ジュエルシードが封印されたことで次元震は徐々に鎮静化していき、ダメ押しにと時の庭園に乗り込んだリンディが内部からディストーションシールドを展開。
空間を歪めて魔力の伝播を強制的に低減させるこの魔法によって、魔力の波である次元震は完全に抑え込まれた。
空間座標の安定化にともないアースラへの召喚も可能となり、突入部隊全員がアースラへと帰還できたのが日本の標準時でいえば日付が変わる頃。クロノたちが時の庭園に乗り込んでから六時間、フェイトが海中のジュエルシードを活性化させてからとなると十二時間後──半日がかりの大規模な作戦となった。
無傷ですんだのはほとんどおらず、重傷者も決して少なくはない。
それでも、時の庭園における攻防戦での死亡者は、敵味方含めてただの一人もいなかった。
それからさらに時が経ち。昇り始めた太陽が海鳴の海岸線を黄金に照らし出して人々が活動を始めだす頃、昼も夜もない次元空間に浮かぶアースラでは後始末のために局員たちが活発に動き回り続けていた。
犯人を逮捕しても事件がそこで終わるわけではない。戦闘が職務の武装隊でさえデバイスのメンテナンスや報告書の作成が待っている。ましてや執務官のクロノには、気が遠くなるほどの事後処理が待ち構えていた。
それでもいい加減休むようにと、エイミィだけではなくリンディにまで怖い顔で詰め寄られ、クロノはしぶしぶ仮眠をとるために自室に戻る。
「今まで仕事か? お疲れ様」
「お疲れ様です。クロノさんも食べますか?」
扉の開いた自室の中では、ウィルとユーノが食事をしていた。机の上には、食堂でもらってきたであろう食事がゆうに五人前は置かれている。鼻孔をくすぐる温かな料理の香りにクロノの腹が音をたて、半日以上まともに食事をとっていなかったことを思いださせた。
文句を言う気も失せて、二人の間にもう一つ椅子を置いて座ると、消費したエネルギーを補充するために黙々と食べ始めた。
食事の後、クロノがベッドに腰かけ、ウィルとユーノはそのまま椅子に腰かけてクロノと向かいあう。
「それで二人とも何の用だ。わざわざ人の部屋に食事をしに来たわけじゃないだろ?」
「みんなの容態とか、いろいろと訊きたいことがあったからさ。もちろん邪魔だったら帰るけど」
「ユーノも同じか?」
「はい。あと、僕からも言いたいことが……いえ、まずはみんなの容態について、聞かせてもらえませんか?」
時の庭園から帰還してから休まずに仕事をしていたため、疲労は相当溜まっている。本能に従うなら、食欲を満たした後は睡眠欲を満たしたい。早く白い枕に顔をうずめ、シーツの感触を楽しみながら眠りにつきたい。しかし──
ため息をつくと、名残惜しそうに枕から視線を外して二人に向き直る。
「……いいだろう。どうせ二人には後で話を聴きに行くつもりだった。少し予定が早まったと思うことにする。特にユーノには、きみたちとフェイトが交戦した時のことを教えてほしい」
全員が怪我人ばかりなので、話を聞くのは落ち着いてからにしようと思っていたが、ユーノの方からやって来てくれたのならちょうど良い。
「わかりました。僕も最後の方で気を失ったので、それまでのことになりますけど」
ユーノから別行動してからの事の顛末を聞き、クロノとウィルは二人揃って驚かされた。
「そうして、きみはなのはが魔法を放つ前にフェイトにやられて気を失った、と。それにしても、収束魔法……収束砲撃か」
「なのはちゃんには驚かされてばかりだな。ひょっとすると俺たちはとんでもない存在を目覚めさせてしまったのかもしれない……」
「無茶にもほどがある……しかし、そうか、それなら医務官からの報告にも納得がいくな」
一人で納得しているクロノに、ユーノが先をせかす。
「それで、みんなは大丈夫なんでしょうか?」
「一人ずつ順番に説明していこう。まずはアルフからだ。彼女はプレシアに傷を負わされた状態で動きまわったせいで、容態はあまりかんばしくない。本来なら使い魔の治癒速度は人間よりも圧倒的に速いんだが、どうやらフェイトが弱っているのを無意識のうちに察しているのか、アルフの方から魔力のリンクを弱めているようだ」
「それって……かなり危険な状態ですよね? 主からの魔力供給がない使い魔は、治癒どころかやがて生命活動すら危うくなるって聞いたことがあります」
指摘するユーノの声には不安が含有されている。
使い魔は動物の死体を元に造り出される人工生命体。ただの動物を人間の魔導師に匹敵する知性種へと昇華させるために用いられるのは、魔力で構築された『人工魂魄』と呼ばれる器官である。
この人工魂魄は生物本来の脳を活性化させ、同時に人工魂魄そのものが補助的な第二の脳として働く。そのための動力は魔力であり、使い魔の体内には魔力を貯蔵するために擬似リンカーコアと肉体へ魔力を伝えるために経路が、それぞれ形成される。
しかしながら完全なリンカーコアを人工的に作ることは現代の技術では不可能であり、使い魔に形成されるリンカーコアは不完全な代物にすぎない。魔力を貯めて放出することはできても、大気中から魔力素を取り込んで結合させ魔力に変換することはできない。
だから、使い魔は生きるために魔力を外部から供給してもらう必要がある。しかも誰の魔力でも良いわけではない。人工魂魄を構築した人物──すなわちその使い魔にとっての主に近い波長の魔力でなければ拒絶反応を起こしてしまう。
そのため、使い魔と主は魔法的な繋がりを持っており、それを通じて主から魔力の供給を受けている。これが断たれれば、治癒どころか存在の維持さえ不可能となってしまう。
「心配することはない。魔力の波長を調整するための機器はアースラにもある。アルフにはフェイトの魔力に近い波長に調整した魔力を少しずつ投与しているから、時間はかかるが少しずつ魔力も貯まっていくはずだ。もともとが使い魔だから、魔力がある程度貯まれば問題なく回復するはずだ。
次はなのはだ。彼女はリンカーコアに強めの負荷がかかって意識を失っているだけだ。ただ、リンカーコアの状態に医務官が頭を悩ませていた。負荷と言っても攻撃魔法を受けた時の損傷とは違う。では何か大規模な魔法でも使ったのかと思えば、魔力はほとんど減っていない。いったい何があったのか不思議に思っていたんだが、さっきユーノの説明を聞いてようやく合点がいったよ。まさか収束魔法とは……誰もわからなかったわけだ」
「それで、なのはは大丈夫なんですよね?」
回りくどいクロノの説明に、ユーノがじれったそうに先をうながす。
「健康面では特に問題はない。三日ほどは魔法も使わずに安静にしておいた方が良いが、目が覚めてからもう一度検査を受けて、半日ほどアースラで様子を見て問題がないようなら家に帰っても構わないだろう」
「本当ですか! 良かった……って、そうだ! なのはの家族に連絡しておかないと!」
「そのことなら心配いらない。時の庭園への突入前、帰還後、検査結果が出た時と、状況はその都度エイミィから連絡を入れてある」
クロノの言葉にユーノはほっと胸をなでおろした。
「フェイトの様子はどうなんだ? 収束砲撃を受けたのなら、かなり危険な状態じゃないのか?」
ウィルの問いかけに、クロノも先ほどまでと異なり顔を曇らせる。
「幸い命に別状はないようだが、もともとの無理もあって一時はかなり危険だった。まず、魔力が枯渇しすぎていてリンカーコアがほとんど機能していない。今の彼女は外部の補助装置を使わなければ、自然治癒すらできない」
リンカーコアを動かすのは自身の魔力。肺に空気が残っていなければ呼吸ができぬように、呼び水がなければ井戸から水を汲めぬように、魔力が残っていなければ、魔力素を結合させ魔力に変換するどころか外部から魔力素を取り入れることすらできない。
「それに、肉体にもかなりのダメージが蓄積されている。収束砲撃を受けたのなら、それも当然だな。非殺傷とはいっても話を聞く限り相当な規模だ。しかも初めての魔法では構成も甘くなるから、必然的に物質への干渉も大きくなる。脱臼や軽度の骨折もあるから数日は絶対安静だ」
ウィルはやりきれない思いに眉をしかめ、ユーノは顔を伏せる。部屋の雰囲気が重くなる。
クロノはいたたまれなくなって、ポケットから携帯端末を取り出す。そのまま携帯端末を自分の机のコネクタにかざして、パスワードを入力する。そして、自分に送られてきている報告内容にざっと目を通す。
「朗報だ。なのははつい先ほど目が覚めたらしい。意識もはっきりしているそうだ」
「本当ですか! ちょっと様子を見てきます!」
ユーノは勢いよく立ち上がって部屋を飛び出ようとして、その直前にクロノの方を振り返ると勢いよく頭を下げた。
「クロノさん。ブリッジでのことなんですけど……あなたの立場も考えないで、いろいろとひどいことを言ってすみませんでした!」
あっけにとられたクロノを残して、ユーノは今度こそ部屋を出ていった。
やがて残された二人は顔を合わせて笑いあう。
「今のが言いたいこと、か。海上でのことなら、どう考えても俺たちが悪かったのに……今更だけど、俺、ユーノ君が無事ですっごくほっとしてる」
「そうだな。海上でも、時の庭園でも、誰にも犠牲がでなくて良かったよ。それにしても、ユーノはなのはのことが好きなのか?」
「どうだろう? なのはちゃんだけへの好意なのか、単に異性を意識してるだけなのか、恋人ができたことのない俺にはよくわからないよ。その点、俺よりもクロノの方がそういうのはわかるんじゃないか?」
「どうしてだ? 僕も恋人はいないぞ」
「え……エイミィとまだくっついてないの?」
「どうしてそこでエイミィの名前が出てくるんだ。彼女は信頼できる友人ではあるが」
「嘘だろ……? 学校の頃から仲が良かったから、エイミィが執務官補佐の試験を受けてアースラに配属された時、みんなそのままくっつくと思ってたんだけど。むしろなんでくっついてないの?」
クロノは在学中に受けた執務官試験では落ちており、アースラに配属されてからの二度目の試験で合格したのだが、それでも当時から執務官を目指すと周囲に明言したいた。
その後を追うようにして執務官補佐の試験を受けたエイミィを見て、単に有力派閥に取り入ろうとしていると考える者は、少なくとも彼女と友人関係にある者の中には一人もいなかった。
「なんでと言われてもな……」
「エイミィじゃ駄目な理由でもあるのか?」
「あると言えばあるが……言っても良いけど、笑うなよ。……付き合うなら僕よりも背の低い人が良い」
二人の間には先程以上の、水底のように重く暗い沈黙が横たわる。フッ、と細い穴から空気が漏れたかのような音がすると同時に、ウィルが椅子ごと体の向きを百八十度回転させる。
「ウィル、どうして突然顔をそらしたんだ? ちょっとこっち向いてくれないか」
クロノはウィルの肩を掴み、自分の方に引っ張ろうとする。
「いや、誰かに呼ばれた気がしたから」
「見え透いた嘘を言うな! 笑うなと言っただろ!」
「笑ってないよ、まだ笑ってない……ごめん、やっぱ無理だわ」
腹を抱えて笑うウィルの顔を、枕でクロノが一閃。
しばらくして、ようやく笑いがおさまったのか、ウィルが向き直って、きわめて神妙な顔で、しかし頬を笑いでひくつかせながら言う。
「心配しなくても大丈夫さ。まだ俺たちは十四才だ。半分ほど過ぎたけど、まだ成長期は残っているからな。それに生きてさえいれば可能性はある」
クロノも頬を怒りでひくつかせながら、答える。
「どうしてプレシア相手の時よりも心がこもっていないんだ。……そう言うウィルこそどうなんだ。恋人はいなくても、なんというか……いい感じの相手くらいいないのか?」
ウィルは両手を肩まで上げるという、大げさな身振りをする。
「あいにくと好いたのなんだのとは無縁の生活だよ。笑ってくれ」
「本当か? 情報元は明かせないが、クラナガンのブティックで女性と連れ歩いてるのを見かけたという話も聞いたが」
「どうせ同期の誰かの噂話だろ。というか、俺だって女性と一緒にいる時くらいあるよ。卒業してすぐに配属されたクラナガンの陸士部隊じゃ、事務のおばさま方に荷物持ちとして買い物に付き合わされてたからな。一応これでも士官なのに」
「いや、たしか若い人だと聞いたぞ。茶色がかった髪で、眼鏡をかけていたとか」
「それオーリス姉さんだろ」
ウィルの義姉、オーリス・ゲイズはもうすぐ二十歳を迎えようという才媛で、父のレジアスと共にミッドチルダの管理局地上本部に勤めている。クロノも直接会ったことは数えるほどしかないが、たしかに特徴と合致するような容貌だった気がする。
「そんなことよりも、まだ一人話してない人がいるよな。プレシアの容体は?」
「……彼女もまた無理のしすぎだ。フェイトと違って肉体的なダメージはそれほど受けていないが、回復には時間がかかる。それに……」
クロノは言葉につまる。犠牲者が出なくて良かったという考えは、間違いかもしれない。
「彼女は病魔に侵されていたようだ。肺に悪性の腫瘍が見つかった。断定はできないが複数の臓器に転移している可能性も、かなり高い。この船の医師は僕の父さんが現役の頃からのベテランなんだが、その人の見立てだと、もうどうやっても取り返しがつかないくらいに進行しているらしい。頑張っても……一年もつかどうかだそうだ」
次元航行艦船の船医は優秀なだけでなく、様々な世界の病気に通じている。
海の部隊は事件の解決のために様々な世界を訪れる。その過程でその世界独自の病気に遭遇することも多々あり、たとえそのような状態に陥っても治療の目途をつけられるように非常に豊富な知識を必要とされるのだと聞く。
そんな人物が言うのであれば、その言葉は十中八九正しいと思って良いだろう。
ウィルは「そっか」と呟くと、目をつぶった。二人とも何も話さず、ただ時間だけが流れる。
しばらくして、ウィルはようやく口を開いた。
「生きていればいくらでも可能性はあるけど、生きられなきゃどうしようもないな。時の庭園とアリシアの遺体はどうなるんだ?」
「本局に増援を要請した。アースラと入れ替わりにやって来るその部隊が調査をおこなって、その後はひとまずかつて時の庭園のあったミッドの郊外に戻されることになるだろう。そこから先はプレシア次第だ。アリシアの遺体もそうだな。死体をどのように扱うかまでは、管理局がとやかく言うことじゃない」
死体の埋葬方法は世界によって大きく異なる。そして、埋葬方法にはその人の価値観、文化、風習が大きく表れるため、管理局のような異なる世界の者たちがそれに口を出しすることはタブーとされている。
人間の死体を使った実験はどの世界でも禁じられているが、プレシアはアリシアを腐敗しないように保存していただけ。管理世界の中には、ミイラのように死体に特殊な加工を施して保存する民族も存在することに比べれば常識的な範囲内と言える。
プレシアが遺体の維持を望むのであれば、現状のまま遺体は保存され続けるだろう。そのための資金くらいはプレシアの遺産で賄える。プレシアが亡くなって、蘇らせようとする者がいなくなっても、ずっと。
「ああそうだ。もう一つ聞きたいことがあるんだ。執務官として法にも詳しいクロノに聞きたいんだけど──」
予想外の質問にクロノはしばらく唖然としたが、事情を聴くうちに冗談で言っているのではないと理解し、いくつかの判例を交えて質問に答える。
「以上の前例から、高い確率で可能だと言える。もちろん人格や思想に問題がないかなど、いくつかの試験を必要とするが。……しかし本当に提案するつもりなのか? 向こうにも事情があるだろう?」
「断られたら素直に諦めるよ。これは俺なりの恩返しだからさ。恩を押し売りする気はないよ」
ウィルは立ち上がって、その場で大きく伸びをする。
「聞きたいことも一通り聞いたし、そろそろ帰るよ。邪魔して悪かった」
「待て。僕もきみに聞きたいことがある。……まだ、復讐したいと思っているのか」
「いきなりだな。あー……プレシアとの会話を聞いていたからか。当たり前だろ。そう簡単に諦められるかよ」
ウィルはなんのてらいもなく答えた。
クロノはしばしの逡巡の後、思いきって提案する。
「アースラに来ないか? 地上よりも海の方が闇の書の担当になる可能性は高い」
「遠慮しておく。うまく担当になれれば良いけど、そうなる可能性は低い。それに余所が担当になって自分のところが長期航海中だったら、船を下りて向かうこともできない」
「それは……」
それは暗に地上なら駆けつけることができると語っているようなものだ。そして闇の書の活動場所が管理外世界なら、そこに向かう方法は非合法な手段となる可能性が高い。
「いったいどうしたんだよ。ゲイズの養子になってる俺を囲ったりなんかしたら、リンディさんの立場が悪くなることくらいわかっているはずだろ」
「不安なんだ。きみがプレシアのように暴走してしまうんじゃないかと」
「だから自分の目の届くところに置いときたいってのは、友達でもちょっと過保護すぎるよ。むしろそっちの方が怖くない? 俺そのうち監禁されちゃうの?」
「茶化す話じゃない──」
「茶化したくもなる笑い話だよ」
クロノの懸念をウィルはありえない冗談を聞いたかのように笑いとばす。
「プレシアと俺は根本的なところで違っているから。プレシアの行動は大勢の犠牲を出すものだったけど、俺は違う。復讐なんて言っているけど、やること自体はクロノたちと同じさ。世界の敵、邪悪なロストロギア──闇の書を破壊する。もう二度と転生しないように、完璧に、完膚なく消滅させる」
正義感からの行動も、復讐心からの行動も、やることが同じなら何も変わらない。そうウィルは嘯く。
それでも復讐を語るウィルの顔を見ていたクロノにはやはり納得できない。
なぜ、そんなに嬉しそうな顔ができるのか。
仄暗い憎悪の念をまるで希望のように語る彼が、とても正しいとは思えない。
「だから、クロノ」
ウィルはベッドに腰かけるクロノに歩み寄ると、顔を近づけてささやく。
「もし、闇の書のことで何か掴んだら俺にも教えてくれよ?」
いつものような笑みを浮かべ、冗談めかした口調で、まったく笑っていない目で。
それだけ告げると、ウィルは今度こそ背を向けて部屋を立ち去った。