復讐の炎がこの身を焼き尽くす前に   作:上光

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復讐の刃

 舞い降りるシグナムの纏う装束は、昼とは趣を変えていた。勇壮かつ華美な紅花染めの戦衣。右手には片刃の剣――武器型(アームド)デバイス。

 白磁のようなシグナムの肌は、天の月が陽光を反射して輝くように、月光を反射して白く輝く地上の月と化していた。その姿はどこか絵画めいていて現実感がない。自分はすでに息絶えていて、その魂を天宮へと導くために降臨した戦乙女がたまたまシグナムそっくりだったのだと――そんな馬鹿げた、子供じみた想像をしてしまう。

 

 わかっている、それは単なる現実逃避だ。

 現状が何を意味しているのか深く考えたくないだけだ。

 

 三日月が雲に覆われて隠れ、空想は消え現実が目に映る。

 地に足をつけたシグナムは、ウィルとその後ろで倒れているザフィーラに目をやった。

 一文字に閉じられていた形の良い桜色の唇が開く。

 

「ザフィーラを倒すか。どうやら貴方を甘く見ていたようだ」

 

 ――そうか、この男の名前はザフィーラと言うのか。シグナムはなぜここにいる。ザフィーラ、聞いたことのある名だ。シグナムはなぜこの男の名を知っている。全身が痛い。その手に持っている剣はデバイスか。早く管理局に連絡しなければ。ザフィーラ。結界を新しく張ったのはシグナムなのか。疲労感で瞼が落ちそうだ。留守番をしているザフィーラはお腹をすかせていないだろうか。体が熱い。はやてはどうしたんだ。白髪の男のことをシグナムは知っている。なのはちゃんは大丈夫だろうか。ヴォルケンリッターのザフィーラ。早く首を切らないと。白髪の男と同じ古代ベルカ式の結界。ヴォルケンリッターのマスターは誰だ。闇の書の主は――

 

 心の水面に投じられた巨大な一石。思考は飛沫のように無数にとびはね、水面が揺れて自らの心という水底がはっきり見えなくなる。それでも人間の脳とは優秀なもので、論理だった筋道を辿らなくとも無意識のうちに答えを出していた。

 

「あなたもヴォルケンリッターなんですね。なら、はやてが闇の書の主ですか」

「なぜ、ヴォルケンリッターのことを? ザフィーラが何か言ったのか?」

「魔力の蒐集がどうとかは言っていましたね。後はちょっとしたかまかけです。……というか、隠すつもりならザフィーラって呼んじゃ駄目ですよ」

「……その通りだな。私は昔から、言葉の駆け引きが不得手だ」

 

 シグナムは自嘲。その会話は顔見知り同士の心易いやり取りのようで。

 その幻はすぐさま消え、冷徹な戦士の顔を露わにする。

 

「ならば、もはや隠すこともないな。我が名はシグナム。ヴォルケンリッターが将、剣の騎士。貴方に恨みはないが、主はやてのため、ここで命を貰い受ける」

 

 明確な死の宣告。シグナムの剣は魔力光の輝きを帯び、薄紫の光が時折真っ赤な炎に変わる。

 ウィルの口からは渇いた笑いがこぼれた。

 

「俺がはやてを連れて行ったら、闇の書の主だってことがばれちゃいますもんね。で、邪魔者をただ殺すだけではもったいないから、ついで魔力もいただいておこう――と。なるほど、合理的です。欲を言えば俺の都合というか、主に生命のこともちょっとは考えてほしかったなぁ――でも、そうか、シグナムさん、ヴォルケンリッター、なんだ」

 

 こんな時だというのに、相変わらずウィルの口は回る。だがそれはうわべだけ。

 頭の中はごちゃごちゃで、何を考えているかどころか、何を感じているのかさえわからない。キャンパスに原色の絵の具をぶちまけたように、脳の中は極彩色のマーブル模様。

 その中でただ一つ。鮮烈な光、鮮明な感覚があった。

 

 ()()

 

 体が痛かった。心が痛かった。でもそんなものがどうでもよくなるほど熱かった。

 あらゆる光さえ見えなくなるほど鮮烈で、口中の血の味さえ忘れるほど甘美、全身の肉が蕩け出すほど淫蕩な、これまでのどんな経験さえも色あせてしまいそうな熱。

 この感覚はなんと呼べば良いのか。憎悪だろうか、悲嘆だろうか、歓喜だろうか、絶望だろうか、怨嗟だろうか、それとも、もっと純粋で無色な狂気なのか。

 言葉をたぐってもわからない。既知の単語では表現できない。人間の思考は不自由だ。言葉という道具を得た代わりに、言葉を通さなければ自分の気持ちさえ認識できない。

 わからない。自分のことが理解できない。でも、わからない時はどうすれば良いのか――それはもう教えられている。頭に浮かぶのは、先生の言葉。

 

 ――迷った時は、欲望に身を任せれば良い

 

 だからウィルは、敵を目の前にして瞳を閉じた。時間にすればほんの刹那だが、その瞬間、己の心がはっきりと見えた。

 心の内には扉がある。扉の向こうで燃えている。子供の頃からずっと感じてきた。熱。扉越しにもその圧力を感じる。隙間から光と熱気が漏れている。

 

    E  A      E 

 

 扉はひとりでに開かれ、中が見える。

 

 それは炎だった/それは鎖だった

 それは赫焉たる赤だった/それは目を灼く黄金だった

 それは流動し変化する熱だった/それは状態を維持しようとする停滞だった

 微視的な視点ではありとあらゆる変化が起きているがゆえに、巨視的な視点では停滞していた。

 物理法則の鎖の届かぬ精神世界であるがゆえに、エントロピーの増大から外れていた。

 この我が身を焼く炎こそがウィルの本質。余分なものを持たないがゆえに、きっと最も幼く最も強い。だから、その原始的な我に己を開け渡す。

 

 

 全身に魔力を通わせ、バリアジャケットを再構成。そしてF4Wを展開する。現れた片刃剣は常ならば右手におさまるはずだが、その右手は壊れている。肘から先は微塵も動かず、これでは剣を握れない。握られぬ剣はそのまま重力にしたがって落下する。

 直前、赤い縄(バインド)が蛇のように剣をからめ捕る。添え木のようにして動かぬ右腕と剣を縛りつけ、腕そのものを剣と化す。精密な動きは期待できないが、上腕は動くのだから叩きつけることくらいは可能。

 

 ウィルの動きに合わせて、シグナムもレヴァンティンを構えた。

 本当に自らの意志で構えたのか、もしかしたら構えさせられたではないか、歴戦の兵たるシグナムがそんな疑問が浮かべるほどに、ウィルの狂相は常軌を逸していた。

 

 汗と血で額に貼りついた前髪のせいで瞳が隠されたその顔は、宵闇に塗りつぶされた無貌と化していた。空の三日月をかたどったような薄い笑みだけがかろうじて見えるが、それも無貌に穿たれたひび割れのよう。その奥には白い歯、牙を剥き。

 手は重力に従ってだらりと地へと下ろされて、白い骨が突き出した右腕にはどす黒い赤血と輝く赤い縄(バインド)が蛇のように纏わりつく。くくりつけられた刃は、もとより彼の体の一部であったとしか思えないほど、彼の纏う邪気によく馴染んでいた。

 

 ウィルは折れた左腕で額に貼りついた前髪をかき上げる。

 現れた双眸には、うぶで奥手な少年が意を決して初恋の人に告白するような、自分の気持ちを相手に理解してもらうためになれない愛の言葉を連ねるような、自らの思いを万の言葉に変えて伝えようとするような、そんな真摯さがあった――そんな真摯な殺意が込められ、悪意が刻まれていた。

 炎のごとき激情を抱えた瞳も本能的な殺意に染まった瞳も、幾度となく戦場を経験したシグナムには見慣れたもの。でも、これはもっと異質でおぞましい。

 

 常軌を逸した敵と戦うため、シグナムもまた、かつてのように己の心を消した。

 ここに存在するのはヴォルケンリッター――主を守護する騎士である。そしてシグナムは、主の敵を切る剣の騎士である。

 たとえ心がなくとも、存在に刻まれた使命が彼女の体を突き動かしてくれる。

 

 

 

 ウィルの周囲に十を超える魔力弾が現れ、シグナム目がけて殺到する。直射弾といえども、ウィルが一度に構築できる弾数限界を超えている。そのため群れの半分は途中で構成を維持できず霧散したが、残り半分はシグナムに向かう。

 

「軟弱な弓撃など、ベルカの騎士には届かない」

 

 シグナムの前方に障壁が発生。すべての魔力弾が衝突し消滅する。

 直後に障壁を砕いてウィルが現れる。魔力弾は目くらまし。矢弾より我が身の方がなお速く、なお強い。

 ウィルが腕ごと叩きつけるようにして剣を振るい、シグナムは剣を前に出して防ぐ。両者の剣が衝突し金属が絶叫と火花をあげる。

 

 鍔迫り合いになれば速度を得ているウィルの方が遥かに有利、そのまま剣ごと圧し切ろうとする――が、突然ウィルの胸部に強い衝撃。胸骨が割れ、肺の呼気を全て吐き出しながら吹き飛ばされる。

 シグナムはウィルの剣を正面から受けた直後、ウィルの胸部に前蹴りを放った。ただそれだけの――しかし高い魔力操作能力、身体能力、身体操作能力を必要とする妙技。

 十分な魔力が通っていなければ剣は敵の攻撃に耐える盾とはならない。腕の力が抜けていれば押し切られてしまう。そして強い衝撃を受けながらも、次に蹴りを放つために体幹をぶらさない精妙な姿勢制御。

 ただの蹴り一つで、シグナムは己が近接に必要な才全てを持つ超級の戦士であることを示した。

 

 吹き飛ばされる最中、瞬時に飛行魔法で姿勢を制御した――が、その時にはすでに刃を振りかざしたシグナムが目の前に。

 

「断ち切れ、レヴァンティン」

『Jawohl!!(了解)』

 

 刃の装飾が動き薬莢が排出される。膨れ上がる魔力が刀身を覆い、燃え上がる炎の剣と化す。

 ウィルは迷わず回避を選択して刃から逃れようとするがわずかに遅い。否、シグナムが速い。

 

 瞬間、シグナムの脳裏に一つの光景がフラッシュバックした。暗い通路、戦う己、目の前には赤い髪の男。記憶にないが、たしかにあったことだと感じる奇妙な光景。

 剣速がわずかに鈍る。時間にすればコンマ一秒に満たない遅れだが、そのおかげでウィルは紙一重でシグナムの剣の範囲から逃れた。わずかに炎がかすめた胸元を中心に、バリアジャケットがはじけとんだ。

 

 ウィルはそのまま距離を取る。ウィルの力では、結界を破壊して逃げることはできない。それでもなお遠くへ。

 結界の果てまで移動したウィルは、すぐさま反転。シグナムの姿を確認すると、月まで届けとばかりに言葉にならぬ咆哮をあげる。

 

「ギ、……ガァァァァアアアアアア!!!!」

 

 割れた胸骨が肺を傷つけたか、燃える炎が喉を焼いたか、かすれて獣じみた呻き声をあげながら、駆ける。

 ハイロゥから圧縮空気を連続で噴出させ、飛行魔法の慣性制御でもバリアジャケットでの負荷軽減でさえも消しきれないほどの速度で駆ける。

 やることは変わらない。突撃からの斬撃のみ。全力で駄目ならば限界の先へ踏み込むだけ。

 

 

 対するシグナムはフラッシュバックする光景への疑問を放置し、ウィルを向かい討つ。

 

『Schlange form!!』

 

 レヴァンティンの刀身が、砕けたかのように四方に飛び散る。

 散った刀身は、全てが細い糸で繋がれていた。蛇のごとく伸びた剣――鞭状連結刃はシグナムの思うがままに空間を駆け巡り、その剣先は向かい来るウィルを串刺しにせんと迫る。

 

 ウィルはほんの少し、片足のハイロゥの出力を緩める。バランスが崩れて体の軸がねじれ、素早く横転する。わずかに飛行軸がずれ、剣先はウィルの肩口をかすめ、後方に消えて行った。

 紙一重の回避。神業に等しい動きも今のウィルにとっては奇跡ではない。狂気の意志は速度だけでなく、知覚の面でも限界を越えさせていた。

 一秒が十倍に引き延ばされた空間を行動する。肉体が粘性の高い液体に包まれているようで、その動きは遅々としている。その代わりに、間違った行動をとることもない。引き延ばされた時の中、最善手を思考し、考えた通りに動く。焦りによる失敗など存在しない。

 

 連結刃が縦横無尽に空間を駆け巡り、刃の迷路を描く。伸ばされた蛇腹剣は剣先による刺突のみが武器ではない。伸びた蛇腹はもちろんのこと、それを繋げる線さえも魔力を纏い、触れた物全てを両断する鋭さを持っている。

 ウィルはその隙間を薄皮一枚かすめながらシグナム目がけて進む。光は目的地へと到達するために最短の経路をとると言う。今のウィルはシグナムの体に剣を突き立てるために、一条の光となって駆けていた。

 

 後少し、一秒もかからない。もうすぐこの刃が怨敵の胸を貫く。その直前、シグナムの描く刃の絵が完成し、両者の間に姿を現す。

 刃で出来た蜘蛛の巣。線を重ね、面とするシグナムの絶技。

 遅々とした時を進むウィルには、それがはっきりと見えていて、だからこそ理解できた。この蜘蛛の巣は、絶対不可避であると。

 

 とっさに右腕の剣を盾とする。金属が金属によって削りとられていく音。デバイスの断末魔が響く。刃はデバイスだけではなく、縛りつけられた右腕さえも削っていく。それでも体は止まらず、全身が蜘蛛の巣に突っ込んで行った。

 灼熱が爆ぜ、血の花弁が咲いた。

 

 

 血を周囲に撒き散らしながら、体は勢いよく道路を転がる。車道のガードレールにぶつかってようやく停止。車道には深紅の車線が新たに引かれ、二車線を三車線へと変えていた。

 

 転がる途中で頭を何度か打ったため、視界が揺れ、意識が定まらない。全身の創傷から赤い筋が流れ、血潮の滴がこぼれる。浅深の度合いに差はあれども、体中の筋肉が切り裂かれ、腱が断裂している。

 足を覆っていたハイロゥは砕け、右手に握っていたF4Wは粉々になって離れたところに落ちていた。双方ともコアが割れ、何も反応しない。

 左腕はもとより折れて動かない。そして右腕は肘から先がすっかりなくなっていた。消えた右腕は、きっとどこかに転がっているのだろう。

 彼我の力の差は圧倒的。限界を越えても、何一つ為せぬまま倒された。

 だが、ウィルは死んでいない。意識も残っている。()()()()と願うのであれば、()()戦うと決めたのであれば、負けてはいない。

 

 

 シグナムが倒れ伏したウィルに近付いた時、血だまりが弾け、血の塊がシグナムに襲い掛かる。

 魔力を運動エネルギーに変える力を持って、自らの体から流出する血に指向性を持たせて発射させた。肉体から離れれば著しく減衰するこの力も自らの血はまだ効果範囲内。

 血の指向性散弾(クレイモア)は、シグナムの体を傷つけることはできなかったが、その騎士甲冑の一部を破壊し、ほんの少し目をくらませた。

 

 直後、ばね仕掛けの人形のようにウィルは跳び起き、シグナムに飛びかかっていた。

 血でおこなったのと同じように、全身に巡らせた魔力を運動エネルギーに変えて、体そのものを強制的に動かす。筋肉ではなく、方向性を持ったエネルギーそのものが操り人形を紐で動かすように肉体を駆動させる。あまりに人体構造を無視した動きに、腱が断裂する音が体内に響く。

 体そのものを一個の弾丸と化して、怨敵を貫かんとする。

 

 だがそんな末期のあがきなど所詮は悪あがきと断じるように――そもそも最期の一撃などというものはすべからく悪あがきにすぎない。

 

「遅い」

 

 先ほどまでの音の空裂く一合に比すれば鈍重亀もいいところ。唯一の利点は、まさかこのような死にぞこないが動くまいという心の間断をつくことができる程度。それも数多の戦場を戦い抜いた歴戦の戦士の危機感知能力に通用するはずもなく――シグナムは向かい来るウィルの頭を掴んで、地面に叩きつけた。

 どれだけ意志が強くとも、脳を揺らされれば意識を保てるわけもなく、ウィルのあがきはあっけなく終わった。

 意思の力は時に限界を超えることがあるが、それでも歴然たる力の差は往々にして埋まらない。

 ウィルは弱かった。限界を越えたとしても、狂気に満たされた心を持っていても、それでもシグナムよりも弱かった。

 

 

 

 

 気を失ったウィルを、静かにシグナムの双眸が見下ろす。切断された右腕から流れ出る血が、夜のアスファルトをより黒く染め上げていた。出血は激しく、このままではじきに死ぬ。

 シグナムの右手が――右手が持つレヴァンティンがゆっくりと動かされ、右腕の切断面に当てられる。デバイスから噴き出した赤い炎の蛇は、ちろちろと右腕の切断面の桃色の肉を舐めて黒く炭化させる。魔力を蒐集するまで死んでもらうわけにはいかない。だからこその強引な止血。

 止血を施すシグナムのもとに、ザフィーラとシャマルがやって来た。

 

「すまない。不覚をとった」

 

 ザフィーラはシグナムに謝罪し、倒れるウィルの姿を一瞥する。無残な姿に変わり果てたそれを見て、瞳がかすかに揺らぐ。自分がしっかりと倒していれば、ここまで無残な姿にならなったのに、という悔恨。彼はそれを気取れられぬように、すぐにシグナムに視線を戻した。

 

「気にするな。お前こそ大事ないか?」

「この程度の傷なら、シャマルの手を借りるまでもない。再構成すれば良いだけだ。」

 

 ザフィーラの体には傷一つなく、左腕は元通りに存在していた。

 肉体の再構成――プログラムという数式を媒介に受肉した存在である彼らは、大本である闇の書とのリンクが活きている状態であれば、魔力で再度肉体を構成し直すことができる。

 存在に刻み付けられた異形の(わざ)だ。

 消失した人体を再構成するには多くの魔力を必要とするが、それを差し置いても、肉体の損壊による戦闘不能がなくなるのは、戦いにおいて圧倒的なアドバンテージだ。

 

 続けて、シグナムはシャマルを見る。浅緑と濃緑、そして白の三色で構成された神官服――それが彼女の騎士甲冑。帽子が神官というよりナースキャップに近いのは、主のはやてが看護師を見かけることが多かったからか。

 彼女は倒れているウィルの姿を見ていた。その顔には憐れむような、悼むような情があったが、それを抑えながらシグナムに告げる。

 

「それじゃあ、始めるわね」

「……ああ、彼の命が尽きる前に蒐集を」

 

 シグナムはウィルから離れ、代わりにシャマルが近づく。手には一冊の本。中央の玉と四方を向く剣が構成する剣十字の装丁。これこそが闇の書。魔導を喰らう書物。

 シャマルが手をかざすと、倒れ伏したウィルの胸に光球が浮きあがる。魔導師が魔力素を魔力に変換し、蓄積するための器官、リンカーコア。

 

「リンカーコア、捕獲完了」

 

 闇の書が開かれる。全ての頁は白紙。今は、まだ。

 

「蒐集……開始」

 

 獲物を喰らわんと上顎と下顎を開くように、闇の書がさらに大きく開かれた。羽虫のように乱舞する文字と数式が白紙の頁に定着し、魔力をインクとして術式を刻んでいく。そのたびにウィルのリンカーコアの光は弱くなり、大きさも小さくなる。

 三頁ほどが埋められたところで、シャマルはシグナムに問いかける。

 

「これ以上は命の危険があるけど……最後までやるのよね?」

「当然だ。今さら引くことなどできない。それに彼は我々がヴォルケンリッターだと知っている」

「蒐集が終わるまで、どこかに捕えておくっていうのは――」

「それが無理なことくらい、私でもわかる。蒐集の完了には短くても二月はかかるだろう。その間、設備をもたない私たちが、どうやって彼を閉じ込めておくつもりだ。……迷うな、全ての責は将たる私が負う」

 

 一般人ならまだしも、ウィルは魔導師だ。たとえ両手両足がなくても空を飛んで移動することはできる。特に転移魔法は厄介で、これを防ぐには専用の処置が施された設備がなければ封じられない。魔導師を隔離するのは容易ではない。

 自らが責任を負うと宣言した将の言葉に応えるため、シャマルも覚悟を決めて蒐集を続けようとした時、上空から声が降り注いだ。

 

「何やってんだよ、お前ら!!」

 

 そこにいたのは赤い少女。深紅を基調とした少女服に、黒のレースを施した騎士甲冑を纏う少女――ヴィータは顔さえも赤く、憤怒を顕わにして吠える。

 突撃する彼女の左指には鉄球、五指に挟んだ計四つ。全てを宙に放つと、右手に持つ巨大なスレッジハンマー――彼女のアームドデバイス、グラーフアイゼンで叩きつけた。

 

『Schwalbe fliegen』

 

 四つの鉄の流星は、内二つがシグナムに、残り二つが蒐集中のシャマルに向かう。

 シグナムは自らの左右から襲い来る鉄球を、一つを展開した障壁で、もう一つをレヴァンティンでさばく。

 蒐集中のシャマルは防御魔法の展開が間に合わず、そばにいたザフィーラがシャマルの腰を掴んで身体を引き寄せ、自らの肉体を盾として守る。

 三人の動きが止まったその隙に、ヴィータはウィルのそばに降り立っていた。ヴィータの干渉によって闇の書の蒐集が止まる。

 

「ヴィータ、いきなり何のつもりだ」

 

 いきなり攻撃を仕掛けてきたヴィータに、シグナムが問う。問われたヴィータの顔には変わらず怒り。

 

「それはこっちの台詞だ! お前らこそなかなか帰ってこないと思ったら、いったい何のつもりで蒐集なんてしてんだよ!」

 

 弾劾の言葉がヴィータの口から放たれる。家族が暴漢に襲われているのではと心配してやって来たのに、家族が暴漢だったという状況に怒り心頭。

 弾劾を真正面から受け止め、シグナムは答える。

 

「理由は帰ってからいくらでも説明しよう」

 

 シグナムはヴィータに――その後ろのウィルに剣を向ける。

 

「だが、その前にそこをどいてくれ。まずは、彼にとどめをささなくてはならない」

「ふ、ふざけんな!! 蒐集はもうやったんだろ! どうしてわざわざ殺すんだよ!」

 

 一度蒐集した対象から二度目の蒐集はできない。だからこそヴィータは、蒐集を一旦止めるために、仲間に攻撃してまで強引に割りこんだ。そして実際に蒐集は中断され、ウィルからこれ以上蒐集することは不可能になっている。

 

「お前は勘違いしている。我らは蒐集のためだけに彼を襲ったわけではない。彼の殺害。魔力の蒐集。どちらも主のためだ」

「蒐集はしないって、はやてと約束しただろ! それをはやてに相談もせずに破って、その上はやての大切な奴を傷つけて、それのどこがはやてのためだよ!」

「そうしなければ、主は死ぬ」

 

 予想だにしない告知に、ヴィータは絶句する。

 

「は……? なに、言って……」

「それが真実だ。ヴィータ、お前は主のことは主に決めさせるべきだと言ったな。それは正しい。だが、所詮は理想論だ。事実を話し、他人と自分の命を選ばせればどうなるかなど考えずともわかるだろう。主は優しいからこそ、その選択に苦しみながらも最後には苦しみさえ隠して自分の命を捨てる」

 

 わかりもしない未来を、まるで見てきたかのように予言するシグナムの言葉。

 それに異を挟む者はこの場に誰もいない。皆、はやてがそういう子なのだとよく知っている。

 

「もう一度言おう。主には相談できない。事情は帰ってから説明する。彼はここで殺す。わかったか? ……わかったなら、将として命ずる――そこをどけ」

「駄目だ」

 

 それでも、ヴィータはシグナムの命令をはねのけた。

 

「シグナムがそこまで言うなら、本当にこいつを殺す必要があるのかもしれない……ううん、必要なんだろう。でも、駄目だ。ここで誰かを殺したら、また戦ってばかりいたあの頃に戻る気がするんだ。……あたしは嫌だ。もうあの頃には戻りたくない。シグナムだってそう思っていたから、使命に背くことになるのに蒐集しないって約束をしたんだろう?」

 

 ヴィータは、グラーフアイゼンを構えた。

 

「あたしはヴォルケンリッターの鉄槌の騎士だ。でも今は、はやての家族のヴィータなんだ。だから、シグナムがこいつを殺そうとするなら止める」

「私もできることなら殺したくない。主はやての家族でありたいとも思っている。それでも私は、ヴォルケンリッターの剣の騎士だ。主の害になる者は殺さなければならない」

 

 レヴァンティンを構えるシグナムから菫色の魔力光が、グラーフアイゼンを構えるヴィータから赤色の魔力光が発せられる。

 ウィルという異物を排除する戦いは、いつの間にかシグナムとヴィータの二者の戦いに形を変え、そして。

 

「二人とも、やめて」

 

 静かに、しかしたしなめるようにシャマルが言い、ザフィーラもうなずく。

 体は浅緑と白の魔力光が覆っている。この二人もシグナムとヴィータが戦い始めれば、それを止めるために動く。

 場は混沌とした空気に包まれ、戦いは三つ巴の様相を呈していた。かくして、再び戦いが始まる――はずだった。

 

「戦場で内輪もめとは、名にし負うヴォルケンリッターも地に堕ちたものだな」

 

 戦いを止めたのは、前触れなく結界内に響いた声。

 いつからそこにいたのか。仮面をつけた男が月を背に空に立ち、ヴォルケンリッターを見下ろしていた。

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