心が弱くても勝てます   作:七件

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燐寸と喞筒

 教室に足を踏み入れた瞬間、茶柱は驚いたように生徒たちを見回した。

 ただならぬ気配が蔓延していたからだ。

 

「先生。本日採点結果が発表されると伺っていますが、それはいつですか?」

「喜べ、今からだ。放課後じゃ、色々手続きが間に合わないからな」

 

 手続きという言葉に、平田は固唾を呑んだ。

 

「それって……」

「では今から発表する」

 

 平田の質問も待たずに、茶柱はプロジェクターを起動させた。

 プロジェクターにより黒板には、生徒の名前と点数の一覧が映し出される。

 

「正直、感動している。お前たちがこんな高得点を取れるとは思わなかったぞ。ほとんどの生徒が全科目90点を超えている。満点も半数以上いた」

 

 社会、理科、国語、数学、とテストを受けた順に、画面を切り替え点数を発表していく。

 100という数字が並び、生徒たちからは歓喜の声が上がった。

 赤点組も、難しいテストとはいえ50、60と以前の二、三倍は取れている。

 そして、最後。

 オレの点数は50、堀北の点数は52点。

 

 肝心の須藤の英語の点数は、ーー44点だった。

 

「っしゃ!」

 

 思わず、須藤は立ち上がり叫んだ。

 池や山内も手を合わせて喜んでいる。

 だが堀北だけは、どこか難しい顔をしていた。

 

「見ただろ先生! 俺たちもやる時はやるってことですよ!」

 

 池がドヤ顔を決める。

 

「ああ、認めてやる。お前たちが頑張ったことを。ーーだが」

 

 茶柱はおもむろに赤いチョークを手に持つ。

「あ……?」

 須藤の口からそんな気の抜けた声が漏れた。

 須藤の名前の上に一本の赤いラインが引かれていく。

 

「お前は赤点だ。須藤」

「は?んでだよ! 赤点は32点だろうが! どこに目つけてんだよ!!」

 

 喜びから一転、須藤の赤点扱いに騒然となっていく教室。

 

「お前たちは一体何を勘違いしているんだ?私がいつ、赤点は必ず32点未満だと言った。どうしてお前は、32という数字が中途半端だとは思わなかった」

 

 茶柱はプロジェクターを消して、簡単な数式を書いていく。

 

 88.9÷2=44.45≒44.5

 

「赤点基準は各クラス毎に設定されている。その求め方は平均点割る2、そして小数第2位が出る場合は四捨五入して小数第1位まで求める。な、簡単だろ?」

 

 つまり、赤点のボーダーは、44点以下。

 須藤は一点の差で退学が決まってしまったのだ。

 唖然としている生徒たち鼻で笑い、その式さえ消してしまった。

 チョークで引かれた赤い線だけが残り、その間抜けさが、より一層須藤の退学という事実を惹き立てた。

 

「お、俺が、退学……?」

 

 須藤は覆らない事実に、茫然としていた。

 

「実に美しくないねえ」

 

 高円寺が茶々を入れる。

 

「あ? なんて言ったてめえ……」

「君に言ってるわけではないさ」

「じゃあ黙ってろ!」

 

 感情の行き場はどこにもなく、須藤は頭を掻き毟った。ようやくクラスメイトも、これが本当のことなんだということを実感していく。

 

「本当に救済措置はないんですか?」

 

 絶望的な雰囲気が漂う中、真先に須藤を気にかけたのは平田だった。

 

「事実だ、赤点を取ればそれまで。須藤は退学にする」

「……答案用紙を。採点ミスがないか、答案用紙を見せてはもらえないでしょうか」

「抗議が出ることが予想していた。ま、採点ミスはないがな」

 

 須藤の解答用紙だけを持参していたのか、それを平田に手渡す。池や山内なども、確かめるために前へ行く。

 

 平田達がどこかに採点ミスはないか確認している間。

 

「堀北」

 

 オレは小声で彼女の名前を呼んだ。

 しかし、焦っているのか彼女は聞く耳を持たず、考え事に耽っている。

 仕方ないので脇腹を突くと、

「ひゃっ」

 普段は絶対に聴くことのできない堀北の女の子らしい声。

 だが今は気にしている場合ではない。

 身体に強い刺激を与えられ、意識が覚醒したようだ。

 強烈にオレを睨み上げてくる。

 

「なによ」

「何か思い付いたか」

「……いいえ。他教科より英語を何よりも優先すべきだった」

「今そこを反省してもしょうがないだろ」

「ならあなたはこの状況を打開する策でもあるの?」

「打開策はない」

「じゃあ、話しかけないでくれる?」

「打開策はない、が、何も簡単な話だ。オレ達は打開するまでもなく、この勝負に勝っていた。あとは嘘を暴くだけで良い」

「……嘘?」

「オレ達は最善手を打った。違うか?」

 

 その言葉に堀北は目を見開く。

 平田達は採点ミスを見つけることは出来ず、落胆の表情を浮かべている。

 彼女は一度目を瞑り、それからスッと細い手を挙げ、挙手をした。

 

「茶柱先生。少しだけよろしいでしょうか」

 

 これまでの学校生活で、自主的に彼女が発言したことは一度もなかった。

 異様な光景に、茶柱を始め、クラスの皆も驚きの声を上げる。

 

「珍しいな堀北。お前が挙手するとは。なんだ」

「もう一度、全員の英語の点数を見せてはもらえないでしょうか」

 

 無表情だった茶柱の顔が一瞬ピクリと動いた。

 

「……ほう。それに意味はあるのか?」

「あるからこそ、私はこうして手を挙げ、発言しているんです」

 

 茶柱はもう一度プロジェクターを立ち上げ、そして英語の点数表を映し出す。

 

「これが、どうした?」

「40人全員で、今からここに映し出されている点数の平均点を算出したとして、何か不都合な点はありますか?」

 

 堀北のその突飛な提案に、平田は、「まさか」と呟いた。

 クラスメイト達も堀北の真意に気が付き始めたのか「そんなことあるのか?」と騒ぎ出す。

 

「……チャイムが鳴るまで待ってやる」

 

 茶柱は、ついに承諾した。

 そして計算を終えたほとんどの生徒が、茶柱に抗議の声を上げた。

 

 実際の平均点は86.4点。

 四捨五入が正しければ、赤点ボーダーは43点未満。

 つまり須藤は退学を免れるのだ。

 

「今エクセルで計算し直したところ、86.4だった。英語の点数の時だけ調子が悪かったようだな」

 

 と、範囲変更の伝達忘れと同様、大して悪びれずに、茶柱は言った。

 

 だが当人の須藤は茶柱に対しての怒り、よりも堀北への感謝が勝ったようだ。

 堀北を見据える。

 平均点を計算していて気が付いたのだろう。

 彼女がわざと英語の点を落としていたことを。

 

「なんで……お前、俺のこと嫌いだって言ってただろ」

「嫌いだからって、退学しようとしているクラスメイトを見捨てるほど、私は性根が腐っていないの。ーーそれに、今回は勉強を教える私のミスもあった」

「……ありがと、な」

「どういたしまして」

 

 こうして中間テストは無事、誰も退学者を出さず終わりを迎えた。

 

 

 

「そういえば。綾小路くんあなた、あの一瞬で平均点を算出したの?」

「念には念を入れて、だ」

「分かっていたなら、あんな周りくどい言い方をしなくたって良いじゃない」

 

「……含みを持たせて言った方が、かっこいいだろ?」

「はあ?」

 

 プスリ。

 オレの腕に穴が一つ空いたこと以外、無事に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かんぱーい!」

 池が缶ジュースを手に取り、叫ぶ。

 中間テストの結果発表から一夜明けたその夜。勉強会メンバーは一堂に集結していた。勉強から解放された喜びと、誰一人退学者が出なかったことで、笑顔に溢れていた。堀北とオレは除いては。

 

「なんだよ綾小路浮かない顔して。須藤が退学にならずに済んだんだぜ?」

「祝勝会を開くのは勝手だが、どうしてオレの部屋なんだ」

「俺と山内と須藤の部屋は散らかってるし、女子の部屋ってわけにもいかないだろ」

「じゃあ沖谷でも良かったんじゃないか?」

「堀北が、無理やりでも誘わないと綾小路は参加しないって教えてくれてさ。せっかく集まるんだし、全員居た方が盛り上がるだろ?」

「何を言う。参加する気満々だったぞ。マジで」

 

 堀北お前……。

 祝勝会?楽しんでこいよガハハと言ったのがマズかったらしい。

 

「にしても見事なまでに何もないよな、綾小路の部屋」

「必要なものがあれば買うさ」

「なんだっけ、ミリオネア?」

「ばっかちげえよ池。ミニ◯ンズだろ」

 

 ミニマリストだろ。

 

「じゃあじゃあ、ラグマット買ってくれよバナナ型の。床痛え」

「山内が全額出費してくれるなら喜んで敷いてやるよ」

「おれえ!?」

 

 勝手に押しかけてきたくせに文句を言うとは良い度胸をしているな。

 あとバナナ型は引っ張られすぎだ池。

 

「それにしても危なかったよな今回のテスト。俺は全然大丈夫だったけど、池や須藤は絶対アウトだった」

 

 山内は無理やり話題を変える。

 

「は? お前だってギリギリじゃねえかよ」

「いやいや、俺は今回全部80越えだから、マジで」

「これも皆堀北さんのおかげだよね。勉強教えてくれたんだもん」

 

 堀北は(オレを祝勝会に巻き込んでおきながら)輪に加わろうとはせず、一人静かに俯いて小説を読んでいた。名前を呼ばれたことに気付くと、栞を挟み、顔を上げる。

 

「私はただ自分のためにやっただけ。退学者が出ればAクラスへの道が狭まるかもしれないもの。勘違いしないでくれる?」

「ここは嘘でも、皆のためとか何とか言っとけよ。好感度上がるぞ」

「上がらなくていいから。それより、浮かれない方が良いわよ。次に待っているのは期末テスト。更に難易度が上がっている可能性もあるもの」

 

「また地獄のような勉強が始まるのか……最悪だあ」

 と池は寝転んだまま頭を抱え、

「終わった今言わなくてもいいだろ!」

 と山内は唸る。

 

「普段勉強を疎かにするあなた達の責任よ」

 

 そんな彼らに堀北はピシャリと一言。

 池と山内の恨み言はどんどん大きくなっていく。

 

「まあ……案外良いやつだよな、堀北は」

 須藤がフォローする形で、そう言った。

 中間テストの一件で、すっかり須藤は堀北に対して丸くなってしまった。図書館で言い争いをしていたのが嘘のようだ。

 

「そうだね。堀北さんの機転がなかったら、茶柱先生のミスで須藤くんは今頃退学になってたんだもん」

 

 櫛田もその話に便乗する。

 

「まさか平均点が間違ってるんなんて、佐枝ちゃん先生も酷いよな!」

「ふ、不具合だって言ってたけど、実際どうなんだろう」

「今となってはどうでもいいことよ。何度聞いたところで、ミスの一点張りでしょうし」

「くっそ、茶柱の野郎……」

「ま、堀北が点数を下げてくれたことで須藤は退学を免れた。それで良いじゃないか」

 

 オレは適当に茶柱の援護をしておく。

 

 

 

 ーーなぜなら、今回彼女に非は全くない。

 むしろヒール役を巧く演じてくれたくらいだ。

 

 オレが20万ポイントを支払って、彼女の行動を購入した。

 ただそれだけに過ぎない。

 

 もし赤点組のいずれかの教科が赤点に誤魔化せられる範囲だった場合、平均点を敢えて誤り、そいつを退学にすると結果発表の際伝える。

 誰も平均点のミスに気付かなければ、帰りのSHRでそのミスについて謝り、退学を取り消すと発言する。

 

 それら関係なく須藤が赤点を取っていれば、まあ、育成も面倒だし放置したが。

 挫折の経験も味わっておいた方がいいしな。

 

 20万ポイントの出費は大きかったが、元々堀北(兄)から貰ったものだ。堀北(妹)に還元されて本望だろう。

 この一件でクラスメイトに堀北の非凡さを改めて周知できた。

 発言権は今までよりも格段に大きくなるだろう。

 加えて堀北を慕う人間も増えた。

 裸の王様はやっと、服(名声)と兵士(協力者)を身につけることに成功したのだ。

 

 

「そ、そういや綾小路くんも英語の点数だけ悪かったよね。他は100点だったのに」

 

 すると、沖谷が目敏いところを突いてきた。

 

「え、満点四つも取ったとかヤバくね?」

 

 その事実を聞いた池がオーバーにリアクションする。

 

「そうそう綾小路さ、めっちゃ教え上手なんだよ。小テスト75点は嘘。俺には分かるね」

 

 嘘の達人山内の特技がここで遺憾無く発揮されてしまった。

 皆の目が一斉にこちらを向く。

 山内。本物の嘘の達人となったお前に一体何の価値があるっていうんだ。

 

「う、うん。綾小路くんに教えてもらって、僕も点数が上がったんだ」

 

 加えて沖谷の援護射撃。

 点数上がって良かったな。

 

「えーじゃやっぱ嘘ついてたのかよ! 隠れた天才的な?」

「あー、いや、過去問もあったし」

「前も言った通り彼は極度の恥ずかしがり屋さんだから、本当は小テストも高い点数を取っていたのだけど、目立つのは嫌で75点と言ったの。大勢から注目されるのが、泣くほど怖いんですって」

 

 堀北が澄ました顔で言った。

 助けてくれたのは嬉しいが、もっと良い言い訳はなかったのだろうか。

 言い方に悪意しかなかったぞ。

 

「ま、そんなとこだ」

「じゃあなんで英語の点数低かったんだ? ……お前、まさか」

 

 須藤が何かに気付いたように、言葉を止めた。

 

「いや、それは違うぞ」

 

 すかさずオレは反論する。

 慕うような、期待するような視線は得意じゃない。

 

「ほら、英語のテスト中。オレは挙手して途中でトイレに行っただろ?」

「あーそうだったっけ」

 

 三バカトリオは目の前の問題に必死で覚えていなかったらしい。

 

「実は試験途中に緊張で腹を下したんだ。だから途中解答のまま出すことになった。……まあ英語の平均点を下げることはできたし、結果オーライだったな」

 

 池と山内は「んだよそれ!」と大爆笑しやがった。

 沖谷も「それは災難だったね」と半笑い。

 本格的に残念な奴と思われていそうだ。

 

 

 ……途中退席することで点数を調整できることは分かったが、やり過ぎると目を付けられるだろうから、今回一回きりかもな。

 

 

 

 その後もなんだかんだ盛り上がり、結局宴は三時間以上続き、掃除もしないで奴らは帰っていった。沖谷は若干躊躇っていたが、場の雰囲気に流されてしまったようだ。

 なんて恐ろしい世界だ。

 

 まあ、オレも皆が帰るまで掃除のことを頭に入れていなかった部分もあるから、自業自得、……ではないだろ。あいつらが悪い。危うく犠牲精神社会に毒されるところだった。

 だがさすが大天使といったところか。

 櫛田だけは残って一緒に片付けてく……れることはなく、ベッドの上を陣取り、オレが掃除をしているのを横目に、愚痴を始める。

 おいマジかよ、仮面取るのはええよ。

 

 

「なーにが、嫌いだからと言って退学させようとは思わない、だ。カマトトぶっちゃってさ。平田が過去問なんかに気付かなきゃ赤点組全員落ちたに決まってんじゃん。そのくせ自信満々とか滑稽すぎ。あんただって、腹下したとか嘘なんでしょ? 100点取ってさ、須藤退学で堀北に赤っ恥かかせてやれば良かったのに」

 

 

 櫛田は舌打ちをし、布団を叩く。埃が舞った。

 

「断れば関係にヒビが入る。ただの嫌がらせにオレを使うな」

「ふん、まあいいけど」

「オレだって、祝勝会をお前が断ってくれさえすれば、開催されることはなく、部屋を勝手に使われずに済んだんだがな」

「二人以上はいいんでしょ?」

「だからって七人は多すぎだ」

「あっそ」

 

 すげない態度で携帯を弄る櫛田。

 普段との温度差で本当に風邪を引きそうだ。

 

「で、帰らないのか?」

「見てこれ」

 

 そう言って櫛田は、クラスの半数以上が参加しているグループチャットの画面をオレへと向ける。なにそのグループチャット、知らないんですけど。

 

「むっかつく」

 

 よく見てみると、堀北を称賛する言葉が三バカトリオによって並べられており、数名の生徒も、「堀北塾いいなあ」的なことを言っている。

 櫛田からすれば、面白くない事態なのだろう。

 こちらの計画は上々だが。

 

「……そういや、堀北に何か言われなかったか?」

 

 ふと、櫛田について試験が終わったら決着をつける、と堀北が言っていたことを思い出した。

 

「何かって?」

「確認されただろ。過去のことについてとか」

 

 櫛田は剣呑な雰囲気を秘めた眼差しを向ける。

 もはや人殺しの目つきだ。

 

「もしかして、あんた何かやった?」

「堀北から先に伝えられた。何故か私を嫌っている櫛田さんと一回話し合ってみるって。信用されているからこそ、教えてくれたんだろうな」

「そう、ならいいけど」

「詳しいことは聞くつもりはないが、顛末くらいは知りたい。野次馬根性とでも思ってくれ」

「信用されてるなら堀北から聞けばいいじゃん」

「関わらせたくないんだと」

「良い子ぶりやがって」

 

 櫛田は舌打ちをする。

 それから、うん? と首を捻った。

 たまに天使モードが入り混じるのが面白い。

 

「ちょっと待って。あんたってどこまで私たちの関係を知ってんの。先に教えてよ」

「高校に入る前からの知り合いで、櫛田にとって本性以上の、またはそれに付随した耐え難い何かを堀北は知っている……と、勝手に思っていたが」

「キモッ、ホントに堀北に聞いてないわけ?」

 

 素直に答えたらキモがられるとかどうすりゃいいんだ。

 堀北の言葉の刃はサクッって感じだが、櫛田の場合はチェンソーでグシャグシャにされてる気分だ。ストレスに耐えかね、いつか発狂してハロウィンハロウィンと叫び出すかもしれない。

 

「神に誓ってな」

「じゃあそこまでに至った経緯を説明して。納得できたら、何を話したか教えたげる」

 

「難しい話じゃない。

櫛田は入学式の次の日から堀北の名前を呼んでアタックしていたが、クラスメイトの名前を知ることができるのは、基本的に初日に貼り出されていた席順の紙と自己紹介くらいだ。オレの名前は覚えていそうになかったし、女子でも何人かには名前を尋ねていたから、たった一日で全員の名前と顔を一致させる特技を持っているわけでもない。加えて堀北自身も初対面で櫛田の名前を呼んでいたから、旧知の関係だということは最初の時点で当たりをつけていた。そして嫌っている事実と櫛田の本性が分かれば、ある程度二人の間に何があったかは推測はできる」

 

「そこまで見てるとかストーカー? 私、怖いよ」

 

 櫛田は自分で自分を抱き締め、震える演技を見せる。

 まるでオレが彼女を虐めているみたいだ。

 

「おいそこで天使モードに戻んな」

 そうつい口から出てしまったのはしょうがない。

 

「あ?」

 

 だがその言葉に超ド級の睨みをきかせられ、「こっわ」と思わず呟いた。

 こいつぁやべーよ。

 

「納得はしてくれたか?」

「まあ、ね。私の過去、詳しく知りたい?」

「どうでもいい」

「つまんないなあ、嘘でも知りたいって言ってくれれば良いのに」

「言ったらどうなるんだ?」

 

 櫛田は両手で銃の形を作り、オレに標準を合わせて撃った。

 

「バーン! Eクラスにこうかーく!」

 

 何故か可愛くウィンクまでついている。

 

「は?」

「倒れろし」

 

 枕を投げられた。

 理不尽が過ぎると思う。

 

 その後なんとか宥め、事の顛末を聞き出すことに成功した。

 

 どうやら堀北は、櫛田が嫌っている理由に納得し、それでも向き合っていくと真剣に訴えたそうだ。当の櫛田は「勝手にすれば?嫌いって事実は変わらないよ」と言い放ったらしいが。櫛田が自クラスに悪い影響を及ぼすかもしれない、という可能性を把握できただけで、堀北には良い判断材料になるだろう。

 ……成長スピードが豆苗並みだな。

 

 今後も相容れない二人は、表と裏では真逆な関係性を保っていくようだ。

 

「ま、頑張れよ」

「あんたにも手伝ってもらうからね?」

 

 当然でしょ? と睨まれ、馬車馬の如く働かせて頂きますと答えるまでは最早様式美だ。

 その後聞くに耐えない罵詈雑言が彼女の口から垂れ流され、愚痴は堀北関連以外にも多岐にわたった。

 その中に、Cクラスは龍園という男が仕切っており、舎弟的ポジションの石崎が中学はワルだったことを自慢してきた、という情報があった。

 龍園、か。

 中々に攻撃的な性格をしており、クラスメイトの大半は彼を嫌っているらしいが、今後どう関わってくるのやら。

 

 

「あーーースッキリした!」

 

 そして最後は天使の微笑みを浮かべて終わる。

 

「だいぶ溜め込んでいたな」

「ほんっとこの学校ってバカばっか。やになっちゃう」

「帰りは気を付けろよ」

「襲うようなバカがいたら逆に脅してやるよ」

 

 そう強気な捨て台詞を吐いて、櫛田が乱暴にドアを閉めた。

 オレは部屋に一人残される。

 はあ、やれやれ。

 と小さく吐いたため息は、やけに部屋に響く。

 

 

 

 

 途端に静けさが襲った。

 少し前まであれだけ騒がしかったのに、同じ部屋であるはずが、全くの別空間に移動してしまったみたいだ。

 空気が重くのしかかる。

 周りの酸素が全て彼らに持っていかれたかのような。

 正常な呼吸を求めて、ふらつく体を叱咤しながら窓を開けた。

 六月初旬の風は、どこか温くベタついている。

 部屋に充満していた他人の匂いは風に乗って流れていく。

 裸足のまま、ベランダの柵に寄りかかった。

 

 街頭の灯り。寮の灯り。

 昼間活動している痕跡。

 推し量り切れない内情が、夜を共有して蠢いている。

 この箱庭には、たくさんの人間がいる。

 

 

 知らなければ良かった

 

 

 そんな、陳腐な恋愛小説の湿った独白みたいなセリフが、喉元を絞めつけるみたいにそこにあった。

 

 

 

 

 

 

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