綾崎くんの周辺がより酷い事になっているのは私の趣味です……
その日の放課後、一夏を含めたいつものメンバーは授業が終わると同時に物凄い勢いで廊下を爆走していた。
その理由はただ一つ単純な話で、それまで一切の接触が禁止されていた綾崎奈桜への面会が今日やっと許可されたからである。その話を真耶から聞くや否や、それまで予定していた全ての事を放り出して走り始めたのは彼等全員一切の打ち合わせもなく同じだった。
当然と言えば当然、今日この日をどれだけ彼等が待ち望んでいた事か。一夏でさえも唯一面会を許されていた自身の姉が羨まし過ぎて何度か直談判に行ったくらいだ。その度に『あいつに今負担をかける様であれば実の弟と言えど殴る』と直接的に言われ、『いや、殴る自体はいつもやられてるんだけどな』と返していたのも今や懐かしい思い出である。
「着いた!」
「ここか!?ここの病室なのだな!?一夏!?」
「3週間ぶりのお母様!退きなさい鈴さん!私が1番最初に会うんですわ!」
「いい加減にしなさいよ!あたしが先にママと会うのよ!ちょっ、そのデカい尻で押さないでくれる!?」
「デカいとは失礼な!安産型と言って下さいまし!!……あれ?」
「え?」
辿り着いた病室の前。
事前に一夏から手渡されていた紙には確かにその部屋に奈桜が居ると書いてあるのだが、そうして騒いでいる間にセシリアが扉を開けようとするも、ガタンッと音を立てて鍵が閉められている事に気が付いてしまう。そう言えばと病室に掛けられた札を見てみれば『empty』の文字。つまり空である。果たしてこれは一体どういうことか、意味の分からない現状に4人が首を傾げていると……
「綾崎に負担を掛ける様であれば殴る。私は確かにそう言った筈だな、一夏」
「「「「ひっ!?」」」」
「全員歯を食いしばれ、一撃で許してやる」
「「「「ぶはぁっ!?」」」」
背後から全員の頭部に向けて水平に薙ぎ払われた出席簿。
紙で出来ている筈のそれは鋼の様な威力を持って4人の頭部を打ち、全員を平等に水平に吹き飛ばす。
千冬は奈桜への面会が許可された日、恐らくこの4人が馬鹿騒ぎを起こして騒がしくするという事は事前に予想していたのだ。それを見越して事前に一夏に対して本来奈桜が眠っている病室の向かい側の病室を教えておき、こうして背後からそれを襲撃する算段を付けていた。
つまり彼等はまんまとその罠に嵌った訳である。
千冬によって開けられた部屋の中で、そんな彼等を苦笑いしながら見守っているのは当然にその彼等が待ち望んでいた奈桜だ。
「あ、綾崎さん……!」
「母さん!」「ママ!」「お母様!」
「ええと……『お久し振り』と言った方がいいのでしょうか?何分ほんとうに昨日意識を取り戻したばかりで、その後もついさっきまで検査ばかりを受けていましたので、全然日付の感覚が無くて」
「まさかあの夜に私と話してから3日も眠り続けることになるとは思わなかったが、これで私も漸く心を落ち着けられる」
「千冬姉マジで毎日綾崎さんのこと見に行ってたしな」
「そうなんですか?千冬さん」
「余計な事は言わなくていい」
「痛っ!?さっきより痛っ!?」
久しぶりにあった奈桜は、未だに全身に包帯を巻いている痛々しい姿ではあるものの、彼女自身はそれなりに元気な様に見えた。
被害が酷かった両手と両足は今も素肌すら見えないくらいに包帯が巻かれており、左目に眼帯、そして髪も一部が焼け焦げてしまったのか少しだけ短くなっている。何より彼女自身もそれなりに痩せてしまっていて、決して無事とは言い難い現状だろう。
それでも本当にいつも通りといった様に笑い、話す彼女の姿を見れば、一瞬息を止めた4人の雰囲気も少しだけ柔らかくなる。むしろ込み上げて来るのは、生きていた、また会えた、という嬉しさ。
抱きつきに行ったのは女性陣だ。
当然男である一夏はそんなことは出来ないし、したら問答無用でボコボコにされてしまうのが目に見えている。
「……本当に良かったよ、綾崎さんが無事で」
「ええ、おかげさまで。"一夏くん"も元気そうで何よりです、本当に良かった」
「ああ、それこそ綾崎さんのおかげで……ん?」
一瞬の驚きの後、一夏は千冬の方を見る。
しかし千冬も他の女性陣も、むしろ奈桜すらその変化に気付いていないのか、皆同様に不思議そうな顔をしていた。確かに本人でなければあまり意識しない事ではあるのかもしれない。
突然奈桜が一夏のことを名前で呼び始めたなんて。
「ええと、箒ちゃん?一夏くんは何に驚いているのでしょう?」
「ほっほほっ!箒ちゃん!?」
「?」
そして箒に対するその言葉と共に、一夏の気付いたその変化は他の者達にも共有され始める。
それにいち早く渋い顔をしたのは千冬だ。
様子をおかしく思った鈴音達も箒に続いて言葉を掛ける。
「あ、あやさ……ママ!?私の事は!?」
「?どうしたんですか、鈴ちゃん?」
「り、鈴ちゃ……!?」
「お母さま!私は!私はどうでしょう!?」
「えっと、本当にどうしたんですか?セシリアさん?」
「私だけ普通なのですが!?何故!?どうしてですの!?」
色んな意味で混乱し始める状況。
不審に思った一夏は密かに千冬の元へ行き、小声で疑問を投げかけた。
顔色が悪いのが千冬自身であるとは知りつつも。
「千冬姉、ほんとに検査には何の問題無かったんだよな?」
「検査の結果についてはまだ把握していない、書面としても降りてきていないのでな。私はお前達と同じ、ただ他者と面会をする程度ならば問題無いという事しか聞けていないんだ」
「検査って昨日まで一度もしてなかったのか?」
「今回の治療にはまだ市場にも出ていない様な最新のナノマシンを使用したのだが、その働きが完了するまでは一切患者に触れるなと作成者から達があった。今思えば恐らく綾崎が昏睡していたのもそのナノマシンの影響だろう。……検査の結果は今日医者から直接結果を聞かされた綾崎本人しか居ない、明日には正式な書類として私の元に来るだろうが」
そうして壁にもたれ掛かっていた千冬は身体を起こし、箒と鈴音とセシリアに抱き着かれながら困惑している奈桜の直ぐ目の前に顔を向ける。真剣な表情、嘘は許さないと言った様相だ。
奈桜もまた千冬のその様子に思わず背筋を正してしまう。
「綾崎、正直に言え。検査の結果はどうだった」
「………良かった、とは言えません」
「具体的には?」
「まずはこの両手と両足、最も損傷が酷かった部分です。これについては殆ど作り直した様な物なので神経がまだ上手く機能していません。筋肉量も相当落ちているので、今後かなり長期間のリハビリが必要になるとの事です」
「他には?」
「……左眼の色素が回復していません。視力も壊滅的に落ちています。後天性のアルビノ症候群とでも言いますか、強い光を目に入れる事すら防ぐようにと言われました。こちらの回復の目処は立っていません」
「っ、最新のナノマシンを使用してもそれか」
「私が戦闘中に自分に使っていた物も含め、2種類のナノマシンが同時使用された訳ですから、その辺りが原因ではないかと担当医さんは仰っていました。ただ完全に見えなくなってしまった訳ではありませんし、こうして眼帯で隠していれば問題ありませんから。そう悲観する事でも無いですよ」
悲観する事はない。
果たして本当にそう言えるだろうか。
片目を失うという事は視界を狭めるだけではなく、立体的な感覚すら狂わせる。基本的に大抵のスポーツでは片目を失う事は致命的だ。ISを操作する場合ならばハイパーセンサーの影響もあり問題は少ないだろうが、ISを使用出来ない私生活では決してそういう訳にはいかない。
「えと、一応……こんな感じです」
そうして眼帯を外した場所には、確かに真っ赤な背景を背負いながらも白い花が滲みながら咲く様にして広がっている奇妙な瞳が存在していた。
アルビノ症候群について殆ど知識の無かった一夏は真っ白な瞳が存在しているのかと思っていたが、アルビノ症候群というのは細胞の色素が不足している状態を指す。目の色素が抜けた場合、そこに残るのは真っ白な肉と毛細血管などの明確な血の色のみ。
単純な宝石の色ではなく血肉の色を直に写しているのだから、少しの生々しさも人によっては感じるだろう。衝撃を受けたのは当然だ。千冬でさえも少し顔を顰めながらその瞳を覗いている。
「……精神的な影響は?」
「そちらについては簡単な検査では問題ありませんでした。ただカウンセリングや筆記で分かることも多くはないので、長期的に見ていく必要があると」
「……なるほど」
普通に考えて、ISのバリアを突き破って機体と皮膚が同化する程の攻撃を受けた人間が、精神的にノーダメージなどという事はどう考えても有り得ない。その日会ったばかりのカウンセリングでは分かるはずもない、恐らくは節々に発生しているであろう異常。長期的に見ていくという言葉には、きっとそういう意味も含まれている。それが確実に発生しているという意味も込められている。
(記憶の混濁か……?外に発していた敬称と、内で発していた敬称が入り混じっていると考えるのが妥当。しかし本人がそれに気付いていない事を見るに、他にも同様の混濁が生じている可能性は高い)
どこまでダメージがあるのか、その中に致命的なものはあったりしないか。今直ぐにそれを知って把握しておきたいのに、やはりそれを知るためには医者の言う通り長期的に見ていくしかない。
しかしこの歯痒さはどうにもならないし、その上そんな風に長期的に見て行かなければならないのは他ならぬ自分である。自分以外には出来ないし、任せるつもりもない。少しでも彼に関しての責任を持ち、少しでも彼を守りたいと考えるのなら、千冬がやる以外あり得ない。これは自分の仕事であると自覚している。
「千冬姉……?」
「……いや、なんでもない。とにかく暫くは様子見だ、お前達の面会は認めるが何かあれば直ぐに私に報告しろ。お前もだ綾崎、少しでも違和感を感じたら私に言え」
「は、はい」
まあ、彼が素直に伝えてくれるとは思ってはいないけれど。
「……あー、千冬姉?他の人をここに連れてくるのって、もしかしてあんま良くなかったりするかな」
「他の人間を?……人物によるとしか言いようが無いが、出来るならば退院するまでは控えて欲しいというのが本音だ」
「そっか、じゃあシャルを連れてくるのは後の方がいいな」
「シャルさん、ですか?」
「ああ、フランスから来た俺と同じ男性のIS操縦者だよ。少し前に転入して来たんだ。2人目やっぱり居たんだってさ」
「……千冬さん?」
「いや、まあ、その件に関しては後で説明する」
「私が納得出来る説明をお願いしますね?」
「ああ……」
「「「「?」」」」
珍しく千冬に怒った様な雰囲気を出す綾崎に首を傾げる4人であったが、それが理由なのか今日の面会はここまでだと千冬に言い切られてしまい、病室から追い出されてしまった。
とは言え、今の奈桜に対してこれ以上騒ぎ立てる様な事は流石にしない。また明日にでも訪ねに来ればいいからと、彼等は取り敢えず身を引くことにした。
何はともあれ、今のところは大きな異常もなく命の危機もなく意識がある状態で生きているのだから。これ以上のことはないし、今日まで想像したどの最悪と比べてもマシな方だ。……特に千冬が想像していた最悪と比べれば、随分と運が味方してくれた方だ。それほどに、ここ最近は綾崎の病室以外では殆ど眠れなかったほどに、心を乱されていた。
「一先ず……命に別状がなくてなによりだ、綾崎」
「そうですね、私もまさかここまで綺麗に治るとは思いませんでした。科学の進歩は凄いと言うか、実はもう不老不死の人間はいます!なんて言われても信じてしまいそうです」
「……ナノマシンの治療といえど、万能では無い」
「………」
「今回の治療がお前の身体にとってどれほどの負荷になっているか、そこまでは私ではわからない。だが考え方として、お前の先の寿命を前借りして得た回復だというのは決して間違ったものではないだろう」
「まあ……それくらいなら安い物なんじゃないですか?死ぬことに比べたら」
「安い筈があるか!それが私ならまだしも、お前はまだ若いんだぞ……今はよくとも、後からその時を迎えた時に、お前は必ず後悔をする」
「……千冬さんもまだお若いじゃないですか」
「そんなことが言いたい訳じゃない……」
分かっているくせに。
確かに寿命が減ってしまったと言われても実感は湧かないだろうし、高校生になりたての相手にそれを理解させようというのも難しい話だと分かっている。
それでも、大したことないでは終わらせられない。
それがこの話だ。
終わらせたくないと、少なくとも千冬は考えている。
「でも、やっぱりそんなに気にする事でもないと思います」
「何を根拠に……」
「だって私、もし寿命が関係するほど長く生きる事が出来たとしたら、その最後はきっと満足していると思うので」
「………」
「私は結婚をするつもりもありませんし、子供をつくるつもりもありません。ただ自分の育った孤児院を継いで、沢山の子供達と出会って、最後にそれをまた次の人に引き継ぐ事が出来ればそれでいい。それが私の人生の目的ですから、その目的が達成出来れば他には何も望みません」
「っ」
彼はそれを、心の底から、本気で、本気で言っている。
きっとそれが彼にとって本当に人生の主軸となっているのだろうから。
きっとそれが彼にとって理想の人生の在り方であろうから。
だから彼はそう言い切る事が出来るのだろう。
……もうその希望が叶うことは無いという事も知らないで。
もう彼があの孤児院に戻れる事はない。
どころか、あの孤児院に居た者達は既に離散しており、各々が今は別々の孤児院に居るという事は当然の様に彼は知らない。
全ては綾崎直人という人物の記録を抹消するために。
いきなり彼だけが姿を消せば怪しまれる……だからこそ彼の孤児院を離散させる事で、彼がISの適性検査の結果で消えたのではなく、孤児院の都合で姿を消したという事にする必要があった。千冬がそれを聞いたのは、全てが終わったあと。もう彼等がそれぞれにどの孤児院へ行ってしまったのかすら千冬には分からない。元々孤児院だったあの場所も、今ではもぬけの殻だ。
……綾崎直人が帰る場所は、そして彼の人生にとって最も大切だった場所は、どこにもない。
「……あ、綾崎」
「?なんですか、千冬さん」
「そ、そのだな……」
「はい……?」
伝えなければいけない、言わなければいけない。
そんなことは分かっている。
長く隠すほど彼にとって残酷な事だ。
だが一方で、千冬はこうも思った。
それは今こうして衰弱している彼に対して伝えなければならない事なのか、と。それこそ別に、もっと彼が回復してから伝えるべきなのではないのか、と。
そんな言い訳が出来てしまった。
そしてその言い訳はもっともなものだった。
「…………」
「千冬さん?」
だから千冬は口を閉じる。
逃げる。
蓋をする。
普段の彼女に似つかわしくなく。
中途半端に。
弱気に。
弱々しく。
小さく。
そうして半端な事をしてしまったが故に、大きな失敗をしてしまった過去があるというのに。
「……先程の転入生のシャルル・デュノアについての話だ」
「あっ、そうでした!教えて下さい千冬さん!一体どうなってるんですか!?」
千冬の抱える罪は日に日に大きくなっていく。
けれど彼女はそれを打ち明ける事が出来ない。
打ち明けた時、彼がどんな反応をするのかが怖いから。
絶対に怒ったりしない。
絶対に笑いながら許してくれる。
だからこそ、それが怖い。
ただ1人その絶望を心に秘めて笑うその姿が、想像するだけでも恐ろしくて仕方がない。そんな絶望を彼の心に植え付けたりしたくない。
(……もしこの世界からISが無くなったら、お前は幸せになれるのか?綾崎)
もう決して彼の思い描いていた幸せに辿り着くことは無いと知っていながら、織斑千冬はただただ現実逃避を続けていく。
--おまけ--
「ほらほら勇樹!早く行こう!早くしないとお店閉まっちゃうよ!」
「ま、待てって姉ちゃん!別にまだ店閉まらないし、それに俺は何も要らないって……!」
「何言ってるの!せっかくの誕生日なんだから、こういう時くらい欲しい物を欲しがらないと!」
休日の夕方、誕生日の当日。
その少年は施設の姉である彼に手を引かれて走り出す。
誕生日パーティの準備に気を取られて肝心のプレゼントを用意するのを忘れていた姉が、夕食後に強引に少年を連れ出した。
要らないと言っているのに。
姉は無理矢理に彼の手を引いた。
「ああもう!分かったから手は離せって!見られてるから!」
「ん、なになに?恥ずかしいの?勇樹ももう思春期かぁ……」
「どっちかって言うと姉ちゃんの方が思春期の筈だろ!恥ずかしくないのかよ!」
「大事な弟と手を繋ぐことが恥ずかしい訳ないよ」
「くっ、この姉……」
どう見ても女にしか見えない、どうみても姉にしか見えない。
何度見ても、目の前の人が自分と同じ男とは思えない。
駄目な方に駄目な方に毒されていることを自覚しながらも、姉の屈託のない笑みから目を逸らして頬を染める。
孤児院の最年長にして中心人物でもある姉は、孤児院に居るどの兄妹にもこうして愛情深く接してくる。それが(特に男の子達にとって)どれほど性的趣向的な意味で毒なのかも知らず、いつもこうして近い距離感で触れ合いを求める。
長い髪を後ろでまとめ、急いで出て来たからかエプロンを巻いたままのその姿は、慣れた筈の商店街の人達の目すら惹き寄せる。この無防備な姉を守ろうと、どれだけ少年が周囲に気を配っているのかも知らず。
「おっ、なおちゃん!こんな時間にどうした!買い忘れか?」
「あ、はい!弟の誕生日プレゼントを買い忘れてしまいまして!……ただ、こうして連れて来たのはいいんですけど、欲しいものが無いという一点張りなんです」
「おうおう、あんまり姉ちゃんを困らせんなよガキんちょ」
「ガキじゃない!!だから俺は何も要らないって……!」
連れて来られた小さな雑貨屋で、店主に揶揄われながらも少年は溜息を吐く。欲しい物をプレゼントすると言いながらも今や少年そっちのけで彼に似合いそうな物を探し始めている姉、これはもういつもの光景だ。例えば少年は服や靴に特別興味は無いというのに、買い物の際には姉が率先して、むしろ楽しそうに彼のために吟味し始める。
姉とてお金を多く持っているという訳でもない。せいぜい月に1度マザーから渡されるお小遣い程度しか自由に使えるお金はない上に、姉はマザーから預かっている生活費については目的以外では絶対に手を付けない。それでもこうして兄妹達の誕生日の日にはプレゼントを買ってくれるし、誕生日が無くとも兄妹達にお土産を買ってくる。全部自分のお小遣いで。
(……俺達に買うくらいなら、自分の欲しい物を買えばいいのに)
少年はずっとそう思っていた。
服だって、靴だって、アクセサリーだって、自分の物は必要最低限の癖に、兄妹達の為なら『マザーには秘密だよ?』などと言って買い与えてくれる。
孤児院で一番働いている人間が、どうして一番贅沢をしていないのか。
孤児院で一番の年長者が、どうして兄妹達のお古ばかり使うのか。
少年は密かにそれが気に入らなかった。
姉にそれを指摘しても何の意味もない事は知っていても。
「勇樹勇樹!これとかどうかな?確か私用の鞄がもう壊れ掛けてたでしょ?きっと似合うと思うんだけど」
「……それでいいよ、もう」
「ほんと?良かった、絶対カッコよく見えるからさ!たくさん使ってね!」
「はいはい、分かったから」
そうは言っても、そんな風に心から嬉しそうに新しい鞄を持って来られては流石に断り辛い。それに実際、少年の鞄はもう古かった。孤児院に来る前から持っていた物だが、この年になって手に持つには柄も子供過ぎて、私用で使うには少し恥ずかしかったのも事実である。
……やはり、姉は自分のそんな事までも把握していた。
きっと同じ様に、他の兄妹達の事についても把握しているのだろう。
『あの子のお小遣いを増やしても、使い道は変わらないよ。あの子にとってはお前達の幸福こそが一番の幸せなんだからね』
ふと、マザーのそんな言葉を思い出す。
自分達の幸せが姉の幸せであるのだと。
最初に聞いた時には馬鹿馬鹿しく思えたそれも、今は本当なのだと痛いほどに実感している。
……本当に、姉の幸せはそれでいいのだろうか。
自分の食べたい物を食べて、欲しい物を買って、そんな利己的な幸せを得る権利は絶対にある筈なのに。そうしたとしても誰も文句を言ったりはしないのに。自分の幸福が他人の幸福などと、少年にはそれがあまりにも悲しく見えてしまう。
「うんうん、似合ってるよ、勇樹」
「……ありがと、姉ちゃん」
「どういたしまして!……さて、せっかくだから途中でジュースでも買って帰ろっか?みんなもお風呂上がりで喉が渇いてる時間だろうし」
「……ちゃんと生活費から出せよ」
「!……うん、分かったよ」
そうしてまた、自然と姉に手を引かれる。
心から嬉しそうで、楽しそうな姿。
まるで今が一番幸福であると言わんばかりの後ろ姿。
少年はなにより姉の幸福を祈っている。
けれど求めている姿と今の姉の姿は、何処かが違う。
(……孤児院が無くなれば、姉ちゃんも自分の幸せが手に入れられる様になるのかな)
それが姉にとって一番の不幸だと知りながらも、弟は夢想する。
姉が泣く姿だけは見たくない。
姉が悲しむ姿だけは見たくない。
けれど……今の姉の姿も、弟にとっては悲しい物に見えるのだ。
人並みの幸せでいい。
別にお金持ちになって欲しいとも言わない。
……ただ、自分のために幸せになって欲しい。