疑問が返ってきた。

 

「部屋に居ても暇だからな、さぶかるちゃーには意外と詳しいぞ」

「オタク文化をカッコつけて言わなくていいから」

「各方面から怒られそうな発言だな」

「じゃあなんか歌ってよ」

 

 彼女はニヤニヤしながら採点機能を入れ、デンモクを渡してきた。酷い点数を取ったオレを嗤うためだろう。取り敢えず目当ての曲を探す。カラオケボックス自体は櫛田に連れられ何回か行ったことはあるものの、実際に歌うのは初めてだった。そのため目当ての曲があるかどうか不安だったが、何とか見つける事が出来た。

 

「イタリア語!?」

 

 画面に映ったタイトルを見て櫛田はあんぐりと口を開けた。

 

「イタリア語」

「日本語歌えよ」

「丁度良い音域なんだ」

「じゃあ歌詞分かんないから一回一回和訳しつつ歌って」

「なんだその変態は」

 

 櫛田はプクッと頬を膨らませる。

 これはおねだりの領域展開だ。

 耐えるためには相当な精神力を消耗する必中技である。

 恐ろしい子……!

 

「やだつまんない」

「それを言った事を後悔させてやろうか?」

 

 そのまま歌い始める。オレの美声に酔いな、という奴だ。呆気に取られること間違いなし。チラリと彼女の方を見ると、しかしドン引きしていた。

「上手過ぎて引くわ」

 実に櫛田らしい感想だった。

 

 初めてということもあって、結果は94点と微妙な点数に収まってしまう。

 

「流石に100点は厳しいか……」

「カラオケって100点取れるもんなの?」

「あるからには取れるんじゃないか?」

 

 こっそり同じ曲を入れようとしたらすぐに予約を取り消された。

 

「させないよ?」

「100点取るまで帰れまハンドレッドをやる価値はあると思う」

「ねえよ」

「じゃあ櫛田も歌うか?」

「あんたの後とか絶対やだ」

「櫛田ちゃんの〜ちょっといいとこ見てみたい、はい」

 

 色々囃し立て、なんとか歌わせる事に成功した。

 

 櫛田は最近のトレンド曲を見事歌い上げる。

 可愛らしい歌声と嫌味じゃない上手さは、流石といったところか。カラオケ慣れしてる感が半端じゃなかった。拍手を送ると、ドヤ顔を返される。点数発表はすぐに飛ばされてしまったが、オレの動体視力を舐めてはいけない。

 

 「89点はそんなに悪い数字じゃないと思うぞ」と素直に感想を述べてみると、

 「嫌味乙」とそっぽ向かれた。

 

「採点機能を外すか?」

「えーやだ」

「人に点数見られるの嫌なんだろ?」

「だって何もないとつまんないじゃん。あ、これ入れよ」

 

 櫛田は寝転びながらデンモクを操作する。

 すると、画面には『グラビア採点』という意味不明な文字が並んだ。

 

「……え、なんだこれ」

「良い点を取れば取るほどグラビアが脱いでいくみたいなやつ」

「そういう趣味があるのか?」

「喉潰すよ? よくカラオケには行くけど、絶対に使わない機能だから、どんなのか気になっただけ」

「なるほどな」

 

 女子数人で集まったり、男子が混じっている中では絶対に採用しない機能の一つだろう。

 

「あんたこそ気になるんじゃないの?」

「女の子がいる前でグラビア採点を入れられる鋼の精神をオレが持ち合わせていると?」

「じゃあ入れちゃおっと」

 

 まあですよね。

 画面には、教室のセットの中でセーラー服を身に包んでいる女性が映っている。

 どう見ても十八歳は超えている。今からオレは、彼女を脱がすことになるらしい。

 

「スタイルはまあまあだけど顔は悪くないね」

 

 と、おっさんみたいな評価を入れる櫛田。

 

「よく分からないが、こういうのって簡単に高得点取ってしまうと面白くなくなるんじゃないか」

「じゃあ知らない曲歌って」

「はい?」

「コード進行とかでどんなリズムかとか分かるしょ。たまにヒント出してあげるよ」

「流石に無理だろ」

「作曲家に負けるの?」

「それを言えばオレが何でも挑戦すると思うなよ?」

「え、違うの?」

 

 

 

 

 

 意外と盛り上がったのは内緒だ。

 可愛い女の子を引き当てると二人して脱がす事に躍起になったり(途中から櫛田がマイクを奪って歌い出したり)、逆に魅力的じゃないと感じると一気にやる気がなくなったり、A判定よりもB判定の方が意外と際どかったこともあったり、

 ……これ以上はオレたちの品位に関わるのでやめておこう。

 

 そうこう遊んでいる内に、二時間はあっという間に経っていた。

 

 因みにカラオケ代は全てオレ持ちとなった。心配代50万ポイント分をガチで払わせたいのだろう。卒業までオレに奢らせるつもりらしい。

 まったく、先の長い話になりそうだ。

 

 

 

 

 ……まあ、50万ポイントを支払うまで彼女との付き合いを続けるつもりはないが。

 

 堀北は裏切り者を騙すためにクラスメイトに170ポイント得ていたと嘘を吐いた。

 だとすれば、そもそも。どうやって彼女は裏切り者の存在に辿り着いたのか。

 もしや。

 そんな考えに至るのに、そう時間はかからないだろう。

 

 堀北の体制が盤石になった今。

 櫛田との関係は、一度清算する必要がある。

 

 

 

 

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