なのはたちはアルフに先導されて、ただひたすらにフェイトの部屋を目指していた。
クロノや武装隊が傀儡兵を相手どって戦っている最中も、こちらの道中は至って平和。誰一人どころか、何一つ出くわさない。困難といえば、次元震のせいで足元が軽く揺れ続けているせいで歩きにくい程度だ。
ただ、時の庭園の不気味な装いも相まって、心休まることもなかった。むしろ何も起こらないことがかえって気味悪く、言い知れぬ不安が一行を包み込んでいた。
それが現実となったのは、アルフが「もう少しで着くよ」と言ってまもなくのことだった。
階段を昇り終えた先には、幅の広い通路が広がっていた。先を照らす灯は少なく、通路の先は闇に包まれていて先が見えない。
ぽっかりと口を開けた闇の向こうから、こつん、こつんと、ゆっくりとではあるが、たしかに足音が聞こえてくる。
護衛につけられた男女二人組の武装隊員が、なのはたちをかばうようにすぐさま前に出てデバイスを構えた。
足音の正体はすぐにわかった。薄暗い通路においても輝いて見える、流れるような金色の髪。なのはたちの目的であるフェイトその人。
少し眠った程度ではたいして回復していないようで、壁に手をつき視線は床に落ちて、一歩ずつ踏みしめるようにして歩みを進めていた。
「フェイト!」
アルフが声を張り上げてまっさきに駆けだし、なのはたちもその後を慌てて追いかける。
どたばたとした足音にようやくフェイトは顔をあげ、自分の使い魔の姿を目にした。
「アルフ?」
アルフはフェイトに抱きついた。いつものように激しく、それでいて気づかうように優しい抱擁に、疲労が濃く残るフェイトの顔も思わずほろこぶ。
「体は大丈夫かい? どこか痛いところはない?」
「大丈夫、寝たおかげで少し回復したから。心配してくれてありがとう。目が覚めたらいなかったから私も心配したんだよ」
「ごめんね、ずっとそばにいなくて。ちょっと事情があったのさ。絶対、絶対にフェイトを見捨てたわけじゃないからね!」
「わかってるよ。アルフはそんなことしないってことくらい。ところで……その事情って管理局の人と一緒にいることと関係あるの?」
アルフの視線はずっとフェイトのみに向けられていたが、フェイトの視線は最初からアルフだけではなく、そのさらに後ろ──なのはとユーノ、そして二人の武装隊員に向けられていた。
フェイトの声には使い魔に対する親愛と同時に、感情を殺した詰問が同居していて、アルフは叱られた子犬のようにびくりと震える。
「どういう状況なの? 母さんは?」
答えに迷うアルフへとさらに重ねられる問い。
口ごもるアルフに代わって答えたのは、武装隊の隊員の男の方。
「私たちはフェイトさんを保護するために来ました。お気づきかもしれませんが、活性化したジュエルシードによって時の庭園を中心に次元震が発生しています。ひとまず私たちについてきていただけますか。あなたのお母さんの方にも仲間が向かっています。心配なさらずともじきに
嘘ではない。ただしその保護は逮捕という名をしている。
フェイトはゆっくりと首を横に振った。
「ありがとうございます。でも、まずは母さんに会いに行かないと。行こう、アルフ」
そう言って、フェイトは歩き始める。敵であった管理局の言葉を、そのまま素直に受けとりはしない。プレシア自身から事情を聞き、プレシア自身に何をすれば良いのかを教えてもらう。そのためにフェイトは武装隊の提案を拒否した。
目的を見つけた足取りは、先ほどとは異なりしっかりとしたものだった。
「二人ともできるだけ下がって、通路の端でじっとしていてください」
男はなのはとユーノに指示すると、フェイトの行く手を阻むように立ちはだかった。
「申し訳ありませんが、それは看過できません。この次元震はプレシア・テスタロッサが意図的に起こしたものです。今の彼女は何をするかわかりません。我々と一緒に、避難を」
「ありがとうございます。でも、それならなおさら母さんの手助けをしないと」
なお進もうとするフェイトに、アルフが追いすがる。
「ここはひとまず一緒に避難しようよ。気を失う前のことを覚えているだろ。プレシアは……あの女はフェイトを巻き込んで魔法を撃ったんだよ。そんなやつのことを心配する必要なんてないよ」
「母さんは、それでも私ならできるって信じてくれていたんだよ。だから期待にこたえられなかった私がいけないんだ。嫌ならついて来てくれなくてもいいよ。アルフも疲れているみたいだし、休んでいて。私だけで行くから」
それが当然と言う顔で、フェイトはアルフの横を通り立ちはばかる武装隊の方へと歩を進める。
武装隊の二人はデバイスを構える。すでに臨戦態勢。フェイトがおかしな動きをとれば、その瞬間にも戦いは始まる。
「今は私たちと一緒に来てくれないかな?」
武装隊員の女の方が説得の言葉をかけるが、フェイトの歩みは止まらない。
「彼女の言うとおり、どうしても進むのなら少々強引な手段をとらざるをえません」
フェイトの体を案じているからだけではない。このまま行かせてフェイトがプレシアに会ったなら、彼女は再び管理局の敵となる。プレシアと武装隊が戦っていればプレシアを助ける──そうフェイトは言った。それは彼らの仲間を、武装隊を傷つけるということ。
男のデバイスに青い魔力光が灯る。女がデバイスを薙刀のように構える。
フェイトはバリアジャケットを纏う。バルディッシュが変形し、鎌をかたどった。黒い衣装は背景の暗さに溶け込み、金の髪と白い肌、そして赤い目だけが浮き上がって見える。此岸と彼岸の狭間に漂う幽鬼や死神めいた姿。
フェイトの後ろからアルフが、武装隊の後ろからなのはが何かを叫ぶ。しかし、言葉には戦いに臨む三人を止めるだけの力はなかった。
『Photon lancer full-auto fire』
フェイトの周囲に生じる金色の
間断なく、シャワーから撒かれる水のように放出される魔力弾。このような通路で回避するのは至難の技だ。
男も同様に魔力弾を連射。青と金は空中で衝突して相殺し合う。
フェイトは自身の放った魔力弾を追いかけるようにしてその後ろにつく。前の魔力弾が相殺されるとすぐさま別の魔力弾の後ろにつき、青色の雨を避けながら接近する。
対して、武装隊はすぐさま女が前に出て、男が女の前方にシールドを展開してフェイトの魔力弾を防ぐ。
一人で多くのことをしなければならないフェイトと異なり、こちらは二人いるがゆえに単純な行動で対処できる。男はフェイトの魔力弾に、女は向かって来るフェイト自身に集中する。
フェイトはシールドが展開されていない横方向に回り込むと、下段に構えていたバルディッシュで逆袈裟に切り上げる。
女もタイミングを合わせて自身のデバイスをバルディッシュに振り下ろす。
彼女も伊達や酔狂で本局武装隊に配属されたわけではない。本局武装隊のフロントアタッカーの技量はフェイトという天才児に劣るものではない。
激突する二つのデバイス。金属同士がぶつかる時の耳障りな音が通路に反響し、一瞬の火花が二人を照らす。
衝突の結果は、相手の体を狙ったフェイトよりも、最初から相手のデバイス自体を狙った女性隊員の方がやや優勢となった。
女性隊員の方はデバイスが上へとわずかに跳ね上がっただけ。重心はぶれておらず、すぐに次の行動に移ることができる。
フェイトはバランスを崩し、バルディッシュの軌道が下方にそれた。しかし強引に修正しようとはせず、相手の足首を刈るように軌道変更する。
女性隊員は跳び上がって回避し、空振って体勢の崩れたフェイトの背に覆いかぶさるように組み付いて、右腕をねじり上げつつバインドでその身の自由を奪う。
痛みがフェイトの握力を奪い、バルディッシュが手からこぼれ落ちる。女は即座にバルディッシュを蹴り飛ばして手元から引き離す。
デバイスという力を奪い取るのは普通に考えれば悪くはない判断だった。フェイトが我が身を顧みない子だということを考慮にいれなければ。
女性隊員の意識がバルディッシュへと移った一瞬の隙をつき、フェイトは自身を組み伏せる彼女を巻き込んで、高速移動ブリッツアクションを実行。
一秒足らずで亜音速に達する超加速を可能とする高速移動魔法によって、身体そのものを弾丸に、女性隊員の体を盾にして、男性隊員に突撃する。
まともに衝突した武装隊員たちは、水面を跳ねる水切りの石のように通路を跳ね飛ばされていく。一回、二回、三回のあたりでなのはとユーノの前を通過する──四、五、六回。
跳ねた回数は六回。七回目の前に、通路の行き当たりの壁にぶつかって止まった。
フェイトは大きく息を吐いて気を落ちつけると、床に転がるバルディッシュを拾い上げようとし、顔をしかめて動きを止める。腕をねじりあげられていた状態で無理に動いたせいで、右肩が外れて動かせなくなっていた。
痛みに顔を歪めながらも、残った左手でバルディッシュを拾って再び歩き始める。
「待って、フェイト! 管理局と戦っちゃ駄目だよ!」
「今さら何を言ってるの? 最初から管理局は敵だったじゃない」
フェイトは倒れている二人の武装隊から目を離さぬように前を向いたまま、後ろから駆け寄ってきたアルフに応える。
「それは……初めはあたしも、プレシアにも何かちゃんとした理由が──管理局を敵にするだけの理由があると思ってたから。でも、あの女にどんな理由があったって、そのためにフェイトが戦う必要なんてないよ。あいつがいったい何をしてくれた? いつもいつも、ねぎらいの言葉一つなく、ただフェイトを傷つけるだけじゃないか。あれだけひどいことをするくせに、母親らしいことなんて一度もしたことないやつのために!」
「そうだね。でも、そんなことはどうでもいいんだよ」
「嘘だ! あたしはフェイトの使い魔なんだよ! フェイトの気持ちは魔力パスを通じて伝わってくるんだ! フェイトはあいつに酷い目にあわされて、あんなに悲んでたじゃないか! それなのに、どうでもいいはずないだろ!」
「……そうだね。どうでも良くはない、かな。私だって母さんにまた優しくしてほしいし、また抱きしめてほしい。でも、そうじゃないんだよ」
フェイトはほほ笑みを浮かべ、諭すようにアルフに教える。脳裏に浮かぶはの自分の脳に
「アルフは知らないだけ。母さんは、幼い頃に私に笑ってくれた。優しく抱きしめてくれたし、一緒に花の冠を作ってくれた。それだけで良いの。私はその時に母さんを大好きになったから。私は、見返りが欲しいから母さんが好きなわけじゃない。たとえ今、何も与えてくれなくてかまわない。笑いかけてくれなくても、見てくれなくても良い。それは苦しいことだけど、そんなことで母さんを好きだって気持ちは変わらない。好きな人を助けるのは当たり前のことでしょ?」
「そんなの……おかしいよ」
「わかるはずだよ。他の誰にわからなくても、私の使い魔のあなたなら」
その言葉で、アルフはフェイトのプレシアに対する絶大なる愛を、否が応でも理解した。
そしてアルフ自身、プレシアが間違ったことをしているから放っておけとフェイトに言いながら、今まさに誤った道へと進むフェイトを放っておけないでいる。
言葉は力を持たない。フェイトを止めるには、力でもって強引に止めるしかない。力で──拳で、フェイトを殴ってでも止める。今ならできる。フェイトがアルフに背を向けているこの状況なら、不意打ちでフェイトを気絶させるのはあまりに容易い。
「そんなこと、できるわけ……ないじゃないか」
フェイトが前を向いているのは、前方で倒れている武装隊を警戒しているから。
フェイトがアルフに背を向けていられるのは、アルフを全面的に信頼しているから。
アルフが自分を攻撃するなんて、夢にも思っていない。そんな自分を信頼する主人の背中を、いったいどうして襲うことができるのか。
自分ではフェイトを止められないことを理解して、アルフはその場に崩れ落ちる。
四肢に力が入らなくなる。人間を超える頑丈さをもつ使い魔といえども限界はある。治療もそこそこに無理を通してここまでやってきたせいで、アルフの肉体は消耗しきっている。
フェイトのためという目的意識が肉体をカバーしていたが、そのフェイトに断られた今、アルフの身体を支えてくれるものは何もない。
うずくまった姿勢で、視界を上げることもできず、床を濡らしながらアルフは懇願する。
「お願い……行かないでおくれよ。フェイトがいなくなったら、あたし、どうやって……」
フェイトは、背中から聞こえるアルフの痛みを抑えるような声、涙をこらえるような声、そして懇願を聞きながらも、振りかえらずに歩き始めた。
追いすがることもできずに、アルフはその場にうずくまる。
できることはただ祈ることだけ。もう一度、同じように願えば、助けが来てくれるだろうか──藁にもすがる思いで、アルフは泣きながら願う。
「誰か……お願いだから、フェイトを助けてよぉ」
ユーノは、わずか数分の間に凄惨な状況になった通路を見る。
護衛につけてもらった二人は倒れ伏したまま。アルフもフェイト相手に戦えそうな状態ではない。
残っているのは、なのはとユーノだけだ。
フェイトはゆっくりとであるが、こちらに歩いて来ている。プレシアのもとへと向かおうとする彼女の表情には、鬼気迫るものがある。邪魔するのであればなのはとユーノが相手でも容赦はしないだろう。
通路の端まで吹き飛ばされた武装隊の二人の姿を見る。
女の方はバリアジャケットが解けて、管理局の制服姿に戻っている。吹き飛ばされた時にできたのだろう。体のあちこちに一見してはっきりとわかる傷ができている。男も同様だ。
これが戦いか──と戦慄を覚える。鍛えている武装隊でさえ、このありさまだというのに、ろくろく戦いの経験もない自分ではどんなことになるか。
この一月で危険な状況はいくつも味わってきた。特に、海上でのジュエルシードの封印では死を覚悟した。それに比べれば、ここでフェイトに負けても確実に死ぬわけではない分、こちらの方がましとも言える。
だが、負ければこうなるぞ、と。その例を目の前にはっきりと見せられて冷静に判断できるほど死線をくぐった経験もない。
──戦わずにこのままじっとしていたい
ユーノは、自分の顔と心に巣くう臆病を両手の掌で叩く。
ぱちん、とかわいた良い音がして、それに驚いてなのはとフェイトがユーノを見る。
二人の注目を浴びながら、ユーノは通路の真ん中に歩を進めてフェイトの前に立ちはだかる。
「できれば、ユーノには退いてほしい」
フェイトは動かない右手をぶらりと垂らしたまま、左手でバルディッシュを構えながら言う。
「退かないよ。僕だって男だ。この身をはるくらいの勇気はある。それに僕はフェイトの友達だからね。友達が間違った道に進もうとするなら止めないと」
フェイトの威圧に負けないように、ユーノも言い返す。
「どうなっても知らないよ。ユーノは攻撃魔法は得意じゃないよね。それじゃあ私には勝てない」
「そうだね。でもフェイトこそそんな状態で戦えるの? 右手動かないんでしょ? 少し寝たからって魔力がそれほど回復したわけじゃない。これだけ戦えば回復した魔力もかなり減っているはずだ。何回もバインドを解けるだけの魔力は残っていない。文字通りふん縛ってでも、きみを行かせはしない」
「……そうだね。今の私は余裕がない。手加減なんてしていられないから。だから──本当にどうなっても……
フェイトからの圧迫感がさらに強まる。瞳には見ただけで気押される威圧感がある。今のフェイトは狂気の相に足を一歩踏み入れている。
それでもユーノが退くことはなかった。
フェイトとユーノが同時に動いた。
ユーノはチェーンバインドをフェイトに向かって飛ばす。その程度、フェイトにとっては障害にはならない。武装隊員の魔力弾と比べれば、機関銃と投げ縄のようなものだ。
飛行しながら軽く軸をずらして回避。そのまま接近しようとする。
接近戦を嫌ったユーノが、バインドを通路一面に蜘蛛の巣のように張り巡らせる。
それ以上近づけずに、フェイトが止まった。
地面や壁、天井からバインドが現れ、フェイトに襲いかかる。
魔法弾が壁を透過することが可能なように、非殺傷設定の魔法は物質に干渉しない。ユーノはフェイトに気付かれないように、多くのバインドの中の数本を壁の中を通してフェイトの近くに潜ませていた。
フェイトは後ろに跳び退いて回避。左手が雷光を纏ったかと思えば、握るバルディッシュを宙に投げると、空いた左手を振りかぶって槍を投げるようにユーノに向かって振り下ろす。
「サンダースマッシャー!!」
自身の残り魔力の半分近くを使った雷の槍が、蜘蛛の巣のように張られたバインドを突き破ってユーノにせまる。
翡翠色の盾が雷の槍を防ぐ。その間にフェイトは宙に投げたバルティッシュを再び左手で掴むと、瞬時にユーノに肉薄していた。雷の槍は始めから行く手を阻むバインドの除去が目的だ。シールドの張られていない方向に回りこみ、ユーノに切りかかる。
直前、ユーノの姿が突如目の前から消滅し、斬撃が空を切った。
その瞬間、フェイトは転がるようにしてその場から跳び退いた。一拍遅れて先ほどまでフェイトがいた場所をバインドが通過する。
発生源は足元の
ユーノは再び人間の姿に戻り、フェイトも距離をとって立ち上がり、二人は再び静止し睨み合う。
連戦につぐ連戦のフェイト。命がけのユーノ。たったこれだけの攻防でさえ、両者の集中力はごっそりと削られた。このまま戦えばやがてミスが増え、勝敗の行方を偶然が左右する割合が大きくなる。
それは避けなければならない。互いにこの勝負は負けられない。
必ず勝つために、このインターバルの間にできる限り体力と集中力を回復させ、次の一手を考え、布石を打たなければならない。
そして二人は再び動こうとする。第二ラウンドの開始だ。
その直前。窓もない屋内に、風が吹き始めた。
なのはの眼の前で、ユーノとフェイトが戦いを繰り広げている。
なのはは認めたくない。
友達同士が戦うことが、ではない。戦う以外にフェイトを止める方法がないということをだ。
フェイトと戦うのは嫌だ。たとえそれしか方法がなくても、友達を傷つけることが正しいと、戦いを止めるために戦うことが正解だと思えない──思いたくない。
しかし他に道はない。問題はすでに話し合いで解決する範疇を超えていることは、フェイトを見ればわかる。母親のために全てを投げ捨てて戦える、金剛石のような意思に言葉の刃は通らない。
その事実を理解して受け止めたから、ユーノはフェイトと戦うことを選んだ。友達であるフェイトを止めるために。
レイジングハートを強く握り締める。
感情では戦いたくないと感じている一方で、理性はユーノだけに戦いを任せてはいけないと警鐘を鳴らしていた。
フェイトは強い。傷ついていてなお、ユーノ一人では互角に戦うことが精一杯だ。このまま静観していては、ユーノまで傷つき倒れてしまうかもしれない。
フェイトのためにも、ユーノのためにも、なのはも戦う決意をしなければならない。
誰かの力になるために振るうと決意した魔法の力を、友達を倒すために振るうことには抵抗感がある。でも、魔法の力だからこそ、フェイトを傷つけずに倒すこともできる。
後は己の心次第。戦いを止めるために戦うことを受け入れれば良い。そうしなければフェイトを止めることはできない。
そして、なのははフェイトを倒すことを受け入れた。
周囲の風が蠢き始める。魔法理論も魔法構成もなく、なのははただ感覚のままに、フェイトを倒すための魔法を紡ぐ。
あれだけ強く、硬い意思を持つフェイトを倒すには、並大抵の魔法ではいけない。なのはの残りの魔力では足りない。もっと、もっと大きな魔力がいる。
だからなのはは新しい魔法を創造する。
レイジングハートが明滅を繰り返す。あまりにも馬鹿げた魔法構築に悲鳴を上げるながら、それでも主を助け続けていた。
吸い込まれるような風の発生源に視線をやったフェイトとユーノは、廊下の中心に立つなのはと、その前方に浮かぶ小さな球体を見た。
球体の色はなのはの魔力光と同じ桜色。周囲の風を取り込んで加速度的に大きくなる。いや、風ではない。取り込んでいるのは周囲の魔力素だ。魔力素が渦巻き、球体に取り込まれていく。風は結果として生じているだけ。
具象絵画を描く精妙さで、光の軌跡が抽象画を描く。無色の魔力素はなのはに近づくにつれ桜色を帯びながら球体に吸い込まれる。なのはに近づくにつれ世界が彩られていく。
際限なく大きくなる桜色の球体は、周りの暗さのせいだろうか、出すこともできないのに血液が流れ込んで膨れ上がる心臓のよう。
「収束……魔法」
ユーノの口から、そんな単語がもれた。知識としては知っていたが自分の目で見るのは初めてだった。
魔法とは体外の魔力素を体内のリンカーコアで結合させ、自らが使いやすい魔力という形に変換して貯蔵。それを消費することで行使される。
だが収束魔法は違う。収束魔法とは術者の周囲に遍在する魔力素をかき集めて、魔法として放つもの。魔力ではなく、純粋な魔力素を操る収束魔法は人間には理論上不可能だ。無色の絵の具を使って絵画を描くのは不可能なように。
だから、なのはは単なる魔力素ではなく、他者が使った後の魔力を利用していた。一度魔法を行使するために消費され空気中に放出された魔力は、結合が解かれて再び魔力素へと戻る。しかしすぐに戻るわけではない。ある程度時間が経過するまでは魔力としての性質を残し続けている。
なのはが使うのはそれ──他者が消費して周囲に散乱する魔力だ。
まだ結合が解かれていない魔力なら本来の収束魔法に比べれば比較的簡単に扱える──理論上は。
だからと言ってそのためにはどれほど精密な魔力操作を必要とするのだろうか。魔力に近い性質があるといっても所詮は他人の魔力。入り乱れての戦闘がおこなわれたこの場所の、どこに誰が使った魔力があり、その魔力にはどんな性質があるのか。そんなことはすぐにわからない。
魔法の構築を絵画に例えるのなら、通常の魔法は自分の用意した絵の具を使い、自分の望む絵を描くこと。
なのはのこれは、他人から適当に渡された色を使って自分の望む絵を描くようなもの。
それを練習もせずに成し遂げる規格外のセンス。プログラムではなく肌で魔力の質の違いを判断し、感覚的に魔法を構築するこの才能。
三十余の管理世界から人の集う時空管理局でも、いったいどれだけの魔導師がこの才に倣えるのか。
けれど、その瞬間にユーノの心を占めたのはなのはの才への称賛ではなく、その構築がなのはに与える負荷への危惧だった。
「なのは、止めて! そんな無茶な構築をしたら──」
対して、フェイトの動きは迅速だった。なのはの魔法は危険。だから放たれる前に止めなければならない。彼女にはそれで十分だった。
幸いにもなのはまでの距離はそれほど離れていない。魔法はまだ未完成だ。
まずは邪魔をされないように、呆然としているユーノに切りかかった。なのはに気をとられていたせいで、ユーノは回避できず、袈裟に切られて壁にぶつかった。
視界の端に映るなのはの顔が悲壮に歪む。なのはが魔法を構築したせいで、ユーノのフェイトへの注意がそれてしまった。その事実がなのはの精神集中を乱し魔法の構築速度を遅らせた。
今なら間に合うと、フェイトは返す刃でなのはに飛びかかり、バルディッシュを振るった。
そのバルディッシュの金色の刃は、青色のシールドに防がれた。
壁際で倒れていたはずの武装隊の男の手にが顔を上げ、その手に握られるデバイスが淡い光を放っていた。
「ごめんね」
フェイトの視界が光に包まれ、そして意識が闇に閉ざされる直前、懺悔するようななのはの声が聞こえた。
数分後、少しだけ動けるようになったアルフは狼の姿になり、その背にフェイトとなのはとユーノを乗せて、立ち上がろうとする武装隊の男の元へと歩み寄る。
「あんたたちも乗る?」
「いえ、護衛対象の手を煩わせるわけにはいきません。スペースもないですしね」
アルフの提案に、男は笑って首を横に振る。さすがに大の大人二人の追加は定員オーバーだ。
男は女を背負うと、デバイスを杖替わりにして歩き出した。
「護衛を任されたのにこの有様です。役に立たず申し訳ありません」
「何言ってんだい。……あそこでフェイトを捕縛じゃなくて気絶させようとしてたら、最初からあんたらの勝ちだったろ」
「お恥ずかしい。我々の判断ミスです」
「……管理局ってのは案外お人よしばかりなんだね」
男は少しばかりの誇らしさを顔に浮かべて、言った。
「管理局の別称をご存じですか? 次元世界一のお節介焼き、ですよ」
「……そうだね、あんたらも、この子らも、みぃんなお節介だらけだよ」