時空管理局には執務官という役職がある。
事件の捜査権と局員への指揮、指示権。管理世界における管理局法の執行権限──つまり一時的ではあるが現地法よりも管理局法を優先させる権限や、担当案件に関係する管理外世界への介入権など、極めて強力な権限を持つ。
高い権限にふさわしく、求められる能力も並大抵ではない。多種多様な世界の法知識や文化への知見は前提だが、重視されるのは確実に事件を解決する戦闘能力、もしくは指揮能力だ。
複数の世界に関わる事件においては、通常の権限に縛られた捜査官だけでは適切な判断を下せないがゆえに生まれた存在。
それは管理局が築き上げた過去の実績と現在の信用と未来の期待を象徴する、管理局随一の花形部門だ。
要するに今この場に現れた少年、クロノ・ハラオウンはこの場にいる誰よりも優秀で強い。
ウィルがクロノに声をかけた時、フェイトは魔法を行使し始めていた。不意をつくつもりだろうが、クロノはウィルの方を向きながらもフェイトへの注意も怠っていなかった。フェイトの動きに呼応するように魔法を紡ぐ。
そんな二人を見ながらウィルはアルフに告げる。
「管理局が来たから、約束通り休戦はここでおしまい。早くフェイトを連れて去った方が良いよ」
「見逃すつもりかい?」
すでに戦うつもりだったアルフは、ウィルの態度に拍子抜けする。
ウィルはハイロゥを起動。同時にバリアジャケットを身に纏いながら、その言葉に苦笑を返す。
「ここで取り押さえようとすると、なのはちゃんが反対して絶対にややこしいことになる。俺にはわかる」
「ああ……うん、そうだろうね」
意図的に執務官の妨害をしたとなれば、本来なら民間協力者として称賛を受けるべきなのはの立場も一気に反転する。そんな事態は避けなければならない。
「だからジュエルシードだけで我慢しておくよ。もしフェイトの母親のことで気が変わったらいつでも連絡してくれ」
「だからそれは……わかったよ、覚えとく」
フェイトがクロノへと放った魔力弾はシールドで容易に防がれる。
しかし魔力弾は牽制にすぎず、真の狙いはその隙にジュエルシードを回収すること。
クロノはフェイトの一連の動作にまるで動じず、冷静さを保ったままデバイスの先端をフェイトに向ける。
『Stinger ray』
たった一発の魔力弾が放たれた。誘導性もない直射弾でありながら吸い込まれるようにフェイトの元へと向かい、展開したシールドをこともなげに貫通して直撃。
スティンガーレイは威力は控えめだが速度と貫通力に優れた魔法だ。クロノのそれはウィルと比べてはるかに強力で、生半なシールドでは止めることすらできない。
フェイトが体勢を立て直して再度ジュエルシードを目指そうとする頃には、クロノはフェイトを捕縛するための魔法の構築を終えていたのだが、
「ちょっと待って! わたしたち、別に戦おうとしてたわけじゃ……ええと……戦おうとは思ってたんだけど、それは別に本気の勝負ってわけじゃなくて──」
射線上に身を躍らせたなのはの姿に一瞬の躊躇。
その間にフェイトがジュエルシードに向かおうとするも、その横をハイロゥによって加速したウィルが駆け抜けて一足先にジュエルシードを確保した。
彼の移動によって発生した衝撃波が臨海公園の木々の葉を吹き飛ばし、すぐそばを通られたフェイトもその影響を受けて姿勢を崩す。が、それを後から来たアルフが空中で掴んだ。
「フェイト! ここは引くよ!」
言うやいなや海面に拳を叩きつけ、数メートルにも及ぶ水柱を上げて視界を遮断する。
水柱が消えた時、彼女たちの姿は結界内のどこにもなかった。
「久しぶり。アースラが来てくれるなんて、ありがたいな」
ウィルは挨拶をしながらクロノに近寄り、ジュエルシードを手渡す。
「アースラからでは彼女たちと敵対していないように見えたが、事情を説明してくれるか」
「金髪の少女はジュエルシードを無断で回収している。一緒にいたのは彼女の使い魔。管理局法を犯していることはわかっていたが、ジュエルシードの危険性とそれに対する戦力の薄さを鑑みて、最優先事項は回収と判断し管理局が来るまでという期限付きで協力していた」
次に、海上のなのはを指さす。
「そこの女の子は偶発的な事故でこの事件に巻き込まれた現地の子だ。本人の強い意思もあって民間協力者としてジュエルシードの回収に協力してもらっていた。まだ魔法を知ってから一月程度で、次元世界に関する知識もほとんどない。説明する時にはそれを考慮にいれてくれると助かる」
必要最低限なことだけを伝える。クロノは少し思案したようだが、ここで話をしても時間の無駄だと判断したのか、質問をせずにうなずいた。
「わかった。それ以上は艦長への報告の時に聞こう」
少し離れたところからこちらを見ているなのはとユーノに、クロノが呼びかける。
「突然で申し訳ないが事件の詳細を把握したい。今から僕たちの船に来てもらいたいのだけれど、構わないだろうか」
なのははきょろきょろと回りを見回す。
「わかりました……でも、船ってどこにあるんですか?」
「船はこの世界のそばの次元空間にとどまっている。行き来には転送装置を使うので僕のそばに集まってほしい」
なのはたちがこちらに近づいてくるその段になって、クロノはようやく笑みという私的な表情をのぞかせ、ウィルにだけ聞こえるようにつぶやく。
「遅れてすまない」
なのはたちがそばに来ると、クロノは再び執務官としての仮面をかぶり、右手を上げた。
周囲に魔法陣が展開され、数秒後にはウィルたちの姿はこの世界から完全に消えた。
視界が切り替わると、巨大な部屋の中にいた。高さだけでも十メートルはあり、確とした照明もないのに、部屋全体が薄い光に包まれて明るく照らされている。空気自体が淡く発光しているようだ。
部屋の中心には大型転送をおこなうための魔法陣が強い光を放ち、ウィルたちはその手前に設置された足場に現れた。正面には道が続いており、その先にはこれまた数メートルはあろうかという巨大な扉があるが、いかんせん部屋が巨大すぎる上に扉まで距離があるせいで相対的に小さく感じられる。
「ねえ、ユーノ君、ここ……どこ?」
なのはが見慣れない光景に委縮し、不安そうに尋ねる。
「時空管理局の次元空間航行艦船の中だと思う。僕も管理局の船には乗ったことはないから、はっきりとはわからないんだけど」
歩き始めようとしていたクロノが足を止め、ユーノを見る。
「その小動物はきみの使い魔か?」
その言葉に、ウィルが思い出したというようにポンと手を打つ。
「そう言えばユーノ君を紹介するのを忘れていたな」
「またですか……」ユーノ、しょんぼり。
「俺も悪気があったわけじゃない、許してやってくれないか」
「それは本人がいけしゃあしゃあと言うことじゃないですよね」
ユーノはなのはの肩から飛び降りると、人間の姿に戻る。そして挨拶をしようとするが、クロノはそれを押しとどめた。
「なるほど。きみがユーノ・スクライアか」
「僕のことを知っているんですか?」
「当然だ。ジュエルシードの発掘者で、先行調査のために第九十七管理外世界への渡航許可をとっていたきみを、ジュエルシードの回収のために来た僕たちが知らないわけがない。きみにも聞きたいことはあるが、話は艦長の前でしよう。
その前に、三人とも──次元空間航行艦船アースラへようこそ。歓迎するよ」
歩き始めたクロノの後に付いて、三人も歩きだす。
転送室を出てすぐに振り返ると、扉の近くには複数の言語で転送室という文字が浮かんでいた。
寄港する場合を除けば、船自体が次元世界内に姿を現すことは実はほとんどない。たいていは次元世界の外に広がる次元空間で待機しつつ、先ほどの部屋にあるような転送装置を利用して魔導師という実働部隊や物資を送り込む。
一度に何十人も転送でき、さらには船に備え付けられている高性能な各種レーダで観測できる場所であれば、ウィルたちが連れて来られたように船へと召喚することもできる。
アースラの通路を歩いている時に、クロノが何かに気付いたように振り返る。
「いつまでもその姿というのも窮屈だろう。バリアジャケットとデバイスは解除してもかまわない」
なのはは今になって気付いたようで、慌てて解除する。それを確認すると、クロノは再び歩き始めた。なのはがその背中に声をかける。
「クロノ君は解除しないんですか?」
「クロノ君……?」
クロノはその呼び方に少しだけ眉をひそめるも、すぐに平静を取り戻し。
「僕はまだ任務中だ。艦内とはいえ、気を抜くわけにはいかない」
顔だけで振り返って答え、その言葉通りに両方とも解除せずに、再び歩きだした。敵でない可能性が高いとはいえ、事情を聞くまでは完全に警戒を解くつもりはないという姿勢の表れだ。なのはたちは委縮してしまい、しばらく無言で通路を歩く。
そんな中、ウィルがなのはたちに耳うちする。
「なんて言ってるけど、本当はあのバリアジャケットを気に入ってるんだよ。自分で考えたんだよあのデザイン。ほら、肩のあたりにトゲあるでしょ? あの光沢とか角度を決めるために、何日も悩んでたんだ。俺も当時巻き込まれてさ」
「いらないことは言わなくていい」
先ほど現れたばかりのクロノと普通に会話しているウィルに疑問をもったのか、ユーノが質問する。
「二人はお知り合いなんですか?」
「士官学校の同期で、それ以来のつきあいだ」
「ウィルさんと同期……あの、クロノ君って何才なのかな?」
「十四才だ」とクロノが、「同い年」と続けてウィルが言う。
二人とも声をあげて驚く。クロノは童顔な上に背丈もなのはより少し高い程度。
ウィルの背丈は百七十センチメートルを越えていて、鍛えている分体格も良い。
背だけでも頭一つ分以上異なる二人が並んでいると、とても同年代には見えない。
「あ……私、何か怒らせることをしちゃったのかな」
不安そうにクロノの様子をうかがうなのはに、ウィルは笑いながら答える。
「気にしなくても良いよ。ただ、身長が低くて子供だと思われるのを気にしているだけだから」
「そんなことはない!」
クロノは振り返りながら強い口調で否定する。が、ムキになって否定したことに顔を赤くさせると、また前を向いてずんずんと歩き始めた。
その大人げない様子が緊張をほぐしたのか、先ほどよりも若干生ぬるい雰囲気で一行は艦長室へと歩んで行った。
「艦長、来てもらいました」
クロノに続いて足を踏み入れた部屋の内部は、なんとも説明しがたい様相になっていた。
執務机があるはずの場所には畳が敷かれ、屋内だというのに野だての用の和傘がその横に置かれていた。壁にはいくつもの盆栽が並び、掛け軸がかかり、極めつけにししおどしが部屋の隅に置かれていた。
畳の上では茶釜が風炉にかけられており、その奥に管理局の制服に身を包んだ見目麗しい女性が座っていた。彼女は豊満な胸の前で両手をあわせると、帰って来た家族を迎え入れるように満面の笑みをうかべる。
「はじめまして、わたしがこの艦の艦長。リンディ・ハラオウンです。みなさんお疲れ様。どうぞ楽にしてね」
アースラの艦長にしてクロノの母親でもあるこの女性は、まだ二十代半ばにしか見えないが、実年齢はそれより十は上だ。実は成長や老化が極度に遅い種族で、クロノの身長が伸び悩んでいるのもそのせいではなかろうかとウィルは勝手に疑っている。
絶えない笑顔は一種のポーカーフェイスの役を果たしており、何を考えているのかを読み取るのは困難だ。
クロノがリンディの横に座り、ウィルたちはその対面に座る。
リンディ自らが点てた茶をご馳走になりながら、ウィルたちはこれまでの経緯を最後まで話し終えた。
「三人とも立派だわ」
称賛するリンディとは対照的に、クロノは渋面を作っている。
「だが、同時に無謀でもある。特にウィルとユーノ、きみたちは一人で来るべきではなかった」
「お叱りはあまんじて受けるよ。でも、今回ばかりはその判断が功を奏しただろ?」
「たしかに封印できる者が誰もいなければ、被害の規模は現状の比ではなかった。その点ではきみたちの行動は称賛されてしかるべきだ──が、その行為が法にふれていることも事実だ。ウィルはロストロギアの輸送任務中で、輸送物に対して責任を持つ立場だったことを考慮すれば、許可なしに管理外世界へ介入したことも緊急的な措置だったと認められる。だが、管理外世界の住民に管理世界のことを教えたのは別の問題だ。さらにユーノ、きみが犯した管理世界の技術譲渡という罪は重い。デバイス一つとはいえ最低でも数年の懲役刑になるくらいだ」
クロノの発言になのはが抗議の声をあげるが、ユーノは首を横に振ってそれを抑える。法を知らなかったわけではない。知った上で法を犯した。それが善意からであれ、悪意からであれ、その事実は変わらない。
それになにより──
「覚悟はしています。それに僕は……僕の思慮が足りなかったせいで、無関係ななのはをこんな危険なことに巻き込んでしまいました。それに対する罰も加えればまだ軽いくらいです」
「ユーノ君……」
「本当に、立派ね」
なのはが言葉につまり、リンディが慈しむように言う。
ウィルはユーノの背中を軽く叩く。
「大丈夫、管理局は加点主義だ。事件解決への貢献と相殺しあって最終的にはそれほど重い罰にはならないと思うよ。なぁ、クロノ?」
「その通りだ」クロノもまた、優しげな笑みを浮かべる。 「脅すようなことを言ってすまない。状況を考えれば、きみのとった行動のほとんどには緊急避難が適応される。それにウィルの言う通りきみの行動は結果的にこの世界に対する被害を大幅に減少させた。足りない分があっても、きみのように優秀な魔導師であれば奉仕時間の方で大幅に贖うこともできる。無罪は無理でも懲役にまではなることはない」
なのはがユーノの手をとって喜ぶ。ユーノはこの世界の人々のことを考えて、善意から行動したのだ。それが裁かれるなんて、なのはには信じられない。
しかしユーノは安心したような表情と同時に、何か納得のいかないような複雑な表情をうかべている。
その気持ちがウィルには少し理解できた。罪を覚悟していたユーノにとっては、罰が軽くなったこと自体は喜ぶべきことだが、本当にこれで良いのかと思ってしまう気持ちもあるのだろう。
どのような事情があれ、罪は罪としてきちんと裁かれるべきではないのか──と。
「一旦休憩しましょうか」
リンディの言葉に合わせるように、茶釜から湯気が出る。リンディは新たにお茶を入れ、そしてどこからか羊羹をとりだした。彼女の手製らしいそれは妙に甘かったが、苦い茶とよく合っていて、思わずにやけてしまうほどの出来だった。
しかし、リンディが突然茶に砂糖を溶かしだし、甘い羊羹と甘い茶という組み合わせをおこない始めると、その胸やけしそうな光景にみな揃って視線を外した。
リンディは羊羹を口に含むと、残念そうにため息をつく。
「少し薄味だったかしら?」
一服が終わると、リンディは色を正して三人の方を向き、つられるようにウィルたちも思わず襟を正す。
「これからのことを話す前に、ジュエルシードについて、こちらでわかっていることを伝えておきましょう」
説明の序盤は既知の情報ばかりで、おさらいのようなものだった。
ジュエルシードは次元干渉型の結晶体で、生物の思念や魔力に反応して活性化する。その結果、内部に次元空間に繋がるゲートを作り出し、そこから得た魔力を周囲へと放出する。これが基本的な性質だ。
さらに生物の思念に反応した場合は放出されるはずの魔力がその思念を実現するように働く──願いを叶えようとする。
魔力に反応した場合は、ただ無差別に周囲に魔力を放出する。その場合、加えられた魔力の量によって、活性化のレベルも変化する。数日前のビル街では、AAAランクの魔力量をもつ魔導師二人に反応したため、非常に大きな魔力が放出された。
その空間をゆがめるほどの魔力の波動は、次元世界では次元震と呼ばれている。
「私たちが今になって介入したのは、その時の次元震を観測したからなの。その凄まじさは、現場にいたあなたたちが一番よく知っているわね?」
「次元震ってなんですか?」
なのはの疑問にクロノが答える。
「一定以上の規模を持つ巨大な魔力波につけられる名前だ。魔力素の振動、そしてそれを媒介として伝わる魔力波は、音波や電波に比べて波の減衰率が非情に低い。空間を移動する転移魔法や、次元世界間を移動する次元転移魔法が存在することからもわかるように、魔力素は重力子のように空間や次元の制約を受けにくい。だから、大規模な魔力波──次元震は、次元空間を介して近隣世界にも被害を与えるんだ。魔力素の大規模な変化は天候や地殻にも大きな影響を与えるから、次元震の周囲では空は暴風が吹き、海は荒れ、地は揺れ動く。次元震の影響下では座標が安定しないから転送魔法で外部から救助することもできない──」
「あの……クロノさん。なのはの頭がオーバーヒートしそうなんで、もう少し簡単に……」
ユーノの懇願に、クロノは困った顔をする。
「ひとまず、次元震は文明を滅ぼしかねない恐ろしい災害だと思ってくれれば良い。そしてきみたちが体験した次元震は、ジュエルシードの何万分の一かの力が解放されただけにすぎない」
「あれで万分の一!?」
思いもかけない言葉に、ウィルの声が思わず裏返った。
最悪の展開として街が消える程度の被害は想像していたが、それはまだ楽観的だった。あれで万分の一なら、たった一個でも完全に発動すれば日本は間違いなく滅ぶだろう。ましてや二十一個全てが揃えばその被害は地球だけでおさまる規模ではない。
その考えを読み取ったかのように、リンディは話を続ける。
「輸送前に採られたデータを古代遺物管理部で解析した結果、いくつか判明したことがあるのよ。あなたたちが今まで経験してきたのは、ジュエルシードを使用するための準備段階にすぎなくて、本来は複数個で使用することを前提に作られているみたい。活性化したジュエルシードを互いに干渉させ合い、それによって発生するエネルギーによってさらに強く活性化させる。そしてそれらをまた干渉させて──それを繰り返すことで徐々に活性化の段階を上げていく。やがて完全に解放されたジュエルシードのエネルギーは空間に干渉して、次元世界規模で大規模な変革をひき起こす。それがどれだけの規模になるのかはわからないし、そんなことをして破壊以外の結果が生まれるのかもわからない。でも、まず間違いなく大規模な次元震が発生……もしかしたら、次元断層を発生させてしまうかもしれないわ」
ウィルとユーノが絶句する。二人の脳裏に浮かんだのは百二十二無人世界──二人が一月前までいた、砂のみ世界だ。あの世界は五百年前──旧暦四百六十二年に発生した次元断層によって滅びたことが、調査によって判明している。もしかすると、このジュエルシードこそがあの世界を滅ぼした元凶なのかもしれない。
ほんの少し何かを間違えただけで、地球があの世界のようになっていたのかもしれない。自分たちが気づかぬうちに薄氷の上を歩いていたことを知り、ウィルとユーノはぞっとした。
一方、そんな二人の心中を知らぬなのはは、首をかしげながらクロノに問う。
「次元断層?」
「あまりにも大きすぎる次元震によって生みだされる、空間の亀裂のことだ。次元断層は正常な空間が膨大なエネルギーで無理やり引き裂かれたものだから、元の正常な状態に戻ろうとして再び動きだすんだ。そのためにまた空間を動かすわけだから、それにともなって次元震が発生してしまう。でも、断裂は大きいからそう簡単には直らない。そのせいで、次元断層のそばの世界は、完全に閉じるまでの数十年から百年の間、ずっと大規模な次元震にさらされ続けることになる」
相変わらず小難しい説明だったが、なのははなんとか理解したようだった。
ウィルは説明を聞きながら、後悔していた。それほどまでに危険な代物なら、一個でもフェイトに渡すべきではなく、なのはたちの不興をかってでも彼女たちから奪っておくべきだった。
リンディの言葉は単に危険性を示しているだけではない。フェイトがジュエルシードを複数個集めていること、そして現在五個所有していることを考えると、それが実際に起こる──今すぐにでも起こされる可能性は十分にある。
もちろん五個集めたのにフェイトが叱られていたというアルフの話を聞く限り、今すぐ作動させる可能性は少ないはずだが。
リンディが真剣な表情で、再び話し始める。
「そんな事態は、絶対に防がないといけないわ。でも、今の話は推測にすぎなくて詳しいことはまだわからないのよ。だから、あなたたちが持つジュエルシードをアースラで預かって解析したいのだけど良いかしら?」
そんなことを聞いた後で断るわけもなく、十個のジュエルシードはそのままアースラに預けられることになった。
「では、これよりジュエルシードの回収は、時空管理局が責任をもって遂行します。なのはさんとユーノ君は、今まで良く頑張ってくれたわ。後は私たちに任せてちょうだい」
なのはは思わず身を乗り出す。
「あの、このまま手伝っちゃだめですか?」
「これは時空管理局が起こした事件だ。これ以上民間人を巻き込むわけにはいかない」
クロノがあっさりと斬って捨てた。
「でも……」
「急に言われても気持ちの整理もつかないでしょうから、今日は帰ってからゆっくり考えてみて。できれば、ご家族ときちんと話し合った方が良いわ。……そうね、今回のことでなのはさんのご両親にはいろいろと説明しなきゃいけないし、できれば明日にでもご両親とお話ししましょうか」
どうせなら高町家にだけでなく、他の関係者──すなわち月村家とはやてもまとめて、一度に説明する方が楽だ。ということで、ウィルには両家&はやてと相談して、会談の時間と場所を決める任務が与えられた。
「ウィル君はできる限り早く報告書を提出してちょうだい。それと、あなたの立場はアースラに保護されたという形になるのだけど、解決するまでの間はいろいろと協力してもらいたいの。立場上、あまり積極的に活動してもらうわけにはいかないけれど、かまわないかしら」
「もちろんです。報告書はすでに完成していますから、今日の分を書き足せばすぐにでも提出できますよ。デバイスが壊れているので、アースラで修理をお願いしたいのですが、その許可をいただけますか」
「了承。申請書は後日で構わないわ」
「なのはちゃん、ユーノ君、ささっと報告書を書きなおすから、少し待っててくれるかな。クロノ、その間にアースラの中を案内してあげたらどうかな。ついでに俺のデバイスを修理に出してくれたりするとと助かるよ」
ウィルは腕輪状態のF4Wをはずして、クロノに投げ渡す。受け取ったクロノは苦笑。
「執務官になってから、使いっぱしりにさせられたのは初めてだよ」
三人が出て行った後、リンディと二人きりの艦長室で、報告書を書き続けながら、話をする。
「リンディさんやクロノが来てくれたのなら、もう事件も解決したようなものですね。俺にとっては、他のどんな部隊が来るよりも心強いです」
「あらあら、照れるわね」
ハラオウンは数代にわたって提督を輩出し続けている、管理局の名家だ。百年にわたり築き上げたコネクションは管理局内に留まらない程に広く、次元世界で最大規模の宗教組織『聖王教会』にもコネクションがあるという噂もある。
そんなハラオウンも、十年前にクライド・ハラオウン提督──クロノの父親が死亡したことで一時期はその勢力を減じていた。
それでもいまだに大きな影響力を維持しているのは、クライドの伴侶であるリンディが自ら提督として活躍を続けていること。そして、これまた海の名家であるロウランをはじめとする大勢の有力者と良好な関係を築いていることが大きい。
「それに、アースラ以外が来ていたら、俺は捜査から完全にシャットアウトされてたかもしれません。俺は海にとっては憎たらしい人の養子ですし。ここまで首をつっこんだ事件に最後まで関われないのは、やっぱり嫌ですから」
「なのはさんもそういう気持ちなんでしょうね」
「責任感が強い子ですからね。彼女の家族もそういうことに理解のある人ですから、彼女が強く望むのなら許可すると思いますよ」
リンディは、その時初めて困ったような顔を見せる。
「本来なら倫理的な面でお断りするのだけど、彼女の高い魔力はジュエルシードの封印にとっては非常に有効なのよね。強い意思があるのなら、お断りして勝手に動かれるよりは、こちらの指揮下で行動してもらった方が安全かもしれないわ」
「なら、なのはちゃんもアースラで生活することになりますか」
「あくまでもなのはさんが望めば、ね。そうそう、家族と言えば、ゲイズ少将が心配してらしたわよ。私たちが担当に決まった時に、わざわざ連絡してきたくらい」
「親父が?」
リンディは何かを思い出したのか、クスクスと笑いながら話す。
「ええ。息子のことをお願いしますって。おかげでレジアス・ゲイズに頭を下げさせた女って本局で噂になっちゃった♪」
「なっちゃったって……ははは……親子ともどもご迷惑をおかけします」
ウィルの養父、レジアス・ゲイズ少将は、ミッドチルダ地上本部でも有数の本局嫌いとして有名な人物だ。
彼と海の関係は最悪に近い。レジアスは海がたびたび優秀な人材を陸から引き抜いていくこと、陸海間の予算不均等に血管が破裂せんばかりに怒っており、公の場でも歯に衣着せずに海を批判する。
そんな人物が海側の人間に頭を下げたとなれば、良くも悪くも話題になる。
「子供の頃は何も考えてませんでしたけど、よく考えたら俺がリンディさんやクロノによくしてもらってるのって結構まずいですよね」
「今はまだ、そんなことは気にしなくて良いのよ。だいたい、同じ組織なのにいがみあってる現状の方がおかしいんだから。なにより、私はあの子に気の置けない友達がいることが、とても嬉しいの」
「子供としてはそうやって大人の優しさに甘えるのってなんだか抵抗感あります」
「親としては甘えられた方が嬉しいわ。たとえ他所の子でもね」
リンディの暖かな視線が少し恥ずかしく、ウィルは思わず顔をそむけた。
三人が転送装置で臨海公園に送り届けられた頃には、すでに日は暮れていた。戻って来た翠屋には、士朗と桃子だけではなく、恭也と美由希も集まっており、帰りが遅れるなら連絡くらい入れろと三人とも怒られた。
しかしこれ幸いと全員に事情を説明し、電話を借りて月村家にも事情を伝えて日程を決める。その結果、会談は明日の午後から月村邸でおこなうことになった。その旨を下船する時に受け取った通信機でアースラに伝え終えると、ウィルは翠屋に待たせていたはやてと一緒に八神家に帰る。
今日で一旦お別れだというのに、その帰り道はなんの変哲もない、いつも通りの帰り道だった。
ただ、
「これからどないするの?」
「この事件が解決するまでは艦の方で待機することになる。管理局が来たからにはもう安心だよ」
「ん、わかった。……ジュエルシードを集めたら、帰ってしまうんやね」
「そうだね」
「そんで、もう来れへんの?」
「多分ね」
「……そっか」
そんな短い会話が加わっただけ。
家に着いて、遅めの夕食を食べる。その日の夕食は、いつもよりほんの少し豪勢だった。
部屋に戻り、荷物をまとめる。もともと身一つでこの家に厄介になったのだから、せいぜい衣類と歯ブラシくらい。寝るまでの時間をたっぷり使って、部屋の掃除をおこなった。この家から自分の痕跡を消すように。
翌日の月村邸での会談には、まだ子供のすずかを除いて両家の関係者全員が集合した。
アースラ側は、クロノが武装局員と共にジュエルシードの捜索に乗り出しているため、リンディが一人で訪れた。
なのはとユーノはこれ以上は事件に関わらないことになった。
なのはが手を引いたことは、ウィルにとっては意外だった。すっぱりと諦めたわけではなく、何かに悩んでいるように感じられたので、注意しておこうと心に刻む。
ユーノは事件解決まで高町家に残留することになり、意外にも恭也がそのことをとても喜んでいた。一つ屋根の下で暮らしているうちに男同士で仲良くなったようで、恭也曰く「弟ができたようで楽しい」そうだ。
ジュエルシードによってこの街が負った被害の補填、管理世界のことを知った両家に対する事件解決後の対応など、問題はとうてい一日の会談だけでは終わらないほどに山積みだ。
よって、そういった政治的な話は事件が解決した後に時間をかけて決定することになり、
会談が終わると、ウィルはそのままアースラに向かった。
会談後、はやては士朗に車で送ってもらって帰宅する。
士朗たちに夕食に誘われたが、断った。ウィルが来てからは食材を二人分買っていたので、はやて一人では食べきれない程の食材が冷蔵庫の中に残っている。傷む前になんとかして使いきらなければ──と言うのは口実にすぎず、なんとなくそんな気分ではなかっただけだ。
家に帰って夕食を作ろうとするが、どうにもやる気がでない。集中できない。別段何かを考えているわけではないのに、時折ぼうっとしてしまう。
なんだか夢を見ているみたいだ。いや、この一月が夢だったのかもしれない。
料理にもそんな気持ちが反映してしまう。
「あかん、煮崩れしとる」
食べるのが自分だけで良かったと考えながら、棚から食器を出そうとして、いつものようにウィルの食器を一緒に取り出してしまう。どれだけうっかりしているのかと、自分に苦笑しながらウィルの分だけをしまっていく。
食器棚の中には、以前よりも少し増えた食器が並んでいる。ウィルがこの家にいたことを示す、数少ない痕跡だ。
彼がこの家に来てから変わったことはいくつかある。
一月前までは自由に使っていたソファーは、彼が来てから自然と位置が決まり、今では何も考えずとも自然と決まった位置に座ってしまうようになった。家事は二人で分担していたので、以前に比べると空き時間が大幅に増えていた。
でも、そんな目に見えない変化は、一人の生活に戻ればどんどん消えていくだろう。
残った物といえば食器くらい。これがなくなれば、この家に彼を連想させるものはなくなってしまう。夢のようだった一月が、本当の夢になってしまうかもしれない。
いっそ、捨ててしまうのも良いかもしれない。
見るたびに、思い出して泣きそうになるくらいなら。
楽しかったこの一月と、これからを比べてしまうくらいなら。
ほうとため息をつく。
「この家も、また広うなるなぁ」