復讐の炎がこの身を焼き尽くす前に   作:上光

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守護の獣

 舗装された山道。両端の木々が作り出す天然自然の(アーチ)の隙間から、わずかな月の光が差し込む。

 夜の山中だというのに、夜気は微塵も感じられない。鼻孔に香る山の匂い、夜の音の響き、吹く風の肌触り、全てが先ほどまでと同じようで明確に違う。何より目に映る光景は、彩度を変えた写真のように色褪せている。 

 ここは結界。この領域に存在を許されるのは結界の主が認めた者のみ。そして入るも出るも結界の主の許可を必要とする幽世。

 今の主は白髪褐色の偉丈夫――ザフィーラ。彼がウィルという獲物を狩るために造った狩場だ。

 

 跳びかかる野獣を思わせる前傾姿勢をとるザフィーラ。その姿がわずかに揺らいだ瞬間、すでに疾走は始まっていた。

 疾風のごとき俊敏さを生み出すのは、足元のアスファルトを砕くほどの踏み込み。

 両者の距離が一瞬で縮まる。

 

 それが零になる前にウィルは飛行魔法で空に飛びあがり、上空の木の枝など意に介さずに折りながら上昇し、木の梁の上に出る。

 空には刀剣より細い三日月が薄い輝きを放っている。

 続いてザフィーラも強く踏み込み、跳躍。そして飛翔。ウィルの後を追うようにして空中に上がるも、木々を抜けた瞬間に上から赤色の魔力弾四発が降り注ぐ。

 スティンガーレイは威力こそ低いが、弾速が速いため回避は難しく、防御系魔法に対する貫通力にも優れているため防ぐことも難しい。これは相手の実力を探るための攻撃。この程度の攻撃も防げないようでは、敵は三流だ。ヴォルケンリッターであるはずがない。

 

 そう、ヴォルケンリッター。

 災厄たる闇の書に選ばれた主を守護し、魔力の蒐集を代行する騎士の名。

 その四人――いや、四体全てがSランクの魔導師をも打ち倒し得る真正古代ベルカ式の騎士という理外の化生。

 

 ウィルは魔力の蒐集という用語を使用した相手が()()ではないかと疑いながらも、確証を得られないせいで迷っていた。

 こちらは次元世界のお巡りさん。因縁をつけられたからといきなり抜刀即殺というわけにはいかない。

 まず最初にやるべきことは敵の力量の把握。騙りか否かの判断だ。

 

 ザフィーラは魔力弾を避けるどころか、防ぎもしなかった。四発全てを正面からその身に受けるが、まったくの無傷。突撃の勢いも微塵も衰えていない。

 ベルカ式には騎士甲冑と呼ばれる、ミッド式のバリアジャケット相当の防護服が存在するが、それを身に纏っているとはいえ尋常ではない防御力だ。

 本物のヴォルケンリッターかはともかく、高い実力を持つ騎士であるのは間違いない。

 

 ウィルは引き撃ちをやめて前進に転じる。同時にデバイスに魔力を通し纏わせる。

 自らの射撃魔法ではダメージどころか騎士甲冑すら貫けないと判断し、刃を返して峰打ちでの接近戦に切り替える。

 

 ウィルの剣撃に合わせ、ザフィーラも手甲に覆われた左拳をふるう。だが反応されることは想定内。

 剣と手甲、どちらが有利かは明白だ。もしもザフィーラの拳の方が弱ければ、ウィルの剣が手甲ごと拳を砕く。

 逆に、ザフィーラの方が強くとも、デバイスの刀身(ボディ)が傷つくだけでウィル自身は傷つかない。コアが損傷しない限り、魔力さえ通せばボディは再構成できる。

 押し勝てば、腕が壊れ体勢を崩した相手に続けて攻撃して終わり。

 押し負ければ、即座に引いて距離をとり次の手を考える。

 ウィルにとっては、この一合も所詮は相手の実力を測るための単なる試金石に過ぎない。

 

 油断はしていない。考えた上で常識的かつ合理的な戦法を選択しただけ。

 それでも、本物のヴォルケンリッターを相手どるには、あまりにも甘すぎた。

 

 剣と拳がぶつかる直前、ザフィーラは剣を鋼の手甲に覆われた拳でなくただの肉である掌で受け、そのまま掴み取った。

 峰打ちとはいえわざわざ自分から鋼を肉で受けにいく狂気の所業を誰が想像できるものか。

 実力が足りなければ、ただいたずらに手を砕かれるだけ。それだけ自身の騎士甲冑に自信があったのか――違う。剣と纏わせた魔力を通して伝わった感触は、たしかに生身のものであり、騎士甲冑による防御は抜いている。

 ようやくウィルは思い違いを悟った。あの手甲は攻撃のためでも防御のためのものでもないただの装身具。

 敵の真価は人体の極限を越えるほどの肉体強化。生半な金属など比べることもおこがましい金剛の体。騎士甲冑でさえも彼にとってはついでにすぎない。

 

 極限まで鍛えられた肉体が、防御でなく攻撃に転じれば――危機感を抱き、距離をとろうとするが、すんでのところで思いとどまる。剣が――F4Wが相手に握られたままだ。

 汎用デバイスを捨ててなりふり構わず逃げても、アルフの時のように両足に残った加速用特化のハイロゥだけで戦って勝てる相手ではない。

 

 構えられたザフィーラの右腕が静止し、震える。限界までに引き絞られた弓が放たれる、その直前の弦と同じ震え方。

 瞬間、ウィルはハイロゥを起動。一瞬だけ噴出された圧縮空気によって体が上へと持ち上げられるも、右腕は剣を握ったまま。したがって剣が碇となり、体が腕の長さ以上に剣から離れることを阻止する。

 それでもなお上に行こうとする体は、足を天に頭を地に向けさせ、一瞬の内に視界の天地上下が逆転した。

 逆さまになったウィルの頭の下を、弩のごときザフィーラの右拳が通過した。赤髪の数本をかすめながらも、拳は空を切る。

 

 その瞬間、ウィルは相手に掴まれたままのF4Wに待機状態に戻るように命令を下す。

 刃の部分――ボディは後から形成されたものにすぎない。待機状態に戻せば物質結合が解かれ粒子状態に変化し、デバイスの本体たるコアに収納される。

 

 さらに、空振って前傾しているザフィーラの後頭部に向かって、ウィルは右足を蹴り上げる。コンクリートを砕く蹴撃が、ザフィーラの頭上に振り下ろされる。

 直撃寸前に、ザフィーラはさらに前傾。白髪をかすめながらも、蹴りは空を切る。死角からの攻撃を見もせずに、最低限の動きで避けた。いかなる魔術を用いたわけでもない、実戦経験とそれに裏付けされた勘による行動だ。

 互いに空振って姿勢を崩した状態から先に立ち直ったのはザフィーラの方。野生の獣の敏捷さで、前屈から全身をばねとしたアッパーカットへと移行。

 

 同時に、ウィルの右手首に待機状態のブレスレットになったF4Wが戻ってくる。

 即座にハイロゥで距離をとろうとするも、それよりも先に相手の攻撃が届くことを理解して、体を守るように左腕を咄嗟に前に出した。

 

 樹の幹を力任せに折ったような、ひどく嫌な低音が響いた。

 左前腕への衝撃はそのまま上腕に伝わり、守ったはずの体まで響きわたる。激痛が電流のように全身を駆け巡り、脳髄をしびれさせる。

 耐えられず上空へと吹き飛ばされるウィル。追撃せんと追いかけるザフィーラ。しかしウィルはすぐさま姿勢を制御し、ハイロゥのジェット噴射を使って加速し、離れる。速度では勝負にならぬと判断し、ザフィーラは追撃せずにその場に留まった。

 

 離れた場所で、ウィルはザフィーラに向き直り、再度F4Wを展開。

 剣となりウィルの右手に吸い込まれるように収まる。

 

 しかし、デバイスを取り戻すために支払った代償は大きかった。

 

 腕の関節は肘と手首の二つにしかないはずだが、その自分の知識が間違っているのかと思わず考え込みそうになる。それほど見事に、前腕が――肘と手首のちょうど真中で折れていた。まるで初めからそこに間接があったとでも言うように。

 もうこの戦闘で左腕を使うことはできない。

 折れた腕がぷらぷらと揺れるたびに激痛が波紋のように広がるので、自分の腕にバインドをかけて固定する。それでも襲いかかる激痛は歯を食いしばって耐えれば良い。そう思い、痛みが消えるくらいに歯を食いしばり、敵を睨みつけた。

 今回は腕一本ですんだが、次の判断ミスはおそらく命でもって支払わされることになるだろう。

 

 

 両者は互いに睨みながら、一定の距離を維持したまま向かいあう。

 ザフィーラはウィルの逃げる範囲を狭めるように近付き、ウィルは逃げる範囲が広くなるように後退しながら、次の一手のために頭を働かせる。

 

 いたずらに接近戦を挑むのは論外だ。

 敵の膂力と頑健さはウィルをはるかに上回る。さらには戦闘経験も極めて豊富だ。あれだけの頑健さを持っていながら、即座に反撃に移れるように最小限の動きでウィルの蹴りを回避したことからも、そのことが見て取れる。

 高ランクの魔導師でさえ、高い魔力にものを言わせたバリアジャケットと防御魔法を持つがゆえに、危機に対する感知能力が低い者は珍しくないが、そのような人たちとは文字通り住む世界、潜り抜けてきた戦場が違う。

 

 では、このまま距離をとるのはどうか。

 ウィルの射撃魔法が通用しないのは先刻証明済みだが、相手もおそらく遠距離は苦手だ。

 ベルカ式は物質の強化に優れるという特性があるため、必然的に魔法も物質を用いて戦う近接に特化したものになる。反面、純粋な魔力のみを用いるような射撃系魔法に向いていない。

 ミッド式の魔法も使える近代ベルカ式は比較的この傾向が小さいが、古代ベルカ式となればほとんど近接のみと考えて良い。

 したがって距離さえ取ればひとまずの安心は確保できる、と考えるのは早計だ。

 たしかに古代ベルカ式は近接特化だが、弱点とわかってそれをカバーしない者もいない。近年の儀礼的な古代ベルカ式の使い手ならともかく、戦乱ただ中の旧暦では、優れた騎士は苦手な遠距離においても何らかの奥の手――切り札となる強力な魔法を一つ取得していたと聞く。

 

 

 事実、ザフィーラには奥の手がある。広域型拘束魔法『鋼の(くびき)

 数十メートルにも及ぶ槍にも似た拘束条が大地から現れ、突き刺した相手の動きを停止させる魔法。この拘束条はそれ自体を巨大な槍か剣のようにして薙ぎ払うという使い方も可能だ。

 一度触れれば逃れることはできず、百舌の早贄の如く空中に捕えられる。もしもこれが発動されれば、ウィルは回避さえできずに敗れる――が、ザフィーラはそれをする気はなかった。

 大技とは生じる隙も大きくなるもの。高速機動型の敵に隙の大きな技を出すのは悪手だ。

 そもそも、そこまでして倒す必要はないのだ。なぜなら、ザフィーラがシャマルに受けた指示では、対象の無力化はあくまでも()()()()のこと。

 

 

 ウィルはザフィーラたちの事情は知る由もないが、あれだけ優勢に進めた攻撃から一転して、ゆっくりと距離を詰めようとするザフィーラの姿勢から、すぐに狙いを看過した。

 敵はこちらを倒せれば良し、最悪でも足止めさえできれば良いと考えている、と。

 

 それを理解した時、ウィルの全身に怖気がはしった。

 もしも敵が本物のヴォルケンリッターであるなら、残りの三体はどこにいるのか。

 

 海鳴には高町なのはがいる。ウィルを遥かに超える魔力量を持つ、彼女が。

 

 目標二つ。そのうち一つが莫大な魔力持ちとなれば、そちらに多く戦力を割り振るのは当然の判断だろう。相手からすればウィルとなのはの魔力量に関わらない技量などわからないのだから。

 かといって各個撃破で片方に全員でかかるのはふさわしくない。一人を確実に仕留めれても、もう一人がその間に逃げたり援軍を呼ぶ可能性がある。

 ならば、魔力量が高く手ごわそうな方に多くの戦力を振り分け、もう一方には時間稼ぎのために防御に優れた者を送りこんで足止めさせる。そして手ごわい方を迅速かつ安全に倒し、返す刀で弱い方を倒す。

 

 この考え通りなら、今ごろなのはが残りの三人に襲われていることもありえる。

 なのはの高い魔力による堅牢な防御魔法と、限定的ではあるが鋭い観察力による行動の先読みを最大限に活用して守りに徹すればはある程度は持ちこたえられるかもしれない。

 それでもなのはの実戦経験は浅い。こうして睨みあっている間にもわずかな判断ミスでやられてしまうかもしれない。目的が蒐集ならばすぐに殺すことはないだろうが、それでも――

 

 幼い戦友の命をヴォルケンリッターを名乗る者に奪われるかもしれない。

 その恐怖はウィルの想像を加速度的に肥大化させ、やがて結論を出した。

 

 

 デバイスの刃を返す。それは峰打ちをやめる、斬る、殺すという決断。

 ウィルは迅速かつ確実な決着のために、対象の殺害を決断した。

 

 かすかに腕が震える。死んでも仕方ないと思って戦ったことは何度かある。

 ウィルは余裕がなくなると手段を選ばなくなる。不意打ちをしてでも、相手が大怪我を負うかもしれないとしても、目的を達成しようとしてしまう。

 それは勝たなければ奪われる。勝てる時に勝たなければ今度は自分がやられるという弱者の怯えの表れだ。

 

 それでも、明確に殺そうと思い定めて戦ったことはない。

 相手が本物のヴォルケンリッターであるなら良い。だが、ただ強いだけの犯罪者であるという可能性も十分に残っている。

 相手に仲間がいるというのも考えすぎかもしれない。まして勘違いで、いやたとえ予想が事実だったとしても、人を殺して駆け付けた自分をなのはがどんな目で見るのか。

 その想像がウィルに最後の決断をさせるのを迷わせ、できれば殺したくない――そんな思いから、最後にウィルは相手に念話を送った。

 

『俺の方が重傷なのに、こういうことを言うのは非常にかっこ悪いんだけど……投降するつもりはない? これ以上やるなら、命の保証はできない』

『愚問。戦場は生命をかけるもの。失う覚悟なしに出て来はしない』

 

 降伏勧告への返答は、使う魔法にふさわしく考え方も古風。きっとこの意志は曲がらない。

 

『そうか。なら――』

 

 理性を強制的に遮断し、全霊をただ殺害のためにかける。

 殺すとは言わない。本気の殺意はまず最初に自らの言葉を殺すと知った。

 

 ウィルは剣を肩に担ぐ。

 どれだけ普段策を弄していようが、結局のところウィルが最も信を置く攻撃はこれ――突撃からの斬撃、だ。

 まさにこのような状況――たった一人でも格上の敵に勝つために鍛えた。歪であろうともただ一点に特化して鍛えれば、もしかしたら自分の力だけでヴォルケンリッターを殺せるようになるかもしれない。そんな願望を込めた技だ。

 単純にして明快な力。目で捉えられないような高速移動。捉えられたとしてもなお相手よりも早く到達する剣閃。防がれたとしても守りごと相手を切り裂く重さ。

 

 一撃、必殺。

 

 ベルカ式には様々な流派があるが、流派を越えて存在する『一』と呼ばれる技がある。

 基礎にして奥義とも呼ばれるそれは、ベルカ式の使い手であれば誰でも使える技。

 されどその『一』に己の在り方を表する名をつけるのは、自身の完成形を見つけられた者だけ。

 その『一』を、いまだ名もなき『一閃』をウィルは放つ。

 

 

 ウィルは駆けた。生みだした光輪と全ての音を置き去りにして。軌跡さえも残さない。

 魔力を力に転じ、力は速さを生み、速さは威力へと変わる。ただ光のごとく最短距離を進み、万難排して敵を裂く。

 ウィルが動いたその直後、ザフィーラは動物めいた直感に従い、迷うことなく防御を選択。前方に障壁を展開。

 

 急速に拡大する互いの姿。

 ウィルが駆ける。ザフィーラが待つ。

 

 ウィルの右手が動いた。

 超音速から繰り出された斬撃。その全力になおザフィーラは反応した。自身の左上方から袈裟切りにせんと迫る剣に、左腕を折り曲げて盾とする。

 ここまでは互いに十全。矛が勝つか、盾が勝つか。それを決するのは互いの力量のみ。

 

 刃はザフィーラの障壁を飴細工のように砕き進む。手甲を砕きながらそれでも進む。

 刃はザフィーラの手首に食い込み、筋線維をひきちぎり尺骨を割りながらさらに進む。

 ついには手首を切り落とし、肩に三寸食い込み――動かなくなった。

 

 先ほどの光景の焼き直し。刃は肩に食い込んでいて、抜けない。

 ザフィーラの右手が伸び、ウィルの折れた左腕を掴んだ。デバイスをつかまれた先ほどとは違い、もう逃げることはできない。だがザフィーラの右腕と同時に、ウィルの右腕もまた動きだしていた。

 剣から右手を離し前へ伸ばす。つかむのは相手の顔。そして体ごと飛びこむ。

 

 体当たりの衝撃はザフィーラとウィルに等しく訪れたが、体格でも防御力でも劣るウィルが受ける反動の方が大きい。

 しかしザフィーラも無傷とはいかない。衝撃で体勢は崩れ、ウィルを攻撃するのが少し遅れる。その少しで十分。突撃からの斬撃、そして突撃からの体当たりの二段構え程度で終わらせるつもりはない。

 

 朦朧とする意識の中、ウィルは突撃の威力を緩めることなく、さらに加速した。

 ザフィーラもその行動の意図に気付き、急いでウィルを突き放そうと膝蹴りをウィルの腹へと放つ。

 密着した状態で放たれた威力の減殺されている膝蹴りは、ウィルの肋骨のいくつかにひびを入れ、横隔膜を跳ね上げ痙攣させて呼吸を途絶させた。

 それでもウィルの動きを止めるには届かない。

 ザフィーラは二撃目を放とうとするが、もう間にあわない。二人の戦っていた高度は百メートル程度。

 一秒もたたずに彼らと地面との相対距離は零になった。

 

 

 

 

 

 四人用の病室に、はやてとヴィータの二人きり。この時期あまり入院患者はいないのか、そうでなければこの病室は急な入院患者が発生した時のために開けてあったのだろう。

 はやてはベッドから体を起こして、ベッドの横で見舞客用の丸椅子に座るヴィータに話しかけていた。が、そのヴィータはと言えば、はやてではなく窓の外を横目で見ていて、心ここにあらずと言う有様。

 珍しい事態にはやてはじっとヴィータの顔を見つめる。

 

 

 ヴィータは先ほどからかすかに魔法の気配を感じていた。気配は一定で変化しないことから、空間生成系の魔法『封鎖領域』であることもわかる。だが、それ以上のことは距離が離れすぎていてわからない。

 大学病院はなのはがぎりぎり気付けた高町家よりもさらに現場から離れた場所にある。だというのに、ヴィータが気付けたのは経験と環境の違いが大きい。

 いついかなる時に襲われるかわからない日々を過ごして来た経験が、彼女たちを周囲の魔力の動きに敏感にさせた。

 さらにかつては魔法が日常的に利用されていた世界にいた彼女たちにとって、魔法を使わないこの世界は静かすぎる。静寂の中では衣擦れの音でさえ響くように、魔力の変化もはっきりと感じられる。

 

 何かが起こっていることを知りつつも、ヴィータは動けないでいた。

 魔法を感知する直前にシャマルからの念話で、「ヴィータちゃんははやてちゃんの傍にいて」と釘を刺されていたからだ。だから、この魔法もシグナムやシャマルによるものなのだろう。

 よくあると言えばよくあることだ。ヴォルケンリッターはその全てが主のもとに同列だが、個体ごとに役割はわけられている。主がいなければ将たるシグナムが決断を下し、シャマルが参謀として補佐する。総体としての意思決定はこの二人によってなされ、ヴィータやザフィーラには指示こそ与えられたとしても理由が説明されないことはたびたびあった。

 そのような時は往々にして時間がなかったり聞いても理解できなかったりするので、理由を教えられずとも今更怒ったりはしない。

 そも、はやての元から離れろという命令ならともかく、護衛を続けろと言う命令は当り前のこと。従わない理由はない。

 だというのに――

 

(あぁもう! あたしはいったい、何にこんなにいらついてるんだ!)

 

 だというのにヴィータは苛立っていた。何かはわからないが不快だ。心の内にもやもやがある。それが何なのかわからず、次第に苛立ちのボルテージが上昇する。

 ヴィータは知らない内に体を揺らし、そのたびに丸椅子の四脚は病室の床でタップダンスを踊る。がたんがたがた。

 

「こら! ヴィータ!」

「え……うわぁっ!」

 

 見かねたはやてが叱る声が、ヴィータを驚かせ体を硬直させる。しかし椅子が傾いた状態のまま動きを止めてしまったものだから、椅子はそのまま慣性と重力に導かれ、横に倒れる。

 ヴィータ、倒れる前に椅子を手で強く押す。椅子はそのまま床を転がるが、反面ヴィータの体は宙に跳びあがり、そのまま屋根上から落下する猫のごとく体をひねり、ねじり、見事に足から着地した。

 これにははやても思わず拍手喝采。

 

「って、そやなくて! ……この部屋に私らしかいないからって、うるさくしたらあかんよ。ここは病院なんやから」

「はぁい」

 

 ヴィータはしゅんとなり、うなだれながらも倒れた椅子をもとに戻して座りなおす。

 その時、はやてがぽつりとつぶやいた。

 

「それにしても、シグナムもシャマルも遅いなあ……ま、病院の中やから心配いらんけど」

 

 何気ない一言が、ヴィータの心にかかったもやを晴らした。

 

「心配……そっか。心配なんだ」

 

 呆然としたかと思えば、妙に得心したような面持ちになって、ヴィータははやてに向かって言う。

 

「ごめん、はやて! すぐに戻って来るから心配しないで!」

「え? ちょっ――」

 

 赤い閃光かという勢いで、ヴィータは病室を飛び出る。扉のあたりでやって来た石田先生とぶつかりそうになるが、器用に体をひねり避ける。「ごめんなさい!」とその言葉だけを残して、風のように駆けて行った。石田先生はと言えば、幽霊が自分の体をすり抜けたかのような驚き顔。

 ヴィータはそのまま病院の外に出て、結界目指して飛んで行く。

 

 シャマルの予想は外れた。

 長いつきあいでありながらシャマルがヴィータの行動を予見できなかった理由は、彼らの身に起きた変化を理解できていなかったから。

 たしかに以前のヴィータであれば、何が起こっていようと命令されれば主のそばは離れなかった。ましてや今代の闇の書の主たるはやては優しく、主従という関係を越えてヴィータははやてを慕っている。

 だが、それはヴィータとはやての関係しか見ていない考えだ。ヴィータと自分たちの関係を考えていない。

 かつてのヴィータはヴォルケンリッターの中でもとりわけ無愛想だった。長いつきあいと言っても、シャマルとシグナムの二人とはほとんど口を利かず、ザフィーラとは比較的一緒にいる時間が長かったがそれでも会話らしい会話はなかった。

 常に苛立ちを抱えながら日々を何も語らずにすごし、戦場の相手に苛立ちをぶつける――それが鉄槌の騎士ヴィータの在りし日の姿。

 

 今は違う。今を生きるヴィータにとっては、シグナムもシャマルもザフィーラも、はやてと同じく大切な家族だ。それが帰ってこなければ心配だし、何かが起こっているのであれば助けに行きたくもなる。心配だから。

 そしてヴォルケンリッターだけではない。ヴィータはこの海鳴の街そのものが好きだ。一緒に公園でゲートボールをする老人たちも、はやてを治療するために頑張っている石田先生も、はやての友達のなのはたちも好きだ。この街で何かが起こっているのであれば、向かわずにはいられない――心配だから。

 ウィルにやりたいことをやれと言った少女は、まさに今、心の向くままにやりたいことをやろうとしていた。

 

 はじまりは他者の認識。世界が主と敵しかいないという認識をやめること。

 それがヴォルケンリッターを変え、ヴィータを戦いの場へと向かわせた。

 

 

 

 

 なのはは海鳴の夜空を飛んでいた。後方へと流れ行く街の灯が、地上の流れ星のよう。

 

 魔法訓練のため飛行魔法をはじめとするいくつかの魔法の使用許可はとっているが、市街地での飛行は他者に発見される危険があるため管理局に禁止されている。これで何もなかったと言うことになれば、当面の魔法使用禁止等、何らかの処罰が科されることもあるだろう。

 無論、それは杞憂にすぎなかった。向かうにつれて魔法の気配は大きくなる。だが、それは近付いているからであって、気配の元自体は一定のまま。

 留学中での勉強の成果か、なのはは視認する前からそこに何があるのかをある程度予想できていた。

 魔法の気配とはつまり、風を身体で感じるのと同じだ。魔法を行使することによって影響を受けた周囲の魔力の流れを、自分の体内のリンカーコアで受けて感じるもの。

 砲撃魔法のように大きな魔法なら、そのたびに強い風が吹きつけてくるように感じるし、逆に考えれば今のように常に同じ方向からゆるやかで変化のない風が吹いてくるようであれば、ある種の場に影響するタイプの魔法であることがわかる。

 なら、その中で最も一般的な魔法と言えば――

 

 やがて山際に到達して、なのはは空中で静止する。眼前には予想通りに結界が貼られていた。

 

「やっぱり結界……でもこれ、ちょっと違う?」

『This field-magic doesn't come under the Mid-Childa system. (この結界魔法はミッドチルダ式ではありません)』

 

 なのはの疑問にレイジングハートが答える。

 

「じゃあ、ウィルさんと同じベルカ式?」

『Maybe, but more ancient.(おそらくは。ですが、より古いものかと)

 Do you want to analyze it?(解析しますか?)』

「うん、お願い」

『Roger』

 

 レイジングハートに解析をお願いしている内に、なのはは携帯を取り出した。恭也に言われた通りに、まずは忍に連絡をとるためだ。

 事前に恭也が連絡していたおかげか、たった一回のコール音ですぐに電話はつながった。

 

「もしもし、なのはちゃん?」

「あ、忍さ―― 『Master!!』 ――え?」

 

 レイジングハートが警告するが、それはあまりにも遅すぎた――否、相手が早すぎた。携帯に意識がいった一瞬のうちに、影はなのはに忍び寄っていた。

 腹につきささる拳。拳の威力は、ちょうどバリアジャケットと相殺する程度。しかし直後に全身をかき混ぜられるような魔力の奔流が送り込まれ、衝撃は全身に鋭い痛みを走らせる。

 なのはの体が崩れる。魔力ダメージによるブラックアウト。迅速かつ鮮やかな手腕で、なのはの体に傷一つ与えず確実に意識のみを刈り取る。

 

『Ma――』

 

 レイジングハートが何かを言う前に、襲撃者はレイジングハートのコアを握る。

 宝石にも似たコアにひびが入り、それきりレイジングハートは光を失って何も語らなくなった。こちらもまた迅速。

 襲撃者は心拍一つの間に魔導師とデバイスの双方を無力化させた。

 

 力なく垂れたなのはの手から携帯がすべり落ち、夜の山へと落下していった。

 仮面をつけたその男はなのはを抱えながら結界を見る。仮面はその下の表情を語らない。だが、直後につぶやいた言葉にはたしかな侮蔑が込もっていた。

 

「ヴォルケンリッターも詰めが甘い」

 

 

 

 

 アスファルトで舗装された道路を、巻き上げられた煙が包み隠している。

 中心地で、ウィルはよろめきながら立ち上がる。足元ではアスファルトが砕けて割れて、地面がスプーンですくわれたかのように凹形にへこんでいる。

 中心には気を失ったザフィーラの姿があった。左腕がなくなっているが、意外にもそれ以外に大きな傷はない。元来の頑健さだけではなく、衝突の瞬間自身の背後に障壁を展開して威力を減殺させていたのが見えた。

 

 対してウィルはといえば、腹からせりあがる粘性の高い液体をアスファルトに吐き出していた。

 液体は赤色――血液。衝撃がバリアジャケットを突き抜けて、内臓をさらに傷つけていた。体を動かすとひびの入ったあばらが軋む。

 

 右手を見れば、五本の指はそれぞれがあらぬ方向に曲がっていて、先端は潰れている。

 肘からは白い骨が突き出していて、赤い血と重なって地獄のコントラストをなしていた。相手を地面に叩きつけた時の衝撃を一番大きく受けたのだから当たり前。ちぎれなかっただけでも僥倖。

 両腕とも二の腕までは動くが、肘から先は動かない。折れた左腕程度なら管理世界の医療技術なら完治までそれほどかからないが、右手は一月ではとても治りはしないだろう。

 

 両手が動かせず満身創痍のウィルと、左手はなくなっているがそれ以外に目立った傷はないザフィーラ。

 それでもこの戦いはウィルの勝ちだ。どれほどの強者でも気を失ってしまえば赤子と変わりなく、ザフィーラの生殺与奪の権利はウィルにある。

 十度戦えば九は負ける実力差があった。だが、その十の一が今。

 

 周囲を見れば、主が気を失ったことで結界は解除されていた。

 なのはのことが気にかかるが、さすがにここから高町家は離れすぎていて、ウィルの念話では繋がらない。それにこの怪我で行っても足手まといだ。ならば早く月村のもとに行き、管理局に連絡をするのが優先か。それから傷の治療も必要だ。

 だがその前に、倒れているこの男の扱いを考えなければ。

 

 放置してすぐに月村に向かうべきか。それともこの男も連れていくか。

 今は気を失っているとはいえ、月村で目覚められれば彼女たちを巻き込んでしまう。かといってこの場においていけばその間に目を覚まして逃げられるかもしれない。バインドで捕縛したところで、彼の実力ならウィルのバインドくらいは用意に引きちぎるだろう。

 それに本物のヴォルケンリッターだったとしたら、逃がせば回復してまた犠牲者を増やす。絶対に捕まえなければならない。

 

 

 悩んでいた時間はほんの十数秒。

 けれど真っ先に月村への連絡を優先させ、すぐさま最高速度でこの場を離れていれば、これからの戦いは回避できていたのかもしれない。

 

 

 周囲の風景が色を変えた。再度結界が展開される。構成は先ほど同様、古代ベルカ式。

 空を仰いだのはなぜだろう? ただ、なんとなく――なんとなく、天啓に導かれるようにして、ウィルは視線をついと上げた。

 

 彼女はそこにいた。

 

「貴方を甘く見ていたようだ」

 

 夜天より舞い降りる戦乙女。

 佳人と言えるその容貌に見覚えがある。しかし、記憶の中の彼女と目の前にいる彼女は同じ人なのか。

 記憶の中の彼女も常日頃から険しい顔をしてはいたが、ここまで峻厳で怜悧ではなかった。

 記憶の中の彼女の瞳は剣の鋭さを宿してはいなかったし、右手に一振りの剣など持っていなかった。

 同じ造形で、何もかも違う。ただ、風に揺れる赤い髪だけが、いつもの彼女と――シグナムと変わらなかった。

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