時の庭園下層部の通路には傀儡兵の残骸が点々と横たわり、意図してかせずか後から来る者のための道標となっていた。
その光景を作り出した人物──ウィルは、通路の突き当りにあるひときわ大きな扉から離れると、通路の途中に横たわる傀儡兵の残骸の頭を掴んで、三百キロを超える金属のボディを持ち上げる。
扉の向こうからはこの一月で何度も感じたジュエルシードの魔力反応。
事態を解決するために、早急に部屋の中へと突入してジュエルシードを回収する必要がある。
ただし、この先にあるのがジュエルシードだけとは限らない。一連の事件の元凶となるプレシア・テスタロッサもまた、この中にいる可能性は高い。
「今から連絡用の信号を発信し続けてくれ。クロノのS2U以外には受信されないように設定。俺の命令があるまで解除はしないで」
『He doesn't exist around here.(周辺にクロノ執務官は存在していません)』
「それでも構わない。受信範囲に入れば向こうから連絡があるから」
ウィルは自らのデバイス、F4Wに命令して、デバイスがクロノ宛に信号を発し続けるように設定する。
次元震の環境下では通信状況が悪くなり、発生源のジュエルシードに近づいた現状では、その有効範囲は三百メートルもない。その範囲にクロノが入れば彼のS2Uに信号が届く。そうすれば折り返し彼から念話が送られてくるだろう。
当然、その時にウィルが倒されていれば返事はできないが、それならそれでクロノに伝えることができる──この部屋の中にはウィルを倒すほどの脅威が存在しているということを。
「ちょっと乱暴だけど仕方ないよな。扉閉まってて開けてくれないし」
ウィルは傀儡兵を掴んだまま飛行魔法で浮きあがる。
「それじゃあ、行きますか」
ウィルは扉に向けて飛翔し、手に持った傀儡兵を扉に向かって投げつけた。
飛行と投擲の速度が加算された金属の残骸が扉を突き破り、扉を新たな残骸へと加えながら部屋の中へとなだれ込む。
それがジュエルシードをめぐる事件の、最終戦のゴングとなった。
突入した先は部屋と呼ぶには非常に広く、直径二百メートルにも及ぶ広大な空洞だった。
その中にいくつもの機械が立ち並び、数えきれないほどのケーブルがそれらを繋ぎ合わせている。
その中央、待ち構えていたプレシアの片手に紫の魔力光が集まる。
向こうもウィルが扉の前でうろちょろとしていたことには気づいていたようだ。突然侵入してきたウィルに驚く様子はない。
勧告の猶予はなしと判断。ウィルは即座に突撃を止めて上昇する。その動作と、プレシアがナイフを投げるように手首を返したのはほぼ同時。
先ほどまでウィルのいた場所を雷が通りすぎる。バチバチと空気が引き裂かれる音と、生成されたオゾンの悪臭がウィルの感覚器を刺激する。
雷は入口付近の壁を抉り取って消えた。対物破壊──つまり非殺傷ではない。フェイトと同系統の雷の魔力変換だが、速さ練度威力全てが数段上。
加えて、玉座の間で武装隊と相対した時には消耗しきっていたはずのプレシアは、あれから二時間弱の間にこうしてウィルを圧倒する魔法を放てる程度には回復しているという事実。
事態は想定内を越えてはおらず、そして想定の範囲の最悪に位置していた。
一撃でウィルの命まで刈り取りかねない魔法も、大魔導師プレシア・テスタロッサにとっては牽制にすぎない。すでにプレシアの周囲には二十を越える魔力弾が浮遊しており、上昇途中のウィルに向かって一斉に放たれる。
この魔力弾をかいくぐって、プレシアに攻撃するのは危険。二十の全てが直射弾であれば隙間を潜り抜けてみせる自信はあるが、自動追尾または思考制御型の誘導弾であれば難しい。
見たところ、威力も格下のウィルにとっては十分。一発でバリアジャケットを持っていかれる。
横方向に移動して避けると、魔力弾の群れはウィルの横を通りすぎた──が、背後で軌道が変化。回避したはずの魔力弾が、進路を変えて背後から襲いかかってきた。危惧した通り、誘導弾だったようだ。
回避のために速度を落とすようなまねはせず、むしろ加速して、誘導弾に背を向けるようにして逃げる。
広大な空洞もウィルが全速力を出すには狭すぎる。もしハイロゥを使用して音速を突破する加速力を存分に発揮すれば、静止状態からでも一秒強で端から端まで到達する。そしてそのまま壁に激突し、物言わぬ赤黒いシミを残すハメになる。
したがってハイロゥは使用せず、飛行魔法のみで追いつかれないように加速。それでもすぐに部屋の端に到達。壁が目前に迫る。
減速をかけると魔力弾との相対速度がマイナスになり、両者の距離が縮まる。魔力弾はウィルのすぐ後ろに迫っていた。
ウィルは壁にぶつかる直前に、くるりと百八十度回転。頭と足の方向を逆転させる。脚のばねで衝撃を受け流し、力強く壁を蹴って斜め上に飛びあがる。
ウィルが壁を離れた瞬間、そこに次々と魔力弾が殺到した。ただ回避するのではなく、魔力弾を壁にぶつけることで消すのが目的だ。
だが、魔力弾はぶつかることなく、そのまま壁の向こうへと消えていった。そして、すぐさま壁から魔力弾が飛びだしてきた。
物質に影響されていない。つまり、魔法弾は非殺傷設定。
先ほどの攻撃が対物設定だったので、この魔法もそうだと思い込んでしまった自分に舌打ちする。
さらに悪いことに、プレシアの周囲にはさらに新たな魔力弾が浮いていた。その数は、後方から迫って来ているのと同数程度。前方と後方を合わせれば魔力弾の数は四十を越える。
ウィルを追いかけてくる後方の魔力弾が誘導弾である以上、新しく生み出された前方の方は直射弾であるはず──そんな考えはプレシアには通用しなかった。
前後合わせて四十個の魔力弾は、それぞれが意志を持つかのごとく、それぞればらばらの方向に動き始めた。
誘導弾は術者の思考によって動きを変えることができる。魔導師はマルチタスクによって複数の誘導弾を操るが、一個につき分割された思考が一つ必要だ。つまり、四十全てを自在に操るには思考を四十個以上に分割しなければならない。
戦いなど経験しなくとも、規格外に優れた魔法と知性のみで、他を寄せ付けない圧倒的な実力を誇る。それが大魔導師プレシア・テスタロッサ。
誘導弾は球を描くようにウィルを包囲し、その全てが中心のウィルに向けて襲いかかる。
動かなければ、前後左右上下あらゆる方向から襲われる。早く行動すればするほど球の半径は大きい。つまり、弾と弾の間隔も広くなる。できるだけ大きな隙間を見つけて、この包囲網から少しでも早く脱出しなければ。
弾の密度が薄い場所はすぐに見つかった。ウィルとプレシアをつなぐ直線上だ。その意味するところを理解したウィルの顔が歪むが、それでも即座にその隙間に向かって駆ける。
見上げるプレシアと、見下ろすウィルの視線が交差し、プレシアが嗤う。
わかっている。このルートが罠だということくらい。
自分の真正面など、本来なら最も優先して防がなければならない場所。
無意識にそこの密度が高くなることはあっても、無意識に密度を薄くすることなどありえない。
そんな場所の弾の密度を下げたとなれば、意図的としか考えられない。おそらく、ちょこまかと動き回るウィルを確実に仕留めるため、わざと逃げ道を作り出してのこのこやってきた時を本命の魔法で狙うつもりなのだろう。
それがわかっていても、のるしかなかった。のれば相手の思うつぼだが、のらなければこのままやられるだけ。
ウィルは脚部のハイロゥに魔力を流し込む。魔力から変換された運動エネルギーを与えられた圧縮空気が、ノズルから勢いよく噴出した。
プレシアの瞳が驚愕で大きく開かれる。
ウィルはここまでハイロゥを使わずに戦っていた。したがって、プレシアはこれを使った超加速を知らない。予想外の速度を出すことでタイミングを狂わせ、プレシアに攻撃される前に包囲網を脱出する。
目論見通り、ウィルはプレシアの次なる魔法構築が完了する前に包囲網を抜けた。プレシアとの距離は五十メートルをきる。
ウィルはそのままプレシアに突撃する。
時間を与えても、また包囲されるだけ。今度はハイロゥの加速さえ計算に入れて、完璧にウィルを封じにくる。勝機はここにしかない。
ここに至ってプレシアは自分の予測が崩されたことに気付くが、かまわずに魔法を放とうとする。
ウィルの剣が叩き伏せるが早いか。それとも、プレシアの魔法が貫くが早いか。
お互いの距離は三十メートルをきる。
──無理だ
実戦で培った勘がそう告げる。このまま直進してもプレシアは倒せない。わずかにウィルが雷に焼かれる方が早い。
その瞬間、ウィルはバリアジャケットを解除した。
バリアジャケットで軽減されていた空気抵抗が身体を押しつぶす。見えない壁に叩きつけられる痛みに身もだえしながら、逆流しそうな胃の中身を抑え込む。
空気抵抗による過失速状態で、右に突き出した右足のハイロゥにいつも以上の魔力を込め、ブースト。ウィルの体が左へと大きく動く。
プレシアの手から雷が放たれるが、ウィルの体はそこにない。すでに左へと移動している。
飛行魔法で姿勢を、身体の向きを変える。今度は左側に左足を突き出し、ありったけの魔力を左足のハイロゥに込める。先ほどと同じ魔力では左向きの力が打ち消されるだけ。先ほどの倍以上の魔力を込める。
過剰に生成された運動エネルギーにデバイスのボディが悲鳴を上げる。その莫大なエネルギーを使って、ウィルはほぼ鋭角の切り返しをおこなう。
雷を避けたその軌跡が稲妻を描く──
そして振りかぶったF4Wがプレシアの身体を打ち据えて勝敗を決するその直前、プレシアの身体が崩れ落ちた。
二時間ばかり休んだからといって、同時次元跳躍魔法で負荷のかかった肉体が万全な状態にまで回復するわけがない。
ウィルとの戦いでの立て続けの魔法の連続行使は、かろうじて安定していたプレシアの身体にさらなる負担を与え、その意識を一瞬だけ途絶させた。
それはウィルの勝利を確定させる幸運となるはずだった。この瞬間でなければ。
F4Wの刃は崩れ落ちるプレシアをとらえられず、空を切る。
あまりにも見事に回避され、ウィルは一瞬我を忘れた。が、すぐに反撃するために反転しようとして、今度は自らの目前に迫る物の存在に気を取られた。
進行方向に一つの円柱が備え付けられていた。生物を保存するためのポッドだ。
外側は透明な材質でできていたため、中に入っているものの形がはっきりとわかる。中には緑色で透過性の高い液体が注入され、
ただの実験器具なら、気にせず突っ込むなり、足蹴にして方向転換の道具にするなりしたはずだ。しかしその中身を認識した瞬間、それらの選択肢はウィルの頭から消し飛んだ。
ウィルは飛行魔法で減速。再度バリアジャケットを解除してエアブレーキで減速。剣を床に突き立てて減速。
三重の減速に加えて、さらに身体をひねり、ハイロゥを再度使って強引に進路を変えて、そのポッドを避け、バリアジャケットのない状態で地面を転がってようやく止まる。
短期間に連続して強いGがかかったせいで、ついに腹からせりあがる胃液を抑えられずにその場に吐き出した。
敵前で隙を見せる愚行。これだけ猶予があればプレシアも立ち直っているはずだ。
死を覚悟しながら顔を上げると、プレシアもまた床に膝をつき、苦しみながらこちらを見ていた。
そしてプレシアから放たれたのは、覚悟していた魔法の一撃ではなく、言葉による問いかけだった。
「どうして避けたの」
プレシアとウィルの視線が、ポッドに注がれる。
「……あそこに突っ込むのはいくらなんでも気が引けるじゃない?」
ポッドの中には、緑色の液体に包まれて、フェイトそっくりの少女が眠るように浮かんでいた。
ウィルはポッドを指さしながら、疑問を口に出す。
「俺の方からも質問していいかな。この子はアリシア……でいいのかな? それともフェイトと同じく、アリシアのクローンなのか?」
「アリシアのことは知っているのね。……これはアリシア本人よ。あんな失敗作と一緒にしないで」
答えるプレシアの口調には激しい嫌悪があった。二つを同一視されることが余程嫌なのだろう。オリジナルのアリシアとクローンのフェイトを同じように扱われることを嫌悪するという理屈は理解できる。
しかし、自分で生み出したフェイトをそこまで嫌う理由がわからない。
「フェイトは十分すぎるくらいに良い子に見えるんだけど」
「何も知らないあなたから見ればそうかもしれないわね。でも、あれはアリシアになれなかった。だから失敗作よ」
「クローンは本人にはなれない。それくらいわかっているはずだ」
プレシアは怪訝そうに眉をひそめる。そして得心がいったのか、皮肉気に口元を歪める。
「そこまでは調べてなかったのね。あれは、ただのクローンじゃないの。肉体はただのクローンにすぎないけれど、頭の方は違う。あの子の頭にはね、アリシアの記憶が焼き付いているの。プロジェクトFATE──他者の記憶を移植する技術を使ってね」
プレシアの言葉はにわかには信じがたかった。
記憶の移植とは、つまるところ人の頭の中身を書きかえるということにほかならない。いや、そもそも人の記憶というあいまいな情報を他者に与えるほど具体的なデータにできるものなのか。
アナログからディジタルへの変換を可能とするとなら、その技術は現状の生命の定義に対する大きなアンチテーゼになり得る。脳を回路に、ニューロンを電気信号に置き換えることを可能とするかもしれないのだから。
ウィルの懐疑的な思いを感じたのか、プレシアは嘲笑のような笑みをうかべる。
「信じられないの?」
「そんなことが可能なら、間違いなく管理世界全体がひっくり返る。それに……失礼だけど、それはあなたの専門分野とは異なるんじゃないか?」
「否定しないわ。私が考えたわけじゃないのだから。この理論はもらいもの……というよりは、天才の出した試験のようなものなのよ。プロジェクトの基礎理論は公開されていたけれど、理解できなければ何に利用できるのかもわからない。理解さえできれば後は実証実験を繰り返せば良いだけ。それほどの完成度があったのよ。私はその理論を実用できる段階にまで持っていった。その成果がフェイト。……でも駄目だったわ。できたのはアリシアにはほど遠いものが一つ。それでも本当のアリシアを取り戻せる日まで、アリシアの代わりとして少しの慰めになるかと思ったのだけど、それ以下だったわ。駒として有用じゃなかったらとっくの昔に処分していたでしょうね」
プレシアのフェイトへの思いは失望という生易しいものではなく、もはや憎しみとなっていた。無関心なら理解もできるが、自分が生み出した者をどうしてここまで憎めるのか。
「娘にそっくりの子に向かってよくそんなことが言えるな」
「そっくり? あれが? 笑えないわ。アリシアのことを何も知らないあなたが勝手に語らないで。そっくりなのは見た目だけ。記憶を持っているのにそれ以外は全然駄目よ。利き手は逆。話し方はおどおどしているし、私の顔色をうかがうような卑屈な目、アリシアは絶対になかったわ。なにより、アリシアはもっと優しく笑ってくれた。アリシアは時々わがままも言ったけど、私の言うことをとてもよく聞いてくれた。アリシアはいつでも私に優しかった。あれとアリシアはまったくの別物。作りものの命では、失った命の変わりにはならない……命そのものを取り戻すしかない」
「つまり、死者の復活……それがジュエルシードを集めるあなたの目的だと?」
「そうよ。私はジュエルシードを使ってアリシアを蘇らせる」
プレシアは高らかに宣言する。その言葉を発した自らの意志、それを自身を支える柱として彼女はゆっくりと立ち上がる。まだ戦える、まだ戦うという姿勢の表れ。
魔法一つ放つだけでも演算ができなくなるほどの激痛がはしるはずなのに。黄金のように変わらない意志で痛みさえねじ伏せて立つ。
魔法の実力ではなく精神的な面で、戦いを生業としないただの科学者がここまで戦えるというのは想定を超えていた。
意思の力はここまで人を強くさせるのか。その姿に、ウィルの身体は震えた。
「どうやって? ジュエルシードの願いを叶えるってふれこみは誇大広告もいいところだ」
「そんなものには興味ないわ。私にとって大切なのは、このロストロギアに次元干渉効果があるということ。世界を、空間を捻じ曲げる力──それはつまり、次元震をおこすことも、止めることも可能ということ。この力で私は旅立つの。失われし都、世界の狭間に存在する禁断の地──アルハザードへ!」
その言葉の意味を理解するには、少し時間が必要だった。一拍遅れて、ようやく理解が追いつく。
アルハザード──はるか古代から存在していたと言われる伝説の世界。
数多くの文明が発達した自らの技術を制御できずに崩壊する一方で、森羅万象を自在に操るに至った一つの世界があったと言われている。
命でさえ、時でさえも、可逆とする幻の理想郷。
実在する世界なのかはわからない。いくつかの古代文明が残した記述にそれらしき文明の存在が示唆されており、アルハザード由来という触れ込みのロストロギアが存在する。それだけだ。どこにあるのか、まだあるのかもわからない。
有力な仮説では、アルハザードの周囲は常に大規模な次元断層に囲まれているため、こちらから観測することはできないのだとも言われている。それが事実なら、ジュエルシードはその次元断層を抑え込むために必要──と言ったところなのだろうか。
たしかにそんな世界に行けば、死者の蘇生くらい造作もないが──
「あるかもわからない御伽話を信じているのか」
「アルハザードは存在するわ。そこに至る道のりもある」
「仮にあったとしてもそこに辿りつける可能性なんて──」
「限りなく少ないでしょうね」
プレシアは実験結果を述べるように淡々としている。そんな危険な賭けをおこなうと言うのに。失敗すれば当然生きて帰って来ることはないというのに、まるで不安を抱いてない。
「それがわかっているのに本気でやるつもりなのか。失敗すればあなただって死ぬ。それに、行けようが行けまいが、ジュエルシードが発動すれば何の関係もない地球を巻き込むのに」
「当然よ。たとえ塵ほどであっても可能性があるのなら、諦めることなんてできないわ」
「アリシアが亡くなって、もう二十年近くになるのに……それなのにまだ諦められないのか。新しい道、新しい幸せだってあるだろうに」
「そんな道はないわ。たとえその道がどれほど楽だとしても、今の道を進むことを止めた瞬間に、私は私でいられなくなる。あなたみたいな子供にはわからないでしょうね。この、どこまでも求める、狂おしい渇望は」
突き放すようなプレシアの言葉。他者の理解と共感を拒絶する凍りついた意志。
その姿に、ウィルは身体を震わせながらつぶやいた。
「わかるよ」
フェイトへの仕打ちも態度も許容できるものではない。
ただ、たった一つのことにかける彼女の渇望はウィルにも覚えがある。
「わかるから、すごいと思うよ。そして、あなたの強さを尊敬する」
プレシアは、初めて呆気にとられた顔をしていた。
その時ウィルは、気の合う友人と出会った時のように、美しいものを見た時のように、凄いものを見た時のように、笑っていた。興奮で身体を震わせながら。
「あなたの行動は容認できないけど、その強さは俺の憧れそのものだ。俺にもどうしてもなしとげたい目的がある。それを成し遂げるためなら、この身を犠牲にしても、焼き尽くされても構わないって思えるような。十年、そう思い続けてきた。だから、それを実践しているという点においては、俺はあなたを尊敬する」
「あなたみたいな子供が、一体何に……」
ウィルははにかみながら、そして誇らしげに、己の絶望を口に出す。
胸の奥底で炎が燃えている。十年前、父の死を理解したあの日から、ずっと。
「復讐。父さんを殺したモノをこの世界から消し去りたい」
「……無意味ね。仇をとったとしても何も得るものはないわよ」
「でも、どうしてもしたいんだ。この先、どれだけ自分の人生を犠牲にしても構わない。だって、この気持ちは抑えられないんだから。あなたならわかってくれるだろ?」
他人を気づかいそのために我が身を盾にできる心で、炎のように苛烈な憎悪を口から吐く。
「……本気みたいね。あなたも同類、か。皮肉なものね。最後に私を止めに来たのがそんなやつだなんて」
「似たもの同士だから、あなたの想いが叶えられてほしいとも思うんだ。……でもそれはできない。俺は管理局の一員だし、この作戦には友達も参加している。俺が引いたら、今度はその友達が危険な目に合う。あなたがジュエルシードを発動させたら地球が滅ぶ。短い間だったけど、あの世界には世話になった人がいる。幸せになってほしい……幸せにしてあげたい人もできた。だから、ごめん。あなたの思いが間違っているとは思わない。でも、俺は俺の大切な人たちのためにあなたを止めなくちゃならない」
語り終え、ウィルも立ち上がる。魔力が循環し、バリアジャケットが再構成される。それに合わせてプレシアも身構えた。
しかし、ウィルはほほ笑んでゆっくりと歩き始める。アリシアが眠るポッドから離れるように。
「それでも、せめてできる限りの範囲で協力するよ。とりあえず、もう二度とアリシアちゃんを戦闘に巻き込まないようにする。それから、
「そんな手加減をして、私に勝てると思っているの? それに手を抜く必要なんてどこにもないわ。どうせこれが失敗すれば、私に生きている意味も価値もないのだから」
「そんなことはない。負けて管理局に捕まっても、命さえあれば再挑戦のチャンスはある。あなたが生きているうちに画期的な技術の進歩があって、合法的な手段でアリシアちゃんを復活させることもできるかもしれない。局員としてはおすすめできないけど、脱走するチャンスだってあるかもしれない、生きてさえいれば、可能性はいくらでもあるんだ」
局員らしからぬことを臆面もなく話すウィルの姿に、プレシアの表情が変わった。
馬鹿な者を見て呆れるような、でも少しだけ愉快そうなその顔は、プレシアがその日初めて見せた笑顔だった。
「あなた、変わっているわ。でも、確かにそうね。生きている限り希望はある。そう言えば、まだお礼を言ってなかったわ…………ありがとう。あなたがアリシアの入ったポッドを優先してくれた時、本当に心の底からほっとした。それから、私の気持ちを、行為を否定しないでくれたことも。……少し嬉しかったわ」
「結局あなたの邪魔をしようとしているんだ。同じことだよ」
「でも、あなたが邪魔するのは利害の不一致ゆえ……でしょう? だから嬉しかったのよ。間違っていることをしていることも、他人に迷惑をかけていることもわかっている。自分のしていることは許されないと理解している。だけど、少し寂しさもあったのかもしれないわ。だから、私からもお返しにこの道の先輩として一つ忠告してあげる」
プレシアは笑顔を消して語り始める。
その顔に浮かぶのは、願いのためなら世界を滅ぼしても構わないと豪語する彼女には似つかわしくない、後悔の色。
「私があの子──フェイトが嫌いな理由はね、似てないからだけじゃないのよ。むしろその逆よ。何よりも、似ているところに腹がたつの。姿なんかは特にそうね。時々、フェイトがアリシアのようにふるまう時が…………違うわね。あの子をアリシアのように錯覚してしまう時があるのよ。錯覚するということは、その二つのものの境界が揺らぐと言うこと。その結果、何が起こると思う? 次第に、アリシアのことを思いだせなくなるのよ。アリシアのことを、その声を、仕草を、体温を思い出そうとしても、うかんでくるそれがフェイトのものに変わっているのよ。気付いた時は心底絶望したわ。もう一度、アリシアが死んだような気さえした。慌てて昔の映像を引っ張りだして、こうして保存していたアリシアの姿を見て、私の中のアリシアを取り戻そうとしたけど、もう駄目だった。きっと情報量が違うからでしょうね。映像や記憶の反芻では、今触れあえる生の人間から得られる情報量にはかなわないから。これが、私があの子が嫌いな理由。あの子はただ存在するだけで、私の中のアリシアを犯す。私の中のアリシアを殺していくのよ」
ずいぶんと勝手な理屈だ。模造品として生み出され、似ていないところがあるから本物ではないと嫌われ、似ているところがあるからと憎悪される。
これではあまりにもフェイトが救われない。彼女がどれだけ頑張っても、プレシアがフェイトを好きになることはないのだから。
本当にそうかだろうか。
嫌いなこと、憎むこと。それだけではないのではないか。むしろ、プレシアがフェイトにも安らぎを覚え始めていたから、同種の感情を持ち始めたから、二人の境界があやふやになったのかもしれない。強引な理屈かもしれないが、そう思いたい。これではあまりにもフェイトが救われないから。
だから、ウィルは話を続けようとするプレシアを遮って問いかける。
「でもそれは、フェイトちゃんのことを愛し始めていたってことじゃないか?」
「そんなわけないじゃない。私はフェイトが嫌い。憎んでさえいる」
「愛と憎しみは同一直線上にあるわけじゃないよ。それぞれに独立したパラメータだ」
「二十年も生きてないくせに、知ったようなことを言うのね。……まあいいわ。もしかしたら、そんな気持ちもほんの少しくらい、あったのかもしれないわね。今さらだけど」
プレシアは苦笑する。
「話がそれたわね。私が言いたいのは、どんな思いも変質してしまうということ。あなたの復讐心がどれだけのものかはわからないけど、それだっていつかは変質する。大切な人の記憶だって時間ともに消える。過去の大切な人のいた場所が新しい大切な人で埋め尽くされていく。私はそれを自覚したから、こんな場所に引きこもって誰とも付き合わなくなった。……きっと、その孤独に耐えられなくて、フェイトを生み出したんでしょうね。記憶を受け継いだだけではアリシアは戻って来ない。そんなこと予想できていたのに。そしてそのフェイトが私を変質させる最後の藁になった。あなたも覚悟しておきなさい。いつまでも復讐心を失わないなんてことはない。あなたが本気でその気持ちを変質させたくないと思うのなら、その道はきっと私以上に厳しいものになる。きっと、自分の命だけではなく今持っている全てを投げ出さなければならないほどに。その覚悟がないのなら、早めに諦めなさい」
「自分はその道を選んだのに?」
「選んだからよ」
「……大人っていうのはどうしていつも、自分のことを棚に上げて言うかなぁ」
「大人だからよ。特に親って言うのはね、自分が出来なかったことを子供にやらせようとしてしまうの。……そう言えば、私もアリシアにいろいろと習い事をさせようとしたことがあったわね」
昔を懐かしむプレシアの笑みは本当に綺麗で、これ以上聞いていると引きずり込まれそうな気がして、ウィルは剣を構えた。それを見て、プレシアも微笑むのをやめる。
ここから先は再び戦い。だからその前に、最後に一言。
「ありがとうございます。すごく、参考になりました」
人によっては、娘を失ったことに心が耐えられなくて狂気にとりつかれた悲劇の人だと、彼女を表現するかもしれない。
でもウィルはまったく逆のように感じる。
彼女は、本当に強い人だと。
現実を容認しない傲慢さ。欲しいもの以外を拒絶してしまう愚かさ。手に入れるためになりふり構わない醜さ。ありえない夢物語を、ちっぽけな可能性を信じて本気で渇望できる。
渇望の前では、正義も悪も生も死も──そういった他者との比較の基準が等しく無意味だ。渇望を満たすか、満たさないか。ただそれだけの二元論。まさに駄々をこねる子供。
本当にただの子供なら恐ろしくはない。だが、彼女は大人だ。怖いもの知らずの子供ではない。
恐怖を──失うことを、奪われることを知っている。
絶望を──届かないことを知っている。
安らぎを──全て忘れ去って、新しい幸せと共に生きることを知っている。
こんなはずじゃなかった世界──どうしようもならない現実を知った上で、なお世界と戦うことを選んでいる。
それは強さではないのか。
悲しい過去を乗り越えて新しく生きることが強さなら、悲しい過去と向き合って戦うのもまた強さ。
プレシアの強さに、それがたとえどす黒いものだとしても、彼女の意志の輝きを感じ、改めて彼女に対して憧れを抱いた。
二人は互いを認め合いながらも、己を通すため、互いを倒そうとする。
そして、ウィルが先に動いた。プレシア目掛けて一直線に駆ける。
プレシアもまた、ウィルの動きに反応する。疲労しきっているはずの身体に驚くほど俊敏に魔力が廻り、必殺の魔法が構築されるのがわかる。
このまま突撃しては途中で撃ち落とされるだけ。だけどウィルは突撃をやめない。
勝敗はすでに決しているから。
「良いタイミングだったよ、クロノ」
そしてウィルはそのままプレシアの元へと駆け、背後からの攻撃で意識を失って崩れ落ちたプレシアの身体を抱きとめた。
プレシアの後方に立つクロノは、不機嫌そうに言う。
「こういうやり方は……あまり好きじゃない」
クロノがこの部屋に辿りついたのは、ウィルとプレシアが話している時だった。
クロノはウィルに念話で連絡。それを受けたウィルは、そのまま会話を続けプレシアの視線を自分一人に集中させる。そして、その隙にクロノは入口からプレシアの死角へと移動。
最後の戦いでプレシアの意識が完全にウィル一人に向いている隙を使って、背後からクロノが魔法を叩きこんで、眠るようにプレシアの意識を落とした。
「これが一番この人を傷つけない方法だ。それから、クロノもプレシアの人となりはわかっただろ? この人は、ただの悪人じゃなかった」
「……そうだな。やったことは許されないが、彼女には彼女の思いがあった」
「それじゃあフェイトと二人合わせて、良い感じにおさまるようにしてくれよ、クロノ執務官」
「言われるまでもない。……ところで、さっき言っていたことは……」
「どれのことを言っているのかはあえて聞かないけど、どれも本心だよ」
ウィルとクロノはしばらくお互いをじっと見合っていたが、やがてクロノは部屋の中で魔力波を放出し続けるジュエルシードに向き合って、封印を始めた。
その後ろで、ウィルはプレシアの顔を見る。願い叶わず敗れたはずの彼女は驚くほど穏やかな顔をしていた。
目が覚めた時。彼女がどう行動するのかはわからない。真実を知ったフェイトが何を思うのかもわからない。
二人の行く末に不幸以外の結末が横たわっていることを、静かに願った。