復讐の炎がこの身を焼き尽くす前に   作:上光

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闇夜の雨

 声の主は月を背に空に立っていた。

 月光よりもなお寒々とした仮面を身につけた人物。

 痩身だが体格は男のもの。片手には白いものを抱えている。

 

 突然の乱入者に対する騎士たちの反応は、当然ながら敵意と警戒心。

 仮面をつけたその人物は四人の騎士に敵意を向けられながらも、動揺はない。それでいて余裕ぶっているわけでもなく、立ち姿には微塵の隙もない。シグナムが張った封鎖領域へと容易に侵入したことからわかるように、間違いなく一流の戦士だ。

 だが、仲間割れの最中とはいえこちらは四人で、仮面の戦士は一人。

 相手がヴォルケンリッターと知ってなお一人で現れるとは、よほど己の実力に自信がある愚者か、考えなしの馬鹿か、あるいは底知れぬ策略を秘めているのか。

 

「お前たちと事を構えるつもりはない。そのつもりならば、お前たちが益体のない言い争いをしている内に一体は殺している」

「なら、何をしに来た」

「仲裁だ。私は蒐集の完了を望んでいる。そのためにはこのようなところで仲間割れをされては困る」

 

 仮面の戦士はシグナムとヴィータを交互に見やり、続ける。

 

「お前はその男から自分たちの情報が漏れては困るから、その男を殺そうとしている。そしてお前は殺したくはないから、それに反対している。ならば私がその男の身柄を預かり隔離しよう。それでこの場はひとまず収まるだろう?」

「断る」シグナムは即断。 「申し出そのものはありがたい。突然現れたお前を信用できるのならばな」

「その通りです。それに顔を見せない――いいえ」シャマルは仮面の戦士を睨む。 「姿さえ偽るような人の言葉なら、なおさらです」

「偽る?」

 

 ヴィータの疑問に、シャマルがうなずく。

 

「この人、声も姿も偽りよ。多分、変身魔法。それに今夜のことは、はやてちゃんが急に倒れたことがきっかけで起きた、誰にとっても想定外の状況よ。その場に居合わせるってことは、この人はずっと前から私たちを――はやてちゃんを監視していたのよ」

「変身魔法を一目で見抜くか。先ほどの軽口は訂正しよう。そしてその推測も概ね正しい」

 

 あっさりと認めた仮面の戦士に、シャマルは続ける。

 

「なら、はやてちゃんが苦しみ出したのも……もしかしたら病気自体が、あなたが仕組んだのではありませんか?」

 

 その言葉に他の三人も殺気立つ。

 ヴォルケンリッターの参謀役たるシャマルの推測。だが、それはただ論理のみをもってなされた推測ではない。もしも目の前の人物が元凶ならば、蒐集をしなくてもはやての体はもとに戻るのではないか。そんな期待から生じた推測だった。

 それを見抜いたのか、仮面の戦士は初めて声に感情をのせる。嘲りを。

 

「その推測は外れだ。八神はやてに訪れた異変は全て、闇の書とお前たちが原因だ」

「……どういうことです?」

「私が答えるより自分たちで調べた方が良い。そうすれば否が応でも受け入れるだろう。それに今はあまり悠長に話している暇もない。お前たちは自らがおかれた状況に気が付いてないようだが、制限時間が迫っている」

 

 戦士は片手で抱えていた白い塊を空中に投げてよこした。それが人間の体――騎士たちもよく知る人物の体だと気付いた時、真っ先に動いたのはヴィータだった。

 

「高町っ!!」

 

 ヴィータは空中でなのはの体を抱え込むと、殺意すらこもった眼で戦士を睨みつける。

 

「てめぇッ! 高町に何しやがった!」

「この結界に入ろうとしていたので、気を失ってもらっただけだ。どうやら、お前たちが張った結界を調査しようとしていたようだな」

 

 守護騎士たちの背筋が凍り付く。もしも顔を見られていれば、ウィルだけでなくなのはをも殺さなければならなかった、という事実に。

 

「連絡がなくなったことで少女の関係者が動きだしている。魔導師でない現地人が来るだけなら良いが、おそらく管理局にも連絡は入っているだろう。時間がないと言った意味はわかるな?」

 

 ヴォルケンリッターに選択の自由はなくなった。今、管理局に発見されれば、蒐集は始まる前に終わる。

 

「……わかった。お前に任せる」

「賢い選択だ。それではこの男はもらっていく。その少女は好きにしろ。その辺りに置いておけば、後で駆けつけた管理局が見つけるだろう」

 

 仮面の戦士はウィルの体を抱えて、再び空に浮く。そして立ち去る直前、振り返る。

 

「お前たちが蒐集を続けるつもりであれば、極力顔は隠せ。この男と親交があったお前たちの顔は、管理局に覚えられることになるだろう。顔が割れようものなら、次の日にはあの家まで突き止められるぞ」

 

 言い残して、仮面の戦士は結界から出て行った。後には騎士たちと気を失ったなのはが残される。

 

「あたしたちも、ひとまず帰ろう……はやてが心配してる」

 

 まだ不満は残っているが、仮面の戦士の乱入で気勢を削がれたか、ヴィータが力なく言う。

 が、シグナムは首を振る。首をかしげたヴィータの体が、バインドに捕えられる。菫と浅緑と白藍の三重バインド。

 

「まだだ。高町ほどの魔力を放っておくわけにはいかない」

「シグナム! てめえッ!!」

「すまないな。だが、これも必要なことだ。……シャマル、殺すほどは奪うな」

 

 結界の中にヴィータの怒号が響き渡るが、書は無情にも頁を刻んでいった。

 

 

 

 結界から出ると、仮面の男はあからさまに舌打ちをした。先ほどの無機質な雰囲気は立ち消えて、苛立ちを顕わにする。

 

 舗装された道路が砕け、道の端に植えられた木々は切り倒され、そして血が広範囲に飛び散っていた現場を思い返す。あれではウィルが何者かと戦ったことが丸わかりだ。証拠を消すほどの時間もない。

 局員一人が突然行方不明にというだけならば、しばらくの間ごまかす方法はいくらでもあったが、あれだけ戦闘の証拠があれば確実に明日から管理局が捜査に乗り出してくる。

 それもPT事件で海鳴という土地に協力者を有し、仮面の戦士が優秀とお墨付きをあげたくなるアースラの者たちが。

 

 仮面の戦士は飛びながら、通信装置を起動させる。小型だが次元転送ポートを利用することで、次元世界間の通信さえ可能な機器。

 そのために使う転送ポートは月村の敷地にある物ではない。それを経由すれば、通信履歴が残ってしまう。PT事件が始まる前からこの世界を訪れていた仮面の戦士は、この街に管理局の知らない転送ポートを設置している。

 

「管理局の様子はどう?」

「すでに動き始めているよ。軽く妨害しておいたけど、後十五分もすれば地球に到着するでしょうね」

 

 通信機から聞こえるのは、冷めた少女の声。そして仮面の戦士も姿はそのままだが、声と口調は活発そうな少女のものに変わっている。

 

「うわ、結構やばかったんだね。でも、それだけあればあいつらも逃げられる……か。 そうそう、怪我人がいるから治療の用意をしておいて」

「わかった。手配しておく。それで、彼らと直に接触した感触はどう?」

「強いね。あたしも一対一だとカードを惜しみなく使って五分五分かな。でも、それだけ。今のままだと蒐集の途中で管理局に見つかって捕まるよ」

 

 この目で見たヴォルケンリッターの強さはたしかに恐るべきものだったが、個人の域を越えていない。個は数で圧殺し、(わざ)は技で封じれば良い。治安維持組織たる管理局には、そのノウハウは山ほどある。それに、現代は技術の進歩にともなって、一般的な武装隊員の力も十年前よりさらに上昇している。

 デバイスの性能の上昇、魔法の体系化にともなって、個々の実力差が占める割合は減り、一騎当千は次第に幻想となっている。そして仮面の戦士は自らの生みの親と共に半世紀を戦い抜いてきたからこそ、それを実感として知っている。

 だからこそヴォルケンリッターは管理局に見つからないように、そして管理局が介入できないよう戦わなければならなかったのに、初手でいきなりつまずいてしまった。

 顔を隠すように助言はしたが、ウィルと直前まで顔を合わせていた八神家の居候とこれから始まる連続襲撃事件の犯人を関連づけるのを防ぐ時間稼ぎにしかならない。

 蒐集の被害者が増え続ければ、いずれ管理局も単なる通り魔的犯行ではなく、計画的なものだと――闇の書による蒐集が再来したのだと疑い始める。

 そして闇の書の関連が決定的になり、過去の闇の書事件の情報の閲覧許可が出てしまえば、八神家の居候たちが闇の書の守護騎士であるとすぐ知れる。

 

「蒐集が佳境を迎えるまでは表にでないつもりだったけど、こっちも状況に合わせて動きを変える必要があるか。ところで、怪我人はやっぱりあの子?」

 

 仮面の戦士は肩に抱えたウィルに視線をやる。それから思わずため息をついた。

 

「うん、例の子。必要な行為だったと思うけど、ちょっと私情が入ったかもしれない。でも、ねぇ……」

 

 この子が死ねば教え子が悲しんだかもしれないから、という言葉が浮かび、思わず自嘲する。

 

「あたしも甘いよねぇ」

 

 

 

 

 日は明け、そしてまた夜が訪れた。

 あの夜から一日。はやては次の日の再検査で特に異常が見られなかったため、昼前に退院して迎えに来たシャマルたちと外食してから家に戻り、用心のためと早めに眠りについた。

 それが自らの余命を知らされていないはやてにとっての認識。

 

 八神家のリビングには疲労困憊の騎士たちが、ソファに座って話を続けている。

 昨夜は全員が事情を共有し、それからずっと今後の方針について話し合いを続け、気がつけば朝。昼にははやてを病院に迎えに行き、夕方にはウィルのことで彼の知人と名乗る者から電話があり、シャマルが応対した。すでに管理局は動き始めているようだ。

 もちろんプログラム体の守護騎士がこの程度で疲れるはずがない。体の疲れなら肉体を構成し直せば良いだけだ。だからこれは精神的な疲れ。

 

「それで、主の病気については何かわかったか?」

「仮面の人が言っていたことは本当。はやてちゃんの足が動かないのは、闇の書の存在がはやてちゃんの未成熟なリンカーコアに大きな負担をかけているから。……多分、私たちの実体化に膨大な魔力を消費したことも無関係じゃないと思う」

 

 語るシャマルは途中から涙混じりの声。

 守護騎士は肉体的な痛みにはなれていても、精神的な痛みにまで強くはない。自意識はあっても、はやてが主になるまで人と交流した経験がほとんどなかった幼子のような彼らの心を、自分たちが全ての元凶だという事実が深くえぐる。

 

「治す方法はないのか?」

「……確実とは言えないけれど、ないわけじゃないわ。蒐集によって闇の書を完成させれば、はやてちゃんは正式な闇の書の主になれる。闇の書がはやてちゃんにかけている負担も、主の権限で制御できるようになる……と思うの」

「結局、蒐集か」

 

 ザフィーラがつぶやく。

 

「ザフィーラ、あの仮面の者はあれから現れていないか」

「昨日今日と周囲の気配を探っているが、監視するような気配は感じられない」

「信用できる人たちではなかったけど、あの人たちは私たちも知らない病気の原因を知っていた。もし出会うことあれば、協力してくれるようにお願いした方が良いかもしれないわね。それで、これからのことだけど……」

 

 シャマルはそこまで言うと、ヴィータの方を向いて様子をうかがうが。

 

「わかってる、蒐集するんだろ」

「良いの? 昨夜はあれだけ嫌がっていたのに」

「はやてが死ぬよりは良い」腹の底から絞りだすような声で、ヴィータは言う。 「でも、殺しはしない。効率は悪くなるけど、死ぬまで吸わなくても蒐集はできる。だからそれが条件だ。殺さずに蒐集を終えて、戦うような生き方もこれで終わりにするんだ」

「わかった、二人もそれで良いな」

 

 シグナムはザフィーラとシャマルを向く。二人も静かに首肯した。

 

「それでは――これより蒐集を始める」

 

 これが最善だと、最初で最後の主への裏切りだと、この先に幸せな生活が戻るのだと、この夜がすぎれば再び陽の当たる場所で生活ができるのだと。

 そう信じて、シグナムは蒐集の開始を宣言した。

 

 

 

 シグナムの最初の獲物は、無人世界の遺跡を探索していた若者たちだった。

 顔を隠すために仮面をつけたシグナムの姿に彼らは、なぜ、どうして、俺たちが何をしたんだと、悲鳴をあげて逃げ出した。そんな彼らを一人残らず捕まえ、リンカーコアを持つ者全てから蒐集した。彼らに非はない。ただ魔力を奪うために襲った。

 二度目の蒐集対象は一人の戦士だった。戦慣れしているようで、シグナム相手にも恐れずに立ち向かってきた。彼が召喚した赤竜を切った時、切られた赤竜が最後に戦士の方を向いて倒れたのが印象的だった。召喚師と召喚獣の間には強い関係があるという。主従か友好かはわからないが、きっと彼らの間には大切な関係があったのだろう。

 三度目の蒐集対象は十人ほどの悪党だった。仲間が蒐集される様子を見て殺されると思ったのか、命までは取らないというシグナムの声も届かず、ひたすら命乞いをした男がいた。病気の母親がいるからと頭を地にこすりつけて。その言葉が真実なら、男が死ねば彼の母は悲しむだろう。

 四度目の蒐集対象は一家だった。妻と子を守ろうとする夫を気絶させ、全員を捕らえて蒐集した。主を――家族を――守ろうとする己が、家族を襲った。

 

 四度目の蒐集を終えたシグナムは肩で息をしながら、空を仰いだ。叢雲が月を隠し、星々さえも見えはしない。

 主のための行動、何も間違ってなどいないはず。だというのに、纏わりつくような悪寒が消えない。先ほどから肉体を再構成しているのに、まったく消えてくれない。

 剣を握りしめたまま、シグナムは一人、その場に立ち尽くした。

 

 

 別の場所で、ヴィータとザフィーラもまた正体を隠すために仮面をつけて、蒐集のために戦っていた。

 ヴィータは敵を殴る直前に思わず手を止めてしまった。その隙に敵はヴィータに反撃。そしてヴィータがひるんだ隙に逃げようとするも、ザフィーラの一撃で沈んだ。

 

「敵を逃がすとは、お前らしくもない」

 

 そう、敵に容赦しては駄目だ。敵――違う、それは人だ。主と同じく、人だ。

 彼にも人生があり、守るべきものがいて、やりたいことがあるのだろう。そんな人を傷つけた。その事実にヴィータは吐き気を覚える。

 それを無理やり呑み込む。ここでやらなければ、はやてが死ぬ。だから続けなくては。

 

「大丈夫だよ。もうこんなへまはしねーって」

「……ならば良い」

 

 そういうザフィーラも倒れた男を見た後で、殴った自分の手を見た。格闘は昔からのザフィーラの戦い方だ。なのになぜか、手には嫌な感触が残っていた。

 

 

 シャマルは広域探査をおこない蒐集対象を探していた。

 魔導師というだけではなく、人家から離れていて通報されずできる限り魔力量が多い者。その他にも様々な要素から蒐集対象を決定し、仲間に連絡する。

 仲間に危険が及ばないように、()()()()()はなるべく早く終わらせるために、最高の効率を求める。

 今もまた、新しい蒐集対象を見つけ出した。そして近場にいる仲間に連絡する。その時、その蒐集対象がこれからどうなるのかを想像してしまい、彼女の端正な顔がかすかに歪んだ。

 

 

 

 はじまりは他者の認識。世界が主と敵しかいないという認識をやめること。

 それがヴォルケンリッターを変え、罪悪感という意識を芽生えさせる。

 

 彼らは気付いてしまった。自分とは関わりのない他人も自分たちと同じように生きていて、自分たちが主を守ろうとするようにそれぞれ守りたい者がいる。

 他人を思いやることができる。他人の痛みがわかる。それは人として最高の美徳であり、その美徳を持つ者がそれでも人を傷つけなければならないとすれば、美徳はその瞬間から猛毒に変わる。

 

 それでも、止まることはできない。

 全てははやてを生かすため。

 蒐集を終えて、もう人を傷つけなくても良くなれば、きっとこの苦しみからも解放されると信じて突き進む。

 その果てに、愛するはやてと共に、好きになったこの海鳴の街で、再び笑って過ごせる日が訪れるのだと――

 

 

 

 これは過去。

 

 召喚されてしばらくたった日の夜、みんなで裏庭に出た。裏庭にはウッドデッキがあり、そこには小さな机と椅子が置かれていた。空は満天の星々と満月が輝く穏やかな夜天。

 

「本当に良いのですか? 主の命あらば、我らはすぐにでも頁を蒐集し、主は大いなる力を手に入れることができます。その足も、きっと治るはずです」

「自分の身勝手で他人に迷惑はかけられへんよ。それに、そんなおっきな力があったって、使う場所があらへんしなぁ」

「しかし、使命も果たさない我らが、ここにいるというのは……」

 

 はやては愚直な騎士に困ったように笑いかけた後で、わざと怒ったかのように顔をふくらませる。

 

「もぅ、そんなこと気にせんでええのに。でも、そこまで言うんやったら、一つお願いごとをしてもええかな?」

「なんなりと!」

「みんなが現れる前も、私は幸せやった。誰にも迷惑をかけんように暮らしていられたらそれでええと思ってたのに、なのはちゃんたちが遊びに来てくれて、石田先生や桃子さんや近所のおばさんたちも親切で、ウィルさんは来れんでも、時々手紙をくれる。十分やと思ってた。でも……でもな、夜に家で一人でいると、時々すごくさみしくなってしまうんよ。欲張りやとわかってるんやけど、誰か一緒の家にいてほしいって思ってしまう。

 だから、みんなにするお願いは――私の家族になって、一緒にいてください、ってことなんやけど……どうやろ?」

 

 はやてはシグナムの顔を見て、それからシャマルの、ヴィータの、ザフィーラの顔を見る。

 みんな、買ってもらったばかりの服を着ている。余所行きのような服を、昔の主は与えてもくれなかった服を、何着も何着も。

 その顔にはいまだどう反応していいのかわからないという不器用さがあった。でも、ある種の期待を込めながら将であるシグナムを見ていた。

 シグナムは彼らを代表して答える。道具である自分たちを家族として見てくれる優しい主へと。

 

「わかりました、主はやて。あなたが望む限り、我々は貴方と共に在ります」

 

 はやてが嬉しそうに微笑む。

 振り向けば、シャマルが微笑んでいた。

 ヴィータも恥ずかしそうにもぞもぞしながらも口角が上がっていた。

 ザフィーラは表情こそ変わらぬものの耳をピンと立てていた。

 そこには、みんながいた。

 

 

 

 これは未来。

 

 空は曇天。痛みを感じるほどに周囲の気温は低く、灰色の厚い雲が陽光を遮るので、日中だというのに辺りは薄暗い。灰色の世界に、氷のような白雪が降り注ぐ。

 

「このあたりで良いだろう」

「そうですね。このあたりで」

 

 シグナムの前にはウィルがいる。その右手に握られた刃は深紅に濡れていた。

 シグナムが奪ったはずの右腕には、新しい腕が――銀色の義手(デバイス)がある。

 

「俺のわがままにつきあってくれて、ありがとうございます」

 

 弱ったシグナムに、ウィルがにこやかに笑いかける。殺そうとしているのに、表面上を取り繕い続けている。これまでのように、ずっと。

 

「始める前に、一つ聞かせてほしい。何のために私を殺す?」

「今更言わなくたって、理由は知ってるでしょう」

「原因ではない。貴方の心が知りたい」

 

 ウィルは困ったような笑みを浮かべ、答えるのを拒否する。

 この後に及んで、殺そうとするこの瞬間にまで、己の心の内を語ろうとしない彼の態度に胸がしめつけられる。でも、たとえ語りたくなくても教えてほしい。シグナムがこれまで何を犯したのか、その罪を認識させてほしい。

 それがわかれば、きっと怯懦なこの心にも一歩を踏み出す力が湧いてくる。

 そんな意思を込めてじっと睨み返せば、ウィルは呆れたように口元を緩めると訥々と語り始めた。

 

「復讐なんて無意味だってことはわかっています。それにシグナムさんのことも好きですから、抑えられるものなら抑えたいんですけど……どうやらそうはいかないみたいです。どうしても許せないんですよ、あなたが生きているのが。……許せるものかよ、奪った奴が生きているなんて。はやてと一緒に生きる、なんて」

 

 ひび割れるように、ウィルの表情は崩れて歪む。先ほどまでの穏やかな笑みも感情も偽物ではない。ただ隠していた――これから見せる――顔の方が、笑みを塗りつぶすほどの圧倒的質量を持っていた。

 

「許せるか!! 奪ったお前に、幸福な人生なんて与えるものか! 贖罪なんて綺麗な言葉にくるんだ、安穏とした生活なんて認められるか! 奪われた者はもう帰ってこれないんだよ! もう、二度と! 何をしたって! 父さんはおれのところに帰って来てくれないんだ! なのに、なのに、……畜生ぉぉぉお!! 奪ったお前が奪われずにすむだと!? ふ、ふざけるな! そんな理不尽を認められるかよ! 世界の誰が許したって、俺はお前を許さない! お前にはどんな人生だって与えない! そうだ! 死以外、何か一つでも与えてやるものか!!」

 

 子供が泣き叫ぶように声をあげる。奪われたから奪い返す――なんて、わかりやすい。

 

 叫びながらウィルは不可視の翼を生みだして向かってきた。

 シグナムもまた自らの体に鞭打って、レヴァンティンを掲げて駆ける。

 それが彼女にとっての義務であり、彼女が得た答えだから。

 脳裏に浮かぶのはあの日の記憶。赤い髪の男――目の前の彼の父親で、シグナムがその手で殺した人。全てを思い出した今、逃げることは許されない。

 周りには誰もいない。二人の他には誰もいらない。ここは咎人と断罪者、二人だけの血戦場。

 

 

  「ずっと一緒に」 彼女が願う

 

  「殺すッ!!」  彼が吼える

 

 

 

 

 今。

 救済を受けた過去は過ぎ去り、断罪を受ける未来は未だ来ず。

 

 空を見上げるシグナムに、水滴が落ちる。

 初めは少しずつ、次第に勢いを増して雨が降る。足元の土は水を得て泥に変わっていく。

 シグナムは騎士甲冑を解いた。雨にうたれる体は急速に温度を失う。寒さが悪寒を上書きしてくれて少し楽になる。

 心には一つの疑問。

 

 ――我々はどうすればいい

 

 今のシグナムは、答えを持っていない。

 代わりに持っている物と言えば、右手の剣。そう、剣――数多の人を切ってきたもの、数多の人を焼いてきたもの。それがとても忌まわしい物に思えて、彼女は思わず手を離した。

 足元で水と泥がはねる。自分の手放したレヴァンティンが、泥に塗れ、汚れていた。

 心が後悔で埋め尽くされる。これまで一緒に戦ってきた相棒に、自分は何をしているのか。剣に罪はない。それを振るって来た自分たちにこそ罪はある。

 では、主に命令されて戦ってきた自分たちも罪はないのか? それはおかしい。何かに強いられていたという理由で納得するのなら、この世の殺人者のほぼ全てに罪はなくなる。

 では、罪とはなんだ?

 

 明朗としない思考を抱えたまま、シグナムは泥の中に膝をつき、すぐにレヴァンティンを拾い上げる。

 

「すまないな、レヴァンティン……すまない、本当にすまない」

『Meister(主)?』

 

 シグナムは汚れたレヴァンティンを胸にかき抱いたまま動かなかった。ただ、すまない、と、何度も繰り返す。誰に謝っているのか、なぜ謝っているのかもわからず、何度も繰り返す。

 

 誰か、誰でも良い。どうか教えてくれ。何が正しくて、何が間違っているのか。我々はどこで間違ってしまったのか。

 我々は―――私は、いったいどうすればいい。

 

 

 問いかけに答えるのは、雨音だけ。

 

「シグナム? ねえ、返事がないけど、どうしたの?」

 

 心配したシャマルからの連絡で、ようやくシグナムは我に返った。

 

「あ、ああ。……大丈夫だ。なんでもない」

「そう。それなら良いけど。新しい魔力反応があったの。座標を伝えるから、すぐに向かって」

 

 新たな蒐集対象を告げる言葉に、雨にうたれて青ざめた唇が歪み、剣を握る手が痙攣する。

 

 

 陽は沈み、雨降る闇の夜が訪れる。




 ここまでA's編のプロローグ。
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