雨が、洋上に出た駆逐艦「電」の鋼鉄の肌を叩く。
そして艦内ではその雨音を聞きながら、
「うぅ……」
電は頭から血を流しながら朦朧とする意識と戦っていた。
艦内に響く警告音が、電の鼓膜を刺激する。
球面上の操艦室は所々に砂嵐が走り、また画面それ自体もひび割れている。まるで世界が壊れてしまったかのような錯覚すら覚える。
いや、今の電にとっては本当に壊れてしまったのだ。電の信じていた世界全てが、目の前の存在によって崩されてしまった。
壊れかけた画面に映る、一隻の艦船。艦首に口がついており、その禍々しくも姿は生物と機械が見事に調和を保っていた。そしてその船の上には、青く光る眼を持つ黒いビキニ姿の少女が一人。雨の中だというのに、まるで濡れていない。この異形の艦の周囲に張られている特殊な力場が、雨を弾いているのだ。
目の前にいるのは重巡リ級。人類の、艦娘の敵。
「雷お姉ちゃん……」
しかし電の口から出たのは、姉妹艦である「雷」の名前。
痛みを必死に耐えながら、電は眼前の深海棲艦を見続けた。
・ ・ ・ ・ ・ ・
「いいか? 深海棲艦ってのは、別に一種類ってわけじゃねぇ。俺達と同じように、駆逐艦、軽巡洋艦って感じで分かれてる。敵の装備、外観で相手がどの級なのか、おおよその強さと特性がわかるようになれ。わからねぇと死ぬぞ」
黒板の前で、天龍は白墨で深海棲艦の図を描き、その横に各級の名称を書いていく。
「は、はいなのです」
電はノートに鉛筆を走らせて、必死に天龍の講義を頭に叩き込む。
軍艦の役割を担う艦娘と言えども、海上に出て戦闘行為や輸送任務をこなせばいいというわけではない。
艦娘は軍艦であると同時に、艦に乗る人間としての役割も同時にこなさなくてはならない。そのために、艦娘といえども座学は必須なのである。
「じゃあちょっと復習だ。海にいる深海棲艦をなんで殺さなくちゃなんねぇんだ?」
「えっと、海上交通網を確保しなければならないからなのです。物資の輸送ができなくて、みんな困っちゃうのです」
電は今までの座学の内容を思い出しながら、それを口にした。
「輸送機使えばいいんじゃねぇーのか?」
「それだといっぱい運べないのです。それに、深海棲艦にも航空機があるから撃墜される可能性が高いのです。例えば、空母ヲ級がそれにあたるのです」
「国内での自給自足って方法もあるだろ」
「ダメなのです。一番の問題は、深海棲艦は陸にも上がってくるということなのです。だから海上で倒すしかないのです」
そう。これが深海棲艦が最も恐れられている所以だ。陸上に上がれることが確認されているのは、現在は駆逐艦級だけ。そして陸に上がった深海棲艦は、土地を荒らして『瘴気』と呼ばれる毒ガスで出来た巣を作る。人体に有毒なのは当然として、瘴気で汚染された土地では作物が育たなくなってしまう。
「じゃあ、陸上の深海棲艦を倒す方法は無いのか?」
「あるのです。陸に上がった深海棲艦は、海上みたいな障壁を張れないので、通常の攻撃で倒せるのです。戦車や迫撃砲、艦娘の航空機での爆撃で撃退した記録もあります」
「よーし。合格だ」
天龍は満足げに頷くと、白墨を置いた。
「座学の方は大体出来てるな。あとは戦闘さえできればなぁ」
「あぅ……」
天龍の言葉通り、電は戦闘行為が不得手であった。鎮守府に来てから行う任務は、安全が確保されている短い航路での輸送任務。実戦には未だ参加できずにいた。
その最大の理由は、電が優しすぎるからだ。実弾を使わない演習においても、砲を向けると「痛いだろうな」とか「かわいそうだな」などと思ってしまう。戦いには、決定的に向いていない性格なのだ。
「まあ、向き不向きがあるよな。戦いたくないってんなら、無理に戦うこともねぇさ。ていうよりも、そんな覚悟で前線に出てこられても邪魔なだけだけどな」
「はい……」
確かに電は戦うのは嫌いだが、それでも深海棲艦と戦う意思がないというわけではない。深海棲艦をすべて倒して、この海を平和にして、人々を笑顔にするという思いに偽りはない。
「それよりも、お前今日大丈夫なのか?」
「はいなのです! 鎮守府のこといっぱい勉強したのでどんとこいなのです!」
深海棲艦と戦うよりも先に、今日の電にはすべきことがある。今日は半年に一度の鎮守府一般公開日なのだ。主に工廠や艦の見学をして、鎮守府と艦娘に親しみを持ってもらおうという企画である。そのために、案内役も無骨な軍人ではなく艦娘が務めることになっている。
「しっかりと鎮守府を案内するのです!」
ふんす! と鼻息も荒く電は自信満々に言った。戦うことは苦手だが、こういうことならばいくらでも手伝いたい。
「物好きだね~。俺はもう絶対やりたくないね」
だというのに、天龍を始め鎮守府の艦娘は誰もこの役をやりたがらなかった。電がやりたいと自ら申し出た時など、喝采が上がったほどだ。
そして当日、
「ふにゃあああ! 工廠じゃ走り回っちゃダメなのです! あ! そっちには行っちゃダメなのです! 服も引っ張っちゃダメなのです!」
そこには目を回しながら、元気に駆け回る何人もの子ども達に翻弄される電がいた。
電は自らの身を持って、なぜ誰もこの役を引き受けたがらなかったのかを思い知った。
「この駆逐艦の武装はどうなってるんだい? ちゃんと、深海棲艦と戦えるのかい?」
そして相手は興味本位でやってきた子どもだけではない。鎮守府がこの国を、地域を守れるのか確認したい大人達も大勢やってくる。それもただの大人ではなく、この地元の有力者達だ。
「え、えっと、この駆逐艦の主砲は12.7センチ連装砲で、射程は約18,000mなのです。攻撃はちょっと頼りないかもしれないですけど、軽巡洋艦や空母がしっかりと攻撃の役目を果たしてくれるのです」
「じゃあ駆逐艦って役立たずじゃん!」
子どもの悪意のない一言に、さしもの電もムっと来た。
「役立たずじゃないのです! 駆逐艦はとっても足が速いから、荷物だって運べるし、潜水艦さんだってやっつけることができるのです!」
駆逐艦としての誇りから、電は少しムキになって反論した。
「でもその子の言うことじゃないが、もう少し艦の数は増やせないんですか? 今ここにあるのは、5隻だけなんでしょう?」
「えっと、他の艦は深海棲艦との激戦区に優先的に配備されてて……ここは、その、結構平和なので、あまり艦は」
この鎮守府近海では深海棲艦との戦闘なんて1か月に一度あるかないかだが、酷いところでは3日に一度ぐらいの頻度で侵攻してくるという。それも、駆逐艦などではなく重巡や戦艦クラスといった大物が。
そのために、最新の装備や戦艦級の艦娘は優先的にそちらの方面へと配備される。
しかし、
「そんな! じゃあここはどうなってもいいんですか!」
「今は平和ですけど、敵はいつ来るかわからないんですよ!」
襲われる側の人にしてみれば、そんなことは関係ない。遠くの激戦区よりも、今の平和な場所をより確固たるモノにしたいと考えてしまう。それが人間なのだ。
「大丈夫なのです! この鎮守府には正規空母が二隻も配備されてます。どんな敵が来ても撃退できるのです」
平和な鎮守府としては異例なことだが、この鎮守府には正規空母の赤城、加賀が配属されている。もし仮に深海棲艦に戦艦級の敵がいたとしても、十分に対処が可能な戦力だ。
「しかし!」
「だからといって!」
と、理論的に説明をしても、人の感情はそう簡単には納得できない。
「あぅぅ……で、でも」
「大体! 君みたいな子どもで戦力になるのかい!」
「頼りなさそうだし!」
電の気弱な態度に大人達は不信の目を向け、感情にだけ頼った糾弾を始める。電の方は相手の強い物腰に言い返す度胸がなく、そのまま青菜に塩といった感じでしおれてしまう。
唯一の救いは、大人の剣幕に気圧されたのか子どもが静かになってくれたことぐらいだ。
「あらあらぁ。どうしたのかしら~?」
そんな中で、間延びした冷たい声がその緊迫感を切り裂いた。
「いい大人がそろいも揃って子どもをいじめるなんてダメじゃないかしらぁ~?」
工廠の入り口で、龍田がにこやかに笑いながらそこに立っていた。
クスクスと笑いながら、龍田は軽やかな足取りで電達の方へやってくる。
「なんだ君その態度は!」
「我々を誰だと思って。何様のつもりだ」
「救国の英雄、人類を守る艦娘じゃないかしら~?」
大人達は不快感を露わにするが、龍田は余裕の表情を崩さずに対応する。
「なっ!」
「君! ふざけるのもいい加減に!」
当然その態度に、大人たちは激昂する。だが龍田は意に介さずに、
「艦娘が大丈夫って言ってるんですから大丈夫ですよぉ~。信じられなければご自分で戦場に立たれてはどうですかぁ? 国を守りたいんでしょ?」
と、冷たく言い放った。
その言葉に大人たちは何も言い返せずに、気まずそうな顔で龍田から目を背ける。そしてすぐに思い出したように、
「今日は、これで失礼するよ」
「深海棲艦を一匹残らず殺してくれることを期待するよ」
そんな捨て台詞を残して、大人たちはみんな工廠から出て行ったしまった。
「あの、いいのですか? あの人たち偉い人だから注意してねって、司令官さんも」
「まあ苦情はあるかもしれないけどぉ、その処理は提督にしてもらいましょう。偉い人はそれも仕事のうちですしねぇ。それより……」
龍田は粘りつくような視線を子ども達に向けた。
「工廠で走ったり暴れたりして、お姉ちゃんを困らせたらダメでしょ~?」
ニッコリ笑顔で龍田は言っているのだが、威圧感が凄まじい。見かけはおっとりしたお姉さんという外見なだけに、見かけとのギャップがまた恐ろしさを増幅させている。
『ごめんなさい!』
子ども達は毛ほども逆らうことなく、潔く降伏した。
「うふふ。電ちゃんだけじゃあやっぱり大変そうだから、お手伝いに来たのよぉ」
「あ、ありがとうなのです」
電も子どもたち同様に龍田を恐れたが、それでもこの上なく心強い味方であった。
そして時間は過ぎ、夕刻となった。
「はふぅ~。終わったのです……」
見学に来た子ども達も全て帰り、工兵達も全て引き上げているので、工廠は静寂に包まれていた。
「お疲れ様。電ちゃん、頑張ったわねぇ」
「いえ、龍田さんのおかげなのです」
もし龍田がいなければ、今頃どうなっていたのか想像もしたくない。
「不思議よねぇ~。子どもって私の言うことは聞いてくれるのに、なんで他の子の言うことは聞かないのかしらねぇ?」
それは貴女が怖いからです、とは言えない電であった。
「あれ? 司令官さん?」
そんな時、疲れ果てた足取りで歩く一二三少将が電の視界に入った。
「あ……電ちゃん、龍田さん。今日はありがとうね」
満身創痍といった感じで、一二三少将は弱々しい笑みを浮かべた。
「一体どうしたのです?」
「なんかね……町の有力者が来て、艦娘にどういう教育をしているんだって。ここは学校じゃないのに、私にそんなこと言われても。そのうち段々と私が槍玉に上げられて、やれ女の司令官だと頼りないだの、若すぎるだのと色々言われて……」
「あぅ……大変だったのですね」
今日の龍田が怒らせた人達だろう。あの足で直接一二三少将の所まで文句を言いに行ったというわけだ。
「そうよねぇ~。提督、もう若くないのにねぇ~」
「うぐっ……ま、まだ三十になったばかりだし……」
「もうオバサンじゃな~い」
その暴言に、さしもの一二三少将の眼にもうっすらと涙が浮かぶ。龍田はその様子を見て、さも愉快そうに笑顔を浮かべる。
「やめて! 龍田さんやめてあげてください!」
その様子があまりにも不憫で、電は一二三少将を守るように龍田の前に立った。
「この鎮守府で優しいのは電ちゃんだけだよ……」
一二三少将は泣き崩れて、電の小さな背中に寄りかかった。とても弱々しく、儚く思えて、電は何も言わずに背中を貸し続けた。
「あー髪いい匂い……」
「はわわ!?」
一二三少将は電の髪に顔をうずめて、クンカクンカと髪の匂いを嗅いだ。
「提督。おいたはダメよぉ~?」
「はっはっは。傷心の身なんだから大目に見てくれ」
大口を開けて笑う一二三少将に、電は不思議と「しょうがないなぁ」という気分になった。
「さて、そろそろ食事の時間だ。今日の食事当番は天龍だからな。期待できるぞ」
「はい! 今日は天龍カレーが食べられるからすっごく楽しみだったのです!」
この鎮守府では、毎週金曜日は持ち回りで食事当番をするという規則がある。一二三少将曰く、「補給の大切さと準備の苦労を知り、仲間内の連帯感を高めるため」なのだそうだ。
そして各艦娘が作る食事の中でも天龍が作るカレーは絶品で、赤城などは何度も何度もおかわりを要求する程だ。いつもは小食な電も、このカレーだけはおかわりしてしまう。
「よーし。では食堂の方へ向かうか」
「はい」
その時、耳を劈くようなサイレンの音が工廠内に、いや鎮守府内に響いた。
「この音は……」
いつものんびりとした龍田の表情が引き締まる。
「敵襲のサイレンだね。龍田さん、至急この鎮守府の全艦娘を司令室に集めて。作戦会議を開くよ。電ちゃんは私について来て」
「了解なのです!」
敵襲、それはこの世界では他国の軍隊の侵攻を示すものではない。深海棲艦の侵略を意味する。
電はこれからするであろう初の実戦に、全身を震わせる。それが恐怖なのか高揚からくるのか、電にはわからなかった。
「情報によると、敵は駆逐ニ級が三、軽巡ヘ級が二ですねぇ~。練度はかなり高い模様ですよぉ」
「なるほど。本格的な侵攻、にしては戦力が少ないね。重巡、戦艦級もいないし」
「威力偵察でしょうか?」
思案する一二三少将に、加賀が自分の考えを伝える。
「可能性はあるね。どちらにしろ迎撃はしないと」
「よっしゃあ! 皆殺しにしてやるぜ! 電、覚悟決めろよ!」
出撃に血気盛んな天龍だが、
「待ってください天龍さん。全員での出撃は避けた方がいいと思います」
赤城は冷静にそれを制した。
「え? どういうことだよ赤城さん」
「これは威力偵察であると同時に、陽動という可能性もあります。全員が出撃すると、この鎮守府が攻撃される可能性があります」
「そうねぇ。じゃあ鎮守府には天龍ちゃんと電ちゃんに残ってもらいましょうか~」
「あ……はい」
居残り組に指定されたことに、電は心のどこかで安心していた。
「はぁ!? ざけんな龍田! 俺を前線から下げるってのか!?」
しかし天龍の方は納得できない様子だ。戦うことが生きがいと言っても過言ではない性格をしている天龍としては、仕方がないことかもしれないが。
「天龍ちゃ~ん。もし仮に陽動だとすると、この鎮守府には強力な敵が来る可能性があるわぁ」
激昂する天龍に、龍田は穏やかに話しかける。
「……強力な敵」
ピクリ、と天龍の眉が動いた。今天龍の頭では、どちらの方がより強大な敵と戦える確率が高いか計算されているのだろう。
「そうよぉ。その時に電ちゃんだけじゃあ手におえないだろうし、この鎮守府で一番練度が高い天龍ちゃんがいれば安心でしょ? ねぇ、電ちゃん?」
「え? えっと、はい。天龍さんがいたら、とっても心強いのです」
「っち……しょうがねぇな。わかったよ、残るよ」
龍田の言うことは正論であり、天龍も自分の我が儘を無理に押し通すことなく引き下がった。
「よし、話は纏まったね。出撃は龍田、加賀、赤城の三名。私が乗艦する旗艦は龍田とする。何か質問はあるかい?」
一二三少将の質問に、静寂が答えた。
「よし。では出撃をする。抜錨だ!」
海軍式の敬礼をして、龍田、加賀、赤城の三名は駆け足で部屋を出て行った。
「敵、本当に来るのかな……」
駆逐艦「電」に乗艦し、電はポツリと呟いた。操艦室の画面に映る外の景色は平和そのもので、敵が来そうな気配は微塵もない。
『おい、電。気ぃ抜くなよ。いつ何があっても大丈夫なように、気合い入れてろ』」
天龍の声がどこからともなく聞こえてきた。いや、聞こえてきたというよりも、直接頭の中に声が響いたという感じだ。
「え? 天龍さん?」
電はキョロキョロと周囲を見るが、何処にも天龍の姿は見えない。そもそも天龍は自身の艦である、軽巡洋艦「天龍」に乗艦しているはずだ。
『おい、聞いてんのか電ぁ!』
その時、外の景色の映像の一部に、天龍の怒り顔が映し出された。
「はわわ!?」
『そんなビビんなよなぁ。これが艦娘同士の通信だから、早めに慣れとけよ。頭の中で、喋りたいヤツに喋る感じだ。距離が離れすぎてると通じないから、そこは気をつけとけよ』
「は、はい。えと……聞こえますか?」
ためしに、電は頭の中で天龍に話しかける。
『上出来だ』
ニッカリと、天龍は笑った。
『電、気負うんじゃねぇぞ。轟沈しちまったら、元も子もねぇんだからよ』
「はい……」
艦娘は深海棲艦と戦える力を持ってはいるが、無敵の存在というわけではない。
船が沈めば、艦娘も死ぬのだ。脱出が遅れて一緒に沈むという場合もないわけではないが、原因はそれだけではない。一番の原因は、船の損傷が艦娘にもそのまま反映されるというシステムのせいである。船を自由に操れるという能力は、言い換えれば船と一体化するということだ。その能力の代償が、損傷の反映なのである。
『来たぞ電! 近海に配備してた索敵艦が敵の反応を捉えた。数は一隻、種別は重巡リ級。前方三十㎞先を時速三十ノットで航行中だ』
深海棲艦には通常の攻撃は通用せず、戦えるのは艦娘だけ。だからといって、艦娘以外の戦力が海に出ないわけではない。索敵艦はその一つであり、艦娘の眼となる重要な艦種である。
「は、はい!」
『こっちは二十ノットで動くぞ。機関出力上げろ! ついて来い』
駆逐艦「電」と軽巡洋艦「天龍」はその持てる力を少しずつ解放しながら、ゆっくりと海を進軍する。
『電、このまま行けば二十分と経たずに戦闘行動に入る。お前は後ろから援護するんだ。俺が前に出て仕留めるからよ』
「は、はい」
電は少しだけ速度を落とし、援護をしやすい天龍の後方に移動する。
少し、いやかなり動機が早くなっているのが自分でもわかる。前にいた世界では、軍艦として戦闘は何度も経験した。しかしそれは大勢の人間が艦を動かした結果であり、電自身が戦闘を行ったわけではない。
これは電にとって、初の実戦なのだ。
『見えたぜ、電』
「え?」
気づいた時、もう十数分が過ぎていた。あまりの緊張感のために、時間の感覚が狂ってしまったのか。
『深海棲艦のお出ましだ』
水平線の先に何か黒いモノが見えた。そこに意識を集中させると、その部分が拡大されて画面に表示された。
黒い黒い艦船。大きなその鉄の塊の艦首には口と目がついており、まるで魚のようにも見える。だがその異形の姿は尋常の生物とは一線を画している。何より目を引くのは、甲板の上に立つ一人の少女。青く光る眼を持つ黒いビキニ姿の少女は薄く笑い、そこから八重歯が顔をのぞかせた。
『行くぜ電! 砲雷撃戦用意!』
「はい!」
電は主砲の狙いを定める。それと同時に、目標の横に様々な数値が並ぶ。風速、波の高さ、湿度等の、艦砲射撃に必要な数字だ。そして自動で最適な仰角を算出してくれる。
重巡リ級の方もこちらを認識したのか、艦船の砲塔が動く。
「あ……」
微かな違和感が、電の脳裏を走った。
『どうした?』
「雷お姉ちゃん……?」
電の姉妹艦である駆逐艦「雷」の名が、自然と口から出た。この世界にいるかどうかもわからない姉妹艦、いたとしても顔も見たこともないのに、眼の前の重巡リ級が雷であると、電には確信できた。
『おい、電!?』
天龍が声をかけてくるが、電にはそれに答える余裕はなかった。
ドン! と腹の底に響くような轟音が空気を震わせる。そして同時に、操艦室に警告音が鳴り響く。
撃ったのは重巡リ級。目標はこちらの主力である天龍。
「っち、回避が間に合わねぇ! 障壁を!」
天龍は敵主砲の予想着弾場所に、意識を集中させる。
艦娘が持つ力の一つに、どのようなモノも防ぐ強固な障壁を張るというものがある。人類が持つ火器はもちろん、深海棲艦の攻撃も例外ではない。
『がぁ!?』
しかし無敵の盾というものはこの世にはない。障壁の強度にも限度があり、それを上回る威力の攻撃を受ければ、盾は砕けてしまう。
軽巡洋艦「天龍」の装甲は貫かれ、黒煙が上がる。
「天龍さん! 大丈夫ですか!?」
『心配すんなって言いてぇけど、中破状態だ。悔しいが撤退だ! 主砲で威嚇しつつ下がるぞ!』
「で、でも……あれは……」
雷を撃つことはできない。
『馬鹿! 何迷ってるか知らねぇが、さっさと撃て! 死にてぇか!』
「う……くっ!」
天龍の言葉に押されるように、電は主砲を放つ。ただし目標は重巡リ級の前方海面。主砲は目標通りに着弾し、盛大な水柱を生み出す。
しかし重巡リ級は臆することなく、そのまま水柱の中へと進撃する。姿を隠し、狙いづらくさせるための行動、たしかな意思を感じる行動だった。
『っち! メンドくせぇ!』
悪態をつきながら、天龍はそれでも持てる火力を重巡リ級に向ける。しかしそれでも深海棲艦は歩みを止めない。
天龍と重巡リ級の距離はかなり近い。加えて軽巡洋艦「天龍」の装甲はもうボロボロであり、重巡リ級の攻撃を防ぎきれないだろう。
電が重巡リ級を何とかしなければ、間違いなく天龍は撃沈されてしまう。重巡リ級の砲塔が、軽巡洋艦「天龍」を捉えた。
「う……あ……あああああああああ!」
天龍が死ぬかもしれない。その考えた瞬間、電は何も考えられなくなった。真っ白な頭で重巡リ級に狙いを定め、自身が持つ最強の武装である六十一cm三連装魚雷をリ級に向けて発射した。
数秒後、大きな水柱が三つ現れた。
『アアアアアアアアアアアアアアアアアア!』
重巡リ級がこの世のモノとは思えない声を発し、船体を大きく傾ける。まともに当たれば船体を二つに折る威力を誇る魚雷だが、深海棲艦の障壁に阻まれたのか目立った損傷は無さそうに見える。
『アア……アアアア!』
重巡リ級の矛先が、天龍から電へと変更される。
「あ……」
光、そして次に大量の煙、最後に轟音が響いた時、電は反射的に身を竦めた。
「きゃああああっ!」
船体が大きく揺れ、電は立っていることもできずに床へと身を預けた。普段なら、海面に倒れているようで妙な気がしただろうが、今回はそんな心配をする必要はなかった。
全方面に映る外の景色は、6割以上がその機能を停止させて元の壁面へと戻っている。
損傷は操艦室だけではない。装甲も、機関も、また電本人も頭から血を流し、無事な部分を探す方が難しい。
疑いようもなく、駆逐艦「電」は大破してしまった。
「うぅ……雷お姉ちゃん……」
痛みに耐え呼びかけるが、返答は帰ってこない。
『アアア……アアアア』
止めを刺される、そう電は確信したが、現実はそうならなかった。
先ほどの魚雷攻撃、無傷というわけではなかったのだろう。重巡リ級から黒煙が上がっていた。魚雷で傷ついた船体に、自身の主砲の衝撃が傷口を広げてしまったのだろう。
重巡リ級はその顔を歪ませながら、後進しながらゆっくりと天龍と電から距離を取っていく。
天龍も電も満身創痍で、攻撃したとしても全て深海棲艦の障壁に阻まれてしまうだろう。
二人には重巡リ級の撤退を、黙って眺めているしかない。そして数分後、重巡リ級は水平線上にその姿を消した。
「天龍さん……教えてください……」
もう聞こえているのかどうかもわからないが、それでも電は言葉を絞り出す。
「深海棲艦って、なんなのですか。電達は、何と戦ってるんですか……」
その疑問に、天龍は何も答えなかった。