心が弱くても勝てます 作:七件
大勢からの視線にやはり体は拒否反応を起こしていたらしく、図書館を出て、フラフラと足元はおぼつかなかった。このままでは寮に無事に帰れないかもしれない。ベンチに座っていれば後から来る彼らと鉢合わせになる可能性もある。途中にある自然公園に寄り、海が一望できる開けた広場の近くの茂みに、カバンを下敷きに腰を下ろした。手首に親指をあてて脈を測る。過呼吸気味になっている体をじっと耐える。
落ち着いた頃には、すっかり日は落ちていた。
そろそろ帰ろうか、と立ち上がろうとしたその時。
誰かの気配がした。
その誰かは広場へと向かっていく。
後ろ姿を捉えた。
櫛田だ。
告白待ちか何かだろうか。立ち去るべきか悩んでいると、彼女はゆっくりとカバンを置いた。
「あーーーウザい」
あの櫛田が発しているとは思えないほど低い声だった。
「……聖人ぶりやがって、あのままバカに殴られりゃあ良かったのに」
呪文を、呪詛の言葉を唱えるようにぶつぶつ暴言を吐く。
「言い過ぎたわ。ごめんなさい」
演技臭く堀北の真似をする。
「はああ??お前の意識改革とか勝手にやってろっての!! 興味ねえんだよキモいキモいマジでキモい! あいつらも頭軽すぎ簡単に乗せられてんじゃねえよ一生嫌ってろそれくらいしか使えねえんだからよ!!」
ついに耐えきれなくなったのか、声を荒げた。
ガンッ
夜の自然公園に、柵を蹴る音は想像以上に大きく響き渡った。
思わぬ大きな声と音。櫛田も少しやり過ぎたと思ったのか、一瞬身を固くして息を殺した。それが仇となった。誰かに聞かれたんじゃないかと振り返った視線の先には、丁度逃げようと腰を上げていたオレの姿が映り込む。
目と目が合う瞬間、オレは逃げ出した。
条件反射だ、思考する暇もなかった。
あれは触れちゃあいけない類いのやつ。
ーーほら、もっと加速するぞ。
結果的にオレは逃げられなかった。
脚力で負けたのではない、覇気に気圧されてしまったのだ。
つい後ろを振り返ったときに見てしまったあの鬼の形相は、一生のトラウマものになった気がする。「待てゴラア!」とドスの効きすぎた声(本性を隠す気はあるのだろうか)にビビって腰を抜かし、咄嗟に公衆トイレの裏にしゃがんで身を潜めている間は、ホラー映画の主人公のような気持ちを味わった。そして努力虚しく、簡単に見つかってしまったのである。
逃げないよう、櫛田は壁に手をつく。
間接キスだけでなく、初めての壁ドンさえ櫛田に奪われてしまった。腰を抜かしていたため、豊満な胸を見上げることができる絶妙な位置。まさか初めてがされる側なんて世の中何が起きても不思議じゃないな。
本格的に責任を取ってもらいたい。
「よお櫛田。偶然だな」
「そうだね」
言葉とは裏腹にそのあまりの迫力に、オレはずるずると座った。
もう逃げ出さないと判断したのだろう、壁から手を離し、彼女も目を合わせるためか、足の間にわざわざしゃがみ込む。もっと逃げられなくなった。
瞳の奥にある、深い闇。
見られている。
それだけで、喉が締めつけられる。
「聞いたの?」
「何を」
「しらばっくれんなよ」
普段からは考え付かないほど、櫛田の言葉は荒い。
この期に及んで未だとぼけようとする態度に苛立ちを覚えたのか、彼女はオレの左手首を掴もうとした。
それを咄嗟に振り払う。
おそらく忌避感からきたものだ。
「バラすつもりはない」
目を合わせたまま、オレは真剣に訴えた。
「……信用できないな」
「どうすれば信用してもらえる」
悩む素振りも見せず、予め考えていたみたいに、彼女は即答する。
「秘密、教えてくれたらいいよ」
悪魔の微笑みを浮かべながら。
「私ね、あんたのことを最初はただのコミュ障だと思ってた。根暗そうだし、すぐきょどるし。でも実際何回か話してみて、人嫌いしているのでも、別に会話を苦手としているわけでもないことが分かった。むしろ的確な言葉が返ってくることの方が多いし、ストレスは感じない。そこで一つの仮説を立ててみた。コミュニケーション能力が欠如しているから友達ができないんじゃなくて、視線が嫌だから人を避けているんじゃないかって。そしたら今までの不可解な言動に合点がいったの。どう?」
「そこまで分かっているなら、秘密なんて大層なものじゃなくなったな」
「でもおかしいよね。
人の視線が苦手なら、普通、目を合わすのって一番避けたいことじゃないのかな。
加えて、あんたは基本的に他人に関心がない。
人を見る目があるから分かるんだよね。
それなのに、あんたは今も、私と目を合わせてる。
私のことを探ろうとしてる。
関心もなければ、目を合わせるのも苦手なくせに。
その在り方が、歪で、気持ち悪い」
気持ちが悪い。
その言葉を使っていながら、櫛田は普段通りの顔で、ニコリと笑っている。
五月の夜風は少し肌寒い。
「酷い言われようだ」
「でも事実、でしょ? その理由を私は知りたい」
「他人に関心がない、って部分だけは、同意してやる。ならもう気付いているだろ? オレは櫛田の秘密を漏らさない。漏らすメリットが見当たらない。言ったところで信じてもらえないし、お前の報復に対抗する術がない」
「違うよ、全然違う。これは秘密の共有だよ。等価交換は建前。私はただ、あんたの秘密が知りたい」
「秘密ってのは普通、信頼関係が成り立ってから共有するものじゃないか?」
すると彼女はうっとりと笑った。
「あんたは分からないだろうけど、私はね、他人に信頼されることで存在意義を実感できるの。そして、信頼の裏側にある、秘密。それを知るのがたまらなく心地良い。でもあんたに信頼されるなんて無理そうだし、先取りできるならしたい。簡単な話でしょ?」
彼女の本性は、実に人間的だった。
「いくらオレでも信頼くらいはする。今だってオレは櫛田を信頼しているんだがな。秘密を差し出したとして、簡単には他人に漏らさない、お前の精神性を」
他人を承認欲求の道具としか思っていない精神性。
そう思えば、誰よりも櫛田のことを信頼できるような気はしている。
道具に翻弄され癇癪をあげている姿は矛盾極まりなく滑稽だが、だからこそ親近感が湧いているのかもしれない。
「じゃあ、いいよね?」
彼女は笑みを深くした。
「無理だな。オレの秘密は使いようによっては簡単に退学に陥れることができる代物だ。お前のチンケな裏の顔じゃ釣り合わない」
しかし不遜な物言いに、櫛田の態度は豹変する。
「はあ?」
射殺すような、目。
微かに木から漏れ出た電灯の明かりが、カチカチと点灯する。
「今の状況分かってんの? これでも譲歩してあげてんだけどなあ。ーーあんたは私の言うことを聞かないとヤバいんだよ? バカならバカなりに考えろよ」
「違うな、オレたちは対等だ。オレはお前を退学に追い込むことなんて容易い」
「ハッタリだろ? キモいんだよそういうの。イキってるみたいで」
「本当にそう思うか?もし今後、対等な関係であり続けるなら、堀北の退学を手伝ってやってもいいんだがな」
堀北の退学。
そのワードに一瞬ピクリと彼女の表情が動いた。
「……別に。堀北は嫌いだけど、退学にさせようとか思ってないから」
「本当にそうか? 人を見る目はお前と同じで、あるつもりなんだがな」
「あんたがどれだけ使えるか。信用できない」
「信用はしなくていい。だがオレはお前が今後どう動くかをある程度予測づけている。特別試験には今回のような絶対評価ではなく相対評価のモノもあるだろう。その時お前は自クラスを裏切るようなマネをする。堀北がAに上がりたがっているのを知っているからこその嫌がらせだ。……退学してくれたら裏切り行為は辞めてやる、くらいは言いそうだな」
推測甚だしいが、良いハッタリにはなったようだ。
櫛田は考える素振りを見せる。
「それに、オレは堀北に信用されている位置に一番立っているとは思わないか?オレを手に入れておけば、退学に追い込むのは格段にやりやすくなると思うけどな」
追加で有用アピールをしておく。
「まあ、あんたがバカじゃないかは置いといて、立ち位置は完璧だね」
協力の提案はほぼほぼ成功したようだ。
だが、これからが本番。
オレが今一番手にしたいモノ。
「最大限手伝う代わりと言ってはなんだが、オレに情報をくれ」
「は? あげるとでも?」
「いや、情報っていうか、愚痴だな」
「愚痴?」
「外でやれば今日みたいバレる可能性もあるだろ。一人でカラオケに通うのも、お前の交友関係的に難しい。部屋でも良いし電話でも良いが、聞き手がいる愚痴ってのはストレス発散になると思うぞ」
「それってあんたにメリットあんの」
「断片的な情報でも取捨選択次第で立派な情報源になる」
櫛田は迷っているようだが、好感触。
「……部屋で大声出したら隣にバレるんじゃない」
「大音量の音楽を一週間流し続けても、窓を開けなければ苦情を入れられなかったから、防音性バッチリなはずだ」
「いやなんでそんなことしてんのよ」
「色々試行錯誤してるんだ」
ほんと、色々な。
「ともかく、お前視点ではストレス発散サンドバックに堀北退学の協力者、そして協力者の弱みを手に入れられるんだ。かなり良い条件だと思わないか?」
「まあ、確かに?」
「自クラスを陥れる作戦を考えついたら事前にオレに言ってくれ。手助けしてやるよ」
「……分かった」
ついに彼女は了承した。
そして立ち上がる。
「でも、もし私を裏切ったら、許さないから」
見下した、攻撃的な目つき。
思わず息を呑む獰猛さを秘めていた。
何をしでかすか分からない危うさ。
カエルを睨んでいた蛇は、きっとこんな顔をしていたのだろう。
カエルになるつもりはないがな。
これで交渉は成立した、らしい。
櫛田が退けてくれたことで、オレも震える体を鞭打って立ち上がる。
長居するような所でもないので、道に出る。
「それで、あんたの秘密は? 勿体ぶる程でもないでしょ」
一番聞きたいことであったはずなのに、最後まで回されたことに不満を感じているらしい。誰に問われても良いように予め用意していた言葉を並べる。
「視線恐怖症、摂食障害、閉所恐怖症。
名前のある精神状態に当て嵌めると、こんなもんか」
しかし取っておきの秘密だというのに、櫛田は拍子抜けした表情を隠さない。
「……別に、退学に追い込めなさそうだけど」
「使いようによっては、って言ったろ。頭が良いお前ならすぐ考えつく」
わざと煽るように言えば、膝裏を蹴られた。
きょうび暴力系ヒロインは廃れたって聞いたんだけどな。
「てか、狭いところもダメだったんだ」
「まあな」
「それってカラオケとか平気なわけ」
「二人以上だと軽減される」
「視線のこともそうだけど、一般的なモノとはちょっと違くない?」
「櫛田を信用することができれば教えてやるかもな」
「やっぱりまだまだ秘密ありそうじゃん。理由について、はぐらかしたもんね」
「それを隠すために色々交渉したからな」
「ふうん」
こうして歪な関係が結ばれた二人は帰路につく。
夜の闇は深くなる。
まるで全てを見通しているかのように、欠けた月は煌々と輝いていた
□
櫛田とのこともあり、何となく寝付けなかったオレは、身体を起こして窓を閉め、部屋を出た。非常階段で降りて、ロビーに置かれた自販機で、てきとうなジュースを一本購入して再び戻ろうとする。
「ん?」
エレベーターから降りる堀北の姿が見えた。
こんな夜遅くに制服を着てどこへ行くのだろうか。
少しだけ気になったオレは、彼女の跡をつける。寮の裏手の角を曲がりかけたところで、思わず身を隠した。
彼女が立ち止まったのだ。そして、そこにはもう一つ影があった。
今日はスニーキングミッションが多すぎる。
「鈴音。ここまで追ってくるとはな」
その男の声に聞き覚えがあった。
生徒会長だ。
「もう、兄さんの知っている頃のダメな私とは違います。追いつくためにここに来ました」
会話の内容的に、やはり堀北の兄だったようだ。
彼は無抵抗な妹の手首を掴み、強く壁に押し付ける。
「どんなにお前を避けたところで、俺の妹であることは変わらない。お前のことが周囲に知れれば、恥をかくことになるのはこの俺だ。今すぐこの学校を去れ」
「兄さん……私はっ!」
「お前に上を目指す力はない。この学校には不向きだ」
堀北の体がグッと前に引かれ、宙に浮いた。
直感的に危険だと感じた。
パシャ
瞬間的な光。
それだけでも動きは制限できたようだ。
彼は光源へと目を向ける。
「さすがに、生徒会長ともあろうお方が、女子生徒に暴力はヤバいんじゃないすかね」
堀北(妹)は目を見開く。
「あ、綾小路くん!?」
「盗み聞きとは感心しないな」
妹を壁に押し付けている写真を見せると、彼は眉間にシワを寄せた。
「いくらだ」
「現金なら、すぐ終わってしまう関係になります。オレは生徒会長、あんたのコネが欲しい」
「……なるほどな」
「了承してくれますか」
「いいだろう」
オレは端末を手渡す。
彼はすぐさま操作を終え、オレに投げ渡した。
と思った瞬間、とてつもない速度の裏拳が俺の顔目掛けて飛んでくる。
丁度オレが宙に浮いた端末を手にする途中を狙って。
騙し討ちに近い。
当たったらただでは済まないだろう。
そう直感したオレは身体を半身にしてのけぞるように避け、一度地面に手をつく。
そして端末がコンクリートの上に落ちてしまう前に、それを蹴り上げた。
彼の顎を目掛けてだ。
ヒットする前にキャッチされて、冷静に対処される。
だが、その余分な行動により、次に放とうとしていた蹴りは止められた。
手に持ったドリンクは使わずに済んだようだ。
オレはすぐさま立ち上がり、手を上げて、降参のポーズを示した。
「暴力反対」
急な運動は体に悪すぎる。
それに狭いところは嫌いだ。
だからこそ穏便に済まそうとしていたのに、いくらなんでも戦闘狂すぎる。
「……悪かったな。コネが欲しいと言うからには、どれだけやれるか見極めたかったんだ」
「さいですか」
基本話を聞かないところは、兄妹揃って似ているらしい。
「合格だ。お詫びにポイントを振り込んでやろう」
そういう問題じゃなくない?
と言いたくなったが、睨むような視線に、つい顔を背ける。
眼光が堀北(妹)と比べ物にならない。
今度は端末をしっかり手渡してくれた。
ポイント残高を見ると、今のオレたちにとってはとんでもない額が入っていた。
一戦闘20万ポイントか。
もう二、三回くらいはやってもいいなと素直に思った。
「鈴音。お前に助けてくれる友達がいたとはな。驚いた」
「いいえ、彼はただの隣人です」
強く否定するように、堀北は兄を見上げる。
「相変わらず、孤高と孤独を履き違えているようだな」
「そういう訳でもなさそうですよ」
「……ほう?」
「人は成長するって言うじゃないですか」
隣人。
的確な表現だ。
オレたちの関係を上手く表しているだろう。
同じ方向を向いてはいても、決して向き合うことはないのだから。
「そういえば一年に入試で不自然な点の取り方をした生徒がいたな。確か名前は、綾小路、だったか」
「オレは池寛治。名前を付けてくれた親に感謝しているくらいです」
「フン、まあいい。少しは面白くなりそうだな。因みに生徒会に興味はあるか?」
「いえ全く」
「そうか」
そのままオレの横を通り過ぎ、闇へと消えていく。
「Aクラスに上がりたいなら、死に物狂いで足掻け。今のお前ならできるはずだ」
意外な激励を残して、堀北の兄貴は去り、夜の静けさに包まれた。
「……あなたには変なところを見られちゃったわね」
彼女は気まずそうに俯く。
まるで普通の女の子のようだ。
「あれが、お前がAクラスに上がりたい理由か」
「呆れた?」
「まさか。立派な理由だ。尊敬した」
「心が篭ってないわ」
一つ深呼吸してから、堀北は寮のエントランスへと歩き出す。
「……深くは聞かないのね」
「オレとお前は、隣人、だろ?」
「今は、ね」
オレ達は同じエレベーターに乗った。
会話はなかった。
だがその静けさが、今は何故だか心地良かった。