心が弱くても勝てます 作:七件
次の日の朝のSHRと一時間目が始まる合間の時間。
早速クラスのリーダー平田様は、勉強会の実施を提案した。
しかし、赤点組だというのに断る輩もいた。
須藤や池、山内たちだ。
平田は何度か説得していたが、ついには首を縦に振らなかった。
特に須藤は初日の自己紹介の時から馬が合わないらしく、二人の関係は悪くなる一方だ。
「綾小路君」
そんな彼らを静観していると、平田は何故かこちらへ近寄ってきた。
一体なんの話だろう、と身構える。
面倒ごとはなるべく避けたいからな。
「何故か自分は関係ないって顔してるけど、君に一番勉強会、参加して欲しいんだ。小テスト……悪いけど、奇跡的な点数を取っていたから」
あ、それかあ。
最低点数を叩き出したことが気になるのか、クラスメイトの目がこちらを向く。
貼り出されると分かっていれば(二回目)
「平田。その話なんだが、断らせて貰う」
「……どうしてか聞いても?」
「ほら、昨日茶柱先生に呼ばれただろ?実はオレは名前を書き忘れていたらしくてな、実際の点数を教えてもらったんだ。はt……75点だった。多分、勉強会に出ても教えることはできないし、逆に習うこともない。悪いな」
80点以上取っていたと嘘をつけば、できれば教える側に回って欲しいとか何とか言われそうだし、逆に低すぎれば中間テストで不用意に目立ってしまう。妥当な点数のはずだ。
「そっか、良かった。本当に心配してたんだよ」
「オレも驚いた」
「もし分からないことがあったら、遠慮なく参加してほしい」
「ああ、分かった。ありがとな」
奇跡の点数の理由に納得してくれたらしく、皆の目は逸れる。
堀北だけは、呆れたような眼差しを向けてきた。
そして小声で問う。
「先に教えて頂戴。中間テストは何点取るつもりなの? 一つでも0点を取れば、退学よ。本当に英語と社会ができないようなら、私は色々考えなくてはいけないから」
「全て満点を取る。これで満足か?」
「……もう何も言うことはないわ」
堀北はウンザリしたようにため息を吐いた。
育児疲れかな?
□
数学の先生のうんちくトークが炸裂している間にチャイムが鳴り、昼休みになった。
ポイント温存のために、108円という安さでありながら、カロリーのお高い紙パックのミルクティーをちびちびと飲む。
すると堀北は、普段なら弁当を広げるというのに、立ち上がった。
「お昼、暇? 良かったら、一緒に食べない?」
「一緒に食べてるだろ」
「……もしかしてずっと一緒に昼食を取っているつもりだったの? 寒気がしたのだけど」
「そこまで言わなくてもいいだろ……」
「それで、どうする?今なら食堂で奢ってあげるわ」
そう言って彼女は学生証カードを取り出す。
堀北から誘うなんて、怪しさしかない。
今朝の顛末を思い出し、堀北が言わんとしていることは、だいたい想像がついた。
「勉強会でも開くつもりか」
「話が早くて助かるわ。彼らでは一夜漬けで結果を出すことはできないでしょうから」
「あの三人を誘うことがお前以上に難しいオレに頼むのは無謀だぞ」
「同性同士の方が話しやすいでしょ? 手伝ってくれるのよね」
「歩みたいな動きはできないって散々言っただろ」
「だから奢ってあげるって言った」
「夏風邪なんだ。今は腹が空いてない」
池、山内、須藤。
クラスの問題児グループ。
彼らに話しかけるくらいなら三食紙パックのミルクティーでいい。
とまではいかないが、まあ、堀北が折角やる気を出したのに、ここで挫折されても困る。
「まあ契約もあるしな」
「やってくれるのね?」
「だがやり方はこっちで決めさせてくれ。何があっても文句は言うなよ」
「嫌よ」
「そうか」
オレは飲みかけの紙パックを手に持って立ち上がる。
「どこへ行くつもり?」
「櫛田のところ」
「あなた、話聞いてた?」
「話を聞かないのは何もお前だけの特権じゃないぞ」
乱暴に座ったのだろう、後ろでガタンと大きな音がしたが、振り返らない。
彼女も分かっているはずだ。
駒さえ持ち合わせていない自分たちでは、現状ゲーム開始にすら至っていない。
どうすることもできない、と。
食堂で談笑していた櫛田を見つけ、オレは声をかける。
当然周りの女子達から好奇の目に晒された。
つい即行動してしまったが、わざわざ昼食中に話しかけなくてもよかったな、と今更ながら後悔する。
「ちょっと二人で話したいことがあるんだ。悪いが、今いいか?」
櫛田は少し驚いた様子を見せ、
「うん、大丈夫だけど……珍しいね、綾小路くんから話しかけてくるなんて」
と微笑む。
そしてオレは櫛田を連れて、食堂を出て、人通りの少ない廊下で立ち止まった。
「あー悪いな。ちょっと頼みたいことがあって」
かくかくしかじか、オレは須藤たちを救済するために勉強会を開くことと、それを堀北が開催することを説明した。
すると、櫛田は拍子抜けした様子で、「なんだ」と呟く。
「え?」
「あ、ちっ違うの! 急に二人で話そうなんて言うから、告白かと思って……」
櫛田は顔を赤くして俯く。
なるほど、そういう可能性もあるのか。
確かに、大して交流のなかった男がいきなり二人きりになりたいなんて、怪しさ満点だ。配慮が足りていなかった、とオレは頭を抑えながら、糖を吸収するためにミルクティーを摂取する。
そしてその行動が側から見れば異常であり、櫛田に好意を持つ一般男子生徒からかけ離れた言動だという事に気付き、何か言おうと言葉を探す。
だが、急に脱力感が襲ったので、そのまま流すことにした。
要は面倒くさくなったのだ。
人間的だな、と自嘲する。
「勘違いさせて悪かった」
「ううん、こっちこそ、早とちりだったね。ほら、綾小路くんってなんだかミステリアスだし……。意外と注目されてるんだよ?水泳が凄かったり、0点取ったり、一年生の女子が作ったイケメンランキング堂々の五位だったり」
なんて恐ろしいランキングを作ってるんだ。
そういえば知らない女子からたまにチラチラ見られているなとは思っていたが。
「それは光栄だ」
「全然嬉しくなさそうだね」
「話が脱線したな」
残ったミルクティーを一気に煽る。
彼女の暴き出そうと光らせる目を前に、演技はもはや諦めた。
「三人を参加させる手伝いをしてくれると助かるんだ。この勉強会を通じて櫛田が堀北と仲良くなれるかもしれない、と思ってな。例えば勉強会に参加したっていい。ほら、この前オレが台無しにしただろ? その埋め合わせも兼ねたい。嫌なら断ってくれ」
「ううん。そんな打算なしに、困ってる友達がいたら助けるのは当たり前じゃない? だから手伝うよっ」
「ありがとう助かった」
「大船に乗った気持ちで任せてね」
オレの手を取り、櫛田は笑顔を振り撒いた。
ずっと演技を続けていられる胆力には恐れ入る。
「勉強会はいつから始めるの?」
「明日からだ。……間に合うか?」
「うん、多分大丈夫だと思うよ」
「図書館前で16時集合ってことも伝えといてくれ。持ち物は……筆記用具と勉強したい教科でいい」
その辺りは堀北に詳しく聞いていないが、問題はないだろう。
今の堀北では、失敗するのは火を見るより明らかなのだから。
□
やはりと言うべきか、堀北は櫛田が勉強会に参加することを拒否した。
沖谷が勉強会メンバーに加わっていたのには驚いたが、とりあえず、五人に先に図書館で勉強をするよう促し、オレは堀北に説得を試みることにした。
図書館の扉の前では目立つので、ベンチに座る。
「どうしてそこまで櫛田を嫌う」
オレは再び、いつかの質問を繰り返す。
堀北はバッサリ切り捨てるように言った。
「私は、自分が優れていることを自負している。そしてそれ以外の劣った人間に全く興味がない。会話するだけ無駄、意味がない。だって彼らには脳がないもの。嫌っているわけではないわ、無駄だと感じているだけよ。理由はこれだけで充分でしょ?」
圧倒的な自信。
それはハリボテではないのだろう。
おそらく彼女には努力という絶対的な裏付けがある。
だが、いやだからこそ、滑稽に映るのかもしれない。
「でも櫛田はお前よりコミュ力があるぞ」
「コミュニケーション能力をあなたは勘違いしているようだけど、この能力は単にお友達を多く作れる力というわけではないでしょう」
「ああ知ってるさ。それを込みで、あいつの方が能力は上だと言ってるんだ。お前の理論を使えば、櫛田はお前に話しかける必要はない」
「ええ、だから? 私は自分が正しいと思ってる」
「櫛田も自分が正しいと思っているだろうな」
「だからこそ、私たちは反発し合っている。違う?」
「進展性のない関係をいつまで続けるつもりだ。それに何の意味がある」
「意味なんてないわ。彼女と話しても意味がないのと同じで」
それは屁理屈だ、と思ったが、堀北は決して折れることはない。まあ人には色々あるからな、無理に迎合する必要などひとつもない。そして、ただの第三者がここまで食い下がる意味も、ない。
多分、オレは実験がしたいだけなんだろう。
決して交わりそうにない二人が近付けばどうなるか。
単なる知的好奇心に過ぎないのだろうが、その気持ちを優先することは、今のオレには“正しく”思えた。
つまり、これはただのオレのエゴだ。
「お節介なのは充分承知しているさ。その上で頼んでいるんだ。嫌なら断ってもいい。だが、せめて、正しい理由を教えてくれ」
その言葉に堀北は顔を顰める。
言うべきか黙るべきか。
数秒の沈黙の後、彼女は衝撃の事実を吐き捨てるように言った。
「彼女が、私を嫌っているからよ」
……なるほど、な。
「自意識過剰とでも笑えばいいわ。これでこの話は終わり」
言うべきではなかった、と後悔したように堀北は俯く。
「待て、確かに櫛田はそういった一面を持っているはずだ。だが、それこそ理由がない、分からない。堀北、お前は何か知っているんだろう?」
「知らないわよ。……いえ、思い当たる節はあるけれど、理解ができない、が正しいかしらね」
「その思い当たる節とやらを問い質せばいい。不都合ならその際オレは席を外す」
堀北は呆れの感情を顔に滲ませた。
「その行為に、意味がないと言ってるのよ」
確かに、彼女は一貫して、終始意味がない、と主張していた。
別に櫛田の能力を軽んじていたつもりはなく、櫛田という人間関わらず、他人に興味がなく、向き合う意味を感じていないのだろう。堀北の考え方は、本当の意味での波風を立てない生き方だ。
だが、それも特別試験がなければの話。
「この状況においてまだそんな事を言っているのか?」
「随分上から目線ね」
「確かに物理的には上からだな」
「話にならないわ。あなたにはせめて脳があると思っていたのだけど」
先の発言で完全に苛立ちを顕にし、堀北はオレを睨みつける。
そこに普段の余裕はなく、腕を組み、右人差し指は落ち着きなくリズムを刻んでいる。
その様子に、オレは思わずため息を吐いてしまった。
「……本当に視野が狭いらしい」
「茶柱先生に認められているからって調子に乗っているのかしら」
「取り敢えず一旦落ち着いて冷静に振り返ってみろ。今のお前の発言は、お前が見下している奴らと同等だ」
少しだけ考える素振りを見せ、完全に図星だったらしく、大きく顔を歪ませた。
「今取り組むべきことに、今必要のない私情を挟む意味はない。違うか?」
「……頭を冷やしてくるわ」
「風邪は引くなよ」
堀北は一度オレを睨んでから、立ち上がり、図書館とは真逆の方向へ歩き出す。それを見送ってから、取り敢えず五人のところに戻った。
そして、不在の間、習得度を測るテストを受けてもらうと堀北に頼まれたと伝え、堀北が作った問題用紙を配っていく。
上手く難易度がバラけており、実力を測るには充分の、先生顔負けの問題選びだった。
それを四人に配り終え、オレはカバンを持って退出しようとする、と、櫛田が「え?」と首を傾げた。
「綾小路くんは勉強会、参加しないの?」
「元からそのつもりだったが」
「ええ? なんだよ、お前だけ狡いじゃんかよ。俺たちは今から辛い思いをするってのに」
池が櫛田に便乗して文句を言う。
「自業自得だろ」
「でもお前も点数壊滅的だったろ」
山内も櫛田への点数稼ぎ目的か、援護射撃を繰り出した。
75点って説明したんだけどな。
仕方がない、最終手段を使おう。
「ライバルが増えるけどいいのか?」
何の、とは言わなかったがそれだけで察したらしく、
「ま、まあ。綾小路がそこまで言うなら、よくね? なあ山内」
「家でやった方が捗るタイプもいるしな!」
と、慌てて反対の意見を言う。
しかし櫛田は諦めるつもりはないようで、
「一緒にやった方が捗るよっ。ね?」
そう腕を掴まれる。彼女の豊満な胸が当たっていた。確信犯なのだろう、池と山内からの視線が痛い。YESと言うまで離してくれそうになさそうだ。
「分かった、分かったから離してくれ」
「やった!」
天使の微笑みを浮かべる櫛田の横で項垂れる二人の男ども。
どこかの宗教画にありそうな光景だった。
「時間は三十分らしい。オレが合図を出したら始めてくれ。沖谷は大丈夫か?」
「え!? あ、うん。だ、大丈夫だよ」
少し挙動不審気味だった沖谷に確認を取り、それから合図を出した。
問題を解き進めていると、隣からずっと視線を感じた。
気になって横を向くと、案の定、櫛田はじっとオレの方を向いていた。
無意識的に動悸が激しくなる。
「……どうした?」
小声で問いかけると、ううん、と彼女は可愛らしく首を横に振った。
「気になるんだが」
「ああ、ごめんね、違うの。ただ、綾小路くんって途中式書かないタイプなんだなって」
そう言われてオレは自分の答案に目を向ける。
簡単な数学の問題だ。
確かに、オレの問題用紙には、解答欄に答えのみを書き、他は白紙だった。
そもそも習得度チェックに参加する予定はなく、堀北への負担が増えるのを考え、答案を提出する気はなかった。だから、暇潰しがてら解いていたのだが、それが仇になったようだ。
「ほら、この問題、中学一年生レベルだろ? 意外と暗算が得意なんだ」
「でも連立方程式って式書かないで解けるものなのかな」
「そういうズボラな所があるからケアレスミスで点数を落としてるのかもな」
へえ、と含みを持たせたような相槌。
観察するような目を、櫛田は向けてくる。
今この瞬間、心臓が不規則にのたうちまわっている理由が、美少女に見つめられているからだったなら、どんなに良かっただろう、と思った。
すっとぼけを続けながら、次の問題を慎重に解いていく。
視線はずっと感じたまま。
「櫛田ちゃん櫛田ちゃん! ここ、わかんねえ!」
オレ達が話していたことに気付いた池が、そうアピールを始めた。
……危なかった。
あと一秒遅ければ、血迷って、
オレを見つめると火傷するぜ
と恐ろしいことを言い放つところだった。
「習得度チェックのテストだから、教えてもいいのかなあ?」
困ったように彼女は身を乗り出し、池に説明を始める。
どうやら嵐は去ったみたいだ。
「……えっと、大丈夫?」
沖谷が少し心配したように問う。
よっぽどオレの顔色は悪いのだろう。
「あ、ああ。寝不足なだけだ」
そう適当に誤魔化し、問題を解き進めていく。
その後、池と山内はもはや問題を解いてはいないのではないか、と思うほど執拗に櫛田に話しかけていたため、解き終わり、堀北が帰ってくるまでちょっかいをかけられる事はなかった。
□
帰ってきた彼女は早速答案をザッと見て、大きなため息を吐いた。
須藤は終始不機嫌気味だ。
解き方が分からない問題と睨めっこを続けるのは、苦痛でしかなかったはずだ。
そんな態度を取られれば、更に苛立ちを募らせる一方だろうが、彼女は気にした様子はない。
「ええっと、習得度って言ってたけど、池くんと山内くんには一問目教えちゃったんだっ。……大丈夫だった?」
「……ええ、ありがとう。まさかここまでとは思っていなかったから助かったわ。沖谷くんは基礎レベルは解けていたけれど、他三人は壊滅的ね」
須藤は舌打ちをする。
堀北が一瞥し、それからもう一度ため息を吐く。
「まさか連立方程式も分からないなんて……まずは須藤くんに今から教えるわ。沖谷くんは分からなかった問題を綾小路くんに聞いて。多分彼なら全部解けてると思うから。櫛田さんは二人を……教えられる?」
「う、うん。でも、実はやっぱり分かんないって言われちゃって」
「櫛田ちゃんは悪くないよ!」
山内がすかさず言ったが、違う、そうじゃない。
櫛田も困ったように笑っている。
その様子に、堀北は眉間にシワを寄せた。
「今から連立方程式を三人に教えるから、よく見て」
堀北がそう言い、ノートに文字式を組み立てて問題を解き明かしていく。
模範的な解き方。
しかし、ノートを覗き込む赤点組は理解できていなかった。
「やっぱ分かんねえよこんなの」
「これは考え方次第では、連立方程式を習っていない中学1年生でも解ける問題よ。もっとちゃんと考えてみなさい」
「え、じゃあこれも解けないって、俺ら小学生並み……?」
まあ、確かに中一でも解けないことはない。
連立方程式と似たような問題を解くために、難関私立中学受験の対策を行なっている塾では、鶴亀算やら仕事算やらを頭に叩き込ませているらしいし。
「そんなことは、多分ないと思うよ」
櫛田もフォローを入れる。
「だよな!」
そういう問題じゃないが。
オレはそれらのやり取りを横目に、沖谷に質問された問題について解説していく。少しややこしい因数分解の問題。文字を組み替え、たすきがけを使っていく過程を丁寧に教えれば、やはり赤点ではないだけあって、しっかり理解してくれた。問題が解けるようになったのが嬉しいのか、顔を赤らめ、「ありがとうっ」と微笑む。女子に免疫がない男だったらコロッといっていただろう。どうしてお前は男に生まれてきてしまったんだろうな。
「あなたたちを否定するつもりはないけれど。あまりに無知、無能すぎるわ」
「あ?」
一方堀北側は、段々雲行きが怪しくなっていく。
まあ、連立方程式という基礎中の基礎も分からない連中に、一から教えるのは困難だろう。どうなるかは目に見えていた。
「聞こえなかったかしら。あなたたちは無知、無能だと言ったのよ。この程度の問題も解けない頭で将来どうなるか、考えただけでゾッとするわね」
「っせえな。お前には関係ねえだろうが」
そこから、堀北と須藤の言い争いが始まる。
元々苛立っていた須藤はついに抑えきれなくなったのだろう。
習得度テストで思い知らされたはずだ。自分が今まで一切勉強について何もしておらず、簡単な問題さえ解けないことを。打ちひしがれたはずだ。自分の無知、無能に。
だからこそ、苛立つ。
人は正論を嫌う。
堀北の振りかざす論は、正しく、正しすぎた故に、須藤は我慢ならないのだ。
しかし堀北だって真っ向から対立されて我慢できるはずもない。
ついには堀北の言葉の矛先は、須藤の部活、つまりバスケにまで向いた。
「こうやって勉強から逃げるみたいに、本当に苦しい部分から目を背けて、自分に都合の良いルールでバスケに取り組んでいたんじゃない? あなたはさっきバスケットのプロになると言ったけれど、簡単に叶う世界だと思ってるの? 勉強さえ中途半端に投げ出してしまうような人間が、プロを目指す? 笑えない冗談ね。仮にプロになれたとして、納得のいく収入を得られるはずもない。そんな現実味のない職業を志す時点で、あなたは愚か者よ」
「てめえ!」
須藤はブチギレ、堀北の胸倉を掴んだ。
しかし堀北は、一層冷たい視線を須藤に送っていた。
「そうやってすぐに暴力に走る。ここはもう、バスケが上手いだけで何でも許されるような場所じゃないの。今すぐに学校を辞めてもらっても構わないわ」
「……ああそうか、お望み通りやめてやるよこんなもん。じゃあな」
「そう。さようなら」
荷物をまとめて席を立つ須藤の姿を、堀北は侮蔑を込めた目線で見ていた。
「あっ! おい須藤!」
他三人は、須藤を追いかけようかどうか、戸惑っているようだ。
「別に帰ってもいいわよ。今回上手く行っても、どうせあなた達はまたすぐ同じような窮地に追い込まれる。そうなればまたこの繰り返し。そして、やがては躓く。実に不毛だとは思わない?」
そんな様子の彼らに堀北は、にべもなく言い放った。
「い、いくらなんでも上からすぎねえ?」
「事実でしょ?」
彼女はもう、彼らの顔さえ見る気はない。
不毛だと、バッサリ切り捨てるつもりなのだろう。
そろそろか。
「堀北、そこまでにしとけ」
その声に、四人は驚いたようにオレを振り返る。
それに頭痛を覚え、頭を抑えながら、堀北を宥める言葉を慎重に選んでいく。
「お前が切り捨てようとしている奴らに比べて、堀北、お前は本当に完璧に優れているのか?」
「ええ、そうよ」
気が立っているのか、堀北はキツく言い返す。
「須藤の運動能力は男子の中でも群を抜きん出ているし、池だって、お前にはできない、周りを明るくするコミュ力を持っている。沖谷はお前にない素直さを持った誠実な人間だし、山内は嘘が吐ける」
山内が「俺だけ、おかしくね?」と呟いたが無視した。
「それらがいつか問われる試験があるかもしれない。その時、お前はたった一人で他クラスに立ち向かうつもりなのか?四月からの一ヶ月かけた特別試験で、お前は一体何を学んだ。予め授業態度がポイントに直結していると気付いていながら、それを共有しなかった。確かに個人戦だったらその行動が正しいんだろうな。だが、この学校はあくまで団体戦だ。それを、クラスポイントの惨状を目の当たりにして、身に染みて理解したはずだろう」
「足を引っ張っている事実は変わりないわ。今後のクラスのためにも切り捨てるべきよ。あなたが言ったんじゃない。癌を取り除く考え方もあると」
「対話を問われる試験が一番初めに行われていたとして、その時も同じことが言えるのか?」
「……そもそも、学習態度や学力以外で実力を測る特別試験がある前提で話しているけれど、根拠に乏しいわ」
「幸村やお前がDクラスに配属されたことに間違いはないと言い切られた時点で、この学校は学力だけで実力を測っていないことくらい、いい加減分かっているだろ。茶柱の言葉を思い出せ」
「私はまだ、Dクラスに配属されたことに納得いっていない。ほんとうなら……しっかり審査をしてくれさえすればっ、私は、彼らよりも、いえ、誰よりも確実に優れているはずなのよ。そうでなくてはいけない、のに」
声が震えていた。
彼女の中の根底が揺らぎそうになっている。
だからこそ、一度破壊する必要がある。
「お前は不良品だよ、堀北。Dクラスに落とされた決定打は、その相手を見下す考え方だと、一度でも思ったことはないのか? 他人を足手まといだと決めつけ、最初から寄せ付けず突き放す態度を、一体誰が支持してくれるんだ。ここにはもう、勉強ができれば褒め称え庇護してくれるような大人はいないぞ」
堀北は唇を噛む。
もしここが二人だけなら、先程のように彼女も納得できただろうが、今は周りに人がいる状況だ。彼女のプライドの高さが許さない。
親の仇でも見るような目で、オレを睨みつける。
全てを分かっていながら、だ。
だからオレも、それに応戦する。
身体の震えを抑えながら、堀北と目を合わせた。
「本気でAクラスに上がりたいなら、視野を広くしろ。今のお前には何も見えていない」
永遠のように感じられた、ほんの数秒の間、沈黙が落ちる。
逃げ道は塞いだ。
あとは堀北がどうするか、だ。
不意に彼女は立ち上がり、そして、頭を下げた。
「言い過ぎたわ。ごめんなさい」
そして顔を上げる。
まるで憑き物が落ちたみたいだった。
「こんな状況では集中できないから、一旦解散しましょう。代わりに、明日からは本気で取り組んでもらうわ」
四人は少しの間、圧倒されたように何も言えなかったが、そこで池が、「で、でもよ……」と口篭る。
「なんか、納得いかねえっつうか。結局、堀北さんはなんで俺たちに勉強を教えようとしてくれてんの?綾小路がめちゃくちゃ喋ったのにビビったのは置いといて、話の流れ的に、Aクラスにあがるためっぽいけどさ」
「そうね。私はAクラスに上がりたい。ただそのためだけに、あなた達に勉強を教える」
「なんかそれってさ、別にいいけど、俺たちを巻き込まなくてよくね?」
「いいえ関係あるわ。私はAクラスに上がるために、結果的にあなたの退学を阻止しようと動くことに決めた。退学を確実に免れる方法があるのなら、あなたは私を最大限利用すればいい。都合の良い教科書を手に入れることができるのは、そんなに悪いこと?」
池は納得できたのか、はたまた考えたいことがあるのか黙り込んだ。
代わりに山内が、「上から目線の教科書はなんか嫌だ。だったら櫛田ちゃんの方がいいし」と抗議する。
「櫛田さんにも自分の勉強がある。彼女に負担をかけるつもり?」
「そ、それは……」
「謝罪が必要なら何度でもしてあげるわ。でもこれだけは知っておいて。私は今後、さっきのような態度を取らないよう、出来るだけ努める。これは私にとって大きな意識改革でもあるから、癪に触るようなことも言ってしまうかもしれない。もし同じようなことが起きれば、その時は見限ればいい」
堀北はどんな質問にも誠実に答えていく。
「が、頑張ってみたいけど……も、もし厳しい勉強法だったら、付いていけないかも……」と沖谷が正直に不安を吐露した。
「今回で、あなた達がそもそも基礎ができていないことに気付くことができた。勉強の仕方そのものが、分かっていない状態なのよ。だから、それに合わせた勉強法を今から練り直す」
その不安を取り除くよう、まっすぐに彼らを見つめる。
「それに、勉強ができれば今回の退学を免れるだけではなく、モテるし、自信がつくかもしれない。違う?」
三人の性格をよく分かった上での発言だ。
不安に感じていた三人も、ようやく安心できたようで、三者三様、やる気に満ちた目をしていた。
あとは須藤だけだが、この調子なら、大丈夫だろう。
一度は崩壊しかけた勉強会、だが立て直すことができた。
取り敢えず解散らしいし、さっさと帰るか、と支度を終え立ち上がる。すると、
「つーかさ、綾小路って意外と喋るんだな」
「うん、普段からは考えられないくらい饒舌だったね」
話題はオレへの興味に移ったらしい。四人からの追及に、オレは逃げるように図書館を出た。後ろから、「彼は極度の恥ずかしがり屋さんなのよ」と不名誉な擁護発言が聞こえたが、無視だ無視。
堀北育成RTA(語弊)