宙空に投影された複数のホロディスプレイが、管理局の制服に身を包む人々の指の動きにしたがって次々と画面を変えて行く。
もとはただの洋室であったその部屋は、壁際に並べられていた書棚や年代ものの大理石の机といった長年連れ添ったインテリアと離別させられ、代わりに無数のコードが繋がる機械、購入してきたばかりと思われる安物の椅子と机が、我がもの気取りで部屋に鎮座している。
ここは月村邸の一室。
今は『連続魔導師襲撃事件』の捜査のために管理局が借りている部屋の一つだ。
事の始まりは三週間前。海鳴で現地の魔導師高町なのはと、知人を訪問していた管理局の局員ウィリアム・カルマンが、何者かの襲撃を受けた事件に端を発する。
その日から連日繰り返される犯行によって、被害者の総数はもはや三桁に届こうとしている。せめてもの救いは一部の例外を除いて重傷者・死亡者が存在しないこと。
犯行は主に地球の周辺世界で発見されており、一件目が先日PT事件の主要な舞台となった海鳴ということもあり、現地人と交流のあるアースラチームが捜査を担当することとなった。
ただしアースラ自体は整備のために動かせないため、局員たちは転送ポートを利用して海鳴へと訪れ、月村邸内に設置された臨時捜査本部を中心に活動を続けている。
部屋の中心にいるのは、アースラの通信主任エイミィ・リミエッタ。この事案の捜査司令であるリンディ・ハラオウンがわけあって不在の今、彼女とクロノが捜査員の指揮をとっている。
エイミィはゆっくりと立ち上がると、自らの腰を叩きながら、近くに座るランディ通信士に声をかける。
「それじゃあクロノ君と一緒になのはちゃんに会ってくるから、後はよろしくね」
「わかりました。顔、整えてから行った方が良いですよ」
「あはは……そんなにひどいかな」
その隣のアレックス通信士が眼鏡を拭きながら言う。
「ちゃんと休んでくださいよ。艦長がいない今、主任に倒れられたら大変ですからね。主に僕たちが」
上司にきっちり苦言を呈してくれる部下に後を任せて、エイミィは自室に戻った。
ほとんどの捜査員は交代で本局から通っているが、クロノやエイミィをはじめとした意思決定に関わる数名は、部屋を借りて常に月村邸に滞在している。
自室で軽く化粧をしてから、先ほどとは異なる部屋に入る。その中では執務官のクロノと数人の捜査官が仕事中。
エイミィに気付いたクロノは、他の捜査員に声をかけてから部屋から出て来た――が、クロノの顔を見たエイミィの顔がひきつる。疲れているのはエイミィも同じだが、クロノは輪をかけてひどい。
「うわぁ、目が真っ赤。もしかして徹夜?」
「仮眠はとったから、体調を崩すようなことはない。今すぐ戦闘がおこっても十全に戦える」
言いながらクロノは廊下を進むが、血走った赤い目とその下の隈、それらを周囲から飾り立てる陰鬱な表情がいっしょくたになっていて。普段はかわいらしさすらある童顔に、今や幼子が目を合わせれば泣きだしかねない鬼気を纏っている。
「もう、しょうがないな。ちょっとこっちに来て!」
「あまりなのはたちを待たせるわけには――」
エイミィはクロノの手を引っ張って洗面所に連れて行く。鏡で自身の顔を確認させると、さすがのクロノも鏡の中の悪相に顔をしかめる。
「ほら、こんな顔であの子たちの前に顔を出すつもりなの? まずは顔を洗うところから!」
顔を洗わせ、懐から取り出したクシで髪を整え、携帯している目薬を注し、服のしわを軽く伸ばす。そしてクロノが嫌がるのも気にせず、マッサージと称して顔を三次元的なあらゆるベクトルに引っ張りたりつねったりして、ほぐした。
「うん、だいぶましになったかな。でも後ひと押しが必要だね」
言うや否や、エイミィはさらに懐から化粧品の入ったポーチを取り出す。
「……ちょっと待て。それをどうするつもり――」
疑問の言葉が届くよりも、エイミィの手がクロノを逃さないように動く方が早く、速かった。
数分後、鏡の前には先ほどに比べるとかなり健康そうなクロノの姿。
「ね? これで目の下の隈も目立たないでしょ?」
「たしかに。でも、化粧をしているとばれはしないだろうか。男が化粧と言うのは少し……」
「最近は男の人でも多いよ? それに故郷の風習だとかで普段から顔にペイントしている人だって、管理局にも何人もいるでしょ。ってわけで、ちょっと口紅もつけてみよっか?」
「それは断固拒否する」
「え〜……今なら私と間接キスになるけど?」
「…いらない」
「あ、少し間があった。クロノ君のむっつり」
クロノはエイミィに背を向けて、さっさと廊下に出て歩き始めた。顔が赤いのは怒りか羞恥か。どちらにせよその足取りは先ほどよりも力強く。
「ごめんごめん! ねぇ、謝るからちょっと待ってよ!」
追いかけるエイミィの顔は、謝罪の言葉とは正反対で嬉しそう。
無理をしないで、なんて言えないから。せめて自分の軽口でちょっとでも気をまぎらわせてほしいな、なんて思いながら。エイミィはクロノの後を追いかける。
「嘱託魔導師になりたい、だって?」
床には観葉植物が並び、天からは陽光差し込む昼のサンルームは、十一月の半ばでもほのかに暖かく快適だった。
白い円形のテーブルには、クロノとエイミィ、そして彼らと向かいあうように、なのはとユーノが座る。
「なのはちゃん、体の具合はもう大丈夫なの?」
「はい。もうなんともないです」
『Thanks for taking care of us the other day.(先日はお世話になりました)』
なのはとレイジングハートがそれぞれ返事をするが、ユーノは首を横に振る。
「たしかに魔法もうまく使えていますし、特に後遺症も見当たりません。でも、僕は表面上の異常の有無しかわかりませんから、もう一度ちゃんと診察を受けた方が――」
三週間前、なのはは気を失って事件現場で倒れているところを発見された。
外傷はなかったが、意識が戻らなかったため、月村家から本局の医療施設に搬送。幸いにも大事には至らず、半日後には意識を取り戻し、修理を受けたレイジングハートと共に三日ほどで海鳴に戻って来ることができた。
民間人のユーノがここにいるのは、なのはの経過観察のために高町家に滞在しているからだ。なのはが襲われたと聞いて本局に駆けつけたら、リンディの計らいでいつの間にかそういうことになっていた。
もちろん経過観察であれば、ユーノではなく医療の心得がある者を派遣した方が良い。ユーノではせいぜい魔法の構築、行使における異常の有無を見るくらいのことしかできない。
しかし、なのはの回復が順調だったことに加え、万が一何かがあった時、防御魔法にも優れた結界魔導師のユーノがいれば、月村邸のクロノたちが駆けつけるまでの時間を稼ぐことができること。見知らぬ局員が一緒にいるよりも、同年代の友人でありかつて一緒に暮らしていたユーノの方がなのはの精神的負担にならないことなど、様々な面を考慮すればユーノ以上の適任はいなかった。
ちなみに最初はフェイトが同任務を受ける予定だったのだが、ユーノの出現によって仕事が変更。現在は嘱託魔導師としてアースラチームの武装隊と共に、周辺世界の巡回任務についている。
「ユーノ君は心配しすぎだよ。三週間もたってるのになんともないんだから、もう大丈夫なのに」
ほら、と両手を広げて自身の健在をアピールするなのは。そのやり取りに割り込み、クロノがなのはに問いかける。
「こんな時に嘱託になりたいと言い出すのは、なのはも捜査に協力したいと思っているから、と考えても良いのかな?」
なのはは慌ててクロノの方を向き、力強くうなずく。
「自分がやられた仕返しなんて短絡的なことは考えていないと思うが――」
「あたりまえだよっ!」
「もちろん僕もそんな心配はしていない。でも、別の心配はしている。もしかしてウィルのことでいらない責任を感じていて、それでこんなことを言い出したんじゃないのか、と」
クロノ以外の全員の顔が曇る。無事だったなのはとは逆に、ウィルは現在も行方不明のままだ。
大量の血液が飛び散っていた事件現場の状況、そして捜査官のサーチャーによって発見された切断された右腕――照合の結果、血液と右腕はウィルのものと確定――は、ウィルが治療を施さねば死に至る傷を負った証拠。
致命的な死傷者の出ていないこの事案における、唯一の例外だ。
「ウィルさんのこと、関係ないわけじゃないよ。でも、責任とかそういうんじゃなくて――わたしはただ、何かをしたいの。知ってる人が傷ついているのに、このまま何もしないでいるのは嫌だから。……こんな理由じゃダメ、かな?」
「駄目とは言えないな。僕も同じようなものだ。何もしていないと不安になるから捜査にのめりこんでしまう。きみの動機を否定することはできない。……いきなり嘱託は無理だけど、この件に関わりたいというだけなら、以前のように民間協力者という形で参加してもらうことはできる」
「それじゃあ――」
瞳を輝かせるなのはに、クロノはうなずいて答えた。しかし、視線は鋭いままだ。
「ただ、今回はPT事件とは性質がまるで違う。PT事件はジュエルシードの封印が要だったから、魔力量の高いきみが協力してくれるのはとてもありがたかった。しかし今回はおそらく純粋な戦闘が要になる。僕としては、いくら魔力が高くても魔法を知って半年のきみを参加させるのは少し怖いな」
「なのははとても優秀だよ」クロノの指摘に、ユーノが反論する。 「前に出て戦うのは危険かもしれないけど、なのはが出るなら僕も参加するつもりだし、たとえば前衛のフェイトと組ませての後衛に専念すれば――」
「なのはの優秀さを疑っているわけじゃない。魔力量は僕以上で精鋭ぞろいの本局でもトップクラス。本番でいきなり収束魔法を放てる魔法構築能力に至っては、もう次元が違いすぎて羨む気すらおきないくらいだ」
手放しの称賛に、なのはも思わず照れてしまう。だが、クロノは表情を変えずに「だけど」と続ける。
「才能のみでの戦いには限界がある。ある程度以上の相手との戦いは、積み重ねた技量こそがものを言うんだ。特に後衛は前衛よりも、経験や思考能力が重要視される。戦場全体を俯瞰して状況を把握し、相手の性質に応じての効果的な魔法選択。やることだって、射撃系による前衛の援護、捕獲系による敵の弱体化、広域系による多数の敵の一掃、そして前衛が稼いだ時間を使って構築した砲撃による一撃必殺、いろいろある。それらを効果的に行使するには、敵味方の動きを予測することが何よりも大切だ。つまり本職の後衛には、判断力と決断力、高い観察力が必要とされる。こればかりは魔法の才能だけでどうにかなるものじゃない」
ここにウィルがいれば、なのはちゃんそれだいたい持ってるぞ、と言っていただろうが、いまだになのはがまともに戦っているところを見ていないクロノと、自らの技量にいま一つ自信の持てないなのはではそうもいかず。
「うう……あんまり自信ないかも。ちなみに、魔導師以外の方法でお手伝いするっていうのは……?」
「……難しいな。ユーノのように民間人に捜査協力をしてもらうことはあるけど、これもある程度の経験が必要だ。ユーノは読書魔法や検索魔法が使えるから、なんとかできたけれど……」
遠まわしに役にたたないと告げられ、さらに落ち込むなのは。
しかししばらくすると首を左右に振って顔を上げ、決意をみなぎらせた表情で食い下がる。
「やる前から諦めてちゃダメだよね。力不足なら諦めるよ。でも、その前に一度私の力を見てほしいの」
「わかった。母さんが本局から帰ってきたら、僕から連絡する。フェイト相手にでも簡単な模擬戦をしてもらって、それを見てから決めよう」
「やった! ありがとう、クロノ君!」
立ち上がって頭を下げるなのは。
一方、ユーノは先ほどのクロノの言葉に気にかかったところがあるようで。
「リンディさん、本局にいるんだね。いつ頃帰ってくるの?」
「……いつになるかな。うまくいっていれば、もうすぐだと思うんだが。難航していればまだまだかかるかもしれない」
「何をしに行ってるのか、聞いても良いのかな?」
ユーノとクロノはPT事件後の本局への帰還、その後の略式裁判と奉仕時間などで顔を合わせていた時間が長く、PT事件の頃は敬語を使っていたユーノも今では普通に話すようになっている。
尋ねられたクロノは、両手を机の上で組み、神妙な面持ちで語り始める。
「明日の捜査会議でも話が出るけど、僕たちは今回の事件には、とあるロストロギアが関係していると考えている。母さんはそれに関係した会議に出席しているんだ」
「ロストロギアが? ただの襲撃事件じゃないの?」
「過去に何度も似たような事件をおこしたロストロギアがある。その時のは被害者は今みたいに数日で治る程度ではなく、ほとんどが死亡したという違いはあるが」
「でも、それって大きな違いだよね。無関係だったり、模倣犯ってことはないの?」
ユーノの問いに、クロノは首を横に振った。
「今回の犯行もただの人間では難しいところがある。事件は複数の次元世界にわたって起きているから、これらが同一犯によるものと仮定すれば、犯人は次元航行艦船を所有してこまめに動き続けていると考えられる。だが、定置観測所や航路観測隊からの報告では周辺海域に怪しい艦船はおろかそれらしき痕跡すら見つかっていない。では、犯人はどうやって移動しているか……ユーノはわかるか?」
「普通に考えれば、転送ポートだよね」
「犯行がおこなわれた世界の転送ポートを、犯人と思われる人物が使用した形跡はない。非公式な転送ポートを使用している可能性もあるが、襲撃場所が多すぎる。一箇所や二箇所ならまだしも、三十件を越える事件現場の近く全てにあらかじめ転送ポートを設置しておくなんて現実的じゃない。艦船も転送ポートもなしとなれば、残った可能性は次元転送魔法だ」
「それこそ無理だよ。普通の転送魔法なら僕やアルフみたいに使える人はいるけど、それは同じ世界の中だからだ。機械に頼らずに人間を他の世界に転送するなんて、大魔導師でもなきゃできない」
魔法と科学が発達した管理世界でも、個人で次元の壁を越えるのはいまだ難しい。
PT事件でフェイトとアルフが時の庭園と行き来することができたのも、庭園の転送装置にアクセスし、転送してもらっていたからで、フェイト個人が次元間転送魔法を行使できるわけではない。
異なる次元世界間の空間を同期させるための空間歪曲、そして歪曲された空間を支えるための質量を代替するためには、オーバーSの魔導師でも足りないほどの膨大な魔力が必要となる。
同一世界内の三次元転送よりも演算に必要なパラメータも爆発的に増え、プログラムも複雑化するため、演算量は人間の限界を軽々と越える。
本人も次元跳躍魔法を始めとする次元系魔法を行使できた、大魔導師プレシア・テスタロッサ。彼女が大魔導師と呼ばれるきっかけともなったのは、まさに個人で次元間転送をなしとげたからだ。しかし、そんな彼女でさえ、魔導炉で足りない魔力を補い、演算のために専用デバイスを用意しなければ成功はしない。
「たしかに、普通の人間なら無理だ。でも、転送するものが人体ではなく情報ならどうだ?」
「情報……ってことは、次元間転送じゃなくて次元間通信ってこと? それならそこそこ腕の立つ魔導師なら個人でもできるけど、それと移動に何の関係があるの?」
「物質は無理でも、情報と魔力さえ送れるなら十分だ。かつて事件をおこしたロストロギアは、魔力で人体を構築する古代ベルカの魔法プログラムを有していて、所有者の意のままに動く手駒を作り出すことができた。これに被害者の共通点であるリンカーコアの不自然な衰弱、魔力の減少が合わされば、そのロストロギアが関わっている状況証拠になる」
リンカーコアの極端な収縮と衰弱――これはなのはだけでなく、連続襲撃事件の被害者には共通している。魔法を行使しすぎて極端に魔力を失えばこのような状態になることがあるが、なのはを始めとして被害者にはろくに抵抗できない内にやられた者も多い。
魔法を使っていないはずの被害者まで、魔力がほとんどなくなったかのような衰弱状態にある。これはこの事件の特徴的な共通点だ。
「だが、あくまでも状況証拠。まだ死人が出ていないというのもあるんだろう。本局は違った時のことを考えて渋っている。こうしている内にも被害者は増え続けているんだ。今回だって、いつまた昔のように人が死ぬようになるのかわからないし、ウィルの行方だって手がかりのないままなんだ。それなのに……!」
クロノが言うとあるロストロギア――闇の書は災害級、秘匿級とも呼ばれる第一級捜索指定に認定されている。
特定の事案や秘匿級のロストロギアの詳細情報の閲覧許可が下りるには、この事件に闇の書が関わっていると正式に認定され、現在の連続魔導士襲撃事件の捜査本部が闇の書対策特別捜査本部へと再編される必要がある。
ロストロギアの情報に秘匿が必要なことは理解している。捜査員間での捜査情報の保秘の徹底、各次元世界のマスコミ等への報道規制、襲撃の被害が出ている各管理世界への根回しと捜査協力要請の必要があるため、安易に早期認定するわけにはいかないのもわかっている。追加人員として別の部署から部隊が回され、それで人手が足りなくなるのを嫌がる人たちがいるのもわかっている。
けれど、それら全ては増え続ける被害者よりも優先されることではないはずだ。
苦悩するクロノの手を、エイミィが掴んだ。突然のことにきょとんするも、クロノ以上にエイミィが、そしてなのはとユーノの方が騒然としていた。
原因はすぐにわかった。机の上で組んでいたクロノの両手、意識していない内に力が入りすぎて白く変色し、同時に爪が手の甲に食い込んで血が出ている。
「……そう言えば、爪を切るのを忘れていたな」
「そういう問題じゃないよ! ユーノ君、回復魔法――」
なのはの指示にユーノが慌てて腰を浮かすが、クロノは掌を前に出してそれを押しとどめる。
「いいよ。皮がやぶれただけだ。この程度なら自分でもどうにかなる。それよりも、すまない。愚痴をこぼしたあげく醜態をさらしてしまった。今日はここまでにしよう。僕は少し頭を冷やしてくる」
クロノは立ち上がり背を向けると、一度も振りかえらずにサンルームを出て行く。
「追いかけなくて良いんですか?」
なのははエイミィの方を見るが、彼女は静かに首を横に振った。
「放っておいた方が良いよ。今のクロノ君は、お父さんのこと、ウィル君のこと、本局の方針に、どんどん増える被害者。いろいろつもりすぎて少し混乱しているんだと思う。誰かがいろいろ言っても余計に考えることを増やして逆効果になるだけだよ」
「お父さん?」
「……あちゃあ、私も少しまいってるのかな。まぁ捜査員はみんな知ってるから今更隠しても仕方ないか。クロノ君のお父さん、そのロストロギアが前に起こした事件で亡くなってるの。それから、その時にウィル君のお父さんも一緒に。だからクロノ君にとっては今回の事件はいろいろと思うところがあるんだよ。私ですら正直、どこまで冷静に対処できてるかわかんない」
なのはたちは絶句し、クロノが出て行った扉の方を見る。そんな二人にエイミィは微笑みかける。相手のことを心配しながらも、それでも心の底から信じきっている表情。
「そんな心配そうな顔しないで。クロノ君は強い人だから、きっと大丈夫」
「クロノ君のこと、信頼しているんですね」
「そりゃ、ずっと近くで見て来たからね」
エイミィはかすかに頬を赤らめながら言い切った。
クロノは貸し与えられている自室に戻り、その部屋のベランダに出て、柵に肘をつく。視界には月村邸を囲む森と、そこから続く山々が見える。
紅や黄に彩り始めたが樹葉が作り出す、視界いっぱいに広がるマーブル模様のパノラマも、今のクロノの心を揺らすには至らない。むしろ肌を刺すような木枯らしと、手の傷による微細な痛みの方が慰めになる。
もし、自分が闇の書事件を担当することになったら――そんな想像は何度もしたことがあった。クロノも幼い頃は自分が父の仇を取るのだと息巻いていた。しかしハラオウン家とも深い親交のあった父の上官から師事を受けるようになってからは、連綿と続くこの悲しみを終わらせるのだと思うようになった。もう誰も、自分のように悲しむ者を出さないようにと考えて。
それなのに――
クロノの瞳にも瞋恚の炎が熾り始める。父だけでなく、友をも奪ったかもしれない闇の書への怒りの火だ。
仇なんてとっても死んだ人は戻って来ない。亡き父もそんなことは望んでいない。それでも、闇の書がウィルを殺したのであれば、報いを与えたいと思っている自分がいる。
「僕は執務官だろ、クロノ・ハラオウン」
クロノは燃える双眸を閉じて、自らに言い聞かせる。
自分は己の意志で執務官として在る生き方を選んだ。だから自分が担当する事件に私情を持ちこんではいけない。
少しでも悲しむ人が少なくなるよう、事件を早急に解決へと導き、犯人には法にのっとって正しい裁きを与える。やむおえない事情があればそれを考慮に入れる。
それだけだ、それ以外であってはならない。執務官という大きな力を持つ自分は、それにふさわしい行動をとらなければならない。恩師に何度も繰り返し言われた教えだ。
再び開かれたクロノの瞳に、もう炎はない。その代わりに意志を固めて造った瞳がそこにある。今はまだ、炎で溶けてしまいそうになる蝋のようだけれど。
その時、先ほどまで一緒の部屋で仕事をしていた捜査官から連絡が入る。すぐに部屋の中に入り通信を開くと、ホロディスプレイに捜査員の顔が映る。
「休憩中にすみません。ですが、本局のリンディ司令から連絡がありまして」
「かまわないよ。それで?」
「はい。闇の書の認定が出た、と。司令は必要な指示を出したら、捜査本部に戻ってくるそうです」
この数時間後、たしかにリンディは月村邸に戻って来た。
もう一人、亡き父の上官でありクロノの恩師でもあるギル・グレアム提督を伴って。