悪意の種   作:メスザウルス

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二話

「ふーんふふふんフーン♪」

「…黙って引くことは出来ないのか」

「やー! だってごしゅじんさまフィーロを思いっきり走らせてくれないんだもん。馬車を引くのは好きだけど、これじゃものたりない!」

「お前のいかれた馬車になんか乗せたら苦労して助けた意味がなくなる。いいから普通に走らせろ」

「ぶー!」

 

 除草剤を届けに行く道中で拾った少女を乗せた馬車がそれなりに整備された道を走る。あの重体だった少女は現在落ち着いており、今すぐにどうこうなる事はないだろう。もし様態が急変しても馬車の中でラフタリアが見ているから、何かあればすぐに分かる。

 

「…尚文様」

 

 フィーロの手綱を握るオレに、馬車からラフタリアが顔を出す。

 

「どうかしたか」

「いえ、あの子の今後をどうなさるおつもりなのかと思いまして」

「……そうだな」

 

 ラフタリアの疑問に、オレは指を顎に当てた。正直何も考えていなかったわけじゃない。

 

「適当に行った村で預かってもらおう。関係のないオレたちがこれ以上こいつに何かしてやる必要もない」

「…そう、ですか…そうですよね」

「? なにかあるのか?」

「いえ、そう言うわけじゃないんですけど、この子のお父さんとお母さんはどうしてるんだろうって…」

 

 ラフタリアはそう言うと表情をうつむかせた。オレはこいつの内心を読み解くようなことは出来ないが、大よそ察することは出来る。ラフタリアはあの少女を、自分と重ねたのではないだろうか。

 理不尽に襲われ、奪われ、全てを失ったこいつは、自分と同じくらいの歳のあいつを見捨てることができないのだろう。オレにあいつの処遇を聞いてきたという事は、つまりそういうことだ。

 

 オレは大きく息を吐いた。

 

「…残念だが、オレが今受けている依頼は至急除草剤を届けることだ。」

「はい…わかっています」

「だが、この依頼が終わったら話は別だ。非常に面倒だが、一度メルロマルクに戻ろう。あのクズの国王に頼んでも何もしてはくれないだろうが、三勇教は一応宗教団体だ。聞く話によれば孤児院なんかもやってるらしい。あそこに預ければ、こいつの両親を探してくれるかもしれん」

「…! では…!」

「適当な村の連中に預けても、こいつの両親が見つかるかどうか分からんだろう。まだこいつの治療費を貰ってないからな」

「はい、ありがとうございます!」

 

 ラフタリアはそう言うと、いそいそと中へと戻って行った。顔は見ていないが、きっと表情いっぱいに笑顔を綻ばせていたのだろう。それだけ想像できるような、声の明るさだった。

 

「…」

 

 はっきり言って、オレもオレで、あの少女に思うところがないわけでもない。

 

 理由は足の裏だ。あの少女の足の裏には、ほとんどの皮膚がすり減って無くなっていた。昨晩、オレたちがあの場所でキャンプをしているとき、フィーロが何の反応も示さなかった。

 おそらく相当な距離を歩いてきたのだろう。何時間も、明かりも無い森の中を、一人で。

 

 あの歳の女の子が重傷を負いながら、足の皮が剥がれ落ちるまで歩いたというなら、それがどれほどな異常ことか。

 そう、あの少女は異常だ。常人では考えられないような精神をしている。鋼鉄の心といっても過言じゃない。

 

 なにより驚いたのが少女の生命力。オレが見つけたとき、あいつの心臓は動いていなかった。見様見真似だが、あいつを平場へと移動させる際軽く脈を測っていたのだ。素人であるオレのやり方が悪かった可能性もあるが、しかし体は死体同然に冷たく、開いたままの瞳孔も収縮しない。この時点でオレは内心で諦めていた。こいつが何時からこの状態で放置されていたのか分からないが、これだけ冷えきるほど放って置かれたのなら、もう助からないだろうと。

 

 だがあのガキは、急に息を吹き返しオレの足を掴んだ。

 

 あの時の驚きは大きくオレの心を揺さぶった。

 原因や理由は分からない。何らかのスキルなのかとも思ったが、蘇生のスキル何て物が存在するのだろうか。どちらにせよ、その少女の弱りきった瞳の奥から言い様のない執念があった。

 

 もしも、あの少女が意思や思いだけで再び息を吹き返したのだとするなら———————怪物だ。

 

 それだけの執念をもって、成そうとする何かがあるのか。

 もしもそうなら、末恐ろしい。

 

(…何をふざけたことを。 馬鹿か、オレは)

 

 思考を巡らせ、首を振った。

 妄想もここまでくれば呆れても来る。考えすぎだ。

 あの少女が助かったのはたまたまで、運良く息を吹き返しただけ。

 足の皮が無かったのも、他に原因があるのだろう。第一、あの少女は靴も何も履いていなかったではないか。あんな森の中を裸足で歩けば、皮などすぐに剥がれるだろう。

 

 オレはこれ以上無駄な思考を回さないように、適当な理論を立て、適当に納得する。

 そうして手綱を握り続け約数十分。オレの目の前には、巨大な植物の根のようなものが道を埋め尽くさんとしていた。

 

「…やけに植物が生えてるな」

「そうだねー、少し走りずらい」

 

 巨大なツルで車輪が跳ね、何度も馬車が揺らされる。積んできた除草剤の瓶が割れてないか心配になるほどだ。これほど太いツルが生えていたら並の馬ではどうしようもない。オレ達にしか頼めないというのも納得だ。

 

 少し進むと、先に砦のようなものが見えてきた。木製の柱を何本も立てて作った壁には、すでに多くの植物が取りつき、今すぐにでも覆われそうになっている。

 

「あそこに迎え、フィーロ」

「はぁーい!」

 

 フィーロは元気溢れる様子で砦へと向かう。何が起きているのか分からないが、何かが起きていることは分かる。あれだけ植物が生えてきたら、確かに除草剤も大量に必要になるだろう。

 

 そうしてたどり着いた場所は、難民キャンプのように人が集まり、怯えるように暮らしていた。オレは除草剤の値段を考えながら馬車を降りる。正直言ってここまでの被害が出ているとは思わなかった。アクセサリー商が大金になると断言していただけはある。

 

「除草剤を高く買い取ると聞いてやってきた者だが」

「おお、行商の方ですか。助かります」

「ああ。だがその前に聞かせろ、何があった」

 

 尋ねた俺に、キャンプの中で一番偉そうな男が答えた。オレは現状について話を聞くと、男は気まずそうにぽつりと零し始める。なんでも、この村は飢饉に陥って困っているところを、槍の勇者が救ってくれたのだという。なんでも、封印されし奇跡の種子を持ってきてくれたらしい。

 その種子は、植えた瞬間に瞬く間に成長し、すぐに実をつけた。事実、飢饉で困っていた村人たちにとって希望の種子だったのだという。

 しかし、事態は急変した。成長続ける植物の勢いは止まらず、やがて村の全てを飲み込んでしまったらしい。

 

「挙句の果てには、成長した植物が魔物化する始末でして…」

「魔物化…?」

「—————!!」

 

 話しを聞いていたら、突然キャンプの外から悲鳴が聞こえてきた。村長の話では、雇った冒険者がレベリングのために村へと向かったらしい。

 今の悲鳴を聞くにあたり、どうせ返り討ちにでもあっているんだろう。馬鹿馬鹿し過ぎて頭が痛くなるが、それでも放って置くわけにもいかない。

 

「チッ…! フィーロ、冒険者たちを連れて戻ってこい」

「もぐもぐ……ふぁーい!」

 

 急成長を続ける植物の実を頬張っていたフィーロに、無謀な馬鹿どもを連れ帰るように指示を出す。フィーロは高速で植物地帯を駆け抜けると、すぐに冒険者三人を担いで戻ってきた。

 

「植物の魔物、ぐねぐね動いて毒とか酸とか吐き出してくるのもいたよ。弱いのにあんな所に行くなんて、この人たちバカだねー」

「最後の一言は余計でしょ」

「えー?」

「『えー』じゃありません」

 

 ラフタリアがフィーロの言葉に注意をする。しかし、フィーロは能天気に適当に聞き流していた。

 そんなやり取りを見ていた村長の男が、オレたちを最近うわさに聞く神鳥の聖人であると知った瞬間、手を合わせてオレたちに頼み込んできた。

 

「お願いします! どうか、そのお力で病人を治してくださいませんか!?」

「病人がいるのですか?」

「はい、どうか…! どうか…!」

 

 必死に頼み込む男に、面倒ごとを押し付けられた気分になる。しかし、このまま見捨てるわけにもいかない。オレは内心舌を鳴らしながら、男に病人の元まで案内させる。

 

 そうして案内されたテントの中には、数十人の子供も含めた人たちが苦しみによって唸り声をあげながら、簡易なベッドに横にされていた。そのすべてが体中に植物の根っこや、ツルのようなものを生やしており、村長の男は植物に侵食されているのだと説明をする。

 

「寄生能力まであるのか…」

 

 オレは腰のポーチから治療薬と除草剤を取り出し、小さな子供から治療に当たった。

 まず治療薬を飲ませ、そのあとに侵食されている場所へ除草剤を掛ける。すると、子どもの身体に淡い光が宿ると、体に生えた植物は枯れ、荒い呼吸も落ち着いた。

 それを見ていた村の人々は、感嘆するように声を漏らす。

 オレは他の病人も同じ手順で治療を行い、最後の一人まで全て完治させた。

 

「よかったですね」

「治療費を受け取ったらすぐにこの場所から出るぞ。 これ以上の面倒ごとは御免だ」

 

 やることを終えたオレは、ラフタリアを連れフィーロが待つ馬車へと移動する。次にまた面倒ごとを持ってこられる前に、さっさと退散したい。オレ達はこの後、名前も知らんガキをメルロマルクまで送り届けなければならないのだ。

 

「お待ちください!」

 

 しかし、村長がオレ達を呼び止めた。

 

「神鳥の馬車を持つ聖人様、どうか…この村をお救いください…! 」

 

 背に多くの村人たちを連れ、全員が一斉に頭を下げだした。女子供を含めた誰もかれもが縋り付くような顔つきで、オレに向け乞うように頭を差し出す。

 オレはその勢いに多少戸惑った。しかし、オレにはこれ以上こいつらに何かしてやるほどの義理はないし、そもそもオレ自身なんでもできるわけじゃない。はっきり言って断りたかったが、隣にいるラフタリアからも哀願するように名前を呼ばれたことで、オレは大きくため息を吐いた。

 

「…わかった。だが、詳しく話を聞かせてもらうぞ」

 

 オレは近くの岩に腰を下ろすと、村長の隣にいた男があの植物に関しての情報を話し始めた。

 

「我々が調べたところ、伝承にあの種子について載っていました。あの種子はかつて錬金術師が作り、その危険性ゆえに封印した種子だったらしいのです」

「待て、そんな伝承があるのに誰もその種というのを疑わなかったのか?」

 

 問うように聞いた俺に、村人たちは気まずそうに顔を下げた。

 オレはそれだけで察する。思わず鼻で笑ってしまいそうなほど間抜けな話だ。

 

「おおかた、勇者様が持ってきたものだから、安全だとでも思いこんでいたか」

「…っ! お、お願いします!」

 

 村長がそう言うと、地面に膝を付きながら、オレに袋を指しだした。

 

「治療費と…魔物の討伐費は、前金で全額お支払いします…!ですからどうか、この村をお救いください…!」

「……元康の馬鹿の尻拭いは腹立たしいが、貰った分の仕事はする。 行くぞフィーロ」

「はーい!」

 

 オレは金の入った袋を受け取ると、いまだ植物の実を貪っていたフィーロを呼びよせ、背に乗った。

 

「ラフタリア、お前は残れ」

「え…?」

 

 オレに続いてフィーロに跨ろうとするラフタリアを止める。まさか止められるとは思っていなかったのか、ラフタリアはひどく驚いた様子で固まった。

 

「なぜですか尚文様! 私も行きます!」

「お前が行けば、馬車にいるガキの世話は誰がするんだ」

「そ、それは…っ」

 

 オレの返す言葉に、ラフタリアは言いよどむ。事実、あの馬車にいる少女は、完全に傷が癒えたわけじゃない。まだ怪我は残っているし、意識を取り戻しているわけでもない。そんな中、もし様態が急変でもしたら堪ったものじゃない。

 残ることを嫌がったラフタリアが、村のやつらに見てもらう案を提唱したが、他人など信用できるわけがない。

 

「それに、もし目が覚めたとき錯乱して逃げ出されても面倒だ」

「そんな事はっ———」

「少なくとも、あのガキはそれだけの事をされている。 —————お前が傍にいてやれ、ラフタリア」

「……はい」

 

 しゅん…と擬音が聞こえるくらいに、ラフタリアは俯いた。彼女の耳としっぽも、その感情を表すかの如く垂れ下がっている。しかし納得はしてくれたらしい。ラフタリアがそれ以上何かを言うことはなかった。

 

「あはははは! おねーちゃんだけ除けものー!」

「お前に任せられないからラフタリアが残るんだよ。 いいから行くぞ」

「むー…!」

 

 子馬鹿にするように笑うフィーロを窘めながら、オレは手綱を引いた。

 

 

※※※※

 

 

 フィーロが駆け出し、尚文の姿は一分と立たずに見えなくなった。

 そんな彼らを見送ったラフタリアは、ゆったりとした足取りで村の人に頼み、湯を桶の中へ入れてもらってから馬車へと戻る。少女の様態を確認するためだ。

 

 中へと潜れば、ここまで来た道中と変わらない姿で、名前も分からない少女は眠っていた。その顔は、私が初めて見た時よりも生気を取り戻し、青白かった肌もきちんと色を取り戻している。

 ラフタリアは積んである荷物の中からタオルを取り出すと、湯に浸し、少女の顔を優しく拭いた。この村に着くまで数日と経っていないが、それでもこの子はケガ人だ。なるべく清潔を保った方が良いだろう。

 次いで、少女にかけていた毛布を除け、着せていた服を捲り上げる。眠っている間に汗ばんだ所を拭うためだ。その作業は、少女を起こさないようにと丁寧に行なわれた。

 少女の身体を清めている最中、ラフタリアは身体に深く刻まれた傷跡に目が入る。

 それは、蚯蚓腫れのように皮膚が盛り上がり、刺傷の部分は肉が潜り込むように一線状にへこんでいた。

 

「……っ」

 

 明らかに、こんな幼い少女が背負っていい傷ではない。こんな子供に行われた所業を想像し、唇を噛んだ。

 幸運にも、顔の火傷は足や体に有ったものより軽傷であったため、何とか傷は残らなかったが、その眼球までは回復に至ったのかどうか分からない。こればかりは本人が目覚めないと分からない事ではあるが、できるなら世界の色を見るために治っていてほしいと、ラフタリアは願った。

 

(私は、こんな子を一人で置いて行こうとしたのですね…)

 

 思い返すは、先ほどの自身の言動。

 尚文様と共に歩みたくて、わがままを言ってしまった。

 私は尚文様の従者であり、剣なのだと。だから、尚文様の危険は私が切り伏せると心に決めていた。けれど、それは結局自分のやりたいことで、それを優先して本来守るべきものを守れないのならば、本末転倒だ。

 意識が足りていなかった私より、やはり尚文様は分かっていた。何を優先するのか。何をしなければならないのか。私なんかよりも全て見通していた。

 考えたくはないけれど、村の人たちにこの子を任せて、もし酷い目にあってしまったら、私は今以上に自分の行為を呪うだろう。信じる事と、疑いたくないという思いは似ているようで全く違う。私は、少し甘えていたのかもしれない。

 

 少女の背中を拭き終え、あらかた拭い終えたラフタリアは、少女の頭を衣服を詰め込んだカバンへ下ろし、その身体に毛布を掛ける。

 この子は私達が救った命。ならば最後まで面倒を見切らなければならない。それでようやく、はじめてこの子は救われるのだ。

 私もそうだ。命を救われたから、救われたわけじゃない。尚文様が壊れかけていた私の心も救ってくれたから、私は救われることができたのだ。

 

(この子が目を覚ましたら、何を話そうかな…)

 

 いつか目を覚ます時を思い浮かべながら、私は隅に腰を下ろしながら考える。せめて、楽しい話をしてあげたいけど、いったい何を話せばいいのだろう。私の話すことなんて、ほとんど女の子らしい事なんかないしなぁ。

 

 自身のボキャブラリーの少なさに、若干かなしくなるラフタリア。せめて、この子が冒険好きであることを祈る。それなら、私がお父さんとお母さんに聞かせてもらった物語を教えてあげることができるし—————

 

 と、そこまで考えた時、ピクリと思い至る。

 

(あれ? でもあれって、そんなにマイナーだったっけ?)

 

 ラフタリアは誰も見ていない馬車の中で、首を傾げた。

 もしも私が聞いた話が有名なもので、誰でも知ってる話だったとしたら、それを意気揚々と話す私って、すごく恥ずかしいのでは?

 そう考えると、だんだん不安になってきた。

 

(ど、どうしましょう。私からこの話を取れば、子供と話すことなんてほとんど無くなってしまう…!)

 

 大して女の子らしい生活もしておらず、女の子が好きそうな物も分からない。それに加え、相手はあらん限りのトラウマを抱えているであろう少女。そんな子を相手に、うまく話すことなんて出来るのだろうか?

 あわあわと、頭の中で右往左往するラフタリア。

 彼女は頭から煙が出そうなほど考える。そもそも、多少の男勝りな性格をしていた彼女は、最近ではちょっとした時間は筋トレに費やしてしまっている。

 ほしい物は何かと聞かれれば、よく切れる剣と答えるような変わった女なのだ。

 

 そんな変わった女は何を思い至ったのか、すくりと立ち上がると馬車から出ようとする。

 

 彼女は考えた。分からないなりに解決策を見出した。分からないならば、他の人に聞けばいいのではないかと。

なんでもいい。ちまたで流行っているおもちゃとか、ペットとか、食べ物とか、どれでも話せそうなことは聞いて行けばいいのだ。これならば、私がどれほど女の子らしくなくても、関係ないだろう。

 ラフタリアはこの案が非常に良いものであると感じられた。だがら、いつ目覚めるかも分からない少女のために情報収集へ出かけようとしたのだが————

 

『もし目が覚めたとき錯乱して逃げ出されても面倒だ』

 

 フラッシュバックにより、尚文の言葉が脳内を過った。

 ラフタリアは呆然とした面を携え、髪が舞う速度で背後で眠る少女へと振り返る。

 今は穏やかに眠る少女であるが、もしも尚文様の言葉通りに錯乱したら、どうすればいいのだろうか。

 もし暴れて何かを壊してしまったら、こんな少女であっても尚文様は見限るかもしれない。

 いや、言動に棘は有れど、本心は優しいお方。恐らく文句は言いつつも許してくれるとは思うのだけれど……なぜだろう。どちらの未来も想像できてしまうのは。

 

 ありありとした未来が頭の中を過っていく。その全てがとてもいい方向に行くようには思えない。

 ラフタリアの頭の中は、少女が錯乱を起こす前提の対処法で埋め尽くされていた。

 

(本当に錯乱してしまったらどうしよう…! でも、さすがにケガ人の女の子を落とすのは良くないと思うし…でも私にはそれくらいしか……ああ、分からない…! どうすればよいのでしょう尚文様…!)

 

 今はいない主の顔を思い浮かべるも、大してなにか妙案が浮かぶわけも無く。ラフタリアは魔物と戦う以上の疲労感を表情に浮かべながら、再び隅で座り込んだ。

 柄ではないと言うつもりはないが、こんな重い過去を背負ったばかりの少女を相手にするには、いささか経験が不足しすぎている。私自身も多少は重いとは思うけれど、だからと言って他の人にうまく接することができるかと問われればそうではないだろう。

 普通の子供相手なら当たり前のように話せるのに、どうしてこうも話ずらいのか。

 

 悶々として、けれど解決案も何も浮かばない現状、もはやラフタリアにできることは耐えるしかない。もしくは自分には無理であると開き直って何も考えないようにするかだが、彼女の性格上それも難しい。ラフタリアが困った未来を見据え少し憂鬱になりながらも、そんな濁った思いを自身から排出するようにため息を吐いた。

 

「グぁああああああ!!」

 

 ————————馬車の外から悲鳴と絶叫が響き渡った。

 

 明らかな異常事態を感知したラフタリアは、ベルトから外していた剣を片手に、馬車から飛び出す。

 外に出てみれば、ある区画で人だまりができていた。

 ラフタリアはすぐにその場から駆け出し、異常が起きたであろう現場へと赴く。

 

「何かあったのですか!」

「ぉ、あ、ぁ、アレ…!」

 

 クワを武器として手に持つ男に、肩に手を添えて尋ねた。男はひどく怯え、うまく口が回らない中で、懸命に指で元凶を指示した。

 

「これは…っ!」

 

 男が示した先には、人型に模ったツタの塊が、不気味に蠢きながら四つん這いになっていた。いったいどこから入ってきたというのか。目の前にいる植物型の魔物はゆっくりと立ち上がると、近くで武器を構える村人へ振り向き———————

 

「ギャバアアァァァアア!!」

「ひ、ひぃっ…!?」

 

 奇声を上げながら走り出した。

 ゾンビのように獲物へ向かって行く様は、まるで腹を空かせた獣。

 男は眼前へと迫る魔物の迫力に、腰を抜かしながら怯えた声を上げた。構えていた武器は恐怖によってなんの役にも立っておらず、化け物の手は男の頭蓋を抉らんとその手を伸ばした。

 

「———グぎ…?」

 

 そんな男の窮地を、ラフタリアが腕を切り飛ばすことによって救った。彼女は魔物が走り出す前から村人の危険を察知し、あらかじめ剣を抜き距離を詰めていたのだ。

 曲線を描きながらボトリと地面に落ちた腕。

 呆けているのか、化け物は切り飛ばされた断面をしばらく眺めていた。

 やがて痛みでも知覚したのか、思い出したように再び絶叫を上げた。

 

「キィィイィィイイイイ——————!!!」

 

 大気を揺らすほどの絶叫に、周りにいた村人たちは悲鳴を上げ、蜘蛛のごとく逃げていく。

 ラフタリアにとって、彼らの逃亡はありがたかった。敵を目の前に、あれだけの人数を守るには少々骨が折れる。ゆえに、逃げる者たちを見ることはせず、目の前にいる魔物に集中していたのだが、

 

「血…?」

 

 ツタの塊で構成されたような魔物は、その切り飛ばされた断面から鮮血を流していた。それを見た私は、村の人々が患っていた病を思い出す。

 人間に寄生し、繁殖する植物。果てには魔物化までする生命力に優れた植物を。

 

 嫌な予感が全身を覆う。言いようの無い冷たい不安感が溢れ出る。しかし、あの病は全て尚文様が治した。今更感染者が出るはずもない。

 なら、この魔物はどこから入った?

 

「ギ…ひ…! ぎィアアァァアァァ!!!」

 

 混乱する私をあざ笑うように、化け物は再び突進してきた。

 突貫する化け物を慣れたようにひらりと躱すと、そのガラ空きの背に剣を振るう。

 手にかかる肉の感触。斬られた場所からは腕の断面と変わらない鮮血が溢れ出る。まるで本物の人間のようだが、その言動は化け物のそれだ。

 私は化け物の足を切りつけ、ぐらりと体幹が揺らいだのを確認すると、ガラ空きの心臓部へ剣を突き刺した。背から貫いた剣は、化け物の胸から先端を覗かせた。ごぼりと血が溢れ、化け物は苦悶に満ちた声を上げると、全身にまとったツタが一斉にラフタリアへ手を伸ばす。

 

「ふっ…!」

 

 骨の無い触手は何度も軌道を変え、動きを変え、手段を変え襲い掛かるが、ラフタリアの磨き上げた剣術とステータスにより、その一切を危うげなく切り落とす。

 埒が明かない事を察した魔物は、ゆらりと頭を上げ、その中央に一線の亀裂を入れた。

 

「な…!?」

 

 頭部の絡み合ったツタが半分に割れ、中から出てきたのは————————男の顔だった。

 その事実にラフタリアは驚愕する。植物に侵食されてはいるが、それは紛れもなく人間だった。男は気管に物を詰めたような荒い呼吸を繰り返し、意識はないのか眼球はあらぬ方向を向いている。

 ラフタリアは醜く変わった男の顔に、見覚えがあった。

 

(この人は確か、フィーロが助けた冒険者の人…!)

 

 男は植物の魔物へとレベリングをしに向かった冒険者の一人だった。フィーロが助けたとき大して症状も出ていなかったから、村人たちが適当なテントで休ませていたはずだが、まさか寄生されていたとは。

 ラフタリアは先ほどの手ごたえや流れる血の違和感の正体を突き止めた。これは植物に寄生された者の末路なのだと。

 目の前の魔物はゆらりと手を挙げると、男の頭を叩き割った。

 

「…!」

 

 理解を超えた所業に、ラフタリアは行動に移すことなく静かに注視する。

 化け物は警戒するラフタリアを気にする様子も無く、男の頭を、顔面を、あらん限りの力で殴り続けた。何度も、何度も何度も——————何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。

 

 人では認知すらしたくないような狂行を、化け物は当然のように行った。血をまき散らしながら殴り続け、そうして男の顔がずぶずぶに潰されたのを確認すると、割れた額に指を突っ込んだ。

 

 ——————ブヂヂ…!

 

 魔物は男の顔を、一切の容赦なく引き裂いた。雑多に捨てられた男の肉片から、べちゃりと悍ましい音がなる。背筋が凍るような化け物の一連の行為を見ていた私は、咽頭を撫でられるような気持ち悪さを覚えた。

 目の前の生物はもはや気味が悪いでは収まらない。これは存在してはならない邪悪だ。悪魔が腐肉を啜って這いずってきた、醜い化け物だ。

 

 かつて、これほどの嫌悪感を感じたことはない。

 これほど命を冒涜し、嘲笑する化け物は見たことがない。

 想像を超える怪物は、いずれ出会うかもしれないと思っていた。

 しかし、このような形で想像を超えられるとは思いもしなかった。

 

 思考の最中、男の顔のあった場所から、一つの蕾が蛹から羽化するように現れる。

 純白の、潔癖を表す白色の花弁は、男の肉片がこびり付き、むわりとした蒸気を放っていた。

 

 ———————風に乗ってくる甘い臭い。

 

 蕾から漂う臭いに、ラフタリアは顔を顰める。

 この蕾の香りは甘く誘われる匂いだが、それ以上に劇毒のような気持悪い腐臭を放っていた。まるで漂う蛾を食い殺すような、どす黒い悪意を含んだ香りだ。

 

 何から何まで、悪心を抱かせる化け物に戦慄を覚えるラフタリア。そんな彼女に優しく微笑むように—————男の血に塗れた蕾は、ゆっくりとその花を咲かせた。

 


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