復讐の炎がこの身を焼き尽くす前に   作:上光

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私の正義

 机を挟んで対峙しつつ、グレアムが口火を切る。先ほどの件について質問――いや詰問するために。

 

「彼は昔から厳格で正義感が強かった。同僚とはたびたび軋轢を生んでいたが、それは自他ともに厳しすぎることの裏返しだった。そんな彼がお前のような犯罪者に加担しているなど、今でも信じられない」

「きみが言えたことかい?」

 

 からかいの言葉には刺すような視線を返し、続ける。

 

「たしかに私も彼の全てを知っているわけではない。彼がお前と繋がっていた理由はこの際置いておこう。問題なのは、どうして彼は私とお前の繋がりを知っていたのかだ。管理局に属する私と犯罪者であるお前の協力関係は、お互いに約束を守り、相手の立場を尊重することで成り立っていた。この件に関しても納得のいく説明をしてもらえるものと信じている」

 

 納得できなければこの場で協力関係を破棄して叩きのめすと、言外にそう含ませながら睨む。

 冗談でも脅しでもない。信頼関係を裏切った相手に何の制裁も加えないほどお人好しではない。

 

「さて、何から話そうか」

 

 スカリエッティはわざとらしく視線を泳がせ、考えている素振りを見せ、

 

「とりあえず、私が逆らえない立場にあるというところから話そうか」

「主導権を握っているのは彼の方で、お前は逆らえずに私と闇の書のことを話すしかなかったと?」

「一つ訂正するなら、彼ではなく彼らだ」

 

 その言葉の意味するところは、管理局にスカリエッティに協力する者が複数存在し、彼ら同士も互いに連絡を取り合う派閥や集団のようなものを形成しているということ。

 スカリエッティの告白をそのまま信じるわけではないが、その内容はかねてよりグレアムが抱いていた危惧と一致していた。

 

 きっかけはグレアムとスカリエッティを引きあわせた青年、ウィリアム・カルマンの存在だ。

 

 地上本部の重鎮を養親に持ち、本人もれっきとした士官としての経歴を持つ彼が、スカリエッティという大物犯罪者と繋がりを持っていたのはなぜか。

 局員としての経歴を調べても、スカリエッティと繋がるような事件に関わりがあったわけではない。保有する能力は変換資質くらいで、スカリエッティに目をつけられるような稀少技能や遺伝的特徴を持っているわけではない。学術的な分野で特筆すべき業績をあげたわけでも、画期的な論文を発表したわけでもない。

 本人ではないのなら、その周辺。交友関係に原因があるはず。ウィルとスカリエッティの間には、それなりの年月を積み重ねた気安さが感じられた。誰かがスカリエッティにウィルを紹介したのだとすれば、その人物は当然スカリエッティ以上にウィルとの付き合いが長い人物だ。

 その条件で真っ先に挙がった人物は、彼の保護者であるレジアス・ゲイズ少将だった。

 

 次に、治療を終えたウィルと接触しに来たクアットロとセインの存在が、管理局にゲイズ少将以外にもスカリエッティの協力者がいる可能性を高めた。

 

 発信機によってウィルの位置が判明しており、センサーに感知されない迷彩と、壁を通過できる技能を持っていたとしても、それだけでウィルのところにたどり着けるものだろうか。

 本局は迷路のように複雑な構造をしている。ゴールの方向が示されていたとしても、そこにたどりつくための道のりが見つからなければ意味はない。

 セインの壁を通り抜けるISがあれば、簡単にたどり着けるように思えるが、エリアによっては高圧電流や高濃度の未生成魔力が流れたり、真空状態になっている箇所もあるのだ。特にISも魔法の一種である以上、魔力の干渉を受ける環境は好ましくないはずで、不用意に壁を抜けるのは危険だ。

 クアットロのセンサーに感知されない迷彩も非常に強力だが、実体がなくなるわけではない。主要なセンサーはあらかた欺けるようだが、その性質は幻術魔法と同質のようだ。ならば、本局をうろつく何時間もの間、各種センサーを欺瞞し続ける幻術を展開し続けられるだろうか。

 

 彼女たちがウィルのところにたどり着けたのは、内部情報を入手していたか、内部から手引した者がいたのではないか。

 捕まえた時にその件について問いただしたところ、管理局にはドゥーエという戦闘機人が潜入しており彼女から一部区画の内部構造に関する情報を得たのだと、セインの方があっさりと白状した。

 

 それで疑問が解消されたわけではない。むしろ、連鎖的に次の疑惑が浮かんでくる。

 

 ドゥーエはどのようにして潜入しているのか。

 管理局に潜入するだけなら簡単だ。戸籍でも偽造して、試験を受ければ良い。本局でも末端の職員程度ならそれで十分。入局する全ての職員は身元や前科を調べられるが、なにせ管理局は次元世界随一の巨大組織だ。全ての職員に綿密な調査をしていられない。

 だが、末端の職員程度で得られる情報などたかが知れている。わざわざ虎の子の戦闘機人をたいしたことのない部署に潜入させるはずがない。

 重要な情報に触れられるポジションにつけるには、管理局の高官の協力が必要だ。また、局員に対する定期的な検診を戦闘機人が乗り切ろうとすれば、その部署の上官の理解を必要とするだろう。

 

 その協力者はゲイズ少将ではない。地上本部と本局は折り合いが悪い。地上本部のゲイズ少将が誰にも知られずに本局の人事に干渉できたとは思えない。

 順当に人事方面か、もしくは外部協力者を引き入れることもある情報部や技術開発あたりの高官が関わっているのだろうと、見当をつけていた。

 

 ただ予想外だったのは、スカリエッティの方が主導権を握っていないということだ。

 かつての部下もゲイズ少将も、どちらも非常に生真面目と厳格で知られた人物。いくら優秀とはいえスカリエッティのような男と好んで内通するとは思えない。

 きっとスカリエッティの方から脅しをかけていたのだと思っていたのだが。

 

「ところで、こう見えて私には夢があるんだ。生命を理解したいという夢が」

 

 さらなる核心に話を進めようとした矢先。唐突な話題の転換に苛立ちを覚える。

 

「自分語りがしたいなら檻の中で捜査官を相手にするのをおすすめする。きっと喜んで聞き、調書にまとめてくれるだろう」

「そう急かないでくれ。私と彼らの関係を語るうえで、外すことのできない話なんだ」

 

 その顔は相変わらず笑みを浮かべていたが、瞳にはこれまでと違う奇妙な熱が宿っていた。それは喜怒哀楽のようにわかりやすく表層的ではなく、様々な感情が複雑に絡みあい織りなされている。

 それが何であるのか見極めることができれば、スカリエッティという男の底を見ることができるかもしれない。それはなんとも抗いがたい誘惑だった。

 

「……わかった。続けろ」

「では、お言葉に甘えて――夢は人生を彩る上でとても大切だ。夢があるから、人は努力できるし、苦難にも耐えることができる。しかし、自分の才能に合った夢を持てる者は少ない。類まれな身体能力を持ちながらも学問を志す者がいれば、膨大な魔力を持ちながらも後方任務につく者もいる。珍しい稀少技能を有しながら使わずに一生を終える者。古代ベルカでは、優秀な王となるべく造られた者が統治を嫌がり国内を混乱させたこともあったそうだ。夢は時に才能を無駄にさせてしまうんだ」

「それは人間が自由意志を与えられた以上、受け入れなければいけないことだ。惜しいからといって、生き方を強いるわけにいくまい」

「……全ての人間が、きみのように考えられるなら良かったのだろうね」

 

 スカリエッティは眩しいものを見る時のように目を細め、そのまま目を閉じて語り続ける。

 

「旧暦の頃、生まれつきある種の情動……()()を持った人間を作り出す計画があった。遺伝子操作によって造り出されたデザイナー・チャイルドに、数多の世界、数多の時代の膨大な知識を流し込む。そして優れた素質と植えつけた知識を最大限に活用させる人間にするために、生まれる前から意志を捻じ曲げる。科学の追求、生命の究明、その見果てぬ夢に邁進することこそが自分の望みで幸福なのだと。決して尽きない欲望の望むがままに歩みを止めることなく」

 

 漏れる言葉には熱がある。普段の彼からはまったく想像もできない。切実な、魂に絡みついた熱さが。

 

「プロジェクトD――DESIREの実験体の一人、プログレスデザイアというコードを与えられ、最後まで生き残りアンリミテッドを冠された成功体。未知という闇を駆逐する理性の光となるために造り出された存在。……それが私だ」

 

 スカリエッティが指先を動かすと、周囲に二十ほどのホロディスプレイが投影された。

 映る物は様々。石盤、魔導書、装飾品、遺伝子地図、宝石、家具、武器。どれ一つとして同じものはなく、また全てが現代の管理世界とは異なる様式、技術、美的感覚に基づいて作られていた。

 それが何であるのか理解した瞬間、グレアムは驚愕で言葉を失った。

 

「これはそんな私が、求められるがままに解析してきたロストロギアのデータ、そのほんの一部だ。どれも見覚えがあるだろう?」

 

 ライブラリアンレポート、天命の書、完全性球体、天彗児、ギンヌンガガップの雫、怨王の断頭台、貫きの樹。どれもグレアムがかつて回収に関わり、管理局の古代遺物管理部が保管しているはずのロストロギアだ。

 

「それから、これは最近私が解析を依頼された物だ。これも知っているんじゃないかな?」

 

 スカリエッティが指をわずかに動かすと、研究室の片隅に置かれていた小箱が彼の手元へと引き寄せられ、静かに机の中心へと降りる。

 中に収められていたのは、種のような形をした小さな石だった。

 

 それが何なのかはすぐに理解した。実物を見たことはなかったが、資料でその形状と特性は知っている。

 

 ジュエルシード――PT事件の焦点となったこのロストロギアは、単独でも大規模な次元震を発生さえ、複数個揃えば次元断層を生み出すことすら可能な極めて危険な代物だ。アースラが本局に持ち帰った後は古代遺物管理部によって厳重に保管されている。

 数個が解析のために技術部に貸し出されていると聞いていたが、そのうちの一つをスカリエッティが持っているのはなぜだ。

 

 ロストロギアを扱う部署は、物が物だけに情報部や査察部並に情報の保秘が徹底されている。そのような場所から情報一つでも盗み出すのは至難の業だ。

 様々なロストロギアのデータについては、本局に忍び込んだセインとクアットロ、情報機器への高度なアクセスを可能とするウーノ、潜入しているドゥーエ、彼女たちをうまく使えば、管理局に見つかることなく数々のロストロギアのデータを抜き出してくることも不可能ではないのかもしれない。

 それでも今目の前にあるジュエルシードのように、現物を盗み出して来るとなれば話は別だ。半年前に危うく一つの世界を崩壊させかけたほどの代物が一つでもなくなったとなれば大騒ぎになる。

 このジュエルシードは技術部に正式に貸し出されたうちの一つであり、スカリエッティに通じる技術部の高官が解析のために横流ししたのだろう。当然、紛失すれば大事になるので、あくまでもスカリエッティに解析してもらうために、一時的に。

 

 ――本当にそうなのか?

 

 ミッドチルダにおける首都防衛部隊の指揮権限を持つゲイズ少将。管理局の各部署に目を光らせる査察部の次期トップを嘱望される査察官。ドゥーエを潜入させるための手引ができる高官。そしてジュエルシードほどのロストロギアを貸し出すための偽装工作おこなえる立場にいる技術部高官。

 スカリエッティの協力者はどれも管理局の中枢を担うような人材ばかり。

 

「まさか、時空管理局がそのような非人道的な研究をおこなっていたと言うつもりか!?」

 

 彼の話をつなげれば、その結論にたどり着くのは自然だった。

 時空管理局こそがスカリエッティを造り出した組織である。スカリエッティもまた形は異なっていても管理局の一員であり、だからこそ管理局の高官たちはスカリエッティに対して主導権を握れるのだと。

 スカリエッティは優秀な生徒を称えるように、その顔に微笑を湛えながら、その最悪の想像を肯定する。

 

「寝物語によく聞かされたよ。人類には余裕がないのだとね。ベルカの崩壊は、周囲の次元世界に大きな混乱をもたらした。しかしわずかに残った諸王が消えていき、民衆の主導する国家が形成されてからが、本当の戦乱の始まりだった。ベルカにおける王とは絶対の権力者にして、国家の有する最強の兵器でもあった。最強の兵器を生み出す王家には、国家の保有するあらゆる技術が結集していた。その王と王家を――彼らの保有する技術を失った国家は、退行を余儀なくされた。皆一律に退行できたわけではない。その度合は国によって異なる。そこで始まったのは経済戦争以前の、技術と政治構造の差による争い――侵略だ」

 

 退行したということはこれまで当たり前だったものを保てなくなる、使えなくなるということ。

 今さら電気のない生活に戻れるか? 今さら魔法のない生活に戻れるか?

 

 答えは否だ。

 

 失われたものを補填しようと、あるいは不満のはけ口として、戦争は起こる。

 

「一方が侵略するだけならまだ良かった。けれど、当時の次元世界にはベルカ崩壊で多くのロストロギアや質量兵器が散逸していた。かつては厳重に管理されていた質量兵器を個人が手にして、侵略する側を一夜にして壊滅させたこともあった。できたばかりの時空管理局が国家間の軍事バランスをとり、戦争への抑止力となるだけの力を有するためには、戦乱をさらなる混乱に導きかねないロストロギアと質量兵器を回収して封印するだけではなく、自らの力へと変えるための解析が必要だった。そのために私は造り出された。かつて時空管理局の中枢であり、今もなお影響を与え続ける者たち――最高評議会の手によって」

 

 グレアムの頭を占めたのは、驚愕よりも困惑だった。

 聞き覚えのある名称だが、新暦以降に入局したグレアムにとっては歴史の中の存在だ。

 

「最高評議会は、失くなったはずでは……」

 

 『最高評議会』――時空管理局を創設した初期メンバーによる、管理局黎明期の最高意志決定機関の名称だ。

 肥大化し体制の改革を余儀なくされた管理局が、大改革の果てに現在の体制に落ち着いた時期――すなわち旧暦から新暦へとなった時に、巨大組織となった管理局にとって少数の評議員による意思決定は不適当であること、管理局創設に関わる初期評議員の大半が亡くなっていたことを理由に解散された。

 現在の管理局の意思決定機関は黎明期の管理局を支えた最高評議会に敬意を示し、単に評議会という名称で呼ばれている。

 

「彼らは亡くなってなどいなかった。それだけのことさ。私は今も彼らという(スポンサー)の要請を受けて研究をしている。きみから見れば勝手気ままに生きているように見えるのだろうけど、これでなかなか窮屈な生活でね。目を盗んで勝手なことをする時もあるけれど、それも限度がある。第一級のロストロギアである闇の書の存在と、違法行為に手を染める管理局高官。これを報告しなければ、後で大目玉をくらってしまう――ということで、彼らがきみのことを知っていたことは許してはもらえないだろうか」

 

 冗談めかして言っているが、たしかにこれほどの重大事項を隠していたとなれば、叛意ありとして処分されかねない。

 

「……わからん。お前の言葉がどこまで真実なのか。判断の材料が足りない」

 

 言葉とは裏腹に、グレアムはスカリエッティの発言を否定することができなかった。

 このラボを見た時に考えたはずだ。このように設備の整った研究施設を複数維持するには、組織的な支援が必要だと。

 

「仮に真実であったとして、最高評議会は闇の書をどうするつもりなのだ」

「心配いらない。彼らはきみの行動を評価し、容認する方針で意見が一致している。ただし表立ってきみを支援すると捜査関係者に自分たちの存在が知られかねないので、代わりに私にでき得る限りきみの力になるように厳命してね。だからきみが私を警戒する必要なんて、本当はどこにもないのさ。きみを裏切ろうものなら、こうだ」

 

 と言って、スカリエッティは手刀を自らの首に当てる。

 

「では、いずれ伝えるとはどういうことだ。」

「ああ、彼が先ほどの通信で言ってたことかい?」

「そうだ。彼はいずれ私に教えるつもりだが、今知られるのはまずいと言っていた。最高評議会のことを私に教える必要などないはずだ」

「それは簡単だよ。彼らはきみが晴れて闇の書の駆逐に成功した暁には、きみを最高評議会の一員として迎え入れるつもりでいるみたいだからね。その時に伝えるつもりだったんだろう」

 

 その言葉に、瞬時に頭に血がのぼる。

 

「私がそんな誘いにのると思っているのか!」

「彼らは思っているようだよ。世界のために罪のない少女の死を許容する――多数のために少数の犠牲を許容できるきみは、自分たちと志を同じくする者に違いないとね」

 

 スカリエッティの顔には、再び亀裂のような笑み――嘲笑が浮かんでいた。

 

 

 

 

 白々とした光に照らされるラボの通路が、ひどく暗く感じられる。一歩を踏み出すたびに、泥濘にとらわれた足を引き抜くような疲労を覚える。

 鉛のような身体とは対照的に、グレアムの胸のうちにはやり場のない憤りが渦巻いていた。

 

 スカリエッティは管理局主導の人体実験は旧暦に限ったことであり、今はもうおこなわれていないと言った。

 だが、そのようにして造り出されたスカリエッティが、戦闘機人をはじめとする人体実験をおこなっており、最高評議会がそれを看過しているならば同じことだ。

 

 もしも彼の言葉が真実なら、グレアムが信じてきた管理局の正義とはなんだったのか。

 

 スカリエッティの語った内容は荒唐無稽で、とても信じられないはずなのに、論理とは別のところで奇妙な真実味があった。

 

 グレアムも管理局が完全無欠の善であるなどと思っていたわけではない。半世紀の間に様々な暗部を見てきた。個人どころか部署ぐるみの汚職を目にしたこともある。組織としてどれだけ綺麗なお題目を掲げていても、実際に動くのは個人であり、末端になれば不正も起こる。

 だが、管理局の意思決定機関である評議会は、人体で言えば心に相当すると言っても過言ではない。その中でも管理局の創設者たちが所属していた最高評議会が暗部そのものという事実は、管理局に所属する者すべてへの裏切りだと――これまで管理局の一員として生きてきた己の人生を否定されたように感じられた。

 

(カルマン君なら何か知っているかもしれない)

 

 彼がどれだけ事情を知らされているのかはわからないが、このまま頭の中だけで真偽に悩み続けるよりも建設的に思えた。

 ウィルの姿を求めて、グレアムは重い足をひきずりながら、ラボの中を歩く。

 

 

 訪れた談話室にはウィルの姿はなく、代わりに二人の少女が談笑していた。

 

 浮遊する椅子に座った、茶色の柔らかな髪に、優しげな目の少女、八神はやて。

 左右で編んで垂らした赤い髪に、つり目がちな碧眼、ヴィータ。

 

 二人の少女は入ってきたグレアムに同じように驚き、対照的な反応を見せた。

 

「こんにちは、グレアムおじさん。来てたんですね」

 

 驚きを喜びに変え、笑顔でグレアムへと寄るはやて。

 一方、ヴィータは渋面を浮かべ、警戒と手に持ったうさぎのぬいぐるみを抱きながらグレアムを見ていた。

 

「ああ、こんにちは。あまり会いに来れずにすまない」

 

 そばに来たはやての頭にそっと手をおき、ゆっくりとなでる。

 掌に収まりそうな小さな頭は、グレアムの手より暖かで、彼女がまだ小さな子供なのだとはっきりと理解する。

 初めは嬉しそうになでられていたはやてだったが、グレアムの顔を見ると途端に眉をよせ、顔を曇らせる。

 

「おじさん、身体どこか悪いんですか?」

「何を……いや、少し疲れているから、そのせいかもしれないな」

 

 顧問官としての業務をこなしながら、闇の書事件のオブザーバーとして活動しつつ、裏では独自にスカリエッティたちと接触。体力の衰えたこの肉体には負担が大きいのは事実だ。

 しかし、この程度の疲れはいつものこと。

 蓄積する肉体的疲労は精神でカバーできる。これまでずっとそうやってきた。

 だというのに、今はなぜだか身体がうまく動かない。

 

「仕事で少し困ったことがあってね。先ほどからずっとそのことを考えていたのだよ。せっかくきみと会える機会だというのに心配をかけて申し訳ない」

 

 心配そうに見上げるはやてを安心させるために笑みを浮かべようとしても、表情筋が固まって、ぎこちない笑みしか作れない。

 

「ところでカルマン君がどこにいるのか知らないだろうか」ごまかすように話題を変える。 「仕事のことで話があるのだが」

「ウィルさんですか? この時間やったら……訓練してるか部屋に戻ってお仕事やと思いますけど。最近流行りのテレワーク、とかで」

「では、少し歩きまわって探してみるとしよう」

 

 礼を言って立ち去ろうとすると、はやてに袖を引っ張られる。

 

「待ってください。私が代わりに探して来ます。おじさんはウィルさんの部屋の場所、知らないでしょ?」

「気持ちはありがたいが、これは私の用事だ。それにきみは病気を治療しに来ている身だ。いくらなんでも病人の手を借りるわけにはいかない」

「今のグレアムおじさん、私よりずっと体調悪そうに見えます」

「しかしだね――」

「大丈夫です。ジェイル先生がこれ用意してくれたから、どこに行くのも楽ちんなんです」

 

 はやては自らが乗る機械をなでる。

 このラボで時折見かける作業用ドローンに座るための窪みを取り付けただけに見えるそれが、今のはやてにとっての車椅子代わり。思考制御式なのか、操作パネルのようなものはどこにも見当たらない。

 たしかにあちこち移動したところで疲れることはなさそうだ。

 

「私が探してくる間、おじさんはここで休んでてください。疲れてる時に無理したらあきません」

 

 はやては子どもに注意する母親のようにグレアムに釘をさし、ドローンに乗って部屋から出ていった。

 強引にも思えるその態度はグレアムを休ませるための、やさしさの表れなのだろう。

 PT事件の時も、怪我をしているウィルを家に引っ張っていって治療したと聞く。

 

 八神はやてとはそういうやさしい子なのだ。

 そんな子を自分は犠牲にしようとしていた。

 それどころか、今もまだ場合によっては彼女の犠牲もやむなしと考えている。

 

 管理局はグレアムの信頼を裏切ったかもしれない。

 だが、大勢のため世界のためと、罪のない子供の命を切り捨てようとした自分はどうだ。

 スカリエッティが語った事実であれ虚構であれ、そこで語られたおぞましき最高評議会とグレアムは同類ではないのか。

 

 平穏のためなら、どれだけ堕してもかまわないと考えていた。

 それなのに、いざ堕した己と同じような姿を見せられて衝撃を受けるということは、心のどこかでは今でもまだ正義の味方でいたつもりだったのだ。

 己のおこないは最善でこそないが、現状で取り得る行動の中では最も正しい次善で、誰かが引き受けなければならない汚名を自らかぶりにいくのだと、過ちを正当化していたのだ。

 偽悪者のふりをする偽善者の姿は、あまりに醜い。

 

 道理で身体がうまく動かないはずだ。

 蓄積する肉体的疲労は精神でカバーできる。これまでずっとそうやってきた。

 その精神が崩れてしまったのだから。

 

 胸の奥にあった何かがぷつりと切れる感覚を最後に、身体にまとわりつく鉛のような重さが消失する。もう重くない。軽くもない。身体中の感覚が消失して、足裏の地面さえわからない。

 

 視界が傾く。自分が倒れかけているのだと気づいたが、身体に力が入らない。そのまま傾きは増して白色の床が急速に近づいて――途中で止められた。

 倒れかけた体を支えたのは自分の足ではなく、赤い髪の少女。ヴォルケンリッターの一人、ヴィータだった。

 

「……いつの間に」

「年寄りの相手は慣れたからな。急にふらふらしだすから、よく見とかないとダメなんだ」

 

 言いながら、ヴィータはグレアムの腰のあたりに手をやって支えながら、近くのソファへと連れて行き座らせる。

 そして自分は近くの椅子に座り、グレアムの顔をじっと見る。

 

「何かあったのか?」

「はやて君だけではなく、お前にまで心配されるとはな。そんなに今の私はいつもと違うか」

「倒れかけといていつもと違うかも何もあるかよ。……びっくりするぐらいひでー顔してる」

「……そういうお前もずいぶんとひどい顔をしているな」

 

 近くで見るヴィータは、心が弱った者の顔をしていた。スカリエッティの言ってた実験の影響だろうか。

 

「……マジか?」

「こんな状態の私が気づく程度にはな」

「そっか。もしかして、はやてにも心配かけちゃってたのかな」

 

 ヴィータはうさぎの人形を強く抱きしめ、顔をうずめた。

 

 重苦しい沈黙を破ったのは、グレアムの方だった。

 思考は固まる前のコンクリートのように粘性が高く、うまく形にならない。

 ただ思ったことをぽつりぽつりと語り始める。

 

「私はな……これまでずっと管理局の一員として生きてきた。自分の仕事は少しでも世界を良くする、価値のあることだと信じていた。だが、それが信じられなくなってしまった」

「なんだ、お前もかよ。あたしだってそうだ。蒐集も、闇の書も、何も信じられなくなっちまった」

「教えてくれ。お前はどうして戦える。どうやって立ち直った」

「立ち直れてなんかない。……最初はさ、蒐集さえ終わって闇の書が完成したら、はやては助かって、みんな元通りになるんだと思ってた。だから嫌でも戦えてた。でも……もうそんなこと言ってられる段階じゃないんだろ?」

 

 答えを返せないグレアムに、ヴィータはさらに続ける。

 

「あたしたちがはやてといたことも、はやてが闇の書の主だってことも管理局にばれた。もう海鳴で、今まで通りにみんな一緒で暮らすのなんて無理なんだろ?」

「……そうだな」

 

 たとえスカリエッティの研究がうまくいき、闇の書が何の犠牲もなく解決したとしても、はやてが闇の書と関係をもっていることはすでに管理局にばれている。

 はやて自身が罪を問われることはない。事件ははやてを中心に動いてこそいるが、彼女自身は何も知らず、犯行には一切関わっていない。

 その事実が明らかになるまでは監視が続くが、闇の書の危険がなくなったと判明し、ヴォルケンリッターが自らの意思で襲撃をおこなっていたとわかれば、はやて自身はまた自由に暮らせるようになる。

 

 しかし、自らの意思で襲撃をおこなったヴォルケンリッターが許されることはない。プログラム体である彼らは、既存の法の範疇では人間ではなく傀儡兵や人工知能のような無機物と同様に扱われる。

 そして、人に危害を加えたモノへの対応の中で最も確率が高いのは、廃棄――すなわち消滅だ。

 

 これまで通りの日常が戻ることはもはやありえない。

 

「それがわかった時、もう戦うのが嫌になった。だけど、やめるのはもっと嫌だったんだ。だって、やらないとはやてが死んじゃうから。闇の書のことも自分のことも信じられなくても、はやてがくれた幸せな時間だけは確かだから」

 

 横顔には子供らしい顔つきには不似合いな悲壮な決意が刻まれていた。

 

「その結果、自分たちが滅ぶことになってもか」

「ああ」

「滅ぶのは怖くないのか?」

 

 馬鹿な問いだ。

 ヴォルケンリッターは闇の書に造られたプログラム。主を生かすために自らが滅ぶことに苦を感じるはずもない。

 それでも問いかけてしまったのは、目の前にいるのは思い悩むただの人間のようで、そんな少女が自分の滅びを許容できるとは思えなかったから。

 

 ヴィータは天井を、その向こうにある現在(ここ)ではない過去(どこか)を見る目で語る。

 

「今日、思い出したんだ。ずっと昔、あたしが倒した奴が言ってた。自分はここで死ぬけど、それで終わったりはしないって。意志は受け継がれて、因果が繋がって、あたしたちを追い続ける。いつかそれが追いついた時、あたしたちが滅ぶ番が来るんだ……って。きっと、今がその番なんだ。だからいいよ。あたしはここまでで良い。もう十分、幸せな思い出をもらえたから。後悔なんてしない」

 

 ヴィータは笑った。喜びのない、諦観の笑みだった。

 その顔を見て空虚だった胸にぼんやりとした何かが生まれる。

 

「嘘を言うな」

「嘘なんかじゃねえよ」

「そんな顔で言って誰が信じる」

 

 口を閉ざしたヴィータにかまわず口早に続ける。

 

「はやて君は死なせない。そして、お前たちを滅ぼさせもしない」

 

 ヴィータが驚いた顔で、グレアムを見返す。

 

 グレアム自身、自分の言葉に困惑していた。

 今更どの口でそんなことを言うのかと自分自身へ憤る一方、どこか納得していた。

 

 エスティアが消滅したあの日から、ずっと勘違いをしていた。

 正しさは甘さ。甘さが隙を作り、悲劇を生み出してしまった。

 自分は闇の書と戦うために、甘さを捨てなければならないのだと。

 

 とんだ思い違いで、思い上がりも甚だしい。

 初めて管理局に来た時を思い出せ。 それまで生まれた国から出たこともなかった自分が、右も左もわからない異世界で頑張ってこれたのは、正しいことをしているという確信があったからではなかったか。

 人は信じられるものがあるから戦える。正しさは甘さではない。闇と戦うための刃であり、己の心を守るための盾だ。

 

 そしてその正しさは所属する団体によるものではない。

 天上の星の輝きに魅入ったのは、我が心の内なる道徳律によく似ていると思ったから。

 管理局の正義を信奉していたのではない。己の正義を為すために管理局に所属したのだ。

 最高評議会が管理局の正義を否定し、グレアムを裏切ったのではない。グレアムの正義を裏切ったのはグレアム自身だ。

 

「お前、あたしたちのことを嫌いじゃなかったのか?」

「嫌いだ。憎んですらいる。お前たちは私の敵だ」

「ならなんで……ああ、はやてが悲しむからか」

「それだけではない」

 

 信じるものが崩れて、心が折れてしまったなら。

 再び立ち上がるための寄る辺が必要であるなら。

 みっともなくても、一度裏切った正義をまた拾って折れた芯に接ぐしかない。

 

 だから口にする。

 今さら何をという心の声をねじ伏せて、自分の感じたままの、かつての自分が抱いていた正義を。

 

「今のお前のような顔をしている者を見捨てることが正しいとは思えないからだ」

「だけど、あたしたちは――」

「これまで多くの命が失われて来た。これ以上は、もういいだろう。誰も死なない未来があっても良い」

「その命を奪ったのがあたしたちなんだぞ」ヴィータはぬいぐるみに顔をうずめる。 「お前はバカだ。そんな綺麗事が通るわけがない」

「たしかに周囲はそれで納得しないだろうが、私にとっては綺麗だからこそ目指す価値がある。困難な道だからと安易な方を選んでも、恐ろしく後悔すると先ほど身をもって学んだからな」

 

 目指すのは犠牲のない結末。誰一人死なせることなく、家族の元に帰ることができる世界。

 かつての自分は常にそれを目指していた。

 

「それから、これは私の個人的な願いだが……お前たちが罪の意識を感じてくれるのなら、できれば死以外で償ってほしい」

 

 ヴィータはぬいぐるみから顔をあげ、言葉を探しているのか、何度か口を開けたりと閉じたりして、ようやく何かを言おうとしたその時

 

 突然の音と揺れが言葉を遮った。

 

 音は大きくなく、揺れも強くはない。むしろ弱いと言ってもいい、しかし地震とはまったく異なる振動に、グレアムは不吉なものを感じた。

 

 

 

 

 

 シグナムがとっさに体を左へと動かすことができたのは、積み重ねた無数の戦闘経験が築き上げた直感のおかげだった。

 それでも完全な回避にはわずかに届かず、銀の刃は彼女の右肩へと突き立てられ、背後の壁へと体ごと押しつけられる。

 昆虫標本のように、突き立てられた剣がシグナムの体を壁に縫い止める。

 

 剣を握るウィルの顔には、先ほどまでの微笑は欠片もなく、いまや怨嗟と憎悪に歪み、心を削る狂相と化していた。

 

 濃い魔力が刃に集い始めた瞬間、シグナムの体は反射的に動いた。

 左手にレヴァンティンを展開させ、瞬時に込められるだけの魔力を込め、背後へと突き出した。

 背にした壁が砕ける。壁の先は居住棟の外、地下大空洞が広がっていた。

 シグナムは後方に飛び退く。肩に刺さった剣が抜けた瞬間に、騎士甲冑を纏いながら距離を取ろうとする。

 

 

 シグナムの心は後悔でうめつくされていた。

 

 なぜ、告げてしまったのか。

 

 理由はわかっている。彼に嘘をつきたくなかった。裏切るようなまねはしないと、誓ったから。

 だから思い出したその記憶をありのままに伝えてしまった。

 

 もしかすると、思い出した記憶の重さに耐えられずに、責めてもらいたかったのかもしれない。

 

 そこに己の見通しの甘さがなかったと言えば、嘘になる。

 

 きっと甘く見ていたのだ――ウィルならば、右腕を奪ったことを責めようとしない優しい彼ならば、激怒はしても直情的な行動にはでないだろうと。少なくともはやてのことが解決するまでは待ってくれるだろうと。

 あるいは、甘く見ていたのだ――自分の犯した罪の重さを。

 

 崩れた壁の向こうから、砂煙を貫いてウィルが姿を現す。

 纏うバリアジャケットは白から黒へ、剣を握る右腕は真銀の輝き。

 右腕以外の四肢にも銀の輝きを身につけたその姿は、シグナムの知らない彼の新たな戦装束。

 

 殺意に染まった見覚えのある眼光が、刃より速く鋭くシグナムの胸を貫く。

 

 

 

 

 捻じれ、歪み、軋みをあげながら、かろうじて保たれていた構造体。

 

 いつか訪れる崩壊を決定づける引き金が、赤髪の少年によって引かれた瞬間だった。




 三話かけてのグレアム陣営の掘り下げ終了。

 A's編のプロローグ・序盤・中盤までが終わり、ここから終盤に入ります。
 作品全体としても、ここから先は終盤戦になります。
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