蝉の声が、耳に張り付くようだった。
空はどこまでも青くて、風はじっとりとしていて、制服の背中に汗がじわりとにじむ。
それでも――こんな日が、嫌いじゃない。
「とうき! 早くしなさいよ、下僕ぅ~!」
聞き慣れた“高飛車ボイス”が、今日も元気に空気を振るわせる。
振り返れば、夏の日差しを跳ね返すような、銀髪の堕天使。
……いや、いつも通りの津島善子がそこにいた。
「今のは“ヨハネ様”ね」
「はいはい。ヨハネ様、今日も絶好調で」
「ふふん♪ 当然よ! 今日は“記念すべき降臨記念日”だからね!」
誕生日。
彼女はそんな言葉を使わないけど、とうきは知っている。
そして、それを祝うことが、とうきにとって“当たり前のこと”になっていた。
「なあ、善子」
「ヨ・ハ・ネ!」
「……ヨハネ」
「よろしい♪ なんですか?」
「いや、ただ思っただけ。こうしてるの、変わらないなって」
「は? なによ、いきなり」
「うん、なんでもない。ただ……今日も、ここに“堕天使ヨハネ”がいて、俺の隣で暑い暑い言ってる。それが、なんか安心するんだ」
「……な、なによそれ。急に変なこと言って……」
善子はぷいっと顔を背けた。
でもその耳の先が、ほんの少し赤くなっていたのを、とうきは見逃さなかった。
「……あ。そういえば」
とうきはポケットから、少しシワの入った小さな封筒を取り出した。
手書きのメッセージカードが入っている。色鉛筆で描かれた堕天使の羽が、少しだけ曲がっていた。
「これ。たいしたもんじゃないけど……お前の“降臨記念日”だしな」
「……っ!」
善子はしばらく黙って、それを受け取った。
その指先は、ほんのすこし震えていた。
「……変なとこマメなのね、あんた。……ふふっ。まあ、受け取ってあげるわ。特別に感謝しなさい」
「感謝される立場だろ、俺は」
「……今日は、特別なのよ」
善子はそう言って、小さく笑った。
――そうだ。
ライブが終わっても、ステージが幕を閉じても。
現実のどこかでは「終わった」と言われても。
俺の中で、俺たちの世界は――まだ、続いている。
善子のことが好きだ。
堕天使ヨハネが笑ってくれるこの日常が、俺はたまらなく好きだ。
だから今日も、いつもと同じように。
「ほら、早く行こうぜ。いつものカフェ、予約してんだ」
「……しょうがないわねぇ。特別に祝わせてあげる♪」
席に着くと、プレートの端に小さく書かれていた。
“Happy Birthday Yohane”
「ちょっ……! これは……っ!」
善子は顔を真っ赤にして騒ぎながらも、
その目の奥に浮かんだ光を、とうきはちゃんと見ていた。
風景は何も変わらない。
けれど心の中では、たしかな想いが、変わらずに息づいている。
――きっと、これからも。
フィナーレライブのあと、喪失感が胸にぽっかりと空いてしまいました。
でも、今日は内浦の海岸で波の音を聞きながら、この小説を書いています。
今日一日、沼津のあちこちを巡りました。
見慣れた街並みや海の風景が、まるでAqoursが確かにここにいると教えてくれるようで――そんな気持ちになりました。
この場所に、あの歌声も、笑顔も、いつまでも残っている。
だからこそ、この物語を書き進められました。
読んでくださる皆さんにも、少しでもこの場所の空気や波の音を感じ取ってもらえたら嬉しいです。
これからも、佐藤とうきと善子の物語を見守っていただけたら幸いです。
改めて、ヨハネ様、お誕生日おめでとう。