復讐の炎がこの身を焼き尽くす前に   作:上光

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忍び寄る魔法

 父と一緒に、よく公園に行ったのを覚えている。

 艦付きの武装隊でなかなかミッドチルダに戻ってこれない父は、たまの休みでゲイズ家にやって来るとその埋め合わせをするようにウィルを遊びに連れて出かけてくれた。

 デパートに買い物に行ったり、アミューズメント施設に遊びに行ったり、DSAAやエリアルジョストのようなスポーツ観戦に行ったり、行先は様々だったが、その帰りにはいつもゲイズ家の近くの公園に寄った。

 何か特別なことをしていたわけでもない。高層ビルの隙間にできた猫の額ほどの公園で、ベンチに座って今日のことを、それからお互いに離れていた間にあったことを話すだけ。

 

 何度も繰り返した親子の交流だが、父が亡くなる前のそれは特に記憶に残っている。

 その日、公園の敷地に足を踏み入れたウィルはトコトコとベンチまで走っていた。一人で先にベンチに行っても、ヒューがいなければ意味がないのに、それでもはやる気持ちを抑えられずに走る。

 

「こけるなよ」

 

 後ろを歩くヒューが注意をするが、それは逆効果。ウィルは走りながらヒューの方を振り向き、足元がふらつきころびかける。

 あわや地面に顔をぶつけるかというところで、ヒューがウィルの襟首を掴み上げた。こけるまでの一瞬で、魔法も使わず三メートルはあった距離を一足で詰めていた。

 

「一緒に行くか」

 

 ヒューは苦笑しながら、ウィルを自分の肩にのせて歩きだした。

 ベンチに座って、お互いに会えなかった時のことを話す。話したいことは山ほどある。でも、お互いに交互に話すのが暗黙の決まりだった。ヒューがひとつ話せば、ウィルもひとつ話す。

 語らう二人の前を親子連れが通った。ウィルより少し年上の子が、右手に父親の、左手に母親の手を握り、楽しそうに歩いていた。

 

「どうした? ウィルの番だぞ?」

「うちにはおかーさん、いないんだよね」

 

 親子連れから目を離さずに、ぽつりと言う。

 

「さびしいか?」

 

 困ったような顔でヒューは問う。ウィルはぶんぶんとかぶりを振って否定した。

 

「ううん、おばさんもおねーちゃんもいるから、ぼくは平気。おじさんはちょっとこわいけど。……でも、おとーさんはさみしくないの?」

「俺か? 大丈夫に決まってるだろ。なんてったって、ウィルがいるからな」

 

 そう言って、ウィルの頭をガシガシとなでる。普段から鍛えまくっているヒューのそれは幼子にとってはなでるという範疇を越えていたが、その乱暴さがウィルは嫌いではなかった。

 それからその体格に似合わず、少し寂しそうに、不安そうに、弱弱しい笑みを浮かべる。

 

「なぁ、ウィルにとって俺はかっこいい父親かな?」

 

 ウィルはきょとんとして、首をかしげる。ヒューもよくわからなかったかと思って、それきりその質問をやめた。

 質問の意図は理解できていた。でも理由がわからなかった。ウィルにとって、父親とはかっこいいもので、ヒーローだった。それが当たり前だと思っていたから、どうしてそんなことを聞くのかわからなかった。

 

 

 これは夢、そして記憶。

 未来に何の不安も抱いていなかった、大勢に守られて生きていた日々の記憶。

 

 

「……答えれば良かったな」

 

 目を覚まし、つぶやいたのは夢の光景への未練。

 

 居候していた頃は見慣れたものだった八神家の天井が、ずいぶんと懐かしく感じられる。

 ウィルが滞在していた春頃とは異なりカーテンは厚手のものに変わっており、その隙間からは朝日の光が漏れていた。開けてみるまでもなく外は快晴だとわかる。

 枕元の時計は八時を示している。想定よりも起きるのが遅くなったのは時差ボケのせいか。それとも夢から覚めるのを精神が嫌がっていたのか。

 起き上がろうとして、体が汗でべたついていることに気がついた。朝食の前に、軽くシャワーを浴びようと思いながら、ウィルは体を起こした。

 

 

 

 着替えを持って風呂に向かう途中、リビングへとつながる扉から朝食の匂いが漂ってくる。匂いに誘われるように、ウィルは予定を変えてリビングの扉を開く。

 リビングは昨夜と比べて少しだけ片付いていたが、飾りつけのほとんどがいまだに部屋中を彩っていて、寝起き眼には刺激が強い。

 ソファに座ったヴィータが、湯気のたつホットミルクを片手にうつらうつらとしていた。

 

「おはよう、ヴィータちゃん」

「あぁ……うん……ぉぁよぅ……」

 

 言葉が通じる状態ではないようだ。

 ソファの横では犬のザフィーラがニュース番組を見ていた。挨拶をすれば、しっかりとウィルと視線を合わせて軽く吠え、挨拶を返してくる。人語を解しているかもしれないと思えるほど利口な犬だ。

 食卓に行くと、シャマルが食器を並べていた。シャマルとも挨拶を交わしてキッチンへと入れば、白いエプロンを身に付けたはやてが朝食の用意をしていた。

 キッチンには卵焼きとアジのひらき、春菊のおひたしがあり、味噌汁の入った鍋からは湯気が立ち上っている。おそらく八神家の朝食の中でも、最も食べた回数が多いであろう定番のメニューだ。しかし、少しの違和感。

 

「おはようさん。もうちょっとしたら起こしに行こうと思てたんやけど」

「おはよう。味噌汁少し変えた?」

「わかる? 近所のおばさんが教えてくれたんよ。具は変えてないけど、お出汁を変えてみてん。前は昆布やったけど、今日のはかつお。味見してみる?」

 

 はやては味噌汁を小皿にすくって差し出す。ウィルはそれを受け取って、一口啜る。

 

「前より少し辛くなったかな。それに少し味が大雑把だね」

「あらら、まだ慣れてへんからかな。……あかんかった?」

「そんなことないよ。おいしいし、この味の方がおれの舌にはあっているみたいだ。ミッドは濃い味付けの食べ物が多いから」

 

 良かった――とはやては微笑んだ。その笑顔は幸せそうで、シグナムたちとの暮らしが良い影響を与えているのがわかる。

 はやてはいつもにこにこと微笑んでいて、悲しそうな顔はしない。こちらから踏み込まない限り、自分の弱みや苦しみを決して他人に見せようとしない子だと、居候していた頃の経験から理解している。

 だから今もいろいろと悩んでいるのかもしれない。それでも、彼女の笑みを見れば今の生活に幸せを感じているのは間違いないと確信が持てる。

 

 その姿に大きな安堵と、ほんの少しの嫉妬を覚える。

 そんな自分の内なる感情を自覚して、独占欲が強いのだろうかと自嘲する。

 

「なに笑てるん?」

「なんでもないよ。ところで、シャワーを浴びてきてもいいかな。寝ている間に少し汗をかいちゃって」

「ええよ。もうすぐ朝ごはんの用意も終わるから、急いでな」

「了解」

 

 

 

 ウィルが行った後、はやてはもう一度味噌汁を小皿にすくい、味見する。

 

(なるほど、こっちがウィルさんの好みなんやな)

 

 今度来た時は、もっとうまく作れるようになっておこう。

 小皿を置こうとして、その手が止まる。たしかウィルも同じ小皿で味見したはず。ということは――

 

(――うわ? もしかしてこれって――いや、でも反対側使ったかもしれへんし――)

 

 顔が熱い。鍋を覗きこむふりをして、うつむいて顔を誰にも見られないようにする。そして、シャマルがキッチンに入ってこないように願った。きっと今の自分は、耳まで真っ赤になっているに違いないから。

 

 その時、廊下の方から、扉が勢いよく閉められる音が聞こえてきた。ふと違和感を覚えて、あらためて周囲を確認する。食卓にシャマル。リビングにヴィータとザフィーラ――そういえば、一人足りない。

 

 

 

 洗面所の扉の前、ウィルは頭を抱えて座り込んだ。

 注意力のない三秒前のウィルに責任があるのは間違いない。しかしウィルが洗面所への扉を開けた瞬間に、相手もまた浴室から洗面所に繋がる扉を開けるという偶然――運と言う不可知な物にだって責任が一割くらいあるはずだ。

 ウィルだって洗面所に、しかも扉一枚向こうに相手がいたのであれば、さすがに開ける前に気がついただろう。そして洗面所にだって鍵はついているのに、鍵をかけなかった彼女にも責任の一割くらいは――いや、やめておこう。加害者側が被害者に責任を押し付けるのはあまりに情けない。

 可能な限り迅速に扉を閉めたが、それでも見えるものは見えてしまった。血と肉が通っているとは信じられないほどのシグナムの裸体の美しさは、ウィルの脳裏に鮮明に焼き付いた。

 湯気という白い羽衣を纏った天女(ヴァルキリー)のような、ある種の超越者か天上人――などと表現できるくらいにははっきりと見えた。己の動体視力が呪わしい。

 

 朝から本当に良いものを見せてもらい眼福だ。

 しかしウィルの目下の目的は、彼女たちに信頼してもらうこと。偶然とはいえ、裸体を見てしまったというのは嫌われるに十分な理由だ。

 昨日のパーティでは、みんなまんざらではない顔をしていたし、なによりリビングの飾りつけは電飾まで使う手の凝りよう。ウィルの誕生日のためにここまでやってくれるのであれば、まだ嫌われているということもないはず。もしかしてもう好かれているかも、なんて思っていたのに。

 これが天からの贈り物だとしたら、こんな誕生日プレゼントはいらなかった。

 

 何食わぬ顔でリビングに戻ることもできず、どうしようもない衝動を抱えたまま廊下の壁に背をもたれかけさせ、膝を抱えて三角座り。

 そこにさらなる追い打ち。

 

「何しとるん?」

 

 現れたはやてを見て、いよいよウィルは絶望する。これを知ったはやてに幻滅されるのは避けたいと言い訳を考えようとする。

 しかしウィルのひきつった顔を見て、はやてはため息をつくと、仕方ないなぁという顔でウィルのそばまでやって来た。

 

「間にあわんかったんやね」

「もしかして、シグナムさんがお風呂に入ってること知ってた? ……教えてほしかったな」

「ごめんな、すっかり忘れてた。お詫びになるかわからんけど、シグナムが出てきたら私も一緒に謝るから」

 

 その申し出はウィルにとっては救いの言葉だった。

 ウィルが言えたことではないが、シグナムたちははやてには非常に優しい。甘いと言ってもいいほどだ。その口ききがあれば少しはましになるかもしれない。

 

「ありがたい。はやてが聖王様に見えてきた」

「誰やのそれ? ……ところで、シグナムの裸見たんやろ? 胸、見えた?」

 

 急に声を小さくして、はやてはウィルに問いかける。頭が勝手に先ほどの光景を再生し、首が自動的に縦に振られる。

 

「すごかったやろ?」

「すごかった。今まで見てきた中で一番すごかった」

「……そんなに大勢の見たことあるん?」

「あんまり色気色気しいもんじゃないけどね」

 

 ウィルの脳裏に浮かんだのは、スカリエッティのラボで調整用ポッドの中に浮かんでいた戦闘機人の姿だ。

 

「へぇ…………たまに一緒にお風呂に入るんやけど、いっぺん揉ませてもらったことがあるんよ。なんていうんやろ……同じ人間やのに、こうも違うもんなんやなぁって悲しくなるくらい柔らかくて、思わずやみつきになりそうやった」

「それはうらやましい。俺も揉んでみたい――」

 

 安心して気が緩んだせいか、思ったことをそのまま口に出したウィルに、はやての車椅子が襲いかかる。五年を越える車いすの操縦経験をもってして、タイヤでウィルの足の指のみを的確に轢く。

 鍛えようのない部分への攻撃に、さすがに悶絶。ウィルは少し涙目になりながら、はやてに抗議する。

 

「……ねえ、自分から話をふっておいてこの仕打ちは酷いと思わない?」

「ごめんな。でも、無性にイラっときてん。理不尽やけど、乙女心やと思って堪忍して」

「くそう、女性はいつもそうやって――」

「おはようございます。こんなところで何をしておられるのですか」

 

 気がつけば着替えを終えたシグナムが、二人の隣に立っていた。

 座ったまま急いで頭を下げ、もはや土下座に近い姿勢で謝るウィルと、その横で助け舟を出すはやてを、シグナムは不思議そうな顔で見る。

 

「許すもなにも、そもそも怒るほどのことではないでしょうに」

「でも、俺は見て――」

「ただの肌だ。積極的に見せるものではないが、見られて何かが減るものでもない。それよりも風呂場を使うのであれば、急いだ方が良いのではないか?」とウィルを向いて言う。続けてはやての方を向き 「ある……はやてがここにいるということは、朝食の支度は終わったのでしょう」

 

 そのままシグナムは二人の前を通って、リビングに入って行った。どうやらシグナムは羞恥心が最初から減っている人物だったようだ。

 

「……とりあえずシャワー浴びてくるよ」

 

 

 

 

 朝食を食べ、食器を洗い終われば時刻は九時。

 支度を終えて玄関に集まると、見送りに来たザフィーラに別れを告げて出発する。

 

 バスに揺られて一時間。一行は山を越えた隣町にある遊園地にやって来た。

 うさぎのキャラクターをマスコットにしたこの遊園地は全国的に知名度が高い。敵役であるのろいうさぎの絶妙に気の抜けた感じが十代女子の間で人気を博したのがきっかけで有名になり、入場直後のグッズ売場でものろいうさぎ関連の商品が店頭に並べられている。

 ヴィータは海鳴に来たばかりの頃に、はやてにぬいぐるみを買ってもらったことがきっかけで、こののろいうさぎをいたく気に入っているらしく、今も誘蛾灯に魅かれる蛾のように、ふらふらとそちらに向かいそうになってシャマルに止められていた。

 棚の片隅に追いやられている本来の主役たるメインマスコットの方から、そこはかとない呪詛(のろい)を感じるのは気のせいだろうか。

 

 グッズ売場の並ぶ通りを抜けた所で、一行は立ち止った。

 

「はやて、まずは何に乗りたい?」

「えっと…………よくわからへん。こういうとこに来るの、初めてやから」

 

 はやては幼い頃に両親を亡くし、以来お手伝いさんを雇っていた時期はあれど長らく一人の生活を続けてきたため、遊園地には一度も来たことがない。

 そして今日の遊園地行きは昨夜のパーティ中にそのことを知ったシャマルの提案で急遽決定されたものなので、下調べはまったくしていない。

 

「とりあえず、あれに乗ってはどうでしょう?」

 

 上を見上げながら言うシグナムにつられて、ウィルも視線を上にあげる。すると、上空に設置されたレールを、コースターと悲鳴が駆け抜けていった。

 

 どの遊園地でもコースターはたいてい人気上位のアトラクションで、この遊園地でもそれは例外ではない。

 全長千六百メートル。最高速度は時速百八キロメートル、ウサギがとび跳ねた軌跡のようにも見える駱駝の背(キャメルバック)の後には、国内有数の巨大宙返り(ループ)と二つの縦長楕円ループが続く。

 体がしっかりと座席に固定されるタイプなので、足の不自由なはやてでも乗ることが可能だ。

 

 一行はとにかく定番のアトラクションを流すことに決めて、さっそく列に並ぶ。平日の午前中だからか並ぶ人は少なかったので、すぐにプラットホームまで進んで順番が回ってきた。

 しかし席についた後で急にシグナムと従業員がもめ始める。

 

「申しわけありません。お客様の安全のためにも、安全バーとベルトはしっかりとしていただくことになっておりまして」

「せめて腰のベルトは外したいのだが。これではいざという時に動くまでに、時間がかかってしまう」

「動かさないためにあるのですが――」

「もう、シグナムは何を言うて……ウィルさんはいったい何してるん?」

 

 シグナムの前の席に乗っていたはやては、隣に座るウィルがぶつぶつと言いながら、ベルトを引っ張っている姿を見て声をかける。

 ウィルははやてにだけ聞こえるような小声で、今度は安全バーを押したりしながら答えた。

 

「本気でこれつけて拘束されて飛ぶの? 動けないの怖くない? ない方がいいんだけど――」

 

 自由に飛ぶのは慣れているが、身動き取れずに飛ばされるのは怖い。

 結局、コースターが出発するのが一分遅れ、原因であるはやて御一行は他の乗客からの厳しい視線にさらされ続けることになった。

 

 

 

「定番の次も定番といこか」

「あんまり見ないらしいけどね、お化け屋敷のある遊園地」

 

 三十年前に廃校になった小学校。誰もいない真っ暗な校舎を、小さな懐中電灯を片手に進んでいかなければならない。呪われた校舎の中を進み、目指すは校舎裏のうさぎ小屋。その小さな飼育小屋には、かつて廃校になった時に放置されて死んだウサギたちの霊が今も死に気づけず囚われている。

 きみたちには入り口でウサギのエサが渡される。飼育小屋の中にある小皿にエサを入れて、かわいそうなウサギたちの霊を成仏させてあげてくれ――というアトラクション。

 入り口から出口までの距離は五百メートル。平均所要時間二十分。

 

「どうやら、車椅子でも入場できるようですね」看板を見ながら言うシグナム。

「なんで三十年前の学校がバリアフリーやねん……っていうのは、つっこんだらあかんねやろなぁ。でも、雰囲気あるから、学校に対してトラウマを持ってしまうかも」

「ふっ、この魔法全盛の時代にお化けなんて非科学的なもの」鼻で笑うウィル。

「それ、つっこみ待ち?」笑うはやて。

「暗いところから人が飛び出てくるだけなんだろ? どこが怖いんだ?」ヴィータは理解できないと首をかしげる。

 

 ただ一人、シャマルだけが顔を青くしていた。

 

 

 

 心臓に負担のかかるアトラクション二連発の後は少し休息が必要だろう、主にシャマルのために――というわけで。

 

 この園内には、動物とふれ合うための場所がある。また、ペットや育てるための商品も取り扱っており、育て方の講習もおこなわれている。

 一行もご多分にもれず、ウサギたちとのふれ愛を楽しんでいた。垂れた耳とひくひく動く鼻がかわいらしい。ちょこまかと動くのもかわいらしい。背中や頭をなでると、じっとしてなでられ続けているのもかわいらしい。全てがかわいらしい生き物だった。

 これだけかわいらしいと、野生ではどうやって生きて来たのか。八神家にあったゲームのように、鋭い門歯で噛みついて首をはねるのだろうか。それとも八神家にあったパソコンで見た昔の映像のように、恐ろしい速さで飛びかかってやっぱり首をはねるのだろうか。聖なる手榴弾はないが魔力弾は撃てる。

 と益体もないことをウィルとはやてが話している間も、ヴィータはウサギをなで続けていた。あまりにも長くなったために、シャマルが出発をうながすためにヴィータに近付く。

 

「ヴィータちゃん、そろそろ行きましょう?」

 

 声をかけ、シャマルはヴィータの顔をのぞきこむ。夢中になっているヴィータの顔を見てみたいという稚気。

 しかし、実際にシャマルが見た表情はまるで逆だった。その顔に嬉しさはなく、悲しさと慈しみが混じった表情。ヴォルケンリッターの中でも、最も幼いと思っていたヴィータの、誰よりも大人びた表情。

 ウサギの背をなでながら、ヴィータは言う。

 

「あったかい。こんな小さいのに、こいつらも生きてるんだよな」

 

 誰に向けるわけでもない、独り言のような言葉を呟くと、すぐにヴィータは立ちあがった。

 

「悪いな、待たせちまった。こいつらがこんなになで心地が良いのがいけないんだ」

 

 それだけであのような顔をするわけがない。

 けれどシャマルはそれ以上は何も言えず。

 結局二人はそれ以上ウサギについて話さず、そのままはやてたちに合流した。

 

 

「さて、それでは次は――」

 

 どこへ行こうか? 四人ははやての方を向いて尋ねる。

 

「それじゃあ、次は――」

 

 

 

 

 テレビは正午を告げ、昼のニュース番組が始まる。内容は朝とほとんど変りなく、ザフィーラは前足でボタンを押して、テレビを切った。

 留守番中のザフィーラには、やることがない。リビングの飾りつけを片付けようかと考えたが、もしもウィルが直接帰らずにもう一度家に帰ってくれば疑問を持たれてしまう――犬しかいなかったはずなのに、誰が部屋を片づけたのか? と。

 したがって、できることと言えばテレビを見て本を読むことくらいだ。

 

 ザフィーラは体を起こし、今ごろ遊んでいるであろう主たちに思いをはせる。少しだけ、ほんの少しだけザフィーラも行きたかったが、犬は入れないらしい。

 悔しくはない。主の帰ってくる場所を守るのも守護獣のつとめだ。

 それに八神家には闇の書がある。普段ははやてとヴォルケンリッターが共に外出する時には一緒に持って出かけるのだが、今回ばかりは万が一にも同行するウィルに見つからないよう、はやての部屋に隠してある。

 闇の書の安全、ひいては()()の安全を守ることも、ザフィーラに課せられた使命の一つ。

 たかがお留守番。されどお留守番。これもまた非常に重要な任務。そんな風に自分に言い聞かせた。

 

 時刻は正午――昼食の時間だが、動いていないのでたいして腹はすいていない。

 それに掃除と同様に、ただの犬と思われているザフィーラが食事を作ったことがばれては不審に思われる。

 どうしようかと悩むザフィーラの目が一つの物体をとらえる。リビングの端に置かれた、ラッピングされた箱。昨日、ウィルが持ってきたプレゼントの一つで、たしか中身は高級ドッグフード。

 

 ザフィーラは守護獣形態のまま、器用に両の前足を駆使して箱を開ける。箱の中に見えるのは画一的な大きさの、茶色の物体。食事というよりはジャンクフードのようだ。見た目はともかく、匂いは悪くない。ザフィーラは少しずつ口に運び始めた。

 無人のリビングに、むしゃむしゃと噛み砕いて咀嚼する音が響く。

 

「……味が薄いな」

 

 栄養バランスだの減塩だの、ドッグフードの味はザフィーラにとっては今一つ物足りない。高級なドッグフードであれば違うのではないかと期待したが、あまり変わらないようだ。

 

 食事を終えたザフィーラは、カーペットに寝そべった。またテレビをつけていても良いし、本を読むのも良い。パソコンを使っても良いが、履歴はしっかりと消しておかなければ。

 しかし今日は本当にいい陽気だ。ひなたぼっこに興じるのも悪くない。

 

 太陽の光を浴びながら、ザフィーラは未来に思いを馳せる。

 八神はやてが今代の主になってから、はや五ヶ月。ヴォルケンリッターは、その間一度も戦っていない。

 これほどまでに長い間、戦いから離れたのは初めてだ。

 

 一月二月戦わないだけならこれまでもあった。

 しかしそれはあくまでもいずれ来る大きな戦いのための準備期間――戦いに備えてカートリッジを作成し、己を鍛えるための猶予であり、戦いから離れたわけではない。

 ヴォルケンリッターの肉体はプログラムが実体を持ったものにすぎない。鍛えても肉体的、魔力的には成長もしなければ、長らく平穏を貪っても劣化はしない。

 しかし記憶は蓄積する。繰り返される戦いの記憶はヴォルケンリッターを歴戦の戦士へと鍛え上げたが、逆に長く戦わなければ勘が鈍ることもある。

 そして、この数ヶ月はまともに訓練さえおこなってもいない。

 

(一度、四人で集まって訓練をするべきか。しかし、全員が主から離れるわけにはいかない。ならば二人で――いや、いっそのこと主も一緒に連れて行くか。我らが戦うことを厭うているが、見世物のようにすれば喜んでくれるのではないだろうか――)

 

 八神家の庭で小さな何かが動いた。

 ザフィーラは思索にふけりながらも、そのわずかな音を聞き逃さず、瞬時に意識を切り替えて庭を見る。

 

(なんだ、猫か)

 

 庭にいたのは一匹の猫だった。ザフィーラが軽く吠えると、猫はすたすたと庭から出て行った。

 

(ふむ、考え事をしながらあれに気付けるなら、まだそれほどなまってはいないようだな)

 

 自分の鋭敏な感覚に少しだけ得意げになる。

 かつては様々な小動物――地を駆ける動物、木を駆け巡るげっ歯類、空を飛ぶ鳥、その全てに気を払わなければならなかった。それらの中には、ザフィーラと同じ守護獣――動物の姿をとることが可能な者が紛れている怖れがあったからだ。

 もっとも、魔法のないこの世界ならば、そこまで気をつける必要はないだろう――とザフィーラは考えていた。

 

 それにしても、今日は本当にいい天気だ。

 ザフィーラはカーペットに身を沈め、ひなたぼっこをしながらあれこれと今後のことを考え続けた。

 想像の中では、今と同じような穏やかな日々が続いていた。

 

 庭を囲う木々と茂みの影から、先ほど立ち去ったはずの猫がその姿をじっと見つめていることに気付かず。

 

 

 

 

 日常と非日常の境界はない。平穏と戦場を分ける垣根も存在しない。

 もしもあるとしても、せいぜい薄い氷一枚程度。

 

 普通の日常(エブリデイ)に、日常を変革する魔法(マジック)が突然現れる。

 そんな奇跡のようなイベントは、いつだって唐突に訪れる。

 

 はやての日常に訪れた最初の魔法は、ウィルという異世界の来訪者とで出会ったこと。

 次の魔法は、ヴォルケンリッターが現れて、闇の書の主になったこと。

 

 次のアトラクションに胸を躍らせるはやては、かすかな痛みを感じた。

 それは非常に小さく、肉体の痛みというにはあまりにもふわついていて実感がなかったので、はやてはそれを無視した。きっと、珍しく興奮して少し疲れてしまっただけなのだと――

 

 その痛みが、はやての日常を壊す三つ目の魔法。

 

 

 ――また……始まるのだな

 

 はやての部屋。鍵のかけられた引き出しの中に、闇の書がある。

 いまだ現れない五人目のヴォルケンリッターの諦観が、書の内に広がる昏黒の闇に木霊した。

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