グレアムが通された研究室の中は、埋め込み型の照明が冷たい灯を放ち静謐な雰囲気を作り出していた。
部屋の中央で、椅子に腰掛けたスカリエッティが投影された無数のホロディスプレイを見ていたが、ウーノに案内されて入室してきたグレアムに気がつくと、全てのホロを消してゆっくりと腰を上げた。
肩まで伸ばした紫の髪に輝く金色の瞳。端正な顔に、にやにやとした笑み。名のある職人が仕立てたであろう上質のスーツの上に、無造作に白衣を羽織る。すべて、いつもと変わらない。
「きみ自身がわざわざ足を運んでくれるとはね」
「リーゼのことは信頼しているが、たまには自分の目で確認しないと不安でな。予定より少し早くついてしまったが、かまわないか?」
会話を交わしながら、部屋の隅に置かれた机を挟んで、互いに椅子に座る。
「問題ないよ。こちらも予定していた実験を半端なところで中断するはめになって、時間を持て余していたところだ」
「何か問題でも?」
「闇の書の通信領域にある破損データから、ヴォルケンリッターの記憶情報をサルベージしたんだ。それを使って少しね」
闇の書の中には膨大な破損データが存在する。
その大半は過去に蒐集した魔法や蒐集した対象の生体情報といった、転生のたびに消去されるデータの残りカスだ。
「ヴォルケンリッターは定期的に自らの記憶情報を闇の書へと送り、保存している。しかし莫大な記憶容量を持っているとはいえ、無限ではない。正しい手順で記録されたならいつまでも残しておきはしない。ということは――」
そこまで語ると、スカリエッティは言葉を切る。
彼は時々このよう間を取ることがある。自分が一方的に話すだけではなく、相手にも発言の機会を与えることで、教師のように思考を喚起させようとしている。
というわけでもなく、ただ自分だけが話し続けるのが嫌なだけのようだ。かといって、相手に一方的に話されるのも好きではないようで。
目立ちたがりで、寂しがり屋で、主導権を握りたがる。優れた知性を有している割に子供っぽい感性を見ていると、あのクアットロという少女をそのまま大きくさせたような男だと感じる。逆か。
「見つけた情報は正しく記録されなかった記憶。ヴォルケンリッターが経験していながらも憶えていない記憶。つまり闇の書が暴走した時の記憶である可能性が高い。そういうことか?」
「正解だよ。データは損傷が激しく、内容を読み取ることはできなかった。しかし元はヴォルケンリッターの記憶だ。彼ら自身にその記憶を読み取らせれば、断片的にでも中身がわかるのではないか。そう考えて実験を持ちかけてみた」
「ヴォルケンリッターにとって、危険ではないのか?」
元が自分たちの記憶だとはいえ、破損したデータを入れた結果どのような影響があるのかは未知数。
スカリエッティに悪意があるなら、恣意的に改竄されたデータを読み込むことで、人格や記憶を書き換えられてしまう危険すらあるのではないか。
そのような危険な実験をヴォルケンリッターが受けるだろうか。
「闇の書にプログラム体を構成するオリジナルデータがある以上、たとえ異常が発生したとしても容易に元の状態に復旧できる。そのことは彼ら自身が一番よく理解しているから、快く協力してくれたよ。ただ……」
スカリエッティは肩をすくめる。
「彼らは記憶を読み取ることができたし、データ的な異常も起きなかったが……プログラム体とはいえ彼らは人間の肉体機能を再現していることで、人間によく似た精神構造を持つに至った。蘇った記憶に強い情動を引き起こされることもある」
「思い出した内容にショックでも受けたか。暴走を間近で見た記憶が蘇れば、それも無理はない」
グレアムの言葉に、スカリエッティは上を向き。結果を見通せなかった自らの不明を恥じるように大きく息を吐いた。
「実験に参加してくれたのはシグナム君とヴィータ君、どちらも大きなショックを受けていたよ。記憶については日をまたいで落ち着いてから聞き出すつもりだ」
「賢明な判断だ。無理強いして信頼を失い、奴らに裏切られてしまっては元も子もない。記憶の内容に興味はあるが、ヴォルケンリッターの視点だからといって目新しい情報が手に入るとも限らない」
ウーノがティーセットを乗せた浮遊型ドローンを伴って部屋に入って来て、紅茶を注ぐと、再び退出した。
注がれた紅茶を飲んで一息つく。寒い中を歩いてきて冷えた体に、温かさが染みわたる。
「はやて君の体調はまだもつのか?」
本題に入る。今日訪れたのは、はやてがこのラボに滞在し始めてから半月ほど経過した今、現状を把握し、今後の予定について打ち合わせをするためだ。
スカリエッティはホロディスプレイを投影し、はやてのヴァイタルデータを表示する。しばらく専門用語混じりの説明が続いた後、
「要するに、容態は徐々に悪化し続けているということだよ。今はまだ安定しているが、はやて君のリンカーコアにかかる負荷は日に日に大きくなっている。このままだと近いうちにリンカーコアが耐え切れなくなり、強い痛みをともなう発作を引き起こす。そうなればリンカーコアの崩壊は一気に進行し、制御できなくなった魔力が肉体を破壊する」
と締めくくった。
「これ以上負荷を軽減することはできないのか」
「擬似的な魔力パスを形成して負荷を散らすのは簡単だし、すでにやっているよ。しかしやりすぎれば闇の書が主とのリンクが絶たれていると判断してしまう。現状が精一杯だ」
次元世界最高峰の科学者であっても時間稼ぎすら容易ではない。予想はしていたが、闇の書とはどこまでも厄介な存在だ。
「猶予はどれほど残されている?」
「私の見立てではリンカーコア崩壊の契機となる発作まで半月、生命活動の停止は最大限に手をつくしても発作から一月といったところかな」
「一月半……命を落とすまでヴォルケンリッターがおとなしくしているはずがない。実質、一月と見た方が良いか」
「その期限も、あくまでも何もなければだよ。精神的ストレスによって体内魔力が乱れるようなことがあれば猶予はさらに短くなる。最悪、即座に暴走を起こす可能性もね」
グレアムの脳裏に闇の書に侵食されるエスティアの光景がよぎる。はやての意識一つで、あの時と同じ事態が引き起こされかねない。
「はやて君のような幼い子にとって、生活環境が変わるだけでも相当にストレスがかかる。メンタルケアに問題はないか?」
「そちらは予定通りにウィルに任せている。苦しみながらも健気に頑張っているよ。それに、はやて君もなかなか面白い子だ。ヴォルケンリッターだけではなく、ウィルやクアットロも当人たちが思っているほど演技がうまいわけではない。仲の良いふりをしていても、ぎこちなさを隠し切れていない。彼女はそれを感じ取り、自分に不安を与えないようにふるまう周囲の配慮を理解して、何も気づいていないふりをしている。それどころか気づいてないと自分で自分を欺いている。役者の才能があるよ」
「……意外とよく人を見ているのだな。研究にしか興味がないのかと思っていた」
「人間関係のしがらみは煩わしいが、コミュニケーション自体は好ましいと感じているよ。さて、はやて君に残された一月という時間を考えれば、そろそろ私たちも方針を絞って動き始めなければならない。ここからは闇の書を滅ぼすための方策について話をしよう」
「夜天の書は単なる魔法の記録本だった」
紅茶を一口飲んで喉を潤してから、スカリエッティは語り始める。
「古代ベルカ後期は相次ぐ戦乱によって、国や文明が簡単に失われた時代だ。地域ごとに発達した多種多様な魔法技術が、国と共に永遠に失われてしまう。その損失を嘆いた者がいたのか、リンカーコアを通して魔導師が行使した魔法を読み取り記述する『収集機能』を持つ魔導書として夜天の書が作り出された。その他にも、主を守護するための騎士を作り出す『守護騎士機能』、魔法技術がなくメンテナンスを受けられない場所でも長期間の活動を可能とする『復元機能』、書と主を危機から逃すための次元間移動をおこなう『緊急脱出機能』など、様々な機能が実装されていた。単なる記録本にしてはオーバースペックだが、幾人もの王が覇を競い合う戦乱のベルカを巡るとなれば、このくらいは最低限必要だったのかもしれないね」
「戦乱の時代に様々な地域の魔法を集めて回るなど、諜報員と見なされて殺されてもおかしくない。十分な戦力と逃走手段は必須だろう。案外、本当に他国の魔法技術を諜報するために造り出されたのではないか?」
「それを求めた者はいただろうね。開発者がそれを望んでいたかは知る由もないが。一方、所有者ごと消滅して新たな主の元に現れる『転生機能』や、周囲の物質すら取り込んで己の構成物へと変化させる『無限増殖機能』のように、闇の書には夜天の書にない機能がいくつかある。夜天の書の機能を改変したと思われる部分も多いが、最も恐るべき転生機能については――」
スカリエッティはわざとらしく大げさに肩を落とす。
「詳細不明だ。なにせ、現段階で調べられる範疇では転生機能らしいものがどこにも見当たらない。しかしその他の機能に関しては、夜天の書は歴代の主による度重なる改変によって闇の書へと変化した、というきみの推測はおおむね当たっていたよ」
かつての自らの推測が正しいと告げられても、グレアムはすんなりと納得できなかった。
今のグレアムは、闇の書の全てを統括する管制人格の存在を知っているから。
「今の私はその考えには少々懐疑的だ。闇の書は主を変えるたびに蒐集した記録が消去されている。これでは集めた魔法を後世に残すことができない。管理者である管制人格が夜天の書の頃からいたのであれば、このような己の存在意義を揺るがす改変を看過するとは思えない」
「看過するしかないのさ。夜天の書にはなく、闇の書にある機能の一つ『防衛プログラム』のせいでね。巨大なセキュリティプログラムであるこいつは、なぜか管制人格の管理下にないんだ。夜天の書にもセキュリティプログラムがあったにも関わらず、管制人格から独立したプログラムとしてわざわざ新たに組み込まれた――何のためにそんなことをしたのだろうね?」
また出てきたこちらを試すような口調に、ため息一つ落として、答える。
「政に軍を付随させず、王権のもとに政権と兵権を分離するようなものだな。それを王がするとなれば、政の動きを牽制するため。防衛プログラムを組み込んだ主は、管制人格に干渉されるのを嫌がったのだろう」
「話が早い。私もきみ同様、防衛プログラムは外部からの干渉への対処だけではなく、内部からの干渉を封じるために後から追加されたのだと考えている。管制人格は異常なプログラムを修正しないのではなく、防衛プログラムに妨害されて修正ができなくなっているのさ」
グレアムは苦々しさに顔を歪める。
防衛プログラムの妨害によって管制人格が異常を修正できなくなっているにも関わらず、歴代の主たちは己の都合の良いように改変を続けていった。
主だけでは管理できないから管制人格という補佐を置いたのに、それを切り離してしまえばどうなるのかは火を見るより明らかだ。制止されるはずの危険な改変が看過され、簡単に修正できるはずのエラーが放置され、積み重なったバグがシステム全体を大きく狂わせた。
その成れの果てが闇の書なのかもしれない――と、しかしその想像は、スカリエッティの次の発言で否定された。
「ただ、管制人格を抑えるためだけに組み込まれたわけではないと、私は考えているんだ。解析を進めていくうちに、防衛プログラムが管理する領域に、隔離された何かがいる」
「隔離……ウイルスプログラムか?」
「おそらくはね。その領域は防衛プログラムの警戒が最も厳しくて、中を覗くことはできなかった。……ここからは単なる私の想像にすぎないが、ウイルスは夜天の書の管理者権限を奪うために送り込まれた刺客で、防衛プログラムはそれを隔離するために組み込まれたのではないだろうか」
「管制人格の干渉を妨害するためではなかったのか?」
「それも目的の一つには違いないよ。ただし管制人格を疎ましがったわけではなく、ウイルスの駆除が終わるまでの一時的な間、管制人格の権限を封じるだったのではないかな。当時の主は管制人格がウイルスに感染して、駆除を妨害してくるのを恐れた。そこでセキュリティに特化した防衛プログラムを組み込んで、主以外の者によるシステムへの干渉を排除し、自分の力だけで夜天の書を元に戻そうとした。しかしその途中で命を落としたのか、駆除が完了せずに、防衛プログラムもそのまま残ってしまった。ウイルスの駆除を引き継いでくれる者が主になってくれれば良かったのだが、その後の主たちは管制人格が干渉できないのを良いことに、自分にとって都合の良いようにシステムを改変し始めた。その結果が――」
「暴走か。……それが真相だとしたら、なんともやりきれない結末だな」
元凶は誰かと問うならば、防衛プログラムを追加した者こそがそれなのだろう。しかし本質はそこにない。スカリエッティの憶測が正しいとすれば、防衛プログラムを組み込んだ主にも悪意はなかったことになる。
現状を生み出したのは、その後に続く数多の主たちによる改変。そしてそれを成した歴代の主たちにも悪意はなかった。ただ無知で無謀で無関心な、想像力の欠如した愚かさが長い時間をかけて絡まり合って、その果てに闇の書という災厄が生まれた。
大勢の犠牲者を出し、世界を揺るがし続ける災厄が、誰も望んでないのに生み出されたのだとすれば、それはなんともやりきれない想像だった。
感傷的になるグレアムと対照的に、スカリエッティは淡々と話を続ける。
「では次に暴走についてだ。蒐集の完了がトリガーとなっている以上、暴走の原因は蒐集を終えた後に実行されるプロセスにある。管理者権限を得るためには蒐集を終えなければならないというヴォルケンリッターの証言もあるし、暴走の原因は管理者権限を取得するためのプロセスにあると考えるのが自然だね。この時に何が起こっているのかは、実際に観測してみるまではなんとも言えない」
「原因についての推測はないのか?」
「数多の改変が管理者権限の取得プロセスに歪みが生じ、それを検知した防衛プログラムが、ウイルスが主を装って管理者権限を取得しようとしていると判断した。もしくは、管理者権限を取得する瞬間を狙って、ウイルスが隔離領域から這い出て来る。このどちらかの可能性が高いと考えている」
「防衛プログラムはウイルスに対応しようとしてるだけで、それが我々には暴走しているように見えているだけということか? なら、なぜ周囲への破壊活動をおこなう?」
「攻撃ではなく、無限増殖機能による侵食が目的だとしたら? 闇の書はウイルスを抑えるために、周囲の物質を取り込んで自らの一部として演算能力を増加させようとしており、その過程で敵対的な存在を見つけたから攻撃していると考えることもできる」
「……苦しいな」
スカリエッティは苦笑する。
「だからあまり言いたくなかったのさ。情報が少なすぎるから、断定できることは限られているし、特に原因については妄想の域を出ない。これ以上を求めるなら防衛プログラム本体を調べる必要がある」
「危険だな」
「超危険だよ。今ははやて君のヴァイタルデータを使って、闇の書の各システムにアクセスしているけど、防衛プログラムに近づきすぎるとさすがにバレてしまうだろうね。もっともそれで暴走でも起こってくれれば、その過程を観測することで闇の書の全貌を解明することもできるのだけど。そうなれば
グレアムはゆっくりと首を横にふった。
「次もまたはやて君のような優しい子が主になるとは限らない。今回、奴らの信用を得るためとはいえ、管理局の対応を一部明かしてしまった。奴らは人形だが知恵をつける。次の主が蒐集を望めば、奴らはこれまで以上にうまく身を隠しながら蒐集を進めるだろう。今回で終わらせる。これは譲ることのできない最低条件だ」
「では、今回で終わらせるための建設的な話をするとしよう。闇の書を脅威をなくすためのプランはいくつかあるが、その中でも十分な見込みのあるプランは二つ」
スカリエッティは右手の指を二本立て、グレアムに示す。
「一つ目はきみが立案した凍結封印だ。魔力素だけではなく、あらゆる素粒子の振る舞いを停止させる完全凍結魔法によって、暴走してリソースを削られている闇の書を封印する。このプランは成功する見込みが高い代わりに、闇の書の主――八神はやて君の犠牲が必須だ。さらに凍結封印は内部からは粒子一つすら動かせない代わり、外部からの干渉があれば封印を破ることができる。封印後は厳重な管理を続ける必要がある」
「管理局が管理するロストロギアの中には、潜在的な危険度は闇の書に匹敵する物がある。闇の書といえど、凍結さえしてしまえばそれらと同じだ」
「たしかに、適切な管理をおこない続けることができれば、安全は保たれるだろうね。管理局にいつまでそれが可能か――いつまで存在していられるかは意見がわかれそうだが。それにこのプランは成功すれば良いが、もしも封印に失敗、もしくは封印が解かれて再び闇の書が活動を始めた場合、ヴォルケンリッターの助力は二度と得られなくなる」
ヴォルケンリッターは不信感を持ちながらも、はやての命を助けるためにグレアムと協力している。
その信頼を裏切れば、もはやヴォルケンリッターは主以外を信用しなくなる。
「それも承知の上だ。その上で、この案には実行するだけのメリットがあると考えている」
「聡明なはずのきみが、このことになるとやけに固執するね。そのあたりに君自身の歪みがありそうだが――」
「訳知り顔の精神分析は不愉快だ。それで、次の案は何だ?」
「私から提案できるプランは、防衛プログラムの破壊だ。防衛プログラムがなくなれば、管制人格が行動を阻害されることはなくなる。管制人格が自由に動けるようになれば、はやて君が管理者権限を持つ真の主になれる。管理者権限があれば、システムやノードの破棄がおこなえる。転生機能が闇の書のどこにあるのかわからなくても、動力源である中枢とその他のシステムの繋がりを断ち切れば同じことだ」
簡単だろう? という風のスカリエッティ。
語られたプランは、たしかにそれだけ聞けば簡単に思える。しかし、グレアムには実現不可能な絵に描いた餅にしか見えなかった。
「忘れたわけではあるまい。防衛プログラムを破壊しようとする過程で、転生システムが発動するのではないか? どうやって突破するつもりだ」
権限のない者が無理に改変や破壊を試みた場合、闇の書は主を飲み込んで転生を起こす。これは過去の管理局がすでに実証している。
「かつての管理局の失敗は、外部から改変を試みたことだよ。外部から不正なアクセスを受けても、空間的、時間的に距離を取れば逃れることができる。だから闇の書は転生機能の使用をためらわない。しかし内部からならどうなる?」
闇の書は転生すると蒐集した魔力と魔導式こそ初期化されるが、それ以外の各システムの情報は更新されたままだ。
何より、先ほどから聞いたばかりではないか。闇の書の中にはずっと昔からウイルスが存在していると。
「内部に原因が残っている状態で転生してしまえば、転生後にまで原因がついてくるのか」
「そうさ。そのような事態を避けるために、即座に転生するのではなく、まずは原因の排除を試みる。駆除なり隔離なりをしないままに転生してしまえば、転生直後の機能が低下している状態を襲われてしまうからね。個人的にはそれを狙うのも面白そうだと思うが」
「闇の書に新たなウイルスを送り込むのか。しかし、防衛プログラムを破壊するだけのプログラムを用意できるのか?」
「一年時間をくれるなら、地上本部や本局のメインシステムをダウンさせる攻性プログラムだって用意してみせるよ」
軽口めいた言葉には真実の響きがあり、やはりこの男は野放しにしてはならないとひそかに決意を固めた。
「しかし一ヶ月で用意できる物では、おそらく防衛プログラムに届かない。差を覆すためには、闇の書の演算能力を削るための援護がいる」
スカリエッティは新たに左手の指を三本立てて示す。
「必要な援護は三つ。まずは状況」
立てた三本の指の内、一本を折り曲げる。
「このプランは闇の書を暴走させた状態で実行する。暴走時の防衛プログラムが最も優先して対処しなければならない問題は、暴走の原因――管理者権限移譲のエラーだ。暴走中なら、我々の干渉に割くリソースは大きく減少する」
続けて、二本目の指を折る。
「次に別働隊による支援が必要だ。暴走する闇の書に外部の魔導師が攻撃を加えることで、迎撃にリソースを割かせる。闇の書にとって単に破壊されるだけなら転生機能で復活できるが、その場合は――」
「内側から攻撃を仕掛けている攻性プログラムをかかえたまま転生してしまう。だから必ず外部からの攻撃の迎撃にも相応のリソースを裂く。……理由は理解したが難しいな」
闇の書相手では、時間稼ぎは破壊以上に難しい。
破壊なら、アルカンシェルなどの兵器や、高ランク魔導師による一斉攻撃をおこなえばいい。しかしこちらの目的は演算能力を削ることであり、破壊して転生機能が発動しては作戦は失敗だ。
求められているのは、闇の書を破壊することなく長時間にわたって攻め続けること。一撃一撃がオーバーSの攻撃を放つ闇の書に対しての長期戦となれば、犠牲は免れない。
そして、スカリエッティは最後に残った指を折り曲げる。
「三つ目は攻性プログラムと共に内部で戦う仲間だ。闇の書には『アブソーブ』という魔導プログラムが搭載されている。融合騎が主の肉体を保護するために用いる魔導式だが、主以外の人間にも用いることができる。これを利用して闇の書の内部に魔導師を送り込む。魔導師はアブソーブで保護された肉体から魔力を引き出して、内部の魔導回路を破壊。より直接的に闇の書の演算能力を低下させる」
暴走の原因の排除。外部からの攻撃の迎撃。破壊される内部システムの修復とその原因の駆除。
これだけのことに同時に対処するとなれば、いくら闇の書でも手が足りなくなる。そうなれば、こちらの仕掛けた攻性プログラムにも勝機はある。
「破壊に成功したその後は?」
「防衛プログラムがなくなれば、管制人格が自由になりはやて君が管理者権限を取得できるようになる。突入チームは管理者権限を得たはやて君の力を借りて現実へと帰還。同時に、管理者権限で中枢以外の全ての領域を破棄し、動力源から切り離す。もしも破棄した部分が停止せずに自立稼働するようであれば、残った戦力で協力して破壊。手に負えない場合も考慮して、この作戦は無人世界でおこない、アルカンシェルなど破壊手段を用意しておくべきだ――詰めなければならないところは多々あるが、これが私が提案するプランの概要だ」
スカリエッティのプランが成功すれば、闇の書の脅威は完全に取り除かれる。
主を死なせない方法なので、ヴォルケンリッターの協力を得やすく、主を生かすために最善を尽くすこのプランであれば、失敗してもヴォルケンリッターからの信頼を損なわずにすむ可能性も高い。
だが、それらのメリットを上回るデメリットも存在する。
「自由になった管制人格がこちらに協力してくれるかが問題だな」
「そこはヴォルケンリッターの言葉を信じるしかないさ」
「それに局員の犠牲が免れない」
「相当に運が良ければ犠牲を出さずにすむが、望み薄だね」
最も危険なのは、暴走する闇の書を相手にする迎撃チームだ。
突入チームと攻性プログラムがすぐに防衛プログラムを破壊できれば良いが、長引けばそれだけ危険度は上がる。
九十九パーセント回避できる攻撃でも、試行回数が百を超えれば、回避し続けられる確率は四割を切る。そして闇の書の攻撃を一撃でもくらえば無事ではすまない。十人中五人は死ぬ――というのは、楽観的すぎる見方か。
一人が落ちれば残された者にかかる負担が増える。万全なら九十九パーセント回避できる攻撃でも、仲間が落ちるたびに八十、七十と確率が下がる。試行回数が百を超える頃には、おそらく誰も残っていない可能性も。
――それがどうした
管理局の局員、特に戦闘を生業とする者にとっては、命をかけることこそが本分。無辜の民間人を一人助けるためなら、百人の局員の犠牲も厭わない。それこそが次元世界に安寧と平穏をもたらす時空管理局の局員としての矜持だ。
管理局の局員なら取るべき行動は決まっている。
――だからどうした
グレアムの胸に去来するのは仲間を失った者たちが見せる悔恨と絶望。
家族を奪われた者たち、夫を失ったリンディの悲しみ、父を奪われたクロノの怒り。
管理局として取るべき行動は決まっていて、グレアムはすでに管理局の理想に背をそむけている。
「犠牲は少ない方が良い。闇の書は凍結封印する。少女一人の犠牲ですむのなら安いものだ」
罪のない子どもを殺す――その意味を自らに認識させるために、あえて酷薄な言い回しをとる。
その残酷な宣言を、スカリエッティは「そうか」といつもと同じ様子で受け、皮肉げにゆがめた唇で吐き捨てる。
「ギル・グレアム、きみは管理局の体現者だ」
「何を言っている。私は管理局の理想に背を向けた、ただの背信者だ」
スカリエッティの顔から笑みが消えた。
いつも浮かべていた微笑と薄笑いの間の子のようなものが消えうせた顔には、ひどい陰性が刻まれていた。笑みを浮かべていてなお強い印象を持っていた金色の瞳は、今や視線を合わせた者が動けなくなりかねないほどの圧迫感を放っている。
「これはなんとも……あまりに滑稽で、あまりに哀れすぎる」
言葉とは裏腹に、スカリエッティの眼光は対面の相手を刺し殺すような鋭さがあった。
「同情など欲しては――」
視線に負けじとグレアムが口を開いたその時、宙空にホロ・ディスプレイが出現した。
『お話中申し訳ありません。外部から通信が――』
映しだされたウーノは夕食の準備をしている途中だったのか、エプロンをつけていたが、スカリエッティの顔を見た途端に言葉を失った。
「どうした、ウーノ」
『いえ、何でもありません』
「何でもないという様子ではないよ。言ってみなさい」
わずかな逡巡の後、ウーノは意を決したように言葉を続けた。
『その……ドクターのお顔が』
「私の顔が?」
『……怖いです』
スカリエッティは自らの顔を両の手のひらでぺたぺたと触ったかと思うと、指先で自らの頬を押し上げて再び笑みを形作る。
「ああ! なんてことだ! グレアム君があまりに無反応だから、全然気が付かなかったじゃないか! 笑顔は円滑なコミュニケーションと信頼を築くために必要だからね。……それでウーノ。何か急な要件でも入ったかな?」
『はい。
報告しながら、ウーノは一瞬グレアムに視線をやる。
「では、私はしばらく席を外すとしよう」
グレアムは視線の意図を汲んで立ち上がる。
ラボに直接通信してくるほどだ。その人物はスカリエッティと密接なつながりがあると考えて間違いない。単なる依頼者どころか、支援者の可能性すらある。
スカリエッティにとって知られるのは困る相手で、自分の同席を許すはずがない。
そう思っていたのに、
「その必要はない。きみの姿は映らないようにするから、ここにいれば良い」
驚き、立ち上がりかけた姿勢のまま固まる。
スカリエッティはいたずらを思いついた子どものような笑みを浮かべていた。
「ウーノ、こちらに通信をまわしてくれ」
『……わかりました』
ウーノもさすがに躊躇していた様子だったが、結局は逆らうことなく従う。
いいのか? と問う前に、通信用のホロディスプレイが新たに投影される。
『遅い! 急いでいると言っただろう!』
通信がつながると同時に、叱咤の声が飛ぶ。映し出されたのは管理局の将官服に身を包む中年の男。
その顔に見覚えがあって、グレアムは思わず声をあげそうになった。
現在の所属は本局査察部。次期首席査察官を有力視されており、かつては捜査官としてグレアムの部下であった時期もある男だ。
「きみが直接私に連絡をとってくるなんて珍しい。管理部の件ならいつも通りやってくれればかまわないよ?」
『今回は違う要件だ。グレアム提督は今、お前のところにいるか?』
「ああ、闇の書について先ほどまで話をしていたところだよ」
『では本局に帰らせるな。これから無限書庫に査察が入る』
「無限書庫というと、リーゼロッテ君とリーゼアリア君が表向き配属されているところだったか。それは普通の査察ではないのかい?」
『この忙しい時期にあんな窓際を査察する理由などあるものか。しかも査察に関して読心系の稀少技能の使用許可が下りている』
読心系の稀少技能は、人権を侵害するとして多くの国家で使用に制限がつけられており、管理局でも緊急性を要する事案以外での使用は禁じられている。
読心で得た情報はあくまでも能力者の主観でしかなく、言い換えれば、能力者の勘違いや虚偽の報告の可能性があるため、得られた情報に証拠能力は認められず、裁判では用いられない。
とはいえ、その情報は捜査をすすめていく上での重要な参考意見として扱われる。
犯行の記憶だけでは証拠にならなくても、記憶を手がかりに物証を見つければいいのだから。
「読心系の
『おそらくハラオウンとロウランの差金だ。奴らは闇の書の一件にグレアム提督が関わっているのを見抜いたのだ。この査察でグレアム提督の懐刀であるリーゼ姉妹を抑え、読心で彼女たちから情報を聞き出すつもりに違いない』
「なるほど、さすが管理局だ。頭の回る者が多い」
『私が動くと足がつく。お前にはリーゼロッテとリーゼアリアの両名を急いで書庫から連れ出してもらいたい』
「わかった。彼女たちのことはドゥーエにお願いするとしよう。ところで、グレアム君にはどのように説明すればいいと思う?」
『……事が終われば我らのこともお伝えする予定とはいえ、この段階で知られるのは好ましくない。お前が独自に管理局に探りを入れていたことにしろ。いいな』
通信が切れる。ホロが消え、痛いほどの静寂が戻った中。
「そんな風に伝えたら、私がグレアム君に怒られるじゃないか。ねぇ?」
グレアムに向けられたスカリエッティの顔には、亀裂のような笑みが浮かんでいた。