神速リメイク   作:インパラス

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希望なんてありはしない。


ブルーオブブルー

 

 

 

 

 

 福田葵の朝は早い。

 寝るのも早い。昨日の就寝時刻は7時だ。

 そんな彼女は先月誕生日を迎え、歳は2になった。この家に住む人間の中で最年少である。

 葵は、父と母の間から抜け出して大きく背伸びをした。

 キングサイズのベッドからぴょんと無音で降り立ち、その足で寝室を出て洗面所へと向かう。途中でリビングに寄り、カーテンを開けて、朝の光を全身に浴びた。

 洗面所で彼女専用の台をセット。これが無いとまだ届かない。温水で洗顔して、歯を磨き始める。

 しゃこしゃこ…ぐすぐす、ぺっ。

 浄水器を通した水を1杯こくり。

 次に彼女が目指すのは玄関だ。

 ロックを解除して、庭に出る。

 右手には犬小屋があった。しかし中には何もいない。彼女は犬を強請ったが、誰も世話をしたくないという理由で却下された。優しい瞬にしても、彼の身体を考えると頼めない。

 小屋は、いつか自分が成長した時、犬を飼うためものである。

 新聞紙をポストから取り、リビングで読み始める。

 他人からすれば目を疑うような光景だが、この家で気に止める者はいない。先駆者がいたからだ。阿含は3ヶ月で立ち上がった。葵も少し遅れたが、それに続いた。ただそれだけのことだった。父親も初めは驚いたが、さすが俺の娘と全肯定である。

 コーンと朝の6時を告げる鐘が鳴る。

 葵は新聞紙を畳んで自分の棚にしまった。この家で新聞を読むのは彼女だけである。

 ボタンを押して、地下へと降りる。

 地下にあるのはトレーニングルームだ。

 

 「アゴン、おはよ」

 「あ?あ〜、行くか」

 

 葵は無表情で頷いた。

 持っていた抱っこ紐を阿含へと渡す。そして、装着した阿含の手で持ち上げられ、そのまま背に収まる。

 リビングに上がると瞬がいた。キッチンに立っている。休日の朝食はいつも、瞬が自分から進んで作っている。

 

 「あ、おはよ。2人とも気をつけてな」

 「おはよシュン。気をつける、アゴンが」

 「誰に言ってんだ。俺ほど安全運転なやつはいねえよ」

 

 葵は土曜日と日曜日が大好きだった。平日はいたりいなかったりする阿含と出かけられるからだ。

 何処に行くかといえば、ランニングだが。

 阿含の背は揺れない、大きい、心地よいで満点。

 葦人だとこうはいかない。少し揺れる。阿含で味をしめている葵だ。2度目は乗れなかった。

 

 「3、2、1、スタート」

 「おし」

 

 葵は小声で告げ、ストップウォッチのボタンを押した。

 

 途中で合流した葦人を加えて葵が家へ帰って来ると、リビングに、ぷんとコンソメの匂いが広がっていた。

 瞬はランニングを下にあるマシンで済ませて、朝食を作っていた。

 

 「瞬兄、俺シャワー浴びてきていい?」

 「おう、達也さんと母さんもさっき起きたばっかだし、ゆっくりしてこいよ」

 

 阿含は何も言うことなく、葵を背から降ろしてタブレット端末を操作していく。

 葵は朝食までの間、阿含の膝に座って画面を眺めることにした。

 

 「おはよ…」

 「おはよう。葵、ほらパパのとこ来ていいぞ」

 

 母と父がリビングに来て、みんな揃って朝食を食べ始める。

 みんなが揃う土曜日の朝が葵は好きだった。

 

 今日は、ユースへと昇格する阿含と葦人の入団式の日だ。見学にと、葵は紀子と花と、父方の祖父母(花の両親)ともにエスペリオンのクラブハウスへと足を運んでいた。ちなみに福田達也と福田花の血は繋がっていない。互いの親が再婚したためだ。

 祖父母はそれぞれ医者と看護部長として病院に勤めていたが、この日の為に休みを取っていた。今日のディナーは、家族全員で行く予定だ。

 

 「あれ、阿含は?」

 「兄ィもいないぞ」

 「兄貴さっき見たけど。オッチャンは知らん」

 

 前に座っている葦人が紀子と花に応えた。

 入団式の会場で設置されたパイプ椅子に、葵はジャンプして座ろうとしたが、花に捕まり膝の上に抱えられた。

 

 「あ、そうだ。セレクションで2人入ったんや。こっちが大友。橘」

 「どーも、大友です!」

 「橘です、よろしくお願いします」

 「あとは知ってるやろ?」

 

 葵は東京CEユースへと昇格する面々を見回した。何人かいないが、見た顔が揃っていた。

 気づいた数人と目が合った。それは共通して、幼児に向ける表情ではなかった。

 暗い、畏怖の眼差しが向けられている。

 しかしそれは自分に直接向けられた感情ではない。兄達を通した、間接的なものであると葵は理解していた。

 なんと誇らしい兄達なのだろう。

 

 「アシト、ほら前の中学で一緒だった友達は?リーゼントなんていないぞ」

 「冨樫はトイレや。あれ、俺冨樫の話したっけ」

 「嘘だろ君、昨日言ってたぞ!」

  

 何だかんだ待っていると、うつらうつら。

 花の椅子が心地よい。

 葵はもう2歳。されど2歳。身体の発達段階からして、眠気には勝てなかった。

 

 

 心地の良い目覚めだ。暖かな光がベビーカーの日除け越しに当たり、葵の意識を覚醒させた。

 久々のベビーカーに思うところはある葵だったが、快適なお昼寝を提供してくれたのも彼(?)だ。懐かしさを感じないことも無かった。前回乗ったのは、いつだったか。

 深呼吸をすると、天然の芝の香りが鼻をすーと通っていく。

 喉が少し乾いている。

 水分の催促をするべく、隣に見える花の足にタッチしようとーーふと、気になった。

 静かだ。

 葵は顔を上げた。

 ああ、そうかと納得した。

 先のフィールドで試合が行われていた。試合が行われていること自体は何となく把握していたが、寝起きで頭の回転が緩やかだったのだ。

 

 

 見物人がぐるりとフィールドを囲んでいる。多くは一般人のようだったが、カメラマンや記者などの姿も確認できた。

 その反応は半々であった。

 半分は、空気に中てられている。

 もう半分は、笑っていた。これ以上に楽しいものはないかのように。静かに、口の中でゆっくりと味わうように、高揚していた。

 異様な空気が漂っている。

 黄色の選手達がしているのは、戦争だった。

 獲物は、己が足。

 砦を落とさんとするのは、1つの砲弾のみ。

 誰もが戦略に沿った戦術を絶え間なく練り、破られ、また練る。

 無理に陣地を奪う必要はない。時には引き、勝機を狙え。技術は劣る。フィジカルも劣る。ならば一丸となれ。

 黄色の歩兵がしのぎを削る中。

 隼が獲物に狙いを定め、龍が佇み、鴉が大空から見下ろしている。

 息苦しさを覚えるほどの中で唯一、そのトライアングルの空気は澄んでいた。

 

 これが、エスペリオンユースなのか。

 

 部下の記者に連れられ、足を運んだベテラン記者は戦慄する。

 まるで高校サッカー、いやそれ以上。一部を除き、誰もが死に物狂いでプレーをしている。

 ただ、恐ろしい。

 これが、ユースのサッカーと言えるのだろうか。

 戦っているのは、本当にトップチームとユースで合っているのだろうか。

 ゾクリと記者の皮膚が粟立った。

 トップチーム側のベンチへと視線が向き、主力FWとしてチームを牽引する出口選手ーーその隣に佇む彼の顔を見た。

 口角が大きく歪んでいるその容貌は、今の世間が騒ぎ立てるような、まさしく悪魔のような笑みであった。

 昔から彼を知るファンの誰かが言ったのが始まりだ。

 昔の彼のプレーは華麗で、純粋に美しかった。だが、トップチームに上がった彼は変わってしまった。

 堕ちた天才。ああ、あれはまるで悪魔のようだと。

 しかしながら、それからの彼のプレーは、より人々の目を引きつけるようになった。

 記者はその意味を改めて理解した。

 理解できないほどの光に惹かれるのは、人間の性なのだ。

 早く俺を出せ。

 威圧がここまで届いている。

 

 

 用を済ませ、水分を補給した葵が設営されたテントに戻ったときに見たのは、カウンターに成功、残っていた相手DFの1人を抜き去ったのは瞬だ。

 そして、ゴールを決める葦人の姿があった。

 葵はサッカーに興味はあるが、兄達がしているからだ。自分がプレーするのを考えたことはない。ボールも蹴ったことも無い。

 この日初めて、葵はサッカーをしてみたいと思った。

 瞬に突破されたDFが、呆然と立っているのを見つめながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京エスペリオン。

 全世界においてサッカーファンであるならば、福田達也率いるJチームを誰もが知っている。

 世界一。その栄光は、ここ数年間不動のままだったが、昨年奪還されている。

 今年また返り咲かんとするエスペリオンは、この日さらなる伝説を築く。

 

 女性初のJリーガー、ストライカーの誕生である。

 それも、日本が世界に誇るチームからという異例。

 監督の娘という情報が開示されると、大数はこう考えた。

 なんだ、またバケモノか。

 それは彼女が初出場でハットトリックを達成したことで実証された。

 ゲームを目にすれば、裏があると考える者も出なかった。

 それほどまでに、彼女のプレーは美しかった。

 

 血が受け継いだ、絶対的な才能の化身が福田葵という存在だった。

 父の思考。彼の全盛期を彷彿とさせる、攻撃的なプレー。

 瞬のステップ。活かすためのテクニック。加速。

 阿含の反射神経、敏捷性。

 葦人の俯瞰。判断力。

 それらと並ぶほどの、彼女が持ち得る天性の闘争心。

 1.9mに迫る、念密に作り上げた柔軟な肉体。

 

 

 

 

 ああ、ようやくだ。

 Jリーグのフィールドはこんなにも狭いのか。瞬が阿含が葦人が、まるで隣にいるかのようだった。

 ベンチで父が笑っている。チームドクターとしての叔母は微笑んでいる。母はどうだろう。きっと、1番応援してくれている。

 この日から、この先以降全てが自分の日。

 父も瞬も葦人も、阿含も。知人も他人も誰も彼も。

 自分のためだけにサッカーを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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