月村邸での決戦の翌日。
フェイトがベッドから上半身を起こして待っていると、病室の扉が開いて少女が病室に入って来た。フェイトにとっての数少ない、そして初めての友達――高町なのは。
なのはは起きているフェイトの姿を見て安堵し、それから患者衣の隙間から見える包帯を目に止め、表情を曇らせた。
「体、大丈夫なの?」
なのはの声は不安に揺れていた。安心させようと、フェイトはできるだけ元気に答える。
「私は平気。怪我はたいしたことないし、リンカーコアも何日かしたら元に戻るらしいから。アルフの怪我はもう少し重いみたいだけど、魔力が結構残っているから完治するのは私より早いかもしれないって」
使い魔はただでさえ人間よりも頑丈なうえに、高い自己回復能力を持っている。十分な魔力さえあれば、欠損でもしない限りほとんどの怪我は自然に治るようになっている。
重傷を負ったとはいえ、魔力を消耗していない序盤のうちに物理的な攻撃によって気を失ったのは、ある意味では幸運だったかもしれない。
「医務官の人から聞いたよ。私たちを心配してずっと待っていてくれたんだって」
心配をかけて申し訳ないと思う気持ちと、心配してくれて嬉しいと思う気持ちがあふれる。相手のことを本気で心配して気にかけられるなのはの優しさが、フェイトに家族以外の他者を意識させるきっかけとなり、友達という言葉に実感を与えてくれた。
背筋を伸ばし、姿勢を正す。その様子を不思議そうに眺めるなのはに、頭を下げる。
「ありがとう」
なのはは少し照れくさそうに笑った。
二人の会話は自然と闇の書事件のことになった。
「フェイトちゃんは、はやてちゃんが闇の書の主だっていつ知ったの?」
「私が教えられたのは昨日の朝の会議だった。なのはは?」
「私は昨日のお昼に、ユーノ君と一緒にグレアムさんに教えてもらったの」
なのはの表情には陰りがあった。
闇の書の騎士、ヴォルケンリッター。彼らは複数の次元世界で魔導師を襲い、その魔力を蒐集している。そんな彼らに命令を下している元凶とも言える存在――闇の書の主が、よりによって友達である八神はやてだったのだから無理もない。
「本当にはやてちゃんが命令してるのかな?」
「みんなそう思ってるみたい。でも、会議で説明を受けた時には、そうじゃない場合も考えられるとも言われたよ。ヴォルケンリッターに歪んだ知識を教えられていたり、本当の闇の書の主が別にいて、カモフラージュのためにヴォルケンリッターにはやてと同居するように命令しているってことも考えられるって」
フェイトとはやてはそれほど仲が良いわけではない。二人が会ったのはPT事件でなのはと協力してジュエルシードを集めていたほんの数日の間。しかもなのはやアルフ、ウィルを交えて少し話をしただけだ。
そんな程度の付き合いだが、当時まだ人と話すのになれていなかったフェイトを気づかって積極的に話しかけてくれたりと、はやてが優しい子であることはフェイトにもわかった。
だから、はやてが闇の書の主でなければ良いと思っている。ただ、だからといってはやてが無実だと確信しているわけでもない。
「……グレアムさんもそういう可能性はあるって言ってくれてたんだけど……はやてちゃんと一緒に暮らしてた人たちが、ヴォルケンリッターじゃないってことはないのかな?」
「それは……さすがにないと思う」
「そっか。……そうだよね」
その時、フェイトはようやくなのはが顔を曇らせている理由に気が付いた。
なのはとはやては友達なのだから、フェイトがいなくなった後もはやてとの交流は当然ある。はやての家に暮らしていたヴォルケンリッターとも、何らかの関係を持っていて当然だ。
「もしかして、ヴォルケンリッターとも知り合いだったの?」
「……うん。みんな、すごくいい人たちだった」
なのははヴォルケンリッターと呼ばれる四人のことを語り始めた。
アースラが地球を離れてから一ヶ月ほど後。はやての誕生日にやって来て、はやての家に住み始めたこと。
はやてからは自分の世話のために送られてきたお手伝いさんだと聞かされたこと。
最初はあまり話もしてくれず、なのはがはやてと話をすること自体を心良く思ってなかったみたいで、それでも何度も通う内に次第にうちとけていったこと。
やがて、彼らの方も翠屋にやって来てくれるようになったこと。
剣道を習っているクラスの友達が道場でシグナムに相手をしてもらっていたり、翠屋の常連のお爺さんが公園でやっているゲートボール大会にヴィータが参加するようになったり、シャマルと一緒に惣菜を買いに行ったり、ザフィーラの散歩に付き合ったり。
なのはは普段のヴォルケンリッターのことを切々と語った。その様子から、なのはが彼らのことも友達と思っていたことが伝わってくる。
「……だからなのはは、その人たちとヴォルケンリッターは別人だと思ってるんだね」
なのははうつむいていたが、しばらくしてゆっくりと首を横に振った。
「グレアムさんから話を聞いた時は、絶対に別人だって思ってた。なにか勘違いしてるだけで、すぐに本当のことがわかるって思って……だけど……昨日、ヴォルケンリッターの人の仮面が壊れた時、顔が見えたの。あの顔は間違いなくシグナムさんだった。信じたくないけど、シグナムさんたちがヴォルケンリッターだっていうのはほんとのことなんだと思う。でも、グレアムさんが言ってたみたいに、シグナムさんたちが命令されて人を襲うだけのプログラムで、はやてちゃんがそんな命令をしていたなんて思えないの。でも、でも……違うって思ってたのにシグナムさんたちはヴォルケンリッターだった。私の考えてることって、全部的外れな思いこみなんじゃないかな。友だちって思ってたのに、わたしははやてちゃんのこともシグナムさんたちのことも、なにもわかってなかったんじゃないかな」
「そんなことない。なのはが何ヶ月も一緒に過ごして、それで悪い人じゃないと感じたのなら、その人たちは本当に悪い人じゃないんだと思う」
「でも……」
だけど、とかぶせる。
「悪い人じゃないからって、悪いことをしないとは限らない。私は裁判の後に更生施設に入ってたけど、そこで会った子の中には優しい子もいっぱいいた。でも、そんな子も、環境だったり人だったり、いろんな原因があって犯罪に手を染めていたんだ」
誰も彼もがなのはやクロノのように道を誤ることなく生きられるなら、どんなに素敵なことだろう。
だが、そうではない。フェイトは、世の中には正義や倫理よりも大切なものを持っていたり、身近な人のためなら見知らぬ他人を犠牲にできる人がいることを知っている――実感として。
かつてのフェイトもそうであり、今でもきっと変わらない。なのはは大切な友達だ。クロノやリンディはお世話になった恩人だ。それでも、もしも自分の前にプレシアが現れて、フェイトのことが必要だと言って、手を差し伸べてくれたら。
「……説得はできないのかな」
「わからない。でも、もしあの人たちが以前の私のように自分たちだけで完結しているのなら、きっと戦うしかないと思う」
「話しかけても、意味はないってこと?」
「意味はあるよ」
なのはの言葉がフェイトに届いていたように。
「でも、言葉だけじゃ止まらない」
届いていても止まれなかったように。
海鳴を囲む山の稜線に、太陽の輪郭が現れた。空は宵の黒から明けの橙に移り往き、陽光は紅や黄に色づいた山を照らしあげる。市井の人々は眠りから目覚め始め、山麓の月村邸では夜通し活動していた管理局の局員たちが交代で休憩に入り始めていた。
なのはは本局から帰ってきたことを報告するために、月村家の一室を訪れた。
青白色のほのかな光が満ちる部屋に、十人ほどの局員がいた。局員の視線は自分の前に投影されたホロディスプレイに向いており、指先はコンソールを縦横無尽に飛び跳ねている。
入ってきたなのはに気づいたエイミィが、ホロディスプレイから視線を外した。
「あ、なのはちゃん帰って来たんだ」
「はい。……あの、リンディさんは?」
「艦長ならさっき本局に向かったよ。途中ですれ違わなかった? 捜索が一旦中断になったから、今のうちにお偉いさんへの報告とか、もろもろをすませておくつもりなんだって」
エイミィはなのはが本局に向かってからのことを、簡潔に説明してくれた。
あの後、動ける武装隊を総動員して、行方をくらませたはやてとヴォルケンリッターを探して海鳴の街を徹底的に捜索。
だが成果はあがらないまま夜が明け始めた。そうなれば空を飛んでの捜索はできなくなる。朝になれば人目が増えるし、明るくなれば見つかりやすい。結界魔法や幻術魔法を駆使すれば日中でも捜索を続けられなくもないが、魔力消費量に対する捜索効率はぐんと落ちる。
何より捜査員が消耗して効率が落ち始めていたので、このまま無理に捜索を続けるよりも休息をとる方が優先と判断された。
「エイミィさんは休まないんですか?」
「休む前にみんなが夜の間に集めてくれた観測データの解析を終わらせないとね。はっきりとした足跡はなくても、どんな手がかりが潜んでいるかはわからないんだし」
そう答えるエイミィの顔には隠し切れない疲れが表れていた。この部屋にいる他の隊員たちも同じだ。
ヴォルケンリッターと戦いを繰り広げ、夜通し街を駆けまわった武装隊が一番疲れているのはたしかだが、エイミィたち後方スタッフも一晩中活動していたことには変わりない。
なのはの視線に気づいて、エイミィがわざとらしい笑顔を浮かべる。
「心配してくれてありがと。でも、戦えない私たちにとっての戦場は今だから。それより、なのはちゃんも疲れてるでしょ。いろいろ心配だろうけど、今はお家に帰った方が良いよ。何か見つかったらまた連絡するからさ」
みんな、精一杯を尽くしている。
なのはだけが、歩むべき道を決められずに停滞している。
本局に帰還したリンディは周辺世界への警戒を促すかたわら、闇の書事件に関わる少数の関係者――外務や法務、古代遺物管理など、いくつかの部局の高官へと昨夜の経緯を報告した。
闇の書の主の潜伏先が判明しているという千載一遇の好機を逸した結果に、関係者は大いに落胆した。
中にはリンディを糾弾する者もいたが、
もっとも、責める方も本気でリンディが更迭されれば良いと思っているわけではない。リンディが捜査司令を降ろされれば、結局誰かが闇の書の相手という貧乏くじを次に引かされる。それが自分の所属する派閥の者ではないとは限らない。
報告を終えたリンディは、そのままレティの執務室を訪れる。
「さっきはありがとう。あなたが味方してくれたおかげで助かったわ」
「礼を言われるようなことじゃないわ。責任の追求なんてものは終わった後にすれば良いのよ。今はそれよりもどうやって闇の書を確保するのかを第一に考えるべきでしょう? 私たちの相手は闇の書の主と思われる少女八神はやてと彼女につき従うヴォルケンリッターだけじゃない。それに協力する正体不明の仮面の戦士。彼らはとても厄介だわ」
仮面をつけた正体不明の魔導師たち――仮面の戦士。
彼らは月村邸に姿を現してヴォルケンリッターの逃走を助けた。八神家周辺に待機していた捜査官の話によれば、ヴォルケンリッターの襲撃直後に八神家にも現れ、止めようとする捜査官を倒して八神はやてを連れ去った。
実力は極めて高く、不意打ちとはいえグレアムとクロノを一蹴するほど。魔法陣の形状や使用魔法の種別から、魔法体系はミッド式と推測される。
だが、仮面の戦士が幻術魔法を行使していたのか、それともヴォルケンリッターによる通信妨害の影響が続いていたせいか、あるいはその両方か。観測された魔力波形はまるでデタラメで役にたたず、彼らの正体を特定する情報はほとんど皆無と言える。
しかし本当に厄介なのはその高い実力や謎に包まれた正体ではなく、彼らのような存在が闇の書に協力しているという事実そのものだ。
「これまでの蒐集は地球の周辺世界で発生していた。だからこそ私たちは闇の書の主の居場所を徐々に絞りこんでいくことができた。……でも、仮面の戦士のせいでそのやり方が通用しなくなってしまう」
ヴォルケンリッターはプログラム体――情報が本質という性質を利用して、単独での次元間転移を可能としている。対して闇の書の主は生身の人間であり、ヴォルケンリッターのように次元を渡ることはできない。
生身の人間が次元を移動する手段は三つ。
膨大な魔力と専門的な知識が必要な次元転移魔法。
内部に転送装置と高精度な観測機器を有する次元空間航行艦船。
あらかじめ建造しておく必要のある転送ポート。
どの手段も地球に生まれたはやての力だけで用意できるものではない。
したがって、はやては地球を出ることができない、と昨夜までは思われていた。
しかし、管理世界の人間の支援があれば話は変わってくる。ミッド式の魔法を行使していた仮面の戦士はおそらく管理世界の人間だ。そして彼らが管理局に気づかれることなく地球に来ていた以上、彼らが地球と他の次元世界を行き来できる手段を有している可能性は非常に高い。
彼らの手引きがあれば、はやても地球から出ることができるようになる。
「仮面の戦士が用いた次元間移動手段……十中八九転送ポートでしょうけど、発見できそう?」
では、仮面の戦士はどのようにして地球にやって来たのか。
使用者が極めて限られる次元転移魔法はありえない。地球周辺の次元航路に不審な艦船の痕跡は見られないので、次元空間航行艦船の可能性も小さい。
したがって、最も有力な候補は転送ポートとなる。数人が移動できる程度の小型のポートであれば、管理局に見つからずに設置するのも不可能ではない。
「状況を考えれば海鳴市内か、海鳴市からそう遠くない場所にあると思うのだけど、管理外世界では表立って捜査するわけにはいかないから、発見までにどれだけの時間がかかるかわからないわ。それに相手も足取りを掴まれるような情報は消しているでしょうし」
「かかる手間を考えると割に合わなさそうね」
「ええ。だからこれからは周辺世界の調査――特に蒐集の痕跡の発見に力を入れるつもり。海鳴での捜査の方だけど、今後数日は武装隊による捜索を続けるけど、成果がでなければ捜査官によるはやてさんの身辺調査程度に留めようと思うの」
闇の書事件では、リンディの要請を受けて多くの部隊が動いている。
月村邸に集まっていた人員はその一部でしかない。地球周辺の次元世界では駐留部隊と本局から出向している武装隊が共同で巡回をおこなっており、捜査官は転送ポートを中心に検問を設置しつつ、目撃情報を集めるために自らの足で奔走している。本局では多数のオペレータが動員されて、観測所や定置観測用プローブから得られる莫大なデータを昼夜を問わず解析し続けている。
アースラの整備も急ピッチですすみ、新たに装備されたアルカンシェルの試運転を残すのみとなっている。次元空間航行艦船に備え付けられている高性能な各種レーダは、ヴォルケンリッターの発見に大いに役立つことになるだろう。
各次元世界の国家にも秘密裏に話を通してあり、関係する可能性のある様々な情報が本局情報部に集められている。
それでも、事件の規模を考えると足りていないくらいだ。
そのことへの不満はある。しかしリンディもレティも人員や装備がいつも万全とはいかないのが世の常だと経験として知っている。そしてどんな時だって現状でできることをやっていくしかないとも。
レティは口角を釣り上げ、皮肉げな笑みを浮かべる。
「なら、私はあなたが失敗しないように注意して見ておいてあげる。あなたは昔からどこか抜けているところがあるから。手始めに、今のうちに仮眠でもとっておくことをおすすめするわ。顔、ひどいわよ」
「だけど、エイミィさんに任せて来たから、早く戻ってあげないと……」
「あの子ならクロノ君と交代でなんとかやっているはずよ。それよりもふらふらなままのあなたに指揮をとられる方が、あの子たちにとっては迷惑で不安でしょうね」
「じゃあ、少しだけ……九十分たったら起こして」
リンディの決断は早かった。言うやいなや制服のジャケットを脱ぎ、崩れるようにソファに横になった。
「ここで寝ろとは言ってないんだけど……仕方ないわね」
レティはデスクのインターカムで秘書官に連絡する。
「毛布を一枚持ってきて。あと、枕代わりになりそうなものも。……私が使うわけじゃないわよ」
寝息を立て始めたリンディを見ながら、レティは昨夜の襲撃について思考を巡らせていた。
タイミングを見計らったかのように現れた仮面の戦士はもちろんだが、それ以前のヴォルケンリッターの行動にも不可解な点がある。
武装隊が集結していた月村邸に襲撃をかけ、結界による通信妨害環境下に置くことで、武装隊の移動と外部への通信を妨害。その隙にはやてを逃す。
数時間後にははやての逮捕のために、武装隊が八神家を包囲する予定だった。仮面の戦士という管理局が想定していないイレギュラーの助力があれば、その状態からの突破も不可能ではなかったと思われるが、万全の状態の武装隊に包囲された状態で突破を試みるよりは、先んじて襲撃をかけた方が断然良い。最悪の場合でも闇の書の主は逃げることができるから。
ヴォルケンリッターの襲撃は管理局から逃れるために、最高のタイミングでおこなわれたと言える。まるで管理局の動きを知っていたかのようなタイミングの良さ。これを単なる偶然と考えていいのだろうか。
内通者――という言葉がレティの脳裏をよぎる。
だが、理由がわからない。
捜査本部の情報を漏らせるほどの高官であれば、闇の書の味方をしたところで得られるものがないことは理解しているはずだ。
闇の書は制御の効かない危険な代物だ。暴走を起こせば最低でもその周辺地域の消失は間逃れず、とても隠蔽できる規模ではない。普通の神経を持っている人間が手を出すはずのない代物だ。
闇の書そのものが目的の可能性は低いとなると、次に浮かんだのはリンディを狙った可能性だった。
管理局は人間が運営する組織だ。部署や人脈など、様々な要因で派閥が形成される。派閥同士の足の引っ張り合いが起きることも少なくない。
これまで管理局が七度に渡り失敗を重ねてきた闇の書は、管理局史に残る汚点だ。もしも完全に解決できれば、それを為したリンディには誰もが羨む栄光の道が約束される。各部局の最高ポストとなる統括官への道さえ拓くだろう。
逆に闇の書の捜査に失敗し、暴走した闇の書が甚大な被害を及ぼすことになれば、どれだけ最善を尽くしていたとしても司令の責任は免れない。十一年前、英雄とまで謳われ次期法務統括官を確実視されていたグレアムが、闇の書事件の失敗をきっかけに顧問官という閑職に引っ込むことになったように。
今回の闇の書事件はリンディを追い落とすには絶好の機会――と、そこまで考えてからレティは自分の想像に苦笑を漏らした。
派閥同士の足の引っ張り合いと言っても、普通は非協力的な対応をとる程度。相手の出世を妨げるためにこれほどの犯罪に加担するなど、陰謀論にしてもあまりにリスキーすぎて現実味に乏しい考えだ。
ヴォルケンリッターは前々から月村邸が管理局の捜査拠点となっていることにも気づいていて、その動きからこちらが仕掛けることを察知して行動を起こしただけといったケースが一番現実的だろう。
管理局側も月村邸周辺に探査妨害を仕掛けて動きを察知されないように慎重に動いていたが、見破られていたとしても不思議ではない。
なにしろ八神はやてはPT事件に関わり、局員であるウィリアム・カルマンと親交があった。
PT事件の後、ウィリアム・カルマンは月村邸に設置された転送ポートを通って地球を訪れていたし、はやての友人である高町なのはも同じ転送ポートを通ってミッドチルダや本局を訪れたこともあった。はやてが月村邸の転送ポートの存在を聞いていた可能性は十分にあり、月村邸周辺を見張っていれば管理局の動きをつかめるのではと考えたとしても何ら不思議はない。
こういった可能性を考慮せずに安易に内通者の存在を疑うのは、解決に繋がる突破口を求めるあまり、簡単で劇的な答えを求めているだけに思える。
一通り考え、ため息をつき、寝ているリンディに視線をやる。
どれだけ考えても、内通者の可能性は低い。もしかしたら深読みのしすぎで、実際は単に管理局とヴォルケンリッターの行動タイミングがうまい具合に噛み合って、仮面の戦士が慌てて奔走したという可能性だってあるかもしれない。
だが、これまで本局上層部という万魔殿を生き抜いてきたレティの勘が、内通者という小さな可能性を無視することを良しとしなかった。
それにリンディは優秀だが、今回ばかりは事件の規模が大きすぎる。各部署からの報告はあまりに膨大で、捜査状況を把握するだけでも手一杯だろう。もしも誰かが暗躍していたとしても、それに気付けるだけの余裕があるとは限らない。
「とりあえず、お偉方の動向に注意しておくくらいのことは、してあげようかしらね」
なのはが月村の車で家まで送り届けてもらった頃には、時刻は七時を過ぎており、すでに太陽は完全に昇っていた。
家の中では、桃子がキッチンで朝ごはんを作っていた。士郎と恭也、美由希の姿は見えない。おそらく、いつもどおり道場で早朝の鍛錬をおこなっているのだろう。
朝帰りを怒られるかと思ったが、ユーノが事前に連絡しておいてくれたらしく、桃子はあまり怒らなかった。ただ、なのはが寝ていないことに気づいて眉をしかめた。
「ご飯ができるまでもう少し時間があるから、今のうちにお風呂に入ってきなさい。学校には連絡しておくから、お風呂から出たらご飯を食べて、今日はゆっくり休みなさい」
言われるままに、なのはは浴場にやってきた。
蓋を開くと湯気が濛々と広がり浴場に満ちる。バスタブにはすでにお湯がたまっていた。恭也たちが朝の稽古を終えた後に使うつもりだったのだろう。
髪と体を洗って熱めの湯に体を浸した時、突然ガラガラと音をたてて風呂場の扉が開き、姉の美由希が顔をのぞかせた
「おかえり、なのは」
「お姉ちゃん……?」
美由希はそのまま浴場に入ってきた。漂う湯気の他には一切の衣類を纏っていない。
「ごめんね。順番待ってたら遅くなるから一緒に入りなさいって、お母さんがね」
と言いながら洗面器に湯を張り、片膝ついた姿勢で肩から湯をかけ、朝の鍛錬で生じた汗を洗い流す。
体を洗い始めた美由希の体をなのはは打ち眺めていた。
今の美由希は眼鏡を外して、ほどいた髪を頭の上にまとめているので、いつもよりはっきりと顔の造形がわかる。毎日見ているはずの姉の顔が、まったく違ったものに見えてくる。
外した眼鏡の下に見える、意外と鋭い目。ほどいた髪を頭の上にをまとめたせいで、あらわになったうなじ。呼吸に合わせて上下する双乳、引き締まりつつもふっくらと女性らしさを描く腹から腰へのライン。
鍛えられた武人の魅力と完成されたばかりの大人の魅力を兼ね備えた姿が、シグナムと重なって見える。
「どうしたの? 何か悩み事?」
「え?」
「そういう顔してるから」
しばらく考えて、なのはは水面を眺めながらぽつりと言葉を漏らした。
「やりたいことはわかっているの」
フェイトは戦うしかないと言った。
シグナムたちと戦うのは嫌だ。できることなら戦いたくない。
だが、戦わなければどうにもならない時があることは、なのはも知っている。時の庭園でフェイトと対峙した時のように、お互いにどうしても引けなくて、止めるために撃つしかなくなる時があることを。
あの時のなのはは止めようとするあまり、フェイトを傷つけてしまった。なのはがこの半年間、欠かさず訓練を続けてきたのは、同じような状況になった時に、今度は傷つけずに止めるためだ。
だから覚悟はある。必要とあれば戦う覚悟。そのために友達であっても撃つ覚悟。傍観していて最悪の事態になったらきっと後悔するから。
「でも……ほんとにこれで良いのかなって」
「なるほど。迷ってるんだね?」
覚悟だけあれば良いと思っていた。
だけど、本当にそれしかないのか。もしかしたら、もっと良い道があるんじゃないか。そんな考えが頭をよぎって離れない。
「どうしたら、迷いって消えるんだろう」
「いいんじゃない、迷ったままで」
意外な言葉に、なのはは思わず美由希の方を向いた。
「迷うってことは、考えてるってことでしょ。悪いどころか、良いことだよ」
美由希は体を洗うのを止めて、じっと自分の手を見ていた。
荒野の岩石を思わせるごつごつとした掌。鍛えていながらも女性らしさを失わない美由希の体の中で、唯一女性らしくない部分。
それを見る美由希の姿は、どこか後悔しているように見えた。
「本当にダメなのは、迷いを無理に断ち切ろうとすること。これで良いんだって思い込んで、全部一人で抱え込んで。なんとかしようと気負って、それがどんどん積み重なっていって、結論を出したつもりで自分が何をやってるのかも見えなくなって……みんなに迷惑だけをかけて」
「……お姉ちゃん?」
美由希は微笑を浮かべながら、なのはの方を向いた。
「でも、迷ってるだけなのもダメだよね。迷いを捨てて走るんじゃなくて、迷っていつまでも足を止めたままでもなくて、迷いを持ちながら歩いてるくらいがちょうど良いんじゃないかって、私は思うよ」
美由希の言葉を心の中で何度も反芻し、自分なりに考えをまとめる。
もしかしたら、戦わなくてもいい道があるかもしれない。
でもそれは今いる場所にあるとは限らないし、一本しかないとも限らない。
道があるかもと思い続けてこのまま動かなければ、見える風景は変わらない。
今は歩いて行くしかない。歩いて行くことで新たな風景が見えてきて、新たな道が見えることもあるかもしれない。
大切なのは歩きながらも考え続けて、見落とさないこと。
「そっか……迷いがあっても良いんだね。お姉ちゃん。ありがとう」
「どういたしまして。私もたまには年上らしいところ見せないとね」
姉妹二人は顔を見合わせて、笑いあった。
迷いを捨てない強さ。それはきっと、