「……風が強いな」
その日の昼時は酷く風が強かった。
初日に織斑一夏に行った所業が原因なのか、食堂に行けばやけに絡まれることが多くなり、ラウラは最近ではこうして購買で買ったものを適当な場所で食べる事が多い。
どこへ行ってもああいった愚か者はいるが、相手にするだけ無駄であるということは知っている。アレに構っている時間があるならば、非常時に備えて一帯の建物の構造を把握している方が余程有意義だ。
またいつ何時襲撃が起きるのか分からない上に、前回の功労者が動けない今、次の犠牲になれるのは自分以外にはいない。彼女の代わりになれるのは自分しか有り得ない。ならば今からでも詰められる所は詰めておくに越したことはない。ラウラはそんな責任感という布で隠した千冬に対する執着を胸に校内を見回っていた。今も綾崎の代わりに"教官のお気に入り"になるという計画は変わっていないし、むしろこうして積極的に行動をし始めている。
そうして牛乳を片手に付近を散策していると、ラウラは珍しく修繕中のアリーナの近くで1人の女生徒を見つけた。
立ち入り禁止のこの区域に入っていることは問題であるが、同じ立場の自分が言えることではない。故に特に気にせず立ち去ろうとしたところ、ラウラはその女生徒に見覚えがあることに気が付いた。
(綾崎、奈桜か……?)
そこには前日に訪ねた、例の彼女が居た。
車椅子を近くに置き、木に背中を預けて座り込んでいる。
特に何かをする様子もなく、人の近付くことのないその空間で、彼女はジッと学園を取り囲む海へと目を向けていた。
何を考えているのかは分からないが、そんな彼女の方へと自然とラウラの足は動いていく。この学園に来てから他人に積極的に関わりに行くなど、初日に織斑一夏を叩きに行った時以来ではないだろうか。
あの時の間抜け顔を思い出しながらも、ラウラは彼女に声をかける。
「こんな所でなにをしている」
「……あら、ラウラさんでしたか。こんにちは。私は少し、海を見ていただけですよ?」
「海を?……こんなもの、いつでも見られるだろうに」
「いつでも見られるものですが、いつでもじっくりと見られるものではありませんから。人の記憶は磨耗するものですし、偶にこうして記憶に焼き付けておかないと忘れてしまうんですよ」
一瞬こちらに顔を向けるが、彼女は直ぐにまた視線を元に戻した。
ラウラも彼女の隣に立ち、同じ様に海を見てみるが彼女の言っていることはよく分からない。彼女が何を思っているのか、こんな海を見たところで何を感じることがあるのか、ラウラにはそれは理解できない。
「海を忘れたくない、ということか?理解に苦しむな」
「ふふ、そんなに難しい話ではありませんよ。嬉しい記憶、楽しい記憶、綺麗な記憶、それをなるべく長く残しておきたいというだけです。それに支えられている自分を守るためにも」
「……それは、分からなくもないな」
「そうですか?」
「ああ、私にもある」
忘れられない思い出はある。
それでも忘れてしまうのが人間だ。
自分が人間である限り、あの日あの時に自分を救い出してくれた教官との記憶も色褪せていく。ラウラにとってはそれが何よりも苦しく受け入れ難いものでもあった。
故にそんなことがあってたまるかと思って日本に来たが、記憶にある教官とこうして会った教官との違いはやはりと言うべきか存在していて。
そしてそれは、存外悲しいものでもあった。
あれだけ大事にしていた記憶が知らぬうちに薄れてしまっていたという事実は。そして理想としていた女性は、実際にはそのままの姿では存在していなかったという事実も。
「……例えばの話なんですけど、ラウラさんは誰かになりたいと思ったことはありますか?」
「……いきなりなんの話だ?」
「いえ、これも他愛のない雑談です。嫌でしたら無理に答えなくても大丈夫ですよ」
「嫌、ではないが……そうだな。できるならば私は、教官の様になりたい」
「千冬さんに、ですか?」
「そうだ。私は教官の様な強さが欲しい。一点の曇りもない圧倒的で完璧な強さ、私が憧れる唯一無二の存在だ。教官の様になれるのなら、私はどんな努力も厭わないだろう」
「……どんな努力でも、ですか」
「そういう貴女はどうなんだ。こんな話をしたからには、何かあるのではないのか?」
自然と彼女の隣に座り込む。
なぜかは分からないが、彼女と共にいる空間は嫌ではない。
ラウラはそう思った。
安心感、ではあるのだろうが、教官と一緒にいた時とはまた性質の違うもの。なにをする訳でもなく、ただこうして座り込んでいるだけでも悪くない。余計な言葉を発さなくてもいい、否、発さなくても、間違えても、全てを受け入れてくれるという確信がある。まだそう話したこともない癖に、そう思わせるだけの包容力が彼女からは感じられたのだ。
「……そうですね。正直に言ってしまえば、今現在なりたい人は居ます。けど出来ることなら、その人になることなく、自分のままで、その人の立場になりたいですね」
「また随分と難しいことを言うのだな」
「要は『一夏くんになって千冬さんに愛されたい』か、『一夏くんの立ち位置になって愛されたい』か、という様な違いです。私は私のままで居たい」
「ああ、それならば私も後者だろう。……ふむ、そう考えれば私の強さについても同様か。理想を言うならば、私も私のままで教官の強さを得たい。教官そのものになりたいという思いも無くは無いが、そうなってしまえば教官に憧れて変わる事が出来た自分も消えてしまうからな」
「そうでしょう?それに実はこれ、前者よりは断然簡単で現実的な話なんですよね。なのに私達はまず始めに、前者の『誰かそのものになりたい』と安易に咄嗟に考えてしまいます。自分は自分以外の誰にもなれるはずなんてないのに」
「"自分は自分以外の誰にもなれない"か。その立ち位置になるだけなら、努力さえすれば届く可能性は十分にあるにも関わらず、人はまず最初にその誰か自身になりたいと考える。……織斑一夏の立ち位置を密かに羨んでいる私にとっては、酷く耳の痛い話だな」
「私も同じ様なものです。なんでこんな簡単なことに直ぐに気づかなかったのかなぁって、海を見ながら考えてたんですよ。それくらい本当に、お馬鹿なことをしてしまいましたから。……あんなことをしても、誰も幸せにはなれないのに」
自嘲するように笑う彼女は、以前よりもどこか気力が無さそうに見えた。
しかしそんな事を考えている間にも、ゆっくりと立ち上がってヨタヨタと車椅子へと戻ろうとするものだから、こちらも焦って手を貸してしまう。案の定、バランスを崩して倒れそうになるのだから放って置けない。ラウラがここまでの保護欲を感じたこともまたはじめての経験であった。
「ありがとうございます、ラウラさん」
「……存外、貴女もこんなつまらない失敗をするのだな」
「ふふ、ラウラさんの期待を裏切ってしまったでしょうか。私だって人間ですから、失敗くらいはたくさんします」
「それもそうか……なんというか、どうも私には無意識に他人に自分のイメージを押し付ける悪癖があるらしい。特に最近は感情的になっていたこともあって、余計にな」
「人間ですもの、仕方ありません」
「……人間、なのだな。私も」
先程まで眼前に広がる大海原に囚われていた彼女の視線が、今は逆に捕らえる様にしてラウラへと向けられている。
けれどそれは決して不快なものでもなく、こちらを見通す様なものでもなく、ただただ自分を受け入れる様な抱擁感に満ちていた。
これまで多くの人間を見て、見られてきたが、ラウラはこんな雰囲気を持つ者に出会ったことはない。彼女と向き合っているだけでささくれ立った心の棘が溶かされていくのを感じて、警戒心などほんの少しも抱くことができなくされてしまう。
無意識のうちに開いていく自分の心、けれどそれを止めようとする気力すら湧くことはない。彼女の前では、軍人で作り物である自分でさえも、1人の人間で居てもいいと思わされてしまって……
「……その、普段の教官は、どうなのだ?教官も、失敗をするのか?」
あれだけ馬鹿にしていた『兵器を扱う覚悟のない女生徒達』のように、『織斑一夏に群がる愚かな代表候補生ども』のように、ラウラは彼女に、なんでもない普通の、まるで学生の様な質問をしてしまった。
それは単にその視線から逃げるためのものだったかもしれないし、単純に見つめられて恥ずかしかったからかもしれない。けれどそれはラウラにとって、自分の憧れの千冬の姿しか知らないラウラにとって、何より気になる事であったことも間違いない。
「……ふふ、それはもちろんです。いつも仕事が終わって部屋に戻って来ると、『生徒を叱り過ぎてしまったのではないか』とか、『忘れていた仕事があって明日から地獄だ』と嘆いていたりするんですから。千冬さんだってたくさん失敗はしていますし、それどころかむしろドジをする事が多いタイプだと私は思います」
「そ、そうなのか?」
「ええ。それでも、そうやって失敗してしまったことをしっかり反省をして直そうと努力しているからこそ、今の千冬さんがあるのも間違いないんですよ。千冬さんの強さは、そういった所にも支えられた強さなのではないでしょうか。自分のした事を素直に反省出来るからこそ、人は次の選択を正解に導く事が出来るんですから」
「……そう、か。その視点で教官を見て考えたことは無かったな。思えば私は教官の上辺だけしか見たことがない……いや、見ようとはしていなかったのかもしれない。それどころかむしろ、私の勝手なイメージを押し付けて……ああ、だとすれば今の教官の私を見る目も納得出来るな。それは困る筈だ」
「そうだとすれば、それはラウラさんの失敗です。……けどそうなれば、千冬さんの様な強さを身に付けたいラウラさんが次にすべきことも、自然と見つかったんじゃないですか?」
「……なんというか、貴女は感心するほど口が上手いのだな」
「ふふ、褒めてもこの身体ですから。何も出せませんよ?」
「馬鹿を言うな、怪我人に何かを求めるほど私は落ちぶれてはいない。いいから大人しくしていろ」
「あわわ……」
動きの鈍い両手と両足を見せびらかす綾崎を、ラウラはグイッと車椅子に押し付ける。大人っぽさの印象は強いのに、時たまこうして子供らしさがあるのも可愛げというものなのだろうか。
この女が皆に慕われている理由が、今日のこれだけのやり取りだけでラウラは十分と言うほどに分かってしまった。自分でさえも、こうしてペラペラと余計なことを語って、その返答を何の抵抗もなく受け入れてしまう程に気に入ってしまったのだから。
この女の代わりになって"教官のお気に入り"という立場を奪い取ってやろうと考えていた過去の自分が、僅か数分で如何に愚かな物だったのかと改心させられてしまったのだから被害は甚大。"教官のお気に入り"という立場になるのに、彼女の代わりになるのは間違っていると、他ならぬ彼女に教えられてしまったのだから。最早どんな顔を向けていいのかも分からないほどだ。
「……まあ、それはさておき。とりあえず今日のところは車椅子を押す役割くらいはさせて貰おう。貴女をこのまま1人で返せば明日の朝には海の藻屑になっていそうだからな」
「もう。それこそ意外と意地悪ですね、ラウラさんは」
「ふっ、事実を言ったまでだ。その身体であまり彷徨くな」
「はーい、反省します」
……ああ、全く。
これは自分を差し置いて教官のお気に入りになるわけだと納得する。
この僅かな間で、あれほど他人に固く閉ざしていた心を開けられてしまった。純粋な戦力以外でこの女に勝とうとするのは、きっと教官とサシで戦うくらいに無謀なことだろう。
もうしばらく、こいつの隣に居たい。
もう少しだけ、こうして話していたい。
その間だけは、私は普段よりも冷静に、棘のない判断ができるから。こいつの隣に居る時だけは、強く武装した自分を緩めてもいい気がするから。そんな風に思わせる様な人間に、果たしてどうすれば勝てるというのか。
(……ああ、そうか)
完全無欠に見える織斑千冬。
しかしそんな彼女が今はこの女をお気に入りにしている。
つまり織斑千冬が今求めている強さというのは、この女の様な強さなのだろう。その答えに不思議とラウラは納得した。そして同時に思った、自分も教官と同じように彼女の強さを学ぶべきなのではないかと。
そんな理由付けをしてしまえば、もう後は簡単だった。
心を開いてしまうのは、簡単だった。
ラウラ・ボーデヴィッヒはその生まれ、その育ち故に、なにより……チョロかった。そして綾崎の育ち、境遇故に、正にそういった育ちであったラウラに対して綾崎の包容力はクリティカルヒットでもあった。
「……どうも、私はお前の事が嫌いではないらしい」
「そうなんですか?私はラウラさんのこと好きですよ?」
「っ……貴女は卑怯だな、それも打算か?」
「え」
「……普通に困らないでくれ、冗談だ」
「よ、良かったです。もしかしたら迷惑だったかなと思ってしまって」
「………はぁ」
嫌いではない。
嫌いではないだけだ。
まだ。
取材対象:女性教師Aさん
Q.綾崎直人さんの印象を教えて下さい
「綾崎くんですか?……そうですね、先ず何よりとっても可愛い子でした。あ、別に容姿だけの話じゃないですよ?なんというかほら、愛される子っていうか、思わず可愛がってしまうというか。ただ大人しくて素直ってだけじゃなくて、茶目っ気があって、冗談も言い合えるんですよ。つまらない事を言っても微笑んでくれますし、やっぱり余程酷いことでもしない限りは心から受け入れてくれるっていう安心感が凄かったですよね!」
Q.普段の私生活はどうでしたか?
「あー、綾崎君は男女共に恋愛関係で色々と苦労していましたから、距離感を測るのに悩んでいました。元々誰かと話すのは好きなのに、適切な距離を取らないとまたトラブルに巻き込まれてしまいますから。3年生になってからはよく職員室や保健室に来て先生方と仲良くしていましたね、特に女の先生とよく話していました」
Q.彼の学校以外での生活を知っていますか?
「孤児院に住んでいるという事で、部活に入らず放課後は直ぐに帰っていたのを覚えてます。帰りにご兄妹の迎えに行ったり、買い物に行ったり、忙しそうにしていましたよ。休日にショッピングモールにご兄弟を連れて買い物に来ている所を見た事があるんですけど、本当に良いお母さんって感じで。何よりいつも楽しそうにしていたのが印象的ですね」
Q.彼の学校での成績はどうでしたか?
「ん〜、基本的に問題はありませんでした。塾にも通っていませんでしたし、自宅での勉強時間はそう取れていないと思いますが、どのテストもそれなりに出来ていて。……あ、でも体育は苦手だったかな。体力テストとかは何の問題も無いんですけど、いざ競技となると全く駄目で。特に対人は駄目駄目でしたね、流石にバスケットボールのパスも満足に出来ないのはどうなんだ〜ってよく体育の先生に怒られてましたよ」
Q.彼に不思議な所はありませんでしたか?
「不思議な所?う〜ん……………………あ、そういえば前にISが学校に来るってイベントがあったんですけど、綾崎くんだけ浮かない顔をしていたのを覚えています。一応理由を聞いてみたんですけど、なんだか少し怖いみたいで。まあ争い事に使われる事も多いですからね、武器を外していたとは言っても結局は兵器ですし。そう考えると別に不思議でもなんでもありませんでした、すみません」
Q.……彼はISについての知識を持っていましたか?
「え?えっと、そんなに詳しくは無かったと思いますよ?ご兄弟の影響でテレビは見てたそうですけど、本人は機体名も主要な物しか知らないくらいで……えっと、どうしてこんな質問を?」
Q.いえ、以上で質問を終わります。ありがとうございました。
「あ、はい、ありがとうございました」
補足:日本政府はISに関する印象操作を出現当初から積極的に行なっており、平均的一般家庭におけるISに関する悪印象は殆ど払拭されている。これはISの兵器的側面から目を逸らす事で戦争に関する抵抗意識の高い日本国においてスムーズに開発を進める事を目的としており、IS適正者の使用意識の低さを招く要因にもなっているが、一定の成果を上げていると考えられている。彼が育ての親よりISに関する危険性を教えられていた可能性もあるが、ISに関する番組を見られる家庭でその様な教育をされている可能性は低く、彼自身にISの事故や事件に巻き込まれた過去がある可能性が高い。引き続き綾崎直人に関する調査を過去の出来事を中心に行なっていく。