居候となったウィルは、あてがわれた部屋の中に立ち、周りを見回した。
書棚には様々な言語で記述された書籍や、どこかの民芸品のような用途不明の物品が並んでいる。少女の説明によると、この部屋のかつての主は少女の父親で、彼は生前は貿易関係の仕事をしており、外国との付き合いも多かったのだという。
真新しいシーツが敷かれたベッドに飛び込みたい気持ちを抑えて、扉に鍵をかけカーテンを隙間なく閉めると、右手首のブレスレットと首元のペンダントを外して机に置いた。
装飾もない無個性なアクセサリに見えるこれが、ウィルにとっての
ブレスレットは『ヴィルベルヴィント』──通称は『F4W』
デバイスとしての形状は飾り気のない片刃の剣。
デバイスの形状や性能は、用途に応じて多岐にわたる。
管理世界で主流となっているのは、『ストレージデバイス』と言われる、魔法の行使に特化したデバイスだ。
管理局の戦闘部隊が使用するデバイスはたいていがこれで、戦闘スタイルは射撃魔法を主体とした中・遠距離となっている。魔法を使うだけならデバイスの形状は指輪でも本でも良いのだが、近接戦闘にも対応できるように杖型を用いる者が多い。
一方、ウィルのF4Wのように武器として振るうことを前提としたデバイスは、『
この種のデバイスは、武器として相手に叩きつけるため耐衝撃性に優れており、反面、演算の処理速度は低い。
そのため、アームドデバイスは複雑な術式や連続した魔法行使よりも、強化魔法のように単純かつ恒常的に機能し続ける魔法の行使に向いており、使い手の戦闘スタイルも魔法で強化した肉体を頼りにした近距離戦が多い。
少しでも演算速度を上昇させるために、比較的単純で余裕のある機構をしていることが多く、所有者によってはそこに様々なユニットを追加することもある。
その中でも有名なものとして魔力を瞬間的に増加させるカートリッジシステムがあるが、制御が難しいので使用者は少ない。ウィルも過去に試してみたことがあるが扱いきれずに取り外した。
ウィルが持つもう一つのデバイス、ペンダント型の方はストレージデバイス『ハイロゥ』
デバイスとしての形状は両足を膝まで覆う金属質なブーツ。
デバイスは本来それ一つで様々な魔法を用いるために使われる万能機だが、ハイロゥはそのような在り方とは真逆。
幼い頃からたびたび世話になっている先生が、ウィルに合わせて作ってくれた専用デバイス。
その役割は亡くなった父親から受け継いだ魔力変換資質の制御と増幅のみという、ウィル以外にとってはガラクタ同然の一品だ。
ウィルは懐から携帯端末を取り出し、端末とデバイスを接続してコンソールを操作する。デバイスの調子を看るためだ。
デバイスの調整や修理は、普段はデバイスマイスターと呼ばれる整備士に任せるが、ここは支援を受けられない管理外世界だ。自分のデバイスの面倒は自分でみなくてはならない。
といっても携帯端末に入れておいたデバイス診断用のソフトウェアを起動するだけだが。
「F4Wは異常なし。ハイロゥは……駄目か」
デバイスは外装であるフレームならある程度壊れても修復できるが、コアに衝撃が加わるとあっさりと動かなくなることもある。
不幸中の幸いというか、ハイロゥには微弱ながら緊急時の自動修復機能があるため、定期的に一定量の魔力を与えておけば徐々にだが自動的に修復されていく。損傷具合から、完全に修復されるまでには半月ほどかかりそうだ。
それまではデバイス一つでやるしかないと心に決めて、ハイロゥに魔力を蓄積すると、傷ついた自身の肉体に治癒魔法をかけてから眠りについた。
翌日の食卓に並んだ朝食は、汁物と山菜の浸物、そして白米。ウィルにとっては見慣れない組み合わせだ。味付けは少し薄く感じたが、味自体は悪くない。
ウィルのために用意されたスプーンでがつがつと食べる。もともと体が資本の武闘派ということもあり、あっという間に全てたいらげる。
いつもの癖で空になった茶碗を突き出そうとウィルの手が動き、その途中で止まる。居候がおかわりをして良いのだろうかと、窺うように少女を見る──と、少女はにこにことウィルを眺めていた。視線が合うと、少女ははにかみながら問う。
「どうですか? 口にあいましたか?」
「おいしいよ。まだ若いのに料理が上手なんだね」
「毎日作ってますから、嫌でも上達します。足りへんかったら言ってください。少し多めに作っておきましたから」
お言葉に甘えて二回おかわりして炊飯器の中を空にした頃、少女が再び話しかけてくる。
「怪我の具合はどうですか? 動いても平気です?」
「一晩寝たらずいぶんましになった。おいしいごはんもいただいたし、もう治っているかもしれない」
「さすがにそれは無理ちゃいますか」
少女は冗談だと思ってくすくすと笑うが、魔法の効果もあって怪我の中でも軽いものはすでに治り始めている。
ウィルが使える治療系魔法は初歩中の初歩で、自然治癒力を高める程度のものだ。
高度なものなら未分化細胞を生成し、軽傷ならほんのわずかな時間で跡形もなくなるようなものもある。それらに比べれば児戯に等しいが、完治までにかかる時間を半分ほどに短縮する効果はある。
「でも、動けるんやったら買い物に行きませんか? 実は昼から足の検査で病院に行かなあかんから、そのついでに。着替えもお父さんのやと微妙にサイズ合わへんみたいですし、他にもいろいろと入り用になりますから」
「そこまでしてもらうのは──」
反射的に遠慮しかけるが、向こうから言い出してくれたことを断る謂れはない。あるとすれば、十歳程度の子に全額出してもらうということに対する自尊心の傷くらいか。利とプライドを天秤にかけるが、あっさりと決着がつく。
「ごめん。後でお礼も含めてちゃんと払うよ」
「今はお礼なんて気にせんで良いですから。困っている人がいるなら、助けるのが当たり前です」
家の戸締りを終えると、ウィルは少女の車いすを押しながら、市街地へ行くためにバス停まで歩き始める。その道程、少女とたわいのない話をしながらも、ウィルはジュエルシードを探すために周囲に気をやっていた。
輸送船のセンサーで追跡できた範囲では、ジュエルシードはこの街を中心とした約三十キロメートル四方に落下している。
それだけ広範囲に散らばった小石ほどの大きさの物を視覚で探すのは無謀だ。そこでウィルは視覚ではなく触覚を用いることにした。
ジュエルシードは活性化しておらずとも周囲の魔力に影響を与える。そして魔導師は体内に魔力を蓄えているため、外界の魔力の動きをある程度は感じることができる。
輸送前にジュエルシードについて説明を受けた時のデータによれば、非活性状態なら十メートル弱、活性化すれば一キロメートルは離れていても魔力反応を察知できる。なにせ魔法技術のないこの世界は魔力的には無音に等しく、魔力反応の察知はしやすい。
発見だけが目的なら、周囲の魔力素を動かして魔力の流れを作り、魔力に反応する物質を探索する方法が効率良い。
パッシブソナーに対するアクティブソナーのようなもので、うまくやれば周囲数キロメートル内にあるジュエルシードを見つけることができるだろう。
ただし、それによって周囲の環境やジュエルシードにどの程度の影響を与えるのかが未知数だ。最悪、輸送船の時のように、流した魔力によってジュエルシードが活性化してしまうこともあり得る。
また、広範囲に影響を及ぼすほどの大きな魔力の流れを発生させれば、それだけ魔力と体力も大きく消費する。自分の他にも封印してくれる者がいない現状ではあまりにも危険すぎ、特定のエリアに複数個のジュエルシードが同時に存在していて同時に活性化し制御できる範囲を超える可能性を考えると、他に魔導師がいても使いたくない方法だ。
結局、足を使って様々な場所を練り歩くのが、最も安全で確実な手段になる。
病院の検診を終え、駅前のデパートで買い物をすませた二人は、その足で近くの図書館に寄ることにした。
図書館の中は、一メートル程度の間を開けていくつもの棚が並び、その棚には百にのぼるかというほどの書物が並んでいる。その光景に圧倒された。
管理世界では本というのはデータとして存在するもので、紙にインクで記されるような装丁のある本がこれほど揃っているのはまず見かけない。
あるとすれば希少な嗜好品か、あるいはウィルの仇でもある『魔導書』と呼ばれるデバイスか。
図書館の中を移動する時、少女が振り向いた。
「借りたい本があるんで、少しだけ寄ってもええですか?」
「もちろん。どんな本?」
「童話です。場所はわかってますから、少し待っててください」
少女はとある棚の前まで行くと、本を探し始める。高いところにある本なら手伝おうかと考えていたが、下の方を探しているので、出番はなさそうだ。
その隣の棚の前に黒い髪を腰まで伸ばした少女が立っていた。ウェーブのかかった黒髪は、艶があるせいか蒼くさえ見える。彼女は一番上の棚に手を伸ばしていたが、子供の身長ではぎりぎり届かない。
「欲しいのはこれ?」
横から声をかけながら、おそらくこれとあたりをつけた本を棚から抜き出し、黒髪の少女に手渡す。
彼女は「ありがとうございます」と深々と礼をし、すでに持っていた数冊の本に、その一冊を加えた。その礼一つを見ても、育ちの良さがうかがえる。
「ごめん。誰かが借りてるみたいやった──」
その時、少女がウィルのそばにやって来た。
「あ、その本」
少女の視線は、黒髪の少女が持っている本の一冊に注がれていた。
「この本?」
黒髪の少女が、抱えた本の一つを見せるが、少女は首を横にふった。
「ううん。なんでもないんよ。気にしやんといて」
「もしかしてこの本を探していたの? それなら、どうぞ」
「そんな! 遠慮せんで良いですから」
「そっちこそ遠慮しなくて良いよ。それに私はまだこの前の巻も読んでないから」
そう言うと、黒髪の少女はそっと本を手渡した。
「あ、ありがとう」少女は申し訳なさそうに言う。 「なるべく、はよ返すようにするから」
「急がなくても良いよ。私はじっくり読む方だから」
黒髪の少女は、ウィルとはやてを見比べながら訊く。
「ところで、お二人はどんな関係なんですか?」
「それは……」
「親戚なんだ。こっちには遊びに来てるとこ」
答えによどんだ少女に変わり、ウィルが答えた。
「そ、そうなんよ」
慌てて少女もうなずくと、黒髪の少女はそれで納得したようだ。
親戚というのは嘘にしても、ウィルと少女の関係はなんと言い表せば良いのだろうか。
そんなことは決まっている。赤の他人だ。知り合いというほどですらない。
それなのに少女はウィルに親身になってくれる。それは本当に善意なのだろうか。それともウィルには想像もつかないような打算が裏には隠されているのだろうか。
横目で見た少女の横顔にはその答えは書かれていなかった。
図書館を出た頃にはあたりは赤く染まり始めており、学生服の子供が大勢通りを歩きだす。
少女に連れられて寄った図書館は、ウィルにとってもこの街の地図をはじめとする地理情報が手に入る有益な場所だった。
今日一日歩いたおかげで、人の集まるところや魔力素の濃度が濃いところといった、危険な場所もある程度わかった。
ウィル一人で全てのジュエルシードを発見できなくとも、これらの調査結果は後々回収のために訪れる海の部隊のためにもなるだろう。
一日の成果に充足感を抱きながら最寄りのバス停で降りた時、体内の魔力が揺らされるような感覚に思わず足を止める。船で感じたジュエルシードのものに似ている。
少女を置いてこの場を離れることに躊躇し、しかし強力な魔力反応を放置してはおくこともできず、
「ごめん! すぐに戻るから、ちょっと待ってて!」
その言葉を残してウィルは魔力の発生源へとかけ出した。
バス停横の公園を駆け抜け、昨日少女と出会った東屋を通り越し、山へと続く小道に入って少し行けば、木々の生えていない開けた場所に出た。
そこには全長五メートルを越す巨大な獣がいた。犬に似ているが、肥大化してはちきれそうになっているその体躯は自然の生物としてはあまりに不自然。趣味の悪いシアターで公開されるパニック映画に出てくるキメラのようだ。
改めて探るまでもなく、先ほど感じた魔力反応は目の前の獣から発生していた。
「F4W、スティンガーレイ」
『Sir. Stinger Ray!』
デバイスを起動。バリアジャケットを纏うと同時に、展開され右手におさまった剣型のデバイスF4Wから三つの赤い魔力弾を放つ。
放たれた魔力弾は全て獣の体を貫き、開かれた穴の一つからジュエルシードが見えた。淀んだ光──魔力を放っている。魔力は獣の肉体に吸収され、開いた穴を生成された新たな肉が埋めていく。ジュエルシードの魔力が獣に何らかの影響を与えているのは確実だ。
穴が完全に消える前にと、ジュエルシードに狙いを定めて再び魔力弾を放つ。が、光る弾が自身に対する攻撃であると学習した獣は、野生の俊敏さで弾を回避する。
遠距離からの射撃ではらちがあかぬと、ウィルは飛行魔法で地面すれすれを駆け、獣に接近する。F4Wでジュエルシード周辺を切り裂き、そこから封印のために魔力を直接流し込むためだ。
五十メートルはあった獣との距離が急激に減少する。
獣が前脚を振り上げ、ウィルを迎え撃つ。脚の攻撃範囲まではまだ少しの猶予がある──と考えたウィルの予想を裏切り、獣の脚は粘液のように溶けたかと思うと、すぐさま鋭角的な針へと形を変え、突っ込んで来るウィルめがけて伸びる。
あわや串刺しになるかという刹那、ウィルの右脚が目にもとまらぬ速度で動く。何の予備動作もなく、予兆さえ感じさせず、カタパルトで発射されたかのように右脚が地面に向かって振り下された。
ウィルは少し珍しい資質を持っている。
魔法は魔力素という粒子を媒介にしているだけで、れっきとした物理現象だ。
プログラムによってその振る舞いを制御することで、魔力弾のように純粋な魔力として運用することもできれば、強化魔法のように実体を持つモノに影響を与えることもできる。
そして、プログラム次第では任意の物理現象を引き起こすこともできる。魔法で物質を動かしたり、炎や風、氷を作り出すことも。
通常、魔力を用いて物理現象を引き起こすには、高度な修練と制御能力を必要とする。
しかし、世の中には生まれつき特定の物理現象への変換を簡単に、そして効率良くおこなえる者がいる。
その才能は魔力変換資質と呼ばれ、何らかの資質を持つ者の割合は、魔導師十人につき一人か二人程度。左ききの人よりは珍しくない。
そしてウィルの持つ資質は、魔力の運動エネルギーへの変換。
漠然とした力ゆえに、ウィル個人では造りだした運動エネルギーを自身の体に作用させることしかできない。できることはごく単純な行為、自らの肉体を動かすというだけ。
ウィルはそれを使い、足の魔力を運動エネルギーに変換した。足は本来筋肉によって発揮される以上の力で発射され、地面へと叩きつけるように振り下ろされる。つまり筋肉に頼らず肉体を外力で駆動させた。
この技の名は『
ウィルと同じ変換資質を持っていた亡き父、ヒュー・カルマンが得意とした技だ。
発射された足が強く地面を蹴り、反動で体は高く跳びあがる。触手は貫く的をなくし、ただ空気を裂くだけ。
跳躍中に体を前屈気味に傾けながら、背に構えた剣を両手で持つ。魔力を込められた剣が赤色の魔力光を纏って輝く。獣の頭上を越え背中の上に差し掛かった瞬間に、体を宙転させながら剣を振り抜いた。
F4Wの刀身が獣の背に振り下ろされる。自身の腕力に、魔力を変換した運動エネルギーを加え、そして飛行速度を追加したその一撃は、獣の背をたやすく切り裂いた。
断面からはジュエルシードが見える。もう一度背中に剣を振り下ろし──今度は斬るのではなく突きたてる──剣を錨として獣の背中に乗り、魔力を込める。
「ジュエルシード、シリアルⅠ、封印」
ジュエルシードの活性化が抑まると、巨大な獣は徐々に縮小して最後にはただの大型の野犬の姿になった。にわかには信じがたいが、この犬がジュエルシードの魔力の影響を受けて、あの巨大な獣に変身していたのだろう。
怪我をさせてしまったかと心配するも、元に戻った野犬の身体には傷一つなく。ウィルと目が合うと脱兎のごとく森の中へと消えて行った。
後に残されたのは、封印されたジュエルシード。淀んだ光の代わりに透き通った淡い光を放っていたが、それも次第におさまり、輝きを失うと同時に地面にぽてんと落ちた。
それを拾おうと歩を進めた時、踏み込みに使った右足に痛みがはしった。
肉体駆動の副作用だ。自身の体を魔力によって無理に動かすことになるため、変換して生み出すエネルギーが大きければ大きいほど、筋肉にかかる負担も大きくなる。
接近戦において強力な能力だが、扱いづらい能力であることもまた確か。だからこそ、普段はもう一つのデバイスであるハイロゥを用いているのだが、それが使えない今はこの使い方をするしかない。
痛みをこらえながら、ウィルはジュエルシードに近づき、拾う。
「これで一個目。……さて、あの子になんて言い訳しよう」
少女を置いてきた場所に戻ると、彼女は昨日ウィルと出会った東屋のそばで風景を眺めていた。
近づいたウィルの視界にも、少女が見ているものが飛び込んでくる。それは高台から見える、夕焼けで赤く染まった海鳴の街だ。
「あ。帰って来たんやね」
「ごめん、急にいなくなったりして」
謝りながらも、内心では先ほど獣と対峙した時よりも遥かに緊張していた。
少女に問い詰められたらどう答えるか、ここに戻ってくるまでに様々なパターンを考えていた。
足の不自由な少女を一人置き去りにしてその場を離れるなんて、その場で出ていけと言われても仕方がない。ウィルだって事情を知らなければ軽蔑の目で見る。
「ええよええよ。それじゃあ、帰りましょうか」
それなのに少女は何も追求することなく、微笑んでウィルを迎えてくれて。
「きみはどうして、ここまで俺によくしてくれるの?」
つい、ウィルはそう問いかけてしまった。
彼女は見知らぬ人物であるウィルを治療してくれただけでなく、自分の家に泊めてくれた。ウィルが本当に返してくれるという保証もないのに、ウィルのために必要な雑貨を買ってくれた。そして、先ほど突然いなくなったのに詮索しようとしない。
親切すぎる。あまりにウィルにとって都合が良すぎる。その好意がありがたすぎて、だからこそ疑ってしまう。
少女の顔に浮かんだのは、ウィルの予想とはまるで異なり、迷いと恥じらいだった。
やがて少女は訥々と語り始める。
「ほら、私ってこんなんでしょ?」はやては自分の足を指して言う。 「せやから、あんまり人と話すこともないし、街の方に出るのなんてほんまに久しぶりやったんです。この街って坂が多くて、一人やとあんまり遠出できへんし。す、少し……寂しかったんやと思うんです。そんで……昨日泊めてほしいって言われた時、思ったんです。助けたら、話し相手になってくれるかな、一緒に買い物に行ってくれるかな、って」
少女の顔は真っ赤だ。善意ではなく、下心によって人を助けた自らを恥じていた。
「ごめんなさい。幻滅しましたよね」
ウィルは少女の行動に納得がいって安心した。と同時に、自らを深く恥じた。
少女がどんな理由で行動したのであれ、結果的にそれでウィルは助けられた。少女は善意だけで動けなかったことを恥じているようだが、それができるのは聖人くらいだ。そんなことを恥じる必要などない。
そんな少女に比べてウィルはどうだ。少女の優しさ、寂しさに付け入るようなことをし、これだけ世話になってなお少女を信じることもできず、裏があるのではないかと深読みし少女の善性を疑っていた。
人を安易に信じるのは愚かだ。だが、今のウィルは賢いわけではなく、ただ小賢しいだけだ。
たまらなく恥ずかしくなり、少女の顔を見ることができなる。ウィルは少女から視線をはずし、海鳴の景色を見ながら話し続ける。
「そんなことはないよ。きみがどんな目的で助けてくれたにせよ、それで俺は助かった。意図がなんであれ、その行為の価値まで落ちるわけじゃないと──」
そこまで言ってから、大きくかぶりを振った。伝えるべきはこれではない。恥ずかしさを押さえつけ、しっかりと少女の顔を見る。
「その……ありがとう。助けてくれて、嬉しかった」
短い言葉に精一杯の感謝を込めて言った。
少女の瞳には、ウィル自身の顔が映っている。そんな写像では色まではわからないはずだが、瞳の中の自らの顔は真っ赤であるように見えた。きっと夕陽のせいだけではない。
気恥ずかしさに何かを話そうとして、そういえばお互いに肝心なことをしていなかったと思い出す。
「俺の名前はウィリアム。ウィリアム・カルマン。きみの名前は?」
「そういえば、一日一緒にいたのに、自己紹介もしてなかったんやね。私ははやて。八神はやて、って言います」
「はやて、って呼んでも良い?」
「もちろん」はやては笑ってうなずく。 「じゃあ、私はウィリアムさん、かな」
「ウィルでも良いよ。友達はたいていそう呼ぶから」
「じゃあ、私たち友達?」
「ああ、その方が単なる居候や赤の他人よりはずっと良いね」
ウィルはポケットに右手を突っ込むと、デバイスに収納していたジュエルシードをポケットの中で取り出し、右手に握り込む。
そうしてはやての前で右手を開いて、見えるように晒した。
「ごめん、家出っていうのは嘘なんだ。この街のどこかに、これと同じような石が後二十個ある。俺の仕事はその回収。理由や経緯を話すことはできない。でも、俺は決して悪いことをしにこの街に来たわけじゃない。それは約束する。だから、ごめん。しばらくきみの世話になっても良いかな」
こういう時にどこまで情報を開示するのがベストなのか、管理外世界で活動した経験のないウィルには判断がつかない。マニュアル的には管理外世界の人間には何も教えないのが正しいが、隠し通したまま不審な行動をとり続けるのも不自然だ。
だから、魔法の情報は話さない。それでも自分が何をしたいのか、その心の在り方は話す。
それがウィルの選択で、誠実であることがはやてに対する礼儀だと考えた。
「ええよ。友達を助けるのは当たり前やん」
はやては笑った。昨日今日何度も見た微笑み。でも少し違う。陰りのない、綺麗な笑みだった。
海鳴市に住む少女、高町なのはは駆け巡る悪寒に身を震わせた。
周りを見回してみるが、リビングには兄の恭也と自分がいるだけだ。他には誰もおらず、窓も扉も空いていない。だというのに、冷たい風が吹き付けてきたような感覚があった。しばらくするとそれも消えたが、結局なんなのかわからず、心にもやもやとしたものが残る。
「どうかしたか?」
不安げにしているなのはに気が付いた恭也が、声をかけてくる。
「えっと……お兄ちゃんは何か感じなかった?」
「感じる? 何をだ?」
「よくわからないけど、こう、胸がもやもやーってして、背中がぞくっとするような。そんな感じがしたの」
恭也は妹の言葉を無碍にせず、探るように周囲に警戒する。そして、何かに気づいたようにはっとした。
「わかったぞ」
「えっ!? 本当に?」
恭也うなずきながら、なのはを──その後ろを指さす。
「後ろにいるそいつが原因だ」
「え? え?」
なのはは背後を振り返る。が、そこには誰もいない。
「誰もいないよ?」
「見えないのか? 青白い顔をしているじゃないか」
「えっ!? うそっ! うそだよね!?」
恭也の言葉の意味に気づき、自分が真っ青になりながら、自らのしっぽを追いかける犬のようにぐるぐると回る。
恭也はそんななのはを笑って見ながらも、あらためて周囲の気配を探る。だが、常人より優れた感覚を持つ恭也でも、なのはが感じた悪寒の正体──魔力の波には気が付けなかった。
ユーノ・スクライアは第一管理世界ミッドチルダの次元港を訪れていた。
第百二十二無人世界からミッドチルダへと帰還したユーノは、その場で輸送船の事故を知った。
発掘者であるスクライアとして管理局にジュエルシードの行方の情報の開示を求めたところ、救助された輸送船の乗員の証言からそれらが第九十七管理外世界に落下したこと、そしていまだ一名が救助されていないことを知った。
ウィリアム・カルマン──彼とはあまり話をしたわけではない。あの襲撃事件の時と、その後のジュエルシードの輸送における会議で少し会った程度だ。それでも、彼には助けてもらった恩があると思っていた。
そしてそれ以上に、ジュエルシードを発掘してしまった者として自分も何かしなければ、自分にも何かできるはずだと思った。
ユーノの行動は迅速だった。調査団の仲間から離れ、単身スクライアに帰還する。
そしてスクライアの大人たち相手に喧々諤々の議論を繰り広げ、根負けした大人たちが許可を出したのが昨日のこと。そして管理局から先行調査の許可が得られたのも同じ日だった。
翌日に第九十七管理外世界の近くを通る航路の船があることを知ったユーノは、貯金を使い、足りない分は大人たちに出してもらって、当日のチケットと転送サービスを購入。船が第九十七管理外世界に最接近した時に転送装置で送ってもらうことで、落下地点に行くつもりだ。
出国審査を終えたユーノは、船に乗り込む途中で立ち止まる。ここから先は自分一人でやらなくてはならない。自分から望んだこととはいえ、いざ臨むとなると失敗した時のことが頭にうかんでくる。
『What's the problem?』
ユーノのすぐそばで声がした。機械的なその音声を聞き、ユーノの心は少し楽になる。自分一人ではないと思いだしたからだ。
ユーノは首からかけたペンダント──その先にある赤い宝石に触れる。
「なんでもないよ。……頼りにしてるよ、レイジングハート」
『Yes, my master』
赤い宝石は明滅して、応えた。