※基本的に何でも許せる人向けです。

私の、セラスをなぜアーカードは吸血鬼にしたのか?という題材に対する論文になります。

公式に添う形で書いておりますので解釈違い地雷ですって人は見ない方が良いと思います。

CPを求める人には味が薄いと思います。
少しでもCP的要素ともとれる何かが入ってるとアレルギー反応起こして死ぬ人は見ない方がいいと思います(私は明確なCPを意識して書いてないです)

作者は原作読めてないです…ごめんなさい…アニメOVAだけ視聴してます。

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月が上り砕けるまで

 

 

 

 両親が殺され、私の逆襲が失敗し、そのせいで母が辱められたあの日、あの瞬間から、赤黒い殺意はずっと私の中で溜まってゆく一方だった。

 

 怨みと怒りは、無尽蔵に私の中から湧き続けた。

 あの男達を、引き裂いて、撃って、殴って、蹴って、踏みつけて、刺して、抉って、噛みついて、ありとあらゆる方法で、殺してやりたかった。

 あの男達だけでなく、この世全ての悪を。私から大切なものを奪う、全てを。

 殺したかった。

 その殺意を正当化するため、殺す理由と、殺す力を、どうしようもない程に幼ない私は欲していた。

 自分も、他人も、尽くの人間が、とても汚い存在にしか小さい私には思えなかった。殺すべき悪人が、大罪人が、のんべんだらりと生きているようで全てが非常に腹立たしかった。

 そんな私が成長し警察官を志したのを、両親の復讐のためかと心配する人達がいた。自分の人生を生きるべきだと、諭す人達もいた。亡くなった人のためだけに生きるべきではないのだと。

 それが的外れの心配でなければ、どれ程幸せだっただろう。いっそのことそうだったら、どれだけ良かっただろう。

 私は、溜まり続けてきた己の殺意を解消したくて婦警になったのだ。悪人を撃ち殺すという大義名分が欲しくて、悪人を撃ち殺すチャンスが欲しくて私は警察官という道を選んだ。

 人を殺したくて、正義の味方になったのだ。

 それなのに、当然そんなことを知らない周りは私に優しかった。哀れな私に、人々は手を差し伸べてくれた。両親の仇討ちをするため警察官になった正しい人として、私を扱ってくれた。その優しさを与えられた私は、自分が真っ当な人になれるのかもしれないと思った。

 両親がその身を擲ってまで全うした職務と正義。それは絶対に正しいはずなのだから、私もきっと正しく在れるのだと、虚しい錯覚をしたのだ。いつの日か自分は良きパートナーを見つけ、結婚し、子供をもうけて、平凡で平穏な人生を送るのだろうと。

 悪人を殺したい。人を殺したい。そんな恐ろしい感情を持っていたことすらすっかり忘れて生きてゆけるのだろうと、夢想した。

 しかし実際は、てんで駄目だった。

 自分が愛されようとすると、脳裏に浮かぶのはあの日のこと。そして抱くのは殺意ばかりだった。触れてくる温い人肌が気持ち悪くて、私を求める人間が悍しくて、無性に殺したくなるだけだった。

 愛しくて、大切で、尊いと思っているはずなのに、こんなにも、確かに人を愛しているはずなのに。私も愛されていたと、言い張れるのに。

 母と父に愛されたこの肉体が、人の子であることに、耐えられないなんて。

 父と母を、何故神とやらは救ってくれなかったのか、糾弾するなんて。

 きっと間違っている。

 絶対に間違っている。

 正しくない。

 それなのに──

「──」

 私の名を呼ぶ両親の声は、もう思い出せない。ただそれがとても優しかったのは悔しいほどに覚えている。

 両親の心は正しく、その愛は真実で、悪人に侮辱され殺され犯されたとしてもその事実は何も変わらないはずだ。両親が命を賭してまで守ろうとした市井の人々は守るべき人達で、正義のために命を捨てることは正しくて、人は生きるべき素晴らしい生き物である。

 それが正しいはずなのに、私は──殺したくて堪らない。嘆きたくて堪らない。

 人であることを、やめてしまいたくなる程に。

 違う。

 私は、両親から愛されて守られた私は、正しい警察官である。悪人を捕まえ、人々を守り、皆を愛し慕われる警察官である。

 違う。

 私は──

「殺し屋? 殺し屋だ? 本気か? 正気か? お前?」

 牙を見せながらバケモノが嗤っている。全てを嘲笑いながら、無数の弾丸を浴びて、死んで蘇ったバケモノに私は思わず見惚れる。

 美しい。

 満月の下で嗤うバケモノが、私は──

 違う。

 ──羨ましい。

 正しくないはずなのに。

 その強さが私にあれば──

 私達人間が手も足も出なかったバケモノを容易く殺し尽くすそれは、まごうことなきバケモノ。

 その力が、私にあったら──

「お嬢ちゃん、処女か」

 バケモノからの質問に対して素っ頓狂な声をあげて五分も経たぬうちに私は、乾いた発砲音を聞き、棺桶に片足を突っ込んだ。

「奴の心臓を撃つためにお前の肺を撃った。悪いが大口径の銃だ。長くは保たん。どうする?」

 嫌だ。

「父さん……母さん……」

 死にたくない。

 違う。

 私が望むのは──

「……今日は本当に良い夜だ」

 バケモノが嗤っている。

 全てを粉砕したバケモノが、月を背にして嗤ってる。

 内臓も思考もぐちゃぐちゃのまま、涙を零し、セラス・ヴィクトリアは満月へと手を伸ばした。 

 

 その牙を、欲して。

 

 

 

 

 

 

 

 青く澄んだ空の下、発砲音が鳴り響く。

 

 人間の体に必要な休憩時間中、吸血鬼は手持ち無沙汰に銃を拭いていた。その中肉中背の一般的な女性体型の見た目に不釣り合いな、対戦車用長距離砲ハルコンネンを。

 そよ風は柔らかく、流れる雲も随分とふんわりでゆっくりだ。木陰の下でぼんやりしていると眠くなってくるような、彼女の母国にしては珍しい快晴の昼下がり。

 数日前に見聞きした銃声と血溜まりと火薬に満ちた世界と同じ一つ空の下とは思えない空気に奇妙な違和感を覚えながらも、その手は銃火器を磨くのを止めなかった。

「なぁ……あのさ、」

 背後からのその声に、少しぼんやりとしていたこともあって金髪の彼女は遅れて反応する。

 その声の主である隊長の彼は珍しく、ごにょごにょと口を動かしていた。

 はっきりと彼が喋っていないせいもあって、何を尋ねられたのか理解できずにセラス・ヴィクトリアは質問を聞き返す。聞き返された隊長である彼──ピップ・ベルナドットが妙に気まずそうな顔をしているなと思いながら。

「だからぁ……、吸血鬼のセックスってどんななのかってぇ聞いてんだよ」

「……はあぁあ!? な、なな何言ってるんですか!? セクハラとかのレベルじゃないですよ!!」

 持っていた銃を思わず突きつけ怒鳴るセラスに対し、慌てた様子のピップは真面目な顔して銃口を人に向けるなと怒鳴り返す。怒られたセラスは思わず謝るも、即座に首を傾げた。

 そもそもピップが麗かな昼下がりにすべきではないセクシャルハラスメントをしたからだと、遅い苦情を言おうとしたセラスよりも早く隊長である彼の口が開く。

「いや〜、だってやっぱり気になるしよぉ。やっぱり激しいの? Sなの? 実はベッドでは真逆だったり──」

「だっ、だいたい!! 私とマスターの関係はそんなんじゃないです!!!」

「えっ、そうなの?」

 心底意外そうな顔したピップにセラスもきょとんとして見つめ返す。あくまで唯の揶揄いだと思っていたセラスは、本当にそういう関係だと思われていたことに気付き狼狽する。

「な、何考えてるんですか! ベルナドットさんの頭の中そういうことしか入ってないんですか!?」

「いや、だって、なぁ……?」

「まぁ、そうですね……」

「下世話な妄想しちまうよなぁ……」

 同意を求めて隊員達に視線をやった隊長に対し、ぽつりぽつりと同意の声が上がる。

「だってよぉ──」

 例えるならば、金も権力も能力も全てを持つ社長が居ても居なくてもいいような別にずば抜けて素晴らしい能力がある訳でもない美人秘書を雇ったようなものだ。周りが下世話な勘繰りをしても仕方が無いような状況だろう。

 ぐうの音も出ない例え話を出され、セラスは地面を睨みつけるしかない。

「あー、お嬢ちゃん?」

「……ちょっと、私は、別の所で訓練します」

 なんだかんだで優しい人である彼が呼びかける声も無視して、セラスはその場を走り去った。人間ならば担げもしないであろう銃器を右肩に乗せていても、吸血鬼の肉体には何の問題もない。あっという間に彼らの声は小さくなる。

 しかしいくら離れても、人間離れした聴力は彼らの声を拾い続けてしまう。幼子を揶揄った大人を嗜めるような、成熟した大人の人間達の会話を。

「……私は、」

 きっと、あの日から、何も変わっていない。

 そう思えば、まだ未熟さを感じる若さの見目で時計の針を止めた自身の肉体は、とても相応しいモノのようにもセラスには思えた。しかし──

「……マスターの従者には、相応しくないよね」

 小さく呟いて、セラスは足を止める。

『だが、それも良いのかもしれん。お前みたく、おっかなびっくり夕方を歩く奴がいても』

 主の言葉を思い出し、しかしそれで本当に良いのだろうかとも疑念を抱く。もっとしっかり歩かなければ、置いて行かれてしまうのではないだろうかと。

 それに何よりも、肉体は変わっても前と変わらずハッキリしない自分の魂の有り様が、セラスには嫌で堪らなかった。そんな風に誤魔化したままで済ませてしまおうとする自分も、情けなく思えて仕方なかったのだ。

 セラスは、止めていた足を動かし、また走り出した。遥か彼方にいる月のような師匠の、せめて足手まといにならないように、その腕を磨くために。

 

 ほんの少しでも前に、進むために。

 

 

 

 

 

 

 

 まるで照らされたルビーのような真紅の太陽が、地平線の彼方へと沈んでゆく。

 

 赤々とした熱い光が沈む直前に爛々と輝き、林の暗いシルエットを強く浮かばせている。

 その眩しさと美しさに目を細め、セラスは足を止める。そんな彼女の足元に、風に飛ばされてきた落ち葉がヒュルリと絡みつき、ぱたりと地面に落ちた。

 それを目に止め、なんとなしにセラスは拾い上げる。

 かつて青葉だった頃の瑞々しさを失った重さのない枯れ葉。力を込めれば簡単に粉々になるだろうそれは、一つの死だ。何の変哲もない季節の移り変わりを伝えるだけのそれを、だからこそセラスは妙に愛しく思えた。

「そんな所で何をしている。何かあったのか?」

「あっ、インテグラ様!」

 二階の窓を開けて見下ろす館の主──インテグラル・ファルブルケ・ウィンゲーツ・ヘルシングに気がつくと、セラスは蠢く左腕を翼に変え軽々と跳躍した。

 開け放たれた窓の桟に器用に着地し、主に吸血鬼はにこりと笑いかける。人ではないと分かる見目の彼女が浮かべる笑顔は、何十年と変わらずに人懐っこく、無邪気だ。

「見回りは何も無かったですよ。夕陽が綺麗だから見ていただけなんです。それと、ほら」

 セラスが差し出した枯れ葉に、インテグラが目を瞬かせる。それはどう見ても唯の枯れ草で、それがどうしたとしか彼女からは感想は出なかった。

「もう秋が終わって、もうすぐ冬が来るんだなって思って」

 鈍い色合いの葉を見詰め俯く彼女の顔に浮かぶアンニュイが、唯季節の移ろいに感傷に耽っているだけではないのだとインテグラに感じさせた。彼女が感じているのは時の経過そのものだろうと、そう思えば、最早親子ほどに歳の離れたような見目になった彼女に対して言いようのない不安をインテグラは覚えてしまう。

 時を止めた彼らを置いて、全ては時の流れのままに去ってゆくのだから。

 不意に風が吹き、セラスの手から枯葉が風にさらわれて去ってゆく。ヒュルリと風に乗って積もる落ち葉の中へと、それは帰ってしまった。あるべき所に戻るかのように。

「おや、窓から入ってくる気かい? 行儀が悪いな、セラス」

「えへへ、マスターには内緒でお願いしま〜す」

 その枯葉を見送り、揶揄う主に対して常の笑顔を浮かべるセラスはもういつも通りだった。

「……おいで、セラス。書斎で本の整理をしようと思っていたんだ。肉体労働はこの私より君に相応しいだろう」

「はーい」

 なんだか本当に母と娘のようだなと、インテグラはらしくもないことを思う。当然それは互いのためにも口から出さないまま、インテグラはヘルシング家の当主としてセラスの前を凛として歩くのだった。

 

「そういえば、また皺ができた」

「今更もう一本ぐらい増えても分からないし変わらないたたた!!」

 それは、もはや何回目かも分からないやり取りだった。セラスのこめかみに拳を当てるインテグラも、実際は全く効いていないことは承知なのでいっそのこと本気で力を込めている程だ。

「まったく、変わらず御美しいですよとぐらい言ってみせないか」

 歴史の重みを吸って渋い色合いになった本を棚から抜き出して、インテグラがにやりと笑う。そんな彼女から本を受け取りながら、困ったようにセラスは苦笑する。

「それを言ったら言ったでどうせ、嫌味かって言われるのが想像できるんですけど……」

 セラスの言葉に口角を少し上げつつ、インテグラは指示を出す。

「それも教授に寄贈するから先程の紺色の本の上に積んでくれ。それから、下の棚が空いてきたから右上のあの本達を下に移してくれ、セラス」

「了解です」

 指示通りに動き、蠢く異形の左腕で器用に本棚を整理し始めたセラスの背中を、インテグラは暫しの間静かに見詰める。

 陽は沈み、科学の明かりが灯る部屋の外はいつの間にか闇にすっかり包まれている。その闇が音を吸い取っているかのように、全てが寝静まる夜であった。

「セラス」

 不意に出されたその声に、黙々と作業していた吸血鬼が振り返る。

「はい、インテグラ様」

「お前は平気なのか」

「え? 何がですか?」

「私は、いずれお前達を置いてゆくぞ」

 赤い瞳が一瞬、数度、目蓋の向こう側に消える。そして、人外の瞳はひたと人の瞳を見つめ返す。

「……それは、すごく寂しいですね」

「寂しい、か」

「でも、インテグラ様をちゃんと看取らないと、マスターに怒られちゃいますから」

 振り向いてくしゃりと困り顔するセラスのその子供っぽさに、インテグラもつられて困ったように笑う。

「セラス、寂しいのは私もだよ」

 インテグラのその言葉には、嬉しそうに吸血鬼は破顔した。その笑みはあいも変わらずバケモノらしくない、無邪気なものである。

「この館と私の財産の一部はお前達に残す。残りは孤児院やバケモノ退治をこれから担ってくれる新しいヘルシング機関に寄付するつもりだ」

 するりとインテグラの指先が積んだ本の表紙を撫ぜる。

「……できれば、この館をお前達の家として私亡き後もずっと使って欲しい。守って欲しい。まぁしかし、いずれそうも言ってられん時も来るだろう。その時は捨てて構わんがな」

「そうは言っても……、多分マスターもこの家を放棄することは認めないと思うなぁ」

「そうか……?」

「はい、マスターはきっと、私と、インテグラ様と、ずっと一緒に居てくれると思うんです」

 彼に噛まれた従僕としてか、彼と同じ立場にある者としてか、迷いなく言い切るセラスにインテグラは目を丸くする。その胸の内に在る人としての空虚に満ちる喜びはしかし、伯爵として被った鉄仮面の向こうに素知らぬ顔でインテグラは隠し通した。人である前に彼女は、伯爵であるがために。

 唯、彼女は一言、噛み締めるように言葉を漏らした。

「そうか……」

 セピア色になってしまった本を、インテグラの指先がまた優しく撫ぜる。

「ん? マスター……?」

「どうした、セラス」

「マスターが近くに来たような気が……、気のせいかな。あれ、ベルナドットさんがいないや。煙草吸いに行ったのかな」

 首を傾げるセラスに、インテグラが軽く笑いかける。

「もしかしたらあのメンツで仲良く煙を吸ってるのかもな」

「あはは、まさかー」

 愉快そうにセラスは笑い飛ばし、そうして次の本棚整理の指示を仰ぐのだった。

 

「その身になっても煙を燻らせる意味はあるのか?」

「さぁねぇ?」

 テラスにて繰り広げられているその会話と光景は、まるで幻想か一種の悪夢のようであった。

 床に広がる赤黒い何かから上半身だけ出して煙草を吸う飄々とした男と、ドアを開けることなくすり抜けてテラスへ出てきた宵闇を人型にしたような不気味な男。彼らがともに人外のバケモノと呼ばれる存在であることは、纏う空気からも容易く察せられる。

 夜空に浮かぶ真っ青な満月も、まるで彼らのために用意された舞台装置のようであった。

「ま、口寂しいから吸ってるみたいなもんですよ。嬢ちゃんもなかなかキスを許しちゃくれねぇし」

 その巫山戯た答えに対して宵闇の男──アーカードは、尋ねておきながら興味なさそうに去ろうとする。

 その背中に、煙を愉しむ人外──ピップ・ベルナドットがいつもの軽い調子で声をかけた。

「なぁ、旦那、お嬢ちゃんを吸血鬼にするつもりなんか本当は無かったんだろ?」

 嬢ちゃんの記憶を見て思ったんだけどよ、と副流煙を口から吐き出しながら彼は言葉を続ける。

 問い掛けられた吸血鬼は煙草を燻らせる彼に背を向けたまま、動かない。

「あんたはあの時、処女かどうかは聞いたけど、助けるとも、吸血鬼にしてやるとも言ってなかっただろ」

 黙したままの吸血鬼をちらりと伺い見てから、ピップは言葉を続ける。

「あんたが懸念したのは、あの吸血鬼がセラス嬢ちゃんの血を吸って、セラス嬢ちゃんが吸血鬼になることだったんじゃねーのか? 敵がバラけて逃げると、面倒臭えもんな」

 ふぅっと、また吐き出された煙草の煙はあっという間に夜空に吸い込まれて消える。それを見るともなしに見送った人外は、淡々と世間話をするように続けた。

「嬢ちゃんに待っていたのはどのみち死だったんだろ? 吸血鬼になることは、あんたにとっては死ぬことだからな。それなら人として死なせてやることが、あんたの抱く情けだろ」

「ペラペラとよく喋るようになったな、傭兵」

 漸く口を開いた吸血鬼がゆらりと蜃気楼のように動き、僅かに振り向く。口角を上げ何時もの得体の知れない笑顔を浮かべるアーカードに機嫌の悪さを感じず、ピップは軽口を続けた。

「俺はもともとお喋りな方なんだよ。今は人間じゃねーから、旦那に殺されるかもって心配もなくなったしな、ヒヒ」

 ニヤァと嫌な笑顔を浮かべたピップは、半身に持たされたのであろう携帯灰皿に吸い殻を入れて懐にしまう。

「俺を消そうとしたらセラスに嫌われちまうぜ、旦那」

 楽しそうに笑う人外の男に、バケモノの彼も楽しそうに笑い返す。両者共に口角を吊り上げており、その牙を見せ合っていた。

「別に貴様を消すつもりはない。私の心の広さは知っているだろう?」

「ああ、そうだったな。失礼な口をきいて悪かった。旦那の心は太平洋より広いもんなぁ」

 言いたいことを言うだけ言って、そうして最後に捨て台詞を吐いてスッキリして消え去ってしまった傭兵に、吸血鬼は嘆息する。

「お前はセラスの愛しい半身か。まったく、羨ましいことだ。あんな良い女の中で、その一部として在れるのだ。お前は随分と、幸せ者だな」

 誰に聞かせるでもなく呟かれたその声も、少し前に消えた副流煙と同じく闇夜に溶けて消えてゆく。まるで全てが蒼白なる満月に吸い込まれたかのように、闇と静寂とバケモノだけがしんとそこに佇んでいた。そして、徐にバケモノも溶けて消えるように去ってゆく。

 

 テラスには、煙草の残り香だけが姿なく揺蕩うのみ。

 

 

 

 

 

 

 

 大きな満月の微笑む、明るく賑やかな夜。

 

 御近所さんが数キロメートル先にあるような、ど田舎の風情のある家。その中は、飛び散った血痕と無数の弾痕に塗れていた。

 未だ僅かに烟る部屋の中で、金髪の吸血鬼はある物に気付き、それを拾い上げるために蹲み込んだ。その足元に転がっていたバケモノに捕食された被害者の腕一本を丁寧に傍に避け、彼女は汚れたそれを拾い上げる。

 

「わざわざ持って帰るほどの代物か、それは」

 窓辺で月明かりに照らされながら雑誌を読み耽っている従僕を覗き込み、呆れながら主は尋ねる。

 伯爵の赤い瞳に、顔を上げた彼女のきょとりとした間抜け面が映り込む。

 暫しの間を空けてから、うわあっと相も変わらず大仰に驚くセラスに、アーカードは再び嘆息した。

「これはそのー、懐かしくって……。昔よく買ってたんですよ。仕事が忙しい時期に買い忘れてそのまま読むの止めちゃってたから、つい気になっちゃって……」

 気の抜けた返事をしつつ血の染み込んだ草臥れた雑誌を持つ彼女に、思わずアーカードは再度の溜息を吐き出しそうになる。同族のはずなのに、彼女は未だどこか昼間の人のような抜けた感覚が損なわれない。

 そんなセラスの横の壁から、ぬっと男の上半身が現れる。彼女の一部であり彼女と同じく人の定義から外れた生命体であるその男も、人間であった時と変わらず飄々としていた。

 この男が居るからかもしれないなと、アーカードはピップをじとりと見遣った。

「へぇ、その雑誌そんな昔から続いてんのか」

「そうなんですよ、あの騒動後もまだ続いてたんだって思ったら、嬉しくて」

「……やっぱり人間は強ぇなぁ」

「えぇ、私もそう思います、ベルナドットさん」

 微笑むセラスを一瞥し自身の棺桶に戻ろうとしたアーカードの背中に、従僕から待ったの声が掛かる。

「マスター、あのー、吸血鬼ってテレポートとかできないですよね?」

「……お前は急に何を言い出すんだ」

 思わず足を止めて振り返ったアーカードに、セラスは頬を掻きながらへらりと笑って言葉を続けた。

「あ、あはは……。雑誌を久しぶりに読んでたらイタリアとかフランスの特集組まれてて行きたくなっちゃって」

 アーカードから呆れたような視線を向けられ、慌てたセラスが弁解するように雑誌を広げ熱弁する。

「だって、ほら、綺麗ですよ! モンサンミッシェル!」

「ぶッ、ハハハッ!! き、吸血鬼が教会に観光って! なんだそりゃ! 吸血鬼ジョークかよ、嬢ちゃん!」

「そ、そこまで笑うことないじゃないですか! だいたい有名な教会なんて今は信者より観光客の方が多いですよ、どうせ! それなら別に良いじゃないですか!」

「まったく、お前はいつまで経っても何も変わらんな」

 とうとうアーカードが、幾度目かの溜息を溢す。しかしその口元は、愉快そうに笑っていた。

「セラス」

「は、い?」

 唐突に師匠からふわりと頭を撫でられ、思いがけないことにセラスはきょとんとする。

「私が帰ってきた時に、お前の頭を撫でるのを忘れていたことを思い出した」

「えー……、私、もう子供じゃないんですよ……」

「そうか? 私から見ればまだまだ赤ん坊だぞ」

「マスターから見たら大概の人が赤ん坊じゃないですかぁ……」

 そう言いつつも、幼い吸血鬼は大きなその手を避けることもせず嬉しそうに受け入れていた。その手が離れてゆく際に、セラスは微笑む吸血鬼を確かに見て、鼓動を止めた胸が温かくなるのを感じた。

 月のように遠くに感じていた相手は、変わらずそこにいる。

 美しいけれど、どこか不気味な青白い月のように遙か遠くにいるように感じる、死なずの君。しかしそれは、夜に必ず傍に居てくれる存在だ。夜と供に在ってくれる、大切な冷たい光だ。

「マスター」

「どうした、セラス」

「いつか、私達を倒す人間が現れるまで、ずっと一緒にいてくれますか?」

「ふ、愚問だな、婦警。いくら私が人でなしでも雛鳥を捨てるような真似はせんよ。しかもそれが私の堕とした雛鳥ならば、尚更、な」

 唄うように、揶揄うように、口角を上げて宣う吸血鬼の瞳が弧を描く。

「あーあ、それじゃあ俺達の甘い蜜月の時はもう終わりかぁ。短い新婚生活だったなぁ、なぁ、お嬢ちゃん」

「私、ベルナドットさんと結婚した記憶はないんですけど」

 隣から茶々を入れてきた男にセラスが視線をずらし、元に戻すと、既にアーカードは消えていた。

 部屋の中には、セラスとセラスの一部である男が居るだけ。そして窓の向こうには、遥か遠くに、ぽつねんと輝く満月があるばかりだ。しかし、セラスの胸の内に不安はもうなかった。

 たとえあの天空に輝く月が砕け散るような日が来ても、きっと変わらず自分の月と半身は共に居てくれる。その確信ばかりが、首の噛み跡とともに確かにセラスの一部として存在するだけだった。

 

 ぱらり、セラスは穏やかな気持ちで、またページを捲った。

 

 

 

 

 

 

 

「奴の心臓を撃つためにお前の肺を撃った。悪いが大口径の銃だ。長くは保たん。どうする?」

 

 人間のセラス・ヴィクトリアを吸血鬼のアーカードは撃ち殺した。何の迷いも、躊躇もなく、必要な手段として引き金を引いた。主の命令に従うために。

 彼が彼女に問い掛けたのは、唯の気紛れであった。

 久方ぶりに殺した人間の最期の言葉を、バケモノは聞き届けてみたくなったのだ。呻き声でも唸り声でも人間をやめた者の恨み節ではなく、人間として生き人間として死ぬ存在の声をバケモノの魂に届けてみたくなったのだ。

 吸血鬼は、死にゆく人間の最期の声に耳を傾ける。

 喉に溢れる血に溺れ、近づく死の足音に怯える、その儚い声に。

「父さん……母さん……」

 蚊の鳴くようなとも例えられない程のか細いその声は、無念の言葉を漏らしていた。

「まだ、あい、つ、らを……殺して、な……」

 人畜無害の顔をして、最期に抱く悔恨の念が誰かに対する殺意。そのアンバランスさに、長く生きる吸血鬼はまず興味を惹かれた。

 ──死にゆく彼女の人生には、一体何が?

 しかしその疑念は、吸血鬼の彼にとって容易く解決できる問題だ。彼女の血を吸い、魂を味わえば、アーカードには全てが解る。過去も、心も、全て。

 仮に女が本当に処女で吸血鬼に変化し、吸血鬼になるべきではない問題のある人物だったと判明しても、アーカードが殺せば全て解決する。塵芥と化せば、全て無かったことになる。

「……おや、」

 吸血鬼の目前で死にかけている女が、震える手を牙へと伸ばす。その全てが哀れなほど弱々しい有様の彼女の瞳だけが、異様なほど爛々と輝いている。

 彼女は、全て解ったうえでその手を伸ばしていると、アーカードは直感していた。

 ──死にゆく彼女は、何を想っている?

 アーカードは、微笑ってしまう。

 これだから、彼は人間を愛さずにはいられないのだ。

「……すまないが、私は時が解決してくれない身なのだ、お嬢ちゃん」

 血に塗れた白い女の手を、男が握りしめる。血が抜け出た分軽くなったようなその身体を吸血鬼は抱き上げ、その首元を露わにする。現れたその首筋に、柔らかな肉に、吸血鬼の牙が食い込む。

 そうしてアーカードは、“セラス・ヴィクトリア”を口に含み、彼女の全てを知った。

「……は、はははは! ははははははは!!」

 黄昏のような忍び寄る闇と眩い光。

 血を被った聖母マリアの如き矛盾。

 失笑するほどに平凡な普遍の悲劇。

 “セラス・ヴィクトリア”は、どこにでもいる普通の人間だった。

「何百年経とうと、人間は、何も変わらないのだな……」

 吸血鬼に噛まれ吸血鬼へと変貌した女は、傷が癒えたためか安らかな寝息を立てていた。そのまろい頬を、アーカードは優しく撫でる。そしてそっと、起こさぬように彼女を抱き上げた。

 月明かりに祝福されるように照らされる彼女の寝顔を見て、アーカードはまた微笑ってしまう。

 人外の力を得た彼女が、これから先どのように成ってゆくのか。人間に絶望し、それでもなお人間を尊いものだとする狭間を歩く彼女は、これから先に何を見て、何を胸に抱き、何に成るのか。

 牙を望む罪を知り苛みながらも牙を心底望む彼女に、その罪を与えた悦びに、バケモノは口元を血で濡らしながら歓喜する。

「嗚呼、セラス……、セラス・ヴィクトリア……」

 月夜に照らされる死んで生まれた吸血鬼の赤子の額に、アーカードは優しくキスをする。まるで我が子を愛する親のように。そして、安らかに眠る赤子が目覚めてからの忙しない日々を想い、アーカードは口角をまた吊り上げた。

「今日は、本当に良い夜だ……」

 最早何度目かも分からぬ感慨を胸に抱くバケモノがまた呟いて、笑う。

 

 彼が抱く女の首筋には、二度と消えぬ噛み跡が深く、深く刻まれていた。

 

 

 

 

 

「婦警、ドラキュリーナになった気分はどうだ?」

 

 

 

 

 


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