復讐の炎がこの身を焼き尽くす前に   作:上光

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捜査会議

 正面玄関から月村邸に足を踏み入れた先には玄関ホールがあり、そのさらに奥には大ホールが広がっている。

 晩餐となればキャンドルに灯される赤橙色の炎が暖かみと活気のある空間を作りだすはずの大ホール内部は、管理局おなじみの青白い灯に照らされて冬の聖堂のような静謐かつ厳粛な空気に満ちていた。

 

 フェイトはホール内に持ち込まれた椅子に腰かけ、周囲を見渡す。

 これから始まる捜査会議のために、ホールの内部には多数の椅子と机が持ち込まれている。

 フェイトの右隣にはアルフが、左隣にはいつぞや怪我させた武装隊の男性隊員が座っており、周囲には顔見知りのアースラチームが固まっている。

 しかし少し離れたところに視線をやれば、知らない顔も大勢いる。

 

 捜査会議の出席者は、武装隊、通信士、捜査官、医療局、技術部の技官など五十名を超える。ここにいない人々も含めて、この事案の捜査のために動いている人々の総数は二百名を超え、特別捜査本部が置かれた今、人員はさらに増える予定だと聞く。

 

 ホールの一番前には、捜査員たちと向かい合う形で、捜査司令のリンディと執務官のクロノなど、指揮官たちが座っている。

 会議のはじめに、リンディがこの事件の概要に触れる。捜査員たちにとっては今さらの事実だったが、誰も聞く姿勢を崩さない。

 リンディは一旦間をとると、本題を切り出した。

 

「この事件は古代遺物管理部により、ロストロギア闇の書によるものであると正式に認められました。今の私たちには闇の書に関する全ての情報を閲覧する許可が与えられています」

 

 本局にその許可を取りに行っていたリンディが帰ってきていた時点で、捜査員の大半にとっては予測できていた事実。それでもはっきりと宣言されて喜ばない者はいなかった。

 闇の書が関与している可能性はこれまでの捜査会議でも言及されていたが、情報開示のための審査を通過し上層部を説得するには、相当な証拠と相応の時間を必要とした。

 そのせいで事件の発生から二十日あまり、捜査員は数少ない情報を頼りに受け身の捜査を続けてきた。けれど、それは決して無駄な行為ではない。

 

「みんな、少ない手札でよく頑張ってくれたわ。これまでの捜査のおかげで、被疑者の行動や活動範囲はほぼ確実に絞り込めている。これからは私たちが攻める時間よ」

 

 どよめきを伴った捜査員の興奮が、静謐な大ホールに熱気の渦を生み出す。

 リンディは隣に座る通信主任兼会議進行役のエイミィに目配せする。

 

「では、これより闇の書の説明をおこないます。なお情報には保秘が義務付けられていますので、そのことを念頭に置いて聞いてください。ではマリエル技術官、お願いします」

 

 エイミィの声に従い、最前列右端に座っていたマリエルが立ち上がる。

 ホール前方に三次元ホログラフィが投影される。映されるのは革表紙に剣十字の装丁がなされた、古ぼけた一冊の書物。

 

「闇の書は古代ベルカで作られた、一種のデバイスだと考えられています。特異な点として、デバイス側が自らを扱うに足る者を所有者――主に選ぶという点があげられます。闇の書を扱える者は書に認められたただ一人の主だけであり、主が死亡するまで変更されることはありません」

 

 捜査員たちは何も言わず、マリエルの説明に耳を傾ける。

 

「新しい主のもとに現れた段階では、闇の書のデバイスとしての機能は著しく低下しています。そこで、闇の書は実動隊である『守護騎士』という存在を作り出します。守護騎士の役目は主の守護と、闇の書を完全な状態にするための『蒐集』です。そして蒐集の完了前、完了後を問わず、書の破壊、もしくは主の死亡が確認された時、闇の書は『転生機能』によって新たな主のもとに現れる――闇の書の活動は十年から二十年周期でこれを繰り返します」

 

 マリエルが一旦説明を止め、エイミィが説明の方向を定める。

 

「マリエル技術官、闇の書が持つ三つの機能――蒐集、転生、守護騎士について、順に説明をお願いします」

「わかりました。……蒐集機能は、生物が体内に持つリンカーコアを介して、生物の持つ魔力を奪い取る機能です。闇の書は蒐集によって魔力を蓄えると同時に、蒐集対象が行使したことのある魔法プログラムを記録。魔力とプログラムは頁という形で闇の書に蓄えられます。六六六頁分の魔力を蓄えた時、闇の書は完成する――と言われていますが、実際に起こるのは大規模な破壊です。魔法による単純な破壊だけでなく、闇の書それ自体が生物非生物を問わずに侵食し、できうる限りの破壊行為をはたらきます」

「魔力を手に入れるために、魔導炉を狙うということはないのか?」

 

 一人の捜査員の質問に、マリエルが答える。

 

「それはありません。過去の事例を見る限り、蒐集対象は生物に限定されていると考えられます」

 

 非効率的だ、というつぶやき声がどこかから聞こえる。その声にマリエルはうなずいた。

 

「そうですね。ですから、本来の闇の書は魔力ではなく魔法プログラムを蒐集するもので、それが何らかの要因によって変化したのではないかと考えられています」

「マリエルの説明中だが、医師として少し付け加えておこう」

 

 声をあげたのは、アースラの船医でもあった老医師。彼が立ち上がると、エイミィが事前に用意されていた各種バイタルデータをモニターに表示させる。

 

「蒐集された者のリンカーコアは魔力の減少によって、一時的な衰弱状態に陥る。魔導師なら経験した者ことがある者も多いだろうが、魔力の減少は身体機能に異常を及ぼし、一定量以下になれば意識の喪失(ブラックアウト)を起こす。それ以上に魔力が減少すれば、不可逆な障害が発生し、最悪の場合は死に至る。それでなくとも、蒐集はリンカーコアという内臓器官を直接刺激する行為であり、身体への負担も大きい非常に危険な行為だ。この三週間の一連の事件の被害者は、過去に蒐集された被害者の例と酷似しているが、一連の事件の被害者はせいぜい魔力の六割程度しか蒐集されていない。これは闇の書の仕業にしては非情に珍しい。どうやら、今の闇の書の主は今までよりまともなようだ。無論、犯罪者にしてはだが」

 

 老医師の発言には隠しようのない侮蔑がこもっていた。そのことに眉をひそめる者もいたが、老医師が前回の闇の書事件にも携わっていることを知る者はそっと目を伏せた。

 重くなる空気の中、マリエルは説明を続ける。

 

「で、では、次に転生機能です。闇の書はこれまで幾度となく物理的に破壊されてきましたが、どのような手段で破壊しても、闇の書は再びこの世界に現れます。管理局ではこれを転生機能と呼んでいますが、その詳細はまったく判明していません。闇の書による被害を完全に防ぐためには、闇の書を捕獲し解析する必要があります」

 

 捜査員の舌打ちや苦悶の声が会場のあちこちから漏れてくる。

 

「そして、最後に守護騎士機能です。闇の書は自らと主を守護、そして無力な主に変わり蒐集をおこなう要員として、四体の従者――ヴォルケンリッターと呼ばれる騎士を作り出します」

 

 前方のモニターに四人の姿が投影され、それぞれの固有データが姿に重なるように表示される。

 捜査員にとって、ヴォルケンリッターの姿を見るのはこれが初めてのことだった。

 

 過去の闇の書事件の関係者が保秘義務で口を閉ざしているため、闇の書やヴォルケンリッターの姿を知る者は少ない。

 ヴォルケンリッターに関しては蒐集で襲われながらも生存した者から、その容姿についての情報が漏れることもあった。しかし巷に流れるヴォルケンリッターの姿に関する情報はあまりに多く、その全てがてんでばらばら。過去に姿を真似た愉快犯がいたせいで大混乱が発生し、その対策として管理局が意図的に事実と異なる情報を流布したのだと、まことしやかに囁かれているが真偽は不明だ。

 さらに、今回の連続魔導士襲撃事件の犯人は仮面で顔を隠して活動していたため、被害者ですらその顔は見ていない。

 

 モニターに映った四人のうち、三人は外見年齢に差はあるが見目麗しい女性。残り一人も凛々しい偉丈夫。

 世界を崩壊させる闇の書の尖兵としてはあまりにも似つかわしくない容貌に、ざわめきが起こる。

 

「彼らは見た目こそ人間と変わりませんが、使い魔でも人間でもない疑似生命体――闇の書に内蔵されたプログラムが人の形をとって顕現した物です」

「知性や言語能力の有無はどうなっているのでしょう?」捜査官の一人が質問。

「対話能力と、自律行動をとるだけの知性は確認されています。人間らしい感情は確認されていませんが、街中に溶け込まれれば普通の人間と区別はつけにくいのではないかと」

「人間と区別のつかない高度な知性を持つのなら、彼らも人間とみなせるんじゃないのか? そのあたりはどうなっているんだ」

「それは……」

 

 武装隊の一人があげた疑問にマリエルは答えることができず、リンディの方を見る。ヴォルケンリッターが人か物かというのは、実際に彼らと戦闘することになる武装隊の行動に大きく関わることであり、一介の技術官が答えを出して良いものではない。

 リンディがマリエルの視線に答えるよりもわずかに早く、声をあげたものがいた。

 

「その質問には私が答えよう」

 

 リンディたちと同じく、捜査員たちと向き合う形となる席に着いていたグレアムが声をあげた。十一年前の闇の書事件の捜査司令であった彼は、今日の捜査会議に相談役として参加している。

 

「あ、はい。ギル・グレアム法務顧問官、どうぞ」

 

 立ち上がりグレアムが話し始める。彼の声は、重ねて来た年月を感じさせる重さを持ちながら、聴く者を不快にさせない明朗さも兼ね備えていた。拡声器を使わずともホールの隅々まで響き渡り、聴く者の臓腑に浸透する。

 

「ヴォルケンリッターが人間かどうか――法務に関わる者としての見解を述べるなら、彼らは人間ではない。既存の法律の枠内ではインテリジェントデバイスと同等の人工知能として扱われる。したがって管理局法を始めとする全管理世界のどの法でも人権は認められていない。そして人間の定義という哲学的な問題は、現場の者が考えることではない」

「しかし――」

「自らと相似形を持つものに共感を抱くのは、きみが心優しい人間である証明だ。間違ったことではない。だが、奴らはそれで手を抜けるほど甘い相手ではない。奴らは四体全てが古代ベルカ式を用いる超一流の騎士だ。圧倒的な場数を積み重ねたことによる経験は、彼らを魔力値といった数字以上の強敵へと化している。そして、ヴォルケンリッターのデバイスはベルカ式カートリッジシステムを搭載しているため、瞬間的にその実力を倍化させることも可能だ。臨むのであれば、Sランクの魔導師四人と戦うと考えた方が良い」

 

「カートリッジシステム?」

 

 聞きなれない単語にフェイトが首をかしげる。

 

「ご存じありませんか?」

 

 フェイトのつぶやきに応じたのは、隣に座る武装隊員だった。

 こくりとうなずいたフェイトに、隊員は会議の邪魔にならないように念話に切り替えて説明する。

 

『魔力のこめられた特殊な弾丸――カートリッジを用いて、一時的に本来以上の魔力を用いる技術のことです。簡単に言えば、自分たちの体内以外に外付けの魔力タンクを用意するようなものでしょうか。うまく使うことができれば、瞬間的な威力の倍加、本来は不可能な規模の魔法を構築できるようになるそうです』

『すごく便利そうなのに、武装隊で使っている人はいませんよね』

『普段以上の魔力を扱うので、制御は非常に難しくなり、体にかかる負担も大きくなりますから』

 

 

 しばらくの間、マリエルを中心に闇の書に関する説明が続いた。

 それが終われば続いて各捜査班の報告に移る予定となっていたが、その前にグレアムが「少し話しておきたいことがある」と、発言許可を求めた。

 

「闇の書がどれほど危険であるかの説明がなされたが、私はきみたちがその真の脅威を理解していないと考えている」

 

 ざわめく捜査員を意に介さず、グレアムは続ける。

 

「失われた文明の遺産であるロストロギアは、現在の技術力では完全な解析ができず、それゆえ明確な対処方法が存在しない中、手さぐりで立ち向かわなければならない。それがとてつもない困難だということは、私もかつて現場で働いていた者としてわかっているつもりだ。それでも、ロストロギアはどこまでいっても道具にすぎない。たとえ基盤となる技術体系が異なろうと、道具として作られた以上は最低限の安定性をもつように作られている。だが、闇の書は違う。あれには枷がない。最善を尽くしたとしても、それを嘲笑うように裏をかく。闇の書は見つけ次第破壊するのが最も確実な対処法だ。解決しようと欲を出せば、私のように手痛いしっぺ返しをくらうだろう。今すぐに解決せずとも、十年先、二十年先になれば管理世界の技術もさらに発達している。問題を先送りした分だけ、対処できる確率は上昇する」

 

 ざわめきが一層大きくなる。

 リンディが事件の解決をおこなうと捜査員の士気を上げた後に、よりによってかつて闇の書事件を担当した男からこの意見。

 多くの捜査員はあまりに消極的な態度に不快感を覚えていた。中にはあからさまに軽蔑や失望の視線を向ける者も出始めたが――

 

 グレアムは瞳を閉じ、その顔を痛みをこらえるように歪ませると、なお話を続ける。

 

「私はかつて、蒐集によって亡くなった大勢の罪なき人々と、闇の書の確保のために傷ついた多くの勇敢な局員の犠牲を無駄にした。そして今は未来を担うきみたちに自らの尻拭いをさせている。恥ずべきことだ。管理局の一員として、年長者として、何より一人の男として、許されざる行為だ。たとえ問題の先送りという確実な対処をきみたちが選んだとしても文句を言える立場ではない。……それでも、恥を忍んで頼みたい。どうか先延ばしではなく、ここでこの事件を終わらせてほしい」

 

 グレアムは深々と頭を下げた。

 その姿にざわめきがぴたりと止まり、ホールに静寂が戻る。十秒ほどたったろうか。ようやく顔をあげたグレアムの灰色の瞳には、先ほどまで淡々と事実を述べていた姿からは想像もできないほどに大きな感情の波が刻まれていた。あまりにも凄愴で、絶望で、悲壮。彼が十年経った今でも、事件の記憶を、その悲しみを風化させずに抱き続けていることが理解できる。そんな瞳だった。

 

「これまで多くの人々が闇の書の犠牲になって来た。これ以上は、もういいだろう」

 

 静寂の水面に、グレアムの言葉が波紋のように広がる。居並ぶ捜査員たちの瞳から不満が消え、代わりに闘志の炎が灯る。

 敵は世界を滅ぼす災厄。その災厄に愛する家族を奪われた司令官の指揮のもと、かつて失敗した老兵の無念を晴らすため、世界を救う戦いに挑む。わかりやすい敵、わかりやすい正義だ。思考を酔わせるには十分な。

 

 進行役のエイミィの声に合わせて、近隣世界の調査をおこなっていた調査隊や定置観測所など、他の捜査員による定例報告がおこなわれていく。

 そして、地球に滞在する捜査員が立ち上がり、ディスプレイに映る画像がまた切り替わる。

 そこに映しだされたのは、フェイトやアルフも見知った少女の姿。

 

 

 

 

「はやてちゃんが闇の書の主って、どういうことですか!? それに、シグナムさんたちがヴォルケンリッターだっていうのも!」

 

 なのはが勢いよく立ち上がった衝撃で机が揺れ、ティーカップとソーサーが振動でかちかちとぶつかり、音をたてる。

 グレアムの口から語られた今朝の捜査会議の内容は、なのはにとって信じがたいものだった。

 

「なのは君はヴォルケンリッターとも知り合いらしいな。信じたくない気持ちはわかる」

「何かの間違いです! はやてちゃんは人を傷つけるような子じゃないし、シグナムさんたちだって!」

「私も認めたくなかった。もし事実であれば今回の事件もまた私の責任だ。十一年前に管理局を辞め、両親を失った彼女を引き取っていれば今回の事件は防げたかもしれない。しかし残念ながら昨夜はやて君の家から、ヴォルケンリッター――名前で呼ぶなら、シグナムとシャマルと思われる人物が現れて姿を消し、夜明け前に八神家に再び帰宅する様子が確認されている。昨夜の蒐集は彼女たちが家を離れている間に地球の近隣世界で発生した。彼女たちが関与している可能性は極めて高い。見過ごすことはできない」

 

 覆せない事実を突きつけられ、返す言葉を失ったなのは代わり、ユーノが理で問う。

 

「ですが、はやては家を提供しているだけで、他に闇の書の主がいるのかもしれません。たとえはやてが闇の書の主であったとしても、彼女は何も知らずヴォルケンリッターが勝手に蒐集をしている可能性もありますよね。もう少し調査してをしてからでも――」

「その可能性も検討された。だが、はやて君が利用されているだけなのだとすれば、なおさら急いでヴォルケンリッターを捕縛して引き離さなければならない。なにより、対応が一日遅れればそれだけ蒐集による被害者が増える」

「……すみません。軽率な考えでした」

 

 刃の鋭さと氷点下の冷たさを帯びた炯炯とした眼光。

 先ほどまでの和やかな会話が嘘のよう。凍土に閉ざされた大陸のごとき峻厳と怜悧を併せ持ったグレアムの存在感に、部屋の空気が冷えて硬質化したようにさえ感じられる。

 

「今夜、武装隊ではやて君の家を包囲し、彼女たちに同行を要請する。なるべく穏便に行きたいが、相手が相手だ。戦闘も覚悟しなければならない」

 

 容赦のない断言が二人に重くのしかかる。やがて、なのはがぽつりと言葉をもらす。

 

「なにか、ないんでしょうか? 戦ったりしなくてすむやり方が、なにか……。ヴィータちゃんも、シグナムさんも、シャマルさんも……みんな、すごく良い人なんです。だから……」

 

 なおも食い下がるなのはの姿に、グレアムの冷たい双眸に慈愛と寂しさが戻る。

 

「わかってほしい。闇の書が蒐集を終えてしまえば世界が滅びる。それだけは決して許すことはできない。このチャンスを逃がすわけにはいかないのだ。自宅で何もせずにいるのも不安だろう。もしきみたちが望むなら、作戦時にはリンディ君のいる指揮所にいられるように取り計らおう。だから、我々に任せてくれないだろうか。管理局や私を信じてほしいとは言わない。クロノやリンディ君のことを信じて、見守っていてほしい」

 

 

 自分の提案にうなずく二人を見て、グレアムは己を嫌悪した。他人を欺きながら、ぬけぬけと他人を信じろなどと、どの口が言えたのか。

 

 このタイミングで闇の書によるものと認定され、クロノたちが八神はやてこそが闇の書の主であると知ることになったのは、グレアムが仕組んだことだ。

 このまま蒐集が進んでも、いずれヴォルケンリッターは管理局にその存在を補足されて、蒐集を終える前に捕まってしまう。

 それまでに局面を大きく変える次の一手を打つ必要があり、そのために絵図を描いた。

 

 そして不確定要素の排除。

 なのはとユーノは局員ではないため、命令することができない。特になのはは闇の書の主であるはやてだけでなく、ヴォルケンリッターとも親交がある特大のイレギュラー。PT事件における彼女たちの行動を考慮すると、放置しておくにはあまりにも大きな異物だ。

 ウィリアム・カルマン――彼の生死を巡って争うほどに、ヴォルケンリッターに人間らしい人格と意識があるのも予定外のイレギュラー。

 ありえないとは思うが、なのはがヴォルケンリッターの説得を試みて、万が一にもそれが成功してしまうようなことがあれば計画が狂ってしまう。

 今日という日は、管理局とヴォルケンリッターが戦う日でなければならない。その邪魔をされないように、直接話をして釘を刺し、作戦中は目の届くところにいるように誘導した。

 

 必要なことだと割り切っている。それでも、正義感を煽り徒労に終わると決まっている戦いに駆り立て、良き子らの心を圧迫し行動を縛る。そんな己の言動には反吐が出る。

 

 グレアムは心の中で、子供の頃の習慣通りにそっと十字をきり、昔は信じていた――いつしか聖句さえ忘れた、神に祈った。

 これが最善と偽り、善なる者を欺き惑わす罪深い我が身に、どうか裁きがくだりますように。

 

 

 

 

 太陽が海鳴を取り囲む山々の向こうに落ち、青から黒へと移り変わった空に月はない。

 月齢は下弦から新月へと移ろい行く頃で、夜明け前にならなければ姿は現さない。空の星々の輝きは天上を覆う幕に開いた虫食い穴から漏れる光。

 

 八神家から少し離れた場所にある高台に、二つの人影があった。

 その中の一人、高級なチョコレートのようになめらかな色合いの茶髪を肩口で切り揃えた女――リーゼロッテは、自らの携帯端末に届いた連絡を読み、もう一人に告げる。

 

「お父様から連絡。管理局の動きは今のところ予定通り。……ねえアリア、本当にこんな大雑把な作戦がうまくいくだろうか」

 

 リーゼロッテの問いかけは、そばにいるもう一つの人影に向けられている。リーゼロッテと瓜二つの顔をして、同じ色の髪を背まで伸ばした長髪の女――リーゼアリアへ。

 リーゼアリアは宙空に月村邸と八神家の外観が映されているホロディスプレイから外し、リーゼロッテと目を合わせる。

 

「失敗する可能性は低いわね。クロノもリンディも締めるところは締めるからヴォルケンリッター相手にそれほど譲歩はしないし、ヴォルケンリッターも八神はやてのことを大切に思うなら、これまで敵だった管理局には頼れない。生殺与奪を相手に完全に移譲するなんてできやしない。お父様もあの子も、そこは同じ意見よ」

「それはそうだけどさぁ。まったく、あの子は駄目だよ。クロスケと違ってかわいげがない」

 

「あらぁ、人の相方を悪く言わないでくれますかぁ」

 

 甘ったるい、挑発的な響きを持つ声が、彼女たちのわずかに上から響いてくる。

 

「戻っていたなら、さっさと声をかけなさい」

 

 注意など何食わぬ顔。腰まで届く豊かな栗色の髪をたなびかせ、大きな丸眼鏡をかけた少女――クアットロは、高台にある東屋の屋根に腰かけて、両足を振り子運動のようにぷらぷらと振っていた。

 腰かけていた屋根を両手で、とん、と軽く押す。そのまま後方に宙返りをすると、羽毛のように音もたてずに屋根の上に降り立つ。羽織るケープが風を孕む。

 クアットロは深呼吸をするように大きく両手を広げ、高台から海鳴の夜景を見下ろす。

 

「高いところは良いですね~。私、星空はあんまり好きじゃないんですよ。お空のお星さまよりも、見下ろす街のお星さまの方がずっと色とりどりで綺麗じゃないですか」

「いいから、さっさと報告してくれない?」

「余裕がないって嫌ですねぇ」

 

 大げさに肩をすくめると、報告を始める。

 クアットロの報告によって、八神家周辺に張り込んでいる捜査官の情報が記されていく。容貌程度の情報は当たり前。会話や張り込みをしながら食べていた食品の銘柄など、間近で確認したとしか思えない情報まである。

 

「それから、どうやら闇の書の主はもう寝ているみたいです」

「捜査員たちは、そのことには?」

「動きはありませんから、気づいてないと思いますよ? 寝室は敷地の外からは木の影になっていて見えませんし」

「あんたは敷地内に入ったのか?」

「庭までは。さすがに家の中にまでは怖くて入れませんよ。あいつらもなんか『勘』とか言って斬り掛かってきそうですし〜」

 

 恐怖に怯え、両手で我が身をかき抱き、体を震わせる。そんな芝居がかったジェスチャーをするクアットロを、二人の女は白けた目で見ながら同時にため息をついた。

 たしかに彼女は役に立つ。だが信頼できない味方は怖い。

 

「ま、良いわ。管理局が作戦を実行するまで、残り半時間。武装隊が月村を出たらお父様から連絡が来るから、私たちはそれから動けば――」

「あら? どうやら、予定通りにはならないみたいですよ」

 

 八神家の方向を向いていたクアットロの視線が細められる。

 クアットロの視線の先には住宅街。その中にある一軒の家――八神家の扉が開くのを、人間を超える視覚ではっきりととらえていた。

 

「ヴォルケンリッターが先に動くのは予定外ですね~」

「なっ!? なんで今日に限って、蒐集を始めるのがこんなに早いの!」

「八神はやての就寝が早かったから、でしょうね。それで、蒐集のために出たのは何人?」

「えっとぉ……四人全員みたいですよ?」

「「はあっ?」」

 

 リーゼロッテとリーゼアリアは、二人して思わず素っ頓狂な声を漏らしてしまった。懐から取り出したスコープを目に当て、自分たちでも確認。愕然とし、頭を抱える。今日に限ってなぜ四人全員で出かけるのか。

 クアットロは振り返り、どうするのかと視線で問いかける。リーゼロッテは一歩前に進み出る。

 

「張り込んでる捜査官が機転をきかせて八神はやてを確保しようとするかもしれない。ヴォルケンリッターも闇の書もない主は無力だ。だったら、私たちがやることは管理局より先に八神はやての身柄を確保すること」

「それが良いわね。幸い武装隊が月村から八神家に到着するよりも、私たちが八神家に行く方が早い。ヴォルケンリッターの説得は彼らが蒐集から帰ってきてからでも――」

 

 話す途中で、三人は魔力の波動を感じた。感覚から、結界系の魔法であることがわかる。距離は離れている。おそらく山側の郊外――月村の敷地辺り。

 リーゼアリアは月村の屋敷にいるグレアムの端末へと連絡をとろうとするが、繋がらなかった。

 ヴォルケンリッターが蒐集をおこなう時には、助けを呼ばれないように、よく通信妨害をしていた。

 つまり――

 

「まさか、月村に襲撃をかけたの!?」

「なんであいつら今日に限って予定外の行動ばっかりするんだよおお!!」

「あら、あらあらあらあらぁ。なんだか楽しくなってきましたね~」

 

 悲鳴めいた声をあげるリーゼアリアとリーゼロッテとは裏腹に、クアットロは他人事のように笑う。事実、他人事に近いのだが。

 しかし二人もすぐに冷静さを取り戻す。武装隊とヴォルケンリッターがぶつかるなら、当初の計画とさほど違いはない。

 

「やることは変わらない。ロッテとクアットロは、捜査官より先に八神はやての身柄を確保して。私は先に月村の方に向かっておくから」

「わかった」

 

 リーゼロッテは返事をすると同時に変身魔法を行使する。若い女の姿は消え、顔を仮面で隠した痩身の男性の姿へと。優雅に頭を下げて応えたクアットロが、姿を変えたリーゼロッテと共に飛び立つ。

 二人を見送ると、リーゼアリアもまた仮面の戦士へと姿を変え、月村邸へと向かった。

 

 高台には誰もいない。眼下に広がる街の灯はこれから起こる戦いを何も知らず、煌々と輝き続けていた。

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