復讐の炎がこの身を焼き尽くす前に   作:上光

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恩寵

『せっかく人が付き合ってあげてるんだから、きびきびと動くのがマナーじゃない?』

 

 義手となった右手を見て、物思いにふけっていると、モニタールームのクアットロがしびれをきらして催促の声。

 

「ごめん、すぐに準備する――――行こうか、グレイス」

 

 真銀の輝きを放つ右腕。義手型インテリジェントデバイス『恩寵(グレイス)』からの返事はない。

 ウィルもこれまでの癖で呼びかけているが、本来ならその必要もない。

 グレイスの制御用人工知能は、ウィルと同質の思考を持つ。声をかけた時にはすでにバリアジャケットの生成とデバイスの展開が始まっていた。

 

 グレイス内部に量子として収納されていた合金が解放され、宙空で結合されてウィルの身体を覆う。

 両脚にはかつてのハイロゥと同質の銀色の金属ブーツ。そのくるぶしの部分には飾りのような可動肢が付属している。

 両腕には肘まで覆う銀の手甲。そちらにもまた飾りのような可動肢が付属している。

 そして右手の先に出現した一振りの銀剣を握る。形状はかつてのF4Wと同じく刃渡り一メートルの片刃。

 

 広大な訓練場に魔力で形作られた戦闘空間のテクスチャが貼り付けられ、固定されていく。

 続けて、戦域に十体のドローンが姿を現す。

 

 ウィルは飛行魔法で宙に浮き、剣を構える。同時にドローンの周辺を囲んでいたリングが砕け、シミュレーションの始まりを告げた。

 

 

 銀脚『ハイロゥ』から圧縮空気が噴出する。向上した魔力変換効率は以前を上回るエネルギーをウィルに与え、加速する。

 以前のハイロゥも手慰みとはいえスカリエッティが製作した一品。その演算速度は通常のデバイスに比べても圧倒的であったが、スカリエッティに加えプレシアの手が加わったグレイスのそれは、右腕一つ分という本体の大きさゆえの演算速度の高さも相まって、人工知能に処理の一部を割かれているにも関わらず以前のハイロゥを上回る。

 

 音速を越えて発生した衝撃破を逃すため、訓練場の壁全体にかけられた衝撃吸収魔法が発動し、空間が魔力の光で一瞬鮮やかに彩られる。

 

 ウィルは正面のドローンへ向かうと見せかけ、途中で軌道をずらして右斜め上空のドローンに接近。ドローンがウィルに狙いを定める前に、振り切られた剣がすれ違いざまに両断する。

 もともと実体を持たないドローンは、剣によって与えられる衝撃を計算、設定された耐久値を越えたことで消滅する。

 残敵と己の間に通る射線が限りなく少なくなるような軌道を取りつつ、ウィルは急減速をかけた。

 

 ドローンがウィルに狙いを定めて魔力弾を発射した瞬間、ウィルの左腕を覆う手甲の可動肢から不可視の翼が――圧縮空気が噴出する。ウィルの体は右方向へと急加速。襲いかかる光弾を回避する。

 ドローンが照準を移してウィルを追いかけようとするが、当のウィルはすでに上方へと移動ベクトルを変えていた。上方へと照準が追いかけた時には、すでに右斜め下方へ、続けて右斜め上方、左斜め上方、切り返して右。次々と方向転換をおこない、狙いを定めさせない。

 

 両腕両脚に備え付けられた四つの可動肢『フェザー』は、推力偏向(ベクタード)ノズルだ。

 思考制御された可動肢は、ウィルの意志のままに角度を変えながら、圧縮空気を噴出させる。

 口が小さいため噴出できる空気量は少なく、ハイロゥに比べると加速力は落ちるが、四個のスラスターを四肢に分散して配置したことで以前よりさらに繊細な機動が可能になる。

 

 足裏という一方向に空気を噴出させるハイロゥというメインブースター。

 両手両足に備え付けられた四つの可動肢フェザーというサブスラスター。

 この二種の加速を織り交ぜることで向上したのは機動力だけではない。

 

 

 斬撃の瞬間に腕部のスラスターを噴かし、加速した剣撃がドローンを両断。

 続けて姿勢を制御しながら右脚のスラスターを噴かせば、加速した右足による回し蹴りが、背後から接近を仕掛けようとしていたドローンへと叩きこまれる。

 威力が足りなかったか、蹴りはドローンに受け止められたが、再度圧縮空気を噴出させれば、再加速して威力を増した右脚がドローンを吹き飛ばす。

 吹き飛んだドローンに向かって左腕を振るう。左腕を覆う手甲に魔力が通い、大気と混ざり合って衝撃波を生み出し、ドローンが姿勢を取り戻す前に直撃、破壊する。

 

 四肢のスラスターを攻撃のタイミングに合わせて使用すれば、部分的に速度を上昇させることで攻撃力を高めることができる。

 

 

 ウィルは止まることなく、次の標的へと向かって移動を始める。

 両手両足のスラスターを断続的に吹かし続け、移動のベクトルを常に変化させ続けながら、魔力弾の雨をくぐり抜けてドローンを落とし続ける。

 戦闘開始から二分後、ウィルはシミュレーションで形成されたドローン十体全てを破壊し終えた。

 

 

 

『はいおつかれさま~。ウィルの方で何か問題は感じられた?』

「相変わらずだけど、動作タイミングに何度かずれを感じることがあったな。そっちでも観測できてるだろ?」

『それに関してはどうしようもないわね~。これからもこまめに戦闘データを更新して、覚えさせ続けるしかないわよ』

 

 グレイスの人工知能がウィルの脳内情報をコピーしているとはいえ、グレイスはデバイスでウィルは人間だ。

 同じ入力情報、同じ計算式。限りなく近くとも、機械と人では出力される情報が異なる時が稀にある。その差異を埋めるためにも、クアットロにサポートしてもらってのシミュレーションの繰り返しは非常に重要だ。

 

 そして何より、フェザーという四つのベクタードノズルが増えたことにより、戦い方は以前よりさらに複雑さを増している。

 新しい力を活かすためには、どのような戦えば良いのか。まずはデスクに向きあって理屈を噛み砕いて理解し、次に反復訓練によって基本的な動作を身体に覚えこませ、シミュレーションによって動作を繋げ、己の戦闘スタイルへと昇華させる。今のウィルに必要なのはその繰り返しだ。

 

 新たなデバイスでの戦い方を身につけにして、ウィル自身に加えられた改造による新たな領域――アセンションの世界を己のものにした時、きっとウィルの刃はヴォルケンリッターにも届き得るという確信がある。

 

 

「というわけで、さっそく次のシムを頼むよ」

『りょ~かい。じゃあとっておきのいくわね』

「へえ、楽しみ……!?」

 

 眼前に現れたのは、モデルのような高身長の美女。

 ボディラインにフィットした青いバトルスーツを身を包み、長い手足には刃を削ったかのような八つの光。

 その鋭い目に何の感情も浮かんでいないのは、これがシミュレーションというのもあるが、もともとの本人の気質によるところも大きい。

 ウィルにとっての憧れの人――ただし戦闘面に限る。

 

「ちょっ……! 待て待て待って!! いきなりトーレ姉さんとか無理――」

『はいスタート♪』

 

 ナンバーズ三番目、トーレ。スカリエッティが認める現時点で最強の戦闘機人。

 ISとして発現した極限まで研ぎ澄まされた飛行魔法を、戦闘機人の中でも最高の肉体強度を誇るトーレが用いる。その加速力と戦闘機動は人類という種が到達できる領域を超えている。

 

 勝てるわけがないという認識が身体を後ろに後退させかけた時、ウィルの脳裏をシグナムの姿がよぎる。圧倒的な強さで、ウィルを完膚なきまでに叩きのめし、死の寸前にまで追いやったその姿。

 トーレは戦闘機人の中でも別格の強さだが、シグナムがトーレよりあきらかに劣るとも思えない。シミュレーションのトーレにすら勝てないようで、シグナムに勝てるはずがない。

 

「上等だ! 全力で――」

 

 

 

 十分後、両手を地面につけた四つん這いの姿勢で、汗を滝のように流しながら荒い呼吸を何度も繰り返す。

 

 高機動近接型同士の戦闘はそう長引かない。長くても一分とかからず、最初の一合ではっきりと優勢が決まり十秒もかからず決着がついたこともあった。

 一戦が終わるたびにすぐさま次の戦いが始まり、わずか十分間で何度も打ちのめされて、何度も叩き落されて、途中からはいまだに試験すらほとんどしていないアセンションをも発動させ、その果てに。

 

「ど……うだっ! 見てるかクアットロ! 勝ったぞ!」

 

 掴み取ったのはわずかに一勝。しかも相手はシミュレーション上の存在であり、本物のトーレには及ばない。

 しかし子供の頃から憧れていた背中が手の届くところに来た手応えは、連戦による酸素の欠乏と全身にかかるGによ嘔吐感の苦しさを跳ね除けるほどの充足感を与えてくれた。

 

 けれど、クアットロからの返事はいつまで経ってもない。この結果に賞賛であれ皮肉であれ、何かを返してくれることを期待していたのに。

 疑問に思って顔をあげようとしたその時、不意にそばで足音が鳴り、俯き下を向いた視界の端に映る蒼の靴。

 

「だらしないわねぇ」

 

 声はモニタールームからの通信ではなく、すぐそばから空気を振るわせて耳を軽やかに打つ。

 

 顔を上げれば、すぐそばにクアットロの顔。膝を曲げて腰を折り、視点を合わせるために前傾してウィルの顔を覗き込んでいた。

 丸眼鏡の下、金色に輝く大きな瞳を彩る睫毛は長く、鼻筋はすらりと通り、桃色の唇が弧を描き、悪戯っぽい微笑みを浮かべている。

 伏したウィルを覗き込むクアットロの顔は随分と大人っぽくなっていて、しかしその姿勢は十年前の記憶を想起させる。

 

「こうしていると、初めて会った時のことを思い出さない?」

 

 考えていたことを先に口に出され、言葉に詰まる。

 脳裡に去来するのは、幻燈画と呼ぶには鮮やかすぎる在りし日の、過ちの苦さと懐かしい温もりの記憶。

 

 

 

 

 己の肉体が五体満足に戻っているのを見た時、幼いウィルは喜びで涙を流したが、その喜びもつかの間、戻ったばかりの身体は自らのものとは思えないほどに重く、頭で考えた通りに動いてはくれなかった。

 そこからは一刻も早く元のように身体を動かせるようになるためのリハビリの日々。並行して、いつか闇の書に立ち向かえるような魔導師になるための訓練を始めた。

 

 ゲイズ家では、子供にはまだ危険だと魔法も戦い方も教えてはもらえなかったが、スカリエッティのラボは違った。

 

 ナンバーズの二番目ドゥーエは、魔法の使い方をはじめとした様々な知識を教えてくれた。

 ナンバーズの三番目トーレは何も教えてはくれなかったが、訓練場で見かける彼女の圧倒的な強さは、ウィルに目指すべき目標を示してくれた。

 ドゥーエが与えてくれる知識を一つとして取りこぼさぬように。トーレが見せる戦い方に一歩でも追いつけるように。震えてペンも持てない指を握りしめて、崩れ落ちそうになるか弱い足に力を込めて足掻き始めた。

 苦しいとは思わなかった。心の底には父の死を理解した瞬間に熾った炎が燃え続けている。炎が与える熱がウィルの身体を突き動かしてくれた。

 

 

 

 そんなラボでの生活が続いたある日、ウィルはいつも通り、トーレが使用しない時間帯を見計らって訓練場で魔法の練習をしていた。

 その頃のウィルはトーレの真似をするべく、飛行魔法の訓練にとりかかっていた。

 初めて見たトーレの訓練の光景が目に焼きついていた。自在に訓練場を飛び回り、鋭角的ともいえる軌道で瞬く間に敵へと接近し、両手両足の光刃で切り裂いていく姿には、美しさすらあった。

 ウィルは父が戦っている姿を見たことがない。だからトーレのその姿は、幼いウィルにとって圧倒的な力の象徴だった。

 

 その力に一歩でも近づくため、ドゥーエに教えてもらった通りにバリアジャケットを展開して、訓練場の中を飛ぶ。

 最初は浮くだけで精一杯で、気を抜けばバランスが崩れて落下しそうになる始末だったが、不格好でも何度も何度も繰り返せば、少しずつ軌道が安定していく。

 

 自分は少しずつ上達している。成長している。その実感が充足感を与えてくれる。

 

 そういえば、トーレは以前にシミュレーションで様々な地形やコースを作って、そこを駆け抜ける訓練をしていた。

 今度、ドゥーエに頼んで自分もそれをやらせてもらおう、と。

 

 飛行中に余計なことを考えてしまったのが良くなかった。

 マルチタスクもうまくできず、デバイスも持たない。そんなウィルが使用する魔法以外のことに頭を回せば制御できなくなるのは当たり前。

 

 飛行魔法に綻びが生まれたことで、慣性制御の効果が低下。先ほどまでは何の負荷もかかっていなかった身体に、突然押し付けられるような圧力がかかる。

 混乱と痛みがさらに判断と思考を狂わせ、飛行魔法が完全に崩壊してウィルの身体が空中に放り出される。

 高度は低く、速度もそれほど上げておらず、バリアジャケットを纏っていたおかげだろう。そのまま訓練場の床を十メートル以上転がって全身を強く打ち付けても、幸運なことに大きな怪我はなかった。

 

 

 うつ伏せに倒れている姿勢から、手足に力を入れて身体を起こす。

 四つん這いの姿勢から立ち上がろうと腕に力を込めれば、再生治療で戻ったばかりの左手に力が入らずに滑り、再び崩れ落ちる。

 這いつくばった状態で何度か深呼吸をしてから、息を止めて歯を食いしばり、もう一度全身に力を入れて四つん這いの姿勢に戻る。

 馬鹿な失敗をした自分が情けなかったのか、それとも立ち上がることすらできない我が身が悲しかったのか、涙で視界がにじみそうになるが、まぶたを強く閉じて涙を抑えこむ。鼻の奥が痛くなるのを歯を食いしばって耐える。

 

 泣いちゃダメだ。止まっちゃダメだ。

 こんなところで止まっていては、自分はどこにも辿り着けない。

 

 もう一度挑戦だと、決意を固めてまぶたを開けば、ウィルの視界に影がさしていた。

 

 

 顔を上げれば、栗色の髪の女の子がウィルを見下ろしていた。

 年の頃はウィルと同じ五歳くらいだろうか。金色の瞳には見た目の年齢には合わない理知的な輝きがあり、五歳年上のオーリスを連想した。

 誰かは知らないが、かっこ悪いところを見られた羞恥で顔が赤くなるのを感じる。笑われるのか、慰められるのか。どちらにしても恥ずかしい。

 

 女の子の小さな唇がゆっくりと開かれて

 

「あなた、どうしてそんなに馬鹿なことをしているの?」

 

 放たれた言葉は予想だにしない辛辣。

 

「きみは……?」

「質問の内容も理解できないのかしら? まぁいいわ。私はクアットロ。ナンバーズの四番目――こういえば、さすがにわかるわよね?」

 

 その存在は知っていた。ラボには、すでに完成しているウーノ、ドゥーエ、トーレの他に、遺伝子の設計が完了し生まれたばかりの子が二人いた。ナンバーズ四番目のクアットロと、五番目のチンク。

 彼女らは生み出された後、急速成長で五歳児程度にまで肉体を成長させられ、それから成長速度を普通の人間と同じレベルに落とし、埋め込まれた機械に馴染むように、そして個々が持つ資質を活かすように肉体を改造(チューンアップ)されていく。

 

 ただ、普段は調整用のポッドの中で眠るように揺蕩っているため、顔を合わせたのはその時が初めてだった。

 後から知ったことだが、外界の情報を正しく認識できるか、他者と言語でコミュニケーションをとるだけの知能が発達しているかなど、いくつもの項目をチェックするために時々ポッドから出して活動させていたらしい。

 

「おれの名前は――」

「いらないわ。知ってるもの」

 

 自己紹介はすげなく断ち切られ、この時点でウィルは結構苛々とし始めていたが、世話になっている先生の娘で、自分に様々な知識を教えてくれるドゥーエの妹だ。怒っちゃダメだと自分に言い聞かせながら、質問に答える。

 

「父さんを死なせたやつを、おれがたおすんだ。そのためには、強くならないと」

 

 堂々と、胸を張って宣言する。

 ゲイズ家では、みんな悲しそうな顔をしたり、気まずそうな顔をしたり、時には怒ることもあった。この願いは口にしない方が良いのだと、その時に学んだ。

 

 でも、ここでは違う。

 先生は強い願い、強い欲望を持つのは素晴らしいことだと褒めてくれた。ドゥーエもその意志の強さがあるのならと勉強を教えてくれた。

 その二人が認めてくれた願いだから、きっとクアットロもわかってくれると思って口にしたのに――

 

「それも知ってるわ。私が聞きたいのは、どうしてそんな馬鹿なことをしているのってこと」

 

 本当にあっさりと、あたりまえのことを告げるかのように、ウィルの願いは切り捨てられた。

 

「な、なんだよっ! おまえも、ダメだって言うのか!?」

 

 願いを否定された怒りがウィルを動かす力になる。足に力を込めて立ち上がり、クアットロに掴みかかろうと一歩前に踏み出す。

 感情を顕わにし怒りの形相で寄るウィルを見て、クアットロは汚らしいものに触れられるのを嫌うように避け、足払いをかける。

 ウィルの体は再び地面にたたきつけられ、あおむけのままクアットロを見上げる形になる。

 

 ウィルを高みから見下すように、のぞきこみ。クアットロは大きくため息をついた。

 

「ドクターもドゥーエ姉様も、どうしてこんなのを置いているのか理解に苦しむわ」

 

 幼子にあたりまえのことを言い聞かせるように、クアットロは淡々と言葉を紡ぐ。

 

「父親が死んだのは残念なことよね。自分を庇護する者がいなくなってしまうんだから。それで? 今のあなたがするべきことは新しい庇護者に気に入られることじゃないの? 失われた者に固執してそんな無様をさらすことにどんな意味があるの?」

「父さんは、すごい人だったんだ! 世界を守るために、ずっとがんばってたんだ! そんな父さんをころしたやつは死ななきゃならないんだ!」

「それも理解できないわね。死んだのはただ力が足りないから。第一、あなたの父親にそれだけの価値なんてないでしょう」

 

 告げられた言葉に、心臓が大きく脈打った。

 鼓動に合わせて全身を巡る血流が熱湯のように熱い。その源泉は胸のさらに奥。心の底から。

 

「子が親に感謝を抱くのは、親が子を庇護するから。でもあなたの親は知人に子を預けて、世話を任せていた。その上、あなたを残して死んだんでしょう?」

 

 心の底には扉がある。扉の向こうで燃える炎の熱が、ウィルに力を与えてくれる。

 

「子供を育てる義務を果たせなかった使()()()()親のために人生を浪費するなんて。復讐なんて馬鹿みたい」

 

 体をどのように動かしたのかもわからず、湧き上がる熱に突き動かされるようにして、ウィルはクアットロに飛びかかっていた。

 今にして思えば、ウィルの激情に呼応して体内で魔力変換が発生し、ウィルの身体をそのまま動かしたのではないか、と思う。

 

 クアットロは戦闘が主体ではないとはいえ戦闘機人だ。幼いとはいえ、本来ならばリハビリ途中で稚拙な身体強化魔法しか使えないウィルなんて返り討ちにされるはずだった。

 ただ、クアットロもまた一時的にポッドから出されただけの調整中で、機械が身体に馴染んでいなくて、十全に動けなかったのかもしれない。

 

 理由はわからずとも、結果は一つしかない。

 ウィルはクアットロを押し倒し、胴の上に馬乗りになって左手で首を押さえつけ、右手でクアットロの顔を殴った。

 

 そして二発目をたたき込もうと、右手を大きく振りかぶった時、自分を見上げるその顔に浮かんだ怯えと目尻に溜まった涙を見て、体が動かなくなった。

 

 父親は凄い人だ。かっこいい人だ。正義の味方だ。その認識に変わりはない。

 それで、その尊敬する父親の子である自分は、嫌なことを言われたからと、何をしているのか。してしまったのか。

 

 

 急速に戻る理性。

 すぐにクアットロから離れようとするが、先ほどの激情が消えたウィルの身体は、いまだリハビリ途中の脆弱な肉体へと戻っていた。

 震える手に力を入れて、首を押さえつけていた左手を引きはがす。震える足に力を入れて、クアットロの上からどこうとした時、クアットロが身体を起こして掌でウィルの胸を突いた。

 機人の膂力は子供の姿でも大人を凌駕しており、その衝撃でウィルの身体は後方に飛ばされる。

 

 立ち上がったクアットロが、尻もちをついたウィルを睨む。

 その顔にはやられたことへの怒りではなく、事態を理解できていない困惑が張り付いていた。

 

 お互いに睨み合っていた時間は十秒くらいだったか。

 

「その――」

「―――!!」

 

 謝ろうとしたウィルが声をあげた途端、クアットロはその場から飛びのいて訓練場から走り去った。

 

 慌ててウィルも後を追いかける。どうすれば良いのかわかっていたわけではない。とにかく謝らないとという一念で、壁に手をつきながらクアットロを追いかけて訓練場を飛び出し、気が付いたらベッドの上で目を覚ました。

 疲れが出たのか痛みのせいか、通路の真ん中で気を失って倒れていたのを、訓練場に向かおうとしていたトーレが見つけたらしい。

 様子を見にやって来たスカリエッティに事情を説明して、クアットロに会わせてほしいとお願いしたが、すでに外に出ていられる時間は終わり、再び調整用ポッドの中に戻ったのでしばらくは出てこれないと告げられた。

 

 ショックだったのは、事情を知ったスカリエッティは、起きたことにさして興味もないようで。彼だけでなく、ウーノも、ドゥーエも、トーレも。誰もウィルのことを叱りもしない。

 それまでは、復讐という願いを話しても肯定してくれる此処の人たちはみんな良い人なのだと思っていた。

 きっとこの時からだろう。此処にいる人たちはみんなどこか普通ではないのだと感じるようになったのは。

 

 

 

 何週間かたって、クアットロが再度目覚めると教えてもらったウィルは、通路の真ん中に立って彼女を待っていた。

 扉からクアットロが顔を出した瞬間、有無を言わさず頭を下げて謝った。

 クアットロはわずかに眉を歪めて、一言「そう」と言っただけ。「許す」とも「許さない」とも言わず。その場から去った。

 ああ、きっとクアットロはウィルにはもう関わりたくもないのだろうなと。

 悲しいけれど、傷つけるというのはそういうことなんだと思って。

 

 

 だというのに、その日からウィルがラボで何かをしていると、よくクアットロがそばにいて、それを見ているようになった。

 仕返しの機会でも伺っているのかと思っていたが、クアットロは本当に見ているだけ。見られることに慣れ始めると、次第にウィルのやり方に口を出してくるようになった。

 苛立つことも多々あったが、以前に押し倒した負い目があって強く出ることができず。

 そんなクアットロの変化にスカリエッティも思うところがあったのか、それからというもの、クアットロはチンクに比べて調整ポッドの中にいる期間は短くなり。

 

 結局、スカリエッティのラボを出てレジアスのところに戻るまでの一年ばかり、ウィルとクアットロはよく一緒に行動していた。

 

 共にドゥーエから学び、トーレを真似しようとするウィルをクアットロが見ていて、一緒に食事をして。

 そんな日々を過ごすうちに、いつの間にかかつて喧嘩の原因になった復讐について語れるようになっていて。お互いに復讐に対する考え方は相変わらず合わなかったけれど、その違いを流せるようになって。

 

 チンクが調整用ポッドから出てくる頻度が増えるようになると、彼女も混ざるようになり、ウィルとチンクで模擬戦めいたことをすることも増えた。

 ウィルが息をするように飛べるようになると、これまでは教えてくれることのなかったトーレがたまに空戦機動を教えてくれるようになったり(大半は身体能力が違いすぎて何の参考にもならなかったが)、

 ウーノがデバイスの基礎理論を教えてくれて、ウィルも自分のデバイスを組んでみたが結局うまくいかず、最後は先生がクアットロやチンクのISを制御するための装備と一緒に手慰みで作ってくれたこともあった。

 その時に作ってもらったハイロゥは、以来十年間ウィルの相棒として活躍してくれた。先日のシグナムとの戦いで完璧に壊れてしまったが。

 

 

 子供の頃に漠然と感じたように、スカリエッティとその娘たちはどこか普通とずれている。それは常識であったり、感覚であったり、倫理観であったり、様々だ。

 その思いはラボから帰って、親戚のおじさんから正式に養父となったレジアスの元で暮らし、似たような境遇のクロノと出会い、士官学校で大勢の仲間たちと過ごし、管理局で働くようになってからはさらに強くなった。

 けれど、ウィルが普通に生きられるようになったのは、先生とその娘たちの、なによりも一緒にいてくれたクアットロのおかげだった。

 

 あの日々の輝きは、大切な存在を失い己の無力を呪うウィルに与えられた恩寵(すくい)だった。

 

 

 

「覚えているよ。あれは俺の愚かさの象徴だ。忘れるわけにはいかない」

「私も愚かだったわ。愚か者が事実を指摘された時に逆上するだなんて、そんな当たり前のことも考慮に入れてなかったんだもの」

 

 言って、お互いに笑う。

 いつまでも四つん這いで顔だけ上げているのも疲れるので、ウィルはそのままごろんとひっくり返り、あおむけに寝転んでクアットロを見上げる。

 

「お腹をさらすなんて、なんだか服従を誓う犬みたい」

 

 クアットロはウィルの頭のすぐそばに腰を下ろすと、ウィルの頭を少し持ち上げてその間に自らの太腿を差し込む。

 ボディスーツ越しに感じられるクアットロの身体は、その内側に様々な人工物が秘められているとは思えないくらいに柔らかい。

 

「トーレ姉さまに勝ったご褒美。どう?」

「予想以上のサービスで後が怖い」

「なんてサービスし甲斐がないのかしら。……それで、十年間待ち望んでた仇に出会えて、あまつさえ同居している気持ちはどう?」

「たいしたことはないよ。もちろんこのまま許すつもりなんてさらさらないけれど、まずは闇の書のことが解決してから――」

 

 いつものように言葉を重ねる。自分はいつだって冷静だと、想定外の事態に巻き込まれることは多いが、その場その場でやるべきことをやるだけだと。

 

 そう思っていたのに、言葉が突然喉でつっかえて、代わりに出てこようとするのは形も音もない嗚咽。

 歯を食いしばって、せりあがるそれを抑え込みながら、言葉を繋ぐ。

 

「ごめん……思ってた以上にきつい、みたい」

 

 吐き出した弱音は、自分の声とは思えないほどに弱弱しくて。

 一度弱音を吐くと、堰を切ったように溢れて止まらない。

 

「なんで、はやてなんだよ。はやてじゃなければ、あんな人たちだって知らなければ、今頃……何も考えずに、戦えてたのに」

 

 ヴォルケンリッターに襲われてからずっと、忙しさを理由に目をそらし続けてきた不満と不安が、ヴォルケンリッターの協力を取り付けられて余裕ができたせいで湧き出してくる。

 

「自分が何を考えてるのか、わからないんだ。頭の中じゃ、闇の書が解決したらそれで終わるべきだって思ってる。あの人たちを殺せたとしても、それじゃあはやてが悲しむ。それに、あの人たちだって……。でも、俺の気持ちは、あの人たちを――あいつらに、今すぐにでも報いを与えたくてたまらない。そんなことをしたらはやてがどうなるかなんて、わかってるのに」

「問題を混ぜて考えるから悩むのよ。まずは闇の書の問題が解決するまで我慢するのが辛いってことよね。それについてはこう考えたらどうかしら? あなたは今、復讐という料理を冷ましているの」

「……料理? 復讐が?」

「聞いたことない? 復讐という料理は冷めれば冷めるほどおいしいそうよ。だから、あなたは復讐をしないでいるんじゃないの。おいしく食べるために、我慢しているところなの。十分にお腹を空かせて、充分に冷えきってから、フォークを突き立てて、口に運んで、咀嚼して、飲み干すの。今はそのための準備期間」

 

 語りながら、クアットロはウィルの頭を撫でながら、赤髪に指を通し、指に巻いては離してを繰り返す。

 

「俺があの人たちを殺したら、はやては悲しむだろうな……」

「ええ、そうね。それがあなたを悩ませる二つ目の問題。あののほほんとした子を悲しませてまで、ヴォルケンリッターに復讐するかどうか。……でも、その答えは決まっているわよね。我慢なんてできないんでしょう? そんな思いを抱えたまま、平気な顔をして罪を犯した者がのうのうと暮らしていくのを眺めてなんていられないんでしょう?」

「…………ああ、そう……だな」

「なら、受け入れるしかないわよね。忘れないで。敵は復讐相手だけじゃなくて、あなたの復讐を邪魔しようとする相手も敵よ。容赦しては駄目」

 

 結論なんて最初から決まっていた。

 はやてが敵に回る――その未来を想像するだけで、胸が引き裂かれそうに苦しくて、もしかしたら自分が我慢するべきなのではないかと、そうできるだけの強さがあるのではないかと、思い込もうとしていただけだ。

 ウィルの前に広がる道はただ一本。

 

 同じように愛する家族を奪われたクロノとリンディは、どちらを選ぶのだろう。

 大切な家族を奪った闇の書とその尖兵のヴォルケンリッターを許さず、ウィルに協力してくれるだろうか。

 それとも、闇の書という根本を解決できれば、ヴォルケンリッターのことは見逃すのだろうか。

 もしそうだとすれば――

 

「もしかしたら管理局も……世界全部が敵になるかもしれない」

「そうなるかもしれないわね。管理局のことだから、何かと理由をつけて、あの子ごとヴォルケンリッターを取り込もうとするかもしれないわね」

 

 管理局が下した判断に逆らうなら、管理世界全てがウィルの邪魔をする敵になる。

 

 はやても、レジアスも、オーリスも、クロノも、エイミィも、リンディも、なのはやユーノだって、みんな、敵になる。

 これまで繋いできた絆が、人々の温かさが離れていくのが怖くて。

 ウィルは頭の下にある、触れ合う温もりにすがりつくように声をあげた。 

 

「なあ、クアットロ。もしも、世界全部が敵になっても、お前は俺の味方でいてくれるか?」

 

 クアットロは微笑を消すと、ウィルの髪から右手を離し、眼鏡と髪留めをそっと外す。

 意外と鋭い金色の双眸と、腰まで伸びる栗色の綺麗な長髪。

 眼鏡をしている最近のクアットロもかわいいと思うが、やっぱり初めて出会った時と同じ、こちらの方がウィルは好きだ。

 クアットロの顔が音もなく近づいてきて、瞳に映るウィルの姿すらわかるほどに近くなり。

 

 額に、温かで、柔らかな感触。

 一瞬触れて、すぐさま離れていった。

 

「私はあなたが復讐を諦めないことを望んでいるわ」

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