半年後。
俺は千葉県千葉市にある市立総武高校、その職員室にいた。
「比企谷、一体なんだねこの作文は」
「何って……ごく一般的な高校生活の実態とそれに対する自分なりのアンチテーゼですよ」
そう答えると、白衣を着た若い女性教師が呆れたようにため息をついた。
彼女は平塚静。この高校で現代文を教える教師であり、俺が呼び出しを食らう羽目になった作文課題を出した先生だ。
「いいか比企谷。私は「高校生活を振り返って」と言ったんだ。それなのに、なぜこんな犯行声明文になる?」
「そんなに犯行声明っぽくなってましたかね。結論ファーストで分かりやすいように、しっかりと構成まで考えたんですが」
俺の答えに平塚先生の綺麗な目元がより一層険しくなる。
これ以上変なことを言うなら拳の一つでも飛んできそうな、そんな雰囲気だ。
が、睨んでも一向に変わらない俺の態度に諦めたのか、平塚先生はふっと息を吐き出した。
「……よし、わかった。とりあえず、君にはこの作文の再提出を命じる。その上で、今回このようなふざけた作文を提出した罰として、奉仕活動を命じよう。罪には罰を与えないといけないからな」
「奉仕活動ですか?」
「ああ。嬉しいだろう?」
そう聞き返す俺の問いに、彼女はフフンと先ほどまでとは打って変わって楽しそうな表情で答える。
いや、この人本当に表情豊だなオイ。なんでこんなに可愛いのに結婚できないのん?
「まあ、説明するよりも実際に見せた方が早いだろう。ついてきたまえ」
そう言うと、平塚先生は俺に作文用紙を押し付けて席から立ち上がった。
# # #
平塚先生に連れられたどり着いた先は、特別棟四階の奥にある教室だった。本来、1-Aのようなクラスの情報が示されているはずのプレートはまっさらで、おそらくここは空き教室、それも余った備品を置いておくための倉庫として使われているだろうことは想像に難くなかった。
「雪ノ下、邪魔するぞ」
ノックと同時に声をかけて、平塚先生が入っていく。いやあんたそれノックの意味ないでしょうが、と思ったが、決して口には出さない。はちまん、えらい。
平塚先生が入室したのを見て、俺も後に続く。
「先生、いつも言っていますが入る時はノックを」
俺が入室した瞬間、中から咎めるような声が届いた。
このままでは平塚先生の背中が邪魔になって見えないためスッと横にずれると、果たしてそこには見覚えのある少女が本を片手に座っていた。
雪ノ下雪乃。
彼女はこの学校なら誰もが知る有名人だ。
端正な顔立ち。枝毛の一本も見つからない整えられた黒髪。そして入学以来、圧倒的な成績で学年一位に君臨している。
まさしく、完全無欠の美少女と言っていい人物だった。
「ノックをしても君は返事をしないじゃないか」
「先生が入ってくるのが早すぎるんです」
彼女と平塚先生がテンポよく言い合う。
が、平塚先生はあまり悠長に付き合う気はないようで、早速本題へと入った。
「ところで、今日は朗報があるぞ。実は入部希望者を連れてきたんだ」
「入部希望者、ですか?後ろの彼のことですか?」
雪ノ下の凛とした両目が僅かに動いて俺を捉えると同時に、横に立っていた平塚先生が「ほら、挨拶したまえ」と俺の背中を軽く叩いた。
「あ、えーと、2年F組の比企谷八幡でしゅ」
噛んだ。
「ぶふっ」
先生に笑われた。……どうして笑うんだい?僕の自己紹介は上手だよ。(クリロナ感)
「平塚先生。その……彼は依頼者ではなく、入部希望者なのですか?」
雪ノ下が少し引いたような声音で、確認するように平塚先生に聞いた。
明らかに「こいつと関わりたくないわ……」といった空気を出していて、ちょっとばかし心がツラい。
「ああ、目を見れば分かると思うが、彼の性根はなかなかに腐っていてな。そのせいで、転校してきて半年経つが未だに仲の良い友人もいないらしい。そこで、彼に人との付き合い方というものを学ばせてやってくれないか」
「なるほど、つまり依頼者は平塚先生。彼はその悩みの種と」
……酷い言い草ですね。
「分かりました。先生からの依頼であれば無碍にはできませんし、その依頼を承ります」
雪ノ下が嫌そうにそう言うと、先生も満足気に微笑んだ。
「よし、という訳だ比企谷。今日から毎日ここで部活動に励みたまえ」
「いや何言ってるんですか、急に入部だなんて言われても…」
本人の意志とは関係なくでトントン拍子で話が進んでいることに抗議したが、先生はそれを適当に受け流してさっさと出ていってしまった。
ぽつん、と一人取り残される形になる俺と、窓際に置かれた椅子に座る雪ノ下。
……いや、マジでこれどうすんだよ。
「そんな所で立ってないで座ったら?」
動けないでその場に突っ立っていた俺に、雪ノ下が声をかける。
「あ、ああ。そうするわ」
ひとまず近くに置いてあった椅子を引っ掴んで、元いた場所に持って来て座る。
そして、何となく雪ノ下とは違う方向に顔を向けた。
「…………」
「…………」
どちらも何も言わず、ただただカチカチという時計の音だけが響く。雪ノ下は俺の方を微塵も気にかける様子もなく、中断していた読書を再開したようだった。
……ですよねー。女子はイケメン(笑)とスイーツ(笑)が好きですもんねー。
# # #
「……ねぇ」
「ゑ?」
そのまましばらく経った頃、急に雪ノ下が声をかけてきた。
急に話しかけんなよ、びっくりしてなんか変な声出ちゃっただろ。思春期の男の子はもっと丁重に扱えってあれほど(ry
「貴方……比企谷くんと言ったかしら?今日から一応ここの部員になるわけだけれど、何か質問の一つもないのかしら」
「あ、あーいやまあそれなりに気になることはあるが……。俺もわけも分からないまま連れてこられたせいで状況が飲み込めていないんだよ」
この感じからすると、どうやら雪ノ下も何となく居心地の悪さは感じていたようだった。
「平塚先生からは、ここが何部かはもう聞いたかしら?」
「それもまだだな」
「そう。……では一つゲームをしましょう。ここが何部か当ててみてちょうだい」
俺の答えを聞くと、雪ノ下はゲームの提案をしてきた。
恐らくこれは彼女の義務感の表れだろう。このままだと俺がずっと黙ったままであることを察して、話を振ってくれたのだと思う。
所謂、アイスブレイクというやつだ。
「そうだな……まず考えられるのは、ボランティア部か?」
「その心は?」
「平塚先生はここに来る前に『奉仕活動を命じる』って言ってたし、さっきの会話でも依頼って言葉を使ってた。つまり、ここはボランティア部で俺はここで部活動という名の奉仕活動を行う…………どうだ?」
そう答えた俺を見て、雪ノ下が初めて少しだけ感心したような顔を見せた。
「……少し驚いたわ。貴方、ぬぼーっとしているようで、意外と人の話はしっかりと聞いているのね」
「ぬぼーってなんだ、ぬぼーって」
「あら、事実でしょう?平塚先生が出ていってから、ずっと立ちつくしてたのは誰だったかしら」
「いきなりわけも分からない部活に連れてこられたら、誰だってそうなるだろ……。それで、ここはボランティア部で合ってるのか?」
俺の問いに、雪ノ下はその細い首を振った。
「いいえ、不正解よ。とても惜しかったけどね」
「じゃあ何部なんだ?」
「正解は、奉仕部よ。途上国にはODAを、ホームレスには炊き出しを、貴方みたいな人には人と話す場を。持つ者が持たざる者に慈悲の心を持ってこれを与える。それがこの部の活動なのよ」
いつの間にか雪ノ下は立ち上がっており、自然と俺を見下ろす形となっていた。
「ようこそ、比企谷くん。貴方の入部を歓迎するわ」
……いや絶対歓迎されてないだろ。
自分の顔がめちゃくちゃ無表情になってるの気づいてる?
# # #
次の日、俺は教室の外で待ち構えていた平塚先生に捕まっていた。
「比企谷。部活の時間だ」
「いやあのですね……思うんですが、教師自ら生徒の自主性を潰すような教育は如何なものかと」
「安心しろ。潰れるのは君の鳩尾だ」
言うや否や、先生から瞬速のボディーブローが飛んできた。
ゴリっと腹に抉りこんだことで息が詰まりそうになる。
「次に逃げようとしたら、分かるな?私に君を殺させないでくれ」
「どこぞの拷問官かよ……」
この人、本当に少年漫画好きだな。
この歳の女性教師で知ってる人なんて初めて見たぞ。
「とにかく、今度逃げたら君にはさらに重いペナルティを課すからな」
「具体的には?」
「3年で卒業出来なくなります」
職権乱用じゃねえか。
カツカツとヒールで床を鳴らしながら歩く平塚先生と並びながら、例の空き教室を目指す。
昨日は結局、あのまま一言も交わすことなく俺と雪ノ下は別れていた。
「お疲れ」も「さようなら」も無く、ただ一瞥しただけで颯爽と帰るって酷くない?はちまん、そんなにココロ強くないょ?ぴえん。
「ところで、君から見て雪ノ下雪乃はどう映る?」
俺の中のソウルジェムが真っ黒に染まっていくのを感じていると、平塚先生が話題を変えた。
「嫌な奴」
即答。
「そうか。……まあ、彼女は非常に優秀な子ではあるんだが。まあ、なまじ優秀なぶん、苦悩もそれなりに多いのだよ。それに、一応今回の件は私から雪ノ下への依頼となっているが、それと同時に私から君への依頼でもあるんだ」
先生は苦笑した。
「彼女は往々にして正しく強い子だが、やはり君とどこか似ていて捻くれている部分がある。だから君には……理解者にならなくてもいい。せめて、彼女の話し相手になってあげて欲しいんだ」
「話し相手って……先生じゃダメなんですか」
「そういうところは歳上よりも同年代の方がいいだろう。昨日の彼女の反応を見て驚いたが、あれほど壁を感じさせずに同年代の子と話している姿は久しぶりに見た」
そう言ってフッと柔らかく微笑むと同時、今までの真面目な雰囲気から一転して弛緩したものに変わったのを感じた。
「やはり私の目は正しかったということだな!流石、私」
「話し相手って言うほど話してないんだよなぁ……」
どうやら、平塚先生の依頼は当分達成できなさそうだ。
が、そんな俺の思いとは関係なく、特別棟の空き教室がすぐ目の前まで迫ってきていた。
# # #
昨日よりかは幾らか会話のキャッチボール(というよりグレネードの投げ合い)も増えたが、やはり俺と彼女との距離感は相変わらずだった。また、部員になったはいいものの、依頼者が一人も来ないため実質的にただの読書部になっている節がある。
つまり本日も何事も無く、奉仕部の活動は終了したのである。
現在時刻は18時を少し過ぎた頃。
春の夜風に当たりながら、俺は自転車を西へと走らせていた。一人暮らしの自宅アパートまでは自転車で20分ほど。海岸線沿いに伸びるこの道は、車道から完全分離されたサイクリングロードのため非常に走りやすい。
所々にある車止めを抜けつつ、俺は頭の中で本日まで成果を整理していた。
ーー雪ノ下雪乃、及び平塚静との接触・リレーションの確立を完了。
ーー対象の反応は若干悪くはあったものの、想定の範囲内。
ーーよって、計画の変更は無し。
これが意味するところは一つ。
つまり、奉仕部への強制入部は、
まず初期の事前調査において、平塚静は俺の
もちろん彼女が、奉仕部に無理矢理入れるための新たな部員候補を探していると知った上で。
そして。
比企谷八幡。
雪ノ下雪乃にそう名乗ったこの名前は、今回の任務で俺に与えられた偽名だった。
中学時代に思春期特有の勘違いを連発して多くのトラウマを負ったことで、それからは何事も斜に構えてものを見る性格となる。常に相手の言葉の裏を読もうとし、幅広いジャンルの文学を好む根っからの文系人間。一方、数学は壊滅的。
そんな
だが、なぜそんな人物設定になったのか。
これにも大きな理由がある。
潜入の傍らで雪ノ下雪乃の過去を調べていくうち、彼女に近づくためには並大抵のキャラクターでは足りないことが問題となった。彼女から
これが普通の相手であれば、優秀な人間を演じることで優位に立ち主導権を握れることが多いのだが、その点彼女は例外だった。
まず第一に、彼女自身が有能であること。
そしてもう一つは、葉山隼人という男の存在だ。
俺と同じF組に所属する葉山隼人は彼女の幼なじみであり、彼女が抱える過去のトラブルを引き起こした張本人でもあった。そしてそれに起因して、雪ノ下雪乃は葉山隼人と距離を置いている。
そのため、今回の調査では、葉山隼人のような人物像は避けるべきとの結論が出された。
ーー彼女、雪ノ下雪乃が心から求めているのは、自分と対等に物を言い合える、しかし彼女のプライドの高さを傷つけないレベル感のパートナーだ。
ーーそして、彼女とは違う信念を持ち、まれに垣間見える彼女の弱さを補うことの出来る人物。
彼女の無意識下にある欲求に応じ、彼女の信頼を得る。
信頼を得たのち、雪ノ
それが、比企谷八幡の役割だ。