復讐の炎がこの身を焼き尽くす前に   作:上光

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薄氷の割れる音Ⅱ

 雲ひとつない空。遮られることのない太陽の光が、原初の荒々しさを残すむき出しの岩肌に照り付ける。

 この地域一帯には連日豪雨が続く雨季が存在する。大量の雨水は地表の土を流出させ、もろい地層を浸食し、急峻な峡谷と侵食に耐えた幾つもの岩の柱がそそり立つ、悪地と呼ばれるユニークな地形を形成する。

 雨季を終えたばかりのこの時期に雨が降る。降り注ぐのは色とりどりの光の雨。その一つ一つが、式で編まれた魔力の弾丸――魔力弾だ。

 

 空には制服と装甲に身を包んだ者が二十ほど。時空管理局の武装隊。彼らは統率のとれた動きで、下方へと魔力弾を次々と斉射し続けている。

 地上はといえば、岩柱が立ち並ぶ間を魔力弾を避けながら駆け抜ける狼にも似た動物と、その背に腰掛けて上空へと視線をやる女の姿。

 蒐集に出ていたヴォルケンリッター、ザフィーラとシャマルの二人組だ。

 

 地球を離れてからの一月、彼らはラボを拠点に非公式の転送ポートや自前の次元間転送を用いて次元を移動し、複数の次元世界で蒐集をおこなっていた。

 次元世界で最大規模の組織である管理局といえど戦力には限りがある。それどころか、管理世界の広さに比べて人員が足りておらず、定置プロープ等、各次元世界に設置された観測機器が収取する情報に頼っているところも大きい。

 それらの観測機器の設置場所や対策本部の動向は、グレアムという内通者によってヴォルケンリッターへと筒抜けになっている。

 相手の手の内さえわかれば、いくらでも裏をかくことはできる。情報という武器を手にしたヴォルケンリッターは、管理局の部隊との遭遇を避けつつ蒐集を続け、それは今日も同様になる――はずだったのに。

 

 

 魔力弾の集中砲火をザフィーラは体の向きはそのままに横っ跳びで回避。

 続けて着地を狙った射撃を、わずかに飛行魔法を発動させて着地位置をずらすことで回避する。獣のしなやかな脚は着地の衝撃を瞬時に吸収し、ほとんど速度を低下させることなく疾走へと戻る。

 

 降ってきた魔力弾の一つがザフィーラの直前で弾け、複数の小型魔力弾となって広範囲に散らばる。その全てを回避するのは至難の業だ。

 が、背に乗るシャマルが手をかかげると、弾丸の軌道に対して鋭角に現れた浅緑のシールドが小型魔力弾を左右へと受け流した。

 

 進行方向で範囲魔法が炸裂し、広がる光が二人の姿を飲み込まんと迫る。

 二人の全身を浅緑の多面体――シャマルのバリア型防御魔法が囲む。同時にザフィーラはさらに強く地を蹴って加速する。速度を上げることで接触時間を最低限にし、防御魔法が壊れる前に範囲魔法の中を強引に突っ切った。

 

 降り注ぐ弾丸は雨。此処彼処で炸裂する魔力は華。

 僧服の美女を背に乗せた蒼白の狼が、縦横無尽に駆けぬける。その光景は幻想的な絵画のようであり、しかし焦りをにじませる彼らの表情は幻想的とはほど遠い。

 

「奴らとの距離は?」

「あまり開いてないわ」

 

 ザフィーラの問いに、シャマルが答える。

 

 立ち並ぶ岩柱の間などの遮蔽物の多い所を選んで走っているため、武装隊はこちらに狙いをつけることも、接近することも困難になっている。

 だが遮蔽物になる物が多いところを走る以上、走行ルートは自然と複雑で無駄の多いものになる。一方、武装隊は空を飛んで一直線に追いかけている。

 結果、両者は付かず離れずの距離を保ったまま追いかけっこを続けていた。

 

「やはり足を止めて戦うべきではないか?」

「ダメよ。この波長……近くに船があるわ。半端に戦って消耗したら、前回の二の舞になりかねないわ」

 

 襲撃を受けた瞬間から、シャマルは周辺を走査する波――レーダーを知覚している。強力なレーダーは次元空間航行艦船が近辺にある証。

 船があれば、重傷を負った隊員を呼び戻して治療することも、劣勢に陥った場合に撤退して態勢を立て直すこともできる。そのような相手と正面から戦うのは得策とはいえない。

 

「逃げ切る算段はあるのか?」

 

 ザフィーラの問いに、シャマルはうなずいた。

 八神家を拠点にしていた時とは異なり、管理局の捜査動向や、各次元世界の地形、生息動物の分布など、様々なデータをもとに、クアットロやリーゼアリアと相談して蒐集の計画をたてている。不測の事態も想定ずみだ。

 

「この先の渓谷に地下坑道への入り口があるの。そこに逃げ込めば、あの人たちも容易には追ってこれないはずよ」

 

 この地域には旧暦の頃に鉱山資源を採取するために拓かれた鉱山の跡が残っている。内部は非常に複雑になっており、含有される特殊な鉱石の影響で各種レーダーも阻害される。

 逃げ込んだ者の居場所を突き止めるのは至難。仮に見つかったとしても、狭い坑道での集団戦闘は困難で各個撃破は容易だ。

 

 

 と、その時追いかけていた武装隊の一人が空中に静止してデバイスを構えた。

 先端に大量の魔力が集い始める。砲撃魔法の準備だ。

 数秒のチャージを経て放たれた魔力の奔流は、空を裂いて奔り、ザフィーラたちの前方にある巨大な岩柱を真中から貫いた。

 

 崩れ始める岩柱を見て、シャマルは砲撃の意図に気がついた。

 ザフィーラたちの進行方向には多くの岩柱が立ち並んで、幅が狭くなっている箇所がある。壊された岩柱はちょうどそこを潰すように落下を始めていた。。

 周囲の地形を把握し、こちらの進路と速度を見極め、狙った方向に適切なタイミングで落下するように砲撃の威力と角度を計算する。並大抵の技量ではない。見た目は他の武装局員と同じに見えるが、月村邸で戦った黒衣の少年のようにエースと呼ばれる類の上級魔導師なのだろう。

 

 岩柱が落下を始めると同時に、武装隊の近接魔道士たちが一気にザフィーラたち目掛けて降下する。

 岩を避けようと飛行魔法で上昇、もしくは横に迂回しようものなら、追撃する武装隊に距離を詰められて包囲されてしまう。かといって、このまま走っても岩が落下するまでに通過するのは厳しい。

 

 ならば、一瞬でも岩の落下を遅らせればいい。

 

「まっすぐ! 全力で走って!」

 

 ザフィーラはシャマルの指示に疑問を呈することなく、即座に限界まで速度を上げて、疾風となって最短経路を行く。

 直線的な動きになったザフィーラに襲いかかる攻撃をシールドで防ぎながら、シャマルは周囲の地形に視線をはしらせる。さらに、岩の大きさと速度から落下エネルギーを概算し、シールドと並行して魔法を発動させる。

 

 落下する岩と周囲の石柱が薄緑の(バインド)で繋がれる。

 

 岩の落下が一瞬止まり、その隙にザフィーラは岩の下方に滑りこむ。

 鎖で繋がれた周囲の石柱がにぶい音を立てて壊れ、動きを緩めていた岩が再び落下を始めるが、その時にはすでにザフィーラとシャマルは岩の下をくぐり抜けていた。

 直後、背後で岩が地面に激突し、轟音を響かせて地面を揺らした。

 

 連鎖的に崩れた石柱は、岩で進行を防がれるだろうザフィーラたちに近接戦をしかけようと追撃をかけていた武装隊員たちに襲いかかりつつ、次々に地面に激突。

 砕けた岩片が周囲に飛び散り、衝撃で砂煙が高く巻き上げられ、嵐となって周囲に広がる。

 下降していた近接魔導師は、降り注ぐ石に襲われ、上空の魔導師も砂煙で視界は不明瞭。

 どちらも追撃どころではない。

 

 地下坑道まで逃げ込むまでもない、今こそ絶好の逃亡チャンス。

 二人は近くの岩影に入ると、即座に次元間転移を発動した。

 

 

 グレアムから提供された捜査情報によれば、この世界の周辺を管理局の艦船が哨戒する予定はなかったはず。

 おさまりかけていたグレアムへの疑念を抱きながら、想定外の襲撃のことを報告するために、二人は蒐集を切り上げてスカリエッティのラボへと帰還することにした。

 

 

 

 

 時空管理局本局の片隅にある、巨大図書施設『無限書庫』

 

 その書庫エリアは大部分が意図的に無重力に保たれている。

 飛行魔法訓練を受けたことがある者は無重力環境下での感覚を掴みやすいが、経験のない者が慣れるには時間がかかり、とても効率の良い環境とはいえない。

 しかし無限書庫にはまるで巨人が使っていたのかと思えるほど、建築物としては異常ともいえる高さを持つ部屋が多い。中には部屋の形が球状で、三百六十度前後左右上下全ての壁が書架になっているという冗談のような部屋も存在している。

 現文明において不合理な構造を補うために別の不自由を許容する。他文明の産物を利用する時にはよくあることだ。

 

 そんな書庫エリアの一室に、リーゼアリアはいた。

 

 部屋は大型ホテルロビーの吹き抜けほどの大きさで、四方の壁は扉になっている部分を除けばすべて本で埋め尽くされている。

 部屋の中ごろでは十数冊の本が円を描くように浮遊していて、触れてもいないのにひとりでにページがめくられていく。

 それらの本の配置が描く円軌道の中心で、リーゼアリアは目を閉じながら浮遊している。

 閉じた瞳は何も写しはしない。しかし脳内には周囲の書物に記されたいくつもの文字がたしかに乱舞している。

 

 読書魔法という、書物を目に頼ることなく読む魔法がある。

 

 魔法で擬似的な感覚端末を作り出して離れた場所の映像や音を認識するサーチャー生成は、多くの魔導師が使える初歩的な魔法だ。

 読書魔法はサーチャーと原理は同じだが、送信する情報量が大きく異なる。

 本を読むために必要なテキストや図の情報のみを抜き出し、受信する情報を極力削ることで行使者への負担を少なくして、より多くの情報処理を可能とするのが読書魔法。

 

 読書魔法で十を超える本を同時に読むリーゼアリアの、使われていない聴覚が、扉の開く音をとらえた。

 続けて「入るよ」と聞き慣れた声。

 

「もうすぐ終わるから少し待ってて」

 

 音のした方向に声をかけつつ、本を読み続ける。

 二分ほどたって全ての本を読み終えてから、ようやくリーゼアリアは目を開く。

 視界には宙に浮かぶ本。そしてそのそばに浮かぶ自分とよく似た姿の少女――リーゼアリアにとっての姉妹ともいえる存在、リーゼロッテだった。

 

「頑張ってるわね。感心感心」

「あなたもここの職員なのだから少しは手伝って」

 

 リーゼロッテとリーゼアリアは、かれこれ五年近く無限書庫の職員として働いている。

 

 無限書庫は一説にはベルカ以前より存在していたといわれ、様々な稀少な情報が収められている可能性がある類を見ない書庫だ。

 しかしながら、管理用ユニットが失われ、保管データの具象化アルゴリズムに介入できなくなった現在、保管された膨大な情報を整理するには実体化した本を手動で整理するという極めて面倒で前時代的な作業をしなければならない。

 実体としての本が稀少になり、多くの図書施設が本をデータとして管理しているこの御時世。整理のために、その前時代的手法になれた司書を数十人。図書施設として稼働させるとなれば、必要となる人数はさらに増える。

 たしかに無限書庫には様々な稀少な情報が収められている()()()がある。しかし現実的に必要なのは稀少な情報ではなく必要な情報。無限書庫を稼働させるに足るだけの司書を必要とする部署は他に多く存在する。

 

 そのあまりに悪いコストパフォーマンスの他にも様々な要因が重なって、無限書庫は稼働状態を保つには値しないと判断され、現在は施設の保全管理と一部の情報の入力のみがおこなわれる閑職となっている。

 年に数回、稀少な歴史的史料を求めた学者や、闇の書のようなロストロギアに関する情報を求めた者がやって来て、少しだけ忙しくなる時はある。

 しかし、無限書庫の職員だけで求められたものを見つけることなどできない。やって来る者たちもそれを承知で自前で調査団を用意しているのが通例で、職員の大半は配架などの単純な補助作業をするだけだ。

 

 このように業務がほとんどない無限書庫の職員は、闇の書の主――八神はやての監視や、闇の書への対策を進めるためのカモフラージュにうってつけだった。

 リーゼ姉妹のような優秀な職員を閑職に回すという本来ならありえない人事も、主のグレアムが闇の書事件の解決に失敗し、顧問官に配属されるという実質上の左遷をうけた後とあっては、不審に思う者も少なかった。

 

 リーゼアリアはもともと空戦魔導師だったので、無重力環境下での作業は苦にならなかった。闇の書に関係する資料がないかと自発的に調査していたおかげで、使いなれなかった読書魔法にもずいぶんと慣れた。

 数少ない業務をきちんとこなしていく内に、気づけば周囲から頼られ始め、今では十名程度しかいない職員の中心として、ほとんど名義のみである書庫長の代わりに業務を取り仕切るようになった。

 

 一方、同時に無限書庫に配属されたリーゼロッテといえば、

 

「いやだよ。私、読書魔法は苦手なんだから」

 

 相変わらずのこの調子だ。

 リーゼロッテは書庫の業務をリーゼアリアに任せて、はやての監視に出向く方を好んでいた。

 この一月ばかりも、闇の書に関する資料を探しに来た調査団の手伝いはリーゼアリアに任せ、スカリエッティのラボに赴くことが多かった。

 姿の似ている自分たち姉妹だが、得意な魔法、好きな食べもの、男の趣味、中身はまったく違う。

 

「それならユーノが持ち込んだ魔法を使ってみればいいのに。とても使いやすいから、ロッテでもきっと大丈夫よ」

「ええっと、オリジナルの読書魔法だったっけ?」

「読書魔法を中心に、翻訳魔法と検索魔法を組み合わせたものね。インストールしておいて損はないわよ」

 

 ユーノ・スクライア。クロノの推薦で調査チームに加わった、十歳にも満たない少年。

 彼が持ち込んだ翻訳魔法は、既成品ではなくスクライア一族のオリジナルだった。

 遺跡発掘を生業とできるだけの専門性を持ち、古代文化への造詣も深い。そのような一族が年月をかけて改良してきた古代文明専門の翻訳魔法、さらにそれが組み込まれたスクライア式検索魔法の存在は、古代ベルカに関する文献の調査において大きな助けとなった。

 

 スクライア式の魔法を取り入れた調査団は想像を遥かに超える速度で調査を進め、つい先日、闇の書に関する文献を発見した。

 もっとも、彼らが発見したデータはかつてグレアムが数年に及ぶ独自の調査で発見し、次に闇の書が目覚めた時に調査隊が見つけられるようにと、職員であるリーゼアリアたちを通して密かに書庫へと収めておいたものだが。

 ともあれ、その情報を届けるために、ユーノが無限書庫を離れてアースラに赴いたのが一昨日のこと。残りの調査員はさらなる手がかりを求めて、今も調査を続けている。

 

「そう言われてもね。どうせ闇の書のことが解決したら、私たちがここで働くこともなくなるんだし」

「……そうね。闇の書はここで私たちが終わらせる。管理局の手をわずらわせることもなく」

「頑張っているみんなには悪い気がするわ。覚悟していたクロノとリンディはもちろんだけど、エイミィたち捜査員。それどころか嘱託のフェイト、民間協力者のなのはまで、闇の書が相手でもみんな怖気づかずに必死に取り組んでいるのに」

 

 リーゼロッテは一人一人の顔を思い返すかのように名前を挙げていき、最後に大きなため息をつく。

 

「まったく……ビビって及び腰のお偉方にも見習わせたいよ」

 

 吐き捨てるようなリーゼロッテの罵倒に、リーゼアリアは眉をひそめた。

 

 闇の書事件のことを知る高官の大半は、どのようにして闇の書を抑えるかではなく、失敗した時の後始末に頭を使っている。

 暴走前に止められれば良し。次に繋がる何かが発見されれば上出来。今回だけで闇の書事件が解決できると信じている者は皆無に等しい。

 おかげで捜査に口を出されることも少なく、捜査司令であるリンディが自由に動けるというメリットもあるのだが、だからといって必死に現場で立ち向かう者たちにとっては腹ただしいことだろう。

 

 それでもリーゼアリアは彼らを悪しざまに罵る気分にはなれなかった。

 

「たしかに上層部の消極的な対応は感心できないけれど、あの人たちだってエスティアのことさえなければ違っていたはずよ」

 

 正義感にあふれる者ばかりではないにせよ、高い地位にある者は己の責務を理解しているものだ。リーゼアリアは現場を優先させていたリーゼロッテと違い、将官となったグレアムの秘書官として、高官たちと立ち会う機会も多かったから知っている。

 管理局が闇の書の対処にのりだしてから百五十年以上、たいした成果もあがらず、ただ失敗を繰り返し続けてきたという事実が、使命感や責任感を塗りつぶすほどの強烈な苦手意識となり、諦めにも似た空気が管理局上層部に蔓延している。

 

 その傾向がより強くなったのは、他ならぬ十一年前の闇の書事件が失敗に終わってからだ。

 当時、グレアムは伝説の三提督に継ぐ次代の英雄として管理世界中に名をはせていた。そんなグレアムに失敗する可能性の高い対闇の書の指揮をとらせたのは、上層部にとっての最後の賭けにも近かった。

 グレアムは築き上げてきた名声と人脈を最大限に利用して各次元世界の捜査機関に根回しをおこない、各次元世界の部隊と密に連携して迅速に避難を完了させ、ヴォルケンリッターの動きを予測して網を張り、最後には己の身をも囮としてヴォルケンリッターと相対。戦いの果てに彼らを打ち破り、逃走するところを巧みな用兵と追撃で各個撃破。闇の書の回収とその主の拘束に成功した。

 だからこそ、その成功全てを無に帰したエスティアの件は関係者を落胆させた。輝かんばかりの栄光に満ちたグレアムの経歴と、期待を遥かに超える鮮やかな手腕も、闇の書の前では絶望を彩る淡い光でしかなかった。

 管理局の上層部にいる面子の多くは、十一年前の失敗を、その落胆と無力感を記憶している。そして、英雄とまで呼ばれたグレアムが、その失敗がもとで顧問官という閑職に落ちる様も。

 

 上層部の消極的な態度が正しいわけではない。だが、その根本にあるのは自分たちの失敗だ。

 その事実を横に置いて彼らを責めるなど許されるだろうか。

 

「アリアは父様が悪いって言いたいの?」

 

 物思いにふけっていたリーゼアリアの意識を、リーゼロッテの声が引き戻す。

 苛立ちを隠そうともしないその声に、リーゼアリアの心に冷たい何かが生まれる。

 その何かに突き動かされ、きっとこれを口にするとリーゼロッテは怒るだろうとわかっていながら、

 

「誰が原因か……悪かったのかといえば、父様以外にはいないでしょうね」

 

 リーゼアリアもまた吐き捨てるように言った。

 一瞬の静寂の後、予想通りリーゼロッテは爆発した。

 

「バカじゃないの! アリアだって父様がどれだけ苦しんできたのか感じてきただろ! それなのによくそんなことが言えるね!」

 

 リーゼロッテの言葉は比喩ではない。使い魔は主従間の魔力パスを通して、主の心を感じることができる。

 感情が伝わらないように主の側で意識して遮断することはできるが、魔力パスが開かれている以上、何かの拍子に漏れるのを完全に防ぐことはできない。

 この十一年間をグレアムがどれほどの絶望と後悔を抱えて生き続けてきたのか、彼女たちは誰よりもよく知っている。

 その事実が、リーゼアリアの心にささくれのような瑕を生む。

 

「負うべき責任を同情で否定するのは、責任を背負った者への侮辱。父様は苦しみながらも責任を背負った。同情するのはお門違いなのよ」

「そんなことを言ってるんじゃない!」

 

 リーゼロッテの怒りはさらに激しく燃え盛る。激情は体内の魔力を激しく巡らせ、その流れは無意識に大気中の魔力素を揺さぶる。リーゼロッテの周囲は陽炎のように歪み、まるで怒気が可視化されたようだ。

 その怒りを感じるほどに、リーゼアリアの心は一層冷え込んでいく。

 

「私たちは局員である前に、父様の使い魔で、ずっと一緒にやってきたパートナーじゃないか! だから私たちだけでも――」

「相談してももらえない私たちのどこがパートナーよ」

 

 口をついて出た言葉は氷のようで、怒りを爆発させていたリーゼロッテがおもわず黙りこむほどに冷たかった。

 重苦しい沈黙が部屋に充満して、何秒たったのか。

 

「ねえ、アリア。それ、本気で言ってるの?」

 

 問う声は震えていて、そこに先程までの怒りはどこにもない。

 罪悪感が刺激される。謝ればいい。売り言葉に買い言葉で口をついて出た言葉にすぎないのだから。

 

「ええ。そう思ってる私がいるのは事実よ」

 

 リーゼアリアの心はごまかすことをよしとしなかった。

 口に出したのは衝動的であっても、その言葉はずっとリーゼアリアの内側で育まれてきた淀みだ。

 

「父様は私たちなら何も言わなくてもわかってくれると信じてたから……」

「わかってるわよ。きっとロッテの言う通りで、父様のことを信じられない私が弱いだけなのでしょうね。でも、どうしても思ってしまうのよ。あれだけ苦しんでいるのなら、せめて私たちにくらい頼ってほしかったのに。思ったことはない? もしかしたら私たちは父様に信用されてないんじゃないかって」

「……アリアはずっとそう思ってたんだね?」

 

 押し黙るリーゼアリアに、リーゼロッテは潤んだ瞳で睨みながら、声をあげる。

 

「私はそんな風に思ったことはなかった。……でも、今は同じ気持ちだよ。アリアこそ不安なら私に相談してくれても良かったじゃない。そんな風に思ってたのに気づけなくて……これじゃ私、バカじゃないの」

 

 虚をつかれたようにきょとんとリーゼロッテをながめ、やがてリーゼアリアは吹き出した。

 

「バカは私よ。自分ができてないことを父様に押し付けて心の中で責めて…………ほんとに、どうしようもないバカだわ」

 

 自分の救いがたい愚かさに気がついて、もう笑うしかない。

 

 使い魔は主の感情を感じることができる。だが、魔力が主から使い魔へと流れる以上、逆はない。

 相手の気持ちがわかるから、自分たちは繋がっているのだと思い込んでいた。自分がこんなに心配してるのに、何も言わないグレアムに不満と不安を覚えて、繋がりすら嘘だったのではないかと怯えてしまった。

 それが勘違いだったのだ。最初から誰も繋がってなどいない。立場や血縁、ましてや主従の魔力パスなんかで人と人は結びつかない。

 長年一緒にいれば相手のことが手に取るようにわかるようになるというが、そんなのは相手の行動パターンから傾向を見出した結果にすぎない。エスティアの時のような手酷い挫折を味わうのは、グレアムもリーゼたちも初めての経験だ。

 初めてはわからない。だから態度で、言葉で、表現する必要があったのに。

 

 笑い声にいつしか嗚咽が混じる。

 何も言わないのが賢いのだと気取って、不満を内に溜め込んで、勝手に疎外感を覚えて、いったい自分は十年間何をしてきたのだろう。

 

 背に手が回され引き寄せられる。久しぶりに触れ合うリーゼロッテの手と胸は暖かかった。

 そういえば、昔はよく二人とも猫の姿になって身を寄せあって寝ていた。いつからしなくなったのだろう。

 

「私たち、似た者同士だね」

 

 自分たち姉妹は、案外中身はまったく違うのに。

 

「バカなところだけ似てるなんて、そんなの嬉しくないわ」

 

 もしかしたら、自分たちが知らないだけで、グレアムにも馬鹿なところはあるのだろうか。

 

 

 ぱん、と。

 手を打つ音が書庫に響いた。

 

「仲が良いのは素晴らしいですわね」

 

 下方から声が聞こえる。

 いつの間にそこにいたのか。扉の前に少女が立っていた。

 

 少女から女として花開くその途中、両方の美しさを併せ持つその顔には、傲慢とさえ感じるほどの強い自負が浮かんでいる。まるであの狂科学者のような。

 

「ですがここはもうじき騒がしくなります。その前に少し場所をかえませんか?」

「あなたは誰?」

 

 睨みつけながら、リーゼロッテが問う。

 少女の顔に見覚えはない。つまり書庫の職員でも調査団の一員でもない。

 主任であるリーゼアリアが何の連絡も受けていないということは、正規の手段で入って来たわけではない。

 

「ああ、申し遅れました」

 

 秘書官がするような丁寧な礼をして、女は艶然と微笑んだ。

 

「ナンバーズ二番、ドゥーエと申します」

 

 

 

 

 

「では、二人とも無事に本局を離れたのだね」

『ええ、いつもの裏口を使いましたから足取りをたどられる心配はありませんわ。あとは彼女たちがヘマをしなければ無事にラボに到着するでしょう』

 

 グレアムとスカリエッティの前に、通信用のホロ・ディスプレイが投影されている。通信画面には何も表示されておらず、通信相手の姿はわからない。

 音声として聞こえてくるのは若い女性の声。蠱惑的な艶を含んだ、自信に満ちた声。

 

「そうか。迷惑をかけたね」

『まったくです。あの裏口は使いやすくてお気に入りだったのに。彼女たちに知られたらもう使えなくなってしまいます』

「そこまで警戒しなくても良いんじゃないか? 別にきみだけが使っているわけでもなし」

『ドクターはご自分の警戒心のなさを自覚された方が良いです』

 

 通信が切れると、スカリエッティはグレアムに向きなおり、肩をすくめた。

 

「名前くらいは聞いているかもしれないが、今のが二番目の戦闘機人ドゥーエだ。なかなか自由奔放な子で手を焼かされることも多い」

「管理局に潜入しているという子か」

「管理局だけではないがね。さて、聞いての通りリーゼ姉妹はこちらに向かっているし、管理局の捜査部隊もラボの詳細な位置までは突き止めてはいないようだ。決して安心はできないが、差し迫った危機というほどでもない」

 

 本局には公になっている転送ターミナルの他にも、要人の移動や公にできない業務をおこなう時に用いられる、裏口と呼ばれる小さな転送ポートがいくつもある。グレアムもそのうちの何個かを知っており、リーゼ姉妹が地球に行き来する時に利用していた。

 それらを使って脱出すれば話は早いのだが、グレアムが知る範疇の転送ポートには網がはられている恐れがあるため、ドゥーエの知る別の転送ポートから脱出させることになった。

 不安はあったが、先ほどの通信を聞いた限りは二人とも無事に本局から出ることができたようだ。

 

 ドゥーエから連絡が来るまでの間、スカリエッティが周辺の航路観測所のデータを盗み見たところ、この世界の周辺海域に艦船がいる可能性があると判明した。

 おそらくは、いつからかグレアムやリーゼ姉妹の行動は監視されており、尾行されてもいたのだろう。

 足がついた場合を想定して、ここに来るまでのルートは複数用意してある。公式非公式の転送ポートを織り交ぜ、わざと複数の国の転送ポートを利用している。数度の尾行程度で目的地を突き止められることはない。

 それでも繰り返せばある程度場所は絞られる。蒐集の分布や外出時間など、いくつかの情報をまとめれば、この周辺海域に拠点があると当たりをつけることは可能だ。

 

 しかしそれ以上を突き止めることができなかったため、査察部に借りを作ることになってでも、無限書庫に査察を入れてリーゼ姉妹の身柄を抑え、記憶を探ろうとしたのだろう――というのが、グレアムとスカリエッティの共通見解だ。

 

「リーゼ姉妹と蒐集に出ているシャマル君とザフィーラ君が戻ってきたら、他のラボに引っ越した方が良さそうだ。それまでしばらくこのラボでくつろぐといいよ。私はその間、引っ越しの準備を進めておこう」

「その前に、お前を問い詰める時間はあるか?」

 

 リーゼ姉妹の無事を確認できても、グレアムの心はまったく落ち着かなかった。

 彼の心を占めるのは、先ほどスカリエッティと通信をしていたかつての部下の――今の管理局高官の姿。

 

「かまわないが、それがきみにとって不幸でないことを願うよ」

 

 グレアムの余裕のなさを見透かすように、スカリエッティは楽しそうにほほ笑んだ。

 

 

 

 

 

 日課の訓練後、シャワールームから出てきたウィルを出迎えたのは、腕を組み通路の壁に背中を預けて立っているシグナムだった。

 

「シグナムさん?」

 

 声をかけると、シグナムはびくりと肩を震わせて、床に落としていた視線をのろのろと上げる。ウィルと視線を合わせるまでに一秒。唇をわずかに開いて、すぐにきゅっと結ばれる。桜色の唇も心なし青ざめて見える。

 シグナムは闇の書の暴走を聞かされた時でさえ、気丈な態度を崩さなかった。そんな彼女らしからぬ姿に、不安が募る。

 

「どうしてここに?」

「貴方を待っていた」

 

 疑問への返答は不安を解消してはくれなかった。

 はやてに何かがあったのなら、もっと血相を変えているはずだし、悠長にウィルがシャワーから出てくるのを待ちはしない。

 

 だが、緊急性のない要件にしてはシグナムの様子がおかしい。

 スカリエッティが実験中に、何かを不審を抱かせるような言動をしたのだろうか。それで同じくラボに残っているヴィータをはやてにつけて、一人でウィルに相談をしに来たか。

 ありえない話ではないが、その場合は最大戦力であるシグナムがはやてにつき、ヴィータが相談に来るのではないか。もしくは、蒐集に出ているザフィーラとシャマルが戻って来るのを待ってから動く方が安全に思える。

 疑惑に固まるウィルに、シグナムは続けて言葉をかける。

 

「これから時間はあるだろうか」

「ええ、夕食までは何も予定はありませんが」

「そうか」

 

 シグナムの目には覚悟を決めた者の、悲壮な決意がこめられていた。

 

「では、少し付き合ってほしい。貴方に伝えることが――伝えなければならないことがある」

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