side奈桜
それはセシリアさんと一夏くんの和解が成立してから2日ほどが経った放課後のこと。いつも通り自室(寮監室)に戻って洗濯物を畳んでいると、部屋に1人のお客さんがやってきた。
「失礼する……む、やはり綾崎1人か」
「あら、箒さん。今日は織斑くんやセシリアさんと一緒ではないんですか?」
「うむ。一夏は授業の補習、セシリアは本国への報告で忙しいと聞いた。今日は鍛錬をする気にもならなくてな、ここに来ればお前がいると思ったんだ」
「ふふ、その予想は大当たりだったようですね。今お茶をお出ししますから、たまには2人でのんびりとお話でもしましょうか」
「ああ、すまないな」
「いえいえ、お構いなく」
そうして姿勢良く座った箒ちゃんは最初こそお茶を淹れている僕の方を見ていたが、次第にキョロキョロと部屋を見回して感嘆の声を漏らし始める。
何に感心しているのだろうか?
そんなにおかしなものも置いてはいない筈なのだけど。
「どうかしましたか?」
「む、いや……本当に綺麗な部屋だと思ってな。とてもではないがあの千冬さんと生活している空間とは思えん」
「あら、箒さんはそのことを知っていたんですね」
「ああ、私が小学生の頃にな。珍しく一夏が人手が欲しいと頼ってきて何事かと思ったら、部屋の掃除だったというわけだ。当時の一夏はまだ家事など最低限しか出来なかったこともあり、本当に酷い有様だった」
なんだかその光景が容易く想像できる。
何を隠そう、この部屋も少し前まではゴミ袋と洗濯物によって床の9割が埋め尽くされていたのだから。
『教師が掃除を疎かにしてどうするんですか!』
なんて言った時に千冬さんが浮かべた現実逃避の表情は懐かしい。
「ふふ、なるほど。織斑くんの家事技術は必要に迫られて身に付けたものだったんですね」
「恐らくそうだろうな。今では家事など最低限しか出来ない私からすれば、女の面目が丸潰れになるくらいのレベルだ。本当にあいつは何処へ向かうつもりなのか」
「ですが、そういった昔の女性らしさを今なお大切にしている箒さんを、きっと織斑くんは好ましく思うと思いますよ?」
「くくっ、それをお前が言うのか」
クスクスと笑い合う僕と箒ちゃん。
最初に出会った頃は一夏くんの隣の席だからかよく睨まれていたが、僕が別に一夏くんを狙っているわけではない(当然である)ことが分かると、こうして直ぐに仲良くなることができた。
それにここだけの話、しっかり者の彼女が時たま見せる子供のような表情を、僕はとても気に入っていたりする。
「まったく、その気がなくともお前は間違いなく理想の女であることをそろそろ自覚して欲しいものだな。側から見ていていつ一夏が落とされるか気が気でない」
「もう、だったら早く思いを伝えたらいいじゃないですか。箒さんだって間違いなく素敵な女性ですよ?私が男性だったら出会って告白して振られるまであります」
「くくくっ、振られてしまうのか。勿体無いことをするな私は。
……ちなみにだが、私はお前が男でなくて良かったと思っている」
「……あらら、それは結構傷付きますね。一応、どんな理由なのでしょう?」
「一夏への想いが揺らいでしまう可能性があるからだ」
「……ふふ、今のは結構嬉しかったですよ?クッキー出しちゃいましょうか♪」
「千冬さんの次は私を餌付けするつもりか?有り難く頂こう」
普段は強気で、頑固で、抜き身の剣のように鋭い彼女。
けれどそんな彼女も最近は"私"の前でも笑ってくれるようになり、少しくらいの冗談を言い合えるようにもなった。
だからこそ、一夏くんの話をする時にだけ見せるふんわりとした少女の様な表情がとても際立って見えるようになった。
とても素敵な笑顔だ。
そんな顔を引き出すことのできる一夏くんは本当に凄い人だと思うし、1人の少女にそこまでの影響を与える人間性をとても羨ましく思う。あれが恋する乙女の表情というものなのだろう、僕には多分一生縁のない言葉だ。
だって箒ちゃんは言葉ではああ言ってくれたが、きっと"僕"どころか"私"にだってあの顔は引き出せないのは分かっている。引き出す資格すら無いのはさておき、きっとあの顔を引き出せるのは世界で1人だけなのだ。
だからこそ、自分では届かないその素敵な笑顔が酷く遠いものにも感じてしまう。
そして同時に愛おしくも思ってしまう。
この笑顔を絶やすことのない様にしたいと思うのも自然なことのはずだ。
見守っていてあげたい。
必要な時に手を貸してあげたい。
それが僕と私が求める立場。
目立たなくてもいい、ただこの子達が幸せそうに笑う未来を見ていたい、それだけなのだ。
「え」
さて、そんなことを考えていたせいか、僕は気付いていなかった。
伸ばしていた手が、無意識に彼女の頭を撫でてしまっていたことを。
……えっ、なにしてるのこの人本当に(A.セクハラ)。
「あっ」
「あ、綾崎!?何をしている!?」
「ご、ごめんなさい箒さん!織斑くんのことを話す時の箒さんがあまりにも可愛らしくてつい……」
「あ!ま、待て!」
「え、え?な、何を待てばいいんです?」
「い、いや、だからその……べ、別に、撫でるのをやめないでも、いいと、言ってみたり、だな……?」
「へ?」
そう言って直ぐに顔を俯ける箒ちゃん。
僕また何かやっちゃいましたか?(A.セクハラ)
とりあえず、よく分からないまま彼女を撫で続ける。
プルプルと箒ちゃんが震えているけど、嫌がっているわけではないということらしく……ないよね?
そうして数分撫で続けていると、突然箒ちゃんが何かを決心したかのように顔を上げた。
突然の行動に思わず手を上げてしまったが、僕は彼女の言葉を待った。
「あ、綾崎……頼みを、聞いてもらえないだろうか?」
「は、はい。かまいませんよ、箒さんの頼みですもの」
「だ、だが、その……少し、おかしな頼み事なんだ。もしかしたら、気持ち悪いと、思うかもしれない」
「裸になれ、なんてお願い以外にしてくださいね?」
「そ、そんなことするわけないだろう!私はノーマルだ!!」
いや、冗談とかじゃなくて。
それをされると完全に人生ツムツムなので本当にダメなんですよ。
上半身だけなら多分大丈夫なんですけど、それでも気付かれてしまう可能性はある。
まあ基本的に恋人でも無い人の目の前で全裸になるのは普通にアウトな行為なので、まずあり得ないとは思うのだけど。
そしてやはり箒ちゃんが恥ずかしがりながらも求めてきた頼みというのは、そんな僕のお馬鹿な考えよりもずっと純粋なもので。
「その、だな……膝枕、というものをして欲しいんだ……!い、嫌ならいいんだぞ!?素直に嫌だと言ってくれ!!」
あたふたと顔を真っ赤にしながらも言い訳を並べる箒ちゃん。
両手をブンブンと振り回して、きっと今は内心で自分の言った言葉に後悔とかしてしまっているのだろう。
『言ってしまった、言ってしまった……!』
なんて小さく呟く彼女の姿はとても可愛らしい。
そんな様子が不器用に甘えようとする孤児院の子供達に重なって……心が温かくなる。
「もちろん構いませんよ?ほら、こちらにどうぞ。私、膝枕と耳掻きには自信があるんですから♪」
箒ちゃんから少し離れてポンポンと膝を叩く。
膝に瞬時にブランケットをかけ、受け入れ準備は既に完璧に完了していた。
そんな流れるような動作に最初こそ呆気に取られていた箒ちゃんだったが、直ぐに意識を取り戻して慌て出す。
「い、いいのか!?ほんとにいいのか!?」
「むしろ準備は出来てしまっているんです。今更嫌だと言われても私が困っちゃいますよ?」
「そ、そうなのか?困ってしまうのか?な、なら……仕方ない、よな……?」
チラリと言葉尻をすぼめてこちらを伺う箒ちゃん、焦れったくて愛らしい。
恐る恐ると膝の上に頭を乗せるが、それもやはりまだどこか硬い。
緊張しているのか体に力が入りまくっている。
そんな箒ちゃんをリラックスさせるために頭を撫でてやると、最初こそビクビクしていたが次第に身体の力が抜けていった。
千冬さん曰く中毒性があるらしい僕の膝枕を、箒ちゃんも気に入ってくれたらしい。
とても嬉しい。
「………」
性別を偽ってこうしたことをするのは良くないことなのは間違いない。
だが、断れば彼女が悲しんでしまうだろうし、精一杯の努力を振り絞って出した女の子のお願いを断るのも違うだろう。
それに僕だって頼まれて嬉しかった。
……まあ、最悪の場合は僕が自分の性別を墓場まで持っていけば済む話だから、うん。
一生女装しろってことですか、そうですか。
いや、最悪の場合というか、何かしらやらかした場合は本気で視野に入れる必要があるのは間違いないし。
なんだか蟻地獄にはまった気分だ。
けれど、その代わりにこうして自分の膝でリラックスしてくれる子を見ることができるのならば、それは十分な見返りなのかもしれない。
完全にリラックスした箒ちゃんに近くにあった薄い毛布をかけ、ゆっくりと優しく一定のテンポで肩のあたりを叩いてあげる。
性格なのか、家庭的な問題なのか、どうにも彼女はこういうことに慣れていないらしいし、飢えている感じもある。
……そういえば彼女の姉はあの篠ノ之束だったか。
きっとこれまでも大変な人生を送ってきたのだろう。
こうやってくれる人が近くに居なかったのも、仕方のないことなのかもしれない。
「あ、あやさき……?」
「大丈夫ですよ箒さん、私はちゃんとここに居ますから」
「そ、そうか……重くは、ないのか?」
「慣れてますから、箒さんくらいなら何時間でも大丈夫ですよ?」
「そ、そんなものなのか?」
「そんなものなのです」
確かに長時間していると足が痺れることはあるが、座り方を少し工夫するだけで解決できる事柄だ。
慣れればこの体勢で一緒に眠ることだってできる。
流石に今回はしないけれど、それくらいには問題は無いということだ。
「はぁ、なんだか自分が情けないな」
「そうですか?私はそうは思いませんが」
「そんなことはない。実を言うとだな?セシリアにああ言っておきながら、私にも他人に甘えてみたい欲求があったらしい」
「あら、それに選ばれたのなら光栄ですね」
「ふふ、お前ならそう言うと思っていた。
……まあ、きっかけは昨日のことなのだがな。セシリアがお前に何かをせがむ度に羨ましく思っている自分に気が付いた。私は姉の影響で小学生の頃から両親に会うことも出来ず、常に転居を強制されていたからな。そのせいで周りにロクに頼れる大人も居なかった。恐らく無意識に甘えられる人間を恋いていたのだろう、情けない話だ」
「箒さん……」
ぎゅっと服の裾が握られる。
小学生なんて多感な時期に両親から引き離され、常に見知らぬ環境を強制されるというのはどういう気持ちになるのだろう。
自分にも両親はいない。
けれど両親のことなど覚えてもいないし、僕にはその代わりにマザーが居た。
常に自分にとって心地の良い居場所が存在していた。
だからきっと、僕には彼女の気持ちは本当の意味では分からない。
そんなふざけた環境に置かれながらも必死に自分を律し続け、曲がることなく生きてきた彼女がどれだけ凄いのかも、真に理解は出来ないだろう。
「まったく、高校生にもなって私は……」
けれど、そんな彼女に僕にも出来ることがある。
いや、正しくはそれしか出来ないのだけれど、それでも彼女を元気付けることが出来るのなら迷いなんて無いに等しい。
羽ばたき疲れた彼女の一休みの寄木となれるのなら、それは多分とても光栄なことだ。
「箒さん、何も甘えることが悪いことなわけではないんですよ?」
「……?だが、私はもう誰かに甘えるような年ではない。これからは自立を求められる年齢になるんだ、未だに甘えたことを抜かすのは恥ずべきことだと思うのだが」
「それが適用されるのは、これまでの人生を思いっきり甘えて育ってきた人達だけです。箒さんにはまだまだ甘えが足りません」
「あ、甘えが足りないときたか。なかなかに新鮮な言葉だな」
「ふふ、私は『甘えるな』って言葉が世界で一番嫌いですから。
だから、もっと甘えてもいいんですよ?なんでしたらセシリアさんみたいに『お母様』って呼んでくれても構いません。私は人を甘やかす人間ですから、私に甘やかされても仕方ないんです」
「……人を甘やかす人間、か。確かに、あの千冬さんすら甘やかせる人間など世界に2人もいないだろう。そう考えると、私のような未熟者が綾崎に甘えてしまうのも当然のことかもしれんな」
「いいことです。私だって嬉しいんですよ?だって私も箒さんのこと甘やかしたいですし、セシリアさんみたいに甘えても欲しいです」
「いや、流石にあれほどべったりとするのはな……」
「あらら、それは残念ですね」
気付けば裾を握っていた彼女の手が僕の膝を撫でていた。
少しばかりこそばゆいが、箒ちゃんは至って楽しそうだ。
5分ほどそんな時間が続いた後、彼女は一つ深く瞬きをして横を向いていた顔を身体ごと僕の方へと向ける。
突然のそんな行動に思わずビックリしてしまったが、その僕の反応に楽しそうに悪戯な笑みを浮かべた箒ちゃんは、ニッと笑って宣言をした。
「ならば今から私は綾崎のことを『母さん』と呼ばせてもらおう。セシリア曰く、2人目の母親だ」
「箒さん……」
「ふふ、これからは思いっきり甘えさせて貰うからな?後で後悔しても取り返しはつかないぞ?私をこんな気持ちにさせたんだ、責任は取ってもらわないとな」
「おや、これはとんでもない藪蛇を突いてしまったでしょうか?
ですが、望むところです。私こそ、たぁっくさん箒さんのこと甘やかしてしまいますから。後悔しても遅いですよ?」
「するものか。母さんから甘やかしの極意をたっぷり吸収させて貰うのだからな、学ぶためにも全力で甘えてやる」
「ふふふっ」「くくくっ」
そうしてこの後、セシリアさんが報告を終えて帰ってくるまで箒ちゃんの耳掻きをすることとなった。
年頃の女の子の耳掻きを恋人でもない異性がするのはどうかと思うのだが、僕は彼女の前では男でも女でもなく、母親の代わりになると約束してしまったのだ。
故に、罪の意識すら追いやって徹する義務がある。
よって全力で甘やかした、後悔はしていないけど反省はしている。
ちなみにその結果、箒ちゃんにも定期的に耳掻きをせがまれることになった。
この学園で僕が耳掻きを担当する女性がなんと3人になった。
女誑し?そんなことはありません、ただ耳掻きが好きなだけです。
単に周りの女性率が高いだけで、男性でも虜にしてみせますから。
まあ耳が性感帯の人もいるから、男のままだったらセシリアさんの耳掻きなんてできないけれど。
ああ、女で本当によかった……
……あれ?
--おまーけ--
「そういえばさ、綾崎さんって両親居ないんだよな?」
「え?そう、ですね……記憶にも無いので実感は無いんですけど」
「ああいや、悪い、いきなり変なこと聞いた。ただ俺もそうだから気になってさ」
「いえいえ、突然の質問は千冬さんで慣れていますから。……でも、そういえば織斑くんもそうだったんですね。織斑くんも両親のことは?」
「ああ、殆ど覚えてない。だから同情とかされてもイマイチ実感湧かないんだよなぁ、俺にとってはそれが普通だったからさ。それこそ授業参観とかでも親の来てくれない子とかも普通に居たし、俺には千冬姉も居たから」
「なるほど……私もマザーや他の子供達が居ましたから、特別寂しさを感じたことはありませんでしたね。まあ、そんな暇も無いくらいに毎日が慌ただしかったというのもあるんですが」
「はは、俺も友人には恵まれたからなぁ。この学園に来てもやっぱりそれは変わらなかったし。そう考えると十分に幸せもんなんだよな、俺」
「ふふ、良いと思いますよ?自分な幸せだと自覚できるのは何より大切なことですから。……あ、ごめんなさい、サラダの準備を忘れてました。こっちはやっておくので、お願いできますか?」
「おう、任せてくれ。……にしても、綾崎さんはマジで手際良いよな。俺も料理は普通にしてたけど、ここまで効率良くはできないからさ」
「そうですねぇ、それは料理を作る環境のせいでしょうか。大人数の食事を子供達に急かされながら作っていましたから。それなのに美味しくないと食べても貰えませんし、いつの間にか慣れちゃいましたね」
「はは、俺だったら心が折れてそうだ。子供の頃から綾崎さんみたいな美人で優しいお姉さんが居るなんて、そこで暮らしてる子供達が羨ましいよ」
「もう、織斑くんにも千冬さんが居たでしょうに」
「それもそうだけどさ、多分その子供達は苦労するぜ?理想の女性像が綾崎さんなんだから、恋人を探すのも大変そうだ」
「もうもう、やめて下さいよ変なこと言うの。そんなの私は望んでいないんですから、私はみんなに幸せになって欲しいんです。私のせいで恋人ができないとか、そんなのは困ります」
「あはは、悪い悪い。そんなに叩かないでくれって」
一見イチャついてるいるように見える2人だが、まさかその両方が男だとは誰も思うまい。