堕天使と過ごした日常   作:ゆうきoog3

32 / 32
世界には無数の線(可能性)が同時に走っている。
しかし、第一人称で生きる者が認識できるのは、その中のたった一本の線だけだ。
その一本の線は、無数の見えない線に支えられながら存在している。
もし選ばれた一本の線が崩壊しようとすると、別の線が干渉し、可能性の流れを修正する。
そして意識は、新たな一本の線へと移行する。

その線が複雑ならば交わることもある。

これはあり得たかもしれない世界ではなく実際に同時に存在している何本か隣の世界の話



現実のヨハネ?(津島善子生誕祭2026)

 

 

 

 

いつもと変わらない朝がやってきた。

 

「んー……ふぁ……よく寝た。」

 

大きく伸びをして、いつものように隣を見る。

 

「善子?」

 

いつもなら、もう起きていて俺を起こしに来るはずだった。

 

だけど――

 

「……あれ?」

 

部屋の中に善子の姿がない。

 

「珍しいな。寝坊か?」

 

そう思いながら周囲を見渡す。

 

でも、何かがおかしい。

 

見慣れた部屋のはずなのに、どこか違和感がある。

 

壁。

 

家具。

 

空気。

 

全部が少しずつ違う。

 

「……ん?」

 

ぼんやりしていた頭が、少しずつ覚醒していく。

 

「ここ……俺の部屋じゃない。」

 

慌てて布団から飛び起きる。

 

「どこだ……ここ?」

 

その時だった。

 

「あなた誰よ?」

 

突然、声が聞こえた。

 

振り向くと、そこには見覚えのある少女が立っていた。

 

「なんで私の家にいるの?」

 

少女は警戒した目で俺を見る。

 

「……ストーカー?」

 

「え?」

 

その姿を見て、俺は固まった。

 

「善子……?」

 

少女は眉をひそめる。

 

「……誰、それ。」

 

「いやいや、何言ってるんだよ。」

 

俺は思わず笑ってしまう。

 

「その格好……いつもの制服じゃないけど、髪型も違うけど……善子だろ?」

 

「だから誰のことよ。」

 

「またまた冗談だろ?」

 

俺は周囲を見渡す。

 

「今日はエイプリルフールか?」

 

そう言うと、少女は呆れた顔をした。

 

「……」

 

「その反応を見る限り、冗談じゃないみたいだな。」

 

「何一人で納得してるのよ。」

 

少女はため息をつく。

 

「やっぱり怪しいわね。」

 

「いや待てって。」

 

その時――

 

「ヨハネにストーカーなんていないでしょ。」

 

突然、別の声が聞こえた。

 

「……え?」

 

声のした方を見る。

 

そこには一匹の犬がいた。

 

「犬が喋ったーー!!」

 

思わず叫ぶ。

 

「すげぇ!!本当に喋ってる!!」

 

「あなた……」

 

少女は頭を抱える。

 

「犬が喋ることより、自分が人の家に勝手にいることを気にしなさいよ!」

 

「いやいや、普通犬が喋ったら驚くだろ!」

 

「そこじゃない!」

 

犬――ライラプスは呆れたように俺を見る。

 

「……変わった人だね。」

 

「ライラプスまで失礼ね。」

 

少女は犬に向かって言う。

 

その会話を聞いて、俺は違和感を覚えた。

 

「……ライラプス?」

 

「そうだけど?」

 

「じゃあ……ここは……」

 

恐る恐る聞く。

 

「ここどこなんだ?」

 

少女は怪訝そうな顔をする。

 

「ヌマヅ。私の家だけど。」

 

「……沼津?」

 

その名前を聞いた瞬間、背筋が凍る。

 

「まさか……」

 

俺の知っている沼津とは違う。

 

ここは――

 

「異世界召喚?」

 

「また知らない言葉を……」

 

ヨハネは警戒した目で俺を見る。

 

「ねぇ。」

 

「何?」

 

「あなた、私のこと知ってるのよね?」

 

「ああ。」

 

「名前も、住んでる場所も。」

 

「……」

 

「でも私はあなたを知らない。」

 

ヨハネの声が少し低くなる。

 

「それって普通に考えたらおかしいと思わない?」

 

「……」

 

「あなたが本当に別の世界から来たのか、それとも何か目的があって私に近づいているのか。」

 

ヨハネは一歩下がる。

 

「今の私は、あなたを信用できない。」

 

はっきりと言われた。

 

「……そりゃそうだよな。」

 

俺は苦笑する。

 

俺にとっては知っている相手。

 

でも彼女からしたら、突然家に現れて自分のことを知っている謎の男。

 

怖いに決まっている。

 

ライラプスが口を開く。

 

「ヨハネ、一度話を聞いてあげたら?」

 

「……」

 

「ヨハネのお店はなんでも屋でしょ?」

 

ヨハネは少し黙る。

 

「……分かったわ。」

 

そして俺を見る。

 

「話だけは聞く。」

 

「ただし――」

 

ヨハネの目はまだ警戒したままだった。

 

「あなたを信用したわけじゃないから。」

 

「分かってる。」

 

「あなたが本当に別の世界から来たのか。」

 

「……」

 

「それとも、ただの危険な人なのか。」

 

ヨハネは静かに言う。

 

「これから見極める。」

 

俺はその言葉を聞いて、少し笑った。

 

「……やっぱり似てるな。」

 

「何が?」

 

「いや……なんでもない。」

 

俺の知っている善子とは違う。

 

でも――

 

目の前のヨハネも、間違いなく津島善子だった。

 

ヨハネの店を出ると、俺はライラプスに案内されながらヌマヅの街を歩いていた。

 

「それで……本当に他の人にも会わせるの?」

 

ヨハネは少し不満そうに言う。

 

「ああ。俺が別の世界から来たって証明するには、それが一番早いと思う。」

 

「証明って言われても……」

 

ヨハネは腕を組む。

 

「みんながあなたを信じるとは限らないわよ。」

 

「分かってる。」

 

「それに変なことしたら――」

 

ヨハネはじっと俺を見る。

 

「すぐに追い出すから。」

 

「信用ないなぁ……」

 

「当たり前でしょ。」

 

即答だった。

 

最初に向かったのはヌマヅ行政局ー

 

そこでは…

 

建物の中へ入ると、受付の人がヨハネに気づく。

 

「ヨハネさん。今日はどうされましたか?」

 

「少し相談があって。」

 

ヨハネは俺を見る。

 

「この人について。」

 

その言葉で、周囲の空気が少し変わった。

 

そして――

 

「ヨハネさんが相談とは珍しいですわね。」

 

落ち着いた声が聞こえる。

 

振り向くと、一人の女性が立っていた。

 

「ダイヤ。」

 

ヨハネが名前を呼ぶ。

 

その姿を見た瞬間、俺は思わず口にした。

 

「ダイヤさん……。」

 

「……」

 

ダイヤさんの表情が少し変わる。

 

「今、私をそう呼びましたか?」

 

「あ……」

 

しまった。

 

「初対面の方に、名前を知られているというのは不思議ですわね。」

 

鋭い視線。

 

ヨハネがため息をつく。

 

「だから言ったでしょ。」

 

「この人、私たちのことを知ってるの。」

 

ダイヤさんは俺を見る。

 

「詳しくお話を聞かせていただけますか?」

 

応接室。

 

「まず、お名前を。」

 

「佐藤とうきです。」

 

「とうきさんですね。」

 

ダイヤさんは頷く。

 

「では、なぜ私たちのことをご存知なのですか?」

 

俺は少し迷った。

 

でも隠しても仕方ない。

 

「俺は……別の世界から来ました。」

 

「別の世界?」

 

ヨハネが腕を組む。

 

「そういう話。」

 

「俺のいた世界にも、あなた達と同じ名前の人たちがいました。」

 

「……」

 

「そして俺は、気づいたらこの世界にいた。」

 

ダイヤさんは静かに俺を見る。

 

「信じるには難しい話ですわ。」

 

「ですよね。」

 

「ですが……」

 

ダイヤさんは続ける。

 

「あなたの目は、嘘をついている人の目には見えません。」

 

その時だった。

 

「……あの。」

 

小さな声。

 

「?」

 

俺が振り向くと、机の影から小さな女の子が顔を出していた。

 

小さな体。

 

背中には羽。

 

「……妖精?」

 

思わず呟く。

 

すると、その子はびくっと体を震わせた。

 

「ご、ごめんなさい……」

 

「え?」

 

俺は慌てる。

 

「いや、違う。驚かせるつもりじゃなくて……」

 

そして、その姿を見て――

 

俺は自然と名前を呼んでいた。

 

「ルビィちゃん?」

 

「……!」

 

ルビィちゃんの動きが止まる。

 

「どうして……私の名前……」

 

しまった。

 

でも、もう遅かった。

 

ヨハネの視線がこちらに向く。

 

「ほら。」

 

小さな声。

 

「また。」

 

「……」

 

ルビィちゃんはダイヤさんの後ろに少し隠れる。

 

「私……この人、知らない……」

 

「大丈夫ですわ、ルビィ。」

 

ダイヤさんが優しく声をかける。

 

「怖がらなくても大丈夫です。」

 

俺はルビィちゃんを見る。

 

「ごめん。」

 

「……」

 

「俺のいた世界で、君に似た友達がいたから……つい。」

 

ルビィちゃんは少し首を傾げる。

 

「友達……?」

 

「ああ。」

 

その言葉を聞いて、ルビィちゃんは少しだけ表情を緩めた。

 

その様子を見ていたダイヤさんは考える。

 

警戒すべき存在。

 

それは変わらない。

 

でも――

 

この人は、自分たちを傷つけようとしているようには見えない。

 

ヨハネもまた、少しだけ視線を逸らす。

 

「……」

 

まだ信用はできない。

 

でも。

 

最初に会った時のような「危険な人を見る目」ではなくなっていた。

 

ヌマヅ行政局を出ると、俺たちは次の場所へ向かうことになった。

 

「次はどこへ向かうんですか?」

 

俺が尋ねると、ダイヤさんは優しく微笑んだ。

 

「ウチーラ地区ですわ。」

 

「ウチーラ地区?」

 

「そこにチカさんがいらっしゃいます。」

 

その名前を聞いた瞬間、胸の奥が少しだけ熱くなる。

 

チカ。

 

俺の知っている世界でも、いつも周りを明るくしてくれた大切な仲間。

 

でも――

 

この世界のチカさんは、俺を知らない。

 

「……」

 

「とうきさん?」

 

「いえ、大丈夫です。」

 

心配そうなダイヤさんに、俺は笑って返した。

 

隣を歩いていたヨハネが、ちらっと俺を見る。

 

「また、昔のこと思い出してる顔。」

 

「分かるのか?」

 

「分かるわよ。」

 

ヨハネは少し不満そうに言う。

 

「あなた、私たちを見る時だけ、少し寂しそうな顔するから。」

 

「……」

 

図星だった。

 

「でも。」

 

ヨハネは前を向く。

 

「チカに会っても、変なこと言わないでよ。」

 

「変なこと?」

 

「『昔のチカは~』とか。」

 

「……気をつける。」

 

ヨハネはまだ俺を信用していない。

 

でも、少しだけ俺のことを見てくれている気がした。

 

ウチーラ地区。

 

そこには立派な旅館があった。

 

「ここですわ。」

 

ダイヤさんが足を止める。

 

「ここがチカさんの?」

 

「ええ。老舗旅館の看板娘として働いていますの。」

 

「そうなんですね。」

 

扉の前に立つ。

 

すると――

 

「いらっしゃいませー!」

 

元気な声と共に扉が開いた。

 

「はい、ご用件は――」

 

そこまで言って、少女と目が合う。

 

明るい笑顔。

 

どこか懐かしい雰囲気。

 

「……」

 

思わず口から名前が出た。

 

「チカ……」

 

「え?」

 

しまった。

 

「……千歌さん。」

 

言い直す。

 

少女は首を傾げた。

 

「えっと……?」

 

ヨハネがため息をつく。

 

「今、完全にチカって呼びかけたわよね。」

 

「……」

 

「本当に隠す気あるの?」

 

「いや、癖で……」

 

チカさんは不思議そうに俺を見る。

 

「私の名前、知ってるの?」

 

「……」

 

まただ。

 

でも、もう誤魔化せない。

 

「はい。」

 

「どうして?」

 

俺は少し迷った。

 

でも、ここで嘘をついても意味がない。

 

「俺のいた世界に……あなたと同じ名前の人がいました。」

 

「同じ名前の人?」

 

「はい。」

 

チカさんは少し驚いた顔をする。

 

でも、怖がる様子はなかった。

 

「へぇ……!」

 

むしろ興味を持ったように目を輝かせる。

 

「別の世界の人なんだ!」

 

「信じるんですか?」

 

ヨハネが聞く。

 

するとチカさんは笑った。

 

「だって、とうきさんの顔。」

 

「?」

 

「嘘をついてる顔には見えないから。」

 

その言葉に少し驚く。

 

チカさんは続ける。

 

「それに、困ってる人を見て放っておくなんてできないよ!」

 

その笑顔を見て――

 

俺は確信した。

 

この世界でも。

 

チカさんは、やっぱりチカさんなんだ。

 

その時だった。

 

「焼きたてのパンはいかがずらー!」

 

元気な声が聞こえてきた。

 

旅館の前を見ると、大きな猪型の獣が荷車を引いている。

 

「ブモォ!」

 

「シシノシン、もうちょっとゆっくりずら!」

 

その後ろから現れた少女。

 

「ハナマルちゃーん!」

 

チカが笑顔で手を振る。

 

「今日も来てくれたんだ!」

 

「もちろんずら!」

 

ハナマルはにこっと笑う。

 

「焼きたてのパンとお菓子を持ってきたずら!」

 

俺はその隣にいる大きな猪型の獣を見て目を丸くした。

 

「……すげぇ。」

 

「ブモ?」

 

「猪……?」

 

「シシノシンずら!」

 

ハナマルは嬉しそうにシシノシンを撫でる。

 

「マルの大切な家族ずら。」

 

「家族……。」

 

俺が呟くと、シシノシンは俺をじっと見つめていた。

 

「……」

 

「えっと。」

 

思わず口から名前が出る。

 

「花丸ちゃん?」

 

「え?」

 

ハナマルがきょとんとする。

 

「どうしてマルの名前を知ってるずら?」

 

「あ……」

 

またやってしまった。

 

隣ではヨハネがため息をつく。

 

「ほら、また。」

 

「……ごめん。」

 

「別の世界から来たっていう人ずら?」

 

ハナマルは怖がるどころか、興味津々で近づいてくる。

 

「うん。」

 

「へぇ~!」

 

「ブモォ。」

 

シシノシンも俺の周りをぐるっと歩く。

 

「シシノシンも警戒してないずら。」

 

「え?」

 

「この子、人を見る目は確かずら。」

 

ハナマルは笑った。

 

「だからきっと、とうきさんは悪い人じゃないずら!」

 

ハナマルは少し考え込むように腕を組んだ。

 

「うーん……。」

 

「どうしたの?ハナマル。」

 

チカが尋ねる。

 

「とうきさんが元の世界に帰る方法を探してるなら、一人だけ心当たりがあるずら。」

 

「心当たり?」

 

ハナマルはこくりと頷いた。

 

「ヨウちゃんずら。」

 

「ヨウ?」

 

俺が聞き返すと、ハナマルは説明してくれた。

 

「ヨウちゃんはヌマヅ中を飛び回るメッセンジャーずら。」

 

「毎日いろんな人に荷物を届けて、いろんな場所へ行ってるずら。」

 

チカも納得したように頷く。

 

「確かに!ヨウちゃんなら、街のことは誰よりも詳しいもんね。」

 

「それに。」

 

ハナマルは続ける。

 

「旅人や外から来た人とも会うことが多いずら。」

 

「もしかしたら、とうきさんみたいに不思議な話を聞いたことがあるかもしれないずら。」

 

「なるほど……。」

 

俺は小さく頷く。

 

「可能性はありますね。」

 

ダイヤさんも穏やかに微笑む。

 

「情報を集めるという意味では、良い考えですわ。」

 

ヨハネは腕を組んだまま呟く。

 

「ヨウなら、何か知ってるかもしれないわね。」

 

ライラプスも頷く。

 

「じゃあ、決まりだね。」

 

チカが笑顔で立ち上がる。

 

「みんなでヨウちゃんのところへ行こう!」

 

「賛成ずら!」

 

ハナマルも元気よく手を挙げる。

 

俺は少し考え込みながらひとりで呟く。

 

「曜さんも、この世界にいるってことは……。」

 

「もしかしたら、この世界にも雄飛がいるのかもしれない。」

 

こうして俺たちは、新たな手掛かりを求めて、メッセンジャーとしてヌマヅ中を駆け回るヨウのもとへ向かうことになった。

 

「ヨウちゃんは毎日いろんな場所を飛び回ってるからね!」

 

チカさんが笑顔で言う。

 

「街のことなら、きっと誰よりも詳しいよ!」

 

「なるほど。」

 

ダイヤさんも頷く。

 

「まずは情報を集めることが大切ですわ。」

 

ヨハネは少しだけ俺を見る。

 

「……まあ、ヨウちゃんなら何か知ってる可能性はあるわね。」

 

まだ完全には信用されていない。

 

でも、最初よりは少しだけ変わった気がした。

 

 

港へ到着すると、潮風が吹き抜ける。

 

「ヨウちゃん、いるかな?」

 

チカさんが辺りを見渡す。

 

その時――

 

「お届け物だよー!」

 

元気な声が聞こえた。

 

空から少女が軽やかに降りてくる。

 

「チカちゃん!」

 

「ヨウちゃん!」

 

チカさんが手を振る。

 

「チカちゃん!どうしたの?」

 

ヨウちゃんは笑顔で駆け寄ってくる。

 

「ヨハネちゃんもいる!」

 

「久しぶりね。」

 

「ハナマルちゃんに、ダイヤさんまで!」

 

「こんにちは。」

 

ダイヤさんが微笑む。

 

「実はね。」

 

チカさんが俺を見る。

 

「この人、とうきくんっていうんだけど……別の世界から来たんだって。」

 

「えぇ!?」

 

ヨウちゃんは目を丸くする。

 

「別の世界!?」

 

「本人はそう言ってるわ。」

 

ヨハネが答える。

 

「でも、今のところ怪しい人って感じではないわ。」

 

「へぇ……!」

 

ヨウちゃんは興味深そうに俺を見る。

 

「初めまして!」

 

「初めまして。」

 

俺も頭を下げる。

 

「佐藤とうきです。」

 

「私はヨウ!」

 

その姿を見て、俺は思わず呟いた。

 

「……曜さん。」

 

「え?」

 

ヨウちゃんが首を傾げる。

 

「今、私のこと呼んだ?」

 

「あ……」

 

しまった。

 

「すみません。」

 

「なんで謝るの?」

 

「俺のいた世界に、あなたと同じ名前の人がいたんです。」

 

「へぇー!」

 

ヨウちゃんは驚いたように笑う。

 

「私と同じ名前なんだ!」

 

「はい。」

 

「不思議だね!」

 

その笑顔を見て、俺は少し安心した。

 

やっぱり似ている。

 

でも――

 

この世界のヨウちゃんは、この世界のヨウちゃんだ。

 

 

そして、ずっと気になっていたことを聞く。

 

「ヨウさん。」

 

「ん?」

 

「一つ聞きたいことがあります。」

 

「なに?」

 

俺は少し迷ってから口を開いた。

 

「吉田雄飛という人を知っていますか?」

 

「……?」

 

ヨウちゃんの表情が止まる。

 

「よしだ……ゆうひ?」

 

「はい。」

 

少し考える。

 

でも――

 

「ごめん。」

 

ヨウちゃんは首を横に振った。

 

「私、その人知らない。」

 

「……」

 

胸の奥が少し重くなる。

 

「そうですか。」

 

「その人って……」

 

ヨウちゃんが心配そうに聞く。

 

「とうきさんの大切な人?」

 

俺は少しだけ笑った。

 

「俺の世界では……曜さんの大切な人でした。」

 

「そうなんだ……。」

 

ヨウちゃんは優しく笑う。

 

「でも、この世界の私はまだ会ってないみたい。」

 

その言葉で、改めて分かった。

 

ここは、俺の知っている世界によく似ている。

 

でも――

 

同じ未来を歩んでいるわけじゃない。

 

俺は小さく息を吐いた。

 

「ありがとうございます。変なこと聞いてすみません。」

 

「ううん!」

 

ヨウちゃんは笑顔で答える。

 

「気になることがあったら、いつでも聞いて!」

 

その明るさに、少しだけ救われた気がした。

 

ヨウちゃんに雄飛のことを聞いた後、俺たちは次の場所へ向かうことになった。

 

「それなら、次はカナンちゃんに会ってみるといいかも!」

 

ヨウちゃんが言った。

 

「カナンさん?」

 

「うん!」

 

ヨウちゃんは頷く。

 

「カナンちゃんは工房をやっていて、壊れたものを直したり、海から拾ったガラクタで色んなものを作ったりしてるんだ。」

 

「もしかしたら……」

 

ヨウちゃんは俺を見る。

 

「とうきくんがこの世界に来た理由について、何か分かるかもしれないよ!」

 

「なるほど。」

 

確かに。

 

俺がここへ来た時、何かきっかけがあったはずだ。

 

それが分かれば、帰る方法にも繋がるかもしれない。

 

「行ってみましょう。」

 

ダイヤさんが頷く。

 

「カナンさんなら、快く話を聞いてくださると思いますわ。」

 

 

ウチーラ地区の海沿い。

 

そこには、たくさんの機械や部品が並んだ工房があった。

 

「ここがカナンさんの工房だよ!」

 

ヨウちゃんが声をかける。

 

「カナンちゃーん!」

 

すると、奥から声が返ってくる。

 

「ん?誰かと思ったらヨウじゃん。」

 

現れたのは、作業着姿の女性だった。

 

手には工具。

 

周囲には見たことのない機械や、海から拾ってきたような部品が並んでいる。

 

「ヨウ、今日はどうしたの?」

 

「実はね。」

 

ヨウさんが俺を見る。

 

「この人、とうきくん。別の世界から来たんだって。」

 

「……へぇ。」

 

カナンさんは少し目を細める。

 

驚くというより、興味を持ったような表情だった。

 

「別の世界、ね。」

 

「信じてくれるんですか?」

 

俺が聞くと、カナンさんは笑う。

 

「信じる信じないは後かな。」

 

「え?」

 

「だってさ。」

 

カナンさんは俺を見る。

 

「そんな面白そうなもの、調べない理由ないじゃん。」

 

「面白そうなものって……俺?」

 

「うん。」

 

即答だった。

 

「悪い意味じゃないよ。」

 

カナンさんは笑う。

 

「ただ、見たことないものを知るのって楽しいからね。」

 

 

カナンさんは俺の話を聞きながら、時々質問をしてきた。

 

「この世界に来る直前、何か変わったことは?」

 

「光に包まれたとか、変な音がしたとか。」

 

「いえ……。」

 

俺は思い返す。

 

「普通に寝て、目が覚めたらヨハネさんの家にいました。」

 

「寝て起きたら?」

 

カナンさんは少し考える。

 

「それは珍しいね。」

 

「何か分かりますか?」

 

「まだ何とも言えないかな。」

 

そう言いながらも、カナンさんの目は楽しそうだった。

 

「でも。」

 

カナンさんは工具を置く。

 

「もし本当に世界を越えてきたなら、何か原因があるはず。」

 

「……」

 

「調べてみる価値はありそうだね。」

 

その言葉に、少し希望が見えた気がした。

 

 

その様子を見ていたヨハネが小さく呟く。

 

「……カナンまで普通に受け入れてる。」

 

「ヨハネ。」

 

ライラプスが声をかける。

 

「みんな、とうきを信じ始めてるね。」

 

「……」

 

ヨハネは俺を見る。

 

まだ疑いは残っている。

 

でも――

 

最初に会った時のような拒絶ではなかった。

 

カナンさんは俺の話を聞き終えると、腕を組んで考え込んだ。

 

「寝て起きたら、別の世界……か。」

 

「やっぱり変な話ですよね。」

 

俺が苦笑すると、カナンさんは首を振る。

 

「いや。」

 

カナンさんは笑った。

 

「変だからこそ面白い。」

 

「面白い……ですか?」

 

「うん。」

 

カナンさんは工房に並んだ機械を見る。

 

「世の中には、まだ知らないことがいっぱいあるからね。」

 

そう言って、俺を見る。

 

「とうきが本当に別の世界から来たなら、何かきっかけがあるはず。」

 

「何か分かりそうですか?」

 

「今の私じゃ難しいかな。」

 

カナンさんは少し考える。

 

「でも。」

 

「でも?」

 

「昔のヌマヅで似たような出来事がなかったか調べるなら、マリに聞くのが一番だと思う。」

 

「マリさん?」

 

俺が聞き返す。

 

「ワーシマー島に住んでる魔王家系の子。」

 

カナンさんが説明する。

 

「マリは昔からヌマヅの歴史を知ってる。普通なら残ってないような古い記録も持ってるはず。」

 

「なるほど……。」

 

ダイヤさんも頷く。

 

「確かに、マリさんなら何か知っている可能性がありますわ。」

 

ヨウちゃんも笑う。

 

「マリちゃん、あまり人前には出ないけど、話を聞けばきっと力になってくれるよ!」

 

チカちゃんも頷く。

 

「じゃあ次はマリちゃんのところだね!」

 

「……」

 

俺は空を見上げる。

 

この世界に来た理由。

 

そして、帰る方法。

 

少しずつだけど、手掛かりが見えてきた気がした。

 

「行きましょう。」

 

俺が言うと、ヨハネが少し驚いた顔をする。

 

「……最初より顔が変わったわね。」

 

「え?」

 

「来た時は帰ることしか考えてなかった顔だった。」

 

ヨハネは目を逸らす。

 

「今は……少し楽しそう。」

 

「……」

 

俺は少し笑う。

 

「そうかもしれない。」

 

この世界は違う。

 

でも――

 

ここにも大切な人たちはいる。

 

そう思いながら、俺たちはワーシマー島に住むマリさんのもとへ向かう準備を始めた。

 

ワーシマー島。

 

ヌマヅから船で少し離れた場所にあるその島には、大きな城が建っていた。

 

「ここが……。」

 

俺は目の前の城を見上げる。

 

「マリちゃんのお城だよ!」

 

ヨウさんが教えてくれる。

 

「魔王家系って聞くと、少し怖い感じがするけど……。」

 

「大丈夫ずら!」

 

ハナマルちゃんが笑う。

 

「マリちゃんは優しいずら。」

 

「ただ、ちょっと変わってるけどね。」

 

チカさんが苦笑する。

 

「チカ、余計なこと言わないの。」

 

ヨハネが呆れたように言った。

 

「でも、マリなら何か知ってる可能性は高い。」

 

カナンが腕を組む。

 

「昔からヌマヅのことを見てきたからね。」

 

 

城の中へ入ると、静かな空気が流れていた。

 

「誰かいるかな?」

 

ヨウさんが声をかける。

 

すると――

 

「いらっしゃい。」

 

奥から声が響いた。

 

現れたのは、金色の髪をした女性。

 

「久しぶりね。」

 

「マリちゃん!」

 

チカさんが笑顔になる。

 

「チカ、ヨウちゃん、ハナマルちゃん……みんな揃ってどうしたの?」

 

マリさんは一人ずつ見たあと、最後に俺を見る。

 

「……そして、あなたが噂の子ね。」

 

「え?」

 

俺は驚く。

 

「噂?」

 

ヨハネが首を傾げる。

 

「もう話が伝わってるの?」

 

マリちゃんは笑う。

 

「私は魔王だもの。」

 

「なるほど……。」

 

魔王、すごいな。

 

「初めまして。」

 

俺は頭を下げる。

 

「佐藤とうきです。」

 

「私はマリ。」

 

マリちゃんは微笑む。

 

「あなたは本当に、別の世界から来たのね。」

 

その言葉に、俺は目を見開いた。

 

「信じてくれるんですか?」

 

「ええ。」

 

マリちゃんは即答する。

 

「あなたの話には、嘘では説明できない部分が多いもの。」

 

 

俺たちは城の中で、今までの出来事をマリちゃんに話した。

 

目を覚ましたらヨハネちゃんの家にいたこと。

 

この世界には俺の知っている人たちがいること。

 

でも、少しずつ違うこと。

 

雄飛のことも――

 

「……なるほど。」

 

マリちゃんは静かに聞いていた。

 

「とうき。」

 

「はい。」

 

「あなたがこの世界に来たのは、偶然ではないかもしれないわ。」

 

「……!」

 

その言葉に、全員が反応する。

 

「何か知ってるの?」

 

ヨハネが聞く。

 

マリちゃんは窓の外を見る。

 

「昔から、このヌマヅには不思議な現象の記録が残っているの。」

 

「不思議な現象?」

 

「ええ。」

 

「世界と世界の境界が、ほんの一瞬だけ揺らぐ現象。」

 

俺は息を飲む。

 

「それって……。」

 

「あなたがここへ来たことと、関係があるかもしれない。」

 

 

マリちゃんは古い本を取り出した。

 

「ただし、記録はかなり古いもの。」

 

ページをめくる。

 

そこには見たことのない文字と、奇妙な紋章が描かれていた。

 

「この現象が起きた時、共通していたことがある。」

 

「共通?」

 

「強い想いを持った者が、その境界を越える。」

 

「……」

 

俺は黙る。

 

強い想い。

 

頭に浮かぶのは――

 

元の世界の仲間たち。

 

そして、今まで出会ったこの世界のみんな。

 

「もしかすると。」

 

マリちゃんが言う。

 

「あなたがここへ来た理由は、ただ帰るためではないのかもしれないわ。」

 

「……」

 

その言葉が胸に残った。

 

 

ヨハネは黙って俺を見る。

 

まだ完全に信用したわけじゃない。

 

でも――

 

ここまで一緒に歩いてきて、少しずつ変わっていた。

 

「……とうき。」

 

「ん?」

 

「ちゃんと元の世界に帰れる方法、見つけるわよ。」

 

突然の言葉に、俺は驚く。

 

「ヨハネちゃん……。」

 

「勘違いしないで。」

 

ヨハネは顔を逸らす。

 

「ただ……困ってる人を放っておけないだけ。」

 

その言葉に、少し笑ってしまった。

 

「ありがとう。」

 

こうして俺は、この世界で初めて。

 

帰る方法だけじゃなく――

 

この世界で出会った仲間たちとの時間も、大切にしたいと思い始めていた。

 

「そういえば。」

 

カナンさんが思い出したように言った。

 

「リコにも聞いてみたら?」

 

「リコさん?」

 

「うん。」

 

カナンさんは頷く。

 

「リコは動物学者だけど、未知の生き物や外から来たものを調べるのが好きなんだ。」

 

「とうきくんのこと、興味持つと思うよ。」

 

「ちょっと待って。」

 

ヨハネが呆れた顔をする。

 

「人を研究対象みたいに言わないでよ。」

 

「でも気になるでしょ?」

 

カナンが笑う。

 

「まあ……。」

 

ヨハネは否定しなかった。

 

 

研究室に入ると、たくさんの資料や本が並んでいた。

 

「リコー。」

 

カナンさんが声をかける。

 

すると奥から少女が顔を出す。

 

「カナンちゃん?どうしたの?」

 

「面白いものを連れてきた。」

 

「面白いもの?」

 

リコさんが俺を見る。

 

その瞬間――

 

目の色が変わった。

 

「……あなたが?」

 

「え?」

 

リコさんは俺の周りをじっと見る。

 

「本当に?」

 

「えっと……何がですか?」

 

「別の世界から来た人間。」

 

「……はい。」

 

その返事を聞いた瞬間、リコさんは目を輝かせた。

 

「すごい……!」

 

「え?」

 

「異なる世界の存在が、実際に目の前にいるなんて……!」

 

リコさんはノートを取り出す。

 

「待って、まず確認したいことがたくさんあるわ。」

 

「たくさん?」

 

「ええ。」

 

指を折りながら数え始める。

 

「世界を越えた瞬間の感覚は?時間の流れに違いは?身体的な変化は?こちらの世界の人間と何か違うところは?」

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

俺が慌てると、リコさんはハッとする。

 

「あ……ごめんなさい。」

 

少し恥ずかしそうに笑う。

 

「つい研究者の癖が出てしまったわ。」

 

ヨウちゃんが笑う。

 

「リコちゃん、すごく楽しそう!」

 

「だって……!」

 

リコさんは俺を見る。

 

「何十年、何百年と探しても見つからないかもしれないものが、今ここにいるのよ?」

 

「異世界から来た人なんて、研究者にとっては夢みたいな存在だもの。」

 

その真剣な表情に、俺は少し圧倒される。

 

でも、不思議と嫌な感じはしなかった。

 

「……分かりました。」

 

「本当?」

 

リコさんの顔が明るくなる。

 

「できる範囲で協力します。」

 

「ありがとう!」

 

リコさんは嬉しそうに頷いた。

 

「絶対に、この現象の謎を解いてみせるわ。」

 

 

その様子を見ていたヨハネが呟く。

 

「……リコ、完全にスイッチ入ってる。」

 

カナンが笑う。

 

「いつものこと。」

 

「でも。」

 

ヨハネは俺を見る。

 

「とうき、あんた本当に色んな人を巻き込むわね。」

 

俺は苦笑する。

 

「そうみたい。」

 

リコさんはノートを閉じると、小さく息を吐いた。

 

「ありがとう、とうきくん。」

 

「私、こんなに興味深い話を聞いたのは初めて。」

 

「役に立てたなら良かったです。」

 

すると、リコさんは少し考え込むように窓の外を見つめた。

 

「でも、一つだけ気になることがあるの。」

 

「気になること?」

 

「ええ。」

 

リコさんはゆっくりと口を開く。

 

「とうきくんがこの世界へ来たのが偶然じゃないとしたら……。」

 

「今も世界の境界が不安定になっている可能性があるわ。」

 

部屋の空気が少し張り詰める。

 

マリちゃんも静かに頷いた。

 

「私も同じことを考えていたわ。」

 

「境界が開いたままなら、とうきだけじゃなく、別の世界の存在がこちらへ現れてもおかしくない。」

 

「別の世界の存在……。」

 

チカちゃんが不安そうに呟く。

 

「人だけじゃないってこと?」

 

「ええ。」

 

リコさんは真剣な表情で答える。

 

「動物かもしれないし、私たちの知らない何かかもしれない。」

 

ヨハネは腕を組む。

 

「つまり、早く原因を見つけないと危ないってことね。」

 

その時だった。

 

――ドォォン!!

 

突然、全体が大きく揺れた。

 

「きゃっ!」

 

ルビィちゃんが思わずダイヤさんの後ろへ隠れる。

 

「今の揺れは……!」

 

ヨウちゃんが窓へ駆け寄る。

 

「森の方だ!」

 

続けて、大地を震わせるような重い音が響く。

 

ドン……。

 

ドン……。

 

ドン……。

 

そして――。

 

「グオオオオオオオオッ!!」

 

獣の咆哮がヌマヅ中へ響き渡った。

 

「……!」

 

その声を聞いた瞬間だった。

 

チカちゃんの表情が変わる。

 

「まさか……。」

 

ダイヤさんも息を呑む。

 

「この感じは……。」

 

ルビィちゃんは不安そうに二人を見上げた。

 

「チカちゃん……。」

 

「おねぇちゃん……。」

 

「もしかして……。」

 

チカちゃんは小さく頷く。

 

「うん……。」

 

「あの時と同じ……。」

 

ダイヤさんは真剣な表情で窓の外を見る。

 

「以前、ヌマヅで動物たちが異変を起こした時と、まったく同じですわ。」

 

ルビィちゃんも胸の前で手を握りしめる。

 

「また……動物さんが苦しんでるの……?」

 

ヨウさんが三人を見る。

 

「知ってるの?」

 

チカちゃんは頷いた。

 

「前にもね、突然動物たちが暴れ出したことがあったの。」

 

「その時と、すごく似てる。」

 

「急ぎましょう!」

 

ダイヤさんが立ち上がる。

 

「放っておくわけにはいきません!」

 

全員が研究所を飛び出し、咆哮の聞こえた森へ向かって走り出した。

 

木々をかき分けながら進むと、辺りには折れた木や大きな足跡が残されている。

 

「こんな大きな足跡……。」

 

カナンが足を止める。

 

「ヌマヅで見たことないね。」

 

リコさんも地面を見つめる。

 

「少なくとも、私の知っている生物じゃない。」

 

その時。

 

目の前の大木が音を立てて倒れた。

 

バキィィィッ!!

 

そして、煙の向こうから巨大な影が姿を現す。

 

真っ黒な体。

 

鋭い爪。

 

赤く染まった瞳。

 

「グオオオオオオオッ!!」

 

巨大なクマだった。

 

「クマ……!」

 

チカちゃんが思わず声を上げる。

 

「でも……こんな子、見たことない!」

 

その姿を見た瞬間、とうきだけが立ち尽くした。

 

「……そんな。」

 

震える声が漏れる。

 

「あれは……。」

 

誰にも聞こえないくらい小さく、その名前を呼んだ。

 

「アレックス……。」

 

とうきの口から、その名前が漏れる。

 

その声に、ヨハネが反応する。

 

「……知ってるの?」

 

とうきはしばらく目の前の巨大なクマを見つめていた。

 

「……ああ。」

 

「俺のいた世界で、一度戦ったことがある。」

 

「戦った?」

 

チカさんが驚いた表情をする。

 

とうきは頷く。

 

「森の中で偶然出会ったんだ。」

 

「その時、こいつは俺に襲いかかってきた。」

 

アレックスは低い唸り声を上げる。

 

「グルルル……。」

 

その姿を見ながら、とうきは静かに息を吐く。

 

「でも……変わってないな。」

 

「こいつはただ、自分の縄張りを守ろうとしているだけだ。」

 

リコさんが少し驚く。

 

「つまり、悪意があるわけじゃないのね。」

 

「ああ。」

 

とうきは頷く。

 

「でも、このままにしておくわけにはいかない。」

 

周囲を見る。

 

倒れた木。

 

荒れた地面。

 

このままアレックスが進めば、森の外まで被害が広がる。

 

その時――

 

「グオオオオオッ!!」

 

アレックスが咆哮する。

 

巨大な身体が動く。

 

「来る!」

 

ヨウさんが叫ぶ。

 

アレックスは一直線にこちらへ向かってくる。

 

しかし。

 

とうきは動かなかった。

 

ゆっくりと前へ出る。

 

「……。」

 

ヨハネが不安そうに見る。

 

「とうき……?」

 

とうきは片手を上げる。

 

そして、アレックスの前に立つ。

 

まるで、あの日の森と同じように。

 

「おっと、悪いな。」

 

とうきが静かに言う。

 

「これ以上近づかせないぜ。」

 

アレックスが足を止める。

 

とうきは周囲を見渡す。

 

後ろには守るべき仲間がいる。

 

「ここは――」

 

拳を握る。

 

「たった今、通行止めになった。」

 

そして、アレックスを見る。

 

「おとなしく帰ってもらおうか。」

 

「……!」

 

ヨハネはその姿を見て、少しだけ目を見開く。

 

その言葉。

 

その立ち方。

 

まるで以前から何度もこうして誰かを守ってきたようだった。

 

「また……。」

 

ヨハネが小さく呟く。

 

「無茶するんだから……。」

 

とうきは聞こえないふりをする。

 

「さて……。」

 

構える。

 

「今回は一人じゃないけどな。」

 

アレックスが地面を蹴る。

 

「グオオオオオッ!!」

 

とうきも走り出す。

 

「来い!」

 

その瞬間――

 

森の中で、再び人間とクマの戦いが始まった。

 

しかし、前とは違う。

 

あの時は、善子を守るために一人で戦った。

 

今は――

 

この世界で出会った仲間たちを守るために戦っている。

 

「とうきさん。」

 

ダイヤさんが声をかける。

 

「このままでは、アレックスを森の中で止め続けるのは難しいですわ。」

 

「ああ。」

 

とうきも頷く。

 

「でも、こいつをこのまま放置するわけにもいかない。」

 

アレックスが再び唸り声を上げる。

 

「グルルル……。」

 

その様子を見て、チカさんが決意したように拳を握る。

 

「……だったら。」

 

「私たちも準備する。」

 

とうきが振り返る。

 

「準備?」

 

チカさんは頷く。

 

「このまま普通に戦っても、アレックスを止めるのは大変だよ。」

 

ダイヤさんも静かに頷く。

 

「ええ。」

 

「私たちには、この状況に対応するためのものがあります。」

 

ルビィちゃんも小さく頷く。

 

「ルビィも……戻る。」

 

「みんなを守るために。」

 

とうきは3人を見る。

 

「分かった。」

 

「でも、急いでくれ。」

 

「こいつは俺たちが引きつける。」

 

ヨハネが驚く。

 

「ちょっと待って。」

 

「とうき一人で大丈夫なの?」

 

とうきはアレックスを見る。

 

「大丈夫。」

 

「こいつとは一度戦ってる。」

 

「動きは分かってる。」

 

そして少し笑う。

 

「それに、前より俺も強くなってる。」

 

ヨハネは少し黙る。

 

「……無茶しないでよ。」

 

「分かってる。」

 

チカさんたちは頷く。

 

「じゃあ、行ってくる!」

 

「必ず戻りますわ!」

 

「ルビィも頑張る!」

 

3人は森を抜け、準備のためにその場を離れる。

 

残ったのは、とうき、ヨハネ、ヨウさん、カナンさん、リコさん、ハナマルちゃん。

 

そして――

 

巨大なクマ、アレックス。

 

「さて……。」

 

とうきは構える。

 

「久しぶりだな。」

 

アレックスが低く唸る。

 

「でも、前みたいに好き勝手はさせない。」

 

その瞬間。

 

アレックスが地面を蹴った。

 

「来る!」

 

とうきは前へ出る。

 

――ドンッ!!

 

爪と拳がぶつかる。

 

「……重いな。」

 

だが、とうきは押し返す。

 

「でも。」

 

「前よりは余裕がある。」

 

アレックスを受け止めながら、とうきは後ろを見る。

 

「早く戻ってこいよ。」

 

「こいつ、結構しぶといからな。」

 

とうきがそう呟いた瞬間。

 

アレックスが腕を振り抜く。

 

――ブォン!!

 

「っ!」

 

とうきは咄嗟に後ろへ跳ぶ。

 

地面が大きくえぐれる。

 

「相変わらず……一発が重いな。」

 

とうきは腕を振る。

 

痺れるような衝撃。

 

元の世界で戦った時と同じ。

 

普通の人間なら、まともに受ければ立っていられない。

 

しかし。

 

「でも……。」

 

とうきは拳を握る。

 

「前とは違う。」

 

アレックスが再び突進する。

 

とうきは真正面から向かう。

 

「とうき!」

 

ヨハネが叫ぶ。

 

「避けて!」

 

しかし――

 

とうきは避けなかった。

 

――ドンッ!!

 

拳とクマの身体がぶつかる。

 

「……!」

 

ヨハネたちは息を呑む。

 

巨大なアレックスを、とうきが受け止めていた。

 

「言っただろ。」

 

とうきは歯を食いしばりながら言う。

 

「前より強くなってるって。」

 

そして、アレックスを押し返す。

 

「でも……。」

 

とうきは少し苦しそうに笑う。

 

「やっぱりお前、強いな。」

 

アレックスは怒りではなく、ただ本能のままに唸る。

 

「グルルル……。」

 

それを見ていたリコさんが呟く。

 

「やっぱり……。」

 

「とうきくんは、このクマを倒したいわけじゃないのね。」

 

ヨウさんが振り返る。

 

「え?」

 

「さっきから見ているけど、攻撃していない。」

 

「全部、止めるための動き。」

 

カナンさんも頷く。

 

「相手が敵だから倒すんじゃなくて。」

 

「被害を出さないために戦ってるんだね。」

 

その言葉を聞いたヨハネは黙ってとうきを見る。

 

最初に会った時。

 

突然自分の家に現れた怪しい人。

 

自分たちの名前を知っている不思議な人。

 

でも――

 

今目の前にいる彼は。

 

誰かを傷つけるためじゃなく。

 

誰かを守るために戦っている。

 

「……本当に。」

 

ヨハネは小さく呟く。

 

「変な人。」

 

その瞬間。

 

アレックスが大きく吠える。

 

「グオオオオオッ!!」

 

身体を低く構える。

 

「また来る!」

 

ヨウさんが叫ぶ。

 

とうきも構える。

 

「さて……。」

 

拳を握る。

 

「あと少しだ。」

 

その時。

 

アレックスが走り出す。

 

――ドンッ!!

 

しかし。

 

とうきは気づいていた。

 

さっきまでとは違う。

 

「……?」

 

アレックスの動きが一瞬だけ乱れる。

 

「お前……。」

 

とうきは目を細める。

 

「苦しんでるのか?」

 

アレックスの赤い瞳。

 

そこにあるのは怒りだけではなかった。

 

「リコさん。」

 

「何?」

 

「やっぱりこいつ、何かがおかしい。」

 

リコさんが表情を変える。

 

「境界の影響……?」

 

「分からない。」

 

とうきはアレックスを見る。

 

「でも。」

 

「こいつは元の世界では、ただのクマだった。」

 

「こんな風に暴れてなかった。」

 

その時――

 

森の奥から声が響いた。

 

「とうきー!」

 

「戻ったよ!」

 

とうきが振り向く。

 

そこには――

 

準備を終えたチカ、ダイヤ、ルビィの姿があった。

 

「……来たか。」

 

とうきは少し笑う。

 

ヨハネも安心したように息を吐く。

 

「遅いわよ……。」

 

チカさんが笑う。

 

「ごめんごめん!」

 

ダイヤさんは前へ出る。

 

「ですが、これでもう大丈夫ですわ。」

 

ルビィちゃんも頷く。

 

「ルビィたちも……戦える。」

 

とうきはアレックスを見る。

 

「さて。」

 

「ここからは――」   

 

「本気で行くぜ。」

 

アレックスが再び咆哮する。

 

「グオオオオオッ!!」

 

そして――

 

新たな戦いが始まる。

 

 

特別編「現実のヨハネ?」前編完

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

ダンジョン潜って5年、地上に出たら色々変わってました。(作者:一般通過社会人)(原作:ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか)

ダンジョンで5年過ごした主人公がやらかす、ドタバタコメディ!(なお周りは曇る模様。)


総合評価:2470/評価:6.92/連載:37話/更新日時:2026年07月28日(火) 18:16 小説情報

助けた女の子に「…責任を取りなさい」と迫られてる件(作者:萩月輝夜)(原作:魔法科高校の劣等生)

全てを失う筈の少女が転生してスパダリになった少年に脳を焼かれたらどうなるか。▼※この作品は一部劇場版魔法科高校の劣等生【四葉継承編】のネタバレを含みます。ご了承ください。▼真夜とのイチャイチャをみたいが為の自己満二次創作です。▼ツンデレ真夜様可愛い。▼軽い気持ちで見てください。タグ追加予定。▼毎日更新は無理なので週一で更新出来たら頑張ります。


総合評価:8295/評価:7.96/連載:13話/更新日時:2026年06月26日(金) 10:32 小説情報

転生ハンターがダンまちをモンハン世界だと間違っているまま黒竜を狩る話(作者:シャリ)(原作:ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか)

さてはミラボレアスだなオメー


総合評価:22130/評価:8.78/完結:8話/更新日時:2026年07月08日(水) 19:10 小説情報

宮廷魔導師選抜試験を記念受験した田舎者(作者:古野ジョン)(オリジナルファンタジー/文芸)

キーガンは農家の息子だったが、鋤を持つには非力で、実を摘むには不器用だった。▼日がな納屋の陰で本を読み、夜が来たら魔法で遊ぶ。▼誰もが畑を耕すだけで一生を終えるこの村で、彼だけは違う世界を生きていた。▼運命を変えたのは、一枚の紙切れだった。▼宮廷魔導師を選抜する試験を行うという、三年に一度の知らせ。▼記念受験がてら、王都を見物してもいいんじゃないか。▼両親の…


総合評価:23594/評価:7.67/連載:23話/更新日時:2026年07月28日(火) 15:02 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>