薄暗い個室。白いクロスがかけられたダイニングテーブルの上で、クリスタルが穏やかな光を放ち、照らされて銀器が輝く。
対面に座るクアットロはウィルの視線に引きつった笑いを返すくらいの余裕は残っていたが、その隣に座るセインは虜囚というなれない状況と高級レストランというなれない場所のせいで完全に硬直している。
うかがうように隣に視線をやれば、そこに座っていたグレアムは自らに向けられた視線にすぐに気づいて、ウィルに微笑みを向ける。
「楽しみにすると良い。ここの料理は絶品だ」
「高級! って雰囲気ですね。……期待しています」
経験上、料理の値段と旨さの相関は対数関数に似た曲線を描く。
クアットロとセインがグレアムに囚われてから、一日が経過した。
クアットロはその日のうちにスカリエッティとの連絡のとり方をグレアムに教えた。教えるまでずっと囚われの身が続く。そんなのは無駄な時間だ、という判断の速さはクアットロらしい。
グレアムはスカリエッティの協力を得るために早速連絡をとって、二人はこのレストランで待ち合わせをすることになった。
場所も名前も知らない。わかるのは見るからに高級だということと、グレアムが秘密の話をする場所として選ぶほどに信用されている場所ということくらいだ。
個室の扉が開くと、燕尾服の店員に案内されて、スカリエッティとウーノが現れた。
いつも着ている白衣を脱いで、オーダーメイドのスーツに身を包み、サングラスを着用している。ウーノも飾り気のない藍色のカクテルドレスを着ている。
グレアムは椅子から立ち上がって、歩み寄るスカリエッティに右手を差し出す。スカリエッティも同じように右手を差し出し、握手を交わす。
「今夜の招待に感謝しているよ」
「こちらこそ。応えてもらえてなによりだ」
スカリエッティはグレアムから視線を外してウィルを向き、なくなった右腕に目を止める。
「怪我をしたんだね。若い内はよくあることだ」
「先生はお変わりないようで」
「年齢はただの経過年数だ。パーソナリティに関与するものではないよ」
スカリエッティとウーノはグレアムの対面側の席に着く。
食前酒が運ばれてくると、スカリエッティとグレアムはともにグラスを目の高さまで掲げる。
「それでは、私たちの出会いに」
食事が運ばれてきた。
テーブルマナーも士官学校で一通り叩きこまれているが、高級店での食事など滅多にない。数年前の記憶を引っ張りだしながら、もたもたと食べ始める。
グレアムが太鼓判を押すだけはあり、素晴らしい味だった。良い料理は心を満たしてくれる。
先ほどまで緊張していたセインも今は目の前の料理に夢中だ。その食べ方はかろうじて原始人ではなく現代人類に分類されるという有様だったが、途中から急速にまともになっていく。おそらく見かねたウーノかクアットロあたりが、機人同士のデータリンクで情報を送りつけたのだろう。
食事を始めたばかりの頃は、お互いに相手の腹を探るようにとりとめのないディナー向きの会話が交わされていたが、前菜を食べ終える頃に話題のベクトルが変わり始めた。
「それにしても、クアットロとセインが囚われることになるなんて思ってもみなかった」
「非礼は詫びよう」
「責めるつもりはないよ。非は勝手に忍びこんだこちらにあるんだ。それに無傷で返してくれるというのだからなおさらだ」
言うと、スカリエッティはクアットロとセインに視線をやった。
叱られると思ったのか、彼女たちの肩がわずかに震えるが、スカリエッティはそれを見て笑みを浮かべるだけ。
「二人とも優秀な子だが、まだ幼い。今回の失敗は良い経験になっただろう。私としてはどうやってクアットロのシルバーカーテンを見破ったのかが気になるね。あれを見破るのはそう簡単ではないはずだ」
クアットロも食事を止めて、グレアムの返事に耳を傾ける。その目はいつになく真剣だ。自らのISの弱点に関係する話なのだから、当然といえば当然だが。
「話すほどのことはもない。一言で言えば勘だ。もう少し言葉を付け加えるのなら、漠然とした気配を感じただけのこと」
「気配だなんて……そんなオカルトじみたもので!?」
敬語も忘れて、クアットロが声をあげる。
グレアムはしばし瞠目し、言葉を選びながら感覚を言語化する。
「しいて言うなら……どれだけ精妙な幻術であっても、すでにあるモノを消しているわけではなく、何もないに近しい状態を作り出しているだけにすぎない。人によっては違和感を覚えることもあるはずだ」
「そんなの誤差の範囲内。そもそもそんな微小な反応にただの人間が気付けるはずが……」
「クアットロ。人間を侮るのは、きみの悪い癖だ」スカリエッティがクアットロをたしなめる。 「数値を計るだけであれば人間が機械に勝るわけがないが、物事を測るとなればまた別だ。個々の情報は微小であっても、それらが統合されてモノとモノを繋ぐネットワークが形成された時、そこに何を見出すのか。そこに生じる思考の飛躍こそ、人間が与えられた偉大な権能の一つであり、ドローンではなくきみたち戦闘機人こそが真に強者たる理由の一つだ」
クアットロは納得がいかないという顔をしていたが、しぶしぶ首を縦にふって引き下がった。
「その子たちはやはり、プロジェクトHの申し子か」
「プロジェクトH?」
グレアムが漏らした単語に、ウィルが反応する。初耳だが似たような単語に聞き覚えがある。
「カルマン君は、PT事件ですでにプロジェクトFに出会っているだろう。プロジェクトH――HYBRIDは、プロジェクトF同様にスカリエッティが表舞台から退く時に世界中にばらまいた理論の一つ。人間の遺伝子をどのようにいじくれば良いのかを記した悪魔の書だ」
「ひどい言い草だ。プロジェクトHの基礎理論は、それなりに社会の役に立っているはずだよ」
「たしかに、いくつもの遺伝子疾患の治療が可能になった。だが同時にその中に記された機械と人間を融合させた新たな人間――戦闘機人の概念に魅せられた者を生み出した。最近では戦闘機人を造りだそうとする違法研究所も現れ始めている。そのために犠牲になった人々も少なくはない」
「嘆かわしいことだね。世の中には犠牲を出した分だけ成功すると考えている科学者もどきが存在する。論理と倫理を忘れたマッドの存在は、科学者の端くれとして私も憂慮しているよ」
スカリエッティは悲しみと憐れみを含有した顔で大げさに肩をすくめた。
スカリエッティもどう考えてもマッドに分類される科学者だが、本人なりに矜持は持っているらしい。他人に理解されるのかは、また別の問題だが。
「まあ、いい。良くはないが、今は置いておこう。ジェイル・スカリエッティ、それだけの能力と実績を見込んで、公人としての立場を忘れ私人としてお前に頼みたいことがある」
グレアムが闇の書の話を語り出すと、スカリエッティは興味深々といった面持ちで、時折質問をはさみながら聞き続ける。
説明が終わると、スカリエッティはグレアムの依頼を要約した。
「つまり、きみたちは闇の書の主である八神はやてを死なせずに、闇の書だけを滅ぼす方法を私に模索してほしい、と」
管理局が追う第一級捜索指定のロストロギアを匿い、そのロストロギアはいつ何時暴走するかわからない代物。
さらに、依頼内容には解析によって得られた情報全ての開示や、グレアムとその部下のラボへの滞在許可などが含まれていた。ウィルもスカリエッティの監視のために、これから事件解決まではラボに滞在し続けることになっている。スカリエッティに任せっきりにして勝手な行動をとられないための処置だが、スカリエッティにしてみればいつ裏切るかもしれない管理局の高官に自分の居場所を把握され続けることになる。
こんな依頼をされて面白いわけがないはずだが、スカリエッティは愉しそうに笑う。
「わかった、引き受けよう。闇の書にはさして興味はわかないが、古代ベルカのプログラム生命体には関心がある。古代の人々がどのような形で人間を再現しようとしたのか。生命の意義を追求する私にとって、その手法は実に興味深い。さて、さしあたって闇の書に関する全てのデータが必要だ。管理局が所有する分はもちろん、グレアム君が独自に解析した分もね」
「私が独自に得たデータはすでに持ってきている。局が保管しているデータは、少し待ってほしい」
グレアムは懐から記録素子を取り出し、スカリエッティが手を伸ばして受け取った。
「わかったよ。それから、解析のために検体を直接私の元に連れて来てもらわなければ。きみたちだけでヴォルケンリッターを全員捕まえて、私のところまで連れてこれるかい?」
「手段はすでに考えてある。私が説得に出向いたところで、向こうがこちらの言い分を信じてくれるとは限らない。ましてや解析させろと言われて納得すまい。そこで私が管理局がヴォルケンリッターとはやて君の関連性に気がつくように誘導する。今いる家を追われて居場所を失えば、彼らも我々に頼らざるを得なくなるだろう」
「手法はグレアム君に任せるよ。できれば早く連れて来てほしいが、強引に連れてきて抵抗されるのも厄介だ。多少遅くとも自発的に解析に協力してくれる方が、私としても望ましい」
二人は他にも、必要となる資金や解析のために用いるラボの場所など、様々な条件について話し合いを続ける。その様子を見ながら、ウィルはスカリエッティが依頼を受けてくれたことに、ほっとした。
スカリエッティは興味を惹かれれば、ほぼ無償でも依頼を受けてくれる。しかし惹けなければ、いくら頭を下げたところであしらわれるだけ。そしてスカリエッティが興味を示してくれるのかは他者が予想できるところではない。幸運にも依頼を受けてくれたとしても、気まぐれを起こして本来の目的から離れた行動をとり、全てがご破算になることもある。
だから依頼を確実に受けさせ、最後までやり遂げてもらうためにも、スカリエッティに対するカウンターとなり得る強い力を持った第三者が必要だった。
グレアムにはそれだけの力がある。
グレアムは何も言わないが、今このレストランの近くに何らかの形で管理局の部隊が伏せられていてもおかしくはない。グレアムほどの人物に頼まれれば、詳しい事情を聞かされずとも協力する者もいるだろう。むしろこのレストランはそういう者の力が及ぶ地区にあるからこそ会談場所に選ばれたのではないか、と想像もできる。
実際にそうしているかは問題ではない。グレアムにはその想像を実現できるだけの力があることが重要だ。
そして、スカリエッティはレジアスをはじめとする管理局の上層部に繋がりを持っているが、上層部の中でもスカリエッティに協力しているのは極一部で、大多数の人間はまさか犯罪者と管理局に繋がりがあるとは思ってもいない。
通常の捜査でスカリエッティを追いかけても、途中で圧力をかけられて捜査を断念させられてしまう。しかし、彼らの手の届かないところで逮捕されてしまえば、それをなかったことにするのは非常に困難だ。
スカリエッティにとっても、逮捕されるような事態になるのは非常に困るはずだ。
スカリエッティは逮捕されたくないので、依頼を達成するために努力しなければならない。
グレアムは闇の書についての事情をスカリエッティたちに知られているので、おいそれとスカリエッティを切り捨てて、はやてを犠牲にする元の計画に戻すことはできない。
お互いに相手を潰す切り札を持ち合うから、共倒れになることを防ぐために争いをさけて妥協し合う。
そんな構図ができあがる――と良いなぁ、というのがあの時グレアムに凄まれる中でウィルが考え付いた絵図だ。
それが今後どの程度機能するのかは未知数だが、ひとまずスカリエッティが依頼を引き受けてくれたことに安堵する。
予定通りに事態が進んでヴォルケンリッターが加われば、スカリエッティとギル・グレアム、そしてヴォルケンリッターの三すくみの均衡ができあがる。
そうなれば、いずれかの陣営が主導権を握って専横を企んだり、途中で裏切る可能性はさらに低くなるはずだ。下手な行動をとれば、残りの二陣営に叩き潰されるから。
グレアムとスカリエッティの同盟が締結すると、ウィルたちの身柄もそのままスカリエッティへと引き渡され、そのままスカリエッティの現在の拠点へと連れて行かれた。
スカリエッティは人も寄らないような辺境に築かれたラボを拠点にしていることが多いが、今回到着したのはとある学術研究都市の中に築かれた医療研究センター。
スポンサーの息がかかった研究所で、独立した権限を与えられた架空の研究者として活動しているらしい。
数多くの研究棟が立ち並ぶ中、スカリエッティに与えられた一棟に足を踏み入れる。
最上階の一室、ガラス張りの壁から入る陽光に照らし上げられた部屋。デスクに頬杖をついて思索にふけっていた黒髪の女性が、入ってきたスカリエッティたちに気が付くと、無言のまま立ち上がった。
羽織る白衣をなびかせて足音高らかに歩み寄ると、スカリエッティではなくウィルの前に立ち、
「久しぶりね」
再会の挨拶とともに振り抜かれた右手が、ウィルの頬に真っ赤な紅葉型の手形を残す。
「いったい!」
「不意打ちしてくれたお礼よ。それからクアットロ、どこに行っていたの。整理してほしいデータが溜まっているのよ」
女性は用件はそれで終わりとばかりに踵を返し、デスクへと戻る。
クアットロは横目でウィルを見ると肩をすくめ、やる気のない声で返事をしながら女性の元へと向かう。
半年ぶりに再会した彼女は、顔にも声にも張りがあり、所作には無駄を嫌う鋭さがあった。以前に会った時のような燃え尽きる直前の輝きではなく、意思持つ者が自然と有する
「お元気そうで何よりです。プレシア・テスタロッサ……さん」
「さてと、新たなクライアントから仕事をいただいたのでね。そのことについて打ち合わせをしよう」
室内の椅子をプレシアのデスクの周囲に寄せ集めて座ると、スカリエッティはグレアムとの会談の内容について、プレシアに語った。
「それで、私にも闇の書の解析に協力しろと? 延命してもらったとはいえ、私に残された時間に限りがあることは、他ならぬあなたが一番よく知っていると思っていたのだけど」
長い脚を組み、コーヒーを飲みながら話を聞き終えたプレシアは、不機嫌を隠そうともせずにスカリエッティを睨む。
腰まで伸びて広がっていた黒髪はゆるく束ねられて、黒が基調なのは相変わらずだがゆったりとしたブラウスの上に白衣を羽織るその姿は、以前のような病的な淀みや、触れれば折れそうな雰囲気がない。
依然として病魔に犯されているようだが、今の状態が本来のプレシア・テスタロッサという女性に近しいのかもしれない。
射ぬかんばかりのプレシアの視線を受けても、スカリエッティにひるむ様子はないどころか、楽しそうに会話を続ける。
「解析は私が主導で進めるから、あまり時間をとらせはしないよ。それに私だけではなく、きみもヴォルケンリッターというプログラム体には興味をそそられるんじゃないかと思ってね。彼らは何度消滅しても、闇の書がこの世界に舞い戻るたびに姿を現す。しかも記憶や人格の変化を引き継いだままに」
「記憶と人格情報の選択と保存……なるほど、たしかにそれがわかればアリシアの人格の完全なコピー、いえ、補完も可能に……壊れてしまった細胞も、人体構成式で代用して……あとはそれを維持するための魔力源さえあれば……」
プレシアの双眸に、雷光の如き光が煌めく。
「わかったわ。私もこの件に協力する。いえ、絶対に噛ませなさい」
「興味を持ってもらえたようで嬉しいよ」
スカリエッティは満足そうに笑うと、あらためて今後の予定を語り始める。
「全員が一ヶ所に固まるのはリスクが高い。きみにはナンバーズの半分を連れて私とは別行動をとってもらいたい。私は適当な無人世界のラボに移り、そこで闇の書の解析を進める。連れていくのはウーノとクアットロとセインの三人にしよう」
「なら、私の方はトーレとチンクとディエチ。あなたの方は非戦闘型ばかりで、こちらは戦闘型ばかりね。もう少しバランス良くしたら?」
「ヴォルケンリッターに本気で敵視された場合、その場にいる者だけで対処するのはリスクが高すぎる。それなら逃走に適しているクアットロとセインを選んだ方が良い。きみの方は私の側に問題が発生した場合に、トーレたちを使ってグレアム君と協力してヴォルケンリッターを抑え込んでほしい。そして私に何かあった時には、娘たちと私の研究を引き継いでくれると嬉しいね」
「面倒だから何かあっても生きて戻ってきなさい」
「善処しよう」
二人の会話が一段落つく頃合いを見計らって、ウィルが声をあげる。
「あの、俺も先生の方について行ってもいいですか?」
「もちろんだとも。闇の書の主の精神状態を安定させるには、顔見知りがいた方が良い。グレアム君に常に私のラボに滞在してもらうわけにはいかない以上、きみがその要だ」
スカリエッティの言葉を聞き、プレシアがウィルのなくなった右腕に視線を落とす。
「それなら、腕を何とかした方が良いわね。久しぶりに会う大切な人の腕がなくなっているなんて、結構ショッキングよ」
指摘通り、右腕の欠損は解決しておかなければならない問題だ。はやてのためだけではなく、その後のことを見据えても。
「そのことで、先生にお願いがあるんですけどかまいませんか?」
「昔のように再生治療がお望みかな?」
十年前にウィルが巻き込まれた大規模爆破テロは、多くの人々の命を奪った。レジアスの妻もその中の一人だ。
ウィルはかろうじて生き残ったが、左手首の先と両脚の膝から下など、人体のおよそ二割以上を損なう重傷を負った。
当時のレジアスとスカリエッティの間に、どのようなやり取りがあったのか。レジアスは語らず、スカリエッティも口止めされているからと教えてはくれない。知っているのは、スカリエッティはウィルを治療するというレジアスの依頼を受けたということだけ。
スカリエッティの治療により、ウィルは健康体を取り戻した。後から聞いたところによると、その内容はまだ五歳になったばかりの子供が受けるのは相当に厳しいものらしい。
スカリエッティ曰く、強い欲望が――生への執着があったから乗り越えられたのだと。
その言葉はすんなりと受け入れられた。復讐するためには、なにがなんでも生き延びて体を取り戻す必要があった。死ぬことより、このまま何もできずに終わることの方が怖かった。
それは昔も今も変わらない。
「あの頃は、再生してもらった左手と両脚がまともに動かせるようになるまで、結構かかりましたよね」
「神経が完全に繋がるまでにおよそ半月。それから以前のように動かせるようになるまで三ヶ月かかっていたね。普通の人間に比べればなかなか驚異的な速度だったよ」
「二ヶ月以内に完治する方法はありませんか? この事件が終わるまでに戦えるようになっておきたいんです。いつ力が必要になるのか、わかりませんから」
「再生治療では不可能だ。一刻も早く戦える体に戻ることを優先するなら、素直に義手にした方が良い」
「それも考えました。でも、義手では戦力が落ちると聞いています。何か方法はありませんか?」
反応速度と追従性の両立は、義肢開発の大きな壁だ。
脳波や脳血流量、筋電位や視線など、生体反応の変化を重点的に感知することで、反応速度を向上することはできる。だが、それらだけでは高位の近接魔導師が欲する、薄皮一枚のみを切るような精密な動作を再現することはできない。
だからといって、民間の義肢で使われるような思考制御では、反射にも等しい動作速度にはほど遠い。
「ないわけではない。やろうと思えば、義肢と神経を直接繋げることもできるからね。ただ、神経に強く干渉するため、持ち主の肉体に大きな負担を与え、蝕む。実用化されている義肢はそれを防ぐために、所有者の意思を読み取ってスタンドアローンで動作して――」
スカリエッティは言葉を止め、しばらくしてから笑う。
「ふむ……この手があったか、義手だけに」
「……何か方法が?」
「戦闘機人のように、発想を逆転させれば良いのさ。人間と義手は、生体反応や思考を読み取り、分析し、動作する――複雑な伝言ゲームで繋がっている。これでは速度も正確さも落ちて当たり前だ。それなら、はじめから義手の中に義手を操作するウィルを用意すれば良い」
「……意味がわからないので、もう少し詳しく」
「プロジェクトFの応用だよ。義手にきみ自身の脳内データを移植した人工知能を搭載する。義肢のセンサーで得られる入力情報から、人間の感覚器官で得られない情報を動作判断からはずすことで、ウィルと義肢の入力情報を限りなく等しくさせることができる。入力される値と計算式が等しければ、自然と解――動きも等しくなる」
「そんなことができるんですか? プレシアさんからは、プロジェクトFではもとになった人間を再現することはできなかったと聞いていますが」
と、プレシアを見れば、返ってきた返事は予想に反して「可能よ」と。
「完全な再現は不可能だけど、戦闘という限定環境での動作程度ならやりようはあるわ」
プレシアの答えにスカリエッティはうなずき、その指先で椅子の肘掛けを軽やかに叩きながら、その旋律に乗せて謳うように言葉を紡ぐ。
「ただ、いくつか問題点も思いつく。その解消のために他の機能も追加してみよう。たとえば、機人がどんなものか、ほんの少しだけ体験してみる気はないだろうか?」
ウィルは戦慄に貫かれていた。かすれた声で問う。
「俺もなれるってことですか? ……戦闘機人に」
ウィルはかつて、戦闘機人になりたいと頼んだことがある。強さを求めた幼少期のウィルが戦闘機人の力に憧れないはずがなかった。
しかし当時はその頼みは技術的に不可能だからと、すげなく断られた。
戦闘機人の素体は、生まれる前の遺伝子の段階から調整を繰り返さなければならない。それは選別され精錬された上質な鉄を打って鍛えた、一振りの刀のような芸術品。ウィルのような石ころを打ったところで砕けるだけだ。
その機人に、なれるというのか――が、スカリエッティは笑って首を横に振った。
「後天的に戦闘機人になることは今でも不可能だ。だが、機人はもともとそれ自体が完成形でありながらも、機械と人体を融和させる技術のテストベッドとなるという役割も持つ。機人に用いている技術には、普通の人間にフィードバックできるものもいくつかある。そのいくつかを、きみで試してみたいと思ってね」
スカリエッティの瞳には、友人の願いを聞いてあげようとする親愛と、実験動物に注ぐ興味の双方が、矛盾せずに含まれていた。
「機人ではない普通の人体への試験はいまだにおこなったことのない技術だ。だから、これに関してはきみの自由意思に委ねよう」
「お願いします」
患者ではなく実験体であったとしても、それで強くなれる可能性があるのならウィルが迷うわけもない。
元より義手の件に関しては、スカリエッティを引き込むためにグレアムという抑止力を抱き込んだ先ほどとは異なり、完全にスカリエッティの好意と気まぐれを期待して頼み込んだお願いでしかない。
ならば、その代償に実験体になる程度の危険を支払うのは当然の対価――と覚悟を決めて答えたが、その悪魔の契約にプレシアが割り込む。
「ヴォルケンリッターや闇の書が来るまでには、まだ時間があるのよね? なら、私もデバイスの製作に協力するわ」
「いいんですか?」
「どういった風の吹き回しだね?」
思わぬ申し出に、ウィルとスカリエッティは二人揃って目を見開いた。
「さっき不意打ちされた分は返したから、次は私が死なないように立ち回ってくれた借りを返すだけよ。デバイスの製作と、この男が無茶な改造しないように見張るくらいはしてあげるわ。それで貸し借りはなしで良いかしら?」
プレシアは朱色の唇に艶やかな笑みを浮かべて、ウィルへと微笑みかけた。
その後、スカリエッティとプレシアは共同でウィルの義手とちょっとした人体改造を行った。並行して、グレアムに渡されたデータを元に検討を重ねつつ、必要な機材を無人世界のラボに移動させて研究環境を整える。
一方、グレアムはスカリエッティの監視のためにリーゼ姉妹を交互に寄越しながら、自らは本局で古代遺物管理部やリンディたちと接触して、管理局の動きを調整し続けた。
管理局の武装隊とヴォルケンリッターが激突したのは、スカリエッティとグレアムの会談がおこなわれた十五日後。
そしてその翌日、スカリエッティとグレアムとヴォルケンリッターの三者の間に協力関係が結ばれた。