六花テーマを作って愛用したらそのまま俺への愛が重くなった件について   作:白だし茶漬け

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夏祭り

 

 夏祭り。それは多くの人々が一番縁のある祭りだろう。

 ある時は公園で、ある時は広場で、そしてある時は神社に足を運び、祭りの空気と雰囲気を感じながら食べる屋台の絶品料理を食べたり、射的等祭りでしかできない遊びをとことん楽しむ楽しめる、まさに夏の定番であり、夏でしか味わえない一時だ。

 

 そしてその一時を後押しするのは浴衣だ。他の国には無いこの国特有の文化は、今でもこうして語り継がれるていくのを見ると感慨深い物がある。

 

 だが、だからといって身近なものと言う訳では無い。

 何故なら、浴衣を着るのは初めてだからだ。

 

 通したことも触った事の無い麻の袖に腕を通すものの、思った様には着られなかった。

 

「あれ、どっちが上だっけ……?」

 

「左手で持っている方が上ですよ。旦那様」

 

 浴衣を着ている最中、いつもの黄色い着物と赤い羽織では無く、赤い生地にに六花模様が描かれた浴衣を着たカンザシが浴衣に苦戦している俺に助け舟を出した。

 

 言われた通り、左手で持っているの方の生地を上に重ね、それを持ったまま腰紐という、浴衣を締める為のベルトの様な物を巻こうとしたが、片手が塞がれたままじゃ思ったように紐を腰に巻けず、四苦八苦していた。

 

 それを見たカンザシは腰紐を手に取り、俺に腰紐を巻こうとした。

 

「ごめん、カンザシ」

 

「仕方ないですよ。不慣れなんですから。少し、じっとしていてくださいね」

 

 カンザシは笑顔で腰紐を結び、そこから見える浴衣の谷間を見てしまい、思わず顔を逸らした。

 

「な、なぁカンザシ……お前下は……」

 

 浴衣は下着を着てはいけないとか言われるから、今のカンザシの下には……いや、ここで言うのは止めておこう。

 

 俺の視線の先に気づいたカンザシは、目を細めて妖しく笑い、その谷間を強調する様に俺に抱きついた。

 

「まぁ、助平ですね」

 

 カンザシは目を細めて小さく笑い、その目は妖しく、胸を刺すようだった。密着して豊満な胸が潰れ、その谷間が更に強調され、目を逸らしても胸板から柔らかい物でどうしても意識がソレに向いてしまう。

 

 胸が張り裂けそうな程鼓動が早くなり、カンザシは何かを期待する様に目を閉じ、口を差し出す様に少しだけ唇を尖らせた。

 

 差し出されたカンザシの唇は薄桃色に艶めき、指で触れれば弾力で弾むと目で分かる程美しかった。

 

 思わず目で唇を眺め、無意識に顔を近づけようとしたが、既の所で我に返り、唇を重ねるのを止めた。

 

 我に返ったせいかカンザシは少し不服そうに頬を膨らませながらも、腰紐を結び、カンザシの手助けもあってようやく着付けが完了した。

 

 浴衣はシンプルな黒色で統一され、カンザシの様な模様は無いが、充分だ。

 

「よし、これで大丈夫ですね」

 

「ありがとうカンザシ」

 

「お礼なら行動で示してくださいな」

 

 そういってカンザシは俺の隣に肩を寄せ、カンザシが何を求めているのかを悟った。

 

「……腕、組んで良いぞ」

 

「はい。では行きましょうか」

 

 カンザシは俺の腕を抱くように組み、この畳がある部屋に一緒に出た。

 

 部屋から抜けて外に出ると、いつもの道ではなく、神社の境内が目の前で広がった。

 

 俺がいた場所は家では無く、不知火神社。つまり焔の神社にある建物の1つだった。

 

 焔の提案により、浴衣はここにあった物を借りる事になり、今丁度いいサイズの浴衣を着た所だ。

 こっちとしても、わざわざ浴衣を借りる手間も省けてありがたい限りだ。

 

「やはり少し地味ですね。旦那様に相応しい着物をボタンとエリカと共に作ろうと言いましたのに……」

 

「流石にそこまでしなくていい」

 

 カンザシやボタン、エリカは一から俺に似合う着物を作りたいとは言っていたが、そんなに時間もあるわけでも無く、カンザシ達には悪いも思い、今回は遠慮した。

 

「着付けを手伝ってくれただろ? それだけで有難いさ」

 

「そうですか? そのくらいならいつでもして上げますよ。勿論……夜伽の世話も……ふふ」

 

 夜伽という言葉と同時にカンザシが腕を抱きつく力を強め、体ごと自分に手繰り寄せた。

 いつもの生地の厚い着物とは違い、少し薄めかつ下が無い浴衣のせいか、腕がカンザシの谷間に挟み込まれた。

 

 ムニッと擬音が聞こえる程胸は柔らかく、今の浴衣姿のカンザシは防御を捨てた代わりに攻めに転じたと言っても過言ではなかった。

 

 カードでは守り重視の効果なのに……どうしてこうなるんだ全く。

 

 そんな煩悩を振り払いながらカンザシと一緒に歩き、提灯の明かりが灯る広場へと出た。

 和楽器と太鼓の音楽が鳴り、人や屋台の音が混ざり合って1つの曲となっていた。

 

「夏祭りか……よく考えたら、初めて来るかもな」

 

「まぁ、そうだったんですね。では今日は私がご案内致しましょう」

 

「貴方だけいい思いはさせませんよ。カンザシ」

 

 広場に辿り着くと、既に着付けを済ませたティアドロップ達が全員待ちわびた顔をしていた。

 まぁ、着付けに随分と時間かかったからそういう顔をするのは当然と言えば当然だ。

 

 待ちわびたであろうティアドロップが、空いている左腕を抱き寄せ、両手に花の状態になった。

 

 傍から見れば羨む物だが、想像以上に力を入れられているから腕が痛い。もげそう。止めろと言われても止まるのは、ティアドロップとカンザシの気が済むまで止ないだろう。

 

「その腕を離してあげなさい、カンザシ。花衣様が痛がっていますよ」

 

「それは貴方の方ですよティアドロップさん。貴方の方が力が強いのですから、そちらが離した方が良いのでは?」

 

「言い掛かりはよしなさい」

 

「言いがかりなんてまぁ。うふふふ……」

 

「フフフ……」

 

 2人の笑い声と共に背後から言葉にできない重い圧が挟まっている俺に襲いかかった。両腕には柔らかで大きな物に挟まれていると言うのに、それを感じる余裕すらも無い。

 

 しかも圧を出していたのはティアドロップとカンザシだけじゃない。2人を見て羨む様に、スノードロップやレイ達が、俺の腕を組もうとティアドロップやカンザシの体を掴み、俺から離れさせようとした。

 

「貴方達ばかりずるいです! 私も花衣さんとイチャイチャしたいですー!!」

 

「私もー!! 花衣君の為にわざわざ胸元見せるような浴衣を選んだんだからー!!」

 

「いたたたたた!! 頼むからそんな引っ張るな! う、腕がもげる……!」

 

 胸が張り裂ける様な痛みが最早比喩でも何でも無く、このままでは冗談抜きで体が裂けそうだ。

 

 とにかく皆をめなければこの張り裂け地獄から逃れる術は無いのだが、皆の意思は固く、てこでも動かない状態だ。俺でさえも宥めるのは難しいと感じていた。

 

 そんな時だ。近くの石階段からコツコツと複数の足音が鳴り、そこには浴衣姿の母さんと焔達がいた。

 

「おーおー、相変わらずだな」

 

「そう思うなら助けてくれっ!」

 

「え? 無理無理。お前が無理な物をどうやって俺らが助けんだよ」

 

「じゃ、じゃあ空か彼方さんが……」

 

「流石に無理だな」

 

「右に同じく」

 

 焔達はそう言って笑いながら俺を見殺しにしようとしていた。確かに俺でも無理なら焔達が止める材料が無いのは当然だが、だとしても薄情すぎだと俺は叫んだ。

 

「おやおや、随分と騒がしい連中だのぉ」

 

 その時だ。耳元に鈴のような音が聞こえると同時に、遠くの木々から何か気配を感じ取った。

 ティアドロップ達もその気配に気づき、動きを止めて木々の方に目を睨ませると、木々の木陰からゆっくりと人影が現れ、提灯の灯りでその姿を見せた。

 

 人影は紫色の髪をした長髪で、髪には鈴が付いた髪結いに、巫女服の様な物を身にまとった女性だった。

 

 人ならざる物の雰囲気で、俺は直感でコイツが精霊だと分かり、ティアドロップ達も同じ様にアイツが精霊だと理解すると、すかさず武器を構えた。

 

「おいおい、妾は何もしておらぬぞ。そんな物騒な物を閉まわないか」

 

「あいつ、この前話した【妲己】だぜ」

 

「妲己って……魔妖の?」

 

「その通り。妾は妲己。そちらが分かるように言うなら【麗の魔妖ー妲己】かのう? 敵意は無いぞ」

 

 見た目とは裏腹な古めかしい口調に、掴み所の無い妲己だが、確かに敵意らしき物は感じ取れなかった。

 

 ティアドロップ達に武器をしまわせ、少しだけ警戒心を残した俺は、まず最初に謝罪した。

 

「ごめん妲己。いきなり敵意向けちゃったりして……」

 

「別に良い。人と言うのは、何か得体の知れ無いものを怖がるものじゃ。それは人の生存本能じゃ。恥じる事は無い」

 

「そう言って貰えるとありがたいよ」

 

 長年生きてきた年の瀬の余裕なのか、妲己は寛容的に許してくれた。

 

「ところで妲己、オメェなんでこんな所にいんだよ」

 

「無論祭りを楽しむ為じゃ。祭りには美味いものに美味い酒がここの神社の関係者というだけでありつけるからのぉ……」

 

 妲己は頭の中で屋台の食べ物を想像したのか、背中から生えた尻尾を激しく振り、ほんわかと目が漢字の三の形をしながら笑って涎を垂らしていた。

 

 さっきの余裕のある精霊というイメージがあれで完全に砕け去り、ますます掴み所ない精霊という印象を打ち付けられた。

 

「おいおいお前尻尾閉じろよ。俺らとかに見せても大丈夫だけどよ、他の奴ら見せたら大変だろうが、ほら」

 

「ひゃぁっ!!」

 

 焔は妲己の尻尾を体のどこかに閉まおうとして妲己の尻尾に手を触れると、妲己は触られた瞬間に裏声を発し、尻尾を逆立てた。

 

「お、お前は何をしているのじゃこのむっつりスケベの破廉恥者!!」

 

「あぁ? 尻尾触っただけだろ」

 

「妾にとって尻尾は敏感な部分なのじゃ! 気安く触れるでない!」

 

「そんなもん何で出すんだよ。痴女なのか?」

 

「これは妾の威厳と力を引き出す為に必要な物じゃ! ええい離れろ!」

 

 妲己は掌に紫色の炎を浮かばせて焔を威嚇し、焔は理不尽に思いつつ妲己から離れた。

 

「というか、見たり触れたりしているって事は、妲己は実体化しているのか。他の人に見えたりして大丈夫なのか?」

 

 精霊というのは霊体化と実体化、この2つが出来る。

 

 霊体化は普通の人からは完全に姿を消し、精霊が見える者以外では姿を見ることは出来ない。

 

 だが実体化は違う。実体化すれば普通の人でも精霊が見えたり、触れられたり出来る。その際、認識阻害という精霊を精霊として認識出来なくする為の物が付いてくる。

 

 まぁ例えるなら、今こうして実体化している六花聖ティアドロップは、普通の人から見ればあの六花聖ティアドロップに似ているなという程度の認識しか出来なくなる訳だ。

 

 恐らく妲己も認識阻害を備わっていると思うが、九つの尻尾と頭の狐の耳があっては、阻害の意味も無い。

 すると妲己は九つの尻尾と狐の耳を紫の炎で燃やし……いや、引っ込めた。

 

「こうして隠す事も出来るから心配するでない」

 

「器用だな……」

 

「ふふ、では妾は早速祭りを楽しむとしようかの。手始めに焼きそばを食べるぞ!」

 

 妲己は軽い足取りで階段をおり、祭りへと向かっていった。

 

「んじゃ俺も行くわ。妲己を一応見張ってないといけないしな」

 

「悪いが俺もここで失礼させてもらう。雀がもう少しで到着するから、合流する」

 

「あぁ。じゃあ一旦お別れだな」

 

 焔と空も一旦離れ、もうこの広場には俺と精霊、そして彼方さんと天音ちゃんだけとなった。

 

「じゃあ俺達も行こうか。天音はストレナエ達と行くのか?」

 

「うん。後ね、ジャスミンちゃんも一緒だよ」

 

「え? いつの間にジャスミンと仲良くなったんだ?」

 

 思わず俺は天音ちゃんにいつジャスミンと仲良くなったのか聞いてしまい、聞かれた天音ちゃんは首を傾げて頭を悩ませていた。

 

 丁度そのジャスミンも首を傾げ、ストレナエ達も首所か体を少し横に傾かせながら首を傾げ、うーんと声を上げながら思い返そうとした。

 

「分かんない。でも、ちょっと前だとは思う」

 

「花衣君、友達って言うのは案外いつの間にかなっているものだよ。君にも身に覚えがあるんじゃないか?」

 

 彼方さんは端目で階段を降りて祭りの場所に行く焔と空を見た。

 

 そういえば、焔達とつるんだのはいつからだったかあまり覚えてない。去年の夏頃で焔に声をかけられたのがきっかけだと思うが、それ以降は成り行きだ。

 

 天音ちゃんとストレナエ達も同じだ。理由とか、理屈とかそんなのは抜きで友達になっている。そういう意味では、人と精霊にはなんの違いも無いかもしれない。

 

「……ですね。気をつけろよ、ストレナエ、プリム、シクラン、ジャスミン」

 

「はーい!」

 

 4人は元気よく挨拶し、偉いぞと頭を撫でた。すると、浴衣の裾をクイッと小さく引っ張られ、目線を落とした。

 

「かい、わたしのこと、わすれてる」

 

 浴衣の裾を掴んだのはひとひら……じゃない、水色の浴衣姿のしらひめがいた。

 言い忘れていただけでしらひめそのものを忘れた訳では無いのだが、しらひめは名前を呼ばれなかった事に対してぷっくりと頬を膨らませ、怒らせてしまった。

 

「あぁ、すまないしらひめ。しらひめも気をつけろよ?」

 

 ストレナエ達と同じように蒼い髪を優しく無でると、しらひめは幸せそうな顔を浮かべ、機嫌を治してストレナエ達の方に向かった。

 

「うん、みんなといっしょ、だいじょうぶ」

 

「そうそう! 私が居るんだから大丈夫だよ! ふふん」

 

 ストレナエが胸を張ってドヤ顔をしたが、プリムとシクランが不安そうにストレナエを見ていた。ストレナエは向こう見ずな所があるから俺も心配だが、まぁ彼方さんが付いているし大丈夫だろう。

 

「じゃあ行ってくるね!」

 

「あぁ、行ってらっしゃい」

 

 ストレナエ達と彼方さんも祭りに行き、残るはティアドロップ、スノードロップ、ヘラボラス、カンザシ、ボタン、エリカ、レイ、ロゼ、アザレア、カメリアと……ジャスミン除いたアロマージ達6人だ。

 

「……ん? 母さんは? 母さんも来るはずだろ?」

 

 ここに居るはずの母さんの姿が見えず、辺りを見渡してもいなかった。母さんもこの祭りに来る事になっており、なんなら神社に一緒に来たんだからここに居るのは間違いない。

 

 先に祭りに行ったのなら連絡ぐらいあってもいい筈だ。着付けの途中で連絡が来たか確認する為に携帯を見ても、メッセージは来ていなかった。

 

「皆、母さん知らないか?」

 

 ティアドロップ達も一緒に来たから、ついさっきまで母さんの一緒に居たはずだ。という事は母さんの行方を知っていると考え、ティアドロップ達に母さんのことを聞いたが、ティアドロップ達の反応は少しおかしく、互いに目を配らせて何かを伝えあっている印象だった。

 

 変に思いつつも、とにかく母さんの行方が気になってそれどころじゃなく、あまり気に止めなかった。

 

 ようやくティアドロップが前に出て、母さんの行方に付いて知らせてくれた。

 

「お母様ならもう帰りましたよ」

 

「なっ、何でだよ! 一緒に祭りを回るって言ってたのに……」

 

「急用が出来たらしくて……」

 

「だったら俺に連絡するはずだ。とにかく、神社に出たんだな?」

 

「……まさか、追いかける気ですか?」

 

「当たり前だろ。ちょっと行ってくる」

 

 せめて声を掛けて欲しいと思って俺は母さんを追いかけようとその場で走り出そうとしたが、レイに腕を掴まれ、走られずにいた。

 

 いきなり何をするんだと言葉にする前に俺は息を飲み込んだ。何故なら、レイの表情が気になったからだ。

 

 いつもの様な膨れっ面や子供のようにわがままを通すような顔では無く、焦燥感を帯びた真剣な顔付きだった。まるで、敵地に行く俺を止めるような顔を向けられ、強く言葉を言えなかった。

 

「どうしたんだ? レイ」

 

「いえ……あの、ごめんなさい」

 

 レイは自分自身でもどうかしてると思ったのか我に返り、ゆっくりと手を離した。

 

 レイもそうだが、皆の様子もおかしい。まるで何かを隠している様な感じだ。理由を聞いても多分返事は帰ってこない。それ程皆口を閉ざしているからだ。

 

 気になってはいたが、時間が無い。とにかく皆に一声かけてから母さんを追いかけた。

 

 長い石階段を降り、賑わっている祭りの中で、人混みを掻き分けながら母さんを探した。

 明かりで人の姿を映し出している筈だが、俺の目には全て黒塗りの影しか移らず、ひたすら母さんを探した。

 

 逆方向で掻き分けながら走っている俺を見て、他の人は白い目線を見せる事もあったが関係ない。ただ1人、この目に映る人を俺は探し続けた。

 

 母さんの名前を呼び続け、慣れない浴衣で走り続けた中、視界に一瞬だけ色が映った。

 

 ブロンドヘアーにエメラルド色の瞳に丸い眼鏡、そして自分よりも少しサイズが大きいカーディガンを羽織ったチェックの長いスカートは見間違えようが無い。

 

 息も忘れぐらい俺はその人の元に走った。その人はもうすぐ神社の鳥居をくぐって外に出ようとしていた。

 

 俺は何故か、あの神社の鳥居を抜け、曲がり角で姿を消したら二度とあの人に会えないと思ってしまい、全力で走った。

 

 人混みを抜け、その人が鳥居を抜ける手前でようやく追いついた俺は、その人の腕を掴んだ。

 

「……花衣?」

 

 その人……母さんは目を見開いて驚きながら俺の名前を呼んでくれた。

 返事をしたいが全力で走ったせいで息切れが激しく、言葉を発するのには時間がかかってしまう。

 

 何かを言おうとしても体が酸素を求めているからすぐには話せなかったが、母さんは優しく俺の背中をさすって落ち着かせてくれた。

 

 ようやく呼吸が落ち着いた時、俺は母さんと話した。

 

「い……いきなり居なくなったから心配してさ」

 

 息切れしながらも追いかけた理由を言い、母さんは何か遠慮した態度というより、俺を避けようとしていた。

 

「ごめんなさい、少し用事が出来ちゃって。それに、ティアドロップさん達と過ごした方が楽しいでしょ?」

 

 母さんはそう言って早くこの場から離れたいと言うように身を引いていた。

 

 用事の件に関しては仕方ないと感じる自分もいる。だけどその後の言い分は納得がいかなかった。

 

 確かにティアドロップ達と過ごすのは楽しいし、これからも一緒に過ごしていきたいと思っている。

 だけど今は……今だけは違う。

 

「俺は母さんとも過ごしたい!」

 

 血が混じった呼吸の中で俺は言いたいことを言った。

 

 我儘だって分かってる。いい歳してこんな子供みたいな駄々こねはみっともないとも思っている。

 

 それでもやりたい事があった。

 

「俺……母さんとのあんまり思い出が無いからさ」

 

 恥ずかしい事でもあり、不思議な事でもあるが、俺は幼い頃の記憶が殆ど無い。いや、無い訳では無いのだがぼんやりしか覚えていない。

 

 果たしてこれは思い出と言ってもいいのか、そもそも俺は母さんと思い出と言える事をやったのかさえ分からない。

 

 だから今しかないんだ。この夏で母さんは仕事でどこかに行ってしまう。次いつ帰れるか分からないかも知れないのなら、もうここしか思い出を作れる時間や場所は無い。

 

 おぼろげな記憶よりも、確かにそこにあった物を俺は残したい。だから、こうして母さんの手を繋いで足を止めている。例えそれが母さんが望んでいない事だったとしても、今だけは俺のエゴを押し通す。

 

「我儘だって分かってるし、子供っぽいって自覚してる。だからちょっとだけ……少しでも良いから……思い出を作って欲しい」

 

 俺は母さんの手を離した。もし母さんここから離れたら、もう追いかけない事にしよう。それ程忙しい用事なら無理に止めては母さんに迷惑だ。

 

 不安で顔が上げられずにいると、母さんはしばらく考え込んだ後、どうやら母さんは電話をかけたようだ。わずかばかりの期待を胸に顔を上げると、母さんは静かにというように人差し指を口に添えた。

 

「もしもし? 急な用が出来たので今回の案件は後日対応します。理由? 急な用事と言いましたよね。それじゃ」

 

 そう言って母さんは携帯を閉まった。

 

「さて、それじゃあお祭りに戻ろっか」

 

「こう言っちゃなんだけど……良いの?」

 

「良いのよ。この年で貴方と過ごす最後の日になるかも知れないから」

 

「最後って……そこまで仕事が忙しくなるの?」

 

 申し訳なさそうに母さんは頷いた。それはそうだ。さっき仕事の急用ができ、母さんはそれを蹴ったのだ。

 後々忙しくなるのは目に見えている。

 

 だが、そんな急用を蹴って俺と過ごす事を選んでくれた事に、嬉しさを感じた。本当の親じゃないけど、親の愛情を受けているような気持ちになった。

 

 ティアドロップ達も俺から何かされたりしたらこんな気持ちになっていると考えたら、皆が求める理由が分かる気がする。

 

「じゃあ行きましょうか。愛しの彼女【達】を待たせちゃ、後が怖いでしょ?」

 

「うっ……確かに……」

 

「ふふ、大変ね。こんな節操無しな子に育てた覚えは無いけどな〜」

 

「何も言えません……」

 

「冗談よ。節操無しだったらあんな風に愛されないわよ」

 

 子供をからかった母さんの笑顔は、灯篭の光を背にしているせいか輝いて見えると同時に、少し悲しげにも感じた。

 

 まるで本当に【最後】という言葉が本当に最後かのような……そんな笑顔だった。

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