午後の授業が終わり、奈桜はセシリアに車椅子を押されながら部屋へと戻る道を進んで行く。退院初日の授業は特に何か大きな問題があった訳でもなく、周囲の人間に助けを求めながらもなんとかこなす事が出来た。幸いにも今日は実習はなく、これから部屋に戻ってまた復習と予習をすれば明日からもう少し余裕を持って授業を受けることが出来る。
周囲の助けもあって、授業の遅れはどうにかなりそうだった。
勿論、今こうして車椅子を押してくれているセシリアこそが、その復習と予習に付き合ってくれる友人である。
「ありがとうございます、セシリアさん。大切な放課後の時間を頂いてしまって申し訳ないです」
「ふふ、構いませんわ。わたくし、お母様のためなら何時間であろうと何日であろうとお付き合いする事が出来るよう、既に本国への報告は粗方片付けておきましたもの」
「それは……嬉しいです、お言葉に甘えさせて貰いますね」
「はい!任せてくださいな!」
単純に奈桜の役に立てること。
そうでなくとも奈桜と一緒に居られる時間が増えること。
セシリア自身、今日一日とは言えこの役割を自分が担えた事に対する嬉しさが大きくあった。
いくら一夏に首ったけの彼女であっても、それと奈桜への憧れは別の話だ。女として尊敬しているし、母の様にも慕っている。一緒にいられる時間の幸福もあるし、セシリアは何より奈桜に何かを教えてもらい、それについて褒められる事が好きだった。
奈桜が困っているのならば、自分の要件をいくら後回しにしようとも彼女は助けるつもりがある。……女として、友人として、母娘として。
「……お母様は」
「はい?」
「お母様はあの時、勝算があって立ち向かったのですか?」
「!」
「あ、えと、ごめんなさい。少し前からずっと気になっていまして」
車椅子を押されながら、ふとそんな事を聞かれる。
彼女がどんな顔をしてそれを聞いているのかは分からない。
しかし同時に奈桜がどんな顔をしているのかもセシリアは分からないだろう。
「勝算なんて、何処にもありませんでしたよ。私はただ、あの時に動ける人間が自分以外には居なかった。そう思ったから動いただけです」
「……そう、ですか」
「"力を持った責任"なんて大層な考えがある訳ではありませんが、"その時が来た"とは思いました。力を持った以上はいつかは前に立たないといけない日は来る訳ですから、きっとセシリアさんだって同じ状況なら同じ事をしたでしょう?」
「……はい」
「だから、あれは私の仕事でした。セシリアさんにはセシリアさんの仕事がありました、どうしようもない状況だったんです。……セシリアさん、私の責任まで負おうとしないで下さい。セシリアさんは自分のすべき事を十分にこなしたんですから」
「はい……」
ずっと気にしていたのかもしれない。
どうにかして助けられなかったのか。
どうにかして一人にさせるのを止められなかったのか。
しかしあの状況では無理だと奈桜は知っている。
なぜなら敵がそれを狙っていたから、技術力的に敵が圧倒的な上のあの状況では、敵の手のひらの上で最善を尽くすしかなかったのだ。
セシリアは最善を尽くした。
奈桜にはそれが出来なかった。
話はただそれだけの事だ。
「……お母様、もしよろしければあの時にお母様が戦った相手のことを」
「私にも聞かせて貰おうか、その話」
「!……貴女は」
廊下の曲がり角から突然声を掛けて来た人物。
身長は高くない、けれど確かな存在感を有した彼女。
彼女を前にした途端にセシリアは奈桜の前に立ち塞がり、一方で彼女はそんなセシリアを面倒臭そうに見上げた。
「ラウラ・ボーデヴィッヒさん、ですね」
「ああ、知っていたか。ラウラで構わない」
「ラウラさんも私を襲った相手のことを知りたい、という理解で構いませんか?」
「そうだ、話が早くて助かる」
「お母様!この方は……!!」
「大丈夫ですよ、セシリアさん。いくらなんでも怪我人を相手に手を上げる様な人ではありませんから」
奈桜は事前に千冬から彼女の事は聞いていた。
ドイツの軍人であり、かつては千冬の教え子であった時期もあったという。非常に優秀で、非常に真面目、しかしそれ故に頭の硬い部分もあると聞かされていた。どうも転入初日に一夏をパァンッ!したらしいが、恐らくそれも何か勘違いか思い違いをしているからだろう。
いくら手が出るのが早い気質であっても、彼女も軍人。
怪我人に手を出すようなことをする筈もなければ、一夏とは違い奈桜に対する嫌悪感などは今は全く感じない。むしろ彼女が奈桜を見つめる目はどこまでも真っ直ぐだった。だからこそ、奈桜はそれを受け入れる。
「ラウラさんがその相手のことを知りたい理由は?」
「私がこの学園に来る以前に襲撃があったという話は聞いていた。しかし、その詳細までは聞かされていない。貴女が戦った相手が桁外れの戦闘力を有していたという事だけは軽く耳にしたが、その話がどうにも胡散臭い物ばかりだった。それ故に直接聞くのが一番だと判断した訳だ。相手の立場に関する情報はなくとも、私と敵対する可能性は十分にあるからな」
「なるほど……そういう事でしたら。寮監室に行きましょう、ここでは少し話しづらいお話なので」
「本当によろしいのですか、お母様?」
「……言っておくが、私とて初対面の、しかも怪我人を相手に拳を振るほど腐ってはいない。織斑一夏に対するそれは値する理由があったからだ。特に私は彼女に対して一定の評価をしている」
「評価……?」
ラウラの言葉に2人は意外な顔をするが、ラウラからすればどうもそれは当然の話といった様子で。
「ISに乗り始めて1年にも満たない一般人が、突然のISによる襲撃にも冷静に対処し、多くの傷を負いながらも敵の最大戦力を押さえ込んだ。軍人ならば勲章が与えられる程の業績だ、教官のお気に入りでなければうちの部隊に勧誘していただろう」
「それは駄目です!」
「だから今はそのつもりは無いと言った。……お前と話すのは疲れるな、さっさと寮監室とやらに案内してくれ。周りの視線も鬱陶しくなってきた」
奈桜の前に立ち塞がる様にして立っていたセシリアを躱し、同時に彼女から奈桜の車椅子を押すという役割すら奪い取るラウラ。その行動に一瞬呆けたセシリアは意識を取り戻すと拳を握って『ぐぬぬ……』としていたが、奈桜を本当に気遣った様子には少しの感心も抱いていた。
怪我人をこうして労わる事が出来る良心を持っているのなら、どうしてあれほど一夏には問答無用の暴力を振るったのか。そこにどんな理由があるのかは、奈桜もまた疑問に思っていた。
「……ふぅ。ありがとうございます、ラウラさん、セシリアさん」
いつの間にか完全なバリアフリーになっていた寮監室へ戻ると、奈桜は2人の手を借りながらベッドの上へと腰掛ける。ベッド一つにしても起き上がりやすい様に手摺の付いた物になっていたりと、千冬がどれほど奈桜の為に部屋を改造したのかがよく分かる。逆にこれほど熱意のこもった改造を見せられてしまうと、その過保護具合に少しの苦笑いと心配をしそうにもなってしまうが、まあそれも今は仕舞い込んで感謝の言葉を返すのが一番の礼になる。それくらいは奈桜も千冬の性格を理解していた。
「……というのが、大まかな相手の情報になります。参考になるかどうかは分かりませんが、一応全て私の認識内の話ではありますが事実です」
「……特殊な変形機構に条約禁止レベルの広域殲滅兵器、圧倒的な基礎性能に加えて国家代表レベルの操縦者、か。聞けば聞くほど目を逸らしたくなる様な話だな」
「むしろ私はお母様がよくそんな相手から生きて戻られたと……ISが完全に破壊されてしまった事も当然の話ですわ」
一先ず座布団の上に座った2人に対して奈桜が今回の襲撃事件の一連の流れと敵に関する詳細な情報をザッと話すと、セシリアは顔を青ざめさせ、ラウラは事態の深刻さを理解したのか軍人の顔になって思考を回し始める。仮に奈桜の話の全てが本当ならばこれは既に国家レベルで対処すべき問題であるのだし、聞かされた敵のISの性能は間違いなく第四世代と言ってもいい代物。加えて敵の高域殲滅兵器は複数のISを纏めて焼き払う事が出来るほどの威力と来た、たった一機でも小国程度ならば滅ぼす事が出来る戦力であると考えた方がいい。
「だが、ここまで馬鹿げた性能のISを造ることが可能な人間となると限られて来る。セシリア・オルコットと言ったか?貴様も確か戦闘に参加していたのだったな、その辺りについてどう思う?」
「……そうですわね、わたくしもラウラさんの意見に同意しますわ。
あまり大きな声では話せませんが、わたくし達が戦った機体は所謂無人機でしたの。それも正攻法では太刀打ち出来ない程の高水準のAIと機体性能を持ち、それが複数体も同時に出現した。そんなものを造れる人物は1人しか思い浮かびませんわ」
「やはり、か。このことについて教官は何か言っていないのか?」
「千冬さんは……少なくとも私は何も聞いていません、ただ知っていて黙っている可能性もあります。今回の件で私が大怪我を負ってしまいましたし、箒ちゃんがそれを知れば色々と大変なことになることも予想できますから」
「奴の妹か……面倒な、単なる一般人ならば切り捨てて話を進められたものを」
どう考えても今回の主犯は篠ノ之束以外にはあり得ない。
むしろ彼女以外にそれを成すことは絶対に出来ない。
それは当然千冬は気付いている筈だし、今は情報を伏せられている箒でさえも、一夏達から話を聞き、情報を整理し始めれば当然に気付く筈だ。その時になれば箒は姉のしたこととは言え責任を感じるだろうし、奈桜の怪我を理由に姉との関係も悪化するだろう。関係が悪化すると言えば千冬と束でさえもそうだ。親友という間柄と言えど今回の奈桜の怪我で一番心を痛めているのは間違いなく千冬である。千冬が今何を思い、何をしようとしているのか、それは誰にもわからない。
「ちなみにだが、襲撃の目的は何だったのだ?」
「わたくしは知りませんわ、お母様は何か?」
「……一夏くん、だったそうですよ。本命は一夏くんと無人機を戦わせることだと、有人機に乗っていた女性は言っていました。自分はそれを邪魔する者を抑えるために来たというようなことも」
「またあの男か」
「ということはお母様はそれに反抗したんですの?それはなんと言いますか……」
「彼女の言葉に確信も持てませんでしたし、時間稼ぎくらいは必要だと考えました。それに一夏くん達も劣勢でしたから、万が一を思えば加勢に入りたくて……ただ、相手の方が思いのほか舞い上がったのか、結果的にはあんなことになってしまいましたが」
「貴女の判断は間違っていない。戦場で相手の言葉を鵜呑みにするなど愚か者のすることだ。相手の力量を測れなかったことが致命的であったとしても、結果的に抑え込んだ上に敵の性能まで測れたのだから文句を言われる筋合いはない」
「……ありがとうございます、ラウラさん」
ラウラのフォローに奈桜は微笑む。
奈桜とて自分がミスを犯したということは理解している。
もし奈桜があの時あの女の言う通りに何もせずに静観していれば、戦闘にまで発展することは無かっただろう。いくらあの時にはそれを十分に判断できなかったとは言え、その言葉を考慮して行動するという選択はあった筈だ。結果として余計な被害を増やしてしまったという事を奈桜は悔やんでいたし、悩んでもいた。
そこで与えられた軍人でもあるラウラの言葉は、思いの外身に沁みるものであったに違いない。
「……とは言うが、こちらに打つ手がないというのも事実か。話を聞いた限りでは私とて時間稼ぎが叶うかどうか、こちらの戦力が束になってかかっても纏めて焼き払われるのがオチだろうな」
「相手が篠ノ之博士となれば、同じ程度の戦力を持つISが他に複数あっても不思議ではありませんもの。悔しいですが、無人機相手に手も足も出ない様では戦力になれる自信はありませんわね……」
「私も暫くはISに乗れませんし、乗れたとしても以前ほどは動けないと思います。私達の実力不足は当然ですが、機体の性能も違い過ぎますからね。今の状態では相手にすること自体を避けるべきでしょう」
「……ちょっかいを掛けてきたのは向こうから、というのがまた面倒なのだがな」
結論として、どうしようもない。
今は自分の実力を高める事に集中し、最低でも機体の性能を100%引き出せる様にしておく事くらいしか出来ない。操縦者の技能が伴わなければ、機体の性能の向上も現実的ではないからだ。
奈桜に願われてセシリアが(冷蔵庫と棚からそのまま)出したお茶と煎餅を食したラウラは、一先ず話を切り上げて立ち上がる。時間もそろそろ夕方、いい頃合いだろう。
「とりあえず、情報の提供感謝する。突破口が見つけられるかどうかは怪しいところだが、有益ではあった。貴女とは今後も良い関係を築いていきたい」
「ええ、私もです。ご覧の通り、私は寮監室に住み込ませていただいていますので、いつでもご気軽にお訪ねくださいね。夜は少々騒がしいですが、いつでも歓迎しますよ」
「機会があればそうさせてもらおう。……失礼する」
そう言ってラウラは部屋から立ち去っていった。
話の最中はずっと険しい顔をしていたが、『いつでもお訪ねください』と言った時には一瞬だけど嬉しそうな顔をしていた様にも見えた。
しかしきっとあれは奈桜にではなく、千冬に会うことに対する喜びだろう。
とは言え、奈桜自身も彼女とは仲良くしたいと思っていた。
一夏を殴った件はさておき、いつでも歓迎はするつもりだ。
「さてさて、それでは時間も時間ですし、今日のお夕飯の支度をしましょうか。冷蔵庫には何があり……」
「お母様?そんなことを私が許すとでも?」
「……やっぱりだめですか?」
「心を鬼にしてでも止めさせていただきます。そもそも自分で立ち上がる事もまともに出来ない身で何を仰っているのですか」
「悲しいなぁ……」
珍しくセシリアに怒られた奈桜は、渋々頷いてベッドの上に横になる。
そろそろ料理がしたい。
そろそろ掃除がしたい。
家事をしていないと落ち着かない。
きっとこの気持ちは他の誰も分からないだろう。
……あんなゴミ箱に大量に入れられているカップラーメンの空の容器を見せられると、その思いはより強くなってしまうのだ。
「……嫉妬は、無かったな。不思議と」
奈桜の部屋を出た後、ラウラは廊下を歩きながらそんな言葉を呟いていた。思い出すのはあの柔らかな印象を受けた少女のこと。
「虫の1匹も殺せなさそうな女だったが、不快感が無かった。むしろ好印象を受けたのは、尊敬する教官のお気に入りが、怪我によって私と同じ"出来損ない"になりそうだからか?だとしたら最低だな、私も」
正直な感想を言えば、奇妙だった。
どう見たって争いに向いていない性格をした女。
争いを避けているし、争いを恐怖すらしている。
しかしそれは同時に、争いの恐ろしさを知っているということに他ならない。ISの危険性を理解しているし、闘争の本質を掴んでいる。
もし仮に過去にそういった現場に立ち会っていたとして、それに巻き込まれていたとして、それでも尚折れなかったとすれば、自分の尊敬する教官が目を付けるのも当然だとラウラは納得できる。
それにあれほどの怪我をした。
両手両足はまともに動かず、左目はラウラが見たところ殆ど機能していない。卒業するまでに手足が十分に動く様になるかも怪しい上に、結局のところISのハイパーセンサーというのは既存の視覚能力の補助だ。失明していないにしても影響が出る事は避けられず、それこそラウラの言う"落ちこぼれ"になる事は間違いない。
それでもなお今日見た様に全く気にしていない様子であるのなら、きっと彼女の軸や柱というものはISとは異なる場所にあると考えられる。それさえ折れる事が無ければ、彼女はきっと変わらない。
いくら落ちこぼれになったとしても、本質までは変わらない。
「そう考えると、"落ちこぼれ"になっても"教官のお気に入り"から外れる事はないのか?……まあ、いい。少なくとも教官の名に泥を塗る様な真似はしていない、織斑一夏よりはマシだ。今日からは彼女の代わりを私が成せばいい」
奈桜の代わりに戦えばいい。
奈桜の代わりに千冬を助ければいい。
千冬のお気に入りとして前に立つのは今度は自分の番だ。
そんな風に理想の自分を想像した時、ラウラは年相応に嬉しくなってしまい笑顔を漏らしてしまったが、直ぐに顔を引き締めて周囲に誰も居ないことを確認する。当然、今は周りに誰も居ない。
ここ数日集めた情報から奈桜が千冬に気に入られているのは間違いなかった。今度は自分がその立場になるのだ、想像するだけで嬉しくなってしまうのは仕方ない。
……まあ、ラウラが奈桜の代わりになれる事は決して無いのだが。
奈桜の特殊な立場は当然、ラウラが奈桜と同じくらいに千冬に尽くせるのかと言われれば、まず間違いなく不可能で。
ラウラはまだ知らない、千冬が気に入っているどころか依存させられているくらいまで沼につかされているという事など。